全268件 (268件中 1-50件目)
なぜか精神科にかかる患者さんたちはコーラが好きでした。病院にある自販機で購入したり、スーパーやコンビニに外出するとコーラを多く買っているのを見かけます。他の炭酸水は買わないのか聞いてみたところ、コーラががなぜか飲みたくなるんだそうです。自販機補充の業者さんが、この地域の自販機でうちの病院の自販機のコーラが一番売り上げが多いのだそう。他の病院でもそうなのだろうか?
2024.10.15
AIどころではなくヒューマノイドの発表がありましたね。単価が400万円くらいで車を買うような感覚で購入できるらしく、導入する企業なんかも増えそうです。便利になる一方、本当に人間にしかできないということが分からなくなりそうですよね。演算も早いし力もあるしコミュニケーションもとれるとしたらヒューマノイドが重宝しそうです。人間しかできないことはなんでしょう?イーロンマスクの発表では植物に水をやったりゲームに参加したり、個別に飲み物を手渡したり車から荷物をおろしキッチンまで運んでいたり。福祉の現場や病院も変わるのでしょうね。期待もあり不安もありですがこれからの変化を受け入れていくことが必要になるんだと思います。我が家に来てくれたら何をしてもらおうか?と想像してみます。
2024.10.13
世界のある場所でタンカー事故があり、それによって海に原油が流れてしまい自然に影響があると某獣医師さんから聞きました。日本からもその事故があった場所に国を越えて救助協力に行ったそうです。NPO野生動物救護獣医師協会に所属しているようです。野鳥の羽が原油が付着したために飛ぶことができなくなってしまうと話されていました。その時に洗剤で羽を洗って原油を流すそうですが、その時に使った洗剤って何だと思う?と聞かれました。特別な洗剤があるのかな?と思っていましたが「JOYだよ」とのこと。食器用洗剤??となりましたが「あれ身体にやさしいのに歯ブラシでよく落ちるんだよねー。鳥が羽を整えるのに口に入っても大丈夫なの」と話されていました。意外に身近なもので助けられるんだなーと感心しました。いろんな体験をしている人の話はすごく楽しいです。
2024.10.11
今まで全くやってこなかった分野インスタなどで見ていて素敵だなと思う不思議な画像と音こんな風に作れたらいいなと思っていました。チャットGPTを使って英語でプロンプトを作成しレオナルドでAIで画像を作ってフィモーラで音楽と合わせてyoutubeを見ながら作成したらできました!今は便利ですねーいろんな表現方法があるんだなと楽しくなりました。友人が見て創作のアドバイスをしてもらいこんな画像できたらいいよねとアイディアをもらっています。チャットGPTやレオナルドは日本のモノや東洋のモノにあまりマッチしなくてAIを作っている人ができないイメージなのかもというものなどあります。例えば日本で言う龍がドラゴンになってしまい全くイメージに合わなかったこともありました。にしてもカメレオンかイグアナみたいになってました。いや、思いがけず面白くてはまっています(^▽^)/
2024.10.09
若い時に札幌のとある繁華街のラーメン屋さんでアルバイトをしていました。もうそのラーメン屋さんはありません。観光客の方なども多く来てくれていました。何が驚いたって水がおいしい!とよく言われていました。今まで体験したことのない夜の世界に様々遭遇しました。ラーメン屋の入っていたビルの上の階にショーパブのようなゲイバーのような感じのお店が入っていました。夕方になるとショーの練習をしている人から出前の注文が入ります。6人前くらいのラーメンやチャーハンなどを上の階まで運び、暗く広いホールみたいな場所に持っていきます。まだ化粧なや衣装など身に着けていないお兄さんたちが低い声で「あ〃~そこに置いておいてぇ~」と声をかけてくれるのです。お客さんとしては行ったことがありませんが、ショーの練習など綿密にしている様子を見ると一度ちゃんと見てみたいなぁと思っていました。時々お客さんを1階まで見送りされるのですが、ラーメン屋の前でみんなが揃って土下座のような姿勢で「ありがとうございましたぁぁぁ」と挨拶されます。丁度ラーメン屋にお尻を向けるのですが超ミニスカートで「え???パンツ履いてない???」と吹き出しそうになりました。そこは気になっていましたが、何度出前に行っても聞くことは無かったです。他にも中国系のスナックの出前に行くと「ウチで働かない?」とスカウトされたり仲良くしていた高齢のビルの管理人さんに誘われて韓国スナックでごちそうになったりした翌週、管理人さんが窃盗で捕まったり。あのごちそうになったお金の出どころは…と複雑な気持ちになったり。ドライブをして遊覧船にたまたま乗ったら、同じビルのお花屋さんのお兄さんの不倫現場に遭遇したり。これは一部ですが面白い世界だなぁと思いながら楽しく働きました。
2024.10.04
精神障碍者グループホームでの冬のある日、Yさんが「網戸が動かないので動くようにしてほしい」と希望があり、デイケアへ行っている間に動かしてみるということで約束しました。Yさんの担当職員と一緒に入室し、窓のさんを少し掃除しkure556で動きがスムーズになるようセットしました。Yさんが帰館すると「あったはずのスリッパがない」と訴えがありました。私物には一切触っていなかったので、スリッパは触っていないことをお伝えしましたが納得せず。身元保証人の兄に電話してほしいとのこと。事務所に行き電話をしましょうと話すと後ろから付いて来ながら「どろぼーどろぼー」とずっと言われていました。お兄さんに電話し、受話器を渡し「どうぞ」とYさんに渡すと「違う、説明して」と怒っています。お兄さんに職員の私から説明し、本日部屋に入り網戸を直したこととスリッパがないとYさんが訴えていることを伝えました。お兄さんは「いや、すみません。探して無かったら買っていくと伝えてください」と話されておりそれをYさんに伝えました。その場では特に訴え無く電話は終わったのですが、電話を切ると「警察に行く」とのこと。「わかりました、一緒に行きましょう」と私は上着を手に玄関に向かうと、途端に「明日デイケアがあるからいけません」と焦っている様子に変化しました。「じゃぁ行かなくていいんですね?」と確認すると「はい...」と歯切れ悪く部屋に戻っていかれました。その後、宿直者が外を夜間の巡回するとYさんの窓の下にスリッパが落ちていたそうです。そのスリッパは回収しました。翌朝見たら無くなっていることに気づくでしょうと思っていましたが、全く申し出はありませんでした。何かデイケアで嫌なことがあったのかもしれませんし、職員に訴えたかったのかもしれません。困らせたかったのかな?警察に行くことになりそうで想定外だったのかな?その後のYさんは平常通りで翌朝も普通にデイケアへ出発しました。主治医には報告済みですが何があったのかは不明でした。お兄さんにも改めて電話連絡しましたが、他のグループホームでもクレームのようなことをいうと職員が話をしましょうと優しくしてくれたりしたので期待したのかもしれないとのことでした。訴えることや感情を言葉にすることが難しいYさんでしたので、なるべく話しやすいように対応しましょうということで終わった事件でした。警察に行かなくて済んだYさんの安堵の表情が忘れられません。
2024.10.03
