蘇芳色(SUOUIRO)~耽美な時間~

「マザー・テレサ」




作品は 「マザー・テレサ」
「ロミオとジュリエット」で35年前、瑞々しいジュリエットを演じたオリビア・ハッセー主演。
あれはメイクだったのかしら?最初からお顔にかなりのシワ。
たしかマザー・テレサが36歳の時から87歳までを演じているのだから、最初はシワなしでもいいと思うんだけど・・・。さすがに87歳を演じている時は、特殊メークを施していたけれど。



インドのカルカッタで、恵まれた少女達が学ぶカトリック・スクールで教鞭をとっていたマザー・テレサ。
スクールの外では、イスラム教徒やヒンズー教徒たちのいがみ合いがあり、貧困があり、病のため道に倒れている老人がいる。孤児も多かった。
そんな人たちを助けようと、マザー・テレサはカトリック・スクールから出て、孤軍奮闘する毎日を送るようになる。
孤児院を開きたいと思ったとき、ハンセン病患者のための病院を開設したいと思ったとき、いつも彼女の前には、援助の手が差し伸べられる。それは寄付金であったり、人材であったり。
そうして彼女は最も貧しい人たちのために、自らの一生を捧げたのだった。


マザー・テレサが困難に立ち向かう姿は、「慈悲深い聖母」というより「女戦士ジャンヌ・ダルク」のごときである。
優しさは弱さではなく、強さでもあると私は考えるので、彼女の描写には納得できた。しかし、困難に見舞われるたびに、まるでファンタジー映画を見ているように、次々と解決策が出現するのは、かえって白々しさを感じた。彼女の行動は神の加護があると言いたかったのかもしれないが、あまりにもタイミングが良すぎて、少々鼻白む。
実際には、もっと大変だったのだろうと想像できるだけに、その「いかにも映画的な」作りに、マザー・テレサの業績が軽んじられているように感じてしまう。

またマザー・テレサのセリフの中で、1つ気になったものがある。
マザー・テレサの行動に共感し、イギリスからやってきたボランティア志願のアンナとの会話である。
難病に冒されたアンナに、マザー・テレサが養生のためにイギリスへ帰国することを勧める。
しかしアンナは頑なに帰国を拒否し、マザー・テレサの下で生きていたいと懇願する。
そのアンナにマザー・テレサが言うのだ。
「祈りなさい」と。
「神は私たちを一番愛してくださっています」

なぜ?
もちろんマザー・テレサの業績は偉大で、頭が下がる。
きっと神も彼女を愛しているのだろう。
しかし、本人がそれを自覚していいのだろうか?

これはマザー・テレサが実際に言った言葉だとは思えない。
脚本家の作り出したセリフではないかと思う。
このセリフの中に、微かな傲慢さを感じる私は、やはり異教徒なのだろうか。(といっても、家が仏教徒なだけで、私自身は熱心な信徒とはいえないけれど)


親鸞の「歎異抄」にこのような言葉がある。

「善人なをもて、往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと」

亀井勝一郎氏による現代語訳は以下の通り。
「善人すらなお往生(救い)をとげることが出来る、まして悪人が往生をとげえないはずないではないか。ところが世の人は、これとは逆に、悪人でさえ往生することが出来る、まして善人が往生しない道理はないと言っている」


私も親鸞の教えに同感。
善い行いをするというのは、とても難しいことだと思う。
その方法や手段が難しいといっているのではなく、善行をする自分を客観的に見られるかどうかが難しいのだ。
善い行いを当たり前を思わず、そこにうぬぼれや偽善が介入しやすいという点が、善行の難しいところだと思う。

毎日の暮らしの中で、聖人君子のように生きるのは難しいと思う、人間だから。
それでも、自分の中にあるかもしれない浅ましさを直視し、謙遜し、ただ頭を垂れて生きることが大切なのではないかと、思う。

もちろんこの私も、日々さまざまな煩悩に悩まされておりますよ。(笑)


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