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今宵は中秋の名月。 旧暦8月15日の月が中秋の名月。今年の中秋の名月は満月ではなく、満月になるのは、明日の夜とのことですが、こんな風でありました。(2024年9月17日・中秋の名月1)(同上2)(同上3)(同上4)(同上5) 名月や池をめぐりて夜もすがら (芭蕉) <名月が映る池の周囲を回りながら夜通し過ごすことだ> 名月はふたつ過ても瀬田の月 (芭蕉) <二度の名月が過ぎた後でも、瀬田の月は見飽きることがない> 月の万葉歌は下記<参考>の過去記事に掲載していますので、割愛しました。<参考>中秋の名月 2013.9.19.
2024.09.17
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今日は月例墓参の日。と言っても決まった特定の日をそれとしている訳ではなく、毎月上旬のうちの都合の良い何れかの日に墓参をするというのが、ヤカモチ式月例墓参の日なのである。尤も、1月は前年の年末近くに月例墓参とは別に墓参をする関係上、月例墓参は省略・割愛となっているので、正確には毎月上旬ということにはならない。 我が家の先祖代々墓は、曾祖父が亡くなった時に祖父らが建立したものであるが、それはヤカモチが生まれる前のことであるから、曾祖父は写真によって知るのみ。曾祖母は、ヤカモチが3~4歳の頃に亡くなっているが、縁側で日向ぼっこをしている小柄なお婆さんという姿で彼女はヤカモチの幼い記憶の中にぼんやりと今も残っている。おそらく彼女に子守をしてもらいながら、彼女の隣にちょこんと座って二人で日向ぼっこをしていたのだろうと思われる。 この墓に眠っているのは、没した時期の早い順にこれを記すと、曾祖父、曾祖母、父の妹であるK叔母、ヤカモチの妹のT子、祖父、祖母、ヤカモチの長女であるY子、父、母の9名である。彼らの面影を一人ずつ思い浮かべながら合掌するというのが、ヤカモチの墓参である。(門前の言葉) 出会うということは 出会い続けていくこと ――宗 正元 さて、墓参は、墓地への坂道にとりかかったところにあるお寺の門前の言葉を眺めて行くというのが、お決まりになっている。毎月内容が更新されるようになっているのだろうと思うが、更新が遅れて前月のものが掲示されたままということもあるので、毎回新しい言葉に出会えるとは限らない。 まあ、それでも「出会うということは、出会い続けていくこと」なんだから、今後も墓参のたびに、門前の言葉には出会い続けて参りたいものであります(笑)。(墓地からの眺め) 墓地は、生駒山系の山並み西麓の高みにあるので、この時期、日の当たる坂道は、汗、汗、汗である。(墓地前の坂道の勾配) 坂道の勾配は、概ねこんな感じです。所々、もっと勾配のきつい急登もあるので、墓参も一仕事であります。 墓地の坂道を登り詰めたところに、昔からあるのが、シンボルツリーと言ってもよいクスノキの大木であるが、虫か菌にやられたのでもあるか、徐々に枯れ始め、ついにはこんな姿になり果ててしまいました。(墓地のクスノキの大木の現況) この木がまだ元気であった頃の写真が過去記事に掲載されていないかと探してみると・・。 ありました。2008年3月2日の記事にそれが掲載されていたので、比較のため、往時の姿の写真、再掲載させていただきます。(往時のクスノキの姿) まさに「昔の姿いまいづこ」「栄枯は移る世の姿」である。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。
2024.07.05
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今日はヤカモチの誕生日であります。 めでたく1306歳を迎えることとなりました。 毎年この日に先ず行うことは、ブログのプロフィールに記載の年齢を一つ多い数字に書き換えること。 そして、〇〇歳になりました、という記事を書くこと。 まあ、それだけであります(笑)。 謡曲「鶴亀」の「亀は萬年乃齢を経て、鶴も千代をや重ぬらん」ではないが、鶴の年齢を超えてしまってはや306年、どこまで生きながらえるというのであるか。 亀の万年には届きそうになく、そろそろその時でもあり、それは明日のことかも知れないから、メメント・モリ(memento mori)を肝に銘じて、残余の命を生きることといたしましょう。<参考>メメント・モリ-Wikipedia(祝誕生日の花) これは、一昨日の若草読書会の新年会でヤカモチが誕生日のお祝いとして贈呈を受けたお花であります。をのこしも うれしかるらむ 生(あ)れし日の 祝(いは)ひと花を 受くるのあるは (偐家持)(本歌)士をのこやも 空しかるべき 万代(よろづよ)に 語り継ぐべき 名は立てずして (山上憶良 万葉集巻6-978)<参考>関連過去記事〇ヤカモチ1305歳 2023.1.29.〇ヤカモチ1304歳 2022.1.29.〇1303歳になりました。 2021.1.29.〇1302歳になりました。 2020.1.29.〇1301歳になりました。 2019.1.29.〇1300歳になりました 2018.1.29.〇1299歳になりました・若草読書会新年会 2017.1.29.〇1298歳です 2016.1.29.〇1297歳になりました。 2015.1.30.〇1296歳になりました。 2014.1.29.〇ヤカモチ1295歳・健人会の新年会 2013.1.29.〇偐万葉・ひろろ篇(その3) 2010.1.29.
2024.01.29
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今日は健康診断の日。前日夜から絶食で朝9時半までに病院に来てくださいということであったが、朝8時40分頃にMTB(マウンテンバイク)で病院に向かう。 既に雨がパラつき始めていたが、濡れるほどではないので雨具は着用せず、そのまま出かける。但し、傘と雨着・帽子はザックに入れて。 9時前に病院に到着。血圧、体温測定、採血、身長・体重測定、検尿提出と進み、肺のX線撮影。大腸検診は予め採取した便を提出済みであるから、この日にすべきことはない。肺ガン検診は喀痰検査であるが、これは3日連続採痰用の喀痰容器を今日受け取ったので、後日これを提出することとなる。 以上で検査は終了。胃は、先日、胃カメラで検査して貰ったばかりなので、今回は割愛です。 最後は血液検査の結果が出てからの診察であるが、1時間ほどで結果が出るということなので、待つことにする。 診察では、血糖値が少し高めになっているが、問題視するほどの数値ではないようで、その他の点についても特段指摘することはないとのこと。 全て、終了したのが9時50分を少し過ぎた時刻。 病院の向かいにある喫茶・ペリカンの家で遅い朝食とする。(喫茶・ペリカンの家から病院を望む) 病院は、石切生喜病院でありました。 奥が外来診療棟で、手前の建物が入院病棟。 喫茶店は、入院病棟と道路を挟んでほぼ向き合う位置にある。前ページ記事に掲載の、梅一輪の写真は、この入院病棟の西側庭の梅の木のそれでありました。 今日は開花した花の数も随分と増えて、「今盛りなり」とは行かないまでも、そこそこの眺めになっているのでありました。(梅、三分咲き位でしょうか。) 喫茶・ペリカンの家のママさんは「ももの郎女」さん。 そして、今日のスタッフは「さとみの郎女」さん。 ヤカモチはもう長らく馴染みにしている喫茶店である。 店内は禁煙であるが、店の外側壁際、シマトネリコの木陰にベンチが据えられている。そこが喫煙コーナーとなっていて、灰皿が用意されている。 ヤカモチは、店に入ると、先ずそこで一服というのがお決まりとなっているのである。 そこで一服する傍ら、店の前庭に咲いていたヒヤシンスの花を撮影していたら、男性客のお一人が出て来られて、電子タバコを喫い始められました。 その方からお聞きしたことであるが、オリーブの枝先の若葉でごくごく希にハート型になるものがあるらしい。それを見つけるとその人に何か幸運が訪れるのだという。初めて耳にする話であったが、その男性もどなたかに教えてもらった話だと仰っていましたから、真偽のほどは不明である。 店の前の左側に植えられているのがシマトネリコの木で、それとは反対側の右側に植えられているのがオリーブの木であったことから、このような会話となった次第。(ペリカンの家のヒヤシンス) さて、そのヒヤシンスの写真がこれ。 三色が寄せ植えされている。 ヒヤシンスについては、ギリシャ神話がその名の起源である。 ゼフィランサスやスイセンなどギリシャ神話に因む花は結構あるようですが、ヒヤシンスに因む話は、概略、次のようなものです。ヒヤシンスの名は、ギリシャ神話の美青年ヒュアキントスに由来する。同性愛者であった彼は、愛する医学の神アポロン(彼は両性愛者であった)と一緒に円盤投げに興じていた(古代ギリシャでは同性愛は普通に行われ、むしろ美徳とされていた)。しかし、その楽しそうな様子を見ていた西風の神ゼピュロス(彼もヒュアキントスを愛していた)は、やきもちを焼いて、意地悪な風を起こした。その風によってアポロンが投げた円盤の軌道が変わり、ヒュアキントスの額を直撃してしまった。アポロンは医学の神の力をもって懸命に治療するが、その甲斐なくヒュアキントスは大量の血を流して死んでしまった。ヒヤシンスはこの時に流れた大量の血から生まれたとされる。このエピソードから、花言葉は「悲しみを超えた愛」となっている。(以上、Wikipediaより引用) 遅い朝食を済ませて、ペリカンの家を出ると、雨がそこそこ降り出していたので、上衣だけ雨着をはおり、病院の駐輪場に向かう。 MTBを取り出し走り始めたが、帽子を着用していなかったので、途中からこれを着用し、雨着のフードを被り、雨対策を強化。 それほど、強い雨にはならず、無事帰宅でありました。<参考>ペリカンの家関係記事はコチラ。
2024.01.18
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友人・岬麻呂氏からはもう1件の旅便りが届いているのであるが、その紹介は明日以降のこととし、本日は月例の墓参の記事とします。 先日、11月27日に妹が墓参をしたばかりなので、今回は花を持たずに、お線香だけを持っての墓参である。 途中の寺の門前の言葉は、今日はこれでした。(今日の門前の言葉) 食べ物様には 仏がござる 拝んで 食べなされ ― 宇野正一 ―<参考>仏がござる―宇野正一・YouTube 食べ物様には仏がござる-宇野正一-南御堂-真宗大谷派難波別院(墓地からの眺め) 墓地入口近くの池の畔の樫の木。 先月3日の墓参の折には、未だ青かったドングリでしたが、茶褐色に色づいて、すっかり一人前のドングリになっているのでありました。(樫の実) 墓参を済ませて、山の方を見やると、「山装う」とまで言えるかどうかはともかく、秋の色でありました。 尤も、立冬が11月8日でしたから、暦の上では既に冬。「山眠る」と言うべきなんでしょうが、未だ眠っている景色ではありませんね。(墓地から山側を眺める) 今日から師走。 隠居ヤカモチも何やら心せわしい気分になるのであるが、さりとて何と言ってすることもないので、気分だけのことであります(笑)。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。
2023.12.01
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今日は月例の墓参。 墓地入口近くの池の畔にある樫の木の実もすっかり逞しくなって、ドングリらしい姿になっていましたが、昨日も今日もこの時期とは思えぬ暑さ。汗が目にしむ墓参道でありました。(樫の実) 比較のため、2ケ月前の様子を再掲して置きます。(2023年9月2日記事掲載写真の再掲載) 9月の墓参の折には、ドングリの赤ちゃんと呼んでいたが、もう立派なドングリである。樫の実の ひとりし行けば 団栗の 背比べなど見ゆ わが墓参道 (偐家持) 秋たけるこの時期、「秋冷身にしむ候」などという時候の挨拶が似合いとなるものだが、今年は帰って来た残暑で、「汗が目にしむ」のであるから話にならないのである。 因みに、上の歌の「樫の実の」は「ひとり」に係る枕詞であります。 墓参のブログ記事は、途中の寺の「門前の言葉」を撮影した写真から始めるというのが、お決まりの型であるのだが、今日は言葉はなく、下掲のような告知となっていました。(親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要等の告知) 今年は親鸞生誕850年でありましたか。 大伴家持より455歳若い(笑)。 墓地から西方向の眺めは、今日はこんな感じ。(墓地からの眺め<西側>) 大阪市内の高層ビルも六甲の山々も霞んで見えない。空気中の水分が多い所為だろう。天気は下り坂に向かっていることが分かる。 西側の眺めはイマイチ。仕方がないから東側を眺めると。(同上<東側>) まあ、こちらもイマイチであります(笑)。 今日は墓参記事でありました。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。
2023.11.03
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今日は月例の墓参。 墓参の道の途中にある寺の今日の門前の言葉はこれ。(今日の門前の言葉) 人生から返ってくるのは いつかあなたが投げた球―斎藤茂太我が投げし 球と思へば いかにあれ これ受けとめて 進むほかなし (偐返球)でありますかな。 今日は、いつになく腰の調子が悪く、歩くと腰の左外側関節部分に傷みが走る。それをかばいながら墓地への坂道を上るのは結構辛いものがありましたが、何とか墓参を済ませました。 長年の姿勢の悪さによって骨格に歪みが生じて、それが腰のこの一点に過度な負担を掛けることとなってしまったのだろう。自業自得。これも自身が投げた球が、今、悪返球となって返って来ているということなんでしょうね。(墓地からの眺め) ということで、墓地からの写真も、いつもより右寄り、北寄りに捻じれての撮影でありました(笑)。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。
2023.10.07
