とのけろのげろげろ日記

とのけろのげろげろ日記

2011.11.18
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オットの父は故人です。
もう17年になるんですね。
亡くなったのは11月でした。

義父の葬儀はお金をかけた、という意味ではなく、りっぱでした。
近隣の人に惜しまれ、僧侶も5人は読経に来て
ワタシには良くわからないのですが、、、

その僧侶達がぐるぐる回る読経をし始めて、びっくりしました。
シンバルみたいなのも鳴らし、すごく厳かでありながら
餞として、寂しいのではなく、立派に人生を全うしたお祝いでもある
という感じがしました。

あとで知人に聞いたら、それは仏教で最高の弔いの読経の形式
だったそうです。

で、葬儀が行われたお寺を建立したのは義父だったそうで
よほど腕のいい大工の棟梁で、仕事人としても最高だったのでした。

オットが義姉の話を聞いたのは10年前ぐらいでしょうか。

そのあと、ゲシュタルト崩壊、、、といえばいいんでしょうかね。
信じていたものが、嘘っぱちで、何もかも信じられない、
甘えがひどくなる、切れやすくなる、アルコール依存症に至る、

と、段階を踏んで、人としてだめになっていきました。


その一段階に、会社を辞める、ということがありました。

義母が自慢の一つにしていた「一流会社の社員」であるところの。
義母の愛は、必ず条件付でした。

義母を大事にしてくれる子を可愛がり、義母の自慢になる子を可愛がり
つまり、自分の都合のいい子、しか可愛がらない。

もう、可愛がられる必要は無いと思ったのでしょうか。

彼は会社でもがんばって、「定時制高校卒業」でも
国大・東大卒の人にさえ引けをとらない仕事をしていると自負していました。
だから相当辛いことの連続だったと思います。
一工場の閉鎖の責任者になったこともあります。
これは、一時的にでも、工場長に匹敵することでした。

その後、大抜擢、という部所に配属されました。
異例の出世です。

退職はそれから1年後でした。

ワタシには一言も相談なしでした。

ママ代わり、のワタシなんか相談の必要ない、ってことでしょうか。

良くわからないのですが、プッツン、燃え尽きって感じでした。






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最終更新日  2011.11.18 21:05:37
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