下の絵は、エジンバラ城から伸びるミラクル・ストリートを東に下りきったところにある。ホリールード宮殿(The palace of Holywoodhouse)から見た、ホリールード公園(Holywood Park)です。高さは253mあります。かっては王家の狩猟の場所でした。この丘全体が公園になっています。スロープになっている場所はふみ跡をたどって、頂上まで登ることができます。遠回りになりますが、もちろん舗装されたきれいな散策路も用意されています。
運命の石(The Stone of Destiny)・・ エジンバラ城で、最も大事に扱われている展示物。スクーンの石(Stone of Scone) とも言われています。これは、エジンバラの北方50kmほどのところにある、パース(13世紀から15世紀中頃までのスコットランドの首都)にある、スクーン宮殿に置かれ、スコットランド王の戴冠式に使われていたことによります。1296年にイングランド王のエドワード1世がこの石を持ち去り、長い間ロンドンのウェストミンスター大聖堂のコロネーション・チェア(戴冠式用の椅子、この大聖堂訪問時には必見の椅子)の下に置かれていました。 1996年、エリザベス女王によりスコットランドに戻されました。この石が最後に使われたのはこのエリザベス2世の戴冠式の時ですが、「この石の役割は将来も続く」と書かれてあったので、チャールズ皇太子即位の時には、この石の上で戴冠式が行われるかも知れません。
St.Giles セント・ジャイルズ大聖堂(St.Giles')(The Hight Kirk of Edinburgh) 1120年に創建されたゴシック様式の教会です。沢山の尖塔をもち、特に中央尖塔が王冠のような形をしているのが特徴です。現存する建物は火事で消失した跡地に1385年再建されたものです。16世紀には、宗教改革の先駆者:ジョン・ノックス(John Knox 1505-72)が司祭を務めました。 もともとスコットランドの教会は独自性が強く、ヨーク、カンタベリーの司教のもとにあるイングランドの教会の管轄ではなく、ローマ教皇直轄の地域となっていました。
ノックスはルター同様、カトリックの司祭として任命を受けています。 1545年にイングランドから、スコットランドに来た宗教改革者ウィシャートに強く影響され、翌年ウィシャートが処刑された後、宗教改革に深く関わるようになりました。1545年にセント・アンドリューズ(エディンバラの北東50Km)の司教が殺され、セント・アンドリューズはプロテスタントの支配下に置かれました。1547年にノックスは志を同じくする仲間と共にセント・アンドリューズのプロテスタント陣営に加わり、改革派の牧師となりました。ノックスはBook of Discipline(『(ノックス)規律の書』)を著し、主教制度のない教会組織と教会収入によって運営される教育制度、貧民救済制度を提唱しました。 ノックスはエディンバラのハイ・ストリートの西端にあるセント・ジャイルズ大聖堂の牧師に任命され、死ぬまで(1572)その任にありました。