グループホームに無事入所し4年が過ぎました。90歳のお誕生日の日、日中お誕生日会が開かれお寿司を食べたり楽しい時間を過ごしたようでした。15:00頃私に電話がかかってきました。「Ⅿさんが腹痛で救急車を呼んだ」とのこと。私は何か合わないものを食べたかな?くらいに思っていました。救急搬送される病院がわかり、そこに急行しました。救急車が到着し、すぐに診断をうけ、検査に入りました。診断名は「急性虫垂炎(盲腸)」緊急手術になりました。90歳で大丈夫だろうかと心配でした。手術の説明などを受けると腹腔内の炎症がひどく破裂するかもしれないとのことでした。点滴をされ、眠った様子のⅯさんが手術に入ったのは夕方18:00くらいからでした。21:00頃だったと思いますが手術も終わりストレッチャーで病室に移りました。なぜか広い個室でトイレなどいろいろ完備された立派な部屋に入りました。移ったときにはまだ麻酔が効いて眠っていました。少し経つと目が覚めたようで看護師さんたちが声をかけたり、点滴の調整をしたりバタバタしていました。「ぎゃ!」「!!!?」麻酔でせん妄しているのか点滴等に繋がれたままⅯさんは急に暴れだし、1人の看護師さんの顎を蹴り上げました。「だいじょうぶですよー心配ないですからねー」と蹴られた看護師さんは声をかけてくれていましたが、大丈夫か心配なのは看護師さんの方です。そのまません妄状態からは落ち着いてきて、Ⅿさんに声をかけると「ん?」と今の自分の置かれている状況がわからないようでした。盲腸で手術をして無事終わりましたよと伝えると「ああ、そうかい」と一応返事はしてくれていました。その日はもう22:00をまわり遅かったのでこのまま眠ってもらい、明日また様子を見に来ることにしました。蹴られた看護師さんには平謝りして挨拶しましたが笑ってくれていました。本当に申し訳ない><明日は様子次第で一時的に身体拘束を受けるかもと他の看護師さんから説明があり、了承しました。翌日に病室に行くとやはり身体拘束されていました。安静がわからず動こうとする様子でした。90歳であの体力は尊敬にあたります。Ⅿさんすごいよ。
2024.10.01
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1066779/?utm_source=newsletter&utm_medium=mail&utm_campaign=2024092611「日本一マッチョが多い介護の会社」をうたう名古屋市の企業が今夏、北海道で初めての拠点となる障害者グループホームを札幌市南区に開設した。健康的な肉体美を競うフィットネスの実業団を持ち、メンバーになれば筋力トレーニングを「業務」とみなす。プロテイン代も支給するなど独自の社内制度が特徴だ。介護・福祉業界の人手不足が深刻化する中、ユニークな取り組みで注目を集めている。この企業は介護・福祉会社「ビジョナリー」(名古屋)。2009年から愛知県内で訪問介護事業を手がけ、現在は障害福祉サービスにも力を入れる。愛知県を拠点に、三重や広島など6県で、訪問介護や障害者グループホームなど計23事業所を運営している。 ここに7月初旬、札幌市南区の障害者グループホーム「ノイエ サッポロ」(定員20人)が加わった。職員は20~40代の男女7人で、看護師も常駐する。現在は障害のある男性4人が入居し、職員が身体介助や家事支援を行っている。すごいですねーこれは身体介護も苦労せずできるかもプロテイン代も出るなんて面白いです。
2024.09.29
ある高齢の女性Ⅿさんの保佐人をしたことがあります。85歳くらいで1人暮らし賃貸のアパートに住んでいました。身寄りは無く、社会福祉協議会の日常生活自立支援事業を利用していました。賃貸のアパートの家賃を滞納していた時期が長く、社会福祉協議会に相談が行ったようです。ちなみに日常生活自立支援事業とは日常的な生活支援サービス福祉サービスの情報提供や利用のお手伝い本人あてに送付される書類などの内容の確認 など金銭管理サービス公共料金などの支払い預金を金融機関で払い戻すなど、日常生活費の管理のお手伝い財産保全サービス年金証書、定期預金通帳など、普段使わない大切な書類等の銀行貸金庫での預かり等をしてくれます。(利用料金は1時間1200円ほど 通帳の確認や公共料金の支払いをしてくれていました)ヘルパーさんも週2回ほど主に買い物などで利用していました。Ⅿさんは仏教徒でお寺に仕えていたこともあったそうです。家には押し入れを改造した大きな祭壇がありました。私が家庭裁判所から選任を受けたときには認知症が進んでいるかもということで、施設を将来的に考えなくてはならなくなった時に必要な手続き等する人がいないと困るといったことからでした。Ⅿさんは普段は穏やかな人でしたが、だんだんに物忘れが多くなり、必要なものが無くなったり(大抵箪笥の引き出しにある)、お財布をスーパーに置き忘れたりが増えてきました。施設を考えなくてはならなくなった決定打はどんぶり型のカップラーメンを火にかけようとしていた所を目撃したとヘルパーさんから連絡があったことでした。Ⅿさんに説明し、1人暮らしはこの先危険なのでどこか職員がいて安全に暮らせる施設に入るようにしませんか?と説明し、最初は拒否していましたが何度か話をするうちに了解してくれました。まず認知症の程度の確認と診断書をとるため精神科にかかりました。その後はケアマネと相談し、認知症グループホーム探しをしました。探すと満室の施設ばかりでした。急ぐこともあったたためケアマネもあちこち無理を承知でお願いしてくれたりしました。2か月くらいでやっと市内で見つかり、見学に行くことになりました。Ⅿさんは意外と「あら綺麗なところねー」と気に入った様子でした。Ⅿさんは猫を2匹飼っていました。猫も高齢で病気をもっていました。施設には連れていくことができず、その猫の里親を探すことにもなりました。なかなか里親も決まらず困ったなーと思っていたところに、ケアマネが猫を飼っており「家にきてくれてもいいよ」と話してくれ、2匹とも里親になってくれてとっても助かりました。引っ越しの朝伺うと、ちょうど灯油が切れた様子でストーブを思い切り揺らし煙突部分が外れかけていました。もしこのまま灯油を入れ、一歩間違えば一酸化炭素中毒になっていたかもしれないと思うと施設が見つかって本当に良かったと思ったものです。Ⅿさんが施設に入ってからが大変でした。Ⅿさんのお世話になっていたお寺に行き事情を説明し、仏壇や仏具について相談しました。魂抜きの儀式をして、必要ないものは引き取ってくれるとのことでした。また、もしⅯさんが亡くなったらその後はお寺で供養してくれるという話もしてくれました。家についても管理人さんに分割で滞納分は定期的に支払うことで了解を得ました。家財道具一式はケアマネからの情報で必要なものだけよけて、後は全部廃棄処分してくれる業者にお願いしました。箪笥や食器棚やいらない服や食器等大量にありましたがきれいに持って行ってくれました。グループホームに持っていくものは、服や下着、旦那さんの写真や位牌、バッグや靴、タオル程度でした。必要なものは新しく都度購入するようにしました。身寄りのない高齢者が増えていく昨今、自分で判断できるときにいろいろ考えておく必要があるなーと思っています。いつまでも元気でいられるといいのですが、私もいつどうなるのかわからないので身軽にしておきたいなと思います。今は旦那とワンコと暮らしていますので、この暮らしを楽しみたいと思っています。
2024.09.27
福祉の仕事以外にもいろいろ経験したので時々その経験も書いてみようと思います。福祉系大学を卒業して就職した場所は法律事務所でした。福祉系はその頃暗くて重いイメージを勝手に膨らませていたので、就職活動も事務職で行いました。法律は詳しくありませんでしたが入ってから覚えて大丈夫とのことだったので新しいことにもチャレンジしてみたいという気持ちもありました。事務職でありながら、その頃はまだpcもそんなに触る機会も無くwindowsもありませんでした。富士通のpcで訴状や答弁書などを作成するのですが、一番最初に覚えたのは「hikoku 被告」でした。裁判所に毎日行き、確定したかどうかを裁判所の職員に聞きに行ったり作成した書類を提出したりをしていました。いろんな企業の弁護もしていたので毎日いろんな相談の人が来ていました。弁護士の先生が口頭で話すのでそれを聞きながら書類を作成してみたり、証拠の写真などをコピーしてまとめたり今までの世界では見たことも無い争いを見ることになりました。自動車事故などは悲惨な現場写真などもたくさんありました。その頃は弁護士のお世話にならない生活をしなきゃと思っていましたが、今は弁護士がいると助かるなーと思うことが多くあります。話しやすい先生が良いですね。以前お世話になった弁護士の先生はミスチルのライブに昨日行ったので声が枯れていてすみませんと笑って話してくれたりするので話しやすく安心感がありました。相談があるときはちょっと敷居が高いと思われがちですが気軽に相談しても大丈夫です。あちこちで曜日によって無料相談なども行っていますので聞きたいことがあれば出向いてもいいかなと思います。