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以前の日記で「微小血管狭心症」について記述したことがある。<参考>微小血管狭心症 2018.3.11. 微小血管狭心症については、上記<参考>記事をご参照いただくとして、詳しくは述べませんが、ヤカモチは長年この病気とのお付き合いが続いているのであります。 診断を受けて、それと診断された訳ではないので、正確には「微小血管狭心症に類似した症状」と言うべきかもしれないが、自己診断では、「微小血管狭心症」なのである。 30代後半からか40代前半からか、古いことなので、いつの頃からのお付き合いになるのか、記憶も定かではないのであるが、とにかく長いお付き合いなのである。 この病気は、直径100ミクロン以下(髪の毛の直径にほぼ等しい)の微小な冠動脈の拡張不全、収縮亢進により心筋虚血が一時的に起こることによって、胸部圧迫感が労作と無関係に安静時にも起こる狭心症であり、その70%が女性であるという。 ヤカモチの場合の症状で言えば、みぞおち付近に「しこり」のような圧迫感、不快感、痛みが生じ、それが徐々に喉の奥付近までせり上がって来て、背中上部の痛みや頭痛へと変化して終息するという経過をたどる。 この経過は色々で、喉の奥付近からの痛み、不快感から始まったり、頭痛がそれほどでもないというような時もあり、数分で収まる場合もあれば、30分近くも苦痛が継続するという場合もまれにあるが、何れにせよこの発作が起こると、その間は苦痛で呻いているしかないというものである。 この特効薬はカルシウム拮抗薬であるジルチアゼム(ヘルベッサー)とされるが、この病気での診断を受けたことがないヤカモチであるから、これを服用したことは、勿論ないので、この薬の効用などについては何の情報も感想も持ち合わせない。 最近、ちょっとした思いつきで、この発作が起こりそうな予兆の見られる時には、熱いさ湯を飲むことにした。これまで、3回試しているが、何れも発作に至らず、その兆しも消滅。あの不快な苦痛からは免れている。 これを思いついたのは、アイスクリーム頭痛が起こった時に「水」または「さ湯」を一口飲むと、直ぐに頭痛が消えるという、自身の経験則からのものであります。 アイスクリーム頭痛というのは、かき氷やアイスクリームなどを食べた時にこめかみ部分などに重苦しい痛みが生じる現象のことであるが、これになる人もあれば、ならない人もある。 ヤカモチの妹二人のうち、上の妹は「ならない人」であり、下の妹は「なる人」である。亡き母がアイスクリーム頭痛になるタイプの人であったから、ヤカモチと下の妹は母からの体質が遺伝したということなんだろう。 このアイスクリーム頭痛の発症メカニズムについては次の二説が唱えられている。 ●冷たいものを食べた際に口腔内の温度が急激に低下し、反射で体温を上昇させるため頭に通じる血管を膨張させて血流を一時的に増大させ、それにより頭の血管に一時的に炎症が発生して頭痛を引き起こす。 ●冷たい物が口腔、喉の背側を通過することにより、口蓋の三叉神経が刺激され、この時に発生する伝達信号を脳が勘違いし、関連痛として、頭痛が発生する。<参考>アイスクリーム頭痛・Wikipedia 微小血管狭心症の発症メカニズムもこのアイスクリーム頭痛のそれと似通った面があるように思われたので、試しに熱いさ湯を飲んでみたという次第であります。 血管収縮(または膨張)による伝達信号を脳が誤解して関連痛を生じさせているという点では共通であるから、その伝達信号の発生を否定するような刺激を与えてやればいいという訳で、熱いさ湯を思いついたのでありました。 まだ3回しか試していないこと、発作が起こってしまって頭痛などの不快症状に陥ってしまっている場合にも効果があるのかどうかを試していないことなど、検証は不十分でありますが、ことヤカモチに限っては、さ湯がどうやら特効薬であることの可能性がかなり高くなっています。(富士山)
2023.07.18
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今日は午前中に月例の墓参。 いつもの寺の門前を通りかかると、今月の言葉はこれでした。(今日の門前の言葉) 人の世に いのちの ぬくもりあれ 人間に いのちの 輝きあれ ―藤元正樹― 藤元正樹という人物のことは存じ上げないが、この言葉を見て思い浮かんだのは、「人の世に熱あれ 人間(じんかん)に光あれ」という水平社宣言の結びの言葉でありました。果たして、その通りで、この門前の言葉は水平社宣言の結びの言葉を元にしたものでありました。<参考>水平社宣言・Wikipedia(墓地からの眺め) 今日はお天気が不安定で、時に短く雨がパラつきましたが、墓参の途中でも少しパラパラと雨が落ちてきたりもしました。 しかし、直ぐに止んで、濡れるということはなし。 墓参の間ずっと曇り空にて、時折、雲間から日が射すというようなお天気で、上の写真のように、大阪市街のビル群もかすんでよくは見えないという状態。(墓地からの眺め・山側)(墓地のクスノキ) もう枯れてしまったかと思っていた墓地のクスノキであるが、右側の小枝のみ若葉を芽吹かせていましたので、辛うじて一部が命脈を保っているようです。幹には「頭上注意」の貼り紙がしてありますが、枯れ枝が落下して来て怪我をしても自己責任ということか。 墓参から帰ってしばらくすると、雨が降りだしました。 昼食後、銀輪散歩に出掛けようとしたら、未だ雨が降っていたので、止むまで待機。午後2時過ぎには雨も止んだので、マイCBで銀輪散歩に。(花園中央公園のサトザクラ) 花園中央公園桜広場のソメイヨシノも殆ど散ってしまい、八重のサトザクラが代わって主役をつとめていました。 水走公園、加納緑地など恩智川沿いを軽く走って帰宅。 さて、話は変わりますが、先般、石切生喜病院にて受けた検診で便潜血が認められたとかで、精密検査(大腸内視鏡検査)を受けることとなり、その検査日が昨日7日のことでありました。 7日は全国的に雨。と言うことで自転車では無理。また、病院からも麻酔をするので、車や自転車での来院はダメと言われてもいたので、電車で新石切駅まで行き、そこから徒歩で病院に向かいました。 検査は午後2時半からということで、2時には来院くださいとのこと。 検査は済みましたが、検査結果は21日以降の担当医の外来診察日に受診の上、確認せよとのことで、今しばらくは結果不明が続きます。小さなポリープを二つ切除したことが、診療明細書から読み取れるので、その組織診断をして結果判明ということになるのだろう。 前日午後9時以降から検査終了までは絶食ということで、前日の午後7時以降から検査日7日午後3時過ぎまでの約20時間、お茶、水以外何も摂取しない状態が続いたので、検査後に先ず取った行動は、病院の向かいの馴染みの喫茶店、ペリカンの家に駆けこみ、20時間ぶりの食事をすることでありました。(新石切駅ホーム) 上の新石切駅ホームの写真は、ペリカンの家で食事を済ませた後の帰りに撮ったもの。 生駒駅経由で、自宅最寄り駅の枚岡駅へと向かいます。(同上・生駒行き電車到着します。) さて、話がまた変わって、ついでにもう一つの話題。 4月6日のアクセス数が急増して2282。 昨年の10月半ば頃に一日当たりアクセス数が急減し、それまでの半分とか3分の1程度のアクセス数になり、アクセスカウンターに何らかの異常が生じたのかと思ったりもしましたが、他のブロ友さんも同じく急減していることを知り、ヤカモチのブログのみの問題ではないと安心したものでした。その後は、1000を超えるアクセス数になることは滅多になく、700台~900台で推移していたところ、一昨日に久々に2000を超えるアクセス数になったので、昨年10月の急減以前の状態に戻ったのかと思った次第。 しかし、翌日7日にはまた752で元の状態に。どうやら、4月6日に当ブログにのみ起こった春の嵐、一時的珍現象であったようです。 それで、楽天ブログランキングというページを開いてみたら、「その他ジャンル」という部門で、当ブログの順位が7位にランクされていました。 そう度々はチェックしないので、当ブログがどの程度の順位にいるのかは分からないのだが、ヤカモチの印象では、100位台~400位台あたりをウロチョロしているのではないかというもの。 それだけに7位というのは驚きでありました。 そもそもこの順位というのは前日のアクセス数の多い順にランクされるという訳では必ずしもないようなのであるが、アクセス数の多さも幾らかは順位判定に関係していることが、この6日のアクセス数急増と7日の7位という順位からは、言えるようです。(2023年4月7日のその他ジャンルに於ける楽天ブログランキング) 以上、ごちゃまぜの記事にて、カテゴリ分類ができません(笑)。
2023.04.08
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今日は月例の墓参。 月例とは言っても、12月は初旬と年末近くに2回墓参をするので、毎年1月は墓参をしない月となる。ということで、2月が毎年その年の最初の墓参ということになる。墓参とは関係ないが、墓参に出かけようとして庭の片隅に埴輪があることに気が付いた。多分随分以前からあるもので、亡き父が健在であった頃に置いたものかと思われる。(ニワのハニワ<庭の埴輪>) 今回初めて気が付いたということではないと思うが、余り気にもとめていなかったので、忘れたも同然になっていて、初めて気が付いたような気がしたという次第。 もっとも、写真を掲載したものの、「ニワにハニワ」という駄洒落が思い浮かんだので、カメラを向けたに過ぎないのであって、これについて特段の逸話や思い出があるということではありません。 埴輪の隣にあったのがこんな石。(石と埴輪) 父が石や枯れ木を拾ってきては、これを磨いて置物風に仕上げるというようなことを一時期、趣味としていたことがあったが、この石はそのような時期の父の作品の一つなんだろうと思う。 父としては、出来栄えがイマイチと思ったので、床の間など座敷に飾り置くには不適として、雨ざらしの庭の片隅に置いたということであるのかもしれない。 この石の不思議な模様は、何かの化石のようにも見えるのだが、何であるかは勿論、ヤカモチには不明である。(同上・石の模様)庭の隅に 置きたる石は 亡き父の 形見かと見つ 墓参の道へ (偐家持) 前置きが長くなりましたが、庭先を立ち出でて、墓参の道へ。 今日は、気温も暖かく3月下旬の陽気。坂道を上って行くと少し汗ばむような感じもあって、上衣の前を開いて風を取り込みつつ行く。(ロウバイ) 梅の花も咲きこぼれ、ロウバイは盛りを少し過ぎた風情。 いつもの寺の門前にさしかかると、今日の門前の言葉はこれでした。(今日の門前の言葉) こけたら 立ちなはれ 立ったら 歩きなはれ ―松下幸之助― 先日の囲碁例会の折の門前の言葉で、「ころばぬ先の道あかり」というのを話題にしたばかりであるから、今日の言葉は何やらその続編みたいな感じで面白い。「ころばぬ先の道あかり」のもとでも、人は「ころぶときはころぶ」ものであれば、ころんだときの心構え、手助けとなる言葉が必要。 それが、この言葉であるのかも。はい、歩いて行きましょう。 ヤカモチとしては、「歩く」よりも銀輪で「走る」方がいいのですが。(墓地よりあべのハルカス遠望) 今日は、あべのハルカスもよく見える。 墓地のランドマークともなっていたクスノキの大木。 いよいよ枯死するのも時間の問題か。(墓地のクスノキ1) 葉がすっかり落ちてしまっている。 この木よりも少し小振りになるが、2~30m東側にあるクスノキは健在でこんな姿。(墓地のクスノキ2) 本来はクスノキ1も、クスノキ2のように、葉を繁らせている筈であったのだが・・。わが墓地の ランドマークの クスノキを こんな姿に したのは誰か (偐正成) 我が家の墓の近くに「森ヶ谷墓」という嘉永2年に建立の墓がある。 何日か前に横綱・梅ケ谷のことが話題に取り上げられているTV番組を見るともなしに見ていて、この「森ヶ谷」と「梅ヶ谷」とを取り違えて、一瞬のことであるが、その墓が我が家の墓の近くにあったのでは、などと勘違いしたのでありました。梅ケ谷ならぬ森ヶ谷はそんな有名な力士ではなかったようです。<参考>梅ケ谷・Wikipedia<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。<追記:2023年2月12日>カテゴリが間違って「囲碁」となっていたので、「カテゴリ未分類」に訂正しました。
2023.02.11
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今日はヤカモチ、1305歳の誕生日であります。 気が付けば、9日間も記事を更新しないでいたようです。 サボっていたのは事実でありますが、この間、ずっとフォト蔵のシステムが不具合なようで、接続できず、従って、写真をフォト蔵のマイアルバムに登録できないという状況が続いているということも、その一因であります。 というのも、当ブログでは、500×375サイズの写真を記事に掲載し、フォト蔵に登録した同じ写真の1024×768サイズのものとリンクさせるという方法で記事作成をするというやり方をしているからです。 大きいサイズの写真とのリンクを諦めれば、記事は書けるのですが、何となく気分がそがれる感じで、記事更新をせずに日数を徒過してしまったという次第。 相変わらず、フォト蔵へは接続できないままになっていますが、〇〇歳になりました、という記事は恒例のことになっていますので、リンクは追ってフォト蔵が正常に復した時にこれを貼るということで、記事アップすることとします。 今日は、若草読書会の新年会の日でもありましたが、それは追って別に紹介させていただくこととし、本日は1305歳になったことのご報告のみとさせていただきます。(若草ホール前の銀杏の木) 1305歳ともなると、花などより、葉を落とした銀杏の木などが似合いかと、新年会の休憩の合間に撮った写真であります。 それでは、可哀想と思ってくださったのか、若草読書会の皆さんから下掲のお花を「祝・誕生日」として頂戴することができました。感謝です。(祝・誕生日の花)(同上・メッセージカード) 大伴家持については、養老元年生まれ説と養老2年生まれ説がありますが、当ブログでは養老2年説を採用、これに因んで、ヤカモチのブログ上の年齢も1305歳とさせていただいています。<参考>関連過去記事〇ヤカモチ1304歳 2022.1.29.〇1303歳になりました。 2021.1.29.〇1302歳になりました。 2020.1.29.〇1301歳になりました。 2019.1.29.〇1300歳になりました 2018.1.29.〇1299歳になりました・若草読書会新年会 2017.1.29.〇1298歳です 2016.1.29.〇1297歳になりました。 2015.1.30.〇1296歳になりました。 2014.1.29.〇ヤカモチ1295歳・健人会の新年会 2013.1.29.〇偐万葉・ひろろ篇(その3) 2010.1.29.<追記>システムの不具合で2023年1月21日からログインできなくなっていたフォト蔵が本日(2023年2月3日)正常に復したようで、上掲の掲載写真を大きいサイズのフォト蔵写真とのリンクを貼ることが可能となりましたので、リンクを貼る修正を行いました。(2月3日午後6時)
