2021年06月22日
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カテゴリ: 音楽 [洋楽]
Interno di un sala da cinema
​●名匠M.スコセッシ監督が演出した「BAD」の
「難解」な内容には意味がある。 ​​

Interno di un sala da cinema (画像参照: wikimedia)

​​ 洋楽特集SP (第5回Ver.2.0)
​​ご覧ください
​MV 映画​ 音楽 をどうぞ・・・​​



さて、
遊びに出かけようにも 「緊急事態宣言」 や、近所の もあり出られず・・・

会社に出勤に託けて、馴染みの店に顔を出そうにも
行政が推奨する 「テレワーク」 の在宅勤務が長くなった事で

在宅に慣れ過ぎて出社が となり

久々の出勤も、急な体調不良に襲われ
すっかり 「ひきこもり」 体質となったり・・・と

様々な ストレス に晒されながら、コロナ禍の時代を生きる方々へ

チョットしたイイ話に少しばかりの加筆を施した
ひと時の 癒やし にして欲しい、軽い更新の筈が、

今回2012年3月19日に更新した、十年近く前の記事を
加筆修正した上に、

嫌がらせの様な大量文章に疲弊するユーザー続出必須の
出版更新をお見舞いするという

6万5千文字もの大量文章の更新となり
いつも通りの内容となりましたW


という訳でwww
80年代90年代の洋楽をお送りする 「どうぞ特集」 今回は、

まるで ショート・ムービー を観る様な、
ミュージック・ビデオが 「映画」 の様な音楽を

Version2 となってリニューアルし

特に、来年でリリースから35周年となる マイケル・ジャクソン 「BAD」
意味不明な 難解 な演出で問題作となったMVの解説を中心に

いつもの感じでお送りします。

それではスタート!



■ もくじ ■
■INTRO (前枠)■

- 音楽解説 -
​01. Michael Jackson - Bad (1987)
ミュージックビデオ 完全解説​
●MVを演出したマーティン・スコセッシ監督の
「意味不明」となった演出部分を含めた徹底解説●

​■1.学校の場面■​
​■2.マイケルに話しかける「謎の男」の正体■​
​■3.ウェズリー・スナイプス達とのやり取り■​
​■4.「盗んだ眼鏡」の話で気まずい空気になった理由■​
​■5.杖を付いた男は何者?■​
​■6.友人達に激昂するマイケルの真意■​
​■7.ダンス場面で描かれた別れの真相■​

02.Cyndi Lauper - Time After Time (1984)
03.Mike + The Mechanics - Silent Running (1985)
04.Mick Jagger - Just Another Night (1985)
05.TOTO - Stranger In Town (1984)
06.Madonna - Papa Don't Preach (1986)
07.Billy Joel - Allentown (1982)
08.Prince - Purple Rain (1984)
09.Phil Collins - I Wish It Would Rain Down (1990)
10.Kate Bush - Cloudbusting (1985)
11.Paul McCartney - Pipes Of Peace (1983)

■ OUTRO 後枠 ■
■1.時流と共に変化するMVの役割
■2.個人レベルで世界展開を可能にしたYoutubeの登場
■3.ダウンロード規制の読み違いとCDの終焉
■4.ネット社会の到来と多様性が求められるMV
■5.「多様性」を廃した「音楽」単体へ回帰する予期
​​​

▲目次へ▲
​■ INTRO (前枠)■​


MV(ミュージック・ビデオ) は 別名 PV(プローモーション・ビデオ)とも呼ばれ

欧米では70年代以前から広告と同じ位置付の 販促映像 として制作され
多くはライブ映像を流用したり、アーティストのバックでダンサーを踊らせたり

港や公園など近場のスポットでイメージ映像を撮影したり
主に 低予算 で制作される クオリティーの低い ものが殆どでした


80年代に入りますとミュージックビデオ専門チャンネル MTV の開局と共に
その役割は変化し

映画の主題歌として起用されたアーティストの楽曲に
映画のクライマックス場面で構成された映像でMVを制作して

それをMTVで ヘビーローテーション し話題になる事で
楽曲のみならず映画の ヒット に繋げるという、

多様性を帯びたものへと変わって行きました。

やがて時代と共に価値観も大きく変わり
MVそのものが独立した作品として 認識 される様になりますと

映像作品としても話題性の高いものを予算を掛けて制作する
大掛かり なものへと 移行して行きます


その流れを汲むように、
80年代中盤頃から日本でも本格的にMVが制作される様になり

Youtube全盛 の近年に於いては、 MVありき のアーティスト活動になるなど

アーティストに取ってミュージックビデオは、アーティスト活動の 一環 として
今でも欠かせないものになっております。


というわけで
今回は映画のシーンを切り出した様な
ストーリー性のあるMVをいくつかご紹介いたします

それではスタート!


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△▼ △▼ △▼
Michael Jackson - Bad (1987)
マイケル・ジャクソン - バッド

収録アルバム『バッド』

Michael Jackson in 1988
Michael Jackson 2nd June 1988.
"Wiener Stadion" venue in Vienna, Austria. (画像参照: wikimedia)