2024.09.26
高齢者デイサービスで入浴介助をしました。1日6~7人の入浴の介助をすることが多く、誘導、着替え、洗身、見守りを汗だくで行った結果最初の1か月で5㎏痩せました。ダイエットに良いですよ^^
2024.09.25
知的障碍者のAさんが就労支援の事業所を利用していました。今までの経験として警備の仕事をしたり調理師免許を取ったりとしていましたが、仕事としては長くは勤められなかったようでした。職業選択をする段階で何ができるか迷いがありましたので適正を知るためにも職業評価を受けてみようと北海道障碍者職業センターに申し込みをしてみました。申し込みをすると面談の日程を決め職業評価の日時を決めて検査を受けるという流れでした。面談前に質問票のようなものがありその中の質問に答える作業がありました。私がいると助言をしてしまうため1人で記入をしてもらいました。書いたものを見せてもらうと、ほぼ短文で一言書いてあるだけでした。文章にして説明するなどの作業が苦手なんだろうと思います。ありのままを見て評価してもらうためそのまま提出しました。その後、書いたものについても含めた面談が始まりました。マイペースですが一生懸命に答えていました。後日、作業的なものの評価をするために改めて訪問しました。壊れているネジ?をピックアップして分けてくださいなどスピードや正確性など測定するものなどいくつか作業を行いました。なかなか普段見ている姿とは違い、仕事として行うときには必要なことで難しくなるであろう姿を実態として見ることになりました。今まで本人も適正に気づく機会もなかなか無く、できている気分になっていた部分も確認ミスにつながっていたことも発覚しました。客観的に評価がされるということは本人や支援者のものさしの一致ができるので良かったと感じました。その評価だけで決めることはありませんし、本人の職業選択の希望が一番です。それでもその選んだ就職先で伝え方の注意など助言をあらかじめ行うことができるので本人の就職の幅も広がるし就労中に辛くなることも少なくしていけるかなと思います。kさんは作業を一度覚えてしまえば細かなことでも継続できるという特性がありました。本人が考えている特性とは少し違っていましたが説明され「そうかな」と思ったそうです。その後就職活動をしたときに、食品会社で焼き鳥の串打ちなど丁寧にできたとのことです。ひとつの指標として活用するのも良いかなと感じた社会資源でした。
2024.09.24
高齢者の入院施設で付き添いの仕事をしていたときのことでした。まだ20代半ばで運動もしていたので体力には自信がありました。一緒に働いていた年配の方はコルセットのようなものを身に着けていましたが、私はそんなもの無くてもいいやーと思って働いていました。日中活動のためにずっとベッドのいる男性患者さんをベッドから車いすに移乗する場面になりました。毎日のことであったので、その時も「車いすに移動しますね」と声掛けをしながらベッドから身体を起こしベッドに腰かけをしてもらいました。靴を履いて移乗する車いすの手すりに手をかけ、身体を移動するのに私に体重をかけてもらい、その方の足を支点にして移動する体制に入りました。その方はいつも体重を預けてくれて私の動きにゆだねてくれていました。その日は何かいつもと違ったのかわかりませんが、移動しようと動き始めたときに自分で車いすに動こうと思ったらしく患者さんの力が先に車いすに動きました。とっさに「このままでは車いすにぶつかる」と思い、力の方向を変えたところ腰に負担がかかったのかグギッ!!!っと痛みというか衝撃が走りました。それでも患者さんに怪我などあると大変なのでなんとか移乗は成功させました。その後も何となく痛いなー帰ったらゆっくり休もうくらいに思っていました。帰ってからお風呂に浸かったりして確認し、眠ることにしました。翌朝、目が覚めて起き上がろうとしたときに動けません。右側の腰が異常に痛く起き上がることができず、どうしたらいいのか…とりあえず働いている病院に連絡を入れ状態を伝えました。こんなに体調が悪くなった記憶も無く、自分でもこんな状態になることに戸惑いがありました。整形に行き検査すると腰椎ヘルニアと言われました。右側の6番目?だったかな?神経に触っているらしいです。痛み止めの薬をもらい、リハビリの説明も聞き電気治療から始めると良いのではないかと言われました。コルセットの話もしたと思います。痛み止めは効いたり効かなかったり。座っているのも寝ているのも落ち着かなかったり、寝返りをうつのが大変だったり。生活がこんなに大変だったとは…と感じました。その後数日は良くならなく、仕事も休んでしまいました。電気をかけてもすぐには良くならないのでしばらくかかりました。少し遠い職場だったのでいつも乗っていたバスも怖かったですし、立ち上がるときにも痛みが走るのではないかと常に思って行動することになりそれだけでも疲れてしまいました。怪我や病気をすると普段の生活も本当に不自由になってしまうことが20代でわかりました。健康は大事ですよね。元気なときには大切さがわかっていませんでした。そして年をとると普通にしていても筋肉など落ちてきて五十肩などになってしまったりめんどくさい感じになります。今はYouTubeを見ながらエクササイズをしたり老化に少しでも抗うことができたらいいなとがんばってみています。身体を壊しても騙しだましで仕事をしている方も多いでしょう。すっきりした体調でいたいですよね。少しずつでも体を動かす気持ちを持ち続けられたら維持できるかなと思います。今回は身体に負担のかかる仕事をしている方などのあるあるのような話でした。
2024.09.23
福祉系大学を卒業してから7年くらい経った時は他業種の仕事をしていました。ある夜夢を見ました。全く忘れていると思っていたバイスティックの7原則が夢の中で出てきました。バイスティックの7原則①受容の原則②秘密保持の原則③個別化の原則④非審判的態度の原則⑤統制された情緒関与の原則⑥意図的な感情表出の原則⑦自己決定の原則という言葉が次々と夢の中に出てきました。大学でそれほど熱心に勉強していたわけではなかったので、そんな授業の内容はすっかり忘れており頭の中に残っているなどとは思ってもみませんでした。その時には今の仕事を続けるかどうしようかと考えていた時だったので、福祉の記憶が残っているということを改めて知った時、自分の専門分野として福祉の仕事を選ぶのは間違いではないのかもしれないという考えが頭をよぎりました。専門分野と言っても少し離れていた時期だったのでうまくできるか不安でしたが、自分の中に意識としてなくても無意識では残っているのであればやってみようかという方向に考えが変化しました。改めて思ったことは、自分がやってきた勉強や経験は自分の中に残っているものだなーということでした。これからも自分の経験には自信を持っても良いかもしれないと、あの日の夢体験がその後の大きな自分の選択を決意する一端になっています。
2024.09.22
