たぬきぶたの日記2

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京口駅発車




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京口駅発車


<2008年1月8日の日記から>

播但線の一駅目は京口駅です。1年前つまり僕が高校1年の時は駅員がいて、

踏切には人手でハンドルを回して開閉を行っていた。

国鉄の合理化という人員削減で職員が減り、機械に取って代わられた。

そして、ついに無人駅となってしまった。

まあ、乗客のほとんどが定期券だったし、改札口は南の方にあったが、

北へ向かう客はホームをそのまま北上して線路から道路へ出ていた。

つまり改札は通らなくてもよかった。のんびりとのどかな時代だった。



アップで引きつけてシャッターをきる。



この34番はサイドのプレートが形式入りです。今は写真をアップできませんが、見つけたらここにアップしますね。

この駅の発車シーンはたくさんある。何度も同じ列車を写しに行くので母が言った。

「同じ場所で同じSLばっかり写して何が面白い?一緒やろ。」

「それが違うんだなあ。天気、SLの番号、C57かC11か、風によって煙の向きが違う。」

「同じ時刻でも季節によって背景が変わる。何度写しても同じ写真は二度とない。」

いろんな屁理屈をこねて、趣味の世界を堪能しています。

この京口駅の東側は戦争中は川西飛行機製作所があったとかで、

爆撃を受けてコンクリートの塊がごろごろしていた。

大きな穴が空いていたり、吹き飛んだコンクリが整地されずに放置されていた。

戦後はまだ終わっていないかのような場所だった。

広い原っぱはたこ揚げにはもってこいの場所でした。

今はマンションが建ち並び昔の面影はありません。



写真に写っているホームの端を乗客は歩いて線路づたいに歩いて脇の道路に出ていた。

違反なんですけどね。歩く距離がだいぶ違いますからね。仕方ないでしょう。



カラーなのでケチって一枚しか写してない。もう少し、右の方に進んだところであれば、

世界遺産の建物が写るのですが・・・。

手前の原っぱは戦後がそのまま残っていた。戦争が終わって27年も経っていたのにね。

そしてこの写真を写してから37年を迎えようとしている。




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