(日本語字幕付き動画はコチラ)>>​ ニコニコ動画へ

​ダンス 貴公子​

●MVを演出したマーティン・スコセッシ監督の
「意味不明」となった演出部分を含めた徹底解説●


前作『スリラー』では、映画監督のジョン・ランディスを起用し
ミステリーとミュージカルが一体となった
画期的なダンスパフォーマンスが話題となり

これまでリリースされた作品は全世界で3億枚以上のセールスを記録し
音楽界に多大な影響を与えたマイケル・ジャクソンの

今回は再びハリウッドから
(76)『タクシードライバー』(06)『ディパーテッド』の巨匠
マーティン・スコセッシ監督 を招いて

前回とは違ったスリリングで衝撃的な切り口で描かれた
殆ど短編映画を観るような躍動感溢れる
ドラマティックに仕上がった作品です。


本編にはデビュー間もない俳優の ウェズリー・スナイパー の他
母親の声の役で黒人音楽の大スター ロバータ・フラック が出演しており

映画ファンにも洋楽ファンにとっても興味深い作品となっておりますが
前作『スリラー』の時の様な観ていて楽しい内容とは異なり

本作は全編に渡って張り詰めたような緊張感で占められた
スラム街を徘徊するストリート・ギャングの一夜を通して

米国の下層に根差す闇と
そこに生きる若者たちの成長の苦悩を描いた

あらゆる意味でこれまでのミュージックビデオのあり方を根底から覆した
問題作となっております


さて、

本作は数カ所の 「意味不明」 な場面があって
最後まで説明の無いままMVが終了し

それがミステリアスな 深み をもたらしている
難解な作品 としても知られており

これは状況を説明する 情報不足 によって
コミニュケーション不足に陥るという

見る者に「不安感」と「不安定感」を与えて
言い様の無い「不信感」へとつなげる事によって引き起こされる
ミスリード が原因と思われ、

スコセッシ監督による 意図的 に仕向けられた脚色だと言えます。


なぜこの様な脚色をしたかに付いてですが、

これはこの演出が、
特に米国国内の白人層が有色人種に対して無意識に抱く
特異な容貌から受ける印象のみで人を判断しようとする

「誤認」 から来る 「偏見」 を通した 『差別』 の仕組みに酷似している所から

本MVを鑑賞する事で
無意識に 「偏見」 の眼が芽生る仕組みを

現実での出来事と同様に、鑑賞者に体感してもらう為に
この様な脚色を配したのでは と 思われるものがあります。



所でなぜ、脚色を意味不明にするのかという 演出意図 ですが


例えば電車に乗り込んで席に座った時
隣の客が取り留めのない会話の途中だとして、

「Be the man」 という声が、耳に入ってきたとたら

「何の話だ?」と なると思います

そんな現実感と、

人間は目の前で理解できない事があると ザワつき、
「不安」 が嵩じて 「恐怖」 を感じるもの
だったりするので

それが人種問題の となっていると
捉えられる事から

そんな風に ザワつく映像 を見せて、見る者の意識度を測る
スコセッシ流の問いかけなのではと考えられます。


本MVは、
私服警官に強盗と間違えられて射殺されてしまった
青年の実話を基に、

米国社会の暗部と、そこに生きる若者達の
激昂する青春を描いた 問題作となっておりますが、

ここで問題とされる
米国での白人警官による黒人市民殺傷事件は
現在も状況は変わらず、むしろ悪化しており

白人警官の横暴に激怒した有色人種の市民達による
抗議の暴動が各地で勃発するなど

強い米国を謳い、
全世界に憎しみを発信し続けたトランプ政権下で発生した
全米を分断する深刻な人種問題は

政権が変わった現在でも、未だ収束はしておりません。


この様な事件が21世紀の現代になっても後をたたないのは、

米国での白人層が有色人種に対しての理解が足りない「無知」と
過度な警戒心が招いた「恐怖」が引き起こした

「差別意識」が根ざしている所に理由があり

本作の『BAD』というタイトルは
「格好良い」というスラングの意味とは別に

何かが 「悪く(BAD)」 見えるのは、
理解できない 「無知」 が為せる技という

現在、抗議運動で全米が分断するほどの社会問題化した
「人種問題」を見据えた

湾岸戦争が勃発する80年代の不穏な時代に
真の価値観を世に問う辛辣なまでな警鐘という形を込めた

マイケル・ジャクソンからのメッセージだったのではと
思えます。


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■1.学校の場面■

それらの事を念頭に置きながら
「難解」と呼ばれる場面を良く見てみますと・・・


まず最初のシーンで「君はよくやった」とバツが悪そうに話しかける生徒は

恐らくこれまでスラム街出身のマイケルを軽視し・・・


まあ、「マイケル」では無く マイケル演じる「Darryl」 の話なんですがw
便宜上ここでは「マイケル」で統一したいと思います


・・・事あるごとに侮蔑的行為を繰り返し行って来た経緯を感じる
金持ちのエリートで、

学内トップになった(※多分)マイケルに潔く負けを認めた
アメリカ的 和解の場面 の様な印象があります。

ちなみに、
最後この青年が言った「High five, my man.」のHigh Five ですが

これは日本で言う所の「ハイタッチ」の事です。

実は「ハイタッチ」は英語ではありませんw
いわゆる「アスリート」を「スポーツマン」と言ったり
「フライトアテンダント」を「キャビンアテンダント」と言うのと同じで

和製英語です

ではタッチに当たる「Five」は何なのかと言いますと、

片手でやるハイタッチを「High five」と呼び
両手でやるハイタッチを「High Ten」と呼ぶので

これは指の数を指した言葉だと分かります。


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■2.マイケルに話しかける「謎の男」の正体■

次に、
帰宅する列車の中でマイケルに対していきなり 怪しい視線 を向けた
一見 マフィア風の男 に付いてですが、

何か良からぬ事が起こる様な予感を残しながら

場面が変わると独特の騒音が響く 地下鉄 の車内に
様々な人種と立場の人々が乗り合わせる中で

なぜかマイケルと隣同士で座り
唐突に友人の数を問いかけ、 「Be The Man.」 と呼び合い
列車を後にする、という登場をします。

おそらく誰もが理解に苦しむ
シュール に見えた場面だったと思われます。


これに付いてはTV放送で見る機会に
液晶テレビの大画面で確認した所

この人物のマイケルを見る目線は胡散臭いと言うよりは
目を細めて 暖かげ であり

最初乗り合わせた列車の車内で学童達がふざけている時も、
この人物はその様子を、書類を片手に 笑って いたり しております。


特に地下鉄の場面では下車の時 突然 話し掛ける様に見えますが
よく見てみますと

マイケルと「男」はずっと硬い表情で座っていましたが
男が話しかける時、優しげな表情をするので

実はそれまで何か真剣な話を
ずっと 話し込んでいた のが見て取れます


実は、MVの冒頭の 学校の校門 の場面を見た所
マイケル達生徒に混ざってこの 「男」
出てくるのが映っておりました


つまりこの「男」は マイケルの学校の先生 だった訳です。


この先生は見た目がラテン系アメリカ人なので
何も知らずに見ていると、この様なコートを着た風貌では

まるで麻薬カルテルの売人の様に映る事から
何かの 脅威を勝手に想像 してしまう という事になるわけです。


それを念頭に置きながら、欠けている描写を補完してみますと、

電車の中で暴れていた生徒たちが居なくなり
マイケルと男が取り残された様になった時

急にマイケルを睨みだした麻薬カルテルの売人から
怖くて目をそらしている様なマイケルに見えた場面も

よく見れば、

MV冒頭でマイケルがゆっくりと顔を上げた描写では
何か、大きなものを背負っている様な表情をしている事から

何かを決断した様な表情にも見て取れるので

そんなマイケルの普段の 素行 を見て、何か感じ取っていた先生が
「何か悩みがあるのなら、 先生に話してみろ 」という 視線 を送り


マイケルが麻薬カルテルに睨まれて視線をそらしていた様に見えた描写も

マイケルも先生に 話そうか どうしようか 迷っていた という様な
至極当たり前な学校での 日常 が見えてきます。


それにこの先生が、マイケルの席と 同じ列 に座っている事も
偶然 では無い事の様な匂いがあるので

マイケルと話すつもりで、近くに座ったのか
元々話す様な仲で、他の生徒が居なくなるまで 控えていたのか

あるいは、
よそよそしいマイケルの態度に 異変 を感じて、
マイケルが 自主的 に話すのを待って、近くに居るのか、

想像は尽きませんが、

ともあれそれでその後地下鉄に至るまで、ずっと腹を割って話し込んだ
という流れになった印象があります。


そうしてMV全体をよく見直してみますと、

友人との別れを描いた 苦い青春の物語 がテーマだった本作の
これまで見えてこなかった 真のメッセージが 浮かび上がって来るのが

分かります。


というわけで、
ここから先は想像、というか 妄想 に近い話になりますが・・・w


その様な理由からこの先生は、
学生時代も教師となった現在の職場でも
有色人種として 偏見の目 で見られ続けたと想像でき

教え子の中でも飛び抜けて優秀なスラム街出身の黒人の生徒で
周りを認めさせてやる一心で勉学に励むマイケルの中に
若き頃の 自分の姿が重なって 見えて

入学当初からマイケルの事を陰ながら 見守っていた という
経緯が感じられます

地下鉄ではおそらく勉学の事や将来の事などを
マイケルと話している内に打ち解けたのか

元々 学校でも話す仲だったのか

若かりし頃の自分がどういう経緯で教師になったのか・・・など
少年時代の話へ話題が移ったのか

分かりませんが

自分の境遇に似ているマイケルと話している内に
次第に学生時代に 気持ちが戻って 行き

こうなる為に過去自分がどんな道を歩んだのか・・・
核心に迫る様な話へと話題が進んで行ったと、想像すれば


最後下車する時に 親友の数を競い合い
・・・真意は後程解説します・・・

俺の勝ちだな という感じで 大人気なく 嬉々として席を立つ先生に
負けましたよw という感じでマイケルは首を振り

二人は挨拶代わりに 「Be the man」 と互いに呼び合い
先生は列車を後にして

その後マイケルは 「何か」 に対して
・・・「何か」に付いても後程解説します・・・

意を決した 様に手袋を取った という


先生と生徒のやり取りだったという事が
見えてきます。



所で二人が交わした 「Be the man」 という言葉は、
ブラザー同士の挨拶の一つだと思いますが

有り体に訳しますと
「man」の冠詞には定冠詞の「the」が使われているので
「the」には「ひとつに決まる」という働きがある事から

「(どこにも居ない)本当の男 だ」という意味になります

これが 冠詞に不定冠詞の「a」が使われていたら
「a」には「多くの中のひとつ」という働きがあるので

「(どこにでも居る様な)ただの男 だ」という意味になりますので

「Be the man」は多様で深い意味がある言葉だと分かります。


つまりこの先生がこの言葉を使ったのは

場に流されるような、情に流されるような、
声の大きい意見に流されるような、

結果、何も出来ない弱い人間にはなるな
という事を言いたかったのでは無いか と思います。


であればこの先生は、マイケルと同じ境遇の少年時代を
メキシコの貧困層で過ごして、生きるためには盗みも追い剥ぎも

何でもやったという、

マイケル同様に少年時代に 黒歴史 を持った人物だったという
匂いを感じさせるものがあります。


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■3.ウェズリー・スナイプス達とのやり取り■

次に、
マイケルがスラム時代の親友、
ブレイク前の若き ウェズリー・スナイプス を含めた3人と再会する場面では・・・

スラム街を出て進学校に通うまでとなり、
この先も明るい未来が待っているマイケルに対して、

スラム街しか知らない親友達3人は
今も盗みや追い剥ぎをやるしかない暮らしを続けているという

マイケルと親友達との間に出来た 「溝」 を描いております。


この場面は、地下鉄を降りて地元に戻ると
ドラム缶に火を炊いてる集まりの中の 1人の黒人

「Yo! Yo, Darryl! Yo!」と、

マイケルの元クラスメイトか 顔見知りか いじめっ子か
分かりませんが

マイケルに向かって 呼びかけ ているのを
マイケルは 無視 し、黒人も 「何だよっつ」 という態度を取って

マイケルはその場を スルー する、という
スラム街の場面から始まります。


ちなみに、この時のマイケルの態度の 真意 を考えてみますと、

その後親友達に出逢うと 態度を 軟化 して満面の笑みで再会を喜び合うので
逢いたくも無い相手に声を掛けられて 無視 したという事は分かりますので

おそらくマイケルにとってこのスラムは 故郷 ではあっても
忘れてしまいたい黒歴史を思い起こさせる場でもある事から、

生きる場所
では無いと、心の中で 整理 が付いている様な印象があり



親友と我が家以外、気に留めない様にしている と
捉えることが出来ます。


次に、親友達の再会を遂げた後、誰も居ない家に戻る場面では、

マイケルの部屋には人気黒人アーティストの写真やポスターが飾られ
母子家庭なのか 仕事に出ていて留守をしている母親扮する

ロバータ・フラックの声でタイプライターに置かれた手紙が読まれると
マイケルは 意を決した様な眼をします。

この場面は 短い間でマイケルの少年時代と成長を 垣間 見る
重要 な場面で

黒人アーティストの 写真 に囲まれた部屋からは
かつてマイケルを 夢中 にさせた事が見て取れますし

タイプライター からは、母親がタイプライターに置き手紙をした事からも
マイケルにとってタイプライターは言わば 相棒

常に使っている無くてなならない
片時も離さない 大事 なものという印象を受けますし

タイプライター付近に重ねられた本ですが
動画が荒くて何の本なのか、解析できませんでしたが

一番下の本の文字が「LO・・・」又は「La・・・」みたいに見えたので
「Lawyer (弁護士)」の本 なのかもしれませんので

マイケルが弁護士か 或いはジャーナリストか文筆家か 作詞家か
将来何かしら頭を使う仕事に就きたいという

意図 も見えてきます


又、
部屋に貼られた少年時代のマイケルを 夢中 にさせたと思われる
黒人アーティストの写真は

単に「少年時代の憧れの人」として
その 思い出 として今も部屋に貼られているというよりは

有色人種に対しての強い 偏見 がはびこる白人社会の中で
成功 した黒人達への リスペクト している現れとして

今も部屋に貼られている様な印象があり、

マイケルの行動原理も、
白人社会での 黒人の地位向上 へ向けられているものと考えられます。


その様な思いを胸に、このあとマイケルは
親友3人と対峙する事になります。



次に、ウェズリー・スナイプスと共にする場面の冒頭で

ウェズリー・スナイプスが マイナスドライバー
壁を削っている のが気になりますが、

道具として携帯しているにしては、思いっきり違和感があるので
盗みを働く時の道具として使うものなのか、あるいは

ドライバーの先を鋭く尖らせている様にも見えるので、
ドライバーとして使うものでは無くて

脅しの武器 の代わりに使うものなのかもしれません

ここは治安の悪いスラム街なので
ナイフの様な 分かりやすい武器 を持ち歩いていると、
警官の取締を受けて見つかった時、 逮捕 される可能性がある為

道具と 言い訳 が出来る様なものにした という事なのかもしれませんし

或いは、彼らは10代の高校生位の年なので
高価なナイフを買うには 金銭的な余裕 が無かった事から

それに 代わる モノを携帯している
という事なのかもしれません


つまりこの時点でウェズリー・スナイプスは
この後 「追い剥ぎ」 をする気満々でいる事が分かり

それは久しぶりに帰省したマイケルに対して

都会の進学校へ通うマイケルとの格差という「溝」を
ウェズリー・スナイプスなりに感じ取っていて

それによって仲間の「輪」からマイケルが外れ様としているのかどうか
試そうという意図があっての事で、

その準備をしている様な、
そんな印象も受ける場面でもあります。



次に、マイケルの学校の話題で 爆笑 になった理由ですが

会話は、ウェズリー・スナイプスがマイケルに
「Yo, College, what's your major, man? (大学では何専攻してんだ?)」

と訪ね

マイケルは
「This is high school. There ain't no majors. (高校だよ、専攻は無いよ。)」
と答えると

「Then what's your minor?」
とウェズリー・スナイプスが言い、爆笑が起こり

マイケルは笑いながら
「You guys are sick, sick.」と答え

ウェズリー・スナイプスは冗談めかして
「My man, Joe College.」と答える

という流れになっています。


一応字幕版の方では、
「Then what's your minor?」は「まだ下っ端か?」
「You guys are sick, sick.」は「お前ら病気だっ 病気」
「My man, Joe College.」を「真面目野郎」


