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i 西加奈子 ポプラ社 アメリカ人の父と日本人の母を持つアイは、シリア生まれの養女だ。優しい両親はアイを愛情込めて育ててくれている。しかしアイの心の中は、自分が他の誰かを押しのけて選ばれてしまったのではないかという罪悪感に苛まされている。高校の時の数学教師の「この世にアイは存在しません」ということばが、自分のことを指していないのに、ずっと心の奥に居座ってしまっている。そういう罪悪感からか、アイは世界中で起こった災害や事故、テロなどで命を失った人々の数をノートに書き留めるようになった。 連載小説をまとめたのではなく、書き下ろしの、この小説は、なるほどリアルタイムで起こっている世界中の悲惨な出来事が記録されている。阪神淡路大震災や911同時多発テロ、東日本大地震やシリア内戦。実際に起きている出来事が小説の中の主人公アイにも起こっている。アイの感情の動きと自分のそれと比較しながら、共感したり疑問に感じたりしながら読み進む。 自分の存在価値を求めるが故に、血の繋がった子どもを熱望するアイ。親友ミナがとった行動がどうしても許せない。 私もニューヨークでミナのとった行動は理解できないし、少々設定が破綻しているのではないかと感じる。しかし一番疑問に感じたのは、アイが自分の親のことを知りたがらなかったこと。自分の存在が曖昧で不安なら、その原因となった、「なぜ生みの親が自分を手離したのか?」ということを知りたいと思わないのか? 恵まれた環境で親友も寄り添ってくれ、ユウという優しいパートナーにも出会い、自身の頭脳も優秀で、それなのに子どもも欲しいという。アイは聡明で繊細だが、贅沢だ。他者に対しての引け目から罪悪感に苦しむが、そういった気持ちさえ、私は鼻についた。登場人物が全員良い人だというのも、そう思った一因かもしれない。ミナやユウが裏切るのではないかと、ヒヤヒヤしながら読んだ私は捻くれ者なのかなぁ。
2017/05/25
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いやもう目から鱗。食堂なのに人件費はかからない。なぜなら「まかない」というシステムがあるから。一度この「未来食堂」に来たことがある人なら誰でも店を手伝うことが出来る。そして一食無料になる。それが「まかない」。 その無料券を店に貼り、誰でもその無料券をはがして使うことが出来る「ただめし」、店にある食材で、客の注文の料理を作る「あつらえ」。こういうこと、出来たんだ!と胸がワクワクしてくる。 ただ筆者はただ夢を見ているだけでなく、自分が描いた絵を現実化するために、徹底的に検証し研究する。その理性的なところがいい。 起業したい人には格好の入門書になるだろうし、そうでない人にも、魅力的な人生指南書ではないかな。
2017/01/23
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是枝裕和監督の「雲は答えなかった」を読み終えた。かなり昔に書かれたものだが、3年前に文庫本が再版となり、新聞広告に載っていたので図書館で借りて来た。 内容は、水俣病に関わった官僚 山内豊徳の生と死を描いたドキュメンタリー。たまたま読書中に当時の政治家の水俣病に関するメモが出て来たというニュースが新聞の一面に掲載され、そのタイムリーさに驚いた。 もっと驚いたのは、この本を読み終わり、巻末の山内の年表を見ると、読み終えた1月9日は彼の誕生日だったということ。 何より山内の生きた時代も今も、同じように政治家も官僚も国民のことなど考えずに、自らの昇進と金のことしか考えていないという現実に目眩がしそうだ。 今年も問題意識を持ちながら過ごしていきたいと思う。 「取材とは自己発見していく為の方法なのだという気づき」是枝裕和 「雲は答えなかった」文庫本 あとがきより
2017/01/23
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消滅世界 村田沙耶香 河出書房新社 プロローグでヒロインの雨音は恋人に言われる。 「雨音って、最後のイヴってイメージなんだよな.....」 近未来なのか、架空の世界なのか。人々が結婚と性交を別物として捉えている世界。雨音は大多数の人間がしているように、アニメのキャラクターに恋をしていた。狂おしいほど相手を思い、一つになりたいと願う。それはヒトとの恋愛と大差ない。むしろトとの恋愛よりも純粋かもしれない。 そういう世界にも家族を作るというシステムは残っていた。違うのは夫婦間に恋愛感情はなく、夫婦以外の相手と恋愛するのが当たり前になっているというところ。 雨音は朔と結婚し、それぞれ恋人を作り、朔とは性の介在しない穏やかな家族としての生活を営んでいた。しかし朔が恋に悩み、雨音を伴って千葉にある実験都市に移住することにする。そこは「楽園(エデン)」と呼ばれていた。 恐ろしい、ただ恐ろしい小説。人がどうして人となりえるのか。固有の遺伝子と、様々な感情と、他人と違う経験とを積み重ねて、その人となる。しかし昨今の若者たちの草食ぶりを見ていると、小説の世界が現実になるかもしれないと、ふと思ってしまう。清潔な都市で管理されて生きるということは、人の存在の根源でもある「愛し合う」欲望さえも不浄なものとして扱われる。責任もない子育てで、まるで愛玩動物のように育てられた子どもたちが、人間らしく成長するのだろうか? 不特定多数の大人から可愛がられた子どもたちは優秀な人間に育つという(小説の中の)データがあるらしいが、その優秀さというのは、施政者にとって都合の良い優秀さではないだろうか。 「みんなちがって、みんないい」 多様さを欠いた世界は危ういと思う。 猥雑な世界が愛おしくなってきた。
2016/11/18
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和菓子のアン 坂木 司 光文社 梅本杏子、18才。高校を卒業後の進路に迷っていた。勉強が好きでもないのに、大金を払って大学に行くのはもったいない。しかし就職となると何か違う。そして向かった先はデパ地下。そこで出会った和菓子屋のみつ屋でアルバイト始める。 何しろ食べることが大好きで小太りLサイズの杏子なのだから。 店長の椿に店員の立花、アルバイトの桜井。一癖も二癖もある人たちに囲まれ、さまざまな事情を抱えた客とのやり取りをこなし、杏子は和菓子の奥深さに魅了されていくのだった。 杏子(立花にアンちゃんと呼ばれている)のキャラクターがまず魅力的。彼女の家族も良心的で、読んでいて気持ちいい。 客がなぜ和菓子を買いに来るのか。ミステリーのような謎解きが面白い。そして謎が解かれた時の爽快感。和菓子と同様、文献に残らないような市井の人たちの営みこそが尊いのではないだろうか。
2016/08/16
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ぼくは君たちを憎まないことにした アントワーヌ・レリス ポプラ社 2015年11月13日にパリで起こった恐ろしい事件。金曜日の夜、スタジアムや劇場やカフェ、それぞれの楽しい時間を過ごしていた人々130人が、テロの犠牲になった。アントワーヌの妻も犠牲になったひとりだった。17ヶ月の息子を寝かせつけ、本を読んでいた彼の耳に入ったのは電話のコール音。どうせたいしたことではないだろうと、放っておき、留守録になったが、聞こえてきたのは「大丈夫?」という声。何が起こったのか不安になりテレビをつけると、パリで同時多発に起こったテロ事件を報道していた。その現場の劇場には妻がいるはずだ。アントワーヌの耳からは一切の音が消えた。 最愛の妻をテロ事件で亡くした夫が、彼女の葬式までの二週間をどう過ごしたかを綴るドキュメント。 どんな悲惨な事が自分を痛めつけても、日々の暮らしは続く。幼い子どもがいる場合は、さらに規則正しく。その合間に妻が収容された場所に行き、彼女と最後の時間を過ごす。 数日は言葉を失い、感情を出すことができなかった著者が、急に言葉があふれ、自分の気持ちをFacebookにアップする。 「ぼくは君たちを憎まないことにした」 テロリストの思惑通りに、憎しみに憎しみで応えることはしないと。 「憎しみという贈り物を君たちにはあげない。怒りで応じてしまったら、君たちと同じ、まさに無知に屈することになるんだ」 その文章は世界中に広まり反響を呼んだ。 しかしこの本では、その反響への戸惑いも正直に吐露する。気持ちが変わる権利もあるだろうかと。 阪神大震災後、他の地域に住んでいた人は口々に言う。「大丈夫だった?頑張ってね」 「頑張る?これ以上?」 頑張ってねという言葉に含まれる残酷さを、アントワーヌも指摘する。 さまざまに揺れる心を綴り、妻の喪に服す。 人の心の強靭さと繊細さ、崇高さが心に沁みて本を閉じた。
2016/08/16
