2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全2件 (2件中 1-2件目)
1
えーっと、質問が多いので少しだけつけつわえときますと、、知性を通すけれども『観つづける』ってのは知性の動きをとらえつづけながら、さばかない(知性の動きを善悪に分類しない)かつ意味づけにとらわれない(判断してしまわない、わかったと思いこまない)ということです。もう少し、進めば少し変化する可能性もありますが、とりあえずこれが最低条件。考えないは観ないに等しいので、ちょっと違う。数十年生きてきた過程で知性的活動につけてしまった、強力な方向性を解くことを目的としているものです。これができないと、上の層のエネルギーはほぼ使えない。一瞬つかっているように見えるものもあるんですが、ほとんどが知性層のエネルギーもしくは肉体層のエネルギーですね。知性層のエネルギーをたくさんつかっているものの代表は『願い』です。いわゆる神社とかでもそうですし、妄想的なものもそうですが、思い込みの力です。強力ですね。びっくりするくらい。しかも、物や空間に固着します。(敏感な人はとりつかれたりするので注意しましょう)どのくらい強力かっていうとそれだけで生きていけるくらい強力です。頼りたくなるのも十分理解できます。こういったものの特徴は、自己完結しないことです。自己の内的な活動でおさまっていてくれると無害なのですが、大体、他人にも同じような思い込みを強制してきます。これをなぜ、推し進めようとする人が多いのか?はよくわかります。小さなものも、たくさん集まるとすごいことになるからです。自己実現の一環なので、その人だけをみていると一見よさそうに見えるんですが、大枠でとらえてみると大いなる災いになることが多いように思います。いわゆるエゴの塊ですから、、そんなものが大きくなっても、、。別に、だれがどんな考えをしてもいいんですが、人に強制するのはやめましょう。そうならないといけない、とか、そうであるべき、とかが、どれほど無執着から離れているものか?はわかるでしょう。ま逆なので完璧にハート層(愛)とは打ち消しあいます。自己を正しいと思い込んだ人は、強烈なまでの攻撃性をもちます。(最近だと教育などのクレーマーとかがそうかもしれません。戦争とかもこの力をつかいますね)自己を悪と思い込んだ人は、知的意味や、正しい(答え)ということ探しつづけたり、他人の目がきになってしかたなくなります。(悪というより、裁くことのほうが多いですが)たとえば、『人生の意味を探している』って人がいるとしましょう。でも、人生はすでにあるんですよね。生きている限り、人生を今もってリアルタイムに感じ続けているわけですから、意味をわざわざ持たせようが持たせまいがあるんです。これまでの人生に意味があったか?なかったか?あろうがなかろうが、今、生きてるんですね。だから、これからの人生に意味をつけようが、つけまいが、どっちにしたって人生を生きていくんです、命尽きるそのときまで。ようは、知性はそんな答えがしりたいんじゃなくて、別の何かを知りたい、解決したいってのをそんなものに転用しているっていう動きを観ようってことなんですが、、、文章では複雑になってしまってうまく伝えられませんね。言葉にするとこの状態は複雑すぎて、理解するまえに飽きてしまいます。で、話はもどりますが、結局は、知性の動きをとらえつづけながら、さばかない(知性の動きを善悪に分類しない)かつ意味づけにとらわれない(判断してしまわない、わかったと思いこまない)です。そうすると自動的に動いていた知性の動きを意識できるようになります。さらに、それを続けていれば動きの『もと』も探れるようになってきます。でも探るとこは別に目的でも結果でもないです。ただ、自己というものの深さ、自分を理解するということの本当の意味なんてことや、そこに脈々と流れている『愛』みたいなものを発見していきます。そう、ただ発見していくだけです。ほんとうにただ発見していくだけです。冗談ではないですが、発見していくだけです。うそのように、ただ発見していくだけです。なのにそれが、感情的、知性的な問題を解決しうる強力な存在なのです。(とーぜんのように理屈ぬき!!、、、いいんですかね~)そりゃ、執着なく観れるならそうかもしれないけど、それって楽しいの?なんかそれを突き詰めてもいいことにはならないんじゃない。そーですね。そんなきもしますねー。ただ、表面的に表れている欲求は、予想以上に簡易に解決できます。大体ですが、ないから欲求するという状態のはずなのに、よくよく観ていくとすでにもっているっていうパターンが想像以上に多いからです。いわゆる失って初めて気づくパターン。よくありますね~これ、ほんとに。(青い鳥パターンとでも呼びましょうか、、)これできるだけでも、ずいぶん違う気がします。頑張った結果得られても、それがいらないものだったり、その過程で失ってしまったり、、悲しいですね、でも物語としては楽しめますが、、。執着しないと、またやってくる?だから、執着なく手放そう?違う、違う、すでにあると気づくんです。(無論、ないときもあるでしょうけど)無いと思うから欲しがる、有ると思うと手放したくなくなる。(失う恐怖がでてくる)でも、いつ失っていいように『今』があることも知る。そんな感じでしょうか。しょーもない文章につきあっていただきありがとうございました。毎度ですが、あくまで参考にして、自己と現実で進んでください。あとすいませんが、書き込みには返信してないのでご了承ください。理由はないんですが、なんとなくそのほうがいい気がするからといったわがままですが、すいません。
2010年04月24日
コメント(0)