2023.01.29
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今日は年末の墓参。 途中のお寺の門前の言葉です。(今日の門前の言葉)求めすぎない 欲なんて きりなくあるんですから (樹木希林) 今日は樹木希林さんの言葉でありました。 今月3日の墓参の折には、前月11月の折のそれと同じものが掲示されていたので、4日以降の何れかの時期にこれに取り替えられたのであろう。 今日の墓地からの眺めです。(今日の墓地からの眺め) 眼下には花園ラグビー場、全国高校ラグビー選手権大会が開催中であるが、試合が開催中ではないのか、歓声が聞こえて来ない。 ズームで見ると、ラグビー場周辺には人影が沢山見える。(花園ラグビー場) ズーム撮影だと、奥の大阪ビジネスパーク(OBP)の高層ビル群がすぐ近くにあるように見えて妙な感じです。 今日の墓参は、自転車・CB(クロスバイク)でやって来ました。 墓参の後、枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社を回るためである。 毎年元旦のブログ記事の掲載写真は、この三神社の絵馬の写真と決めているので、それを撮影するための寄り道、回り道という訳である。 昨年は、石切神社の絵馬が前年のままで翌29日に再度出直して撮影という二度手間がありましたが、今年は三神社ともに来年のウサギのそれに切り替わっていて、一日で事が済みました。 墓参関連の過去記事はコチラ。
2022.12.28
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今日は、花園ラグビー場にて5回目のワクチン接種を受けました。 以上で、ヤカモチのワクチン接種記録は以下の通りとなります。 1回目 2021年07月12日 ファイザー EY3860 2回目 2021年08月02日 ファイザー EY3860 3回目 2022年03月01日 モデルナ 3005786 4回目 2022年08月09日 モデルナ 000236A 5回目 2022年12月01日 ファイザー GJ1852 今回の5回目接種のワクチンは、「COMIRNATY(12歳以上用)コミナティRTU筋注(2価:起源株/オミクロン株BA.4-5)製造番号:GJ1852 製造販売:ファイザー株式会社」とあるから、オミクロン株対応のファイザー社製のワクチンであったことになる。(接種会場:花園ラグビー場) 接種会場は、花園ラグビー場の北側スタンドの1階の部屋。 4回目の時と同じ場所。1~3回目までは南側スタンドの1階の部屋であったかと思う。(新型コロナワクチン予防接種についての説明書) 説明書は、読むこともないままに、捨ててしまうのが通例なので、ブログに写真を貼って置くことにしましょう(笑)。 ワクチンもマスクも、もう必要ないというように早くなって欲しいものです。
2022.12.01
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ブログをさぼっているうちに7月になってしまいました。 夏越しの祓、茅の輪くぐりも、気づけば過ぎて・・秋? 旧暦と新暦とが交錯して、季節が混乱する中、早々と梅雨は明けたようであります。(夏もあけぼの・・) 春はあけぼのと決めたのは清少納言であるが、ヤカモチは夏もあけぼのであります。 近頃の夏は熱帯夜、「をかし」どころではないのであってみれば、夏もあけぼのとならざるをえない。(黒きよこ雲のほそくたなびきて・・) 紫だちたるとはならぬ夏のあけぼの、黒き横雲の細くたなびきて・・。(朝鴉の二羽、三羽鳴きかはしつつ・・) 朝鴉の二羽、三羽、鳴きかはしつつ飛び去りゆきて・・。 空は見る見る明るくなり、 薄明りの届きかねていた遠山も、 山の端、稜線がくっきりと見えだして・・。(山の端、稜線の際立ちて・・) 朝風さやかに吹きて・・草木も小鳥も人もみな目覚め・・。(朝風さやかに吹きて・・) ヤカモチは朝寝と参ろうか・・。 と、まあ、訳の分からぬ記事にて、とりあえずの更新であります。
2022.07.01
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ながらくブログ更新を怠っているうちに、ロシアがウクライナに侵攻という暴挙。狂ったかプーチンと言うほかありませんが、許されざる暴挙であります。 戦火を逃れて非難する人々などの映像を見ると心が痛みます。 しかし、ロシア国内も含め世界各地で、ロシアの侵攻に対する抗議デモがわき起こっていることなどに希望を感じることができます。 ヤカモチもロシア及びプーチンへの抗議とウクライナの人々への連帯を表明します。 一刻も早く停戦合意が成立し、ウクライナに平和と安定が戻って来ますよう祈ります。 さて、話は変わって、本日はヤカモチの3回目のワクチン接種の日でありました。 接種券が届いたのは2月24日。 接種券には4月4日が接種日と指定されていましたが、コールセンターに連絡して、3月1日午後1時30分に変更していただいたもの。 接種会場は、1回目、2回目と同じく、花園ラグビー場。 昼頃から雨になったので、自宅から徒歩でラグビー場に向かいました。 途中、大阪府立枚岡樟風高校の前を通ると、校庭に沿った水路脇のキョウチクトウなどの木々の並木にメジロの群れが居て、彼らと追いつ追われつしながら行く。 恩智川に架かる三六橋を渡ると、花園中央公園の桜広場である。 ここでは毎年、若草読書会でお花見をするのであるが、昨年、一昨年とコロナほかの理由で中止となっている。今年も微妙な状況である。(花園中央公園の桜広場の貼り紙) この写真は、今日の撮影ではなく2月26日撮影のものであるが、「飲食を伴うお花見はお控え下さい。」と書かれた貼り紙が掲示されている。仮にお花見を実施するとしても、従前のような形態のお花見は無理だろうと思う。(花園中央公園案内図)※クリックしてフォト蔵の大きいサイズの写真で見ることも可能です。 桜広場、ドリーム21の前を通って、多目的芝生広場と多目的球技広場の間の道を通って、花園ラグビー場スタジアムへと向かう。(多目的芝生広場と花園ラグビー場<奥>) 今日は雨とあって、広場に人影はなし。 会場に到着、受付を済ませ、少しの待ち時間があって、接種完了。 1,2回目はファイザーであったが、今回はモデルナである。 「1:37」と書かれた紙を受け取り、午後1時37分まで別コーナーで待機した後、何事もなく退出OKとなる。 大阪府の新規感染者数は減少傾向にあるものの、その減り方は鈍く、高止まりしている状況で、まん延防止措置も3月20日まで延長される模様ですが、これでいくらかは安心というもの。 会場のスタジアムを出て、来た道を同じく歩いて帰る。徒歩で20分余の距離であるから、さしたる距離ではない。 帰り道で気が付いたのであるが、ラグビー場の東隣にこんな施設が新しくできていたのでありました。これまで何度も前を自転車で通過していたのに何とも知らずに通り過ぎていました。(東大阪ウイルチェアスポーツコート)(同上) 門が閉じられていて、中に入れないので門の外側からスポーツコートを覗いてみましたが、様子はイマイチよくは分からない。 ウイルチェアスポーツという言葉には一瞬「?」でしたが、車いすはウィールチェア(Wheelchair)だと気づいて、車いすテニスや車いすラグビーなどの車いすで行う競技のことだと気が付いた次第。 銀輪も直訳すればSilver Wheelなのに、銀輪家持としては迂闊なことでした。(同上・説明板) 折しも、北京パラリンピック冬季大会が間もなく開会となるが、冬季大会にもウイルチェアスポーツの種目はあるのだろうか。雪上や氷上の車いす競技というのは思いつかない。 それはさて置き、「日本初のウイルチェアスポーツコート」とあるので、この施設がわが国で最初のものなんだろう。 この施設ができたのは2~3年前くらいにしかならない筈だから、こういう面でもわが国はまだまだ不十分なようです。(近所の民家の庭の梅 2月28日撮影) 桜は、まだ固い蕾であるが、梅の花は今が盛りである。梅の花 今盛りなり 百鳥の 声の恋しき 春来たるらし (田氏肥人 万葉集巻5-834)
2022.03.01
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今日はヤカモチの誕生日。 養老2年(718年)生まれのヤカモチは満1304歳になりました。 当ブログでは、一定の決まったテーマの記事を書くと決めている日というのがある。1月1日と12月31日がそれ。 当ブログの誕生日である4月29日もそうである。 そして、ヤカモチの誕生日である1月29日もその一つ。 この日は「ヤカモチ〇〇歳」の記事を書き、プロフィールの年齢を一つ多い数字に書き換えるというのがお決まりの仕事である。 ブログの更新を怠っているうちにまた一つ年を取りましたが、1304歳最初の記事を以って、8日ぶりの記事更新とします。(群雀) 上の写真は一部を拡大表示したもの。 元の写真は下掲のものです。(同上)(同上) 今月14日に花園中央公園にて撮影したふくらスズメの群れです。 この時期の雀はみな、ふっくらとしている。コロナ禍を なんのへちまと 雀らは 群れて騒ぎて ふくれてありぬ (雀家持) 人間社会はオミクロン株による感染爆発、コロナ第6波のさ中にありますが、雀社会はコロナ何処吹く風にて、仲良く群れています。 一斉に草地に舞い降りては、草の種など地にこぼれている何かをついばみ、また一斉に飛び立ってこの木の枝にとまる。これを何度も繰り返している。雀らの新年会でもあるか。 さて、新年会と言えば、本来ならば、今日は若草読書会の新年会の日であったのでした。 二年ぶりに新年会を開催するという案内メールを発信したのは、昨年の11月6日のことでありました。 感染者数の激減で、若草読書会もそろそろ再開してもいいのではないかと思っての案内でありましたが、その頃の世の中一般の雰囲気はそんな感じであったかと思います。 ところが、年が明けると状況は一変。 爆発的な感染拡大。昨日の大阪府の新規感染者数もついに1万人を超えるに至りました。 オミクロン株は感染力が強いということであったが、かくまでとはであります。 まあ、重症化率は低いということで、余り恐れすぎるのもいかがなものかという気がしないではないものの、高齢者は重症化リスクが高いというから油断はできない。超高齢者1304歳のヤカモチなんぞは即重症化であろうか(笑)。 そんなことで、高齢者集団の若草読書会ですから、新年会は中止することとし、1月13日に中止する旨のメールを発しました。 一昨日、1月27日には、来月の囲碁例会は中止にするというメールが届きました。2月は休会、3月以降についてはコロナの感染状況を見て追って決めるとのこと。ようやく昨年秋から再開した囲碁例会でありましたが、再び当面中止となりました。 2020年、2021年とコロナに引きずり回されての2年間でウンザリでありましたが、今年もこれがまた続くのであるか。うだうだと 生きながらへて 雀らの 群れるを羨(とも)しと 言ふにあらねど (雀家持)(本歌)うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば (大伴家持 万葉集巻19-4292)<参考>関連過去記事〇1303歳になりました。 2021.1.29.〇1302歳になりました。 2020.1.29.〇1301歳になりました。 2019.1.29.〇1300歳になりました 2018.1.29.〇1299歳になりました・若草読書会新年会 2017.1.29.〇1298歳です 2016.1.29.〇1297歳になりました。 2015.1.30.〇1296歳になりました。 2014.1.29.〇ヤカモチ1295歳・健人会の新年会 2013.1.29.〇偐万葉・ひろろ篇(その3) 2010.1.29. 急激な感染拡大で再び医療のひっ迫が懸念されていますが、そうなるとコロナに限らず他の病気でも適切・適宜な治療が受けられなくなりますから、皆さんもどうぞ健康管理には十分にご留意されますように。
2022.01.29
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今夜は中秋の名月。 雲が広がり、月は見られないかと諦めていましたが、夜が更けて雲の隙間から月を見ることができました。(中秋の名月 午後9時43分)
2021.09.21
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雲龍で思い浮かぶのは大相撲の横綱土俵入りの型式「雲龍型」であるが、雲龍とは、読んで字の如く「雲の中の龍」のことである。雲の中を天に向かって昇ってゆく龍のことである。また、そのさまを描いた昇龍の絵のことも、単に「雲龍」と言うらしい。 勿論、龍は想像上の生き物にて実在する訳ではないから、竜巻を見て人は龍が天に昇って行く姿だと思ったということなんだろう。 昨日は、その雲龍を目撃しました。 これは竜巻でもないから、正真正銘の雲龍である(笑)。(雲龍) 飛行機が墜落または急降下したのか、急角度で上昇したのかは知るよしもないが、手前の白い雲がその航跡であろう。その航跡の雲が背後の雲に影を落として、あたかも白龍、黒龍となって2本の線が天に昇っているところが面白い。(同上) 因みに、ウンリュウグワ(雲龍桑)という木もあるが、これは過去記事に写真を掲載していますので、ご参照ください。<参考>墓参・春ぞ立ちける 2017.2.4. ※ウンリュウグワの葉の茂った姿の写真は下記記事に掲載。 墓参・ムギセンノウでありましたか 2017.6.10.
