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9月7日更新とうとう出てくれました。1)ジミー・ペイジ、リオナ・ルイスとWhole Lotta Love感激です。Whole lotta love がリオナ・ルイスの歌でジミー・ペイジがギターを演奏と、2度とないであろう超豪華なものでした。Jimmy Page with Leona LewisWhole lotta love 北京オリンピック閉会式にて ジミー・ペイジ(ギター)、リオナ・ルイス(ボーカル)動画では配信できないようです。今後ハイライトで放送されるかもしれませんので、お見逃しなく。安達久美さんも見てたようで、書き込みをしてくれました。8月22日【北京22日時事】を追記しました。2012年ロンドン五輪組織委員会は22日、当地で記者会見し、24日の北京五輪閉会式での五輪旗引き渡しセレモニーに、英国サッカー界のスター、デービッド・ベッカムが参加すると発表した。 英国の伝説的ロックバンド、レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジさん、若手人気女性歌手のリオナ・ルイスさんとともに、8分間のセレモニーを盛り上げるという。 8月16日Telegraph(The Daily Telegraph)紙はイギリスの一般紙サイズの新聞では発行部数は1位。このTelegraph紙が報じているので、ちょっと気になる記事です。写真は来日時のジミー・ペイジ次期開催地がイギリス、ロンドンであることからレオナ・ルイスはレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジと一緒にパフォーマンスをするのではと報じられました。北京の閉会式には、デヴィッド・ベッカム、ボリス・ジョンソン・ロンドン市長が参加するようです。他の方が北京へ行かれるのはともかく、ジミー・ペイジさんが行くのは複雑です。がさネタであればそれはそれで結構だと思います。レオナ・ルイス20年に1度の奇跡その類稀なる才能と、それに惚れ込んだクライヴ・デイヴィス&サイモン・コーウェルによる初の歴史的最強タッグによって、UKにおいてデビューにして数々の新記録と200万枚を超える空前の大ブレイクを果たしたレオナ・ルイス2)映画『It Might Get Loud(原題)』で世界的3大ギタリスト奇跡の共演!! 2008年09月07日 12:20 @=カナダ/トロント 映画『It Might Get Loud(原題)』の記者会見にて。ギタリストのジャック・ホワイト、ジ・エッジ、ジミー・ペイジ 写真 2008年09月06日撮影 (C)Alberto E. Rodriguez/ゲッティ イメージズ @=カナダ/トロント [09月06日 TimeWarp]2008トロント国際映画祭で、(中略)映画に出演しているレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ、U2のジ・エッジ、ホワイト・ストライプス/ザ・ラカンターズのジャック・ホワイトと異なる時代を象徴する3大ギタリストが登場した。映画では、3人のギタリストが影響を受けた音楽やそれぞれの時代で築き上げられた独自のスタイルなどを語り合っている。また、未発表の新作や3人によるジャムセッションなども映画の中で披露されている。 ブログの応援もお願いいたします m(_ _)mこちらもよろしければお願いしますm(_ _)m=================================================ギターを習いたい人へ 安達久美 ギタースクール 安達久美さん本人との面談を行った上で入学を決定します。安達久美、ギター教則DVD ※タブ譜付き<---クリックしてRAG通販でご予約くださいネ。RAG通販(特典付)のご予約受付=================================================
2008.08.15
2007年にチャリティーコンサートで復活した英国の伝説的なロックバンド「レッド・ツェッペリン」そのリーダーでギタリスト、ジミー・ペイジが26日午後、ニューアルバム【マザーシップ~レッド・ツェッペリン・ベストとライブアルバム「永遠の詩(狂熱のライブ)最強盤」】のプロモーションのため成田空港着のアメリカン航空機で来日しました。米ロサンゼルスからドキュメンタリー番組の収録を行い日本に立ち寄ってくれました。空港ロビーでは花束をプレゼントされるなど熱烈歓迎を受けました。28日に都内で会見を行いました。ジミー・ペイジ:去年の12月にライブを行ったことで、今までの数々のパフォーマンスを上回り、レッド・ツェッペリンというバンドが何であるかを示すことが出来たと思う。例えば解散した80年代に生まれていない子供たちにもレッド・ツェッペリンというバンドが何であったっかをわかってもらえたと思う。ボーカルのロバート・プラントがアメリカのカントリー歌手のアリソン・クラウスとのツアーで忙しいと説明しました。今後は少なくとも9月までは活動を行わない方針だといっていました。*ジミーは、同バンドの大ファンという女優・沢尻エリカ(21)を知っているかに「“別に”」とコメントしました。(通訳の方の翻訳ではなくて超訳のようでした。)場内のあまりの盛り上がりぶりに「皆さんの反応を見ていると、彼女に会っておかないといけなかったのかな。音楽もやっているようなので、これからも頑張ってください」とエールを送りました。