もう4年前くらいのことですが精神障碍者のグループホームにいたときに、就労支援事業所の出発前に利用者さんのkさんから相談したいことがあるとのことで面談をしました。初めはアマゾンの利用料が滞っているため連絡が欲しいとショートメールが来たとのことでした。そしてそこに連絡をすると調べてみますねと言われ個人情報を答えたそうです。すると、もう他の集金する機関に情報が移管されたのでそちらに連絡をしてみますからお待ちくださいと言われ待っていたそうです。数分後にその移管した集金業者から延滞しているため料金が発生しますとのことで15万円分の支払いをしてくださいと言われwebmoneyのプリペイドカードを近くのコンビニで購入して連絡をくださいということで購入しカードの情報も教えたそうです。その数日後また電話がかかってきて、あるサイトの分が未収金だったとさらに23万円分の請求をされ違うコンビニに行ってくださいと言われまた購入しカードの情報を教えたそうです。そこでまた請求されても困るし、断れないし、住んでいるところも最初に伝えているので来たら困るので相談しましたと報告がありました。その時はkさんは金銭の自己管理の練習をしており、自分で1か月どのくらいの金額で食費や光熱費を使用できるかを練習し、生活保護課の職員さんに節約しすぎて体を壊したりしないようにと助言を受けたり、職員と下着や洋服や消耗品等生活に必要な買い物を一緒に行ったりして安定してきたところでした。グループホームから出て1人暮らしをするシュミレーションに取り組んでいました。いろんな人が入れ替わり立ち代わり電話をしてきて相談に乗ってくれるような素振りを見せたり、事務的な対応をされて何も言えなくなったりしてしまったと話していました。よく聞くとアマゾンは利用していなかったそうです。午後から最寄りの交番に行き事の次第を説明しました。そして帰宅すると管轄の警察署からサイバー担当が聞き取りしたいとのことでまた出向き説明をしました。相手はもっとエスカレートしていろんな番号で電話が来るかもしれないので携帯は変えた方が良いとアドバイスされました。犯人が見つかれば全額ではないが取り戻せるかもしれないが期待は薄いと説明されました。kさんは非常に落ち込んでいましたが、もう支払わなくて良いし取り立てにも来ないことがわかり安心していました。もし怪しい人が訪ねて来るようであれば職員が常にいるので対応することで落ち着きました。警察への相談が終わり、職員でwebmoneyのサイトへプリペイドカードの残金はあるか問い合わせました。数日経って回答が来ましたが、全く残金は無いようで、すべて詐欺集団に渡ってしまったようです。また詐欺集団のアカウントの特定もできませんでした。毎日のようにいろんなことが起きるグループホームの勤務でしたが、このような事件に遭遇するのは初めてでした。一生懸命に生活のことに向き合い自分の病気も安定させ取り組んでいた最中に、心にも金銭的にも傷をつけるなど本当に腹立たしい事件です。それでもまだ1人暮らしをする前で良かったかもしれません。社会に出てからどうにもならなく1人で抱えて苦しい想いをするよりは対処の仕方など職員と共にできたことはまだ良かったかなと思います。この先もこのような詐欺に合わないようにと切に願っています。
2024.09.21
サービス提供責任者サービス管理責任者居宅介護支援事業所就労移行支援事業所就労継続支援事業所社会福祉士社会福祉主事ソーシャルワーカー生活相談員生活支援員んー。。。福祉用語辞典というものがあるようですが、日常で使うので調べている暇はなかなかないですね。高齢者と障碍者の福祉関連が混じっていますが難しい文書などに書かれているとわかりづらいこともたくさんあります。医療関係の方とお話するとさらに混乱するような言葉がたくさん飛び交います。利用者さんやご家族にお話しするときには、わかりやすいように説明なども行いますので自分でわかっていないとわかりやすくお話できないです。自分では特に意識せずに話している言葉でも普段使い慣れていない人には伝わらず、混乱させてしまうので意識的に注意をしていました。説明を受けている場面でわからない時には質問してみるのが一番だと思います。わかって当然と思って話をしている福祉関係者がいますので尋ねてみてください。
2024.09.20
介護保険が始まったのは2000年なんですね。私が介護保険に初めてかかわったのは介護保険が開始されてから1年たった4月でした。今のように請求も紙媒体に手書きだったり打ち込んでフロッピーディスクを郵送したり毎月1日から10日までは、まぁ請求は大変な作業でした。ヘルパー事業所だったため、家事援助か生活介護か混合なのか、時間はおかしくないかのチェックをしながら打ち込みをしていました。コピペなどもできない仕様で1つ1つのコマを手入力でした。居宅との照合で変更があった場合ケアマネに報告し、お互いが変更することになっているんですがどちらかが変更されていない場合差戻しされ次月に再請求するという持越しが発生してしまうため連絡確認が非常に重要になってきます。私の打ち込みで照合が取れない場合、主任ヘルパーさんに記録などを確認しヘルパーさんにも思い出してもらったり、ケアマネにも確認しやり直しをすることも多くありました。今のように請求もオンラインで再請求や返戻なども簡単になったようですが、再請求の場合は通常請求のフロッピーと別に作成するなど行い郵送もしくは国保連の窓口に18:00までに提出するということが行われていました。うまく打ち込みがフロッピーに入らないときは紙で窓口に持って行った記憶もあります。あれは国保連の職員さんも大変だったろうなと思います。土日も関係なくGWや年末年始も関係なくヘルパーさんは活動しているので、私も請求業務をしながらヘルパーさんとお正月を迎えたこともありました。ヘルパーさんも楽しい人が多く優しい人が多かったと思います。コミュニケーション能力が素晴らしいと感じていました。差し入れなどしてくれることもありました。真面目で配慮ができるヘルパーさんがたくさんいて難しい利用者さんにも受け入れられることが多く、すごいなーと思っていました。利用者さんの家まで移動し、そのお宅でのもので食事を作ったり買い物に行ったり、洗濯掃除、入浴介助など1人で判断したり利用者さんと相談したり好みを聞いたりしています。それを既定の時間内に行って終わりに印鑑をいただいて帰るという流れでしたが、その時間の中で生活の中で困っていることへのサービスを提供でき、また違う利用者さんの家に訪問するという動きができることが本当に尊敬しています。いろいろシステムは変更され少しずつ便利や簡単になっているようですが、こんな時代もありましたという話でした。
2024.09.19
私が働いていた高齢者のデイサービスのことです。一緒に働いていた人は知的障碍を持った人が2名と精神障碍を持った人が1名、身体障碍を持った人が1人でした。軽度の知的障碍を持ったAくんは運転できて送迎をしていました。軽度の知的障碍を持ったBさんは介護で入浴介助や食事介助などしていました。精神障碍を持った看護師さんはリハビリなど行っていました。身体障碍を持った人は車いすに常に乗っており管理者でした。他は私と食事を作る女性と介護未経験なハーフの男性でした。利用者さんに対してみなさん丁寧で特に問題なく毎日業務をすることができていました。難しい手続きの書類など利用者さんが持参してきたときは理解がむずかしかった時もありましたが、特に平常の時間を過ごすときには問題なかったです。私が入職した当初は大丈夫なのか心配もたくさんありましたが、彼らの動きや丁寧さを見たときに考えが変わりました。彼らも初めはうまくいかずに何度も怒られたりしたそうです。けれど経験する時間さえあればこんなにもスムーズに動くことができるんだと驚いた記憶があります。運転も通常のルートを覚えてしまえば特に問題なく、新しい利用者さんが増えたときには何度も車で下見をしたり時間を見たり準備が半端なかったです。介助が必要な利用者さんにも丁寧に声掛けして誘導したり、一緒に確認をしたりして安全を確保しながら業務にあたっており私が教えてもらったことも多くありました。足が不自由な管理者は手で操作できる車を運転していました。車に乗り込むときや降りるときなどに補助は必要でしたが自分でいろんなことができる自由な人でした。仕事が終わってみんなでお酒を飲んで食事に行ったり、楽しく仕事もできました。いろんな職場がありますけど、本当に毎日可能性しか感じないおもしろい職場でした。もちろん適正もありますし計画から実行する段取りなどが難しい面もありましたが、こうやって周る職場もあると知れたことが、私のその後の就労支援の業務の自信に結び付いたのだと思います。