2021.09.08
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このところまた雨が続いていますが、今日はその小止みになった雨間をぬって月例の墓参。いつもは朝のうちに墓参であるが、今日は午前中はかなり強い雨で、予報では午後3~4時頃には止むという予報であったので、午後に回すこととしました。 その雨の中、1通の葉書が届きました。 会社勤めの頃の仲間の一人、倉〇君のご逝去の知らせでありました。病気療養中のところ7月10日に亡くなったこと、葬儀は7月13日、四十九日は8月21日に、親族のみにて済ませたことなどを知らせるご遺族からのご通知でありました。 彼は、ヤカモチより2~3年後の入社だと思うが、当初は本社経理部に配属、長らく経理部で活躍された後、名古屋の支店に転勤されましたが、本社経理部勤務時代には、ヤカモチとは部署を異にするも、仕事面でもその他の面でも親しくさせていただいた仲である。最近は年賀状を交換するだけのお付き合いになっていたので、病気療養中であったことなども知らず、突然の悲しい知らせに絶句でありました。 友人・知人が亡くなるというのは、悲しく寂しいことであるが、それが自身とほぼ同年齢や年下の人物である場合には特にその思いが強くなる。 彼は山口大学の卒業で、学生時代には湯田温泉の旅館でアルバイトをしていたというようなことも聞いていたので、ヤカモチの記憶の中では何となく中原中也と結びついていたりもしていました。 同君のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。君逝きて いづちにありや 秋の日の 雨間の空に なびく横雲 (偐家持)今は君 いづちにありや 秋雨に 山は煙りて 泣けと言ふらし (偐家持)(本歌)この水は いづれに行くや 夏の日の 山は繁れり しづもりかへる (中原中也) さて、墓参の道で毎回門前を通るお寺の「門前の言葉」が新しくなっていました。(門前の言葉) 2019年秋から2020年末まで、寺の本堂や門の改修工事で、門前の言葉はお休みとなり、墓参の楽しみの一つが無くなっていましたが、工事完了に伴い、今年に入ってこれが復活し、新しい「門前の言葉」が掲示されました。しかし、従前は毎月新しいものに更新されていたのに、その更新がないままという状態が、先月8月13日の墓参の折まで続いていました。 まあ、今回も、従前のように毎月更新されるのかどうかは、来月になってみないと分からないのではありますが、何となく従前スタイルが復活したような気がします。 今回の言葉の仲野良俊という人のことは存じ上げないので、ネットで調べると、浄土真宗の僧、仏教学者、1916年生まれ、1988年1月6日没とありました。<参考>仲野良俊・Wikipedia 道の辺では、コオロギが鳴き秋めいた雰囲気を醸す一方、ツクツクボウシが鳴いて夏の終わりを惜しんでいる風でもありました。(棗の実) 雨に濡れたナツメの実が少しばかり色づき、これもそこはかとなき秋の気配であります。(今日の墓地からの眺め) 大阪市内の方はまだ雨の中のようです。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。
2021.09.03
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今日は月例の墓参。 雨がパラパラしていましたが、大したこともないと傘さして墓参り。 いつもの「門前の言葉」の寺のそれは、先月のものがそのままであったので、撮影せず。 墓地から眺める大阪平野も雨に煙っていました。 大阪市内のビル街や六甲の山々、淡路島なども全て煙霧の中。(2021年3月2日の墓地からの眺め) 六地蔵も雨に濡れている。(六地蔵、雨に濡れつつ) 以前から「喜里喜墓」という墓碑の文字が気になっていたこのお墓。(喜里喜墓) 墓石頭頂部の特徴的なフォルムから江戸時代建立の墓であることは承知していたが、側面を見ると、文政6年(1823年)5月建立の墓であることが分かりました。(同上) 右隣のひと回り大きい墓は「天保」の年号が刻まれていましたから、この墓よりも少し新しいということになる(文政13年12月10日に天保に改元されている。)。 井上ひさしの長編小説に「吉里吉里人」というのがあるが、この墓を目にするごとにこの小説のタイトルを連想するのが常でありました。<参考>吉里吉里人・Wikipedia 喜里と吉里で字が異なるし、喜里喜里ではなく喜里喜である。 「キリキリ」ではなく「キリキ」であるのだから、「吉里吉里人」とは勿論何の関係もないのである。 文政6年5月(1823年6月)と言えば、シーボルトがオランダ商館員として来日した時期である。 ついでに調べてみると、勝海舟がこの年(文政6年)に生まれている。 また、文政年間では、大村益次郎が文政7年生まれ、岩倉具視が同8年生まれ、西郷隆盛が同10年、大久保利通が同13年生まれである。 この墓地がいつからあるのか知らないが、少なくとも200年位前には既に墓地としてあったことを、この墓石が証明している。 だんだんに雨が酷くなり、風も強くなりました。 帰宅したころにはズボンがずぶ濡れ。 気象台はこの風を「春一番」と認定したことをTVが報道していましたが、風が強いと、雨傘は殆ど無力、雨から守れるのは上半身のみである。(センダングサに雨は降りつつ・・)春一番 吹きて墓参の 道の辺に センダン草は 雨に濡れつつ (偐家持)<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。<追記注:2021.3.15.> 上掲写真は、フォト蔵写真の表示不具合により、これとのリンクを貼っていませんですたが、このほど正常に表示されるようになりましたので、リンクを貼ることとしました。
2021.03.02
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風の強い、寒い朝。 天気予報では、北陸から東北にかけて日本海側では、今日から明日へ暴風と大雪の荒れた天気になるとか。 そんな今日、養老2年(718年)生まれのヤカモチは、1303歳となりました。 何しろ大昔のことなので、お前の生まれた年は養老元年(717年)だと言う人も世間には居られるのでありますが、本人は718年生まれだと考えて居ります。尤も、本人もこの年に生まれたということを記憶している訳ではなく、父親である旅人様と母親である丹比郎女様からそのように教えられたに過ぎないのであってみれば、確証がある訳ではないのであります。 なお、ヤカモチが生まれた頃からつい最近までは年齢は「数え年」にて計算して居り、満年齢という考え方はなかったのであります。それによれば、生まれた瞬間に1歳となり、翌年の正月朔日、即ち元日(正確には旧暦の元日)に1歳を加算し2歳となるのでありましたから、その計算では本年の元日(正確には旧暦によりますから、まだ元日を迎えてはいませんが)を以って既に1304歳になっているということになりますが、今は誕生日を迎えるごとに、つまり各人ごとにそれぞれの誕生日に於いて1歳年をとるということでありますので、1303歳という訳であります。 因みに、わが誕生日の1月29日についても、ヤカモチに確証がある訳ではなく、両親からそのように言われているというに過ぎないものであります。 昔は、誕生日がいつであるかはどうでもよかったようで、大伴家持さんも何月何日に生まれたかはよく分からない。 みんな一斉に年越しに一つ年をとるのであれば、誕生日を意識することもなく、勿論、ハッピーバースデーなどという祝い事もないのでありました。 然るところ、明治35年(1902年)12月2日に「年齢計算ニ関スル法律」が公布され(施行:同年12月22日)たことによって、年齢は生まれた日を0歳とし、その翌年以降、誕生日の前日が満了するたびに、即ち誕生日の前日午後12時(誕生日の午前0時)に、1歳ずつ加算する、ということになりました。(注)余談になるが、4年に1回しか誕生日が来ない2月29日生まれの人もその直前日即ち28日午後12時に年齢が加算されるという法律の規定なので、毎年1歳ずつ年をとることになる(笑)。 まあ、そんなこんなで、ヤカモチは1303歳という訳であります。 「ジャン・クリストフ」のロマン・ロラン(仏)や「桜の園」のアントン・チェーホフ(露)が1月29日生まれであることは以前から承知していたが、ネット検索して、日本の作家では「楢山節考」の深沢七郎もそうであることや、北里柴三郎や宇宙飛行士の毛利衛さんなども同様であることなどを今回初めて知りました。 話のついでに、1月29日について、もう少し雑談を続けると、こんな記念日でもあることが分かりました。 〇人口調査記念日 1872(明治5)年、この日に日本初の全国戸籍調査が行われた。 〇昭和基地開設記念日 1957(昭和32)年、この日に日本南極観測隊が南極・オングル島への上陸に成功し、昭和基地を開設した。 〇タウン情報の日 1973(昭和48)年、この日に日本初の地域情報誌「ながの」が発行されたことに因み、タウン情報全国ネットワークが制定。 毎月29日は「肉の日」らしいが、29日生まれのヤカモチが魚よりも肉が好みであるのは、道理にかなっていると言うべきか。 さて、〇〇歳になりました、というパターンの記事は2014年からであるが、毎回何らかの歌を詠むのが恒例(但し、2015年と2016年は歌を詠んでいない。)となっているようでありますので、今年もそれに倣ってみますかな。コロナ禍の 中にしあれば めでたくも なかりバースデイ 居(ゐ)つつあるわれ (籠家持)冬木立 いまだ去らざる コロナ禍に 春待つらしも 芽吹き始(そ)めたり (林家持)(冬木立) このところ、梅の花の写真を掲載し、これにかこつけて歌を詠んでいるようだが、今年はコロナ禍の中ということで、冬木立の写真にすることとしました。<参考>関連過去記事〇1302歳になりました。 2020.1.29.〇1301歳になりました。 2019.1.29.〇1300歳になりました 2018.1.29.〇1299歳になりました・若草読書会新年会 2017.1.29.〇1298歳です 2016.1.29.〇1297歳になりました。 2015.1.30.〇1296歳になりました。 2014.1.29.〇ヤカモチ1295歳・健人会の新年会 2013.1.29.〇偐万葉・ひろろ篇(その3) 2010.1.29.
2021.01.29
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(承前) 2020年12月12日記事の続編、後日談であります。 昨年12月1日から4日にかけて生じた「脳梗塞では?」という右半身の麻痺・痺れについての後日談であります。 12月18日脳波検査を受けました。 先に救急搬送された病院でのMRI画像について、今年1月4日に当該病院へ電話し、その貸出しを依頼。同日これを受領。 こういうことは初めての経験なので、どのような手続きが必要なのかと当該病院に午前11時頃に電話したのであるが、何のことは無い電話一本でOK。すぐにも用意できるとのことであったので、午後2時半頃にこれを受領したという次第。 ディスクにMRI画像をコピーしたものであるが、返却不要、手数料なども不要とのこと。(MRI画像のコピーディスク) 本日(1月9日)、このディスク持参の上、診察を受けて参りました。 先の脳波検査も異常は無し。 持参のMRI画像からも異常は認められない、とのこと。 よって、昨年の「発作」が何を原因として、何処の異常により生じたものであるかは不明、ということになりました。 現状では、脳梗塞や癲癇に関連したものというエビデンスはないという訳でありますから、これらである可能性は極めて低いということであるのでしょう。これをしも「安心」と言うべきや(笑)。 まあ、この1ヶ月、類似の症状は生じていないので、様子を見るしかないということについては、当方も納得である。 このまま、あのような発作が再発しないことを祈ることとしましょう。<参考関連過去記事>〇墓参&病院へ 2020.12.4.〇囲碁例会・梅田の里山花譜 2020.12.2. 話は変わりますが、昨日(8日)は、友人の家近氏からご案内状を頂戴した「邂逅展」を覗くため、奈良まで出かけて参りました。これについては、明日の記事でご紹介させていただきます。
2021.01.09
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今日は、先般の一過性脳虚血発作まがいの発症についての疑問を解消すべく石切生喜病院の神経内科を受診しました。 先日(7日)、同病院の総合受付に相談した結果、神経内科につないでいただき、本日の検診を予約いただいたもの。 本日の検診に持参した、ヤカモチがまとめた経緯書は下記の通り。2020年12月1日午後22時頃 PCで作業をしていると、閃輝暗点(視界にCの形のギザギザした点滅する光が現れる現象)が現れた。これが現れると対象物が見えにくくなるので、読書やPC作業(特に字を書くなどの行為)は中止することになるのだが、この日は、見にくいのを我慢しながら作業を続けた。その所為かどうかは不明であるが、突然、左眼の表面が熱く焼けるような感じがあって、眼球の奥が痛み出した。このような感覚は初めてのことで、不安になり、作業を中止し、寝ることとした。(1回目発作) ひと眠りした頃(深夜にて時刻はさだかではないが日付の変わった2日午前2~3時頃かと推測。)、不快感で目が覚める。前述の眼の痛みと頭痛、右手上腕から手先にかけての痺れ。暫く苦痛に呻いていたが、症状が軽減したのか、いつの間にかまた眠りに落ちていた。(2回目発作)2020年12月2日 朝、目覚めると、何事も無し。ということで、10時頃から囲碁例会に自転車(クロスバイク)で梅田まで出かける。何事もなく推移。17時5分頃 梅田からの帰途、花園中央公園まで帰って来たところで、突然右手がチリチリとかなり強く痺れていることに気づく。同時に眩暈というか、体が浮遊する感じがあって、自転車を正しく操作できなくなってふらつく。停車して、自転車から降り、ゆっくりとこれを押しながら歩くことで様子を見る。(3回目発作) 近くの恵生会病院または行きつけの石切生喜病院へ立ち寄って診察して貰おうかという考えが浮かんだが、症状は既に収まっていたので、そのまま帰宅。18時30分頃 帰宅して、PCを開き、メールなどのチェックをしたり、この日撮影した写真をPCに取り込んだりしていると、再び眼に前夜と同様の異常を感じる。 作業を中止し、寝転んでいたが、暫くして起き上がろうとすると右手が痺れて、体の平衡感覚が取れず、視界も揺れ動いているような、歪んでいるような感覚になり、立てない。(4回目発作) 這うようにして部屋を出て、2階の廊下から階下の台所に居る妻を呼び、「脳梗塞の初期症状かも知れない」と告げ、救急車を手配して貰う。19時10分頃か 救急搬送されたのは若草第一病院。問診、血液検査、CT検査、MRI検査などの結果、頚椎や脳に異常は認められない。脳梗塞の症状ではないだろう、血圧が一時的に高くなって、ふらつきの症状が出たと考えるのが、現時点での合理的な判断であるが、内科、眼科などであらためて診て貰って下さい、とのドクターの話。 病院から自宅までは徒歩25分位。症状も収まっていたので歩いて帰る(21時頃)。 遅い夕食。入浴後、ブログ記事をアップして就寝。2020年12月3日 深夜(午前2時頃)、目が覚める。右半身が動かない。右下肢、右上肢が痺れていてまったく動かない。尿意をもよおして来たこともあって、起き上がろうとするのだが、どうにもならない。動く左手と左足に思い切り力を込めて仰臥の状態から匍匐の状態に身体を反転し、這うようにして、2階のトイレへ。事なきを得る。これも数分位で症状が収まる。(5回目発作) 再就寝。 朝は、普通に午前7時に目覚めるが、微小血管狭心症(自己診断)に似た頭痛等の発作が起こる。これも数分で収まり、7時半起床。11時30分頃 石切生喜病院眼科受診。眼圧、眼球表面、眼底、視力など特段の異常はないという診断。 一過性脳虚血発作という病名をネット検索で知る。今回のわが症状に合致するように思われた。2020年12月4日10時30分頃 若草第一病院脳神経外科再受診(再度、症状が現れたこと、眼科では異常なしの診断であったこと、一過性脳虚血発作の症状が今回のそれに似ていると思われたことなどを踏まえて、再度、所見をおうかがいしたいと考えた次第) MRI画像で異常が見られないので、一過性脳虚血発作ではない、というのがドクターの意見。