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映画を撮りながら考えたこと 是枝裕和 ミシマ社尊敬する映画監督の是枝裕和氏がいままでの作品(映画・テレビどちらも)を撮影するにあたって、もしくは撮影しながら考えたことなどをまとめたエッセイ。彼の作品のファンなら、知りたかった、知らなかった情報が満載で、まさに宝の山。彼の作品を読み解く参考にもなり、より深く作品を味わうことができること請け合い。自分自身の解釈も、もちろんあり得る。ページをめくるのがもったいないような。先に進みたいような、充実した読書時間。大切にしながらゆっくり味わいながら読んだ。
2016/08/09
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焼野まで 村田喜代子 朝日新聞出版 子宮体がんを患った早瀬和子は、南の街にあるオンコロジー・センターで四次元放射線治療を始める。ウイークリーマンションを借り、夫を残して一人で。センターで出会ったガン仲間との交流。日に日にぼろ人形のようになっていく自分の姿におののいて、扉を開けた美容院での出会い。手術をせず、新しい治療法を選択した母を怒る看護師の娘。放射線治療の宿酔に悩みながら、焼島の噴火で火山灰が絶えず降る南の街で早瀬和子は生きる。元同僚の八鳥もまたガン仲間で肺を病んでいた。彼は入院していて、不定期に電話をかけてくる。放射線治療後に宿酔に侵食された身体を横たえた時に見る祖父母たちのリアルな夢。 その年の三月、北の街を大地震が襲い、原子力発電所が爆発した。放射能が溢れ出てきたのだ。そして自分は南の街で放射線治療をする。自身の内に出来たガン細胞を放射線で攻撃する。 読むほどに、主人公の宿酔がこちらにまで移ってきたような感覚を覚える。その中で生まれる、出会った人々との触れ合いが、微かな温もりとなって、身体を照らす。夢の中の祖母とのやり取りで、自分だけでない家族の歴史を垣間見る。生きることは淡々としている。生者と死者との境目は何か。焼島から見た人の小ささを思う。いや、宇宙から見た人は小さいというレベルではない。そこでなぜ煩悩に包まれて生きるのか。 早瀬和子との共通点から読み始めたが、最初の段階で彼女と道が外れた自分。 その有り難さを忘れかけ、再び不要な煩悩に包まれようとしていた私を揺さぶって目覚まそうとしてくれた作品。
2016/06/05
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ユートピア 湊かなえ 集英社 湊かなえの最新作は、「告白」のような読み終わった後に救いのない話でもなく、また「山女日記」「物語のおわり」「絶唱」のような心地良いラストでもない。湊作品の新たなパターンなのだろうか。(と言えるほど、彼女の作品を全て読んでいる訳ではないけれど) 花に溢れ景色の素晴らしい鼻崎町で繰り広げられた菜々子、すみれ、光稀の「クララの翼」プロジェクト。陶芸家のすみれが作った翼のキーホルダーを足の不自由な人が翼を持つことが出来るようにという思いを込めて販売すると、人気に火がついた。菜々子の娘 久美子は足が不自由で車椅子で生活している。車椅子と仲が良い光稀の娘 彩也子が久美子のことを思って書いた作文が功を奏したのだ。 人々の本音と建前。その言動を間に受けていては、見抜けない。本当の気持ち。本当の望み。それは本人にしかわからないのだろう。もしかしたら、本人もわからないのかも。 自分にないものを持つ相手に対する羨みと嫉妬。しかしそれは相手から見れば、また違うものになる。つくづく人間とは不自由なものだと思う。
2016/06/01
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フランス人は10着しか服を持たない ジェニファー・L・スコット 大和書房 本屋では平積み、図書館では予約待ちが200人以上。それほどまでに人気の本の内容に興味を持ったため、手に取る。もちろん、タイトルも気になった。 アメリカ人学生が、憧れの地パリに半年間留学をした。貴族の末裔の家庭で、マダムとムッシューの生き様に大いに感化される。その体験をブログに書き、反響を呼んだので、書籍にまとめたのが、この本。フランス人のシックな生き様を、食・服装・教養などのジャンルに分けて解説している。 読んだ後、強く思ったのは「出発点が違うのだ!」ということ。 食を疎かにせず、素材を吟味して料理をし、家族と楽しくいただく。間違っても、夜遅くなって、今から食事を作るのも大変だからと、キッチンで立ったままシリアルを頬張ってはいけないだとか、買い物途中に空腹になったからといって、プレッツェルを片手に買い物を続けるのではなく、レディらしくカフェに座ってランチをいただくとか、「それって当然じゃない?」と思うことが、パリで身につけたシックな習慣として紹介されている。確かにタイトルの10着しか服を持たないというのは合理的だし、見習うべき点も多い。しかし他の部分は当たり前すぎて、何を今更と思うことが多い内容だった。ゴシップ雑誌やバラエティー番組をダラダラ見るのではなく、本を読んだり、映画を観たり、美術館に行こうって、当たり前。パーティなどで自分のことばかり話さないで、最近読んだ本の話をする、ミステリアスな女性になろうって、それも当然だと思う。 なんだかあまり中身がなかったと感じた。
2016/05/25
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わたしの神様 小島慶子 幻冬社 なんという恐ろしい話か。読み進めるほどに恐怖で鼓動が早くなる。もうこれ以上頁をめくることが出来ないと、本を閉じてしまった。そして呼吸を整え、気分転換に読書以外のことをする。 人気絶頂の女子アナ、仁和まなみはその美しい容姿でのし上がってきた。かたや育休をとる中堅アナウンサー佐野アリサは、ハーフだが日本人らしい地味な顔つきにコンプレックスを抱いていた。バリバリ働く政治記者の立浪望美は、容姿ではなく実力で認めてもらいたいと切望している。トランスジェンダーの、元アナウンサー滝野ルイ。彼女たちが男社会のテレビ局でどのように生きていくか。或いはそこから逃避するか。女性は顔か頭か性格か。いや、どうして女性は値踏みされるのか。自分が自分としてありのままに生きることを許されず、男たちのフィルターを通してのみ、生きることを許される。その理不尽さ。わたしの神様は何処にいる?わたしに何を与えてくれた? わたしの神様は、ありのままのわたし自身だ。
2016/05/25
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無戸籍の日本人 井戸まさえ 集英社 著者は元衆議院議員で、無戸籍の人々を支援する「民法772条による無戸籍児家族の会」代表。彼女が出会ってきた無戸籍の人々とその家族たち。その人たちとのやり取りや著者自身の子どもが無戸籍なり、子どもの戸籍取得のために裁判を起こした経緯なども書かれている。本の中に出てくる人たちが無戸籍になった理由は様々だが、そこには女性への差別や貧困問題があった。 私が知らない無戸籍の人々のついての様々な事例が紹介されていて、教わることばかり。 法律にも綻びがあり、時代にそうようにしなければならないと思った。
2016/05/08
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幹事のアッコちゃん 柚木麻子 双葉社 表題作の他、「アンチ・アッコちゃん」「ケイコのアッコちゃん」「祭りとアッコちゃん」収録。最初、装丁の派手さに驚いた。ピンク?それにアッコちゃんの飾り巻き寿司? 最初の二作を読んでいるときは、正直言ってアッコちゃんシリーズもそろそろ飽きたなと思っていた。特に「アンチ・アッコちゃん」はアッコちゃんは風邪をひいているので、読者の私もなんだか元気が出ない。しかしどんどん読み進め、「祭りのアッコちゃん」にまでページを進めると、アッコちゃんの作る焼きそばが無性に食べたくなってきた。よくよく考えてみれば、アッコちゃんの隣にいるのが笹山(澤田)三智子の時が読みやすい。アッコちゃんの深層心理が読むこちら側に伝わってきているのだろうか。 TV番組のインタビューで、「グローバル化時代のビジネス成功の秘訣は?」と聞かれた彼女はこう答える。 「ランチです」 そうなのだ。食べることは、そのまま命を紡ぐこと。自分の身体をいたわること。そこから全てが始まるのだ。 合理化や経済発展だけを求めていてはいけない。それよりも大切なものがある。丁寧に生きること。 読了後、装丁の派手さが心地良く心を照らし、アッコちゃんはいつも通り読者の私を元気にしてくれた。
2016/04/26
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30000このすいか あきびんご くもん出版 はたけにはよく熟れた30000このすいかがいました。見ていたカラスが言います。「かわいそうに、この子たちは食べられてしまうよ」と。それを聞いたすいかたちは慌てて畑から逃げ出します。逃げ出した先は......。 すいかたちが脱げ出すまでは予想範囲内。しかしそれから先は奇想天外なストーリーに驚きっぱなし。こういう絵本、大人だって読んで楽しみたい!
