神頼みな毎日

神頼みな毎日

涼しい、夏の千円。


 うわぁ――、怖いなぁ。なんだか寒気もするし……、背筋がぞくぞくする。なんでだろ、暑いはずなのに。
 帰りたいよぉ。なんでこんな事やってんだろ。高校一年にもなって……。馬鹿みたいだ。止めればよかった。
 茂みの中で息を殺しつつ、そんな事を考える。何か考えてないと怖くてしょうがなかった。夏の夜独特の生暖かい空気が、妙に気味悪かった。
 空には大きすぎて不気味な月が昇っていた。その月の放つ光は辺りを薄く照らし、めっさ怖い。もう怖い。
 静かに聞こえる虫の音も、時々ふっと一斉に消えてビビる。鳴いていてお願いだから鳴いていて。静寂は怖い――。
 目に見える何かから何まで全てが恐怖に具現する。空も、草も、空気も、光さえも、……当然闇も。
 薄暗い森の中ただ一人でこうして隠れているのが、どんだけ辛いか分かっているのか? 雇い主は。
 ホント、こんなバイトしなきゃ良かった……。
 高校生だからって急に大人になったつもりで考えるもんじゃないね。うんうん、まだ子供子供っ!僕子供っ!
 みんな、間違ってもお化け屋敷(野外)の仕事はしないほうがいいぞ!ホントにっ!
 ……? っ……ひぃぃっ、なんか泣き声が聞こえる。こっち? こっちか?  あれ? 泣き声が多くなってきた……囲まれ……。
 うわぁぁぁぁん!