昨夜に発作が再発しているから、その痕跡が脳に残るのであれば、MRI検査で見つかるかもしれないと思われたので、ドクターからの「再度、MRI検査を受けますか」という言葉に従い、受検する。12時頃 MRI検査の最中、但し、検査時間の3分の2か4分の3が経過した終盤近くになって、左目に痛痒感が生じ、続いて右上下肢が痺れていることに気づく。右手指を動かしてみたが、小指は全く動かない、薬指については記憶が曖昧、中指と人差し指は動いた。但し、力は入らない。顔面右半分にも痺れの感覚。 検査が終わって、身体の拘束が取り除かれたが、右半分が痺れているため自力では起き上がれない。そのことを伝えようと「痺れていて起き上がれない。」と言うも口が不十分にしか開かず、舌も何やら普通の動きではないため、不明瞭な言葉しか発せない。(6回目の発作) 介助を受けて、用意された車椅子に移動し、車椅子でMRI室を出る。視界が安定せず揺れている感じ。 しかし、その感じが急速に消えて行く感じもあったので、左程慌てることもなく、軽快を待つ。看護師さんが来られる頃には、自力で検査着から自前の服に着替えていたので、発作は5分程度の短いものであったかと思う。12時過ぎ MRI画像には異常を示すものなし、ということで、診断は「様子を見ましょう。」ということ。 一過性脳虚血発作であるとも、ないともの説明はなし。印象としては、脳の画像に異常はないから一過性脳虚血発作ではないということを言外に仰っているのかと。2020年12月5日~6日 身体が痺れて動かなくなるというような発作は起こらず。 眩暈、チリチリとした麻痺にまでは至らない痺れ感(これは両手ともに、特に小指について顕著)、乗り物酔いのような不快感(嘔吐感が出る前の状況に似た感じ)、手指が冷たくなっていく異常感覚などが断続的に生じ、終日、家でゴロゴロして過ごす。 VDT症候群(Visual Display Terminal Syndrome)という症例名を知る。 眼の違和感が最初にあって、その後に今回の一連の発作が生じているので、この可能性が高いかもと考える。2020年12月7日 石切生喜病院総合受付で相談。神経内科を予約いただく。 この日及び8日位までは、身体の調子がイマイチ(時に、軽い眩暈、浮遊感のような不快な症状があった)。2020年12月9日~11日 上記の不快感は消えて、体調は正常に復した感じが続いている。1.上記の発作は発生から数分位で回復している。一過性脳虚血発作にはこのような短いものもありうるのか。2.一過性脳虚血発作を起こしても、MRI画像に異常が現れないということがありうるのか。3.VDT症候群は重篤な病気に発展する可能性があるのか。 問診の結果、てんかんの発作ということも考えられるので脳波の検査をしてみましょう、ということになる。 12月18日午後2時半の検査予約。 次回受診予約は2021年1月9日(土)。それまでに再度の発作が出るようなら、適宜に来診を、とのこと。 てんかんというのは、若草第一病院受診の際にも耳にした言葉であるが、その折には気にもとめなかったものの、再度、この病名が登場したので、ネットで調べてみた。1.てんかんとは(「てんかんinfo」より、以下同じ)2.てんかんとはどんな病気3.てんかんの年代別発症率4.診断と治療5.脳波検査 てんかん発作が起きている時には異常な脳波が現出することで、それと分るらしい。(異常な脳波) 発作が起きている時の脳波を見るのが一番であるが、正常時に於いても、てんかん発作を起こしやすい人の脳波にはこのような異常な脳波の片鱗が認められる可能性があるので、今回の脳波検査ということになったのだろう。 ただ、脳波検査で確認しにくいてんかん波もあるらしい(下記)。〇てんかん発作を起こす場所が、脳の深いところにあると、頭の外の電極まで遠すぎるために脳波異常をとらえにくい 〇てんかん性の異常波が出る頻度が低いために、脳波検査の際に異常な波がとらえられないことがある 今回の吾輩の発作がてんかん性のものであるとしても、極めて軽い発作であり、今は全く正常に復しているから、「確認しにくい」てんかん波ということであるかも知れない。 一過性脳虚血発作、VDT症候群、癲癇と、三つの病名というか症例名というか、名前が挙がっているが、このどれかなのか、どれでもなく別のものであるのか、そして、それが血管の収縮によるものなのか神経伝達の乱れによるものなのか、その原因は何であるのか、どの部位に生じている異常なのかによって、治療法も異なることだろうから、何にしても診断や対策はなかなか難しいことでしょうな(笑)。 いずれにせよ、9日以降は、いかなる不調現象も生じて居らず、元気にして居りますので、ご安心ください。
2020.12.12
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今日は、月例の墓参。 墓参の後、病院へ向かうべしでCB(クロスバイク)で墓へ。 墓への坂道にとりかかったところにある民家の庭先のギンバイカの実。 先月の墓参の折に1個頂戴して齧ってみたら、渋かったことは当ブログで報告済みでありますが、今日、再度挑戦してみました。 丁度、その家の奥さんが庭先に出て居られましたが、1個を頂戴して再度齧ってみましたが、やはり渋みがありました。前回より甘味が増し、渋みは少なくなっている印象でしたが、まだ食べられる状態ではないようです。 既に、真っ黒に熟しているというのに、まだしっかりと渋みが残っているということは、「食べられる」という実と言ってよいのか。 ヤカモチが実をとって食べて「渋い」と言うと、奥さんが笑いながら「前に、通りかかった人が食べられると言っておられましたがねえ。」と仰いました。それは私のことだと言うのも面倒なので、「そうですか。」と話を合わせて置く(笑)。 その先の門前の言葉のお寺を写真に撮ろうとしたら、カメラレンズの前の蛇腹風のシャッターがうまく開かない。 そんなこともあって、門前の言葉もどんなであったかよく見もしないまま通り過ぎてしまいました。自転車に乗っていたこともあって、うっかりしていたのかも。 墓地に着いて、墓参を済ませてから、ウエストポーチから爪楊枝を取り出し、それで調整するとレンズ前のシャッターが正しく開くようになり、撮影可能となりました。(墓地からの眺め) あべのハルカスが良く見える。(あべのハルカス) あべのハルカスの右側には通天閣も見える。(追記)コロナ感染者急増と重症者ベッドのひっ迫から「赤信号」を発し、不要不急の外出を今日から15日まで控えて欲しいという知事からの要請が出ましたが、今夜は通天閣は赤くライトアップされているのでしょう。 カメラを右に振って、ズームアップすると、大阪城も見えているのでありました。(大阪城) 墓参を終えて坂道を下る。 昨日(3日)は、石切生喜病院の眼科受診であったが、今日は若草第一病院の脳神経外科である。2日に救急搬送され、MRI検査を受け、その結果に基づいて「脳梗塞ではない。」と診断された脳神経外科であるが、その後、3日午前2時頃、再び右半身が一時的に麻痺するという症状に見舞われたこと、一過性脳虚血発作という病名とその症状について知識を得たこと並びに3日に石切生喜病院眼科を受診した結果、眼に異常はないという診断を得たことなどを踏まえて、再度受診し、相談と言うか、ドクターのご所見をうかがいたいという訳である。 以下は、前頁記事末尾の<追記>の続編であります。 色々とご心配をいただきましたので、その続編として、その後の経緯を報告させていただきます。 病院受付で、循環器内科受診を申し出たが、これまでの経緯をお話すると、それなら脳神経外科になると言われ、脳神経外科の待合席で待つこと20分~30分。診察室で、その後の経緯、2日深夜に右半身麻痺の症状があらわれたことを踏まえて、一過性脳虚血発作ではないのかという疑問を提示する。 ドクターは、その場合でもMRI画像に異常が現れるという立場のようで、それが認められないから一過性脳虚血発作とは、現段階では言えないという意見。 もう一度MRI検査してみますか、とドクター。 ということで、再検査を受けることに。 午前11時45分頃、MRI室に入る。 検査開始。何事もなく撮影は続いていたようだが、終盤近くになって、左目に痛痒感があり、それはこれまでの経験から、発作の兆候と思われたところ、果たしてその通りで、右上肢がチリチリと痺れて行くのに気づく。中指と人差し指は動くが小指は動かない。薬指はどうだったか記憶が不確か。右下肢も痺れている。そして、顔面右半分(特に頬)がチリチリと痺れている感じ。顔面の痺れを感じるのは今回が初めてだと思う。 検査が終了し、係の方が「終わりました。」と、身体を拘束していたものを取り外して下さったが、起き上がれない。「痺れている」ことを伝えようと言葉を発するが、顔半分が痺れているので、うまく発語できない。 介助を受けて検査ベッドに座らせてもらい、用意いただいた車椅子への移動も抱えられての移動。その間、眩暈のような感じで視界が安定しない。 車椅子に乗ったままMRI室を出て、更衣コーナー前で症状の収まるのを待つ。幸い、急速に症状が引いて行く感じがあったので、精神的には落ち着いていられた。 検査着から自前の服に着替えを済ませた頃には、完全に症状は消えていたから、4~5分程度の短い発作であったように思う。 再び、脳神経外科診察室前の待合席で待つこと暫しあって、診察室へ。 あのような発作が起こっている最中の検査であったから、MRI画像に何らかの兆候が現れているのではないかと思ったが、さにあらずで、画像には何らの異常も写っていないとのこと。 軽度の一過性脳虚血発作ではMRI画像には何も写らないのではないか、と感じましたが、ドクターは、暫し様子を見ましょう、という以前と同じ結論。 軽度の一過性脳虚血発作を放置することのリスクと早すぎる投薬による副作用のリスクについての説明もないので、「もっと病状が重くなってから来い。」と言っているようにも思われて、余り愉快ではありませんでしたが、MRI画像にて一過性脳虚血発作であるということが認められない以上、そう言うしかないのかとも思ったり・・でありました。 なお、一過性脳虚血発作というのは友人のオガクニマン氏から教えていただいて知ったものであります。<参考>一過性脳虚血発作・Wikipedia 喫茶・ペリカンの家へCBを走らせ、午後1時過ぎの遅い昼食。 昼食後、帰宅。 本日は、銀輪散歩もお休みであります。
2020.12.04
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日付は前後しますが、今日は、3日の墓参の記事であります。 我が家の墓は、生駒山系の山の西麓の高みにあります。 我が家はその西麓の裾に広がる集落のやや高い場所にありますが、墓は更に高い位置にあり、墓地の東側はすぐ山になります。まあ、山は何処から「山」と言うのかは難しいところではありますが、木々が繁った急な斜面で、舗装された道も田畑も人家もない区域の始まっている辺りから「山」とするとしての「山」であります。 かつては、墓地と集落との間の斜面は田畑になっていて、人家と墓地との間は、かなり離れていましたが、今は、それらの田畑がどんどん宅地化されて、墓地の入り口近くまで人家が迫っています。 そして、裏山に入る人もほとんどなくなり、多くの山道が柴や木々で塞がれ、その痕跡すら定かではなくなっています。 ヤカモチが子どもの頃、今は埋め立てられてグラウンドになっていますが、墓地の東側に池があり(今も池があって釣りを楽しむ人たちが自主管理していますが、その池ではなく、南隣にあったもう一つの池です。)、その東側の一段高い位置に畑がありました。祖父がその畑でジャガイモを栽培していたのだろうと思うが、一緒に芋掘りをした記憶がぼんやりとあります。その畑も今は跡形もなく薮になっている。その場所に通じる道も笹などがびっしり生い茂り、かつてそこに道があったとはとても思えない眺めです。 話が脱線しました。 家からは坂道をかなり上ります。 坂道の上り始めの場所の民家の庭先にギンバイカの木があることは、このところの墓参記事で、何度か触れていますが、今回は、その実が黒紫色に熟していました。(ギンバイカの実) ちょっとピントがずれたようで、手前の実がぼやけた写りになっているので、もう1枚、実をアップで撮った写真を。(同上) この実は黒く熟すと食べられる、と何かに書いてあったので、試しにとひとつ摘んで食べてみました。少し甘味がありましたが、未だ熟し足りないのか、渋柿を食べた時のような渋みが口に広がり、吐き出しました。<参考>ギンバイカの青い実状態の写真は以下の記事参照 墓参・つき草の咲きぬる道を 2020.10.3. 墓参・梅雨も明けましたが 2020.8.1. 墓参・花散歩的実散歩 2020.7.5.ギンバイカの花の写真は以下の記事参照 墓参・花散歩ほぼ白い花 2020.6.5. ギンバイカの実のなる場所から坂道を少し上ると「門前の言葉」の寺である。本堂と門の工事でほぼ1年間、門前の言葉の掲示は休止でありましたが、そろそろ復活する頃かと期待して歩進める。 寺の前で右(南)に曲がり、一つ南側の坂道に移動するのであるが、その門前の道を挟んだ西向かいの土地には長屋風の老朽建物が建っていました。 貸家であったのだろうが、長らく空き家となっていて、朽廃が進んだのでしょう。打ち捨てられた廃屋という感じになっていました。 その建物がすっかり取り除かれて、整地された空き地に生まれ変わっているのでした。(寺の向かいが整地されて・・ 北側からの眺め)(同上 南側からの眺め) 上の写真の青いネットフェンスの位置から白い電柱と左の青屋根の住宅を結ぶ線辺りまでの領域は、ザクロ、ミカン、柿などの果樹や花が植えられた畑のようになっていましたが、それらの樹木もすべて取り払われて、一体化した土地になっています。今後どんな風に利用されるのか見守りたいと思います。 さて、門前の言葉ですが・・。(門前の言葉) 門前の言葉、復活第一声は「ありがとう、有難う、Thank you」という素っ気ないものでした。 まあ、期待外れ。 とは言え、大事な言葉、この言葉がすべての基本、原点かも知れないから、素っ気ない、というのは当たらないと言うべきか(笑)。 墓地に到着。(墓地からの眺め) 墓参を済ませて、ぶらぶら散策しながら帰宅。 アキニレが実をいっぱいに付けていました。(アキニレの実) そして、ナワシログミの花が咲いていました。(ナワシログミの花) ナワシログミの花については、別の場所で前にも写真に撮っているので、その写真を掲載して置きます。但し、未だ蕾です。(同上)(同上) この日は午後から銀輪散歩に出かけましたが、花園中央公園、加納緑地、水走公園と巡っている間に、MTBが何度かガリッと音を立ててチェーンが外れそうな感じがしたので、馴染みの自転車屋さんにこれを持ち込んだところ、ギアの取り換えの必要ありで入院となり、その場の衝動買いで新しくクロスバイクを購入したということは、昨日の日記に書いた通りです。(水走公園) 水走公園は草がきれいに刈り取られていましたが、上の写真の広場はこの前までは草が伸び放題になっていました。ムシヒキアブをこの草地で何度も見かけたのでありましたが、このように刈られてしまっては、ムシヒキアブも引いてしまいますなあ。 しかし、人や子ども達が遊ぶには快適。 ベンチに座っていると、若い女性二人がやって来て、縄跳びのような紐に黄色のお椀を背中合わせにくっつけたようなものを引っ掛けてクルクルと回し始めました。曲芸のようなものかと暫く眺めていましたが、立ち去る前に近寄って「何か」と尋ねたところ「中国独楽で、ディアボロ」だと教えてくれた。 そう言われてもよく分からないので、ネットで調べてみたら、ディアボロ(Diabolo)とは、ジャグリングの道具の一種で、空中で回転させるタイプの独楽である。お椀を2個つなげたようなコマを2本のハンドスティックに通した糸でまわすことにより安定させ、操る。空中独楽、輪鼓、中国ゴマなどと呼ばれているものも、同じしくみのものである。」(Wikipediaより)とあった。(同上)
2020.11.05