と訳されておりますが、
これでは何のことやら分かりませんし、

そもそも、サッパリ笑えませんw


という訳で、
ウチの独断と偏見による 意訳 をしてみますと・・・


ここでの、「This is high school. There ain't no majors.」
の「majors」は「専攻」で良いのですが

他にも、軍隊用語で「少佐」「三佐」の他
主に「メインの」「重要な」「多数の」の様な

「主要となるもの」という意味があり

野球用語で「メジャーリーグ」を指す意味もありますので

ウェズリー・スナイプスがこの後言う
「Then what's your minor?」の「minor」は

「マイナーリーグ」を表している事で「下っ端」と訳したのかも知れませんが
それならそうで、そう書けば良い話なので、

この何とも、靴の上から足の裏を掻こうとしている様な
ピンと来ない 訳の説明にはなって居ない様に思います。


だとすれば、連中が笑った理由は 一つ で・・・w


おそらく「major」が「大きい方の(デカイモノ)」という意味もある事から
この場合の「minor」は

「(男性自身が)貧小」という、 スラング なのではという匂いがします(多分)w

従って「Then what's your minor?」の意味は 意訳すると
「お前の(一物)は(まだ)おこちゃまだったか?」

或いは「まだ(アレの皮がw)む○てないのか?」となります。w


男性自身に対して「minor」という物言いは
非常に侮蔑的でナイスなチョイスだと思いますがW

なので、公共の電波に乗せるには忍びないと思った翻訳家の
苦肉の策としての翻訳だった、のかもしれません(多分) w

だからマイケルは「You guys are sick, sick.」と
爆笑しながら言う訳ですw


又、この「sick」にも、「病気」の他に、
「むかむかする、うんざりする」という意味があるので、

この場合の訳も

「お前らムカつくっつwww マジムカつくぜっつ!!!www」
という感じかもしれません。


最後の「My man, Joe College.」の「Joe College」は
「典型的アメリカ人」という意味で

「Joe」に「名前の分からない、一般的、典型的」という意味がある事から
「My man」というブラザー語を受けて、

「真面目野郎」と訳されたと思います。


※これはウチの独断と偏見による意訳なので
真面目に受け取って 本気で間違いを指摘するのは ご勘弁を・・・

こんな記事に真面目なコメントを書かれてしまうと、
本当に申し訳ないので・・・w


▲目次へ▲
■4.「眼鏡」の話で気まずい空気になった理由■

所で、
ここでの会話が 「盗んだ眼鏡」 の話に触れると
空気が気まずくなった事の意味が分からないという意見があり

マイケルと親友達との間に出来た 「溝」 がそうさせている
というのが

分かりづらい和訳 (苦肉の策という話もあるw) になっていて
真意が伝わりにくくなっているのかもしれないので

解説しますと


この場面で階上の男は眼鏡フレームに付いて
「What they wear ? They wear turtle-shell glasses?」
「連中は (眼鏡は) 何掛けてるんだ? 亀のコウラ 眼鏡を掛けてるのか?」

と言った後

「That's tortoiseshell .」
「これは、 べっ甲 だよ」

と言っているので、

階上の男が「 tortoiseshell 」と言わなければいけない所を
turtle-shell 」と言い間違いをしたのをマイケルが指摘した
事が分かります。 という事は分かりますが。。。w

英語で言われても ニュアンス が伝わらない点が
問題になっているのでw

これが日本語の会話だと、
どういう状況にあたるのか 例をあげてみますと・・・


・・・例えば、会社で初めて重要な仕事を任された時、

社員A『コレって スゲー プラチナ だよお~』
社員B『w プレッシャー だろww ふフフwww』


・・・その仕事が自分のせいで台無しになった時に・・・

社員A「(落ち込みながら) コレって、 自業地獄 じゃね?」

社員B「それはw 自業自得 wブブっつ!!!wまあw
フフフっつ・・・確かにw地獄だわなwふふハハハハハハハハハwww」

社員A「ええw?何?wwwそうなのw?ふふハハハハハwww」


・・・と、いう様な、

テレビ朝日の浜田雅功司会の人気バラエティー番組
『そんなコト考えた事なかったクイズ!トリニクって何の肉!?』 での
珍回答を連発する平成モンスター達の様に

ネタでは無く 素で間違える愛すべき人物 に対して突っ込む
という感じの状況にあたります。


只、実はそれが問題では無くて・・・w


この時のマイケルが、
「この眼鏡フレームが「べっ甲」と呼ばれているのは
小学生でも知っているぞ、しっかりしろっつ」

という様な 目上的な口調 で 階上の友人に指摘した事で

階上の友人が軽く 傷付いた 事を、他の二人が反応して
気まずくなった 空気 を作った所に、

問題がある訳です。


つまり、

親友達3人にしてみれば、学があるとか無いとか、
根性があるとか無いとか、金があるとか無いとか 関係なく

心を許せる仲 として、
これまでマイケルと付き合ってきたにも関わらず、

それまでこの様な 言い間違い をしても
直前にウェズリー・スナイプスとバカ話をして花を咲かせた様に

笑ってスルーしてきた様な事に対して

今回に限ってマイケルは、
戸惑いながらも 突き放す様な態度 を取り
間違いを指摘して来た事に、異変を感じ取り

改めてマイケルがスラム街を出て行って優秀校に通う様な
生きる世界が違う 人間になった事を実感した
スラム街以外の世界を未だ知らない3人が、

取り残された 様な違和感を感じた事が
空気を気まずくした理由と言えます。




なぜマイケルが友人を傷つけてまで、
高飛車な物言いをしたのか も
地下鉄で先生と親友の数を競った事の 本当の理由 も

この後の唄の場面で 明らかとなります。

そうしてウェズリー・スナイプスは
「Foots, l think we better go for a walk, man.」
(とっとと、出かけようぜ) と言って、マイケルを夜の街に連れ出します


▲目次へ▲
■5.杖を付いた男は何者?■

次に、杖の男が出てくる場面ですが、
まず、杖を付いた男は近づいてきた男に あるモノ を売りますが

有り体に言えばこれはいわゆる 「ドラッグ」 でしょう。

只、
よく見るとこの場所は裏通りでもなんでも無く、
街頭のある通りに高級車が路上駐車していて、
その間に人(運転手?刑事?) が立って4人を見ていて

向こうにはクラブ(多分) の客が集まっている様な

警察がパトカーで巡回してくる感じの、
人が往来する路上の角なので、

この様な周りから見られている様な場所で
違法な「麻薬」の類を売るのは考えにくく

又、この人物は 足が悪い事もあって
ワザと人目につく、族に襲われにくい場所で

商売をやっている様な印象があるので

恐らく若者達に流行りのタバコ感覚でハイになれる
違法スレスレの 「ハーブ」

クラブの客相手に売っている 売人 だと思われます。


男は杖を付きながらマイケル達に近付いて
「You looking for somebody?」(誰か探してるのか?)
と言うと、腰にぶら下げた拳銃を見せるのですが