2016/04/20
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まく子 西加奈子 福音館 小学5年生というのはほんとうに微妙な年齢なのだ。自分の時もそうだが、近い過去で言えば、私の子どもたちが小学5年生の時。学校にいたのは、小菅先生のような大人ではなくて、もっと違う人種だった。子どもたちは苦い思い出を抱えたまま6年生になった。 では「まく子」に登場する慧たち小学5年生たちはどうか?年に一度の「祭」で子どもたちは学年ごとに神輿を作る。そのデザインを決める時、担任の小菅先生は言うのだ。「多数決で決めてはいけない」と。何かをある程度の時間で決めてしまう時、多数決は有効である。多数の意見を取り入れて決めるから。しかしそれは民主的ではない。何故なら少数派の意見が入っていないからだ。本当に民主的に物事を決めるのなら、多数派だけでなく少数派の意見も取り入れて話し合わねばならない。そう先生は言うのだ。 謎の転校生コズエは美少女で、クラス中だけでなく、集落中の注目を集める。彼女が「オカアサン」と一緒に住み始めたのは、慧の両親が経営する旅館の従業員用宿舎「いろは荘」だった。コズエと慧は様々なものを撒き始める。特にコズエは撒くことが大好きだった。なぜなら彼女は.....。 深い、深くて心に沁みて、愛おしくなる小説。いや哲学書と言った方がいいかもしれない。この小説を読むことが出来て良かった。
2016/04/15
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職業としての小説家 村上春樹 スイッチ・パブリッシング まるで村上春樹の講演会を聞いているような気分にさせるエッセイ。一言でエッセイと言ったが、日常的散文と言うより、村上春樹の小説家としてのスタンスを明確に表現している思想集とでも言おうか。小説家について、文学賞について、学校についてなどなど、小説家としての村上春樹を詳しく知ることが出来る。推敲に推敲を重ねるプロセスや登場人物の肉付けや名付けなど、興味深いエピソードがどっさり。特に「学校について」と「誰のために書くのか?」の内容が心にストンと落ちた。 「小説というものは、物語というものは、男女間や世代間の対立や、その他様々なステレオタイプな対立を宥め、その切っ先を緩和する機能を有しているものだと、僕は常々考えているからです。それは言うまでもなく素晴らしい機能です。自分の書く小説がこの世界の中で、たとえ少しでもいいからそういうポジティブな役割を担ってくれることを、僕はひそかに願っているのです」
2016/04/13
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10の奇妙な話 ミック・ジャクソン 東京創元社 読むほどに、なんとも奇妙な異界にはまり込んでゆく。起承転結があり、大団円の話は多くない。それでも登場人物が納得しているのだから、部外者である読者は口出しできない。ストーリー展開の意外さと座りの悪い着地点に、次第にはまり込んでいく。 「蝶の修理屋」の蝶の蘇生液がハッカで代用できるとは!読んだ途端、喉からハッカの香りがしたよう。 「宇宙人にさらわれた」はヒステリー状態に陥った集団の斬新な落ち着け方が面白い。ああ、こうきたか、とうならされた。理詰めで考えていた私はまだまだ未熟者だ。 「骨集めの娘」「もはや跡形もなく」は哲学的な話だと感じた。 どれも魅力的な10の話に、しばし浮世の憂さを晴らしてみるのもいいかもしれない。
2016/04/06
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少年の名はジルベール 竹宮恵子 小学館 「ファラオの墓」「地球(テラ)へ...」などのヒット作マンガを世に送り出した人気漫画家の自伝エッセイ。 彼女の作品を語るには、「風と木の詩」と外すことは出来ない。少女マンガがまだタブーにがんじがらめだった1970年代に、少年愛を描いてセンセーショナルを巻き起こした。2016年の今でこそ、BLはマンガの一つのジャンルになっているし、LGBTQという言葉が新聞紙上に掲載されている時代だ。 このエッセイには、日本を代表する漫画家の竹宮恵子氏が、当時タブーとされていた少年愛を扱った「風と木の詩」の少女マンガ雑誌への掲載をいかに勝ち取ったかを丹念に綴っている。 まだヨーロッパ旅行などメジャーではなかった40年前に、漫画家仲間たちと訪れたパリなどのヨーロッパの都市。 それはひとえに19世紀パリを舞台にした「風と木の詩」の取材旅行でもあった。背景を正確に描き、完璧な作品にするための凄まじい情熱。作品を生み出す漫画家の執念を垣間見たような気がする。そのような努力をして、作品を生み出す人は、読者に何かを手渡そうとする。文化だな、と思う。 漫画家として走り出した彼女にずっと伴走してきたマネージャーでもある増山法恵さん。二人が映画や文学、美術、音楽などを吸収し語り合う姿は、なんとなく同じ年齢の頃の自分を思い出して懐かしい。若い頃は、豊かな文化を吸収することに忙しいものなのだ。そしてそれを噛み砕き、自分のものにしていくプロセス。今思い出してもワクワクする。 文化・芸術は、その存在意義を数値化することが出来ない。いやむしろ数値化するということの対極にあるのが文化・芸術なのだ。数値化できないところに、その奥深さ、豊かさがある。人間にとって必要不可欠なミネラルとでも言おうか。 竹宮恵子氏がマンガで表現しようとした、多様な人間性の存在意義と文化の豊かさ。時代の最先端を走るゆえの軋轢だったのだなと、40年後の世界で思う。 竹宮恵子氏のBBCインタビュー記事が、「少年の名はジルベール」の内容とリンクしていたので、以下にご紹介します。 ⬇︎ 「国連が批判する日本の漫画の性表現 「風と木の詩」が扉を開けた」 http://googleweblight.com/?lite_url=http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35742160&f=1&s=1&source=wax
2016/03/30