28年ぶりの世界ツアーの発表することはなかったですが、是非日本でのツアーが可能になればと思います。2007年はPRS(Paul率いるPaul Reed Smith Band)と共演した安達久美さん。(PRSから誘われて)安達久美ファンとしては安達久美さんがジミーペイジとセッションを組んで演奏できたらと思ってしまいますね。恐れ多いことですがファンとしてお許しください。★ご紹介記事 インターネットエクスプローラーの←(戻る)で帰ってきてね。●ツェッペリンの音楽 (インタビュー 女性プロギタリスト・安達久美さん) 2007年はPRS(Paul率いるPaul Reed Smith Band)と共演した久美さん ●安達久美 clubPANGEAのCD+ライヴDVD 2月1日予約開始、3月19日発売写真の転載は禁止ですm(_ _)m●ライブスケジュールブログの応援もお願いいたします m(_ _)mこちらもよろしければお願いしますm(_ _)m====================================================================================穂香ちゃんに温かいご支援、ご協力を下さった皆様へ・渡独のご報告・ 穂香ちゃんの渡独に関しましてお医者様、代理店様、日本航空様のご尽力により、1月29日(火)に決定致しました。当日は中部国際空港セントレアより、シャルル・ド・ゴール国際空港を経由しベルリン・テーゲル国際空港という行程となりました。今後の経過報告につきましても随時ホームページにてご報告させて頂きますので、今後とも温かく見守って頂ければ幸いでございます。ほのかちゃんを救う会<-クリックお願いします「ほのかちゃんを救う会」は拡張型心筋症と闘う穂香(ほのか)ちゃんのドイツでの心臓移植を応援し、募金活動を行うことで、穂香ちゃんを助けることを目的とし活動しています。11月から有志の方たちで、募金活動が始められたのを知りました。一刻の猶予も許さない容態にある穂香ちゃんが現在、日本国内で心臓移植を受ける道は法律上閉ざされており、海外での心臓移植に望みを託す以外に残された道はありません。====================================================================================
2008.01.28
レッド・ツェッペリンが19年振り再結成コンサート。ジミー・ペイジが指を骨折のため、12月10日に延期。でも楽しみですね。ジミー・ペイジのツエッペリン以前は2007.11.02の本ブログに掲載させていただきました。今回はツェッペリンの結成の過程とペッツェリン時代の足跡を、ジミー・ペイジの視点からたどって行きたいと思います。ジミー・ペイジはバンドの継続に意欲があり、また契約も残っていた彼は新しいメンバーを集めヤードバーズとしての活動を続けようと考えました。まず、ベーシストにジョン・ポール・ジョーンズ*1】が決定するものの、他のパートはこれは,と誘っては契約の壁があったりと、困難の壁に突き当たっていました。ヴォーカリストにテリー・リードも起用しようとしたものの契約の壁から、これも頓挫してしまいます。ところがテリー・リードの推薦で元バンド・オブ・ジョイのロバート・プラントをヴォーカリストに決定しました。ドラマーはプラントの強い勧めでジョン・ボーナムが加入することとなりました。鎖のようにリンクして。レッド・ツェッペリンという伝説的バンドの原点が誕生したのです。【変わったバンド名?の由来】ジェフ・ベックのソロ・シングルの録音のためジミー・ペイジ(ギター)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、キース・ムーン(ドラムス、ザ・フー)の5人のセッションが行われたのです。このセッションは非常に充実したもので、5人中4人はパーマネントなバンドとしての活動を希望しましたが、ジョーンズが乗り気でなかったことと、いいシンガーが見つからなかったことでこの計画は頓挫してしまいます。その時に*2】キース・ムーンが「もし、俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の風船のように急降下だろうぜ、いや、鉛の飛行船(lead zeppelin)かな?」と言いました。「going like lead Zeppelin」ツェッペリンはハードロックバンドの一種であると思われるかもしれませんが、独特の感覚、リズム感を持つ音楽性にはハードロックとは言えないかもしれません。また、アコースティックギター中心のナンバー、トラッド風、メローなバラード調をはじめ、特に5枚目のアルバム以降は様々な音楽を取り入れ、1980年に解散するまで貪欲にその音楽的独自性を高めていた。またレッドツェッペリンは当初トラッド・フォーク・ロックバンドとして活動する計画もあったようです。これはジミー・ペイジのフォーク趣味とプラントの民族音楽志向もあってのことでした。結果的にジョン・ボーナムという最高のドラマーを得たことにより、バンドは轟音のロックを目指すようになりました。しかしこのペイジとプラントのフォーク風・トラッド風な傾向は『天国への階段』*3】(4枚目のアルバム)をはじめ、様々な曲に大きく影響しています。6枚目のアルバム「フィジカル・グラフィティ」に収録された「トランプルド・アンダー・フット」は当時ニューヨークのアンダーグラウンドで黒人の間で盛り上がっていた、いわゆるクラブ音楽としてのディスコで頻繁にプレイされている。