拳銃を見せながらこのセリフが出てきたという事は
このセリフの意味は

(襲う奴でも探しているのか? まさか俺か?) となりますので


勿論マイケル達4人はこの男から
「ハーブ」を買おうとしている訳では 無く、

又、足が悪い事に対して哀れと思って見ている訳でも
無い事は、状況を見れば分かります。


加えてこの男の鼻をすする素振りは、

ドラッグの中毒症状の体の弱った様でもあり
片足を引きずりながら杖を付いて歩く様子は、健常者では無い様でもあり

或いは、
杖を付いてはいても 本当に足が悪いのか どうか不明で
警察に目こぼしを受ける為か、障害者保証目当ての 芝居の可能性 もあり

又この男は
襲われたらひとたまりもない様な弱々しい人間なのかと言えば、

鼻をすすった手に巻かれた包帯は、
バンテージを巻いた 元ボクサーの様 でもあり

加えて 拳銃 を所持している所から
大の男が4人がかりで襲っても、勝ち目は無い様でもあり


つまりは、ウェズリース・ナイプス達はそんな事を考えながら


銃を見ても見慣れているかの様な乾いた眼で
得体のしれないこの男を、 カモれるかどうか 物色している所を描いた

場面の様に思われます。


結局4人はその場を離れて行くのですが
男はいつもの事の様に気にも留めず次の客を待つという

スラム街に日常茶飯事に起こる闇を感じる場面でした。


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■6.友人達に激昂するマイケルの真意■

次に
追い剥ぎを持ちかけるスナイプスにマイケルが激しく拒否をする場面ですが

状況から言うと、 先程のバイヤーを襲う 算段をしている様な
そんな印象があるので

マイケルは、
相手は足は悪くても銃を持っているのに正気か? と
スナイプスを止めている所の様な感じがあります。


これはスラムの貧困層で 昔からこうして生きて来た 事を彷彿とさせる場面で
いつかスラム街を出て を叶えたいと願ってきたマイケルの 心を苛む

過ちに満ちた過去の 「闇」 を感じさせる場面であり

MV冒頭で カメラを睨むよう にゆっくりと顔を上げるマイケルの
怖い表情も、

この様な 黒歴史 の過去に囚われている
心の闇を描いたものではないかと思われます。


従って
ここでウェズリー・スナイプスがマイケルに
帰省してきた初日にいきなり追い剥ぎを持ちかけたのは

先程の眼鏡の件でも感じた 自分達との間に出来た 「溝」 に対して

スラム街しか知らない、将来も知れないウェズリー・スナイプスが
スラム街の外の世界を知り前途洋々なマイケルに嫉妬の様な 対抗意識

実際に先程の男を狙っているのかどうかはともかくとして、
銃を持つ様な危険な相手を狙うという

命知らず の男気を見せたいのか

又は、直様カモになりそうな人物を選択して
短時間で追い剥ぎをする プロ的 なスマートな行動を取る事で

裏社会を賢く立ち回る 狡猾 さを見せようとしているのか

マイケルに無いものを見せ付けようとしている様にも思われ

加えて、
今、追い剥ぎを持ちかけても 仲間 として一緒に行動するかどうか
スラムを出て変わってしまったのかどうか マイケルを試している

という意味も含まれている言動の様な印象があります。


この時マイケルは激昂して
「You want to see who's bad?」(誰がバッドか見たいか?)と言い

ウェズリー・スナイプス達を連れ出します。


マイケルがこうするのは、
このままでは誰かが銃で撃たれたる危険性や

思わぬ不測の事態で警察に捕まる可能性を考えて

自分から話を持ちかける事で
ウェズリー・スナイプスを制止して

最悪の事態を 回避 しようとした意図があった上の行動だったと
思われます。


ここでマイケルは地下鉄で先生と別れた後の時と同じ様に
手袋を取りますが

これは、
あの時決めた 覚悟 をここで見せなければという

どんなに辛くてもウェズリー・スナイプス達に対して
今ここで見せなければならない事があると決意した

腹をくくった 態度の現れ と言えます。


この後
マイケルは地下鉄の構内で待ち伏せをして
被害に遭う所だった人物を逃してウェズリー・スナイプス達と対峙します

ここでウェズリー・スナイプスは、マイケルが仲間を捨てる気だと確信して


「You ain't down with us no more. You ain't down. You ain't bad.」
と、マイケルを罵ります。

「ain't down」は(もうゴメンだ) という意味ですが

意訳すると、
「Down」は親指を下に下げる「サム・ダウン」行為を表しているので
(もう仲間じゃねえ) という感じでしょうか


これに対してマイケルは、
まるでこれまでの自分を罵る様にウェズリー・スナイプス達を

「You ain't bad !!! You ain't nothing !!!」
と罵倒します

「nothing」は「何でも無い」「何者でも無い」という意味で
「nothing」の前に付いている「ain't」は「are not」の短縮形ですが

これは先程と同じで 単に短縮 しているという訳ではなくて

日本語の場合で言う「と言う風に言うよりも」を
「っていうかあ~」「っつうかぁ~」と短縮する様な

汚い若者言葉 に値しますので

「You ain't bad !!! You ain't nothing !!! 」を 意訳すると
「テメエはワルじゃねえっつ!!! クズだあっつ!!!」

位の激しい罵倒だと分かります。



ここで急に白黒画面からカラーに変わり
唄とダンス・パートになります

本作を監督したマーティン・スコセッシ監督はかつて
ライザ・ミネリ、ロバート・デ・ニーロ 主演で

(77)『ニューヨーク・ニューヨーク』 というミュージカル映画を
撮っており、

ここからの 極めてミュージカル的な展開を演出するには
前作のジョン・ランディス監督よりも適任と言えるのですが、

これまで普通に芝居をしていた人物が急に唄って踊り出す事に違和感を感じる
「ミュージカル嫌い」 な方々にとってみれば

「唄うんじゃないっつ!!!」と言いたくなる場面となりますW

これに付いては、

2020年7月に亡くなられた俳優の 三浦春馬 氏が生前朝のラジオ番組の中で
ミュージカルで突然踊って唄い出す演出に付いて
本場ブロードウェイで教わった事として

抑えきれない感情 があるから、体が動いて、 踊り出し て歌い出す。
 それを (物語と) うまく連結させること (が重要)」と語った事が

実に腑に落ちたので、

ミュージカルの必然性を説明する言葉としては
これまでに無い程、非常に印象に残った言葉となりました。


従ってこのパートの捉え方は

白黒 画面のパートが リアルな世界 で、
カラー になった所から イメージの世界 となり、

「お前はクズだっと!!!」と怒鳴った後、マイケルの中の 何かが弾け て、
「バッド」を称える象徴の様なダンサー達を従えて
マイケルが 真の姿 を顕にして唄いながらアジテーションする、
という、

その様なパートを加えた
ミュージカルを新たな解釈で映像化した作品と捉える事が出来、

芝居の途中で唐突に唄い出す従来のスタイルに対して拒否反応を示される方も
受け入れやすい構成と言えますし

又、 リアル では普通に立って 怒鳴 っていると捉えれば
腑に落ちる事と思います。


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■7.ダンス場面で描かれた別れの真相■

さて「バッド」の歌詞ですが、

このダンスシーンの中でマイケルは
ウェズリー・スナイプス達に本当の男とは何かを
ほぼ罵倒する形で言い聞かせながらも、

「俺とお前達とではもう住む世界が違う、これでサヨナラだ」
という事を言いたいのでは無く、

マイケルの自己体験として、・・・まあ、ダリルのですがw

スラム街を出て無限の可能性が拡がる世界を見て
「本物」 を目指すという目標を持つ事が出来た事から

今は分からなくても、道は違っても、どんな世界で生きようとも
自分達の 目標 となる「本物」を目指せ

という 「本気」 の気持ちを
激昂する歌唱と激しいダンスで表現し

その全てを仲間達にぶつけた
そんな内容になっております。


その様な内容の歌詞と
激しいダンスと激昂する唄で表現しようとする
演出意図とは何か、と考えますと

マイケルにとっては、3人は掛け替えのない大切な親友だから

本物 の「漢」となったマイケルを
鋲付きベルトを身にまとった黒装束姿で具現化させて

親友達3人の前でマイケルとの 「人間」 の差を、
敢えて嫌という程見せつけて、

「どんなにワルぶっても、今のお前たちは只のクズだ」と、
心を砕きながらも ハッキリと分かる様に 伝え

どんな事でも良いから「本物」を目指せと
命がけで「説得」したマイケルの

「本物の友情」 の姿を描きたかった所にあったのではないかと
思います。


地下鉄での会話で 下車際に先生は 「親友は4人」 と言いましたが

おそらく先生の親友達も スラムで徒党を組み
盗みタカリをしていた人物達だったと思われ

先生は 先程のマイケルがした様に
そんな半端な生き方しかしていない親友達を本気で罵倒し
「本物」になれと伝えた後、袂を分かち合った過去を

話した様な印象があり

今はそれぞれの道を歩み、
おそらくもう会ってはいないのかもしれない ながらも

自分の話を理解して、何かの 「本物」 を目指した彼らを、
誇り を持って 「親友は4人」 と語ったのだと思います。


恐らくマイケルは先生からそんな話を聞き、
先生と同じ様に、親友達の為に説得をしようと決意して

捨てるのは 「過去」 であって「友人」では無いという境地で
ウェズリー・スナイプス達に激昂しながら敢えて罵倒したのでしょう。


ウェズリー・スナイプス達も そんなマイケルを理解して
共に別々の人生を生きる道を選んだという

親友達との辛い別れを通して 大人 へと成長する少年達の
苦い青春 を描いた物語が

本MVで描かれた事だったと思われます。



マーチン・スコセッシ監督は
人物の背景が分かる様な ディテイル を演出に施し
その上で多くを描かない語り口で撮り上げる手法を好んで使う作家ですが

その為なのか時折演出意図が観客に 曲解 して伝わる事が少なくない
印象を受けます。

恐らくスコセッシ監督が作品にその様な演出を施すのも

人の行動とは、 中身 とは
傍から見ているだけでは、 外見だけでは 分からない もの
という自論を持ち

それが数々の名作を誕生させてきた
創作意欲の 源泉 になっていたからなのかも

しれません☆


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Cyndi Lauper - Time After Time (1984)

シンディー・ローパー - タイム・アフター・タイム (過ぎ去りし想い)

収録アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』


Cyndi Lauper at the 2008 Gay Parade in San Francisco
Cyndi Lauper (画像参照: wikimedia)

​日本 守護天使​


主に80年代に活躍したヒットメーカーで
奇抜なファッションと物怖じしない人柄で時代の申し子となった
シンディー・ローパー

全米1位を獲得した大ヒット曲で

マイルス・デイビス タック&パティ の様な
ジャズ畑のアーティストの他、様々なジャンルのアーティストを魅了し
カバー曲としても人気の高い

80年代ポップスを代表するバラードの名曲です。


「先を行く私」に対して「追い付けないあなた」という男女関係の中で
何度も何度も追いつくまで待っている 「私」

いつか追いつけなくなる 「あなた」 を待つ様に別れの予感を感じながら
巡る想いを時計の針に重ねるという構成で

独自のファッション・センスに奇抜な風貌通りのサウンドだった
デビュー曲とは趣の異なった

ソウル・バラードのエッセンスでしとやかに歌い上げる
正統派な楽曲でもあります。



本作で恋人役を演じる人物は、シンディーの当時のマネージャーで
MVの制作費を浮かせる事が目的の一つと思われますが

他のMVでも身内を起用して 普段からスタッフを 家族のように扱う
シンディの温かい人柄が見て取れるものがあります。

作られる楽曲にも聴いているだけで元気になる様な所があり

2011年に発生した東日本大震災では、殆どの外人アーティストが
福島第一原子力発電所事故での災害を案じて

次々と来日をキャンセルしたり、日本から 退避 する中で
予定通り公演を行い、

更には日本の現状、窮状をCNNの番組を通して 世界に 訴え
日本に対する支援や募金などの 助力 を求めるといった

自主的に積極的な救済行動を取るなど

強い信念を持つ明るい性格の持ち主である一方で
感受性の強い 側面を持ち

あの奇抜なファッションで本当の自分を隠しながら
スターである事に悩むあまり孤独に苛まれ

自分のパーティーでもホテルの自室に引きこもり
出席しなかった事もあったという

複雑な人物でもあった様です。


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Mike + The Mechanics - Silent Running (1985)
マイク&ザ・メカニクス - サイレント・ランニング

収録アルバム『マイク&ザ・メカニックス』


Mike Rutherford
Mike Rutherford (画像参照: wikimedia)