 ◇

 「じっ……時給千円って? ホントですか?」
 「ああ、そうさ。やるのかい? 坊主」
 「や……やりますっ」

 コンビニで、涼む。ここのところ本格的な夏の暑さで、気を抜くと倒れそうだ。なんて快感。コンビニがあってよかった。クーラーがあって良かった。そう思いながらぼぉーとしてると、ふと求人誌の詰まれてる棚に目が行く。
 高校一年生になって始めての夏。例年通り、おかしいほど暑い日が続く毎日だけど今までと少し違うのは、僕が高校生だと言う事。
 高校生になったことで一歩大人に近づけた気がして、なにか新しい事に憧れるのは誰にでもあると思う。
 そして僕がその一人だ。
 バイトだってやりたくもなると思わないですか? 新しい事に触れたくなりますよね。
 追い討ちをうけるように、学校ではよく友達が一ヶ月働きぬいて、給料日に嬉しそうな笑顔満点をみせる。そんな話を聞くたび、羨ましい事この上ない。キィーっ!
 働こう。そう思って求人広告を手に取り、勇んでページをめくるけど……これがなかなか希望にピッタリの仕事は見つからなくて……。
 コンビニは大変そうで嫌だな、友人とあった時もなんか恥ずかしいし。ファミレスは……調理場? 料理なんかできないよ僕。
 時給がなぁ……場所がなぁ、仕事がなぁ……。色々と迷っていたら夏休みになっていたわけ。
 こんなんじゃ駄目だ。うだうだしていて、結局なにもしないのが一番悪い……僕の癖だ。そういや宿題やってない。まぁいいか。
 もうすでに夏休みは一週間くらい無駄に過ごした。これ以上は、もう無駄にはできない。頑張らないと。
 次こそ、求人誌にある仕事の中から必ず一つ選ぶっ。絶対にだ、心に決めた。そう決心して、求人誌を掴んだ。
 そうして目に入ったのが、時給千円の『お化け屋敷(野外)』である。
 これだ、これしかないと思ったね。なんせ時給が千円。これは破格だ。
 九百円で高いほうなのに、千円。一時間で千円だよ? すごくない?
 僕の心は完全に決まった。もう一ミリもブレない。そのコンビニで、履歴書とペンと、アイスを買って帰宅した。
 家に帰えるまでに、アイスを食べ終わった。もうひとつ買っておけばよかったと後悔する。まぁいいか。
 さて、書くぞ。面接とか履歴書の事は、さんざん友達から聞いているから分かる。親もこないだそれとなく聞いたとき、働くことに反対はしてなかった。
 こうして僕は一時間かけて履歴書を書き上げ、その日のうちに求人誌に載っていた番号に電話をかけ、約束を取り付けたわけ。
 そして次の日、事務所に出向いた訳だ。面接をしに。
 小さな事務所はプレハブみたいな造りで、脆そうだった。そして以外と近所だった。自転車で、十分もかからなかった。
 安っぽい事務所のドアの前に立つ。
 これから初めての面接だ……緊張を隠せず、手からは汗が出て、顔からも汗が……て言うか全身から汗が吹き出た。
 震える手でドアを開け、小声で失礼しまーすと挨拶し中へ入る。事務所の中は、外と比べても涼しくはなかった。むしろ暑い。
 パンチパーマのおっさんが、一人机に向かい電卓を叩いていた。額に汗を光らせながら、書類と電卓を交互に睨み指を動かしている。
 そのおっさんの風貌は、見た感じヤクザだった。こんな安いヤクザもいないだろうが、怖いことは、怖い。
 「あの――」
 呼びかけてみた。しかし声が小さかったか、聞こえなかったようで指が止まらず電卓を叩いている。かなり真剣な表情だ。
 しょうがない、もう一度呼んでみよう。今度はもう少し大きく……そう思って腹に力を込めた時だった。
 「なんだ坊主」
 顔を上げず、殆ど口も動かさずに、パンチパーマが呟いた。声が低く、どっしりと構えた印象を受ける。
 「僕バイトの面接に着たんですけど」
 「おお、あんたか」
 そうしてパンチパーマは初めて顔を上げて、僕の顔をまじまじ見る。その目はまるで獲物を見る目のようで、居心地が悪かった。
 「うん、体格はぴったりそうだな。高すぎず小さすぎず……」
 僕の中肉中背。まさに高校一年生の平均身長を観察しながら呟いた。パンチパーマは僕から履歴書を受け取り、しばらく凝視したあと。
 「この仕事がやりたいのか。なぜやりたいんだ?」
 そう聞いてきた。大丈夫、理由はよく聞かれると聞いていたから考えて……あれ? 忘れちゃった。
 緊張のあまりの度忘れと、パンチパーマのキツイ目線にどんどん焦りが積もる。そしてとっさに思いついた言葉を述べた。
 「じっ……時給千円って? ホントですか?」
 「ああ、そうさ。やるのかい? 坊主」
 パンチパーマの目つきが鋭くなる。しばらくの沈黙。
 金って……最低の理由やん。正直なのはいいことだけどね。てかどうする? ホントに千円だって、時給千円だ……なんか怪しい気もするけど、でも。
 「や……やりますっ」
 「じゃあ、採用ね」
 呆気なかった。
 このあと仕事内容を簡単に説明されて、道具一式と書かれたダンボールを貰い、集合場所・時間を教えてもらって、追い出された。
 緊張して開いたドアの前に、十分後にダンボールを持って佇むとは思ってもいなかった。
 プレハブ事務所の前でしばらく呆然として、やっと自分が採用になったこと。明日から仕事だと言う事。仕事は夜、近くの神社近くで金払ってくる客を驚かせばいいこと。それらがやっと現実だと認められた。
 ついでにダンボールが重くて、少し持ち直してから、この中の脅かしグッズに疑問を持った。なにが入ってるんだ?
 つまりは、僕の仕事は夏祭りの肝試し大会の脅かし役だった。

