◆夏旅・日光山


体力もしだいに快復してきたので、
夏休みに近場の日光一泊旅に出かけました。
懐かしい景色に再会して元気をもらいました。
どうぞ、ご笑覧ください。

日光杉並木♪


夏休み、お盆を過ぎてから、
近場の日光へ出かけました。
途中の有名な杉並木です。
道中の日差しを緩和するためという
幕府の配慮とか。
その恩恵は今でも生きていますね。



日光金谷ホテル♪

東部日光駅、JR日光駅を過ぎて、
お土産店などの通りを越えると、
大谷川のほとり、
赤い綺麗な橋にたどり着きます。
ここが有名な神橋です。
といっても神橋は通行有料であり、
ほとんどの人は隣の橋を渡ります。
車も隣の橋です。
この橋を見下ろす左の高台の上に
有名なホテルがあります。
ここが 日光金谷ホテルHP です。
明治早期に創業した老舗で、
東京の帝国ホテルや
箱根の富士屋ホテルとならぶ
超有名ホテルです。
予約はしなかったのですが、
ランチをいただけるか聞くとOKというので、
ここの有名なスペシャルランチを
2階レストランでいただきました。


ここが金谷ホテルの入り口です。


ここが2階のレストランです。
ちょっと予定外の出費でしたが、
結果は満腹満喫満足で、雨宿りを兼ねて、
一時リッチな気分に浸れました。
食事前にすこし時間があったので、
庭を散策し、さらに庭から降りて、
大谷川のほとりを散歩しました。




神の橋♪


先に書いた、日光の神橋(しんきょう)です。
金谷ホテル側と日光山内側(=東照宮側)
を隔てる大谷川(だいやがわ)
の激流に懸かる橋です。
有料なのにはちょっと仰天。
そのためにほとんど渡る人がいません。
この神橋、たしか昔はもっと古臭かったはず。
改修(付け替え)したのでしょう。
江戸時代初期に東照宮を作るときに、
えらい人だけここを渡れるように
制限したようです。
当時から特別な橋だったのですね。
現代は隣に掛けられた車道橋により車が
バンバン往来しています。





三匹の猿♪

階段を登ると、
世界遺産「日光の社寺」が展開しています。
真っ直ぐな坂道があり、
奥にあるのが東照宮です。
雨に降られて歩くのも、
趣があってよろしいです。
(と自己弁護)


有名な三猿です。
子供の頃には余計なものは
見るな、聞くな、言うな。
さらに上を見ながら育ち、
大人になったら下を見て・・・
とかいう人生訓のようなお話を
建物一周に猿の姿で表現しているものです。
なかなか優れものです。
でも建物一周ができないのが残念。



金と黒の陽明門♪




三猿を背に、
正面に見える鳥居の先の
階段を上ったその奥に
陽明門が小さく見えますね。
この金色、石の色では
ゴ-ルドというよりは、
パイライトの色合い^^;;;。

このさらに奥に、
さらに有料で眠り猫が寝ています。
有料で入った中でさらに有料には
さすがにむかついたので、
眠り猫はネットで探すことにしてパス。

これが 国宝=眠り猫 です。
なかなか癒される傑作ですね。
左甚五郎作といわれますが、
それは実際には後世の作り話とも言われます。


「鳴き龍」という、反響音が独特な屋敷も
脇にあるのですが、
ここは、なんと録音禁止になっていました。
(日本の世界遺産はケチですよね。
写真はだめだし、録音までだめとは。
外国では大半は自由だと思います。)
録音して減るものでもないし、
痛むワケでもない。
まあ、実際に聞いたところ、
鳴き龍?はあ?という程度。
大した音ではないから
録音するほどでもないですけれどね。






二荒山神社♪

二荒は、「ふたら」と読みますが、
音読みでは「にこう」とも読めます。
あれっと気がつく方もおられるでしょう。
そう、「日光」の由来のひとつですね。
さらに深くは、下記ウエブをご覧ください。

二荒山、日光の云われ です。

さて、東照宮を見てから坂を下ると、
右手に道があります。
その先に二荒山神社があります。

この山は杉の木が多いのですが、
その中には二本がくっついて
育った木もあるのでしょう。
上記の写真の左側は、夫婦円満の木です。
二本くっついています。
右側は三本くっついていて、一本は小さい。
だから家族円満の木になっています。




中禅寺湖と男体山♪

宿泊は残念ながら金谷ホテルではなくて、
風和里(ふわり)という、
私好みの名前のホテル。
場所は御用邸の近くです。
夕食も朝食もなかなか良かったですし、
親切な接待が何よりでした。
ここから翌日の中禅寺湖めぐりを
半日コ-スでバスに乗ることにしました。
バスがホテルまで来て、
帰りもホテルまで来るので
車をホテルにおいて行けます。


さて、そのバスに乗って
うねうね「第2いろは坂」を登ったら、
ご覧の通りのガス。
ロ-プウェイも五里霧中ですね。
これじゃ中禅寺湖も霧の中かと思いしや、
トンネルを抜けて中禅寺湖が見えたとたん、
そこは別天地、
青空が見えていました。
普段の行いがこういうときに出るんですね!


