たぬきぶたの日記2

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広田尚敬さんと同行1



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広田尚敬さんと同行撮影その1



昭和47年3月28日(1972)

今回のアップは気合いを入れて書かなければいけません。

僕の撮影旅行の中でも思い出に残る出来事だったし、良い作品もあるからです。

2重撮影というアクシデントによって、ネガの整理が困難な状態だったので、スキャンに

時間がかかりました。まだ、混乱している部分もあるのです。

では、がんばっていきましょう。長くなるかな?



早朝に宮崎に着いた僕は早速、撮影場所を求めて歩いた。そこは大淀川鉄橋。

何回も写しているので、もうやめたらと思う気持ちもある。しかし、ここで写した

作品が忘れられずに、再び感動の作品をねらっていた。

しかし、撮影したのは変哲のない作品になった。



まずは、機関区でC57に挨拶です。おはよう。また来たよ。



数両いたC61の中でもエース格の2号機です。

京都の梅小路機関区に保存されています。



小舟と鉄橋を入れる構図は何度も撮影しているが、納得出来る物は

少なかった。まあ、仕方ないわな。ビルの上にあがるとか、違う角度で

なければ写真も代わり映えしません。そこで、宮崎の北で撮影することにして移動した。

場所は宮崎神宮駅。ここでC61の発車を写すことにした。



発車はまだなのに元気に黒煙を出しています。発車は反対からの

列車が到着してからになります。遅れているのであせっていたのかなあ。

そんなに早くから煙りを出していたら、肝心の時にしょぼいのと違うかと、

心配になった。実は機関士がたくさんサービスしたのには訳があるのです。

後でわかりました。発車を待っているときに後ろで撮影していた男が機関車の方へ

行ってなにやら話をしていました。それが、この煙の大サービスだったのです。


ようやく反対からの客車が来て、いよいよ発車です。カメラは2台構えています。




風にあおられて煙が流れていく。だめかなあ。

続けてもう1枚。



ブローニー判のカメラもシャッターを切った。でも、SLの左にあるポールが

気になって、これを隠したところでもう1枚をねらっていた。

もうスピードがあがってきているし、限界のところでシャッターを押した。

これだあ~。見てちょ~だい。



やったあー。我ながら見事。

この写真は高校の文化祭でも一番に売れた人気作品になりました。

パネル張りの注文が文化祭後にけっこうありました。

ぼくの作品の中でベスト5に入ります。

単なる発車の煙が多いだけの写真ではないのです。思い入れのある作品なのです。



当時はシャッターを押すのをぎりぎりまで

待てるようになって、構図も良くなっていた。結構自信を持っていた頃でした。

しかし、しかし、・・・この俺よりもシャッターを後で押した人がいた。

後ろを見るとさっきの男が撮影していた。この男、やるな。

おぬし、俺よりも後でシャッターを押すとはただ者ではないな。

と、まあ、こんなことも考えたが、それよりも

すかさず、後追いの写真をもう1枚。




撮影が終わって高まった気持ちがおさまるのに時間がかかった。

撮影道具の片づけが終わった頃に話しかけた。

「やりますねえ。僕はぎりぎりで、シャッターを押したのにそれよりも遅く押すとは

すごく慣れていますね。」

素直に相手をほめた。自信があった俺だから、それよりも上をいくこの男は

すごい。達人は達人を知る、というがそんな気分だった。

(あとでこの時の作品を見たことがあった。なんと横位置だった。

なあんだ、そうだったのか。

普通は横位置で撮影しますよね。それに少し広角レンズだった。

当然ながら、横で撮影するほうがシャッターは遅く押すことが可能です。

この構図ならばきっと縦位置で撮影すると思いこんでいた。

シャッターを僕よりも遅く押したすごい奴と思いこんだのは、僕の勘違いだった。

でも、この勘違いのおかげで貴重な出会いが実現した)



「いやあ~、そうでしたか。」 自信はあるくせに妙に謙遜している。

ますます、この男スケールがでかい。体は細いけど、おまけにイケメンです。

かっこいいのです。すらりとした細身の体にジーパンがよく似合っている。

話しかけてみると、ぼくも旅先での言葉は尊敬語、丁寧語はよく使っているが、

この男の言葉は完全に標準語。というか、東京弁。

「さっき、機関車の方へ行っていたのは何かあったのですか?」

「ああ、あれね。機関士にね、煙をお願いしたんですよ。」

そうか、そうだったのか。客車の発車のわりには煙が大サービスだなあと、思ったが

そういう理由だったか。それにしても、この男の注文をほいほいと聞いてあげるとは、

宮崎の機関士がお人好しなのか、他に理由があるのか、疑問です。

ますます、この男について知りたくなりました。

すぐに、その場を離れようとしない僕に彼は言った。

「僕は車で追いかけるけど、一緒に行きませんか?」

待ってました。その言葉。

ふたつ返事で  「はい~。」



ということで、彼の車に乗り込んだ。

車の中には、プロ用のカメラが3つ、4つ転がっている。

ペンタックス6×7、ニコンF2、ゼンザブロニカなど、どれも高級品。

あちゃ~。これは只者ではない。

東京から来て、レンタカーで撮影している。ひょっとして、あなた・・・プロ?

カメラには名前シールが貼ってある。

N.HIROTA   残念ながらSL雑誌は本屋で立ち読みするが、買ったことはないので、

作品の撮影者までは興味なかった。しかし、誰もがこの人の作品を見ていた。

広田尚敬(なおたか)さんでした。

数多くの鉄道写真を写している、鉄道写真家の第1人者です。

当時は、富士フィルムとコニカのさくらカラーフィルムが国産の2大メーカーでしたが、

コニカの宣伝用ポスターにはSLの写真が使われていました。

その作品はどれもすばらしく、感心していました。流し撮りやアングルなど撮影の参考に

なるようなすばらしい作品でした。

なんと、その作品の撮影者です。プロ中のプロでした。

そんなすごい人と一日を過ごすことになりました。

次回はその同行撮影作品です。

広田尚敬さんのHP

最近、広田さんの写真集を買いました。1万円をはり込みましたよ。

ひょっとして、僕と一緒に撮影した作品が掲載されているかなあと、思ってね。

残念ながら同じ写真はありませんでした。では、続きは次回に。


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