2024.09.18
北海道中がブラックアウトの経験など無く一体どうしたものかと手探りでした。職員の家は高層階に住んでおり階段で往復して大変だと連絡がありました。また、非常口が停電で開かなくなっており外に出ることができないという報告もありました。病院の先生には電動のシャッターが開かずに車に乗れないという人もいたそうです。水も止まっている地域もあり、近くに来たトラック?で水をもらい運んでいるという職員もいました。グループホームの形態がアパートタイプであったため自分である程度の食糧は備蓄している人も多く助かりましたが、冷蔵庫とIHが使えないため調理は難しかったです。ガスが使える就労支援のところで作ってくれた唐揚げや野菜炒め、ごはんをいただき協力してもらえました。昼は何とかできそうでしたが夜はどうなるのかを考えることになりました。1人1人懐中電灯で過ごしてもらうことになります。アパートの階段はランタンなどで照らすことにしました。近くのスーパーでは店の前でパンを売っていると近所の人に教えていただき、入居者の人に声をかけて行き並んで2個ずつ購入できました。夜の食事はデイケアで食べてくる人もいたので、昼に購入したパンや就労支援からもらったもので何とかできそうでした。午後からの職員が2名来ることができたので引継ぎし、宿直者が来れないかもしれないため私が一旦帰ってから再度来る予定にしました。入居している人は思ったよりもずっと落ち着いており、普段そわそわして落ち着かない人が近所のお店情報を聞いてきてくれたりしながら静かに過ごしてくれていました。コンビニは照明なども点かない中で開けてくれたり、近くの蕎麦屋ではガスで作れるのでお店を開けてくれたりしていました。パチンコ屋さんは店の前に景品なのか菓子パンやお菓子など道行く人に配ってくれたり、多くの人ができることを協力をして過ごしていた1日でした。家に帰り車の中でカーナビについているテレビで情報を取ったりしていました。少し経つと我が家は17:30頃に電気が復旧しました。宿直者も車で来ることができるとのことで明日の朝に出勤することで良くなりましたが、グループホームは変わらず停電のままだと報告がありました。その夜はみんなの朝ごはんを何とかしたいと思い、18人に2個ずつあたるようにおにぎりを作りました。おかずも家にあるもので作り全員に行きわたるように、ソーセージを焼いたり卵焼きを作ったりして過ごしました。地震2日目はあちこちの信号は復旧しているところも多く、車で出勤することができました。地震の翌日になってもグループホームは停電が復旧していませんでした。おにぎりとおかずとお茶で朝ごはんをとってもらい、体調も崩している人もいないと確認をとることができ一安心でした。地下鉄やスーパーは2日目も動かず、コンビニにも食品はほとんど無くテレビも見れず過ごしました。近所の方がガスが使えるから困っていたら言ってねと声をかけてくださりありがたかったです。他のグループホームから大きな炊飯器に入ったごはんや、ガスで温めたものが届いたりしながら食事は何とかできましたがシャワーと冷蔵庫が使えなかったのが困ったことでした。2日目はデイケアも無く、入居者のみなさんは部屋で過ごすか街の様子を見に行ったり、集会室で話をしたりするくらいでした。入居者のみなさんはゆっくり過ごすことには特に問題なく焦ったりすることなく時間を使っていました。職員のほうが焦っていたような気がします。夜は非常食をカセットコンロで温めたりしながら食べてもらうかなーと出勤している職員1名と相談しながら昼を過ごしていると1つ道路をはさんだ地区では電気が点いたと報告があり、もう少しで平常に戻る…と安心していました。もう少しと思うと「まだかまだか」という気持ちになるのか少しグループホーム内がザワザワしてきました。その日夕方6時くらいに電気が復旧しました。翌日から通常通りになりましたが、地下鉄やスーパーは翌日も通常通りには戻っていませんでした。地震でブラックアウトになった前例がなく北海道中が驚いた数日でした。それでも1~2日で復旧してくれてよかったです。電気があることにありがたさをみんなが感じた期間でした。
2024.09.17
2018年9月6日夜中3:07北海道胆振東部地震がありました。最大震度7という大きな揺れがあり、私は家で寝ていたときに起きました。少し時間が経ったとき3:30に突然停電になりました。まだ夜中だったため真っ暗になり、我が家だけかと思い周囲の建物を窓から見るとすべてが真っ暗でした。テレビの情報もとれず携帯だけの情報で動くことになり、とりあえず家の様子を確認した後、着替えをして歯を磨いて職場に出発しました。精神障碍者のグループホームの管理者をしていたので入居者の方たちが心配で早く行った方がよいだろうと判断しました。4:30過ぎでしたので少しずつは明るくなってくるはずでしたが、まだ薄ら明るい様子でした。信号も止まっているので車を使うのはやめました。歩いて45分くらいで職場には着く予定でした。歩いていると警察が道におり、よくみると自動車がひっくり返っていました。途中のコンビニでは電気が止まっているので、真っ暗な中でたくさんの人が並んでいました。朝の食事はどうなるか、今日のディケアはどうなるか等考えながら歩き、日が昇り始めたので危ない目にも合わずに職場に着くことができました。グループホームは9:00まで宿直さんがいてくれたのでパニックにはなっていませんでした。喫煙室にいる入居者の方たちは電気が使えないし朝食が困るという人もおり、今日はどうなるのかなど心配があり3時過ぎから眠れない人も多くいました。固定の電話も使えず、自分の携帯で連絡するしかないということが確認できたり、地下鉄は動かないということもわかりました。6:00になったらコンビニへ行きましょうということにしましたが、行きたいという希望者や体調や不安などの確認などにも時間はかかりましたが思ったより落ち着いていたような印象でした。結局3人を連れて6:00に出発すると信号のない交差点を渡ったり危険がありました。コンビニも人があふれておりましたが、セコマさんは手作業で会計の計算をしてくれたりありがたかったです。パンなどの簡単に食べれそうなものはすでに売り切れており、1名は蕎麦があったと購入し、あと2名はお菓子などを買っていました。グループホームはIHでしたのでお湯も沸かすことができずカップラーメンは無理でした。トータル1時間くらい買い物にかかりました。デイケアは行うとのことでバスは通常通りに来ることになりました。地下鉄は動かないので就労支援の人は行けないことになりグループホームに残ることになりました。他の職員も来ることができないということでとりあえず私1人でなんとかすることになりました。いつもの騒がしいpcや電話やコピー機の音も無く、静かな中で手書きの記録を書きながら過ごし、これからどうなるんだろうと思うしかありませんでした。
2024.09.16