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他人のふたご アナイス・ボルディエ/サマンサ・ファターマン 太田出版ロンドンでファッションの勉強をしているフランス人アナイスは、ある日友人から奇妙な連絡を受けた。彼女とそっくりのアメリカ人女優がyou tubeの動画にいたというのだ。その動画を見たアナイスは驚愕した。なにからなにまで自分にそっくりの女性がそこにいたからだ。これは韓国 釜山で同じ日に生まれたアナイスとサマンサが、不思議な縁によって再会をした物語である。フランスで育ったアナイスとアメリカで成長したサマンサ。姿はそっくりだが、性格はどうなのだろう。人は遺伝子によって性格を決定づけられるのか、それとも環境か。さまざまな関心を惹くノンフィクションだ。アナイスは自分が産みの母親に捨てられたという考えが捨てられず、韓国に行ったときにとてもナーバスになる。かたやサマンサは自己肯定意識が高く、そんなことは考えない。二人のやり取りがとてもかわいらしく、力強く、心地よい。もし私も世界のどこかに生き別れになったふたごの姉妹がいたら?彼女たちのようにしっかりと前を向いて歩いていけるだろうか。もちろん彼女たちは最初とても混乱した。ほんとうに自分と同じ顔なのか、相手は自分と血のつながったふたごなのか。そうして混乱を超えて、手を取り合って前を向く。そうできるのは彼女たちの強さもだが、なにより彼女たちを今まで愛し育んできた、フランスとアメリカの家族の愛情の賜物ではないだろうか。波乱に満ちたストーリーに引き付けられ、夢中で読み終えた後は、心の中に温かな光が灯っていた。
2016/03/29
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坂の途中の家 角田光代 朝日新聞出版 2歳の娘のいる専業主婦の理沙子は、乳児殺害事件の補欠裁判員になる。孤立した子育てから、自分の子どもを殺した被告の母親 水穂。裁判に参加するうち、水穂と自分を重ねてしまう理沙子。夫の陽一郎は理解のある態度だが、本当にそうなのか。優しさで包んだ言葉が、実は自分の考える力を失わせる悪魔の言葉なのだと気づく理沙子。その場を丸く収めるために自分の意見を押し殺し、相手に合わせていくうち、自ら考えるという行為すら忘れてしまう。しかも恐ろしいのは、それが愛という名の下に行われているということなのだ。理沙子は自分の頭で考え、補欠裁判員の任務を終える。それは、母親や夫から、愛情という名前で包んだ束縛を受けていた自分の解放でもあった。水穂の幻影との決別。理沙子が自分の足で立ち上がることを示唆するラストシーンは印象的。私も水穂と自分を重ね、またそういう理沙子と自分も重ねた。今年一番の本に、早々に出会ってしまったようだ。
2016/03/24
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うそつき、うそつき 清水杜氏彦 早川書房 第五回アガサ・クリスティ賞受賞作。 近未来のある国では、嘘発見器として機能する首輪が国民の首にはめられていた。普段は青いが、嘘をつくと首輪のランプが赤く点る。そもそも嘘とは何ぞや。近未来の嘘発見器が嘘の判定基準としたのは「自身に対し、疚しさを感じているかどうか」だった。主人公は首輪を除去することを生業としている18才のフラノ。彼に除去法を教えた師匠とは何者か。児童養護施設で育ったフラノの父親とは誰なのか。人権が無視された近未来の社会の中に、果たして真実はあるのか。切なく胸が痛い小説。
2016/03/16
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パオズになったおひなさま 佐和みずえ くもん出版 2015年読書感想文課題図書。確か新聞で課題図書として紹介されていたのを見た記憶がある。 最近、第二次世界大戦時の満州に関する小説やノンフィクションに縁がある。新聞の書評欄や広告で気になった本が、だいたいそういう内容なのだ。中脇初枝の「世界の果てのこどもたち」しかり「五色の虹」しかり。 そしてこの「パオズになったおひなさま」も第二次世界大戦時の大連が舞台である。枡屋という大豆や小麦粉などを売る店の末娘よしえと、中国人リンの友情物語。小学生向けなので、あまり悲惨な描写はないが、戦争が平和な日常を壊していくということがよく分かる。今まさにヘイトスピーチなどの差別意識の放置により、70年前に逆戻りしつつあるが、過去何があったかを大人も子どもも記憶に留めなくてはいけないと思う。いがみ合うより、対話を重ねて、お互いを理解しようとする努力を忘れてはいけない。
2016/03/10
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あなたという国 ドリアン助川 新潮社 ニューヨークで語学学校に通いながら、ロックバンドを組んでいる拓人。幼い頃父親を亡くし、成人後には母も亡くしていた。いつの頃からか、自分の存在する世界のあやふやさを感じていた。そこから逃げるためにニューヨークに来たと自覚する。語学学校のクラスメイト、韓国人のジンとユナ。日本と韓国の関係のように危ういが、反発しながらも惹かれあう。 アメリカ震撼させた9.11の同時多発テロ事件。ニューヨークに住む拓人は否応もなく、国家間の軋轢に飲み込まれていく。 ただ前半の拓人の胸の内の感情に共感できず、ネチネチとネガティヴな男だなあとイライラする。彼が感じる、人とは違う孤独感などは、下手をすれば自己愛だと思われやすい。 孤独な男に優しい女が理解を示し、あなたを守ってあげるという。男性作家の都合の良い妄想?最近読んだ(読みかけた)3人の男性作家の小説は、たまたまなのか、どれも男性にとって都合の良い女性が登場する内容で辟易した。 この小説の主人公拓人も、どうしてあの状況で事故現場に行ってしまうのか理解できない。ユナの身を案じているのは分かるが、結局みんなに迷惑をかけている。あのような状況で、テロに遭っていない拓人が、医師の手を煩わせたり、薬や輸血を使うのはよくない。もう少し冷静な判断ができなかったのか?