 「なんだ、楽勝じゃん。よゆ―よゆ―」
 だって脅かせばいいだけだもん。楽だ、楽。
 ひとつ前進できた自分に満足しつつ、あっという間に今日……バイト初日になり、夜になる。
 現地に荷物を持って、時間通りに場所に着く。パンチパーマのおっさんが居た。
 「よし来たな、じゃあこの先の茂みの中に隠れててくれ」
 長い石段の上、神社へと続く道の途中の森を指差し、頑張ってな、と背中を叩かれた。説明が殆どなくて不安だが、なんとなく少し嬉しかった。
 神社へと続く石段を登ると、森が広がっていた。森の中を細い砂利道が通っていて、これを辿ると神社。
 しばらく行ったところの茂みに身を隠す。そういえば他に脅かし役はいないのかな? 辺りを見る限り人の姿はなかった。
 道具一式と書かれたダンボールを開けてみた。どんなものが入っているんだろうと、中身を漁る。
 始めに取り出したのは白い布。真っ白でシーツみたいな人一人分が被れそうな大きさ。まさか……と思いつつ確認すると穴が三つ空いている。ここに顔がくるんですね、パンチパーマさん。
 なんていう王道アイテムなんだ。白いお化けを傍らに置いといて、ダンボールに手を突っ込む。これは……懐中電灯?
 無意識に顔の下から上に向かって光を照らす。何度かカチカチと点けたり消したりしたあと、軽い自己嫌悪に陥った。
パンチさん……ほんと何を考えてるんですか。
 懐中電灯もそこらへんに置いといて……、さらにダンボールの中を探ってみると、こんにゃくと……竿。
 なんだこれ……竿でこんにゃく吊るして、歩いてくる人のほっぺたにピトッ! キャ――ってか……恐ろしいほどパターン化された肝試しを求められてるようだった。すくなくともパンチさんは望んでいるようだ。
 王道だよ。ちょっとひねったアイテムだそーよ、パンチさん。しかもなんかこのこんにゃく、わざわざ新しいの使ってます? ツヤがいいよ。……いや知らんけどね?
 他にもいくつか王道アイテムが入っていたが、気力が完全に削げ、お客を待つ事だけに集中した。辺りは完全に暗くなって、静かだ。遠くで祭りの音が聞こえる。
 その時だった。足音が聞こえた。石段を上る音。上りきって、砂利道を擦るように歩く音。こっちに歩いてくる。突然緊張が全身をめぐる。さあやるんだ僕っ!
 白い布を被る。穴から外が見えた。なんとも変な感じだし、こんなんで大丈夫か心配だったが、行くしかなかろう。
 近くまで来たら飛び出そう。そうだ……一歩……二歩。あと数歩で飛び出すんだ。
 心臓が口から出そうだ。さぁあと少し。そう――。いまだっ!
 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 大声を出して両手を振り上げ、思いっきり飛び出す。思いっきり叫ぶ。
 「ぎゃあああああああっ!」
 やった! すげー怖がってる……ってあれ?
 腰を抜かして、地べたに這いつくばっている男は、パンチパーマだった。 死ぬ死ぬっと呟きながら後ずさりしてる。
 「あ……あの――」
 恐る恐る声をかける。僕だと気付いたみたいで、慌てて立ち上がり咳払いをした。
 「な、なかなかだな。その調子で頑張れよ」
 「は、はぁ」
 「じゃ、じゃあ客入れるから」
 「はい」
 そう言って、パンチさんは帰っていった。後姿がなんとも情けなくて笑った。