東日本大震災の時には福島からの避難者の支援に関わったこともありました。避難者からの相談に対応する拠点の開設と運営、専門機関の紹介などチームを作り週に1度ミーティングを行い「この家族が求めている家財道具をどうするか」「このような不便な点がある」「新しく入ってきたいという希望者がこのような方でどのチームが担当するか」など話し合いをしてきました。多くの人が県外に避難を選択せざるを得ない環境であったこともとても理解できました。残してきた物や人に対して常に後ろ髪を引かれていたように思えました。新しい環境で不安もたくさん抱えて過ごすことがあったり、手続きなどに追われたり、将来どうなっていくのかという先の見えない中での生活になりました。住む場所も市営住宅や空きのある建物を提供され、生活に必要なものも無い中で不安を抱えていました。病気の人や病院に通院していた方たちも中には多くいました。薬も足りなくなるかもしれない、病気が悪化するかもしれないという心配もありましたし、合う病院かどうかという不安も抱えていらっしゃいました。お子さんと避難した方は学校の手続き、ご自分の仕事探しなど全く今までと違う生活を考えなくてはいけない状況になりました。様々な不安を少しずつでも解決し、安心した生活を取り戻すことができるよう支援をすることは誰も経験をしてこない中で手探りで行うことが多かったと思います。全国で様々な取り組みが行われたと思います。私は4人のチームで入居後の戸別訪問で足りていないものや困ったことなどの聞き取りやこの地域のお店や活用できる社会資源などお伝えするなどの活動に参加しました。支援活動をする人もボランティアだったので自分の仕事を持ちながらの参加でした。本当に熱心で心の熱い支援者が多く、それでも冷静に一番良い選択ができるようにと温かい気持ちの方が参加していたように感じました。私はその時に社会福祉士会の理事をしていましたので、社会福祉士会の報告会でその様子などを紹介しお伝えできたかと思います。最近も地震大国の日本であちこち大きな揺れがあったりしていますが、本当にお互いが協力しあいながら乗り越えていけたらと思います。自分の生活してきた場所を余儀なく奪われ、離れなくてはならないという痛みや大切な思い出のつまった環境が無くなってしまうことの虚無感など支援していく中で本当に考えさせられた期間でした。私の知り合いにも重機の免許を取り、被災地に出向くボランティアをしている方がいますが、いつも迅速で冷静です。職場にも都合をつけてもらったりして少し休みをもらったり他県のボランティア団体とすぐに連絡を取り募集時期はいつくらいから開始されそうかなど熱いです。その熱量にはいつも心を動かされます。私も何かできるかなと考えさせられる貴重な存在でありがたく思っています。
2024.09.14
2011年3月11日に東日本大震災がありました。その時は精神病院でカラオケ大会の代表を選出するというレクレーションをしていました。今までにない大きな揺れを感じ、病院の3階にいましたが窓もガタガタ大きな音が出るほどで、患者さんもしゃがんだりして揺れがおさまるのを待ちました。その後も余震は少しありましたが、落ち着こうと努力していました。報道で宮城県北部の栗原市で最大震度7の揺れがあったことを知りました。津波の高さは、福島県相馬では9.3m 以上、岩手県宮古で8.5m 以上、大船渡で8.0m以上、宮城県石巻市鮎川で7.6m以上あったと知りました。気になるため患者さんたちはテレビで何度も津波の映像や被災した場所の映像を見てしまい、不安に襲われ落ち着かなくなる方も多数いました。なるべくテレビは被災映像ではないものを選ぶようにしていましたが、不安はしばらく続きました。1人暮らしをしている患者さんたちは気になってどうしても見てしまう、不安になる 恐怖感がぬぐえないという訴えしてくる人も多くいました。自分の母親が宮城県にいるがどうしているのか連絡が取れないという1人暮らしの患者さんがいました。安否がわからず不安になり何度も連絡をとろうと電話し続け、それでも電話がつながらないと頭の中が悪い方に支配されてしまった様子でした。翌日その方はカッターで自身の体に傷をつけ亡くなってしまいました。母親は避難できており連絡はのちにとれるようになっていたそうです。私たちもできることは配慮してきたつもりでしたが、一番不安に思っていることをすぐに取り除くことができずに本当に残念なことが起きてしまいました。災害時の心のケアは本当に難しいものでありますが、繰り返してはいけないと深く感じています。普段からもコミュニケーションをより取るために、安心感を持てる生活を作るためには何ができただろうと考えさせられる一件になりました。
2024.09.13
1993年平成5年7月の夜間 ほぼ寝たきりの高齢者の病室で付き添いの業務をしていた時に北海道南西沖地震がありました。昔は介護福祉士などの専門の人がおらず、入院中の方が直接雇う感じでした。昼には4人の付き添いさんで2つの病室を見ており、夜間は1人でその病室の床に布団を敷いて仮眠をしながら見ていました。私はちょうどその日、泊りの当番に当たっていました。その夜も時間で体位交換やおむつ交換等を行い、仮眠を取ろうと横になっていました。奥尻島では震度6だったようで、私が働いている地区も結構揺れました。寝たきりの高齢者さんたちはほぼ話はいつもできないのですが、その時は「長いぞ長いぞ」と1人の高齢者の男性が小さい声で話されました。また、みなさん様々な点滴が付いており管がそれぞれつながっていたので、大きな揺れのせいで点滴の袋が右に左に動いて押さえるのが大変でした。高齢者8人を見ていたわけですが、これ避難するときどうするんだろうと。暗い病室の中でポツンと立ちながら、会話する相手もおらず頭の中では患者さんを背負えるだろうかなどとグルグルと想像を巡らせて過ごす夜でした。看護師さんたちも少ない人数であちこち状態を確認したり落ち着かない日になりました。その後は余震も特に無く無事に過ごせたのでよかったですが、あの夜は心配で眠れずにウロウロしてしまいました。患者さんたちはすぐにまた寝ていましたので安心しました。若い頃の出来事だったのですが、すごくよく覚えています。地震は怖くなかったですが、点滴があんなにブンブン振れるのがとても怖かったです。
2024.09.12
福祉の仕事をやってきました。今は福祉から離れましたけど、高齢者や障碍者の施設や病院に勤めてきました。ご本人様もそうですがご家族様たちの苦労もたくさんみてきました。そんな仕事を通じてわかったことや出来事など少しずつ書けたらと思います。昔も今も福祉職は安い賃金で、非常にメンタルにくる仕事です。流れ作業でできない、その日の利用者さんの状態によっては全くいつもと違う仕事になっています。まず思った通りにはいかないことが多い仕事でした。利用者さんによって個別に、しかも平等にという判断や同じようにしていても希望されている度合いによって不満に思わせてしまうことも多くありました。私は人間観察も好きなので、よく言動や動きをみていることも多く、興味深く人と接することができたように思います。楽しいのは利用者さんのことを少し知れた時に嬉しくなります。人間関係と同じです。私が一貫性を持たないと信頼もされないですしね。「試される人間力」という感じでお仕事していたなと思います。仕事を辞めた今も福祉や医療でお仕事をしている方たちに感謝しています。もちろん差別や虐待などしていない場合ですが。最初の福祉の仕事は精神病院の介護職でした。辞めたのは精神障碍者のグループホームの管理者の時でした。その間には高齢者の療養病棟やデイサービス重度心身障害者のデイサービス障碍者の就労支援や生活介護、訪問看護等福祉にもいろいろな幅があるなーと思います。私もこれから年をとってきたら、いろんなサービスを利用するのかな?めんどくさい利用者になりたくないなー、でも自分らしく年を重ねていけるようになりたいなと思っています。いろんなエピソードなども交えて書いていきたいと思います。見ていただけると嬉しいです。