2016/03/09
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世界の果てのこどもたち 中脇初枝 講談社 第二次世界大戦中、中国満州(東北部)で出会った日本人の珠子と茉莉、朝鮮人の美子。彼女たちは小学校低学年で幼く、戦争の何たるかを知らなかった。一緒に遊びに行ったお寺で、急に降った大雨のために寺の前の橋が渡れなくなり、一夜を過ごし、美子が残した一個のおにぎりを3人で分けて食べた記憶。美子が分け、一番大きいのを小さい茉莉に。次に大きいのを珠子に。最後に一番小さいのを自分が食べて、ニコニコ笑っていた。その記憶が3人を生かしてくれた。中国で取り残された珠子も、横浜の空襲で孤児になった茉莉も、戦後も日本に留まり、在日朝鮮人として苦労を重ねた美子も。 戦争は何と愚かで醜いものか。幼い茉莉の握られた掌から、一本一本無理矢理指を剥がして、一個のキャラメルを奪っていったおばさん。そんな人間に自分がならないという保証はないのだ。従軍していった男たちも、銃後を守った女たちも、誰かを不幸にするためではなく、誰かを幸せにするために行動したのだ。そこに正義を見つけて。その行動を起こした結果、不幸になった人たちがいる。 戦後、くず鉄を集め、売って生計を立てていた美子の母が、もうこの仕事を辞めると言う。「この商売で集めた鉄くずが、大砲や鉄砲になって、今、同じ民族の、あたしたちの兄弟を殺しているんだよ」反対する夫にこう叫ぶのだ。「あたしは朝鮮の字も日本の字も書けない。おとうさんは四つも字が書ける。すごい。それなのに、こんな簡単なことがなんでわからない」 人に優しくされた記憶が自分を生かし、また別の人に優しさを分けることができる。その連鎖で世界が覆われたらいいなと切実に思う。
2016/03/07
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被差別の食卓 上原善広 新潮社 以前読んだ「被差別のグルメ」の前編に当たる。 世界各国の被差別民たちのソウルフードを取材している。アメリカではアメリカ黒人のソウルフード「フライドチキン」やモツ煮込みを、ブラジルでは奴隷たちの食べていた「フェジョアーダ」を、ブルガリアやイラクではロマのハリネズミ料理を食する。ネパールでは不可触民サルキの牛肉料理を、自分たちの持っていったスキヤキと共に食べる。最後は日本の被差別地域で食べられている献立が登場する。 驚いたのは、イラクの被差別民たちに、サダム・フセイン人気があったこと。アメリカや日本の報道では、彼は国民を虐げた悪人のイメージだが、イラクの被差別民にとって、自分たちを保護し、住居を提供してくれた恩人なのだ。たとえそれが兵隊確保のためだとしても、差別から生活を守ってくれたということになる。 この本にも思い込みの危うさを教えてもらった。そして知ることのなかった、世界各国の被差別民たちの存在とその食生活。先ずは、自分が何も知らないのだという自覚、そして謙虚に他国の歴史を学ぶ姿勢が大切なのだ。
2016/03/06
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サンタのおばさん 文 東野圭吾 画 杉田比呂美 小説家 東野圭吾が書く童話。しかもサンタのおばさんについて。 サンタの会議で、欠員サンタの代わりにやって来たのは、中年女性だった。驚く他のサンタたち。しかし会長サンタがみんなに問いかける。 「なぜサンタクロースは男性だと決めてかかるのかね」 博学のオランダ・サンタが言う。 「聖ニコラスが男性だったからです」 しかし聖ニコラス=サンタクロースではないと反論される。 日本サンタが言う。 「サンタクロースは父性の象徴だと思うのですが」 日本では父親の地位が失墜しており、そんな中で男性ではなく、女性のサンタクロースが現れたら、子どもたちは父親のありがたみを感じなくなる、サンタクロースは父親たちの最後の砦だと訴える。 カナダ・サンタは、サンタが父性の象徴とは限らない、肝心なのは子どもを愛する心だと反論する。それぞれの意見を主張するサンタたちの言い争いが始まり......。 思い込みが偏見を助長していたということが、よくわかるお話。サンタクロースは白人男性だと決まっていた?その根拠は? 東野圭吾氏がこういうジェンダー問題を取り上げた作品を書いていたとは知らなかった。 サンタクロースのおばさんが、スカートをはき、化粧をするところでは、「?」と思ったが、他の部分きちんとジェンダー問題を捉えていると感じた。
2016/03/06
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とおいほしでも 文 内田麟太郎 絵 岡山伸也 「ほしにもふたごってあるんだよ」という父親の言葉で始まる絵本。 幼い息子にふたごの星について語る父親。起きていることもそっくりで、ニホンオオカミもカッパもサクラマスも絶滅してしまっている。何度も何度も戦争があって、大勢の人が殺された。 「そして、とうとうあいつがばくはつし、ほうしゃのうがとびちった」 牛も豚も猫も犬もトカゲも雀も死んでいった。人間の大人のせいで。 人類の愚かさが胸に迫る。遠くのふたごの星は無事でいて欲しいが、父親は言う。 「何もかもそっくりに起きているはずだ」と。 しかし諦めはしない。ドングリの実を埋め、未来に希望を持つ。遠い星でも同じようにしているだろう。 希望を失わず。
2016/03/05
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異類婚姻譚 本谷有希子 (群像 2015.11月号) 第154回芥川賞受賞作。人間以外の異類との結婚を「異類婚姻」という。専業主婦のサンちゃんは、自分といると楽だという自堕落な夫と暮らしている。ある日PC内の写真を整理していて、自分たち夫婦が似てきていると感じ始めた。お互いの顔は全く違うつくりなのに。 同じマンションに住むキタヱさんのネコ騒動を絡めながら、夫婦という生き物の不可思議を追う作品。楽に生きるということは、自分という存在を認めずに、他人との境界をあやふやにすること。夫との間に何かを挟み込み、お互いが混ざり込むのを防ぐのか、否か。 そういえば最近考えていたんだっけ。自分が妻になり、母親になり、夫や子ども優先の生活に慣れきっていると、自分がほんとうにやりたいことがわからなくなってくると。 自分とは何かを絶えず考えていないと、自分が自分で無くなるのだ。それは決して自己中心的な考え方ではなく、自分が自分であり続けるため、必要なものなのだ。他人(夫)と同化しないための。
2016/02/25
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被差別のグルメ 上原善広 新潮社 差別されてきた人たちが、自分たちの「ソウルフード」として食べてきた様々な料理や食材。路地(同和地区)のホルモン、アイヌ料理、北方少数民族(この本で初めてその存在を知った)のサケの皮からとったゼラチンで作るモースというデザート、沖縄のイラブー(ウミヘビ)とソテツ食、在日朝鮮人の焼肉など。それぞれが固有の食文化を持ち、そこで生まれ育った者を懐ろに抱く。粟國島で取材した時、ソテツ味噌を作っている女性が「食っていうのは、命そのものでしょう」と言った。同感だ。日々の暮らしの中で三食作るその過程と、調理し食べたものが自身や家族の身体を作っていっている、だからこそ今生きているという自覚。彼女の言葉は、そういう感覚を言い当てている。 また著者はあとがきで、「料理というのは、半分は精神性で決まる」と言っているのも面白い。確かにそれぞれの地域や家庭で食べられている特色のある料理は、食べているときの思い出も、その味付けの一つになっていると思われる。食というのはほんとうに奥深い。様々な食文化に染み込んでいる人々の思いと歴史を味わう旅に出たくなった。
2016/02/13
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山怪 〜山人が語る不思議な話〜田中康弘 山と渓谷社主にマタギが山で経験した不思議な話を集めている。物語性のあるものではなく、不思議な現象を断片的に集めたもの。多くは狐に関する化かされた話など。慣れているはずの山で昼間迷う話。山仕事をする両親のすぐ近くで遊んでいるはずの幼児が居なくなり、遠くの子どもが行くことのできない場所で発見されるなど、理路整然と説明がつかない話がてんこ盛りである。特に怖かったのは、筆者が体験した車のナビが狂ってしまった話。ナビの言う通りに車を走らせると、細い林道に入り、どう考えても町のホテルに行くとは考えられない。不気味になって必死にUターンするも、ナビは元に戻れと繰り返すというのだ。ナビを切ってほうほうの体でホテルに戻り、ナビの言う通りに行っていたら、どこに着いたかを調べると山頂だったという。その先は.....。私が幼い頃も異界は身近にあり、そのすれすれの所で暮らしていたという自覚はある。今は森が無くなり、夜も光が溢れている。不思議なものたちとの出会いは少ない。