   ◇

 最初にパンチさんが異様に怖がってくれたお陰で、随分リラックスして仕事ができた。まぁあのあとのお客さんであんな怖がった人はいなかったけれど。
 子供の数人グループで、馬鹿にされたり。カップルに笑われたり。まともに怖がられる事はなかった。
 「……なーんか物足りないなぁ」
 最初のパンチさんで、快感を覚えてしまったのか……驚かれないことは詰まらなかった。
 次きた客は、盛大に驚いてくれるといいなぁ。そんなことを考えながら最初の茂みの中で待つ。
 しかし次の客がなかなか来ない。驚かしてる間はいいが、その時以外は茂みの中で静かに待つだけだ。正直……やばい。
 「なんか怖くなってきたなぁ」
 だんだん独り言が増えてきた。恐怖を紛らわせないと……。
 静寂が押し寄せてくる。茂みの中で一人身を縮めてると、暗闇に食われそうになる。これはすごく危ない。楽しい事を考えなきゃ。
 そういやこの前友達がやってたアクションゲーム楽しそうだったなぁ……あ、でも人が食われるシーンはかなりグロか……たな……。
 身震い。しまった、余計な事まで思い出しちゃった。妙な汗をかいた。
 そうだこんにゃくをかじろう。プルプルしてて怖くなくなるかもっ!
 客はまだ来ない。こんにゃくをかじりながら待つ。旨い。そして怖い。やっぱ怖い。
 こんにゃくがなくなったちょうどその時、足音が聞こえた。やった……やっと来た。客だ。
 息を潜め、茂みから客を伺う。どうやら女の子だ。学校の制服を着ていて……ひとりのようだ。髪は真っ黒でつやがあり、綺麗。そして顔立ちもかなりいいほう。
 いや……か、可愛い。そうなるとこっちも怖がらせるのに気合がはいる。好きな子をいじめる原理は不思議だ。
 気配を殺し、こっちに一歩づつ近づいてくる女の子を待つ。もう少し……もう少し。
 よし、いまだっ! 僕が勢いよく飛び出すと、彼女は可愛い叫び声を上げて逃げ出した。これはいい、すごくいい。思わず追いかける。
 人を驚かすのがこんな楽しいなんて……、女の子はキャーキャーいいながら走っていて、あとを僕が叫びながら追いかけた。彼女は森の中に逃げ込み、僕はまだ追う。
 追いかけながら、なぜか背筋に寒いものを感じた。なんだろうこの感じ……あれ?
 前を逃げる女の子……なんだか不自然じゃないか? 叫び声がなんだか、僕をからかっているような声だった。
 上から下へ視線を走らせる。……あっ。心が凍りつく。口の中が一瞬で乾く。
 彼女を追いかける速度が次第に落ちる。足に力が入らない。逃げる彼女の速度もしだいに遅くなっていった。
 そんな、そんな……馬鹿な。完全に立ち止まる。僕よりすこし前の方で、彼女も立ち止まる。
 おいかけるのに、脅かすのに夢中で気付かないなんて。
 彼女は、足がなかった。きれいさっぱり完全に。膝から下がなくて、宙に浮いているような感じだった。なのに走って逃げていた。今の今まで。
 彼女がゆっくりこちらを向く。可愛い顔はそのままだ。でも……空気が違う。やばい。なんかすっごく嫌な予感がする。
 後ずさる。それを見て彼女はゆっくりと笑った。口の端を持ち上げて、にんまりと。目は笑ってなかった。
 一歩。彼女がこちらに踏み出す。そしてまた一歩踏み出す。……もう一歩 ――そしてダッシュ。
 「うわああああああっあああ!」
 思いっきり走り出した。大声だして、無我夢中で……。
 しかしいつまで走っても、砂利道が見えない。いつのまに森の中で迷ったらしい。後ろからは飛ぶように追いかけてくる少女。
 「いやあああああああっ」
 とにかく叫んで走る。木々の間をすり抜けるように、走った。
 「こ、こんなの酷いっ! 立場が違うっ……立場が逆……っ!」
 必死の叫びも誰にも届かない。振り返ると後ろから女が追いかけてくるのが見えた。有り得ない速さで。膝から下が無い足を思いっきり振って追いかけてくる。
 「ひいっ!」
 振り返るんじゃなかった。慌てて走るスピードを上げ、何度か躓きながら必死に逃げた。
 僕は半泣きだった。

 ◇

 暗い木々の茂みの中で、肩で息をする。もちろん気配を最大限殺しながらだ。どうやら巻いたらしい……辺りを見渡すけど、それらしいものは見えない。
 ため息をつく。一体なんだったんだ……あれは。可愛い子を脅かしてたら、逆に向こうが本物で、追いかけられるなんて。そんなのありかっ!
 しかし、ここが森のどの位置だかが定かではないし、体力を回復させてからの方がいいだろう。そんな広い森じゃなかったはずだ。すぐ出られる。
 やっぱ大人ぶって、バイトなんかしなきゃ良かった。さっきから何度も後悔してる。
 大体千円なんて怪しいと思ったんだよ、こんなことがあるなんて……。いわくつきの物件かよっ。
 息が落ち着いてきて、木を背に辺りを窺う。いない……かな。多分。
 ほっと息をついて、前を向くと、彼女がいた。また口の中がカラカラに乾く。同時に体中に汗が広がる。
 十メートルくらい向こう。真っ黒な髪が夜の森に溶け、青白い顔と制服の白い部分だけが浮かんでいるようだった。心臓の音が早くなる。
 こっちには気付いていないようだ、ふらふら彷徨ってる。そして立ち止まって、手を目に当てて……泣き出したようだ。

 シクシク、シクシク。

 森の中に静かに反響する泣き声。小さな音のはずなのに、よく聞こえる。
 もう怖い、ホント怖い。茂みの中で縮こまり、耳を塞ぐ形で小さくなる。力一杯目を瞑り、祈る。
 おねがいします。目を開けたら元の静かな森に戻っていますように。なにもいませんように。バレませんように。
 泣き声が増えた。反対側からも聞こえる。

