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炎の画家ゴッホの「家族の絆」って深いのね♪
「アルルの赤い葡萄畑」
創作活動をしていた10年間の間に 1600点 の絵を残したゴッホ。
彼の生前に、 たった1枚だけ売れた絵 がこの絵です。
取引価格は 当時の価格で400フラン。
そう言えば、アクオスのCMで流れていましてね♪
炎の画家、ゴッホには、
兄想いの弟、テオ
がいました。 炎の短い生涯を、支えつづけた弟でした。
その弟テオに子供が生まれた時に 贈られた絵が↓
「花咲くアーモンドの小枝」 1890年2月
日本画の影響を受けて描かれた作品です。
甥っ子が生まれると聞いたゴッホは、 喜んでテオに 手紙を書きます。
「僕は、ただちに 寝室に掛ける絵を その子のために描きはじめました。」 「青空を背景に白い花をつけた 太い枝のあるアーモンドの絵です。」
「荒れ模様の空に烏の群れ飛ぶ麦畑」 1890年07月頃
それから半年後、彼は自殺します。 この絵↑がゴッホの最後の作品となりました。
彼を支え続けてきたテオには、 兄よりも大切な家族が出来てしまった。
そう思うゴッホには、 居た堪れない 喪失感 が待ち受けていた事でしょう。
ゴッホは、 黄色にこだわった画家 でした。 最後までテオに黄色い絵の具を 送ってくれと頼んでいました。
黄色の意味するものとは 「希望」「甘え」「要求」
炎の画家ゴッホの鮮やかな黄色には、 寂しく移ろい続ける、 孤独な魂の叫びが ヒシヒシと伝わってきます。
彼の孤独はテオでしか 埋まることができなかったのかもしれませんね。 テオもしかりです。 兄の自殺に後、 精神を病んで半年後になくなります。
私がゴッホの鮮やかな黄色の中に、 「一抹の不安」と「ピュアな輝き」を感じたのは
彼らの 純真でストイック な 兄弟愛が存在したからなのでしょうね! たぶんきっと。。
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たとえ今、成功しなくても、 僕が手がけた仕事は 受け継がれ、 続けられて行くだろうと信じています。 正しいことを信じる人に 直接会えないかも知れませんが、 そう言う人が、 ひとりしかいない訳はありません 。 ____________________________
後世、ゴッホを世に出したのは、 テオの妻、ヨハンナとその子供フィンセントによるものです。
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