ほんとに久々に更新。最近、いろいろ発見、わかってきたことを書いときます。なんか文章に残すように指示されているような気がするのでとりあえず。まず本題の説明をする前に前提の説明です。人のオーラの構造ってのは、肉体、感情、知性、ハート(愛?)のような順番でできてます。それぞれがエネルギーという名の構造をもっていてそれぞれが密接に関係しています。上のエネルギーを使う場合に下層のエネルギーが邪魔をすることがあります。例えば、イライラしている(感情層)ときに考え事(知性層)をしにくくなります。感情的な落ち着きがなければ、うまく知性(上層のエネルギー)を使いにくい状態になるというわけです。ここ2000年くらいの人類の動きは、感情的不満や不安を知性を使って解決してきました。ようは外的にアクセス、変化をもたらすように努力してきました。ただ、欠点としては外的要素を思いのままに変化させることは簡単に上限に達します。ようは無理が起こります。そのときの人の行動は、思い込みを強める(自己正当化に走る)か、自己の行動を見直し努力しなおす(現実的には努力がみのらず挫折することも多い)のどちらかを繰り返します。おそらくですが、現在は外的要素の変化によっての内的不安や不満の解消が人類的上限に達しているんでしょう(個人的上限はまだまだありますが、種として人類の上限がきているんでしょう)。ようは、環境によるしっぺ返しとでもいうものが許容を超えてきている。とまあ、話がすこしそれましたが、ようは下層のエネルギー問題(感情層)を上層のエネルギー(知性層)で解決しようとしたんですね。結果はみなさんご存知の通り、そして、今現在社会が抱えている構造そのものです。さて、問題です。感情層でも知性層でも解決できないものをどうしたらいいでしょうか?簡単ですね、さらに上の層のエネルギーを使って解決すればいいんです。(そんなんでいいんですかっ!!)上の層とはハートの層、エネルギーとしては無執着を保持している場所です。しかし、この場所のエネルギーを使うことはとても難しい。困難を極める。なぜならば、知性が邪魔をするからです。最初にいったように、下の層が上の層のエネルギーを使用するのを邪魔するのです。つまり、考えていてはハートの層のエネルギーを使えないということです。(なんて無茶!)これをクリアするのはとてつもなく難しいことです。なぜならば、今の世界は知性を使って解決することが一般的だからです。つまり知性を使うことに慣れすぎてしまっていて、手放せない、落ち着かせられない、すぐに知性的な意味に捕らわれてしまう、外部(環境や人)の責にしてしまう。など数限りありません。つまり感情的不安や不満が起こったときに、なにも考えず(正確には善悪や捌きをせずに)ただ、それを見守り,とらえ続けることが必要になるからです。この場合、知性は状況を『観る』というものに徹してもらいます。これができるようになった瞬間からハートの層のエネルギーが使えはじめます。分かりやすくいうと『愛』をもって解決するということができるようになります。これをいいはじめるときりがないのですが、世間一般的にいう『愛』とは若干違うのでご了承ください。おそらくですが、これを2000年前に発見して言い始めた人がいるんでしょうね。キ〇ストさんとかではないのかと思います。ようは人類が持ってしまった問題点を『愛』をもって解決しようという概念です。たぶんですが、そこころ初めて人類がそのエネルギー層を保有し始めたのでは?とも考えています。進化の過程ってやつでしょうか。知性を使って感情を落ち着かせるというのは、ようは意味を持たせるということです。わからないことや、いやなことを説明される、実はこういうことだったんだよ~だから大丈夫なんだよ~みたいな感じでしょうか。たしかに落ち着きますし、効果があります。ですがこれを手放すことができるなら、その上の層の恩恵を受けれます。もう一度言いますが、ハートは無執着のエネルギーを多く保持しています。つまり分かりやすく言うと無執着をもって不安を解決しようってことです。(乱暴ないいかただな~)しかし、大事なのは知性を通さないとこのエネルギーを使えないところです。つまり、無視するのではこのエネルギーは使えないのです。知性はひたすらに、現実とそれにともなう自己を『観つづける』のです。ようは意識をむけることなくしては、愛のエネルギーは使えないのです。わかりにくいでしょうけれども、この世界にはこのエネルギーを保持しているものがたくさんあるます。まずはそれに触れてみましょう。一部の美術品、自然、自然にひたって生きている生き物、など特に自然は安易にふれることができるのでオススメです。美術品でよかったのは、ミケランジェロのピエタ(ヴァチカン)、本物のペルシャ絨毯、キリムの一部ピカソの作品なんかは、個人的にはとっても良かったです。一時的にでも触れれば、少しコツがわかってくると思います。最良は、すでにそういうエネルギーを使って生きている人のそばにいるとこですが、現実的には難しいので、その他のを探すほうが簡単です。もし、人を探そうというなら、ポイントとしては、・無執着つまり無償の愛を持っている。・癒しが進んでいる(不安や不満が行動の原理になりにくい)この2点をよく観ていればいいかと。まあ、自然の保持しているエネルギーのほうがブレがないんでいいかもしれませんが。ながながと説明しましたが、とりあえずこんなところで納めておきます。まだまだ説明たりないのですが、まあ要点は伝えられたでしょう。これは、この文章を読んでいるあなた、がんばってください。この責任を負った人が世界にマイノリティですがいます。こんな更新されないブログを呼んでいるあなた。たぶん、あなたもこれをおっています。参考にしてください。あくまで参考にして、自己と現実で進んでください。
2010年04月18日
コメント(1)
全2件 (2件中 1-2件目)
1