​GNESISサウンド 要​


GENESISのギタリスト マイク・ラザフォード 率いるプロジェクト
マイク&ザ・メカニクス がリリースした 全米大ヒット曲で

異星人 である事を知らずに地球で育った少年の元に
父親を名乗る人物が宇宙船で 迎えに来る という内容で

曲に意図的にセリフを被せるなど、
架空の映画の主題歌というコンセプトで撮られたMVは

まるでスピルバーグ監督のSF映画を観るような 壮大な世界観 を感じる
エモーショナルな楽曲になっております。


マイク・ラザフォードは元々はベーシストとして
GENESIS サウンドの土台を支える人物だったのですが

リーダーの ピーター・ガブリエル
ギタリストの スティーブ・ハケット の脱退後は

ギタリストとしてメロディーの要を担う
GNESISサウンドを構築するには無くてはならない重要なポジションを占め

マイクとキーボードの トニー・バンクス とのユニットに
フィル・コリンズ をフィーチャーした様相で

後期GENESISでの世界的ブレイクに貢献します


GENESISではフィル・コリンズとトニー・バンクスの存在感に押されて
影の存在 の様に語られる所がありましたが、

自身のバンド 「マイク&ザ・メカニクス」 での

広大に拡がる様なウォームなサウンドに
映画音楽の様なエモーショナルで壮大な 音世界 で作られた

数々のヒット曲を生み出す 手腕 を見てみますと

​​​​​​​​​​​​フィル・コリンズの持つ、ファンク、ソウルベースのポップサウンドに
トニー・バンクスの持つ、重厚なクラシックサウンドとの

水と油 の様な取り合わせに対して

それらを包み込むようなマイク・ラザフォードの ウォーム なサウンドが
二人の個性を繋ぐ役割を果たし、GENESISサウンドを成立させていた

唯一無二 な存在であった事が分かります。



本曲でボーカルを取っているのはソロアーティストの ポール・キャラック
トニー・バンクス のソロでもボーカルを取っている
GENESISゆかりの人物ですが

声質がフィル・コリンズ似でもある事から
本曲のGENESIS寄りの音世界にもマッチする人選だった様に
思われます。


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Mick Jagger - Just Another Night (1985)
ミック・ジャガー - ジャスト・アナザー・ナイト

収録アルバム『シーズ・ザ・ボス』


Mick Jagger (1982)
Mick Jagger (画像参照: wikimedia)

ロック界の寵児


ローリング・ストーンズ のボーカル ミック・ジャガー
MTV全盛期にリリースした事実上初ソロ・プロジェクトで

ジェフ・ベック ナイル・ロジャース など
錚々たるメンバーが参加した話題作からの

先行リリースされた大ヒット・シングル曲です


アルバムは全体的にストーンズを継承したサウンドになっていますが

80年代ポップスを代表するヒットメーカー、
ナイル・ロジャースが参加した曲は

如実にナイル・ロジャースサウンドになっているなど

旧来からのストーンズのファンとメインストリームのヒット曲リスナー
双方を満足させる為の楽曲作りになっていながらも

それら全てを糾合する様なトータルな内容に聴こえるのは、
大スターならではの圧倒的 存在感 を感じさせるものがあります。


MVは先程の『サイレント・ランニング』の様に
映画の一場面風に撮られたものの様に見えますが

本作はプロモーション用として実際に 長編映画 作品として制作されたもので

原題は 『Running Out of Luck』 という作品の
ラスト・シーンが (※記憶が確かならw) そのまま使われております。

日本では80年代中期に
『ミック・ジャガーのおかしな逃避行』 という邦題で
TV放送された事がありますが

知る限りではDVD化されていない幻の作品でもあります。


内容はうろ覚えですがw
MVを撮影に訪れたリオの街でカモられて身ぐるみを剥がされた末
知らない場所に放り出されたミックが

ストーンズの事を誰も知らない様な人里離れた村から村を
受難の旅をする中、ふとした事で知り合った女性が
数々の幸運を呼ぶという物語で

MVを撮影する監督役で デニス・ホッパー が出演していましたが
内容は若干コメディータッチで良くある感じの B級作品 でしたw


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TOTO - Stranger In Town (1984)
TOTO - ストレンジャー・イン・タウン

収録アルバム『アイソレーション』


Image-SteveLukather
Steve Lukather (画像参照: wikimedia)

​暗いTOTO 言われました​


スター・ミュージシャン集団として鳴り物入りでデビューし
80年代を代表するアーバンポップの旗手としても

前作 (82)『TOTO IV〜聖なる剣〜』 の大ヒットで
世界的存在となったTOTOが

ボーカルの デビッド・キンボール
ベースの デヴィッド・ハンゲイト の脱退というピンチを逆手に取り

ロック・スタイルのボーカリスト、 ファーギー・フレデリクセン
今後パーソナル・メンバーとなるベースの マイク・ポーカロ を迎えて

それまでのTOTOサウンドから ハード・ロック・サウンド へと
一新したアルバムから大ヒット・シングルとなった

「ダーク」な色合いと アラン・パーソンズ・プロジェクト の様な
エモーショナルな作風を持つ 異色作となっています。


1961年の映画 『汚れなき瞳』 をモチーフにしたと言われるMVは

『エクソシスト3』『エイリアン4』『ロード・オブ・ザ・リング』
に出演した個性派俳優 ブラッド・ドゥーリフ 起用し

何かの罪を犯して足を負傷して逃亡する男が
郊外の民家の納屋に逃げ込み

納屋で男を見付けて
キリストが再来したと信じる子供達にかくまわれて

渡された聖書を子供たちに読み聞かせながら
やがて子供達と打ち解ける中で警官隊に囲まれ

手を上げ連行される姿がキリストの様に映るという
ミステリアスな作品に仕上がっており


社会不和と先の見えない世界情勢の中での
80年代という不安な世相を反映させた

得体の知れないものへの恐怖心から生まれる
偏見と差別を描いた内容の楽曲となっております。


アルバム全体は、先程も話した
メロディアスでポップなハードロックサウンドで占められていますが

通常、バンドが危機的状況に陥った時は
それを達観するかの緊張感あふれる内容になる所を

むしろ、ウェットでプログレ的なこれまでの
複雑で内省的なサウンドを廃して

ストレ
ートなサウンドに変化する所など、

水を得た魚の様に、ギターテクニックを見せつける
ギター・ボーカルの スティーブ・ルカサー

バンドのイニシアチブが移ったかの様な
激しいサウンドが印象的なアルバムを占める中、

ウェットなサウンドの要で
陰りを帯びたボーカルで本曲を唄っている

キーボード・ボーカルの デヴィッド・ペイチ
追い込まれたような様相から見えてくる

これまでのウェットでプログレな
80年代のメインストリームにそぐわない

ストーレートさに欠けるこれまでのTOTOサウンドを
この機会を利用して捨て去るという

ある種の「断捨離」に対して、
嬉々とする者と、憂鬱になるものとで二分した

これまでのTOTOサウンドを捨てきれないデヴィッド・ペイチの執念が
サウンド化したかの所に、

本曲がアルバム中 唯一、ダークなサウンドになった理由が
あったのかもしれません。


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Madonna - Papa Don't Preach (1986)
マドンナ - パパ・ドント・プリーチ

収録アルバム『トゥルー・ブルー』


Madonna Rebel Heart Tour 2015 - Stockholm (23051472299) (cropped)
Madonna (画像参照: wikimedia)

​昔から 爪を隠す のが​ 上手 い方でした​


前作84年の 『ライク・ア・ヴァージン』 での
80年代の女性 ファッション・リーダー としての

アーティスト・イメージをガラリと変え

「未成年の出産」という現実的な 社会問題
一般的な父子家庭を舞台にして

等身大の女性 の視点で愛と苦悩を描いた
マドンナの全米1位の大ヒット曲です。

ファッション・リーダーとして全米女性の憧れの的であったマドンナが

社会情勢を視野に入れてメッセージ性の強い楽曲制作を行い
世界的な展開を目指すアーティストへと成長して行く中で

女性の代表として社会問題に切り込んだ作品で

男女関係と親子の絆という、 普遍的 なテーマを根底に置いた
ヤングのスターから大人のアーティストへと成長する途上の

マドンナ自身を投影させた 非常に心情深い名曲に仕上がっています。


「ライク・ア・ヴァージン」時代のマドンナは
今どきの我がままな、気まぐれ女子の代表格の様な

若さをさらけ出した様な、若干「擦れた」イメージでデビューし
全米の若者の支持を得ましたが、

「ライク・ア・ヴァージン」での、
喉を絞った様な女子声とは打って変わった様な

ライブでは腹から発声する太い声で、忠実にダンスをこなしながら
唄って踊るという、正統派な面が見え隠れする所から

本来持った強力な歌唱力を封じて、女優としても成功した素質が加わり
唄のイメージ通りの「我がままボイス」で変換させた

ある種『マドンナ』という「ブランド」を忠実に演じた所に

企画力ありきの一発屋で終わった、
80年代当時デビューしたその他のアーティスト達と

一線を画した理由があった様に思われます。


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Billy Joel - Allentown (1982)
ビリー・ジョエル - アレンタウン

収録アルバム『ナイロン・カーテン』


BillyJoel2016MSG
Billy Joel (画像参照: wikimedia)

​​ める ピアノマン ​​


70年代から80年代後期にかけて数多くのヒット曲を出し
その後はライブ活動を中心とした息の長い活動を続けるアーティスト

ビリー・ジョエル

これまでは アーバンポップの旗手 として、
等身大で生きる人の姿を通した自国愛を語るスタイルから一転して

ストレスに晒される現代人の心象問題から社会問題、
更には戦争批判まで取り上げる 問題作 的アルバムから

アメリカ独立戦争では自由の鐘を死守した地として知られ
米国産業革命発祥の地としても米国史上重要な地として繁栄していた

ペンシルバニア州の工業地帯アレンタウンの衰退と 貧困問題 を描き

トレードマークのピアノでは無く ギター を手に歌う姿が話題となった
ヒットシングル曲です。


本アルバムは、社会問題から戦争批判に及ぶ
メッセージ性の高い 社会派 に分類される作品で

演奏は50年代オールディーズサウンドからダンサブルなシンセサウンドまで
多義に渡っており、

ビリー本人も 『私にとってのサージェント・ペパーズだ』 と語る程
これまでのビリー・ジョエルの音楽性を一新する様な

非常にバラエティーに飛んだ会心のアルバムとなっておりますが


本曲での、古き良きアメリカを思い起こす
オールディーズサウンドをバックに

大きな社会の波の中に揉まれながらも
慎ましくも生きる人々の等身大の姿を通して描く語り口は

米国愛 をポリシーとするビリー・ジョエルの音楽そのものであり

ある種到達したビリーの音楽を聴くことが出来る
重要な作品といえるものがあります。



本アルバム制作時は ビリー不運 の年と呼ばれ

バイクの事故で左手首に重症を負いレコーディングが中断し
その間「ピアノ・マンはピアノが弾けなくなるかも」
というニュースが世界中を駆け巡りファンに衝撃を与えたり

公私共に支えられて来た夫人との離婚騒動など
様々なトラブルに見舞われる中で制作されたからなのか

『ナイロン・カーテン』 は本曲を含み
今までに無い社会的問題を扱った 異色作 となったと言われています。


マドンナ がスターダムに上ると共に作品が自然と 社会性 を帯びて
世界的な支持がヒットに繋がり今日に到るケースとは違い

ジャクソン・ブラウン の様に個人的な 不運 が影響して
作品が 社会性 を帯びるケースは多々ありますが

かつて、デビュー作が勝手な意向で不本意な内容に仕上げられ
コロンビアに移って再デビューした経緯があるビリーは

人間不信から 鬱病 を患い、
それが少なからず 作品に影を落としてきた 所があり

今回のコンセプトの激変は、
トラブルに見舞われた精神的不安定の現れと言うよりは

元々の 人間不信 が大きく顔を出して
トラブルに見舞われる前の、 平和な頃 を思い起こす

過去の楽曲とは全く違うタイプの楽曲を
作らざるにはいられなかった様な 精神状態 だったという印象があり

93年の 『リヴァーオブドリーム』 発表以後
40代半ばのアーティストとして最も脂が乗った時期に

引退 を表明し新作リリースを辞めてしまったのも

度重なる人間不信により、音楽を作る事が出来無くなってしまった事が
理由だったのかも

しれません


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Prince - Purple Rain (1984)
プリンス - パープル・レイン

