続・我家の1.17


*** 我家の1.17 【2】 ***


普通なら 高速を使って 1時間あまりで行けるわたしの実家に

主人は 半日かけて 長男を迎えに行った


途中 信じられない光景を いっぱい目の当たりにした主人

大阪を出て 被災地近づくほど やはり 被害はひどかったと言っていた


亀裂の入った道路 潰れた家屋 リュックを背負って 黙々と歩く人々

舗装さててるはずの道路が でこぼこで 回避しながらはしり 大渋滞もしてる

その中を走るドライバーたちもみな 疲れがたまって 寝てたりするから

車が動き出すと ドライバー同士 起しあったりする光景も しばしば見られたらしい


わたしの実家の近くの光景も 信じられないほど ひどく

かなりの住宅が 傾いたり つぶれてたりして 被害があり

家を覆うブルーシートのいろが やたらと目に付いたらしい

父が 道も建物も傾いてるから 街中を歩くと 平行感覚が おかしくなると言っていた


長男を迎えに行った主人は その夜は 実家に泊まり 次の朝 実家を出て 帰ってきた

被災地から帰ってきた長男は 一見 様子も変わりなく 元気そうだった

地震は怖かったとはいうものの 元気に電車のおもちゃで遊んでたし

被災地の状況を伝えるテレビを目にしても なんにも言わなかったし。。。


長男は 震災のあの大きな地震の時は ぐっすり寝ていたので知らないが

主人が迎えに行くまで 何度も余震が続く 普通じゃない状況の中

わたしや主人がいなくて 椅子に座らされたままだったから

実家の母が かなり情緒安定になってるから 気をつけて見てあげてと 言った


長男2歳1ヶ月の時の たった1日余りの 震災体験だけど

この地震の恐怖は しっかり長男の脳裏に 焼きついてしまい

震災のことは理解できないけど じしんとおう言葉や 大きな揺れに敏感になり

長男は 毎年 震災時のニュースを見ると

様子が変わったり 落ち着かなくなる状態が 小学校に入る前まで続いた

まさか 2歳児の記憶が 長男のトラウマとなるとは 思ってもみなかった




実際に 被災地に住む人たちや子供たちは もっと怖いかっただろうし

そこで生活を続けてた人たちは どんなに大変だっただろうか


実家では 赤ちゃんもいたし 水がでないということで 

何かと不自由で大変な生活が 続いてた


わたしが実家に帰っても 次男がいるので たいしたことは出来ないし

主人も実家の両親も あの状況を見に帰らないほうがいいというので

わたしが震災後 初めて実家に帰ったのは 春が近づく4月になってたらだ

実家の近所には たくさんの空き地ができ 仮説住宅が建てられ

わたしが知っている光景は 見事に変わり果てていた


震災から5年後 長男が小1の3学期の1月17日 震災があった日

学校で 地震時の避難訓練があり 震災のビデオを見て 

みんなで 震災のことをいろいろと話し合ったそうだ

当時の担任には もし学校で地震があったときは

長男がどうなるかわからないので

よろしくお願いしますと頼んであったので

その日の様子を 手紙に書いてくれた


そのとき長男は 地震が怖かったのは 自分だけではない

被災したのも 自分だけはない

幼稚園時代とは違い そういうことに気づいたおかげで

長男のトラウマは なくなったようだ


被災して半年後 かかりつけの小児科医に 長男のことを相談すると

きっと その地震の恐怖は 消えることがないでしょう

でも大きくなって その地震というものを理解できるようになれば

そのときの恐怖やトラウマも 違う方に変わるかもしれない


そう言われてたけれど ホントに その通りだった

長男は 地震が怖いものだと 記憶に残っていたけれど

地震はどんなもので そのときにに 何をどうすればいいかを

学校でしっかりと勉強したおかげで トラウマがなくなった



長男が幼い頃は 地震速報や 震災時の報道を見せないように

わたしが気を配っていたけれど もう今は中学生

当時のことを 知って 自分でいろんなことを理解して

成長したんだなぁと つくづく思う






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