たぬきぶたの日記2

たぬきぶたの日記2

撮影終わって都城へ


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撮影終わって都城へ




昭和47年8月1日(1972年) 撮影後の話です。

2008年2月2日の日記の訂正をします。

日記には宮崎で宿泊したことを書いているが、8月2日のネガは撮影場所が霧島越えです。

ということは、宿泊したのは都城ということになる。

この時の話は書かなければいけない。

このときも地元の方にお世話になりました。

写真はのちほどにします。長くなるかな?

日向沓掛あたりでいい作品が撮影できた。

おかげで、心はかるく、体は重く、足はチクチクです。

C55やC57の門デフが都城に向かって行ったので、追いかけて

都城に行くことにした。

撮影後に国道に戻り、ヒッチハイクの車を求めた。

小型トラックが載せてくれた。うまく目的地が同じなら、もう一度

C55を写せるかもしれない。期待したが、残念なことにそうはならなかった。

なんと、行商の車だった。

「都城まで行きたいのですが。」

「ああ、よかよ。乗りな。」 「ありがとうございます。」

「あのな、みやこんじょうまで、行くけどな、途中で寄らないけんとこがあるんや。回り道になるけどええか。」

「いいですよ。乗せてもらえるだけでもありがたいです。」

とまあ、一応は礼を尽くして返事をしました。けっこういい作品が写せたので、今日はこれでいいや、という思いもあった。

しかし、しかし、途中で寄りたいと言った所はなんと、山の中です。

つまり、山の中に点在する家々を回って、生活用品や食料品を行商しているのです。

1時間もあれば着くはずの距離ですが、3時間近くもかかってしまった。

でも、山の中に入ってから、いまさら下ります、なんて言えません。

だまって乗せてもらうしかない。地元の方と話もできるし、親切で楽しい人だったので、時間つぶしにもいいかな、と思った。

舗装されていない山道をゆれながら、こんな所に人が住んでいるのかな?と思うところに進んでいきます。

あたりは暗くなってくるし、もうこのおっさんに任せるしかありません。

ある民家に着きました。

「やあ、○○××△△○○××△△○○××△△○○××△△。」

助手席からそこの奥さんとの会話を聞きました。

さっぱり、分かりません。これが、同じ日本かいな?と思いました。

いくつか、注文の品を後ろの荷台から出して、商品を説明しています。

「他にいらんか? 次に来るときに何ば持ってきたらよかね。」

やっと、終わった。

このおじさんは僕と話すときは、わりと標準語で話してくれた。

「いや~、僕も同じ九州やけど、このあたりの言葉はさっぱりわかりませんねぇ。

「そうやろなあ、田舎に行ったら方言がきつかけんね。」

「もう1軒行くんやけど、ええか?」

「どうぞ、どうぞ。」  もうどうにでもなれの心境です。

助手席との間に、1升ビンがある。焼酎だ。

「やっぱし、こちらの人は焼酎をよく飲むんですか?」

「ああ、それがわいの晩飯や。」 「えっ、これが?ご飯は?」

「飯はめったに食わんなあ。だいたい一晩にそれを1本飲んで、
 それでおしまいやな。」

「僕はジュースとかサイダーなんかは飲みますけどねぇ。」

「そんなもんは、力になりゃせんだろ。やっぱ、これだよ。」

このおじさんは、焼酎飲む時はあてとか、おかずとかも口にしないと言っていた。

「酒ば飲むときに、食う奴はほんとの酒飲みとは違う。」

自信たっぷりに言っていた。がりがりに体は痩せていた。

ビールを飲みながら、いろんな物を口にするのは邪道みたいなことを言っていた。

ふーん、そんなものですか。

飲めないおいらにはさっぱり分からんことだった。

もう1軒は立ち寄ったが、注文なしで、早く切りあげられた。

「このあたりはな、道が舗装されとらんけん、映画の撮影なんかにも

よう来るとやで。」

確かに、時代劇なんかで、山道を行くシーンがあったりするが、

電柱やコンクリの建物が映ったらおかしいです。まあ、納得です。

国道を行けばすぐに着きそうな距離をくねくねと、回り道をしてやっと、都城に着いた。

すでに8時頃だった。

このあとの、晩飯と宿泊も書きたいですが、長くなったので、次回にします。

写真も次回です。




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