収録アルバム『パープル・レイン』


Prince by jimieye
Prince (画像参照: wikimedia)

​​元 プリンス だった がある​​


2016年に惜しくもこの世を去った孤高のアーティスト、 プリンス

黒人ミュージシャンとしては
ミュージックビデオ専門チャンネル「MTV」で

マイケル・ジャクソン と並んで 初めてMVが放送された事で
日本でも存在が知られる様になった80年代の 絶頂期 に制作された作品で

自伝的物語を映像作品として映画公開し
オリジナルアルバムがそのまま映画の サウンドトラック としてリリースし

MTV全盛期が後押しして 映画、アルバム 双方の大ヒットに繋げた作品の
表題作となったバラード曲です。


中性的なビジュアルとミ ネアポリス・サウンド ベースの
ファンク・ミュージックの旗手というイメージが強く

80年代メインストリームの中心的存在のスタイリッシュなアーティストとして
日本でも良く知られていますが

ステージはブラック・ミュージックのアーティストらしい
エンタテイメントに徹した 骨太 な演奏を聴かせる

正統派 という側面を持ったアーティストでもありました。


本曲も 正統派ソウル・バラード の強力曲で
音楽的センスの幅広さと共にドラマティックに畳み掛ける力技も持ち合わせた

プリンスの音楽性の高さが伺えるナンバーになっています。


本作のMVも先程の ミック・ジャガー と同様
映画のラスト・シーンをそのままMVに流用したものになっており

本曲は アカデミー主題歌賞 を受賞した名曲ですが

途中、女性ギタリストが感極まっていたり
中年の男がステージを凝視していたりと

映画未見だと事情が分からない場面があります


それで肝心の映画の内容は と言いますと・・・

自伝的作品 と謳ってはいますが、
父親と反りが合わないという点以外は関係ない内容の様で、

脚本がダメなのか演出がダメなのか・・・ダメ映画と言ってしまいますがW

家庭に問題があり、
大人を信用できなかったプリンスは早くから自立心を芽生えさせ

成人してからは人に任せず何でも自分で決めてしまう様な
バンドメンバーが音楽の提案をしても無下に却下する

独善的な人物となり
やがてバンドメンバーとも、恋人とも仲違いした そんな折、

自殺未遂をした不仲な父親の部屋の戸棚から
かつて音楽家を目指した時の古い譜面が見つかり

知られざる若き父親の夢と挫折を知った時、自分の中の何かと重なり
それを期に人との絆の大切さを理解して

不仲となった仲間とも和解しステージに立つと
自分から離れて行った友人、父親、恋人の姿があった・・・

と言った
洋画ファンの眼鏡にはとてもかなわない ベタ過ぎる 内容でw

完全にプリンスのステージがメインの プロモーション映像 という
お話は添え物 という感じの映画ですが

どうもプリンスのファンもストーリーは二の次で観ていた様で

プリンスのファンにとっても
言わずもがなの 事の様でしたw


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Phil Collins - I Wish It Would Rain Down (1990)
フィル・コリンズ - 雨にお願い

収録アルバム『バット・シリアスリー』


Phil Collins
Phil Collins (画像参照: wikimedia)

​​​​ GENESIS加入時
いつピーター・ガブリエルから
を言い渡されるか
ビクビク していたそうです。​​​​



MTV全盛期にヒット曲を連発し、
プロデューサーとしても様々なアーティストのアルバムを手掛けた
ヒットメーカーで

引退を表明した後再び第一線に復帰し
近年、 ジェネシス 復活の機運が高まり、

再び注目を浴びる個性派アーティスト、 フィル・コリンズ

全世界でアルバムセールス1位を記録し
前作のエンタテイメントに徹したポップアルバムから一転して

貧困問題から戦争批判に至る、社会問題に言及した
シビアな内容 のメッセージ性の強い楽曲で占められた 問題作的 アルバムから

ギタリストで大スターの エリック・クラプトン の起用で話題となった
大ヒットバラードナンバーです。


初っ端からクラプトンのギターがむせび泣く、

ゴスペル風に畳み掛けるような壮大な演奏へと発展して行く
王道の ロッカ・バラード ながらも

随所にフィル・コリンズらしい ポップな味付け が光る
極上のバラード曲に仕上がっております。


MVは、 エリック・クラプトン をゲストに
50年代ハリウッド・ムービー風演出で

見る見るスターダムにのし上がる
ゴールドラッシュ を思わせる破竹の勢いと
夢から醒めた様に大恐慌時代の不況の現実が叩きつけられる

米国の繁栄と衰退を短時間で体感する様な

マルタの鷹 マリリン・モンロー などの名作映画のパロディが
洋画ファンを ニヤリ とさせる

一夜の夜の夢 を思わせるドラマティックな仕上がりになっていますが、

80年代当時、出す曲全てがヒットし本作アルバムの収録曲
『アナザー・デイ・パラダイス』 がグラミー賞にも輝いた

ヒットメーカーだったフィル・コリンズが

このアルバム以降、 ブラー オアシス などの
オルタナティブミュージック の登場で、

時代が80年代ポップスへの求心力が薄れるに連れて

アルバムセールスが急激に下降し
特に米国での売上が落ち込む所など、

その後の自身の低迷を予見した様な内容になっている点が
興味深い所でもあります。


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Kate Bush - Cloudbusting (1985)
ケイト・ブッシュ - クラウドバスティング


収録アルバム『愛のかたち』

Kate Bush at 1986 Comic Relief (cropped)
Kate Bush (画像参照: wikimedia)

孤高の歌姫


かつて無いダークファンタジーの世界観を持ったデビューアルバムで
彗星の様に登場し

70年代当時はまだ、ダンスパフォーマンスが一般的では無かった時代に
バレエダンスや演劇風のパフォーマンスをライブに導入し

唯一無二 の音楽制作を続ける天才アーティスト、 ケイト・ブッシュ
MTV全盛期にリリースされ、

自身のキャリアの 集大成的作品 となったアルバムから

精神学者 ピーター・ライヒ が実父でオーストリアの物理学者
ヴルヘイルム・ライヒ との思い出を子供の視線で描いた

1973年の書籍 『A Book of Dreams』 からインスパイアされた
エモーショナルな楽曲です。



本作は、早すぎた研究故に迫害を受けてきた精神学者
ヴルヘイルム・ライヒ

自然界に充満する生命エネルギーを集める研究に出てくる
オルゴン放射器 「クラウドバスター」 をモチーフにし

父と子の絆 を描いた感動的な作品に仕上がっており

ケイトはこの役の為に長い髪を短く切り 父親の研究を手伝う
健気な息子役を好演しています

このMVは当時発表された 他のどのMVとも違い
映像が台詞無しで進行する完全なドラマになっており

実話ではオルゴンによってラジウムの放射能中和を試みる過程で
研究所上空に集積された負のオルゴンによる黒雲(死のオルゴン)を

除去する為開発した「クラウドバスター」というマシンを

本MVでは 雨を降らせるマシン として
親子で山に運び実験する様子が描かれる

ファンタジー作品になっています。


MVの中でケイト・ブッシュ演じる息子ピーターが
父親の研究の副産物なのか、予知能力で父親が連行される所が見えて

後ずさり父親に抱きついた時

父親のポケットから ピータ・ライヒ著『A Book of Dreams』を見付けて

ピーターにあたる息子が
「あ!w僕が読んだ本 読んでるぅ~w」という顔をするので

この作品がヴルヘイルム・ライヒの物語を元にしたお話で
厳密にはライヒ親子では無いのですが


実話ではライヒは、この研究をがん治療に活かそうと
「オルゴン・ボックス」 と呼ばれる装置を開発して販売した所、

食料品や医薬品、化粧品や医療機器などの他、
電磁波を放出するような製品の許可や違反品の取締りなどを行う機関

FDA (アメリカ食品医薬品局) に訴えられた裁判で 有罪判決 を受け

「オルゴン・ボックス」販売禁止と全著作の出版の差し止めを命じられ

それに対してライヒは
オレゴンボックスとは関係ない著作の差し止めまで行うのは
不当行為に当たると訴えて指示に従わなかったため

強制連行され収監されたコネチカット刑務所で
1957年11月3日に心臓発作で死亡しています。


本MVは 父の意思を継いだ息子が、
改良されたマシンを操り雨を降らせる事に成功し

当局に連れ去られる車内の父と 山頂でマシンを操る息子が
離れた場所で同じ成功を噛み締める 強い絆 が描かれた

秀逸なラストが印象的な作品ですが

本作のこのラストシーンは、
裁判所命令の執行の為にやって来た当局によって

刑務所へ連行される場面 という事になり

その後ライヒは獄中死する事から
あのラストの親子の魂のやり取りは、

同時に 永遠の別れ を意味する悲しいラストでもあった訳です。


ライヒを演じるのはオスカー俳優の ドナルド・サザーランド
『24』ジャック・バウアー役 キーファー・サザーランド

実の父親として知られる人物で
本MVのライヒ役は非常にはまり役となりましたが

オスカーを受賞した『M★A★S★H』で演じた
型破りな軍医役のイメージが強い個性派俳優なので

性的抑圧からの解放を目指す極端な思想を持った
ライヒを演じるのは正に適役で

サザーランドにしか演じられない型破りな学者と

同じく型にはまらない自由な表現で
アーティスト活動を続ける天才アーティスト

ケイト・ブッシュ演じる純真な息子との親子愛を演じた本MVは

共に非常に貴重で忘れられない共演となったのかも
しれません


▲目次へ▲
△▼ △▼ △▼
Paul McCartney - Pipes Of Peace (1983)
ポール・マッカートニー - パイプス・オブ・ピース

収録アルバム『パイプス・オブ・ピース』


Paul McCartney BBC Electric Proms
Paul McCartney (画像参照: wikimedia)

