神頼みな毎日

神頼みな毎日

努力


「あらら、罠にかかったのか」
 晴朗は鶴を恐がらせないようにゆっくりと近づいて、それから虎バサミを丁寧に外してやった。それから罠にかかっていた足の傷を見て、
「鶴に効くかは分からないけど……、旅の途中で貰った傷薬でも試してみようか」
 懐から巾着を取り出した。巾着の中には小さな紙の球がたくさん入っていて、晴朗がそれを一粒取って中を開くと白い塗り薬が包まれていた。それを指で一掬いして、鶴の傷に塗った。沁みるのか、鶴が小さく鳴いた。
 塗り終えて、晴朗は立ち上がった。腰の提げた刀が音を立てた。
「さあ出来た。行っていいよ。もう罠にかかるなよ」
 鶴はしばらく晴朗を見つめてから、やがて飛び立っていった。
 晴朗が去った鶴の後姿を満足げに眺めていると、突然人の気配がした。見れば、竹やぶの奥から人がやってきていた。
 髭の濃い大男だった。まだ十代後半の晴朗とは、あまりにも体格が違う。その見た目は狩人といった風貌で、竹を斬る為なのか鉈を手に提げている。
 やがて大男は晴朗のところまでやってきて、開いた虎バサミと辺りに落ちている鶴の羽を見た。
「お前、その罠にかかった獲物を逃がしたな?」
「と言うことは、この罠は貴方のですか?」
「そうだ。俺が仕掛けた」
「そうですか。すみません、獲物を勝手に逃がしてしまって」
 晴朗は頭を提げて、詫びた。そんな晴朗を男は双眸を細くして眺めていた。大男は晴朗が腰に提げている刀を見つめていた。
「ここ最近は獲物が滅多にかからんでな。食い物に困っているんだ」
「たしかにこの竹やぶからは、生き物の気配が感じられませんね。今は冬ですし」
「しかしやっと獲物がかかったのだ。それを逃がされてしまっては、わしはどう生活すればいい」
「本当にすみません。少ないですがお金は払います」
 晴朗はもう一度小さく頭を下げてから、懐からさきほどとは違う巾着を取り出した。どうやら財布らしく、意外にもそのふくらみは大きい。大男は晴朗の財布を興味深げに眺めて、それからいやらしい笑みを浮かべた。
「ところで、この鉈はなんに使うものだと思う」
 男が言った。鉈の柄を握りなおしながら。
「竹を切るためでしょうか」
 少年は財布の中を見ながら言った。
「獲物を捌くための鉈だ。つまりお前をな……!」
 大男が鉈を振り上げようとした時だった。突然三人の男達が晴朗たちの周りを取り囲んだ。
「な、なんだ……?」
 大男は困惑したように言う。それもそのはずで突然現れた男達は皆刀を提げていて、面構えからは腕の立つ剣士に見えた。やましいことをしようとした時に現れた剣士達に、大男は慌てふためいた。代わりに晴朗は落ち着き払ったように立っているだけだった。
「川野晴朗だな」
 剣士たちの一人が言った。晴朗が頷くと、三人は刀をゆっくり抜いた。銀色の刀身が現れて、それを見ていた大男が弱弱しい悲鳴を上げて尻をついた。それからゆっくり後ずさりをした。
 晴朗と剣士たちはしばらく見つめあい、晴朗もまた剣に手をかけた。が、抜かなかった。
「斬りたくないんですけどね」
 晴朗が言うと、剣士は苦笑した。
「なら大人しく斬られるんだな」
 そして彼は地面を蹴った。一気に間合いを詰めて、刃を縦に振り下ろす。晴朗はそれを身をよじって避けた。そして、
「あぐっぁ……」
 よじって、抜いて、斬った。
 剣士は喉から血を流し、膝をついた。それからしばらく何か言おうとして、結局何も言えず倒れた。笹の葉の上に赤い血が広がる。
「…………」
 二人になった剣士たちは、何も言わずただ剣を握る拳に力を込めた。横で震えながら見ていた大男は、ただ茫然と剣を抜いた晴朗を見ていた。
「斬りたくないんですよ」
 一人が僅かに足摺りしてから、跳躍した。晴朗はそれに合わせて思いっきり後ろへ飛び剣士の横薙ぎを避け、それから間髪いれず前へと飛んだ。剣士は慌てて後ろに飛び退こうとしたが少し遅かった。晴朗の刃先が剣士の腹を深く撫で、赤いどろどろしたものが流れ出た。
 それには血だけではなく内臓も混じっているようだったが、晴朗は見向きもしなかった。その目はもう次の敵、自分に斬りかかってくる残った剣士に向けられていたから。
 力強く振り下ろされた剣士の白刃を、晴朗の白刃が受け止める。小さな金属音が鳴り、微かな火花が散った。
 しばらく二人は刀でお互いを押し合い、晴朗はふっと微笑んだ。そして思いっきり剣士の腹に蹴りを入れた。不意を突かれて剣士は後ずさり、その時ほんの僅かに隙を見せた。あっと言う間に喉を薙がれ彼もまた先の二人同様笹の葉のなかに倒れた。
 事が終わって晴朗はそっとしゃがみ込み死体の服で刀を拭き、ゆっくりと鞘に収めた。そして振り返り、細い竹の後ろに隠れていた大男を見つめる。大男は小さな情けない悲鳴を上げて、慌てて逃げ出した。
「あれれ。あれ?」
 ふと見れば男がしゃがみ込んでいた場所に彼が手にしていた鉈が落ちていた。晴朗はそれを拾い、
「おーい。忘れてるぞ」
 投げた。
 ぶんぶんと風を切りながら鉈は飛んでいき、逃げる男のすぐ横の竹に突き刺さって止まった。大男は尻餅をつき、泣き出した。
 晴朗は首を捻り、それから近くに転がる三体の死体に手を合わせてから、大男とは別方向の竹やぶの奥へと消えた。

 ◇

「やはりお偉方を斬ったのはマズかったのかな」
 晴朗はしみじみ呟いた。先ほどからとんとん、と戸を叩く音がするがこの前の竹やぶで斬った追っ手の仲間に違いないと晴朗は思っていた。こんな月すらない夜に寂れた山小屋に訪ねてくる人間といえば、もう検討はつく。
 宿がなくたまたま見つけた山小屋に泊まったのだが、まさかこんなところにまで斬り合いに訊ねてくるとは、と晴朗はまるで他人事のように感心した。
「今開ける」
 晴朗は刀を抜き、ゆっくりと戸に近づいた。先手必勝という言葉を丁寧に実行するためだった。人のいるであろう方向を見定め、思いっきり戸板を突いた。
「ひぇッ!」
 女性の悲鳴。どうやら見定めたつもりが随分適当だったらしく、晴朗は手ごたえを感じることができかった。
「女……?」
 突きたてた剣を抜いて、鞘に収めてから戸を開けた。するとそこには両手で自分を抱くようにして立っている女性がいた。腰まで伸びる黒髪は。美しい真っ白な着物。そして彼女自身の。





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