2016/02/11
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さよならの秋 瀬戸内寂聴 すばる2015 11月号 瀬戸内寂聴がSEALDsを題材にした掌握小説を書いたと聞いて「すばる」借りてみた。90歳を越えた作家がSEALDsを書こうと思う感性の瑞々しさを思う。小説はかなり短く、全てが女の子のLINEでの呟きなのだ。主人公が10代後半〜20代前半だと考えれば、年齢差は70余り。口語体で書かれているだけに、そのチャレンジ精神に脱帽する。内容は、恋人への別れの言葉なのだが、二人の歴史と、彼女が心変わりしたわけ、社会状況まで描かれている。ただ、このテーマはもっと長い小説にもできる素材なので、短すぎて物足りなかった。
2016/02/10
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わが心のジェニファー 浅田次郎 小学館 アメリカ人ラリーが、日本びいきの恋人ジェニファーに勧められ、日本にやって来る。PCや携帯電話という文明の利器は持たず、旅行先から必ず手紙を書くという約束で。 二冊の旅行ガイドを頼りに日本にやって来たラリーは、東京、京都、大阪、別府、東京、北海道の順に旅する。それぞれの土地での食べ物と人々との出会い。その一つひとつが、幼い頃両親が離婚し、祖父母に育てられた孤独な生い立ちを慰めていく。そしてラストの最大の出会い。仕組まれた旅。 最近手に取った二冊の小説は、たまたまどちらも男性作家のもので、多分たまたまだと思うが、両方とも退屈だった。最初の一冊は途中で読むのを止めた。二冊目のこの本は、なんとか読破。しかし悪いが面白くなかった。どうしてこうも男性賛美なんだ?そして女性がいつも思慮浅く俗物として描かれる?ラリーの魅力的なジェニファーでさえ、薄っぺらい。ラリーを日本に向かわせた意図がいやらしい。教養があって思慮深い女性とは思えない。またラリーの日本訪問記が日本賛美に終始し過ぎて退屈。アメリカ人がここまで日本賛美をするのだろうか?それにラリーの不幸自慢も鼻に付く。確かに孤独だったろうが、そんなに卑屈になる程だとは思えない。いちいちいじけるのがイライラする。そして女性と見れば、ドストライクと思って落としにかかるのもいやらしい。女性作家が同じようなテーマで書いても、女性を性の相手のみとは描かないだろう。ラストを感動のクライマックスに描いたのだろうが、全く伝わらない。なぜ父なのだ。母は不在。どこかで幸せに暮らしているという記述のみ。簡単すぎる。父だけが美味しい役割すぎないか?この小説一冊まるごと女性蔑視を感じて気分が悪かった。
2016/02/10
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北朝鮮の楽しい歩き方 鄭 銀淑(編) 双葉社 編者の事務所の男性スタッフによる北朝鮮訪問記。 日本人にとって、近くて遠い国、未知の国、北朝鮮。 そこではどのような暮らしが営まれているのか。とても興味があった。日本にいると、彼の国の悪いニュースしか耳にしないからだ。あの国にも、私たちのような一般的な国民がいるはず。どんな町でどんなものを食べて、何を考えて暮らしているのか知りたかった。 もちろん旅行記であるし、場所が北朝鮮なので、一般国民とのふれあいは少ない。しかし旅先の風景や料理、ホテルの様子など、日本と似ているところもあり、またいかにも社会主義国というところもある。強制的に色々させられるのには反発を覚えたが、郷に入れば郷に従えということなのだろうか。 平壌の冷麺やアヒル料理など、北朝鮮ならではの味がつづく。 政治体制は違えども、国民は存在する。そういうことを再確認した。
2016/02/05
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副題に「満州建国大学卒業生たちの戦後」とある。満州建国大学とは、日中戦争当時に日本が満州に開設した大学のことである。学生たちは日本はもちろん、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族から選抜された頭脳明晰な者が集まってきた。その設立目的は「五族協和」の実践のためという。「五族協和」とは、「五つの民族が共に手を取り合いながら、新しい国を作り上げよう」という意味で、内地では当時考えられないことだが、学内では言論の自由が保障されていた。日本の満州での不公平さを糾弾する中国人学生もいたという。 ただ、戦争が終結すると、学生たちの運命は大きく変わる。中国人は日本設立の大学で学んだとして糾弾される。日本人学生も、帰国後就職に苦労した。ただ朝鮮人だけは終戦時にきちんとした政府がなく人材不足だったため、建国大学卒業生が政府中枢で活躍できたという。 優秀な頭脳を持ちながら、不遇の人生を送った彼ら。 終戦後もすぐ帰国できず、十一年も中国での国共内戦に巻き込まれたある卒業生は言う。「建国大学は徹底した『教養主義』でね。在学時には私も『こんな知識が社会で役に立つもんか』といぶかしく思っていたが、実際に鉄砲玉が飛び交う戦場や大陸の冷たい監獄にぶち込まれていたとき、私の精神を何度も救ってくれたのは紛れもなく、あのとき大学で身につけた教養だった。歌や詩や哲学というものは、実際の社会ではあまり役に立たないかもしれないが、人が人生で絶望しそうになったとき、人を悲しみの淵から救い出し、目の前の道を示してくれる。難点は、それを身につけるためにはとても時間がかかるということだよ。だから、私はそれを身につけることができる大学という場所を愛していたし、人生の一時期を大学で過ごせるということがいかに素晴らしく、貴重であるかということを学生に伝えたかったんだ」また反対に、台湾人の卒業生は自身の子や孫の進学に、実用分野の選択を強要したという。彼は言う。「常々、子どもたちには『具体的なことを学びなさい』と言い続けてきたのです。確かに音楽や絵画は美しく、人を悲しみから救ってくれる。しかし、それらは所詮、人々の頭の中で形作られた『幻想』にすぎないのです…」 それぞれの置かれた立場で考え方が違う。 また、中国人卒業生へのインタビュー時、当局に妨害されたエピソードは、驚きとともに、さもありなんとも思われた。65年の時を経て再会したロシア人と日本人の卒業生のエピソードには涙した。70年前の異民族が公平に手を取り合い新しい国を作り上げるという理想は夢と散った。果たしてそれはかなわぬ夢なのだろうか。今を生きる私たちに突き付けられた問いに、答えを探し続けなければいけないと思う。
2016/01/23
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ロマンシエ 原田マハ 小学館 イケメン画学生 道明寺美智之輔が絵の勉強の為に訪れたパリ。そこで出会ったハルさん、ムギさん、サキちゃん、パトリス。そこに美大時代の同級生(というか片思いの相手)高瀬君がやって来て、まるで小説のようなお話が展開する。(小説なんだけれど) 純粋で真っ直ぐな美智之輔が、パリの工房でリトグラフに取り組みながらハルさんを守る姿がいじらしく、魅力的。 小説中に散りばめられたパリの名所に加え、ピカソ、ロートレック、シャガールや現代アートのアーティストの名前も盛り込まれ、小説好きも美術好きも、おまけに旅行好きも大満足な作品。 作者と同年代の読者には懐かしくて堪らない言葉の数々にも魅せられる。(鏡を見ながらテクマクマヤコンとか) 美智之輔と一緒に、思いっきり泣いて笑って楽しめて、改めて小説とアートが大好きだと気付かせてくれる作品だった。
2016/01/21
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男尊女卑という病 片田珠美 幻冬社 男女共同参画社会にはまだ到達していない現代社会を、精神科医の眼で分析している書。 男女平等というけれど、男女は分かり合えなくて当然という視点で、どう折り合っていくかを解く。男のファルス優位思想や、フェミニストはなぜ女性からも煙たがられたかなど、精神科医ならではの考え方に、全面的ではないが、成る程と思う。 特にDV男のターゲットにされやすい女性の特徴が書かれ、実は母娘関係にも原因があるという部分に驚いた。
2016/01/19
