年をとると、1日1日が駆け足で過ぎて行くような気がする。
今年の夏も、駆け足で過ぎて行き今から思えばずいぶん遠い昔の様な気がする
日本でもダルクローズ国際免許が受験できるようになって、
私も数年前から2科目ずつくらいチャレンジしてきた。
そして、今年の夏の終わり、最後の科目であったレポート等を提出し、9月の末に合格通知が届いた
プラスティックアニメ、リトミック、即興(作曲含)、ソルフェージュ、リトミック指導法、ソルフェージュ指導法、論文、レポート
2回くらいに分けて受験する方もいらっしゃるでしょうが、
私にはいっぱいいっぱいで4~5年かけて受験した。
で、合格通知を手にしたからといって、今の私がガラッと変わるわけではない。
・・・・・・これでガラッと変われたらいいのに・・・・・
でも、目標としていた事が1段落してホッとしている。
先日、友人から「免許を取って何か変わった?」って聞かれた。
「ん?何も変わってないよ」って答えたのだけど、その友人はダルクローズの事をあまり知らない友人だった。
多分彼女は、「免許を取るレベルまでダルクローズを勉強して何か変わった?」と聞きたかったのだろうと思う。
そういう意味ではもちろん、ずいぶん変わった。
今まで詳しく勉強していなかった、気付かなかった、音楽の素材面での事をより理解することで自分の演奏にも指導にも幅が増えたと思う。
「拍」ってなに?「拍子」ってなに?「フレーズ」って何?
今回の免許のための試験にも提出した課題のひとつに、「拍」についても書いたのだけど、
その事だけでレポート1枚分ぐらいになる。
その事を調べるだけに本を何冊もめくった。
もちろん、勉強している時のも調べたけれど、試験を受けるってことになると調べる量も違ってくる。(怠け者の私だけかもしれないが・・・)
もちろん、「拍」の事を詳しく理解したからって、自分の演奏が見違えるように上達するわけではない。
でも、「拍」の事を以前より知ってからは、今まで良くわからず演奏、指導してきたな・・・・と思う。
特に苦手なソルフェージュ面でのダルクローズのアプローチによる練習は、私にはとても魅力的でもあり、刺激的でもあり、苦痛でもあり??!!(^_^;)
今、子どもたちへのピアノのレッスンでも、簡単なアナリーゼをする。
そして、それをより感じてもらうために動く。
私も小さい時から、ダルクローズ的なレッスンを受けていたら・・・・・と、いつも思う。
ピアノのレッスンでも、部活の音楽活動でも、歌のレッスンでも、あまりそういう指導を受けた記憶がない。
今少しづつ、ダルクローズの良さを理解してくれる人が増えてはきたと思う。
だけど、リトミック=幼児教育という考えは日本では根強い。
あと、知ってはいてくれるのだけど、「動く」ことに抵抗を感じ、
「難しすぎて」と敬遠される方も多い。
私から見ると、本で読み知る知識より、筋肉を動かし知るほうがより簡単だと思う。
演奏者はみんな「筋肉の動き」から離れることはできないのに・・・・
言葉で表現できない事はたくさんあるのに・・・・
心も身体も硬く緊張している状態では、吸収できない。
私もどちらかと言うと緊張しやすい頑固なタイプ。
ダルクローズのリトミックの時間、難しすぎて頭で一生懸命考えながらぎくしゃく動いている時間ももちろん多い。
その動きを続け、身体自体が疲れ、緊張がとれてきたころ、
音楽が自然に入ってきて、その『音』と動きが一致したとき非常に心地よい。
やっとその課題が理解できたと感じられる。
1度身体で感じ取れた感覚はなかなか忘れないものだ。
免許が取れてひと段落ついたのだけど、
区切りが一つついただけで、まだまだ勉強は続く・・・・・・
免許のもう一つ上を目指すっていうのも一つも目標となるかもしれないが、
まだまだほかにもやりたい事が実はあったりする。
でも、目指していかないといけない事は、結局は一つなので、
何に時間とお金をかけて行くかってことだな。
こんなに悩んで、時間をかけられるものに出会えて、幸せだな
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