2024.09.11
今日はひな祭りですねーひなさんもひな祭りしましたよ(^▽^)/小さいロールケーキでお祝いです。今日は楽しいヒナまつり(^^♪
2024.03.03
3月になりましたねー今日は雪模様。散歩も早く帰りたい病発動中。小学生のお兄ちゃんを見つけて珍しくちょっと吠えちゃった。早く帰ろうアピールが強い日でした。
2024.03.01
今日ものんびり生活を継続中。朝起きて ご飯を食べて歯磨きガムを食してトイレに行って寝る。日向ぼっこして倒れて寝る。母ちゃんの納豆を少し食べて寝る。少しボールで遊んでシマエナガクッションにマウントとって寝る。16時になったらご飯の催促をして食べて寝る。現在進行形で寝る。今に至る。
2024.02.29
本当にお久しぶりなブログです。ここに書いてきたことを久しぶりに見てみました。本当に幸せな日々がつづられていることを改めて感じました。2匹のチワワと共に生きてきたんだなと実感しました。現在はというと新たなワンコをお迎えして5年になります。2018年にネロちゃんが旅立ってその後にミックス犬の女の子をお迎えしました。女の子のワンコは初めてだったのですがこれまたやんちゃでエネルギーの塊でビックリの連続でした。壁はかじるし床ははがすしおもちゃは1日で壊すしいやいや 今までの2匹は大人しい犬だったのかと痛感。5年たつとそれも無くなりましたがいまだに玩具は1日で破壊します(つд⊂)エーン名前はひなです。また彼女について等書いていきたいと思います。よろしくお願いします。
2024.02.28
お久しぶりです。ここでトラとネロのことを書いていたなーと思いだし、懐かしい思い出を読み返していました。ネロは8月9日にリンパ管拡張症と心臓疾患で旅立っていきました。最後まで愛想を振りまき、あっという間に眠りについてしまいました。最後の日はポカリを薄めたものをストローで飲ませるくらいでしたが、亡くなる直前までゴクゴク飲んでくれました。夜中の2:00頃すーっとため息をつくように永い眠りにつきました。いろんな人たちに愛していただき、ありがとうございました。そしてネロ、最後まで本当にありがとう!またどこかで会えることを祈っています。
2018.08.21
僕はネロです。トラ兄ちゃんは突然でしたが亡くなってしまいました。たぶん心臓の発作だと病院で診断されました。僕も今、病気と闘っています。僕の病気はリンパ管拡張症なんだって。嘔吐と下痢が続いて困ったなって思ってたところに病院に行って腸管から細胞を取ってもらって診断されたんだ。ALBが極端に減ってしまうんだ。今は免疫系の薬とステロイドでがんばってるよ。治療してからもう1年半かな。数値の上がり下がりはしているけど、獣医の先生たちもがんばってくれてるよ。僕は家で走ってるから大丈夫^^dまた、たまにだけどここにくるね♪みんなも元気でね^^
2014.11.10
金曜日は優勝祝賀会に旦那が参加。(撮影旦那)その後も武田久選手と2ショットでうらやましすぎ。。。その写真は公開しませんけど。土曜日はファン感謝デーで札幌ドームへ朝、雪が積もっていたのに大量の人にビックリしました。すごい熱気で外との温度差を感じました。通路にはブンブンちゃんがゆっくりと歩行していました。その他にもほしのゆめとかきらら397とか道産米軍団が歩いていました。武田久選手に接近その後旦那と探検してB・B君に遭遇しました。超密着して撮影しました。温かいB・B君。今日の優勝パレードでは、旦那はバリケードになっていました。その後は紙吹雪拾い要員でした。お疲れ様^^
2009.11.22
またまた、トラどもを置いて札幌ドームへ!今日は勝利してほしいと願いながら2回に逆転される。。。打たれている中でBB君が近寄ってくる。5回にもチャンスがありながら応援のボルテージがあがるが・・・点が入らず。7回にも点を入れられ観客もあきらめムードが漂う。8回に点が入り、またも盛り上がりを見せる。暴投!?なんかいい感じに自滅してくれた^^後ろの席の女性グループは完璧な応援を見せてくれる。その応援に便乗し、のりのりになってくる。かっとばせぇ~!!9回表に点が入れられ、あ~。。。周囲の人達が帰り始める。以前来た時も、十二回裏に逆転したのだから最後まで見ないとわからないのにねと旦那と話をする・・・と?みんなのジャンプ後に稲葉選手が粘りを見せながら打つ!きゃあスレッジ打つ伸びる伸びる~ぎゃあああああああああ!大逆転!!!最高!!周りの人達とハイタッチいやあ。もう声がでないくらい叫びながらぎゃああああああと叫ぶスレッジのお立ち台は周囲の人の動きと私の興奮が醒めず、手ぶれ状態ですあー気持ちいい1勝です。明日は家で応援しますね。
2009.10.21
我が家のちわわ達相変わらずのでかさを保っていますこんなおとなしそうな様子もあれば人の枕を独り占めのことも。。。トラは現在9キロのちわわとなりました。また増えていますネロは6.5キロで増えてはいませんがなんとなく背中のたるみがトラよりもあるような感じ。なぜトラだけ増えていくのだろうか?
2009.10.10
今日はロッテとの3日目。ちょっと雨模様今日もユニフォーム付きチケットなので交換所に行くと日ハムの旦那の知り合いがいてこのユニフォームが1番値段が高いですよと勧めてくれたものが、これひちょりの背番号入りユニフォーム 9240円旦那はCB君のユニフォームお得気分を味わいながらまだ、試合開始に2時間くらいあるので早めにお昼ごはん♪昨日目を付けていた美唄やきとりと室蘭やきとり!本当はジンギスカンも食べようかと思ったけどさすがに肉々しいので止めました。その後、昨日のアウトレットくじに未練があり今日こそは!!と参戦。本日の戦利品は稲葉バンドとミニミニ野球ボールと建山のTシャツ!!やった。昨日よりずっと良いこれで未練はないわ。そんなこんなで試合が開始され本日、ピッチャーダルビッシュ!!1回2回と日ハムが点数を入れダルビッシュも点を取られずこのままか!?勝てるのか8回に1点取られ、これは。。。と怪しい雰囲気の中小谷野のホームランやったー!と喜んでいる中、9回表ピッチャー武田久出た!!2日連続見られるなんて。それで、ビシッと決めて勝利。お立ち台はダルビッシュさすがです。連敗ストップです
2009.09.13
WE LOVE HOKKAIDOシリーズが昨日から始まっていて今日は千葉ロッテとの2戦目です。ユニフォーム付きのチケットを購入したのでちょっと早めに到着して商品と引き換えなのですがユニフォーム以外にもキャップやTシャツとも交換可能でした。旦那と2人でラベンダー色のユニフォームを選びました今日はいろんな道内のお店が出店していて美唄のたつみの焼き鳥やジンギスカン室蘭焼き鳥焼き蕎麦・・・その中でもアウトレットくじ引きというのがあってファイターズグッズを1回300円のくじで当てるという興味をそそるテントがありなんと小谷野選手のサイン入りバットがあたるかも!?1人で3回まで引けるらしく旦那と合わせて6回ひくことに・・・前に並ぶ小学生らしき兄弟のやりとりがおもしろくて思わずにやにやお兄ちゃん(推定3年生?)が1000円札握り締めてて弟(推定1年生?)が好き勝手なこと言ってる。バットがほしい。くじは1回なの?(兄ちゃんにパンチしながら)そのうち焼き鳥がおいしそう。ジュースもほしいとクジから興味がどんどんそれていくおもしろいなあ。それでクジ6回の結果はDVD1枚と筋肉マンとファイターズのコラボストラップ2個(かわいくない!!)ピンバッジ3個とバットは当たりませんでした~試合は今日も負け。。。みんながんばってたんだけどね。9回の表に武田久が登板してテンション上がりまくり明日も来る予定なので(え?)ダルビッシュを応援しようと思います。もう連敗ストップしましょう!!