地球的大きさの自然体
​​
​■
元ビートルズにして音楽界のレジェンド ポール・マッカートニー

『スリラー』 で世界的な存在となった直後の
マイケル・ジャクソン との共演作が全米1位となった話題のアルバムから

1914年第一次世界大戦中のイギリス・ドイツ間の クリスマス休暇 を題材にした
ポールらしいハートフルな作品です。


本作は音楽ファンの間で反戦歌として通っている楽曲で

大戦末期の1918年には
ヨーロッパへ渡るアメリカ外征軍の大規模訓練場で
流行したと言われ

駐屯地に設けられた豚小屋や、
弾除けに掘る塹壕での不衛生さなどが温床となり

当時の地球の人口の4割が感染し全人口の1割が死亡したと言われる
「スペイン風邪」 が猛威を極める中で

多くの兵士が感染する悲惨な戦闘を強いられる事となる
大戦中の欧州が舞台の楽曲ですが

そんな現状とは対象的に、
実に平和で呑気な戦争の風景がスケッチされており

暖かい気持ちに 癒される ようなMVに仕上がっています


前作1982年リリースの 『タッグ・オブ・ウォー』
スティービーワンダー の共演など豪華アーティスト、ミュージシャンの参加が
話題となった豪華作でしたが

1981年12月に凶弾に倒れた元ビートルズの ジョン・レノン の死が影を落とし
制作は 難航 したと言われており

80年代のデジタル化の波が音楽界にも押し寄せて
これまでのやり方が通用しなくなった

先の見えない 世相の時代背景もあって
アルバムはメッセージ性の強い楽曲で占められ

その一年後リリースされた続編的存在アルバムとなった本作の
表題作となった本曲も

ラストで居眠りを始めるポールの姿からは
戦争に参加しない選択肢の示唆を感じるなど

前作同様にメッセージ性の高い楽曲の 反戦曲 ではあるのですが

リベラルな立場を取るオピニオンリーダーとしての発言
では無く

あくまで、1市民の等身大な発想で
悲惨な戦争の中でも癒やしを求める兵士達の心情と

敵同士別れて、銃を置きサッカーボールを手に取り
停戦のひと時を愉しむ 両陣営の兵士たちの姿から感じる

一体誰の為の戦いなのかに疑問を寄せながら
温かい視線で描いているという

スピルバーグのオスカー受賞作 『シンドラーのリスト』 にも通じる
戦時中最も勇気ある行為とは 「普通の人の感覚」 を持ち続ける事だと

至極当たり前 なメッセージを唄ったものであり

常に一般人の感覚で 等身大の視点 で曲作りをしてきたこれまで通りの
ヒューマニズムに溢れたポールらしい楽曲でもあるとも

思うのでした☆


▲目次へ▲
■OUTRO/後枠■時流と共に変化するMVの役割
MTV Logo 2010
MTV logo 2010 (画像参照: wikimedia)


元々 MV プロモーション 用として

TV出演やライブでの映像を併用したり、
港辺りを撮影ロケ地にして、アーティストに当て振りをさせたり、
スタジオでダンサー達をバックに口パクをする程度の

急遽仕立て上げた、
添え物 の様な存在に過ぎませんでした。

それが80年代に入り、
マイケル・ジャクソン プリンス の様な

月並みな演出で当て振りさせる様な存在では無い
エモーショナル な圧倒的パフォーマーが出現した事や

24時間MVを放送する音楽専門チャンネル
「MTV」 の開局が後押しして

プロモーション用の添え物だった「MV」が
映像と一体となった 「作品」 として注目を浴びるように

なります。

日本では 82年に
『PEARL PIERCE』 をリリースした頃の 松任谷由実 が(※多分w)