 シクシク、シクシク。シクシク、シクシク。

 そしてまたひとつ、泣き声が増えた。今度は右側から。シクシク。
 さらに左側。そして右斜め前。シクシク、シクシク。まだ暗闇。
 二つ同時に、僕の前方のほう。シクシク、シクシク。シクシク。

 あぁ……ああ。囲まれ『シクシク』たよ……。や『シクシク』ばいんじゃな『シクシク』いかこれ……。ホントにやばい。『シクシク、シクシク』

 泣き声しか聞こえないような状態になる。全方向から一斉に聞こえる泣き声は、静かなもののはずなのに、僕の体の底まで響く。
 まるで僕を狂わせようと泣いてるようで、単調に泣き声がひたすら聞こえる。泣き声しか聞こえない。
 体を震わせる。暗闇の中でガタガタと震える小さな心。
 ここに居たら危険だ。十秒。……十秒数えたら、全力で走ろう。眼を瞑りながら考える。暗闇の中で考える。
 いち――……。――泣き声はさらに増えて、距離が近くなっている。どんどん近づいてきている。
 に――、さ――ん……。――泣き声が段々、笑い声に変化している。

シクシク、シクシク、クスクス。クスクス、クスクス。

 し――。ご――。――クスクスクスクスクスクスクスクス。けたたましい笑い声に取り囲まれた。いやだ、もう駄目だ。駄目だ駄目だ。

 六七八九っ!!

 我慢できなくて一気に数えて、もう中腰の姿勢に体が動く。走り出したい。逃げ出したい。そして、僕が最後を数え終わる瞬間。
 森が一斉に静かになった。笑い声が完全に止まった。

 『十』

 僕の声と女の子の声が、かぶる。
 目を開けると僕のまん前で、女の子は体育座りをして、にこっと笑った。
 僕の声にならない叫び。この体ができて、十六年間最大の異常事態。それに反応して、よろよろと、そして次第に早く体が走り出した。
 そして全速力に。
 真剣に、ただ出口を求めて走った。山から転げ落ちたっていい。とにかく逃げだしたい。
 最後の願いを込めて、辺りを見回しながら走る……見えた。石の階段。降りられる。やった降りられる。
 すでに限界で、息も切れ切れだったが、それでも走った。止まったら終わりだ。階段に走りよる。
 慌てて駆け下りて、途中何段か踏み外し、足をくじいたり腰を打ったりするが、関係ない。
 足からは鮮血が流れ出てる。そんなのは関係ない、早く早くっ!
 まだ追いかけてきてる。ものすごく早い。形相が鬼のようだ。または般若か……美しかった顔が完全に歪んでしまっている。
 泣きながら階段を落ちるように下りる。もうすぐだ……もうすぐ。体中が悲鳴を上げていた。
 階段の最後が見えて、その傍らにパンチパーマが立っていた。
 「おいどうした」
 必死に石段を駆け下りてくる僕を見て、不思議そうな顔で見上げるパンチ親父。間の抜けた表情は、ものすごく安心できた。 
 「たすっけ」
 上手く舌が回らない。たすけてっ! たすけてっ!
 「おいおい」
 パーマは、勢いよく駆け下りてくる僕を受け止めるために、両手を開いた。
 ああっ助かった。その時ちょうど足を引っ掛けて、パンチパーマのもとにダイブする形になった。
 ホント恥ずかしいけど、しょうがない。よかった、よかったよ。助かった。
 「ばーん」
 間の抜けた声が聞こえた。そして僕の体が、パンチ親父に触れるか触れないかのところで、パンチ親父の頭が風船のように破裂した。繰り返す、破裂した。
 首なしパンチパーマに飛びつき、地面に倒れこむ。地面にぶつかる鈍い音と共に、パンチ親父の体も破裂した。風船みたいな破片を撒き散らし、その破片も空気に溶けていくように消えていった。
 地べたにうつ伏せになり、ひじをついて上体を起こしたが、僕はそこで完全に意識をなくし、地面に突伏した。

 ◇

 森の中。淡い光が、舞っている。それは蛍の光か。それとも、別の何かか。
 生い茂る木々や草、そして暗闇の中。くすくす笑いが聞こえる。

 ――今の子は面白かったね。
 ――うん、おもしろかったね。
 ――もう一度やりたいな。
 ――やりたいね。
 ――でもまた来年。またお祭りに。
 ――うん、また来年。お祭りに。

 それきり声は聞こえなくなり、森には静寂が戻った。


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