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SEALDs 民主主義ってこれだ! SEALDs 大月書店 2015年 安保法案に反対する学生たちを中心とするデモが注目をあびた。デモの主催者がSEALDsだ。彼らがデモでスピーチした内容やメンバー同士の語らい、高橋源一郎氏との対談などが収録されている。 確かに一部の目立つメンバーはいる。しかし基本は一人ひとりが自分の頭で考え語る。分かりやすい自分の言葉で語る若者たちの姿に好感を持った。 また有名になった彼らに対しての罵詈雑言を浴びせかけたり、殺人予告までしてくる相手に対し、「この人は何を言いたかったんだろう」と思う感性。 それに対する高橋源一郎氏の言葉がいい。 「本当に連帯すべきなのはその人たちなのかもしれないね。自分のことばを持っていて、それで語れる人は自由に語ればいい。けれど自分のことばを持てない人たち、あるいは間違った形でしか語れずにいる人たちも大勢いる。人間にはことばしかコミュニケートの手段がなくて、憎しみですらコミュニケートするためには必要なものでありうるんだからね(以下略)」 清濁併せ呑む懐の広さ。そういえばマザーテレサが言ってたっけ。愛の反対は憎しみではなく無関心だと。憎しみは愛の反語ではなく、もしかしたら愛の変化形かもしれない。そういう思いも含めて、SEALDsが起こした新しいうねりに、この国の一人の大人として期待する。
2016/01/16
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べつの言葉で ジュンパ・ラヒリ 新潮社 両親とベンガル語で話し、それ以外では英語を使っていたアメリカ在住の作者が、フィレンツェに旅行に行ってから、イタリア語に恋をした。 以来、20年間イタリア語を取得しようと励み、とうとう夫と子どもたちと共に、ローマに移住する。それから彼女はイタリア語で日記を綴り、短編小説を書き、一冊の本にした。それがこの「べつの言葉で」というエッセイ集である。 両親にはインドという国とベンガル語がある。ラヒリはロンドンで生まれ、幼少時にアメリカに移った。家庭内でベンガル語を話すよう言われ、学校では英語を使う。ベンガル語という「母」と英語という「継母」の間で苦悩していた彼女は新たな言語イタリア語の存在に救われたという。 外国語習得という遠く果てしない道を歩む同志としてラヒリを見ると、その絶え間なく努力する様は、驚くほどだ。彼女のようになれないと思いつつ、彼女のように貪欲に外国語を欲し、溺れてみたいとも思う。外国語を習得する過程の心の動きを、文学的に美しく、かつピントの合った表現をしていて、この作家の力量をひしひしと感じた。
2016/01/07
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Masato. 岩城けい 集英社 父親の仕事の都合で、家族とオーストラリアにやってきた小学生の真人。姉は日本人学校に通い、翌年の日本での高校受験に備えている。真人は英語が出来るようになるようにと、現地の小学校に転校させられた。最初は全く英語が分からず、意地悪なクラスメイトに「スシ」といってからかわれていた。悲しく惨めな日々。それでも日を追うごとに英語にも慣れ、台湾人のケルヴィンや、オーストラリア人のノアらと友だちになる。真人の世界はぐんぐん広がってきた。反対に英語が苦手な母は、異国で孤立していく。オーストラリアに残りたい真人と日本に連れて帰りたい母。オーストラリアで子どもから少年に成長していく真人の姿がイキイキと描かれ、読後感が爽やか。オーストラリアの小学校にもいじめはある。少数派は何処ででも標的になる。しかし違う点もある。真人は考える。 「最近、英語でないとかんじんなことが言えなくなってきている。英語のほうがしゃべりやすくなっているっていうより、日本語だと、言いたいことがあっても、みんなから目立ちたがり屋とか、へんなやつ、って思われるのが怖いから言えないときがある。でも、英語だったら、『こいつ、こんなことを考えてたのか、すげえな』って友だちに感心されたり、自分の意見が言えてえらいって先生にもほめてもらえる可能性のほうがダンゼン高い」 なるほど、思い当たる。出る杭は打たれるではなく、どの杭も尊重される日本社会になって欲しいと思った。
2016/01/03
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緑と赤 深沢潮 実業之日本社 六章からなる小説で、主人公 知英で始まり、知英で終わる。他の章は知英の親友 梓、梓が好意を持っている韓国人留学生ジュンミン、カウンター活動を行っている良美、知英と韓国で知り合った留学生 龍平らの話が綴られる。新大久保で繰り広げられる韓国人へのヘイトスピーチ、在日韓国人という立場に心が揺れながら、自らのアイデンティティを求めて彷徨う知英。韓国と日本の両国に横たわった悲しい歴史。それを乗り越えようともがく、日韓の若者たち。傷ついて傷つけられて、それでも生きていくしかない現実。それぞれの登場人物の生きてきた時間と、周りとの関係。自らの求める道を歩めば、確実に傷つく人がいる。それでは自分はその道を歩むことを止めるのか。国と文化と国民と。全部同じではないのに、同じだと決めつける人々。イメージが先行する怖さ。タイトルの「緑と赤」は両国のパスポートの色。そして本に挟まれているスピン(しおり)は知英のパスポートの色そのもの。 K POPアイドルの名前が多く出、カトク(カカオトーク)やペン(ファン)など、韓国好きにとって身近な言葉が散りばめられている。読みやすいが、ページをめくる度に、両国の明るい未来の実現について考えさせられた。無関心ではいられない。
2016/01/02
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君の膵臓を食べたい 住野よる 双葉社 主人公の僕は、地味で目立たない男の子。友達も居ず、いつも一人で本読んでいた。そんな彼にクラスでも人気の桜良が急接近する。きっかけは病院の椅子に忘れられていた本「共病文庫」を僕が手に取ったから。持ち主の桜良は膵臓の病気で余命幾ばくもないらしい。病気と共に生きる日常を書き記している「共病文庫」。僕は彼女が病気だということをクラスメイト秘密にすることを約束し、彼女の残された日々を共に過ごすようになる。 いわゆるライトノベルというのだろうか。その文体に慣れず、回りくどい表現が多く、最初は読みにくさに辟易した。 ただ、主人公の僕と桜良の感情の動きが瑞々しく、いつの間にか僕と一緒に桜良の言葉に翻弄されている自分を発見した。生きることは人と関わり合うこと。反対に自分自身で完結し、魅力を発揮できるのもすばらしい。自分自身で完結しながらも、人と関わることで日々成長できれば、もっといい。僕の名前がずっと例えで呼ばれていて、最後の方にようやく本名が出てきたのだけれど、名前というものは、その人のアイデンティティに直結していると実感した。夫婦別姓訴訟を思い出したよ。夫婦同姓が合憲と言った裁判官も、夫婦別姓に反対している政治家み、「君の膵臓を食べたい」を読んでみたらどうかな。
2016/01/01
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喉の奥なら傷ついてもばれない 宮木あや子 講談社 互いに無関係の六つの話がまとめられている。無関係だと思いながら読み終わると、もしかするとそうではないのではないかという考えが頭をもたげる。 目次の後、最初のお話しのタイトルの前のページにある一言。 「愛情という檻につながれている人へ」を見て、心が震えた。 そしてこの本のタイトル、「喉の奥なら傷ついてもばれない」の意味が氷解する最初のお話し「天国の鬼」が始まる。息をつけず、一気に読み終わる。読み終えると、次の小説タイトルが見える。「肌蕾(きらい)」 その繰り返しで読了。時間的な開きはあるものの、心理的には一気読みしたと言ってもいいだろう。六つのお話しの主人公は、みんなどこか病んでいて、愛情という檻につながれている。それに共通するのは「母親」 真っ直ぐ過ぎようと、歪んでいようと、皆愛情というドレスを身にまとって、娘にすがりつく。 その執念に身震いしながら、我が身を振り返る。 正しい愛情ってなに? 六つ目のお話しを読み終わり、ページを開くと、また一言。 これを読むと、母親たちの蒸せ返るように濃厚な憎しみに似た愛情から逃れるヒントを与えられたような気持ちになる。
2015/12/24
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火花 又吉直樹 文藝春秋 第153回芥川賞受賞作。お笑い芸人の作者を知らなかった。余りにもこの作品が話題になっているので気になっていたのだが、読了し、なるほどと感じた。 描写が上手いという評判どおり、風景描写が巧みであった。季節感とともに、その場にいる主人公の気持ちを代弁していた。ただ後半は描写が多用されすぎて、煩く感じることがあった。それでもその中にキラリと光る言葉が埋め込まれていて、作者の並々ならぬ才能を感じた。どんどん作品を書いていくと、さらに洗練されるのだろうと思う。 主人公 徳永や、先輩 神谷の生活は、経済的な尺度で見れば悲惨なのだが、別の角度から見れば、恐ろしく魅力的に感じる。登場人物に悪人がいないことと、「生きている限り、バッドエンドはない」という言葉に、読後感が爽やかになった。 反面、ラストの神谷の非常識な行為に、徳永が毒を吐かずに正論で諭し、神谷も素直な反応をしたのが、物語の展開面で少々残念だった。