いち早く 時流 に乗って本格的なMV制作に着手しました。

それ以降様々なミュージシャン達が本格的なMV制作に乗り出し
CDリリース時はMV制作が当然という、欧米同様の 音楽界的土台

日本にも形成されて行きます。



90年代に入りますと、
内需拡大路線 の風潮が音楽界にも押し寄せ

それを受けた形として洋楽を意識した日本語によるポップス
「J-POP」 が登場し

同時に、 桑田佳祐、小田和正 の様なベテランミュージシャンが
MVの脚本を自ら描き、自ら演出する

「ミュージシャン」による MV制作 が活発化し
その延長線として映画製作に乗り出すミュージシャンが出現するなど

「ミュージシャン」達の活動が 多様性 を帯びてきた事から
この様なミュージシャンやバンドメンバーを

「アーティスト」 と呼称する様になります。


それにより、これまで 「裏方」 として音楽制作を支え
数々の名曲の輩出に、陰ながら大きく貢献してきた

音楽プロデューサー の存在にスポットが当てられ

アーティストとプロデューサーの良し悪しで
作品の内容が大きく変わる事が一般リスナーにも 認識 される様になると

これまで高級機器で音楽を鑑賞してきた オーディオマニア だけでなく、
一般リスナーも 「良い音」 を求める様になり

「サウンド」
に対する認識が大きく変わって行きます。


折しも、バブル経済の最高潮の時期でもあった事から
お金を掛けてでも最高の音質で最高の音楽を愉しむ 機運 が更に高まり

「ほこり」によるノイズが天敵だった「アナログレコード」は
ノイズレスの 「デジタルCD」 に取って代わり

安価なCD再生機器の登場によって爆発的な普及となり
それによって音楽市場が一気に 拡大

加えて、

当時最高質の音質を誇る「メタルテープ」を再生可能な
携帯カセットテーププレイヤー 「WALKMAN」 の普及により

最高の音楽を最高の音質で音楽をどんな場所でも、どんな時でも自由に、
自分の好きな様に 愉しめる という

一般のユーザーの中でも音楽に求める多様性が大きく拡がって行き
日本の音楽界に於ける 「バブル時代」 の到来となります。


しかし、91年以降のバブル経済の 崩壊 により

バブル時期にはどんな企画もCD化すればヒットし、
「企画モノ」を数多くCD化し 玉石混交 のリリースをしてきた音楽界は

バブルで浮かれていた一般ユーザーの眼が 現実志向 へと変化した影響から、

またたく間に求心力を失い、CDの売上は 激減
音楽業界は大きなダメージを受ける事になります。


一方で、
MVの需要は以前にも増して高まり
CDリリースと共にMV制作が 必須 になるなど

虚構に満ちたバブル経済を経験した一般ユーザーが音楽に求めるものが
本物 を求める方向へと変化し

これまで日本の音楽の弱点だった 「英語」 に与しない
日本の歌手がなし得なかった欧米の R&B言語 で作品作りをする

宇多田ヒカル の登場で、日本の音楽界の全てが変化し
本格派アーティスト の時代へと突入して行きます。


それに伴い、 膨大な予算 を掛けて行われる海外ロケならではの、
目を奪われる様な大自然を背景としたスペクタクルな映像による

巨大なスケール を感じるMVが、次々と制作されて行きます。


そうした潮流とは別に、
60年代ポップスから派生した レイドバック したサウンドで

リバイバル志向のスタイリッシュな都市型ミュージックとして
「渋谷系」 と呼ばれるポップカルチャーが若者の間で

急速に支持される様になるなど

主にポップス第1世代となる、
70年代に若者だった世代が子を持つ親となり

やがて第2世代となる90年代に成人した子供達が
親が聴いていた音楽を 継承 する形で

過去のポップスに影響を受けて、様々な形で取り入られたものが
「渋谷系」ミュージックとして様々なアーティストによる楽曲がリリースされ

若者たちの間で絶大な人気を博す事になります。


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■2.個人で世界展開を可能にしたYoutubeの登場


2000年に入りますと、
ストーリー性のある、 ドラマチック なMVが登場し

Mr.Children「くるみ」 桑田佳祐「東京」 などの
ストーリー性のある、ドラマチックなMVが数多く作られる様になり

その中には楽曲の尺を大きく超える様な
長さが10分以上もある 「ショートムービー」 も制作され

CDの特典映像としてリリースされるなど
「楽曲」の添え物では無い「映像作品」として

一般に 浸透 して行きます。


この様なムーブメントが一般化した 背景 にあるのは

「モノ作り」を美徳とし
「ソフト」や「サービス」と言った

「眼に見えないもの」に対して「価値」を見いだせない
「物質」に拘る日本人の 国民性 が関係していると思われ

眼に見えない「音」を収録した「レコード」「CD」が
「楽曲」を 「物質」 として価値を見出す 「試金石」 となった様に


「映像サービス」を 具現化 した「映像作品」に
一定の価値を見出した所に、

「映像作品」が一般的に 浸透 していった様に思われます。



そうした中、2005年に世界最大のオンライン動画共有サイト
「YouTube」 の登場で、

これまでMVはTVで、音楽はCDで視聴してきた状況から

2000年以降世界最大級の地球的インフラ
「インターネット」 の一般層への普及により

音楽もMVも 「ネット」 で鑑賞する時代へと変化して行きます。


それによって音楽環境も、CDで視聴する事から
ネットで音楽ファイルを購入し ダウンロード したり

月額で定期視聴できる
「サブスクリプション」 サービス配信サイトを利用したりする事で

これまで「カセットテープ」「CDディスク」と「再生プレーヤー」という
物質的にかさばる「ソフト」と「ハード」が必要だった音楽鑑賞も

「データ」となった音楽「データ」と再生する「ソフト」と
それを再生するMP3プレイヤー 「ipod」 などの

小型軽量の「ハード」の普及によって

どの場所でも、好きな時に、好きなことをしながら
音楽を自由に鑑賞することが可能となりました。


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■3.ダウンロード規制の読み違いとCDの終焉


Youtubeの登場は、これまでMVを公開する場が

TV放送か、スカパーの音楽専門チャンネルか、
CDの特典映像か、CDショップでのプロモーションか、

音楽業界が展開した 「販促」 の範囲内での鑑賞という
視聴する方法も、時間も、場所も

放送を発信する側の 都合 で左右される
一方向の公開 しか方法が無かった所を、

Youtubeに上がったMVは

誰でも、どの様にも、いつでも、どこでも、鑑賞できる
ネット 環境 を提供出来る様になりました。


それにより、
Perfume きゃりーぱみゅぱみゅ 、の様なアーティストも
表現の場をTVメディアからYoutubeに移行し

鑑賞する層を国内から国外へと拡げた事で
世界的なヒットへ繋げるという

これまで音楽業界が全国に展開する 「販促」 の力を使うしか
音楽を売り出す方法が無かった所を

ほぼ 「無料」 で、世界展開が可能となり
様々なアーティストがブレイクして行く中で、

音楽業界がこれまで蓄積してきた音楽的な土壌や、
CDパッケージ販売市場などの全ての状況が、

変化を余儀 なきされる事になります。


その一方で、
Youtubeの様な 動画共有サイト
時代が要求した 画期的 なサービスではあっても、

この共有サービスを 「無料」 と捉えたユーザー達による

著作権法に抵触し 違法 にアップロードされた
CD音源の数々をダウンロードする行為が多発し

社会問題 にまで発展する騒動が起こります。


これを受けて音楽業界は
CDパッケージ販売の弊害となるとして

ダウンロード行為を 規制 する著作権法の改正を政府に要求し
2012年10月1日に施行します。


これは、CDパッケージ販売の売上の減少を

Youtubeへの音楽違法アップロードによるものと 限定 した音楽業界が
「著作権保護」を目的とする 防衛処置 によるもので

昭和の時代から脈々と受け継がれてきた
「権利」に 固執 する日本の音楽業界らしい取り組みと言えますが、


しかしながら、 実情 は全く違ってました。


Youtubeを利用するユーザー側にしてみれば、
これら違法とされるアップロードされた音楽ファイルを

CD購入する前に「無料」の 試聴 として利用してきたという
見解 があり、

「違法」ではありましたが、、
この様なYoutubeの「無料」の プロモーション によって

むしろCDの 売上は上がって おり


2012年の改正法案によって、CDの売上激減を止めるどころか
むしろCDの売上はより下がって行ったという

逆効果
となった実情があります。


そこから見えるのは、もはやCDパッケージ販売は、
音楽ファイルダウンロード販売や音楽配信サービスに 取って代わり

業界は発足当時「違法」というだけで何の罰則を設けなかった様な
間の抜けた改正法案を通すという

デビュー間もない 「X-Japan」 YOSHIKI 達の様な
権利関係に 疎い新人 アーティストから

騙すようにハンコを押させて 奪った 様な「著作権」を守るという
S○NYの様な大会社は「権利」に 執着 する事に

躍起
になるばかりで

その様な 問題 多き旧体制体質だったSO○Yを含めた音楽界には
CDパッケージ販売が 時代遅れ の産物になっていた事が

まるで 見えていなかった 事が分かります。


それに対してYoutubeの性質を当初から見極めていた 欧米 では、
音楽ユーザーはCDで音楽を聴く事よりも

本物のアーティストが眼の前で演奏する 「ライブ」 へと
音楽的関心が変化しているという世界的な時流を見据えて

逆に楽曲やライブ映像のアップロード行為を 許容
Youtubeユーザーが 音楽を「アップロード」する行為を
音楽ユーザーが 音楽の「ライブ」へと足を運ばせる為に

「無料」の「プロモーション」として 利用 する
現実的視点で行動する一方で


「データファイル」や「ソフト」や「サービス」などの
眼に見えないモノの 価値 が分からないままの 日本の音楽業界

「著作権」として「楽曲」の利用を具現化した 「権利」
固執して 世界の時流 に乗り切れなかったという

21世紀を何年も過ぎた後次々と 「旧体質」 が浮き彫りとなった
様々な法人が陥ってきた「不祥事」の様に

遂に 「メス」 が入った出来事となったと
捉えるべき事なのかもしれません。


▲目次へ▲
■4.ネット社会の到来と多様性が求められるMV


2010年以降はガラケー携帯に代わり、爆発的に普及した スマートホン で、
一般の人々が本格的に ネット を使用し

「情報」収集ツールとして日常的に利用される様になると
Youtube の存在も

法に抵触する様な動画がアップロードされる
グレーなサイト というイメージから

世界配信される新たな インフラ へと、認識も変わり

ネットに於ける「性質」を見極めた音楽界が次々にYoutubeに 参入 して
公式チャンネルを開設してMVを公開する様になり

それに伴い、
一般が参入できる新たな表現の場として
一般の間でも、急速に浸透して行きます。

やがて、
Youtubeで動画配信するユーザーの事を
YouTuber(ユーチューバー) と呼ぶ様になり

Youtubeは 一般人 が日常的に観覧するメジャーな動画サイトとして普及し、

多くの一般YouTuberが参入し 連日 の様に動画をアップし
人気YouTuberはアクセスの広告収入で 荒稼ぎ する、

ネットバブル 状態となりますが

その後、多くの 芸能人 がYoutubeに参入した事で
一般Youtuberのアクセスは ダウン

それによってネット社会に於ける一般ブロガー、一般Youtuberへの
ある種の 「淘汰」 が拡く進んで行く様になり

一般ネットユーザーの表現先は、
LINE Twitterなどの SNS へと流れて行く一方で

「音楽、動画はネットで鑑賞」するという、
新たなライフスタイルを持つ 時代の幕開け を迎えます。



2014年になると、音楽を演る一般人、セミプロ、プロ、関係なく

音楽界大手の資本に頼らず
「インディーズ」とは 異なる理念 で個人のレーベールを立ち上げて

自主制作でMVを発信する 受け口 として
様々な アーティスト がYoutubeを利用する様になります


それまではライブ演奏を主体とした映像作品として
アーティストの顔を 広く浸透させる 目的で制作してきたMVは

Youtube登場以降
アーティストが全く顔を出さない、どこの誰かも分からない
あくまでアーティスト本人の姿を露出しない 「謎の人」 となったり

アーティストが唄わず、代わりに音声合成ソフトの 人工歌唱 による
VOCALOID 「初音ミク」 を利用した 歌唱作品や

その音楽に個性的な アニメーション 付けるユーザーの出現で、
Youtubeを介した 自然発生的 コラボ が活発化し

その様に作られたYoutubeでのMV配信が話題となり
観覧者数 百万アクセスレベルの大ヒットを飛ばすなどの

これ迄になかった形 の音楽のブレイクが、社会現象化して行きます。


そうして近年は、 瑛人 YOASOBI などの
ある種の「閉鎖感」を感じる 次世代 の作風が話題となる一方で

アーティストの歌唱力をアピールする様な、 音楽ありき のMVは、
姿を消して行きました。


かつて、 ボブ・ディラン ビートルズ が活躍した60年代、
音楽には人を魅了し、思想すら見出す 「力」 がありました

30年後の90年代には、音楽を輩出するミュージシャンが
「アーティスト」 と呼ばれる様になり

音楽をどう演出して表現するかという 「表現者」 としての価値が問われ

「映画、ドラマ」 「バライティー」 で人気を博す他、
「画家」 「小説家」 「映画監督」 として才能を発揮するなど

「音楽」以外の「要素」が問われ、

アーティストがどれだけ「多才」で 「多様性」 があるのかが
重要視される時代となって行きます


21世紀に入り、Youtube登場以降の現在では

責任ある社会人としての 規範 よりも
まずは自分達の 生活 を重んじる、今どきの 現実的 な若者達に刺さる様な

「音楽」の多様性を廃して
「音楽」と音楽を具現化した「映像」が一体となったMVが
人気を博すようになりますが

これは、その様なMV作品が主流になったと言うよりも、

音楽単体では無い 「音楽表現」の方に
今どきの若者の興味が移った様な印象があります。


この様な傾向は近年、 山下達郎 の様な 大物ミュージシャンに

「音楽が持つ 力が無くなってきた 」と言わしめる、
「音楽」単体としての存立が危ぶまれる危機的状況だと

言えるものがありますが

これは「音楽に力が無くなってきた」と額面通りに受け取るよりは

合理的志向が過ぎて、
文脈を分析して想像力を働かせる力の 欠如 が著しい、

今どきの若者達の リスナー の方に
「想像を働かせながら 音楽を 聴く力が無くなってきた 」と受け取る方が

正しい様な印象があります。


▲目次へ▲
■5.「多様性」を廃した「音楽」単体へ回帰する予期


思うに、音楽に 「力」 があると言わしめたのは

たとえそれが 「戦争景気」 がもたらしたものであったとしても
ビートルズ、ボブ・ディラン に魅了された、

戦後発展途上にあった日本に於いて

又は、
たとえそれが 「虚像」 であったとしても
バブル景気に 歓喜 する 「自信」 を背景とした 「活気」 ある

90年代の社会に於いて

様々な形で充実した「時代」に生きる、
明るい「未来」を予見する 「希望」 の中に、

聴くべき魅力を感じる音楽が生み出され、それを正当に評価できる耳が育つ
「土壌」 があった故の事だという印象があります。


つまり現在、音楽の力が無い、音楽を聴く力が無い と
言わしめる現状があるとするなら、


いくら働いても報われない、経営者の 搾取 によって薄給を強いられ、
結果、「薄利多売」が要求される

「デフレ社会」に於いての 「希望」が見えない 悲観的状況に


聴くべき 「魅力」 にリアルなモノを感じられない、
称えるべき 「正統派」 に耳を貸せない

今どきの 「感性」 が生じた所に問題があると言えます。


その一方で、
映像で音楽を聴く時代ならではの 「ライブ感」 を感じる
一発撮りMVを発信するサイトが、

90年代に起きた 「オルタナティブ」 ムーブメントの様に
静かな人気を博しており、

2000年以降の音楽の傾向と言える、
「多様性」を帯びた今どきの音楽を廃して、正当に 「音楽」のみ を評価する

その様な正統派な音楽が再び注目を浴びる様な
「原点回帰」 の機運へと繋がる事ができれば、

今は 「静かな人気」 がやがて

音楽が持つ力の「復活」に繋がる 巨大な潮流 となり得る
希望に満ちた「未来」が待つ大きな 「力の源」 となるのかも

しれません☆


というわけで今回はここまでです。
それでは良い1日を☆

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最終更新日  2022年12月07日 13時18分00秒
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