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「おもしろきこともなき世をおもしろく」というのは高杉晋作の辞世の句だそうだが、その高杉晋作の最後を看取った野村望東尼(浦野もと子)が、これに続けた句が「住みなすものは心なりけり」だそうな。おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり まあ、面白く生きるや否やは、本人の心の持ちよう次第であるということですな。 そして、何を面白いと思うか否かも人それぞれであります。<参考>高杉晋作・Wikipedia 野村望東尼・Wikipedia 面白きこともなき車も、時に面白き顔を見せてくれることもありで、銀輪散歩で見かけた、その面白き顔を並べてみることにしましょう。 と言っても、車は銀輪散歩にとっては、並走した場合は「天敵」みたいなものですから、撮影などはもってのほか。と言うより、極力、車は避けて走りたいというのが銀輪の本音。 よって、それほど車に出会うこともなく、写真を撮る機会も滅多にないのであるが、それでも駐停車中の車などで時に面白いのに出会うとカメラを向けたりもするのであります。(犬型幼児バス) ネコ型の幼児バスも見かけたことがありますが、これは撮り損ねて写真がありません。(愛犬家の車) これは愛犬家さんの車であることがひと目でわかるというもの。(壁に耳あり車に目あり) 車にも目がつくと面白い表情になる。 これは夏場などの青空駐停車中の遮熱対策として、窓を覆う遮熱シートでの遊び心、という奴ですが、涼しくなった近頃はもう見かけない。 以前のブログ記事でも紹介した同種のものがこれ。(2020年6月3日記事掲載写真の再掲載) これで、ウインクしていたり、笑っていたりする目だったら、もっと面白いでしょうな。 次は、泳いでいるバス。(水陸両用バス) 以前のブログ記事でも紹介したこのバスと、同じなのか違うのか。(ダックツアーバス)※2014年4月9日記事掲載写真の再掲載。 これは、陸に上がれば、ただの普通のバスにて、面白くも何ともないのではあるが。 そのうちに、潜水も可能な水陸両用の「水中バス」とか陸空両用の「空飛ぶバス」なんかも登場するかも知れない。(派手なトラック) これは、トラック野郎でお馴染みの電飾トラック。 近頃は話題にもならず、見かけることもなくなったと思ったら、トラック野郎は変わることなく健在であったのですな。 そういえば、自転車にイルミネーションを付けて、全体がキラキラというのを走らせている人を見かけたことがあります。トラック野郎の自転車版ですが、少し離れたところをササーッと走り過ぎましたので、キラキラの照明が目にとまっただけで、夜ということもあって、どんな仕掛けなのか、乗っていた人物の年恰好は、などは不明です。男性であったことは身体の輪郭から見てとれましたが。
2020.10.29
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A4版全64ページの文書を作成し、それをプリントアウトしていました。 両面印刷で10セット、プリントアウトする予定で、そのように印刷設定して、プリンターに接続、印刷を開始しました。 1セット目の途中でC(シアン)のインクが無くなった旨のメッセージが表示され、プリンターの動作が一時停止しました。 この場合でも「OK」欄を押すとそのまま印刷が再開されますので、そのようにしました。インクが無くなると色に変化やムラが生じるので、そのようになれば、インク・カートリッジを交換しようと考えました。 ケチった訳ではありませんが、上記のような表示が出ても、かなりの枚数は問題なく印刷できるということを過去の経験から知っていたので、色ムラが出だしたら、交換しようと考えたのでありました。(そいうのを「ケチっていると言うのだ。」という声もしていますが<笑い>。) 2セットまで問題なく印刷完了。 3セットの終わり位から、字によっては赤みがかっている部分が少しばかり出て来ました。 しかし、それほど目立つほどではない。ということで、4セット目もそのままにしていました。すると、かなり赤っぽい字の部分が多くなり、見苦しい様になってまいりました。 それで、インクを交換すべく、インクカートリッジ・カバーを開け、インクの交換をしました。予備のシアンのインクカートリッジの買い置きがあったからです。 古いのを外し、新しいカートリッジをパチリとはめ込みました。カバーを閉め、OK欄を押すと、印刷が再開しましたが、新しいインクに交換したのに、色ムラは変化なしです。 そういえば、インク交換をすると、新しいインクを認識しました、というようなメッセージがプリンターに表示されていたことを思い出し、今回はそれがなく、印刷が再開されたから、プリンターは新しいインクカートリッジを検知し損なっているんではないかと考えました。 で、印刷をストップし、カバーを再び開け、Cインクカートリッジ(正しく赤ランプが付いていましたが)を外し、もう一度、カチリと嵌め直しました。赤ランプが正しく点灯しています。 すると、プリンターの画面に「使用履歴のある純正インクを検知しました。」というメッセージが表示されました。 OKを押し、PCの当該文書についての印刷設定をして、印刷を開始しました。てっきり、正しく印刷されたものが出てくると期待したのですが、完全に期待は裏切られ、インク交換前と変わらぬ色ムラの状態で、印刷物が出て来ました。すぐにストップを押して、中断。 プリンターの電源を入れ直し、印刷を再度トライ。結果は同じでした。 全く新しい純正インクのカートリッジなのに、「使用履歴のある・・」インクというように認識されると、そのカートリッジからのインク供給はストップしてしまうというシステムになっているのか。 たまたま電話してきた友人に、この話をしたところ、「自分のプリンターでは、使用中のインクカートリッジを一度外し、すぐに再セットしても、問題なく動き、印刷に支障は生じない。」とのこと。 訳が分からないので、ネットで、プリンターについての相談窓口の「よくある質問」とかいうのをチェックしてみたが、このようなことについて説明しているものは見当たらない。 我が家で使っているプリンターは、これが2代目で、現在のものはキャノンのピクサス・TS8030という型式のもの。 仕方がないので、キャノン・パーソナル機器修理受付センターに電話照会してみようと思っています。平日・土曜9:00~17:00の受付らしい。 明日か、明後日にでも電話してみるつもり。 同じような経験をなさったお方がいらして、対処方法をご存じでしたらご教示いただけると幸甚に存じます。 ということで、印刷は何であれ、暫しお預けであります。 困った、困った(笑)。 尤も、コピー機能は問題ないようで、正しく印刷されます。 つまり、インクノズルが詰まっているなどという物理的な不具合ではないようであります。念のため、自動クリーニングの操作もしてみましたが、特に変化はありません。(問題のプリンターです。PIXUS TS8030)
2020.10.05
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このところ、新型コロナウイルス新規感染者の数が急増していますが、昨日(16日)は、東京都で286人、大阪府で66人の多数になった。 大阪府の66人のうち、18人はわが町の東大阪市在住者だという。 その18人のうちの11人は、東大阪市内のスポーツバーでの集団感染者だとのこと。スポーツバーって何?と調べたら、店内にスポーツ観戦用のTVを備置して、客が飲み食いしながらスポーツ観戦して贔屓のチームや選手を一緒に応援するということができるバーであるとのこと。酒を飲まない下戸のヤカモチには無縁の店であるが、ネットで検索してみると東大阪市内で8店舗が見つかった。近鉄布施駅付近に4店舗、近鉄長瀬駅付近、同八戸ノ里駅付近、同花園駅付近、地下鉄長田駅付近に各1店舗である。 問題の店がこれらの中の一つなのか、ネット検索では見つからなかった別の店なのかは分からないが、布施、八戸ノ里、花園、長田などは銀輪散歩のコースにある身近な駅。感染がいよいよ身近になってきている気配である。<参考>7/16東大阪市で過去最多の新規陽性者18人 東大阪市の最新感染動向 ウィズコロナですから、自分の身は自分で守るしかない。 マスク着用、人混みは避ける、手洗い・・など基本的なことを心掛けた上で、最後は自身の免疫力に期待するということでしょうか。 このウイルスの厄介なのは、感染していても無症状乃至軽症である場合が多いので、自身が感染していても気が付かず、知らないうちに他者を感染させてしまうという危険性があること。 感染者やそれとの濃厚接触者をいかに迅速に捕捉するかが感染拡大防止の要となるが、この点で効力があると期待されるのがCOCOA(新型コロナ感染者接触確認アプリ)ではないだろうか。 ヤカモチは、夜の街とは無縁、銀輪散歩だけなので、このアプリをインストールしても余り意味がないようにも思うが、一応、スマホに取り込んでいます。 或る人・Aさんが陽性者となった場合に、Aさんが自身のスマホでこのアプリによって匿名でその旨を入力すると、Aさんと濃厚接触があったと認められる一定距離以内に一定時間以上一緒に居た人(Bさん、Cさん、Dさんたち)のスマホにその旨の通知が届くというもの。 このシステムが効力を発揮するためには、人口の8割程度までがこのアプリを利用する必要があるらしいが、現状は5%程度が利用しているに過ぎないらしい。 (COCOA画面) (同上) 陽性と診断されたAさんがその情報をこのアプリに登録しなければ、始まらないのであるが、それさえ行っていただければ、B、C、Dさんたちにはすぐに、何処で誰とかなどは分からないが、陽性と診断された人と濃厚接触があったことの知らせが行くというものである。 B、C、Dさんたちは、この通知に従って、すぐにPCR検査を受けるように行動を起こせるほか、自身も感染の疑いありということで行動に気を付けることができて、更なる感染の拡大に対して一定の歯止め的効果が期待できるという次第。 これの利用者がもっと増えるといいと思うが、それほどに話題にならないのは残念な気がする。<追記>本日(17日)の東京、大阪の新規感染者は以下の通り。 東京:293人(過去最多) 大阪: 53人
2020.07.17
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本日は、月例の墓参。 2月15日には、友人の偐山頭火氏が石切まで所用あって出向かれたついでにと、急坂をものともせず、自転車で足を伸ばしていただいた(当ブログ2月14日記事への同氏コメント参照)墓地にある我が家の墓であるが、その道すがらにある寺・教覚寺の工事は、本堂が終わり、隣接のご住職の住宅の改修工事に入ったようです。門の再建工事は、この住宅改修工事と並行して行われるのか、その後に行われるのかは存じ上げないが、塀の工事も始まるようで、その基礎部分の型枠がぐるりと設置されていました。(寺の工事) 墓地の入口近くのお宅の庭に黄色い水仙が咲いていました。(水仙) スイセンも色々な種類があるようで、その区別などは小生には不可能であるが、これはラッパスイセンという奴だろうか。 英語ではナーシサス(narcissus)とダッフォディル(daffodil)とがあり、前者はスイセン、後者はラッパスイセンというように教わった気がするが、上のスイセンはラッパスイセンだろうか。 両者の区別などはなかなかに難しい。ナーシサス(ナルキッソス)は学名でもあり、スイセン属全体の名称でもあるから、スイセンの一部にラッパスイセンがある、という関係にもあり、色々な交配種もあることから、その区分は単純ではないようだ。 スイセンはヒガンバナ科の植物。ヒガンバナが有毒であるのと同様にスイセンも有毒である。特にその球根が毒性が強いとか。 花が咲いていれば間違うことはないが、花が咲く前の葉だけの状態ではニラの葉にも似ていることから、ニラと間違ってこれを食し、食中毒を起こすという事例がよくあるとのこと。 ニラに比べて葉が厚い、幅が広い、草丈が高いということだが、これは相対的なもので、これだけでは間違いやすい。ニラ独特の臭いがあるかどうかで判別するのが無難である。 daffodil の語源は、ギリシャ神話の、冥界のアスポデロスの野に咲く死者の花とされるアスフォデロス(Asphodelos 不凋花)だそうだから、墓地への入口近くでラッパスイセンの花を見掛けるというのも理に叶っていると思った次第。(墓地からはアベノハルカスも通天閣もよく見える。) ※写真をクリックして大きいサイズでご覧いただくと通天閣も見えます。 今日は好い天気だ。 アベノハルカスも通天閣も見えている。 六甲の山々も。 左手には淡路島も。(大阪平野一望) 新型コロナで世の中騒がしいようです。 15日に予定のペリカンウオークも中止となりました。 一方、6日の5人組ウオークは、予定通り実施です。 水仙や 寒き都の ここかしこ (蕪村) コロナまた 令和日本の ここかしこ (筆蕪蕉)
2020.03.03
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今日は月例の墓参。 蝋梅の咲き匂う坂道を上って行くと、工事中であった「門前の言葉」のお寺の本堂改修工事が漸く終わったようで、シートや仮設足場が取り外されていました。このアト門や塀などの外構工事がなされるのでしょうから、門前の言葉が復活するのは、もう少し先のこととなるようです。(本堂の改修工事は終わったようです。) この寺は教覚寺という名の寺。 墓地は、ここから更に坂道を上らなくてはならない。 テニスクラブの前を通り、ようやくに到着です。(墓地位置図)(墓地) 墓参を済ませて帰途に。 本日の墓地からの西方向の眺めは下の通り。 と言っても、毎度変わらぬ景色ではあります。(2020年2月1日墓地からの眺め) 帰宅すると、何やらチュンチュンと家の前辺りが騒がしい。 屋根や庭木にスズメの大群。 カメラを構えると半分以上は飛び去ってしまったが、それでもこんな風に沢山が逃げないでチュンチュンと鳴いている。 逃げ去った群れと居残った群れとはグループが別なのかもしれない。(雀のお宿) 「門前雀羅を張る」とは、寺などの門前の人通りが絶えて、雀を捕らえる網が張れるほどだという、うら寂れた状態を言う表現であるが、わが家の門前は雀のお宿状態。門前雀宿をなす、でありました。 いつであったか、川べりを銀輪散歩していて、対岸の木々の繁みに小鳥が群がって鳴いてでもいるのか随分と騒がしい、と眺めていると、やがて現れたのは幼稚園児か保育園児か、保母さん達に付き添われた幼い子ども達一団の長い列。 距離を置いて聞くと、幼児たちの雑多な声は小鳥の群がり騒ぐ声に似ているということに気付いた次第(笑)。墓参より 帰りてみれば 春近み 我が家雀の 宿となりける (雀羅家持) 午後から、馴染みの喫茶店「ペリカンの家」に行って来ました。 店主のももの郎女さんの要望で、ペリカン・サイクリングのウオーク版、ペリカン・ウオークを企画することとなり、初回なので、距離は短め、集まりやすさに重点を置いて、これを企画。 3月15日(日)実施と決まったので、その実施案内チラシを作成(と言っても15部に過ぎないが)、これをお届けしてまいりました。 どなたでもご参加いただけます。 ご希望のお方は、喫茶「ペリカンの家」またはヤカモチまでお申し出下さい。<参考>第1回ペリカン・ウオーク「佐紀古墳群・秋篠寺を歩く」日時:2020年3月15日(日)午前10時30分集合 ※雨天の場合は3月20日(祝)に順延集合場所:近鉄奈良線・大和西大寺駅北口前コース:西大寺駅→称徳(孝謙)天皇陵→日葉酢媛皇后陵→成務天皇陵→神功皇后陵→八所御霊神社→秋篠寺→堅牢地神社→西大寺駅前(全5.5km程度)お弁当各自持参。何処か適当な場所(野外)で昼食タイムとします。参加費無料(但し、秋篠寺拝観料は各自負担)
2020.02.01
