2013年07月11日
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ずっとそれを知るために人は生きているんだと思っていた。
鬱病になって、マイナス思考、ネガティブな方向に考えが行くが、
口から「どうせ」と言う言葉がよく出てしまうが、
この年になると、少しだが解ってきたような気がする。

特別な才能があるから、特別な人・・じゃないのだ。
科学者、哲学者、数学者等など学者が、新しい何かを発見して「偉人」になることでもない。
芸能人だからって、特別じゃ無い。
人生の成功者が、自分が成功したからって、それが生きている意味ってことでもない。
そう言う人達の中には、そう思っているような人も多くいるが、
決してそうじゃないのだ。
物質やお金、美味しい物や、そう言う物には全く関係がないところに、
人にはそれぞれの生きる意味があるんじゃないかと思う。

だって、もしそうなら、他の何も持たない人が生きている意味が無いじゃない?

ホームレスの人にだって、
人の地位とか、そういうの全く関係なく、神様は私達に「生きる意味」を与えたと思う。

それを思うと、私が体験したことなんて、そんなに大変なことじゃ無いなあって思う。
勿論、普通にサラリーマンになって、普通に家庭を持って、
普通に生活してらっしゃる方から見たら、
サラリーマンから会社を興し、年商十数億の会社にした人の娘に生まれ、
夫が後を継ぎ、何不自由ない暮らしをしていたのに、
ある日すべてを無くし、今はアパート暮らしでおまけに鬱病、
多分、所謂、声をひそめ「あの人ってね・・・」って言われてしまう立場なのかもしれないが、
私の周りにも、同じような体験をし命を絶った人もいたが、
しかし、本当に申し訳ないが、そういう中傷は、全く気にならない。
反対に、もしかするとそう言う経験をしたからなのかもしれないが、
自分が生きている意味が、少し見えるようになって、
実はそう大したことじゃ無いなあって、今は思っている。
勿論、ご迷惑をおかけした関係各所の方には、どれだけ詫びても、
詫び足りないくらいの思いでいるのは、真実だか

一つ一つが本当に大切な命なんだよね。
勿論、それぞれに夢を持っている人もいれば、絶望に打ちひしがれて、死んでしまおうかって思う人もいる。
でも、考えてみれば、地球がこの宇宙に出来てからの年月に比べて、
私達の人生なんてたかだか100年、吹けば飛ぶような一瞬なんだよね。
その中で、皆、自分の周りの人と生きてる。

私はここによく書くけど、人は産まれたときから、
「神様の宿題をしに、この世に生まれた」と思っている。
嫌なことだが、私の周りに、自ら命を絶ちお葬式に行った人だけで3人もいる。
「神様の宿題、解ったのかな?答えがこれなの?」ってお葬式でいつも思った。
亡くなった理由は、それぞれ違うけれど、命に代わるものなんて何もないのに・・と毎回思った。

自分が生きている意味、
才能は何もない。
社会的な力もない。
勿論、お金もない。
家族も娘達は独立し、パパに世話になっている。
鬱の酷い時は、
「私がいなくなったら、パパ、楽になるなぁ」って本気で思う。
子供たちの前でもそう言い放ったこともある。
それが、どれほど家族を傷つけたのか、今は解る。
全く「生きている意味が解らなかった」から。

でもね、今は本当にちょこっとだけど、解る。
勿論、「神様の宿題が、まだ解っていないし、出せていないから」って事もあるんだけど。
多分、こういう状況になったのは、
神様が、「もうちょっと頑張ってみたらどう?」って
また新しい宿題をだしてきたんだなぁって思ったし、
今度の宿題は何よ?って、天に向かって、夜中、表に出て叫びたくなったりもする。
でも、それが生きるってことなんだなぁと思う。

伯母のように、皆に愛を与え続けられたら、どんなに素晴らしいかと思う。
まだまだ、修行が足りないね。











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最終更新日  2013年07月12日 19時48分13秒
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