ウ    ォ   ー    キ    ン     グ  ロ  ー  ド

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高齢者と病気



高齢社会とは

21世紀中には、人類がいまだかつて経験したことのない高齢社会をむかえることが予想されています。65歳以上の高年齢人口が総人口に占める割合(高齢化率)が2004年現在19.5%(5人のうち1人が高齢者)であり、この比率は今後ますます大きくなって、25年には30%程度となり、10人集まればそのうちの3人は、65歳以上という社会になることがほぼ確実です。

それでは、未来の人間は150歳とか200歳まで生きられるようになるのでしょうか。事実はそうではありません。図は横軸に示した年齢に到達した人間が、何パーセント生存しているかを各年代ごとにあらわしたもので、1900年から1980年までの推移をみたものです。

人間は、神様から100歳という寿命をもらった生物(おそらく遺伝子でプログラムされている)なのであって、けっしてその寿命が年ごとに延びているわけではありません。大むかしでも、まれながら100歳まで生きた人は存在しましたし、これからの人類も100歳までは生きられるでしょうが、遺伝子を人工的に操作でもしない限り、それ以上は生きられないということです。

現代では、人は80~100歳の超高齢に達するまでほとんど死なないということです。もし生存曲線の未来を推定すれば、90~100歳で折れ曲がる直角に近い曲線になることが想像されます。いい換えると、90歳の人たちが同窓会を開いた場合ほとんど全員が出席できる事態が予想されるわけで、そして、それから数年後にほとんどの人が寿命をまっとうする、--これが高齢社会の真の意味するところです。100歳の人の人数は、これからもどんどんふえていくでしょうが、だからといって寿命そのものが延びるわけではないのです。

何歳から高齢者か

老年期を次の3期に分けることが実際的ではないかと現在考えられています。老年初期:65~74歳、老年中期:75~84歳、老年後期:85歳~と区別します。この分けかたは、洋の東西を問わず普遍的で、また実際の日常の医療現場の感覚にもあっていると考えられます。

たとえば、高齢者に対して手術するかどうかを決めるとき、現在74歳までなら中壮年者と同じように考えて手術療法に踏み切りますが、75歳以上だと個人の状態に応じて判断し、85歳以上だとまず手術療法は特別の場合を除いておこなわないといった治療方針が一般的です。しかしこの年齢区分も絶対的なものでなく、個々人の精神・肉体の活動などによって対処のしかたが異なってきます

現代では、65歳の高齢者が85~90歳の自分の親と同居しながら、その世話をしているという「高齢親子世帯」がしだいにふえてきています。このことは、高齢者世代の奥行きがどんどん深くなっていることのあらわれでもあります。ということは同時に、65歳以上を単に高齢者と十把一からげにかたづけられないことを示しています。

自立した老後

「不老長寿」とは、単に長生きすることではありません。それなら「長寿」だけでよいのです。「不老」、すなわち年はとっても老いはしない、それが真の意味するところです。では老いるとはどういうことでしょうか。人間が生きていくうえでの基本的な日常生活活動、若いうちや健康な人なら全員が自分でできる簡単なことでさえ、老年期になると、人の助けを借りないとできなくなってしまうのです。

15年前に高知県の山間のある町に在宅する65歳以上の人約1500人を対象に日常生活動作について調査した結果、各年代ごとに完全に独立して日常生活を送れる人の割合は、74歳まではほぼ90%でしたが、84歳までにほぼ70%に、そして85歳以上ではほぼ45%に減少していました。おどろくべきことといってよいと思うのですが、老年期の3つの区分にぴたりと一致していたのです。
すなわち、「不老長寿」とは、年をとっても、1人で独立して生活を送りたいという人間の基本的な願望なのです。

高齢者と病気

寝たきりからスーパー老人まで

ここで老年期のもっとも大切な特徴が1つあらわれてきました。それは、個人差です。40歳の人を100人集めても、おたがいの差は一見はっきりしません。
ところが80歳の100人は、若い人に負けずに元気にふるまうスーパー老人から、はては寝たきりで排泄(はいせつ)もおむつという施設入所者まで千差万別です。
80~90歳の超高齢社会の課題は、いかにして元気な高齢者の多い社会にすべきかということにつきるといっても過言ではありません。












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