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今日は、偐家持の誕生日。 大伴家持は養老2年生まれである。 養老元年という説もあるが、当ブログは養老2年説を採用している。 よって、偐家持も養老2年生まれということになる。 養老2年は西暦718年である。 今年は令和2年。 元号表示では年齢が計算できない。 令和2年を西暦2020年に置き換える。 2020-718=1302 よって、偐家持の満年齢は本日を以って1302歳ということになる。 今年は子年であるが、718年は午年である。 もっと正確には、今年は庚子(かのえね)、718年は戊午(つちのえうま)である。つまり、大伴家持は午年の生まれということになる。 よって、偐家持も午年の生まれとするの他ないのであるが、これについては「偽志輪人伝」というのがありまして、その記載するところによれば偐家持は子年生まれとされている。この記載が正しいとする見解に立って計算すると1308歳とか1296歳とかということになる。 しかし、1000を超えての6程度の差は誤差の許容範囲とされ、一般的にはこれを無視するのが相当とされているので、1302歳ということで「いいんじゃない」ということのようである。 因みに、偐家持は子年生まれとする「偽志輪人伝」の記載が正しいとし、子年生まれの偐家持と午年生まれの大伴家持との二人を結ぶ線を子午線と呼ぶらしい。「子午線」の本来の意味はこれであったのだが、いつの頃よりか経度を表す線を子午線と呼ぶという誤用が蔓延。それが広く定着してしまったこともあって、大伴家持と偐家持とを結ぶ線などは元々無かったのだという常識が成立してしまった。これはまことに遺憾なことであると異議を述べると、人々は「子(し)の午(ご)の言うな」とその異議を封殺したそうな。今は「四の五の言うな」と表記するので、いよいよ本来の意味が分からないことになっているという次第。 誕生年に因む冗談はこれ位にして、本論へ。 過去の1月29日の当ブログ記事を調べてみると、2013年1月29日の記事で「ヤカモチ1295歳・・」という形でタイトルにこれを使用したのが最初で、以後毎年「〇〇歳になりました」という記事が恒例になっている。 それらの記事を覗いてみると、誕生日を自ら言祝ぐ戯れ歌を作っていることもあるようなので、これをふり返ってみると次の通りである。2014年(1296歳)春立つ日 近づくならし 吾が生(あ)りし 今日(けふ)の日晴れて 梅咲き始(そ)めば 2017年(1299歳)あぢさゐの 八重に咲くとも 生き過ぎて 立ち枯れになせそ 冬のあしたに2018年(1300歳)生き恥を 千歳(ちとせ)あまりて 三百歳(みももとせ) さらし今日まで めでたくも生きよしあしは 更にも問はず 昨日(きのふ)今日(けふ) 明日のこの身は 神がまにまに2019年(1301歳)梅の花 今盛りなり ヤカモチの あれにし日をば 祝ふとならし さて、1302歳の今年も何か作ってみますかな。2020年(1302歳)何とても 今更願ふ こともなし ひと日ひと日を ありがたく生く生まれたる 日も殊更の ことはなし 梅一輪の 咲くをしめでむ(白梅)
2020.01.29
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今日は、恒例の年末のお墓参り。 いつもの「門前の言葉」の寺は未だ工事中で、ご覧のような状態です。(未だ工事中の寺) 上の写真で申し上げると、手前の坂道を上って来た、中ほどにこの寺があります。仮囲いのシートがしてあるので、どの程度まで工事が進んでいるのかは、ちょっと見では分からないのですが、一向に進んでいないような気がしています。 9月初めに始まった工事ですから、間もなく4ヶ月。来年2月位には完了するのでしょうか。 ということで、今回も「門前の言葉」はなし、であります。 墓地へは、この寺の門前を通って、写真の奥の突き当りの坂道を更に上ります。 時々ご紹介するザクロの木は、写真に写っている道の右手の空き地にありますが、今日はすっかり葉を落とし、実だけが何個か残っていて、そのうちの一つは大きく割れて、と言うより「引き裂かれて」と言った方が相応しいでしょうか、原形をとどめぬ状態、ボロ布かなにかのように細長く捻じれてぶら下がっていて、そのヘリに赤褐色になった実の粒がびっしりとこびりついているという、些か情けないと言うか、無残な風体になって居りました。 今日は、久しぶりに自転車(MTB)でやって来た関係で、つい撮影を忘れて通り過ぎてしまった次第にて、画像がありませんが、ザクロとしては、情けない姿を撮られなくてほっとしていたのかも。 さて、突き当りのもう一つ南側の坂道を少し上ったところにある民家の庭先のハクモクレンが、早くも蕾を膨らませているようなのが目に止まりました。寺の工事は「未だ工事中」という印象でしたが、こちらのハクモクレンは「未(いま)だ含(ふふ)めり」ではなく、「早やも含めり」という印象でありました。(ハクモクレンの早やつぼみたる) 青空を背景に眺めやると、恰も薄雪が積もったかのようにも見えるのでありました。初雪の 降りにけらしや 白木蓮 師走の空に はやつぼみたる (蓮家持) 今日は、叔父の墓にも参ることに。 父の妹のつれあいである叔父は早くに亡くなっているが、我が家の墓がある墓地と隣接してある墓地に、その叔父の墓はある。 叔母が腰椎の手術をして、まだ完全には回復して居らず、墓参ができないということで、お盆・お彼岸に続き、その代参である。 叔父の墓の後、墓地をぐるり周回して我が家の墓へ。両墓地の入口が南北反対側となっているので、墓地の周りを半周しなければならない。 年末とあって、墓参の人の姿もいつになく多い。 墓参を済ませて、西方向を見やるとこんな景色。(墓地からの眺め) 今年も残すところ三日余り。 まさに、昨日といひ今日と暮らしてあすか河流れてはやき月日なりけり(春道列樹・古今集巻6341)である。<追記>墓参関連記事はコチラから。
2019.12.28
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友人のオガクニマン氏が「俺の履歴書」という小冊子を出版したので、それを10部購入することとした。 彼が自身のブログに連載していたものを編集して小冊子にまとめたもので、小生自身は既にそれを読んでいるので、今更これを購入して読む必要はないのであるが、これも友人としての「お付き合い」というものである。友人・知人に適当に配布しようと思っている。(「俺の履歴書」) その本の受け渡しを、昨日(26日)、喫茶「ペリカンの家」で行うべく、正午前後に待ち合わせということになりました。(「ペリカンの家」の名刺)(同上・裏面) この名刺は、25日に立ち寄った時に、店主のももの郎女さんから戴いたものである。 店員としてアルバイトで来て居られる大谷郎女さんがデザインして作って下さった名刺だそうな。 中央大通りがR13号と表示されているが、これは、阪神高速13号東大阪線で、高架の自動車道路の方、自転車族のヤカモチが走れる道ではないから、地道の方のR308号と表示して欲しい気がするが、店側としては、遠方から車で来られるお方のための表示としたのでしょう。 これは、今、気が付いたことで、25日、店に居られた大谷郎女さんに、その意図を確認した訳ではないので、ヤカモチの推測である(笑)。 26日は、もう一人のアルバイトの坂郎女さんが店に出て居られました。彼女とは久しぶりのことになるのか、「ヤカモチさん、お久しぶり。」というのが彼女の第一声。まあ、言われてみれば、前日に立ち寄っているものの、その前はと言うと、10日前後かと思うので、久しぶりには違いないのであります。 オ氏とは、この店でランチでもしながら、受け渡しをしようということであったので、MTBで家を出て、郵便局で、少しばかり持っている株式の配当金を受領してから、店に向かいました。 店には11時半位に到着したかと思う。珈琲を飲みながらオ氏の到着を待つ。小生は、一人の時は、店の営業の妨げとならぬよう、カウンター席に座るのを常としている。 小生の背後のテーブル席には、二人連れの男性客が先客で来て居られました。ももの郎女さんから、自転車で遠距離を走って居られて、ペリカンの家主催のサイクリングにも参加したいということを仰っている男性が居られるという話を以前にお聞きしたことがあるが、その男性というのが、このお二人であるということを、ももの郎女さんのご紹介で知ることとなりました。 色々、お話すると、お二人は同じマンションの住民で、その自治会でやって居られる碁の会のお仲間でもいらっしゃるようで、自転車と碁というのはヤカモチとも共通の趣味にて、面白い発見でありました。お一人は和歌山県ご出身、もうお一人は徳島県ご出身、ということなので、和歌麻呂氏、徳麻呂氏とでもお呼びすることにしようか(笑)。 そうこうしているうちにオ氏が到着。本の受け渡しと支払い完了。1冊は早速にももの郎女さんに贈呈。わが手もとに1冊残して置くとして、アト8冊をどうするか。次回の若草読書会で、各メンバーに配ることにでもするか。尤も、まかり間違っても読書会で取り上げることにはならない本ではあるが(笑)。 ランチしながら、そして食後の珈琲をしながら、雑談を楽しみました。 遅ればせながら、大阪も梅雨入りしたようで、今日から雨。予報では、30日(日曜日)まで雨、7月1日が曇りで、2日は晴れのよう。30日の若草読書会は生憎の雨のようです。 ところで、オ氏が「メール入れたけど見てくれたか?」という話。PCへのメールかと思い、未だ見ていないという返事。或る人の住所を知っていたら教えて欲しい、というのがその内容。帰ってから返信メールで知らせると約束。帰宅して、PCを開くもメールが入っていない。スマホの方かと確認するが、メールは見当たらない。 怪しいメールなので、セキュリティで排除されたのではないか、という冗談口を添えて、帰宅後に、ご照会のあった人物の住所を彼にメールしたが、よく調べると、ショートメッセージで入っていたのでした。 先月29日に、従来から使っていたスマホが少し不調になったので、ドコモショップに相談に行ったら、新しい機種への変換を勧められたので、新機種に切り替えたのであるが、新機種になるとそれまでの経験則にないことが生じる。このメッセージのアプリもそうで、そのアイコンが上部に隠れてしまっていて、着信があっても、気が付かないのでありました。そのアプリを下部の待ち受け画面に引っぱり出して置くように変更しましたので、今後は、着信があれば、そのアプリのアイコンに何らかのしるしが付くものと思います。 前ページの記事で、友人の偐山頭火氏開設の河内温泉大学図書館にアクセスしようとお気に入り欄に登録のそれをクリックしたら、下のような画面表示になったことを書きましたが、PCもスマホもイマイチよく分かっていないので、このようなイレギュラーな事態が生じると混乱してしまうヤカモチであります。 それで、お気に入り登録のそれが何らかの問題を生じているのかも知れないと思い、それの登録をやり直そうとしたのが間違いでした。登録をしてから旧のものを削除するという手順にして置けば、今回のような間違いは生じなかったことになります。(警告表示) 前ページ記事へのコメントで、偐山頭火氏から図書館のURLをあらためて記入いただいたので、お気に入りに再登録できましたが、そういう手段のないサイトの場合は、お気に入りから迂闊に削除してしまうと、再登録が困難ということも起こりうるので、上の手順で行うよう気を付けないといけない、と思っている次第。まあ、お気に入りに登録はしているけれど、その後、開くこともないサイトが結構ありますから、そういうサイトの場合は、再登録が出来なくてもどうということはないので、手順もサイトによりけりではあります。 雨が結構な降りになってきました。 まさに雨障みであり、当分は銀輪散歩もお預けです。薮蛇と なるは必定 梅雨に入り 隠り障みて 銀輪出さず (偐家持)(本歌)荊波(やぶなみ)の 里に宿借り 春雨に 隠(こも)り障(つつ)むと 妹に告げつや (大伴家持 万葉集巻18-4138) <参考>高岡銀輪散歩(その5) 2012.6.27. 「俺の履歴書」という名著の内容に触れぬまま記事を閉じるのは本意ではありませんが、触らぬ神に祟りなし、とも言いますので、本日はこれまでであります(笑)。これは、薮蛇なのか蛇足なのか(笑)。
2019.06.27
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これは何でしょう? 正面から見るとこんな形。 うしろ姿はこんな感じです。 材質は陶器です。有田焼だそうです。 先日(2月2日)、ペリカンの家に立ち寄った際に、店主のももの郎女さんから頂戴しました。 書斎にでも置いて下さい、というのが彼女の弁。 何に使うのかの説明を聞かずに家に持ち帰っていたら、ヤカモチはきっと??であったことだろうと思います。 正解は末尾の写真でお分かりいただけると思いますが、すぐに正解を言ってしまっては面白くないので、雑談です。 ペリカンの家という喫茶店はヤカモチがよく行く病院の向かい側にあります。白内障の手術をしたのがこの病院。その後、胃カメラによる検査、心臓カテーテル検査などもこの病院で受けましたが、何れも異常なしでありました。肺のCT検査をこのところ定期的に受けています。 肺の一部にモヤモヤとした影が認められ、それが癌や何らかの病変なのかを経過観察しているという次第。今のところそれが増大したりの変化もなく、放置していてもいいのではないかと自身は思うのですが、担当医が2~3ヶ月程度の間隔をあけて経過観察を継続すべきと言うので、それに従っているという次第。 で、昨日(4日)が、昨年の10月、12月に続いての何回目かの、そのCT検査の日でありました。朝10時少し前に病院に行き、検査と診察を受けました。すべてが終わったのが午後1時45分頃。ほとんどが待ち時間で費やされるというのが実態。会計を済ませるのにもかなりの時間また待たなくてはならない。 それで、会計ができるまでの待ち時間を利用して、先に昼食を済ませようと、向かいの喫茶店「ペリカンの家」に向かいました。 店員の越の郎女さんと店主のももの郎女さん達と言葉を交わしながらの昼食と珈琲。これが間違いのもとで、再び病院へ戻って会計を済ませるべきを失念、病院前に駐輪していたマイ・MTBでそのまま帰宅してしまった次第。家に到着する寸前にそのことを思い出し、病院へ電話。明日(5日)支払いに出向くので・・とお許しをいただきました。同様なことが、昨年の10月にもあって、今回が2度目になりますから、ヤカモチさんの認知機能もかなり低下して来ているようであります(笑)。 途中でのペリカンの家での昼食によって、脳のある部分がリセットされてしまうのでしょうか。同時に異質・無関係な二つのことができなくなるというのが認知機能の低下のメルクマールのようですから、要注意ではあります。 まあ、そんなことで、本日、病院を再訪、支払いを済ませて来たのでありました。で、支払いを済ませてから、昨日に続き、本日もペリカンの家で昼食としました。ももの郎女さん達は、ヤカモチのこの物忘れは「店に2回も来ていただける」ので大いに歓迎だそうですが、ヤカモチとしては面目ないことであって、ノット・ウェルカムであります(笑)。 次回の検査は6月3日(月)でありますが、次回も同様な失敗をすれば、いよいよ自身に「軽度認知症」という診断を下さざるを得なくなりますな。 さて、そろそろ、正解を発表します。 既に、これが何であるかがお分かりのお方には面白くも何ともないことですが、依然として「何であるか」がお分かりでないお方には、「ああ、なるほど」であるかと(笑)。 はい、眼鏡スタンドでありました。 正しくは、下のように置くのだろうと思いますが、上のようにして置く方が、すぐに眼鏡を掛けられるので便利がいいかと。(眼鏡スタンド)
2019.02.05
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本日でヤカモチは満1301歳であります。 大伴家持殿が何月何日に生まれたのかは存じ上げないのであるが、昔は生まれた年を1歳と数え、年があらたまるごとに、即ち「年越し」を迎えるごとに1歳を加えて行くという年齢の数え方であるから、誕生の月日がいつであるかは問題とならない。 日本人全員が「年越し」に一つ年齢を加えるのである。間もなくその年越し、節分がやって来るが、皆この日が誕生日のようなものであったのでしょうな。年齢分の豆を食べ、豆まきをして邪を払い、そのお祝いとする。 バースデーケーキに年齢分の蝋燭を立てて、各人ごとのハッピーバースデーを祝うなんてことは想定外。 まあ、それはさて置き、1301歳という超後期高齢者となりました。 「偐万葉」時代の年齢区分では1000歳までが非高齢者。 1001歳から1150歳までが前期高齢者。 1151歳から1300歳までが後期高齢者。 1301歳以降を超後期高齢者と称するらしい。 ヤカモチがブログを開設したのが2007年4月29日であるから、それ以降1月29日は、今日を含めて12回あったことになる。で、過去の1月29日の記事や如何にと調べてみると、2008年には、自身の誕生日を話題にした記事を書くという発想は無かったと見えて、該当記事なし。2009年の記事に初めてそのことに触れた文言が登場する。2009年1月29日「暗(くらがり)峠」2010年1月29日「偐万葉・ひろろ篇(その3)」2013年1月29日「ヤカモチ1295歳・健人会の新年会」2014年1月29日「1296歳になりました。」2015年1月30日「1297歳になりました。」2016年1月29日「1298歳です。」2017年1月29日「1299歳になりました・若草読書会新年会」2018年1月29日「1300歳になりました」 そして2011年、2012年と誕生日に触れた記事は無く、2013年になって初めてタイトルに「〇〇歳」という文言の入った記事となり、以後このスタイルが継続しているので、今年もこれにならうこととしました。(花園中央公園の梅)(同上)(同上)(同上)梅の花 今盛りなり ヤカモチの あれにし日をば 祝ふとならし (偐家持) ついでに水仙も。(花園中央公園の水仙)
