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李小龍・生誕75周年の想い出 (002)
「東京でニアミス」
李小龍(ブルース・リー)フアンの内村師範の質問で、李小龍大師は日本に何回も来ているのかと尋ねられる。
「京都が大好きな話はした事があります。」と応えたが、 その後が思い出されなかった。
数日、毎日気になって思い出す。
李さんが亡くなった後、リンダさんを訪ねて当時スイスのチューリヒで逢った事を思い出した。それは、李さんが亡くなって4~5年後であったと想う。
リンダさんが言うには、李さんは亡くなった1973年7月20日の数ヶ月前から私の居所を探していたそうだ。当時私はフイリッピンのパシングと言う街にホームステイさせて頂いていて、数回クリスマスカードをもらっていた。
ホームステイ先には連絡があったので、講道館に帰った事を伝えたそうだ。
私が日本に帰った事を知り1973年4月に東京は春日町の講道館に訪ねて行った事をリンダさんから聞いた。
講道館に行けば私の消息が解かると思ったのだろう。
私は春日町に住んで居ながらして、帰国して講道館には出入りしていなかったのだ。
李小龍(ブルース・リー)が亡くなった事を知ったのは読売新聞で有った。
直ぐに香港には行けず、11月の中旬に行く事となった。香港中では彼が偉大なアクションスターであることが雑誌で報じられて居た。
日本では当時はブルース・リーの存在を知る余地もない時代で有った。
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