2009.09.12
家のベランダから見えた花火!もうテンション上がっちゃったよ。んー画像だといまいち。。。
2009.08.09
積丹の帰りお気に入りの店へ立ち寄る。札幌ではありえない値段以前も安すぎて、お店の間違いかと思いそそくさと帰ってきましたが。。。正しい値段で、改めてびっくり。今回は旦那がばくだん丼(上)たしか1600円くらい。私が海鮮納豆定食??正式名称を忘れました。それがこれです。たしか1000円だったと思います。2人合わせても3000円しなかったと記憶しています。前にあった活〆あわび定食はなんと1000円でした。今回はおじさんに聞いてみるとあ、メニューになかったっけ?となんとのんびりな返答。注文の前に聞けばよかったと後悔しました。帰り道でさくらんぼ5箱1000円で買ってきました。甘くてジューシィでした
2009.08.01
ちょっと前ですが積丹にウニを食べにドライブ天気も良く、気持ちもすっきり!とにかく暑い。ウニを食べに来て毎年伺う「うに善屋」さんお膳で出てきたら夢中になってしまって写真を撮るのを忘れてしまった初めて食べた焼きウニ。コクがあって美味しい!!その後、「岬の湯しゃこたん」に行ってまったり♪露天風呂から漁船が見えたりしてってことは向こうからも見えてるよね。。。あんまり気にしていない皆様が暑いので外国のスパのようにそこらに座っていたりする。そこに巣をつくっている鳥が。。。ゆっくり深呼吸できたひと時でした。
2009.08.01
ひさしぶりのゆったりした休みです。先週までは仕事の行事があったり引越しの手伝いやら。。。給湯器の工事やらでなかなか休みらしい休みがなかった。今日は旦那とビリヤードに行ってきたよ。何年ぶりなんだろう。ちゃんと撞くことができるのか心配だったけど久しぶりに撞いたほうが調子が良いのは何故??やはり緊張感があったほうが良いのか?3時間パックの夕食付きで1300円!安く遊べるんだねえ。また行こう。
2009.03.28
今日届きました♪ゲキハナさんでクリスマスローズ福袋を購入しました。先週、宿泊した温泉旅館のロビーに置いてあり、きれいだなぁ・・・と思っていたので丁度良いところに見つけました。1鉢1鉢だと高いし、詳しくないので、どれを選んでよいのかわからないし。。。ここはお任せでっということで早速注文しました。ダークパープルは落ち着いた色でお気に入りです。ホワイトは可憐で、これも気に入ってます。ダブルと書いてある花はまだ蕾なのでどんな感じの花が咲くか楽しみです。
2009.02.04
明けましておめでとうございますってもう1月4日ですか。。。明日から仕事初めなのかあ。早いなあ。ということで今年の抱負はトラ ダイエット(ただ今8キロ)ネロ ダイエット(ただ今5.6キロ)とーちゃん ダイエット(ただ今??キロ え?もうすぐ3桁??)かーちゃん 貯金(貯金は順調に減り続けている)それぞれの目標に向けて初詣でお祈りしたしなんとかがんばりましょう。現在でも、もはやチワワとは呼べぬ生物。。。
2009.01.04
1980円送料込みとのことで普段北海道までの送料は1000円越えなのでそれだけでもお得感満載!!いつも撃沈の福袋ですが懲りずにまたも挑戦してみました。箱が届いて、受け取ったときの重さはびっくり 1枚目は落ち着いた茶色のキラキラアクセサリー付き薄手ニットでかわいいです。2枚目はグレーのニットアンサンブルで使い安そうです。 3枚目はオフホワイトのアンサンブルです。インのシャツは半袖ですが上着は厚手になっています。シンプルで気に入っています 4枚目は黒のラメの入った背中が開いているニットとこげ茶色キャミ(チューブトップにもなる)のセットです。 5枚目は薄いピンクのボレロ風ニットです。これは私好みではないけど。。。 6枚目はオフホワイトのボコボコ(キルティング?)カットソーです。厚みがあるのでこれから着られそうです。 7枚目は首がクシュクシュのカットソーです。これは着てみないと判りませんが首が苦しくないのかなあ?? 8枚目はシルクの入った濃いピンクのカーディガンです。少し薄手なのでコートの中にでも着れそうです。 私的には大満足でした!!
2008.12.21
動きの少ない本日の我が家族犬も動きが少ない。。。(犬の)いびきが聞こえてくる。何だかネロが突然大きくなったような??しかもまったく動かないよ。大丈夫ですかー!?
2008.02.03
母ちゃんの手作りフェルトカルガモなんですけど・・・これって食べられますか?これって遊べますか?そんなのよりオレと遊んでよ。
2008.02.02
オイラのお気に入りのミルクガムを食べるとき必ずお気に入りの「この場所」で食べるのさ。しかも、すぐには食べないのさ。大事に大事にして添い寝して、誰か近づいたら追い払って日向ぼっこしながら、余韻にひたるのさオレは即効食べる。いつでも。誰が来ても。幸せは早くつかまないと。。。場所だって選ばないのさ。どこでも、移動しても、ミルクガムとは一緒さ。
2007.12.09
雪ですか?そんなの関係ねー♪公園はいつ来ても楽しー!!でも帰ったら、ストーブ前を陣取ってました。
2007.12.05
うーん。。。また唸り声が。。。暗い中で今度は何??何故かぬいぐるみを集めだすネロ自分と同じ大きさのウリボウも運ぶトラは見てるだけー。でも気になる。。。一個よこせや。やだ!こっちもだめ!んん!?チャーンスゲットー!!やめれや!あ、すんませんでした。。。
2007.11.25
洗ったばかりのプーさんの掛け布団トラは潜りたい。ネロは乗っていたい。潜らせろ!(トラ)上らせろ!(ネロ)噛むぞ!(トラ)噛んでみろよ(ネロ)段々に幅寄せしていくネロ後ずさりするトラとうとうネロが占領しました。。。
2007.11.23
世の中3連休なのに車が無いので引きこもりになりそうオイラは散歩だから関係ねー。オイラも家イヌだから関係ねー。あったかい所でいいよ!
2007.11.22
外はこんな感じ。滑ります。。。風もちょっとあります。母ちゃんの車の調子が悪く、整備のため工場へ入院。しばらく車なし生活。夜は母ちゃんの寝床で何故か寄り添うほど接近。寒いから?
2007.11.21
全268件 (268件中 1-50件目)