2015/12/21
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水木しげるの泉鏡花伝 水木しげる 小学館 先日(11/30)に亡くなった漫画家 水木しげるの描いた鏡花の人生。「黒猫」と「高野聖」の漫画も収録されている。今年の4月に出版されていたとは知らなかった。 同じ異界のモノを描く作家として、惹かれるものがあったのだろうか。 水木しげる持ち前のユーモアを絡めて描く泉鏡花も悪くない。人物はイキイキと、風景描写は精密に描かれていて、水木しげるはこんなにも職人技が光る漫画家だったのかと驚いた。 「高野聖」で、原作では山の中で若い僧はヒルに血を吸われるのだが、水木しげるは、妖怪を登場させた。ユーモラスだが、これにより読者は一気に異界に入り込み、この後の不思議な女の登場に魅入られてしまう。 水木しげるには、まだまだ生きていて欲しかった。
2015/12/14
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戦争と子ども 絵:山崎光 文:山崎佳代子 西田書店 ベオグラード在住の詩人が難民センターを仲間と訪ね聞いた、難民の体験談をまとめたもの。イラストは当時12歳だった光さんが描いたもの。 詩人の隣人たちの体験談もある。 第二次世界大戦の頃、ベオグラード近郊シーサックの子供絶滅収容所に送られたラドミラは、どのようにして生還したのか。自分を助けてくれた女性の名前はあえて聞かない。捕まって拷問された時、その人の名前を口にして迷惑をかけないため。 毎日が死と隣り合わせで生きる子どもたち。 せめてもの救いは、「お婆さんと大きな樹」のエピソードだろうか。 いつの時代もどんな場所でも、どこの国民でも、戦争をすることは罪である。
2015/12/10
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子どもたちへ、今こそ伝える戦争〜子どもの本の作家たち19人の真実〜 講談社 長新太、那須正幹、立原えりか、田島征三、今江祥智、かこさとしなど、児童文学者、絵本作家たちによる戦争体験記。幼い頃の記憶を辿りながら、戦争は子どもたちの生活を蝕んでいくことを訴える。戦争は日々の生活の中から徐々に始まっていく。気がつけば町に軍歌が響き、お国の為に忍耐を強いられる。遠い日の出来事ではない。田島征三の「戦争賛成」には考えさせられた。今日戦争反対と言っている人が、明日も反対と言えるだろうかと彼は言う。周りが賛成と言い、反対という人を白い目で見始めたら....。それでも戦争反対といい続けられるだろうか。そして戦争が始まれば、いつも子どもが犠牲になるのだ。
2015/12/09
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私たちの希望はどこにあるか 加藤周一 かもがわブックレット2003年9月21日、神戸朝日ホールで開かれた「加藤周一講演と対話のつどい」をまとめた本。彼が12年前に危惧したことが、現実になりつつある今、どうすれば、この状況を打破できるのか。今の(12年前)のメディアの状況を心配する質問に、「何が新聞に書いてあるかじゃなくて、何を書いてないかが大切」だと説く。最近参加した谷口真由美さんの講演会でも似たようなことを言っていた。日本のマスコミだけでなく、他国の新聞も読むことをお勧めすると。またこの本の最後に「若い人へのメッセージを」という質問に答えていて、その内容に共感した。メッセージの1つ目は、「これがいいことだというのが一つあって、それにみんなが賛同すべきという考え方をやめるように努力することが、集団としても個人としても大切だ」ということ。ファインマンというノーベル物理学賞受賞の物理学者が、科学の定義は疑いであると言ったそうだ。自分自身の信念に対しても疑いを加えるのが科学者だと。文部科学省の小役人が委員会でつくってこれが真理だなんて言っているのはせん越だと著者は笑う。然り。2つ目はヒューモアを大切にするということ。江戸時代はおつなことを言っていたのに、明治以降はまじめ人間になって笑わなくなったと著者はいう。「まじめに議論できることはあるけれども、いまのところ笑うほかないような事象があとからあとから出てきます。ことに政界においては(笑)」著者の先見の明ぶりに脱帽するとともに、毒の効いた言葉にクスリとした。
2015/11/13
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日本人は民主主義を捨てたがっているのか?想田和弘 岩波ブックレット第1章では橋下大阪市長を、第2章では安倍政権を批評分析。第3章では現在の瀕死になっている日本の民主主義について、どうすれば恢復し生き延びることができるのかを考えている。ただ漠然と楽をして生きているのは、主権者の義務を放棄していると筆者は言う。民主主義の主権者である国民は、政治サービスの消費者ではない。自らが努力し勉強しながら政治を理解すべきだと。主権者である国民が消費者の立場でいるので、選挙を棄権したり、政治を理解できないのは相手(政治家)が悪いと思っている。政治家の方も、国民が理解し反論をすると不都合があるので、かえって分かりにくくしているのかもしれない。国民に受け入れられやすい政策のみを声高に連呼し、マスコミもそれを大々的に取り上げる。そして「選挙戦でスルーされた重要課題も、あやかも議論され決着がついた事項であるかのように、勝者によって粛々と実行されて」いくのだ。消費者的主権者として生きるのは止めようという筆者の意見に共感。国の未来を担う子どもたちに恥じないような、自ら考え行動する主権者でいつづけなければならない。
2015/11/13
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無痛 久坂部羊 見るだけで病状が診断できる医者、為頼と白神。一方は古アパートに診療所を開き、他方は芦屋の山手で大病院を経営している。その大病院、白神メディカルセンターで器材係として働いている、無痛症のイバラ。六甲サナトリウムで障がい児のカウンセリングをしている臨床心理士の菜見子。そして灘警察署の刑事、早瀬。 それぞれがあるきっかけで出会い、その出会いが化学反応を起こし、多様な色彩を見せつける。 精神障害者は殺人を犯しても、刑法三十九条で保護される。誰に殺されても遺族にとって、大切な人が殺されたという事実は変わらない。遺族の気持ちを思い、精神障害者を装った確信犯への怒りが収まらない早瀬。 犯罪も病気の一種なのか。 病気の苦しみから痛みを取り除くことは、夢の医療なのか。 ページを繰るごとに、さまざまな社会の問題点を見せつけられる。考えさせられるが、ストーリーの面白さに最後まで惹きつけられる。
2015/11/12
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世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ くさばよしみ 編 中川学 絵 汐文社 南米ウルグアイのムヒカ大統領が2012年にリオデジャネイロで開かれた国際会議で行ったスピーチを描いた絵本。 ムヒカ大統領は給料の大半を貧しい人たちのために寄付し、自らは公邸に住まず、妻と農場で暮らしている。質素に暮らしているムヒカ大統領は、古代の賢人の言葉を引用して言う。 「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、かぎりなく多くを必要とし、もっともっととほしがることである」 限りある資源を使い尽くしながら、もっともっとと欲に溺れて無駄な消費を続ける現代人の行き方を変えるべきだと訴える。 人は発展するためにこの世に生まれてきたのではなく、幸せになろうと思って生まれてきたのだと言うムヒカ大統領の言葉は胸を打つ。 世界中の大統領が彼のように考えると、もっと地球は住みやすくなるのではないか。お花畑の理想論だと言うなかれ。今のままでは確実に次世代の子どもらにツケを負わせるのだから、今を生きる大人たちが襟を正すべきではないだろうか。
2015/11/09
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