ミステリアスなセラピストの夢ワード

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いろはの湯店

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大きく飛躍する夢

からだ・はうす いろはの湯店の誕生



自宅の家を作ってから、風水のおかげか、会社の売り上げも順調にのぼりっていきました。そして、2年後の2002年。からだ・はうすに大きな転機が訪れました。


それは、島津興業という、島津のお殿様の流れを引く会社から、新しくできるスーパー銭湯の、マッサージルームを担当しませんか、という話が入ってきたのです。
今まで、からだ・はうすは、天文館で独自の店舗を2店経営していましたが、他の商業施設の中で運営することなど考えてもいませんでした。


ところが、その当時、都市部では、スーパー銭湯や温泉でのマッサージ人気が大変高かったのです。それも、単に、指圧マッサージだけでなく、リフレクソロジーやアロマテラピーも組み合わされたリラクゼーション施設が、お客様の注目を浴びていました。


TAKESHIは、急いで東京にリサーチに走り、いくつもの温泉施設をみて回りました。(あくまでも仕事ですからね)そして、鹿児島に帰るとすぐに、企画書を作り、島津興業に提出しました。
そしてそれが認められ、「野天風呂薩摩いろはの湯」に、からだ・はうすの3号店が出来上がったのです。

設計は、玉岡設計という、温浴施設の専門の会社が設計しましたが、マッサージルームは、私達が自ら、設計して工事を行いました。この「野天風呂薩摩いろはの湯」は、とても大きな温浴施設です。勿論なかには天然温泉も引いてありますし、レストランもあります。そして今流行の岩盤浴も、すでに備えてありました。今の時代のさきがけのような、施設だったのです。


そしてオープンしてから、びっくりしました。とんでもない数のお客様が、来店されるのです。
休憩する暇もなく働きました。1日10人以上マッサージする日が続いたのです。しかしながら、これはとても嬉しい誤算でした。私達もできる限りの力を、このいろはの湯店に注ぎこみました。
そのおかげで、今までの2店をあわせた売り上げさえも、はるかにしのぐ、からだ・はうすのメインのお店が誕生したのです。


最初は、私達も、いろはの湯のスタッフも、初めてのことばかりで、お互い試行錯誤を繰り返しながら一歩一歩進んできました。しかしこの一歩は、私達にとっy手、大きすぎる一歩でした。からだ・はうすがTAKESHIの個人的なお店から、本来の会社経営のお店に移り変わるきっかけを、与えてくれたのです。


TAKESHIにとっては、苦労も大きかったのですが、この「いろはの湯」店がなければ、今はなかったと思います。


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