ツェッペリンは1971、72年に来日公演を果たしており、71年の広島公演に際しては広島市平和記念資料館を訪れ「二度と戦争は起こしてはいけない」と涙ながらに語ってもいる。ツェッペリンは1980年、ジョン・ボーナムの死去により活動を停止する。ペイジのソロ活動は、また機会があれば掲載させていただきたいと思います。その活動はすばらしいと思いますが、やはり彼の本来の姿は、ギタリストでもあり,プロデューサーでもあるグループのときかもしれません。ツエッペリンのとき(1970年代)が彼の絶頂期と言われる方も多いようです。*1】父親からピアノを習、14歳で教会のオルガン奏者となり同年彼は最初のベースギター、フェンダー・ジャズベースを購入したのです。シカゴのフィル・アプチャーチの演奏がジョーンズにベースギターの演奏を決意させ、彼はベーシストとなりました。*2】10代になるとトランペットを始めるが上達せず、ドラムに転向。1964年のある晩、グリーンフォードのホテルでライブを行ったハイ・ナンバーズのドラマー、ダグ・サンデンを「オレの方がドラムが上手い」と挑発。メンバーが試しに演奏させてみたところ、彼の言うことが本当であったので、彼はそのままハイ・ナンバーズの正式ドラマーとして迎えられた。これがキース・ムーンとザ・フーとの出会いだった。*3】4thアルバム収録の「天国への階段」は、かのカラヤンをして「私がこの曲をアレンジしたとしても、全く同様になったことであろう」と言わしめたロックの名曲であり、近年での再結成時においても、存命中のメンバー3名がそろった時にしか(歌入りで)完奏されない、彼らのシンボル的曲である。【補記】New Yardbirdsの時代がありこの時代からツエッペリンの楽曲を演奏している。レコード会社がツェッペリンとヤードバーズで違うため、ペイジが当時ヤードバーズの所属していたレコード会社の商業主義に嫌気が差しており、New Yardbirdsのグループ名があるようです。皆様の応援が私の生きる糧です。blogランキング応援をお願いしますm(_ _)m
2007.11.08
ジミー・ペイジ Jimmy Pageイギリスのロックギタリスト、作曲家、プロデューサー。エリック・クラプトン、ジェフ・ベックと共に「ブリティシュ・ロック3大ギタリストの一人」とも言われることがあります。レッド・ツェッペリンクラプトンはこのブログでもご紹介しました。レッド・ツェッペリンのリード・ギタリスト兼リーダーとしてはあまりにも有名です。しかし彼のルーツは非常に興味深いものです。今までご紹介してきたアーティストとリンクしており、読んでいただける方にも、クリプトン、ヤードバーズ、ジェフベックとのかかわりに興味を持っていただけるようになればうれしい限りです。■当初はアートスクールとでセッション・ギタリストとして活躍ギター・フォー・ハイアー-60sセッションズ ジミー・ペイジの激レア・トラックを集めたコンピレーション・アルバム・リリースこのアルバムにはクラプトンとのセッションナンバーが2曲入っています。「チョーカー」はタイトなブルースナンバー、「フライト・ローダー」はスロウブルースナンバーとなっていてどちらもインストルメンタルナンバーです。誰がギターを弾いているかと思えば、どこにもクレジットはないものの、明らかにクラプトンです。ペイジはサイドギターかも知れません。このアルバムでの聴き所は「ソー・カム・オン」のレス・フレウアーズ・デ・リスです。1分48秒の短い曲。■ヤードバーズの時代ヤードバーズをクラプトンが脱退後に参加を要請されたが辞退した。そして知り合いのジェフ・ベックを推薦した。その後ベースのポール・サミュエル・スミスが脱退し、ヤードバーズにベーシストとしての加入することになる。その後ジェフ・ベックが病気で休養のため、代役でギターパートに入ることになった。ジェフ・ベックの復帰後は彼との2人のリード・ギターのスタイルとなった。ペイジの貴重なヤードバーズ時代のライヴが聞けます。レアで貴重なヤードバーズBBCセッションズ エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジを輩出したことも含め、高い評価を受けるブリティッシュ・インヴェイジョンのグループが英BBCの番組に出演した時の音源をまとめた一枚。残念ながらクラプトン在籍時のものはないが、65年から68年までの作品が聴ける。ボーカル :キース・レルフギター :ジェフ・ベック(Disc1:1-21)ギター :ジミー・ペイジ(Disc1:22-27)ギター :クリス・ドレジャベース :ポール・サムウェル・スミスドラムス :ジム・マッカーティその後の名曲「トレイン・ケプト・ア・ローリン」「幻の十年」、「アイム・コンフューズド」後にジェフ・ベックが脱退、1968年に解散。■レッド・ツェッペリン結成これについては、ジミー・ペイジとレッドツェッペリンについていろいろ書きたいと思います。後日、近いうちに(と努力します)ブログをアップしますので、必ず読んでくださいね。過去ログにレッド・ツエッペリン:女性ソロギタリスト 安達久美が少女のころから傾倒したグループの1つとは があります。がんばってまとめておりますのでご一読ください。時々覗いてください。お気に入りに入れて下さったらとってもうれしいです。更新したときタイトルを見てもらえます。あつかましくまたお願いm(_ _)m下記の応援をお願いいたします。皆様の応援が私の生きる糧でございます。blogランキング応援をお願いします
2007.11.02
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