二荒山の頂上に上って、
この中禅寺湖を発見した勝道上人が
立ち木に観音像をそのままほったと言われる
立木観音像で有名な中禅寺です。


約2万年ほど前に数千年ほど活動した、
若い男体山。
その活動によって大谷川がせき止められて
中禅寺湖が出来ました。
地質学的にはほんのちょっと前に出来た
ほやほやの湖と山です。
湖面の標高が1250mほどあり、
大きな湖では最高高度です。
避暑には絶好の別世界です。







竜頭の滝♪


中禅寺からバスで湖畔を走り、戦場ヶ原への入り口、竜頭の滝に到着。ちょうど良い観瀑台が茶屋を入ったところにあります。

竜頭ノ滝は、湯ノ湖から流れ出た湯川が、湯滝を経て、男体山噴火による溶岩の上を210メートルにわたって階段状に流れ落ちている名瀑です。滝壷近くが大きな岩によって二分され、その岩の様子が竜の頭に似ていることからこの名がついたといわれます。(実物はあまりピンときませんでしたが)

脇に遊歩道があるのですが、今回は最後の滝壷を背景に写真を撮っていただくのに時間がかかり、その上流はほとんど見る時間がありませんでした。なんせニ筋の滝の間に入ろうとすると、なかなかうまくいかず、立ったり座ったり。

秋の紅葉は、この滝の流れと共に冷気が流れ下るので、この付近が真っ先に紅葉するのだそうです。周辺にはつつじの木が多いので、春の季節も良いでしょう。この上にある戦場ヶ原は今回はパス、次回の楽しみに残しました。



ボ-トハウス♪


最後は華厳の滝です。その途中、昔立てられたというボ-トハウスに立ち寄りました。シンプルな洋風木造3階建て。道路をはさんで反対側(山側)には中禅寺湖金谷ホテルがあります。もともと、こちらのランチをいただきたかったのですが、今回はバスのため無理。これも次回の楽しみにしました(^^)。
まぶしい湖面と空の青さを背景に、写真を何枚か撮りました。




巫女石♪



バスは華厳の滝へ向かいます。
華厳ってたぶん華厳経からとったんだろうなと思っていたら、
巫女石という石が鳥居の近くに左側にあるとバスの運転手が言いました。
あわてて写真を一枚、パチリッ。
日光は宗教の地です。この石も何かそれなりのいわれがあるのだろうと後で調べたら、ありました。

その昔、男体山は、その名の通り女人禁制の山で女性の方は上ってはいけないという山でした。
 ある美しき二荒山神社の巫女さんが「私は神に仕える者だから大丈夫」と思いこみ、稚児の姿で女人堂を超え、中禅寺湖畔の二荒山の鳥居をくぐろうとした時、ばれてしまい巫女さんの体が突然歪み始め、男体の神により石に変えられてしまったという伝説です。この巫女石、見方によっては、どこか寂しく男体山を見つめている悲しげな女性の姿に見えるそうな。結界を越えた天罰は怖ろしいというお話です。この日本版メドウサ、1523年には稚児石という名で歴史書に登場しているそうですから、おそらく500年以上は経っているんでしょう。




華厳の滝♪




朝霧の中をくぐりぬけ、華厳の滝に到着しましたが、その時は霧で見られないという看板がでていましたので、後回し。最後にふたたびやってきました。今度はどうかと見ると、上からはガスがかかってかなりぼっとしていまして、あきらめかけましたが、観瀑台へ降りていくエレベ-タのところにモニタ-が設置してあり、それをみると、なんとか見えています。ならばとエレベ-タに乗り込んで約100mを一気に降り、白い通路を歩いて出たところが滝の正面、観瀑台でした。見ると、華厳の滝は、凄い絶壁を一気に流れ落ち、周囲に水雲を撒き散らしていました。断崖の途中からは、12滝といわれる白糸のような小さな滝が中禅寺湖の伏流水を噴出していました。なんでも、華厳の滝から落ちる水量は中禅寺湖の2割弱、この12滝のほうが水量が多いそうです。どう見てもそうは見えないんですがね。溶岩でできた底は意外とスカスカのようです。


右の絶壁は昨年秋に行った東尋坊と同じく安山岩の柱状摂理がお見事。地震が着たら崩壊してしまいそうで見上げていると不安になります。実はこの絶壁が崩壊しないように、裏側からワイヤ-とテンションボルトで引っ張って補強しているそうです。

この華厳の滝、自殺の名所でも有名。
そのル-ツが藤村操の遺言です。
その虚無主義に満ちた名文をここに引用してみました。
『悠々たる哉天壊、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学、竟に何等のオーソリチィーに値するものぞ。萬有の真相は唯一言にして 悉す。曰く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを。』
学問が彼を虚無の境地に追いやり、死に至らしめたかのようです。
生き物は理屈に先行して生の本能をもっているものなのですが、その生き物としての本分をどこで忘れてしまったのでしょうか。
実は華厳経の真髄の思想といわれる「重々無尽」は、美しい花々がフラクタル的に構造化されている荘厳な世界です。そういう世界は空虚な無限世界ではなくて汲めども尽きぬ宝の入れ子の世界です。この華厳経の本質に触れていたら、華厳の滝に身を投げることはなかったのに・・・。




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