アキハバラ的散財生活

「走れ!K-100」

走れ!K-100、貴重な昭和40年代の日本の映像が...


全国漫遊...というと、「水戸黄門」、あ、それは時代劇ですね。
ロバと一緒とか、自転車でタダ喰いとか...あ、それは「電波少年」ですね。

そうなんですよね、全国漫遊ものは最近ではバラエティか「ぶらり旅」のような情報発信番組ばっかりなんですよね。

今回取り上げるのは、昭和48年4月から1年間放映された「走れ!ケー100」。スクラップ寸前だった小型機関車「K-100」を見つけた少年がその機関車の運転手だった老人の元へ送り届けようとしましたが、運悪く足を怪我してしまい、願い叶わず、という事態を知った大野しげひさ演じる青年が少年の代わりに、北海道の老人の元へ「K-100」を送り届けるべく、鹿児島から日本縦断をする、という物語です。

機関車...といってもゴムのタイヤを履かせているので、普通の道路も走れますし、しかもこの「K-100」水陸両用で、橋のかかっていない海峡でも乗り越えていくことが出来る「スーパーカー」です。(実際、アメリカから取り寄せた水陸両用車を改造していたので、本当に水に浮かぶのでした(^0^;)

当時の日本は日本列島改造論から一転、石油ショックでトイレットペーパーの買い占めなどが事件として起こった年でした。学校の授業で「これからは1バレル=?円なのか?といったことを覚えていかなければいけない時代になった」と延々石油の輸入経路とか、販売価格の決定機構とか、教科書に関係なくやったのもこの頃です。本四架橋もこの石油ショックで計画凍結、新幹線の建設も一時凍結、など世の中全体が冷え込んでいった、そういう時代でした。

一方で、30年代から続く人情味の溢れる人々の息吹が感じられる映像になっていたと思うのですが、これはあまりにも美化しすぎでしょうか?実際にご当地までロケ撮りした映像を満載したドラマですので、今となっては貴重な存在なんですが、再放送は難しいのかもしれません。

それから蒸気機関車に対する見方がこの頃は「かつては現役だったが、消えゆく存在のもの」という見方が一般的で、機関車ヤエモンが顔を真っ赤にして電気機関車=新幹線と競っても負けてしまうのは当然、という空気でした。その翌年の「秘密戦隊ゴレンジャー」に出てきた機関車仮面は「わしの時代は終わったー」と叫んで、ゴレンジャーストームの露に消えます。

しかし今、蒸気機関車に対する見方は違います。高性能な煤煙装置をつけることで、すすを必要以上にまき散らしませんし、メンテ経費はかかりますが、なんと言っても観光の目玉に据えることが出来るので、確実に乗客を見込めます。今の世の中に「水陸両用の蒸気機関車」というのは故くて新しい、と思うんですが...
ハリーポッターでも蒸気機関車が実に効果的に使われていますよね。

そうそう、K-100は北海道のおじいさんのところへ無事たどり着くのですが、そこで沖縄の子供達からの手紙が...当時は沖縄返還の翌年で、ゴジラも沖縄に行ってシーサーと一緒に暴れていますしバキッ!!☆/(x_x)、沖縄はまだまだ「異国」でしたから、着実に子供達の人気を集めたK-100は親善大使の役割を担って、北海道から沖縄へ、行きは太平洋岸を通りましたので、日本海側を南下して、恩納村まで行ったのでした。
返還間もない頃の、左ハンドルだった交通事情の沖縄の映像もまたK-100の中にあります。

♪のんびり慌てず行こうよ、陽気にゆこうよ~
スター錦野旦(にしきのあきら)が歌う主題歌も、今の時代にマッチしているようですけど...本当に惜しいですね。

ちなみにK-100の勇姿は こちら です。
カラー写真でないのが残念ですが、青いボディーでした。

2002年3月9日(土)



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