それでも世界はよくなるプロジェクト。

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いざ!ネパールへ



しかし、ネパールへの直行便は、デリーに比べてとても高い。だから陸路で行く計画を立てていた。

インドに長居しすぎた・・・。

わたしはベナレスからネパールまでバスで行った。2日かかった。しかし、格安である。

400ルピー。円に直すと1500円くらいだろうか。とても長い道のりだった。

ネパールは私にとって未知の国だった。私の周りにもネパールにいった人はあまりいない。いや、いないだろう。

だから、わたしはあえて目的地は「ネパール」にしたのだ。

カトマンドゥとポカラ。わたしは、ポカラを選んだ。ポカラからのヒマラヤは素晴らしいらしい。

(俺はあのヒマラヤを観ることができるのか・・・)

興奮していた。小学の時、世界地図を見て、エベレストが世界で最高峰だと知った。わたしは関係ないと思っていた。

しかし・・・、今思えばたくさんの国に行き、たくさんの国の人たちと心をともにした。

行ったのは15カ国程度かと思う。話した人の国籍は、その2倍以上だろう。

10年前の私には到底想像もできないことであった。

ポカラのレイクサイドというところにあるペンションに泊まった。
ポカラの湖
実は、バスのなかで知り合ったネパール人に泊まらないか?と訊かれた。妥当な額だったし彼は悪人ではないと、直感的にわかった。彼とも親しくなり、人生を語ることになった。

その話はまた次の項にしたいと思う。彼の名はBARRART。通称MR.Bである。
野良牛

バスに乗っていると何度かライフル銃を持った軍人がバスを止める。そして、ネパール人を降し、なにかチェックしているようだった。

MR.Bによるとマオリスト(毛沢東主義者)を探しているらしい。そういえば、そういう組織が今ネパールにいるというのは聞いていた。

私はもうインドに馴染んでいたし、ライフルを持った警官、軍人、麻薬仲介人、ホテルの強面ホモオーナー(ブッダガヤ)、胡散臭いタクシードライバーとのちょっとした儲け遊び、たちと関わりあってきた。そして、スリルを味わいたかった。

だからその時の私の心境はこうだった・・・。

(マオリストに襲われるのも悪くはないな・・・)

もう、命の駆け引きをしたくてうずうずしていたのだ。





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