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魂の還る場所
光闇の双姫-はな の ひめ-
周囲一面、…この世界のすべてが、光の園のようだった。
混濁する意識と、浮遊する感覚。
その中で、零れる。
---…ここは…どこ…?
それは、誰にも聞こえないはずであり、声にさえなっていないはずであった。
『ここは、この国の中心…』
しかし、確かに応えた、もう一つの声。
---…このクニの…チュウシン…?
言葉は届いても、その意味までも理解するには至らなかった。
何もかもが輪郭を滲ませ、鮮明な姿を捕えることができない。
---…あなたは…だれ?
威に満ちながら、圧力までは感じないその声は、どこかで聞いたような気がした。けれど、それが「何」で「誰」なのかは思い出せない。
『…私は、そなた等を守護する存在…』
---…ソナタラ…?…シュゴ…?
繰り返し、聞いた言葉を呟いても、何も思い出せはしない。あやふやな思考は、いまだ夢を見ているようなものしか与えてはくれなかった。
『…さぁ…もう少し眠るが良い。次に目覚めた時には、すべてに気付くことになろう…』
その言葉は呪文のように身体中を巡り、意識は揺らいで、今とは違う場所へと導いた。
時の波は静かに打ち寄せ、その目覚めを促した。
「…ん…」
頬に触れる優しさが、意識に触れて、笑うように通り過ぎていく。
ゆっくりと視界が開き、溢れてくる光が痛いほどに感じられた。
「…まぶし…っ」
その光から逃れたいと考えた時、ふっと陰に和(やわ)らいだ。
「…え…っ?」
はっきりと見た、手。
翳(かざ)された手に、驚きが隠せない。
「…どうして…?なに…これは…」
白く、幼さを残した小さな手。
改めて意識すれば、見えない鎖に繋がれたように、引かれる力を感じる。
今までは、どんな重みも感じずにいた。
この光も、この風も、どんな感覚も無かったのではなかったか?
何が起こったのか、首を傾げずにはいられない。自分の手を見つめ、頬に髪に触れ、腕や肩を確かめた。
その時。
「…目が覚めたのね…」
優しい声と気配とが近付いてくるのを感じ、思わず視界が動く。
漆黒の長髪に、慈愛を含んだ眼差しを見せ、たおやかな容姿をした女性がそこにいた。
「…あの…?」
寝台の上に上半身を起こした。
戸惑いに瞳を揺らすと、穏やかな微笑と共に透き通るほどに白い手が肩に触れた。
「私のことを忘れてしまったの、エスフィーナ?」
「…え…?」
胸に過った、安らぎのイメージ。
それは「闇」に通じていた。
「…あの…っ」
何かを言おうとした。けれどそれは、もう一人の人間が姿を見せたことで遮られる。
「失礼する、光の姫よ」
長い白銀(しろがね)の髪を後ろで束ね、剣を手にした男が現れた。
大きな姿態に強い意思を感じる目が、男を包む空気に、更に威を添えている。
「…あなたは…?」
男の声には、覚えがあった。けれど、いったい何者なのかは分からない。
小首を傾げるその姿はとても愛らしかったが、今の本人には自分がどんな容姿をしているのか、いまだ分かってはいない。
寝台の側まで近付くと、男は一瞬、纏(まと)う空気に孕(はら)ませた緊張を解(と)いた。
「私の名はエルグランテ。二人の姫を守護するために選ばれし存在(もの)」
そう言って、彼…エルグランテは跪いた。
「光の姫・エスフィーナ様、闇の姫・シャレーヌ様。二人を守るために」
「…あの…」
心細げに傍らに立つシャレーヌを見上げると、彼女は微笑みを浮かべながら見つめている。
自分が「エスフィーナ」と呼ばれる存在であること、
側にいるのが「シャレーヌ」であること、
そして、目の前の男が、「あの声」の持ち主であることは理解していた。
いま目覚めるよりも前、自分に語り掛けたのは、エルグランテだったのだということも分かっている。
けれど、肝心なことが、未だ彼女の中では欠落していた。
「どうして私…私達はこんな姿をしているの…?」
大きな瞳でエルグランテを見つめ、問い掛けた。
シャレーヌが僅かに移動し、寝台の縁に腰を下ろす。
それを待ってエルグランテは、再び硬質の空気を作り出した。
「…ここはアルテナ。人間の心の具現化した姿。
そして、そなた等二人も、人間の希望によってその姿を得、また期待によって私は守護騎士としてよばれた」
剣と魔法の存在する国・アルテナ。
ここで生を巡らす人々は、いつしか光と闇とを人称化させ、そうなることを望み願うようになった。
その力は長い歳月と強さによって、とうとう現実と化したのだ。
「光には活力を、闇には安らぎとを求めた。そなた等こさが、その証しだ。物質となり、姿・形を得ても尚、そなた等は象徴なのだ。
しかし、また、人間のためにその力を発揮する存在でもある」
一度そこで言葉を切ったエルグランテを、エスフィーナは見つめ続けている。
「私達は、何をすれば良いの?」
自分たちが人々の強い「想い」によってこの世界に生まれたということは分かった。けれど具体的になにをすることを望まれているのか。
「そなた等は光と闇を凝縮したもの。
光と闇とは、すべての理、根源であり、そのもの自体がすべてなのだ。
どちらかにその力が偏れば、何もかもが崩壊し、消滅する。
そなた等の使命とは、すなわち、光と闇双方の均衡を保つこと。
平和と安定、秩序とをもたらすことだ」
「…バランスを…?」
すべては光と闇に始まり、いつしかそこへ還る。
そのために最も重要なのは、均衡を保つことであった。一方が他の一方を凌ぎ、呑み込んでしまえば、無に帰(き)すだけとなってしまう。
それと同じに、このアルテナも消えて無くなる危険性を内包していた。
「…私達は、常にアルテナ全体のことを考え、人々の幸福を願わなければならないの」
傍らに座すシャレーヌが、優しい響きで後を続けた。
「私達に危害が及んだり、激しい動揺や精神的損傷が起こった場合この国にも影響を与えてしまうわ…」
寂しげな微笑を滲ませたシャレーヌを視界の端に捕えながら、エルグランテは強さを帯びた瞳と口調を向けた。
「そのために私が呼ばれ、二人を守護する存在となったのだ」
その瞬間、エルグランテの回りだけ、空気が揺れた。陽炎の如き揺らぎは、深く鮮やかな紫になり、次第に彼の身を包む鎧へと変化した。
「何者をも近付けぬほどの強さを持っている、として」
闘気を物質化させ更に鎧と変えてしまうほどの強さ…腕力に代表される「力」だけでなく、それに見合う精神力をも備える人物であることを、エスフィーナもシャレーヌも、充分感じていた。
やがて鎧は薄れてゆき、目の前から消え失せた。
「もちろん私は守護することが使命だが、守護騎士とはそれのみではない」
闘気を収めたエルグランテが、漸(ようや)くその表情に笑みを見せる。
その笑顔に、二人の姫は顔を見合わせ、自分達も笑顔を向けた。
「よろしくね、エルグランテ」
エスフィーナは愛らしく、シャレーヌはたおやかに。
光と闇、そのままに。
これが、『アルテナ』としての、この国の始まりである。
その将来にやがて訪れる崩壊の兆しも、その危機も、また、更に遠い彼方に出会う変化も何もかも、思い描く者は誰も居ず、予想することは叶わない。
すべては、光闇を司る双(ふた)りの姫にも、手の届かない未来である。
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