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ぼくは「ゼロにできるひと」が好きだ。
つくったものを捨てるのって勇気のいることだけど、
捨てることができるひとは、また同じものをつくる自信があるんだ。
このときゼロにするパワーやマインドは、
あたらしいことに注がれるんだから素敵なことだよね。
あたらしいことをやれるひとが、今を白紙にできる力も持っている、
そうかんがえると、ぼくの周りを見たときに腑に落ちる。
退却、転進、突破、どれも潔くできるかたの思考は、
ベースがゼロなんだなあとおもう。
ちなみにこの思考の特徴は、マイナスという概念がないこと。
凹んだものすべてゼロとかんがえる。ようは何もなかったと。
マイナスをひきずることはよくないからね。
ゼロは気持ちがいい。
あたらしいことが何でもできる。
広告代理店時代、能力の出し惜しみはこっぴどく注意された。
すべて出し切って仕事をしろと。
たとえば今月必要以上に契約があがったら、翌月に「保険」として確保したくなるもんです。
毎月コンスタントに契約をあげたほうが一見スマートにみえるから。
余力を残したほうが、急な仕事を頼まれても受けれるしね。
でもすべて出し尽くして、空っぽにしてしまえ、と教わった。
これ、今ならよく判りますね。
小さな成果を守るひとに、成長する機会は与えられないんだ。
失うことを恐れず、ゼロにしてしまうと、
もう次が始まっている。何かやらなきゃいけない。
新入社員にかぎらず、誰でもそうですね。
今を守るということは、新しい出会いから目をそむけること。
古いものを捨てないと、新しいものは入ってこないんだから。
中身の入れ替えもしないひとは、
器の大きさもたぶんそのまま変わらないんじゃないかな。
いちどゼロにして、空っぽにして、
こんどはどれくらい中身を詰められるかやってみる作業は、
とっても愉しいのにね。
いろんなモノが入ってきて出てゆくことを繰り返すと、
失うことが怖くなくなるし、
溜めこんで澱むほうが生理的に嫌になる。
ぼくは、動かないもの、変化しないものが嫌いで、
完成してしまうとじぶんで壊したくなってしまう。
そのプロセスのほうが好きで、終了に関心がないのだとおもう。
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