2019.01.29
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本日は、今年最後の墓参。 今月は7日にも参っているので2回目となる。 北海道や東北から北陸にかけての日本海側は大雪のようであるが、こちらはよく晴れた好天気。 しかし、気温は低く、上空にちぎれた雪雲の切れ端が少しばかり迷い込むのでもあるか、時に風花が舞ったりもしていました。(墓地のクスノキ) このクスノキの巨木は言わばこの墓地のシンボルツリーのようなもの。 ヤカモチが子どもの頃には、このクスノキの木のある一角に火葬場があって、村人たちの手で運ばれて来た棺桶がその火葬場の建物内に納められ荼毘に付されるのでありました。墓には屍を荼毘に付す仕事に従事する専門の墓守の人が居られ、現在は差別用語とされ使われないが、彼らのことを隠亡(オンボ)と呼んでいました。単独であったか複数人であったかは記憶の外であるが、彼或は彼らが屍を焼く火の加減や管理一切を行い、翌朝には遺族らが骨上げに出向くというのが通例であったかと思う。<参考>隠亡・Wikipedia 祖父、祖母の葬儀、そして祖父や祖母よりも早い時期に幼くして亡くなった妹の葬儀などの時は、この墓地にあった火葬場で荼毘に付されたのでした。 この墓地の東側、上の写真で言うとクスノキの向こうに見える建物の奥、山側に池が二つあり、池と墓地の間に細い小径が通っている。 今は、南側の池は埋め立てられて広場になっていて、子ども達がソフトボールの練習などに使っている。北側の池は現在も存在していて、今は釣り堀風の使い方がされている。任意の釣り好きの方々による会が管理・運営されていて、いつも何人かの人が釣りを楽しんで居られる。 今日は、お一人の姿があっただけでありましたが・・。(ため池) 墓参のアト、MTBで銀輪散歩。昼食に喫茶「ペリカンの家」に立ち寄りました。店主のももの郎女さんと店員の越の郎女さんと暫し雑談。 「風花が舞っている。」と申し上げるも、通じない。最近の若い人たちには「風花」は死語のようです。風花の説明を申し上げる。 晴れた空(必ずしも晴れていなくてもいいのだが)からどこからともなく散る花びらのようにまばらに降って来る雪のことを「風花」と言うが、それをイメージして貰うために、とりあげたのが大伴旅人のこの歌。わが園に梅の花散るひさかたの 天より雪の流れ来るかも (大伴旅人 万葉集巻5-822)(私の庭に梅の花が散る。<ひさかたの>天から雪が流れて来るのだろうか。) この歌は、散る梅の花びらを雪に見立てたもの。 風花は、雪の粒を花びらに見立てたもの。 丁度正反対の見立てということになるが、イメージとしては同じ発想であります。わが行ける道に風花舞ひてありいづくや梅の咲きて散るらむ(偐旅人) ペリカンの家は明日29日まで営業(但し、午後2時まで)とか。 ももの郎女さんから「明日も2時までやっていますので。」と、去り際に念を押されましたが、これは年内にもう一度ご来店を、という意味でしょうな(笑)。 花園中央公園に立ち寄ってから帰宅。 花園ラグビー場では全国高校ラグビー大会が開催中とあって、駐車場には大型バスが沢山並び、スタジアムからは歓声とどよめきの音。 熱い戦いが繰り広げられているようです。葦辺吹く風にし聞こゆ歓声は今しトライをあげたるならむ (花園家持)(葦原)(花園中央公園のラクウショウ)(同上・モミジバフウ)
2018.12.28
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我が家と道路を挟んだ向かい側隣地を買い取った業者による、建物解体、宅地造成工事が始まり、2階の書斎の窓などから見える、その様子の変化を、気が向いた都度、撮影して来ましたが、ほぼ、完成したようなので、その推移を写真により、振り返ってみることとします。 先ずは、まだ隣地の方がお住まいであった時の写真です。 これは、偶々大阪では珍しい雪の降り積もった日に撮影してブログに掲載したもので、今回の記事のための写真ではありませんが、在りし日の姿をとどめる我が手許に残る唯一の写真であります。<参考>春の雪 2011.2.15.うつろふは世の常なりき在りし日の 隣家の姿せめてとどめむ (近隣家持)(2011.2.14.雪の日の隣地旧建物<右側>) 昨年5月、解体工事が始まる。 (2017.5.15.建物解体工事始まる。) 建物解体工事が終了し、整地工事。 (2017.5.27.整地工事)(2017.6.5.整地工事完了)(2017.6.18.同上) 暫く、工事は中断。(2017.8.12.雑草が繁茂し始める。)(2017.10.6.同上)(2018.3.29.地盤嵩上げ・擁壁築造工事始まる。)(2018.4.1.同上) 再び、工事が中断し、夏草繁き姿に。(2018.8.3.夏草が繁る) 工事再開。(2018.8.6.工事再開)(2018.8.7.同上)(2018.8.同上)(2018.8.10.同上)(2018.8.22.同上) 擁壁築造工事に進む。(2018.8.29.同上)(2018.9.8.同上)(2018.9.10.同上)(2018.9.11.同上)(2018.9.15.同上) 擁壁一部完成。 (2018.9.21.同上)(2018.10.2.同上) 擁壁が出来上がり、土砂の搬入が始まる。(2018.11.4.同上) そして、ほぼ完成です。(2018.11.27.ほぼ完成) 仕上げ工事や周辺部の工事が全て完了すれば、宅地造成工事は終了。 次は、住宅建設工事になるのでしょうが、これは少し先になるのでしょう。4棟の建売住宅が建つような区画割のようですが、これが建てば、わが書斎の窓からの眺望はこれに遮られてしまうこととなる。まあ、眺望は、隣地に視界を遮るものが偶々存在しないということによって享受しているに過ぎない反射的利益であって、眺望権などと言う権利があるのでもなければ、これは甘受すべきものであります。 書斎にあっては、窓外の眺めを楽しむなんてことは実際上必要のないこと。加えて、もともとが大した眺めでもないのであってみれば、特にどうということもない、というのが吾輩の感想。<参考>追記隣地に関連した過去記事は以下の通りです。建物解体工事から8月頃までの写真は既に掲載済みであることが判明しましたので、今回の記事は、一部「二番煎じ」でありますこと、お詫び申し上げます。カメムシ 2017.8.10.隣の空き地の雑草たち 2017.10.6.
2018.12.03
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閃輝暗点という耳慣れない言葉を今日知りました。 今日、行きつけの理髪店に行って髪を刈ってもらったのですが、そこの店主の青年から教えていただいた言葉です。 彼は二代目で、先代の父親が引退したので、その後を継いで店主となったもの。小生は先代の父親と同年齢なのであるが、父親が現役であった頃は、この青年が店を手伝うようになっても、小生の髪をあたるのは専ら父親の方の担当であったのだが、昨年の暮れ頃からであったか、今年に入ってからであったかは判然としないが、現在は、如上のような事情で、自分の息子と同年齢位である新店主のこの青年に髪を刈ってもらっているという次第。 髪を刈ってもらいながら、彼から言えば髪を刈りながらであるが、雑談をする中で、目に(視界にと言うべきか)現れる、ギザギザの光についての話になり、小生の症状を説明すると、彼も同じような症状が現れると言い、それは「閃輝暗点」という名の症状なのだと教えてくれたのである。 何年も前のことであるが、眼科医にこの症状のことを相談したと言うか、ついでの話として症状の説明をしたことがあった。しかし、眼の方の異常ではなく、脳または脳神経の方の問題だろうと問題にもされず、特段の説明も注意もなかったので、今日まで放置して来ている症状でありました。 その症状というのは、以前にも記事にしているが、視界の中に下図のようなギザギザになった光る半円形のものが現れ、光っている部分やそれに近い部分はものが見えなくなるというものである。(写真はWikipediaより転載)<参考>閃輝暗点・Wikipedia 左目の中に虫 2016.7.21. 小生の場合は、上の図を反転した形、即ち左側が開いている形なのであるが、最初、これがもっと閉じた塊りになっていて小さい点として、目の焦点を合わせた位置の少し右側に現れるのである。 本などを読んでいて、たとえば「輝」という字を見ようとすると、この光る塊が「輝」の字の半分を隠してしまうので「光」は見えるが「軍」の方は見えない、光る塊が大きい場合は、字全体が見えない、ということになるのである。 この塊りが、時間の経過と共に大きくなり、大きくなると上の図のように、輝いている部分は物が見えないが、その半円の中心部分の輝いて居ない部分は普通に物が見え、目の焦点はその普通に見える部分になるので、周囲のギザギザのことは目障りではあるが、文字も読めることになる。更に大きくなると光るギザギザ部分は視界の周辺部全体を取り囲むようになり、やがて視界の外へと消えて行くのである。 この症状は月に0回から数回程度、不定期に現れ、その継続時間はまちまちであるが、1分から10分間位の間に消滅するのである。 まあ、病院ではなく理髪店で、長年にわたって疑問に思っていた病理現象の正体を知ることになるとは、まことに愉快なことである。この理髪店は「利発店」と呼ぶことにするか(笑)。 ところで、芥川龍之介もこの症状に悩まされていたらしい。彼の場合は、この症状が出ると激しい偏頭痛に襲われたとのこと。若年性の閃輝暗点には偏頭痛が伴うらしい。理髪店の青年も頭痛が伴うので頭痛薬を服用すると言っていたが、小生の場合は頭痛は伴わない。
2018.05.11
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ケンとカエデがカナダからやって来ました。 ケン(Kensei)とカエデ(Kaede)は姪の子どもである。 ケンは「けん家持」の「ケン」にて小生の名前がその由来となっている男の子、まだ1歳に満たない赤ちゃんである。カエデはそのお姉ちゃんで3歳の女の子。先に来日した時は、まだケンは生まれていなくて、カエデは2歳になるちょっと前であったから、カエデとは1年半ぶりの再会。ケンとは勿論、初対面である。 ケンの初節句を控えて、五月人形を飾った前でケンの写真を撮りたいというので、朝からヤカモチさんはその飾り付けに奮闘したのでありました。子どもが成長してからは飾ることもなく長年にわたって納戸の奥に仕舞われていたのを引っ張り出したものの、飾り方が分からない。 長男が生まれた頃の古いアルバムの写真を参考にして何とか飾り付けを行った次第。 雛飾りほどには大層ではなかったものの、まあ、ひと仕事ではありました。(ケンと五月人形) 後ろに凭れるものを置くと、暫くは坐っていられるよう。(ケン) 立つのは無理なので、お母さんの手で支えて貰って・・。 後ろでは、カエデが走り回っている。(カエデとケン) それでもお姉ちゃんらしくケンちゃんの手をとって・・。 頬を寄せて・・。(同上) そして、カエデも羽織にハチマキの姿に・・。(カエデもハチマキ) 以上が、本日の写真。 小さな子どもは動き回るので、写真が撮りにくい。鳥の撮影と同じでありますな(笑)。 以下は、3日に我が家にやって来た時に撮った写真です。(ケン) ボクはケンです。ケン家持ではありません。(同上) アタシはカエデよ。ケンちゃんのお姉ちゃんです。 ウサギが好きです。 差し出した白いウサギのぬいぐるみがピンボケになっています。 (カエデ)銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に如(し)かめやも (山上憶良 万葉集巻5-803)<参考>ケンとカエデの写真が登場する過去記事はコチラ
2018.04.09
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微小血管狭心症という病気のあることを、1ヶ月位前だったか、もう少し前だったかはっきりはしませんが、ともかく最近になって知りました。NHKの何かの番組で取り上げられていました。もう長年にわたって小生に生じているものとその症状がそっくりなのでありました。 どんな症状かと言うと、小生の場合は、みぞおちの辺りに、しこりのような重苦しい痛みの塊りが先ず生じます。その前兆として咽喉の辺りやこめかみ部分に不快な違和感と言うか痛みが生じることもあります。 みぞおちの痛みの塊りが、食道か気管かは分からないが、その何れかを通って徐々に上に移動。咽喉の奥が痛いような感じになって、次にこめかみから後頭部にかけて重苦しい痛みとなる。その間、常時、胸のあたりが重苦しく不快な感じが続く、場合によっては背中が痛くなることもあるという次第。 最初に、この発作(何という事もない状況で、突然にこの症状が現れるので、小生はこれを発作と呼んでいる。)が生じたのは通勤の帰宅の電車の中でのこと。心臓発作かと、不安になりましたが、強烈と言うよりズシ~ンと重苦しく、圧迫感のあるような鈍痛なのである。脈をとってみても規則正しく打って居り、異常は認められない。長くても30分位でこの発作は収まり、収まってしまうと痛みや不快感、圧迫感は嘘のように消えて何事もない普通の状態に戻る。 その後、月に一度位の頻度の時もあれば、一日に何度かという時もあり、数カ月から1年間以上も何ともないという時もあるというような、不定期、不確定な頻度で時々、この発作に襲われることがあるという状態で今日に至っている。 まだ、仕事が現役であった頃、オフィスで勤務中にこの発作に襲われた時に、その発作がまさに継続中に、同じビルにあった内科クリニックに受診、心電図やMRI検査を受けたことがあるが、異常は発見されず、偏頭痛か何かだろうと頭痛薬を処方するという医者。その薬が効いて頭痛が収まるまでの時間を尋ねると30分位だという。それで、頭痛薬はご遠慮申し上げました。この発作による苦痛の時間は、短ければ5分位、多くは30分もすれば雲散霧消してしまうからである。 そんなことで、これまで健康診断その他でも心臓その他に関して特段の問題も発見されず、小生のこの発作は「心因性」のものというのが定説となっていたのですが、仕事を止めて遊び暮らしている、つまりはストレスというものの余り無いと認められる現況下に於いても、度々に発作が起こることがあるので、「心因性」というのも当たらないことではないかというのが小生の印象で、予てより謎でありました。 ところが、先般のTVで紹介されていた微小血管狭心症というのを知って、色々調べてみて、小生のこの発作はこれに違いないと確信したのでありました。 普通の狭心症は、心臓の冠動脈が動脈硬化などで細くなって、血流が阻害されているもので、運動したり、体に何らかの急激な負荷がかかった場合に発作が起こることから、労作性狭心症とも呼ばれるが、その血管というのは幹線的な太い血管が細くなって血流が悪くなっているのが原因なのである。これは心臓カテーテル検査、つまり心臓の血管に造影剤を注入しこれを撮影すれば、その細くなっている血管の部位が特定でき、これを拡張する手術をすれば病気は治る。(注)この検査はかつて小生も受けたことがある。〇心臓カテーテル検査 2016.1.25. これに対して、微小血管狭心症というのは、普通の狭心症のような太い血管ではなく、そこから網目状に派生している毛細血管、もっと細い血管、つまり「微小血管」が細くなって血流が悪くなって起こるものなのである。微小血管の血流が悪くなっても、その影響は局所的なもので、心臓の動きに有意な変化を生ずるものではないため、心電図にもそれは現れず、また、カテーテル検査をしても写真には写らないので、専門医でない限りそれと気付かれることが殆どないとのことである。 この発作は、運動時に起こることはなく、デスクワークとか読書をしている時、時には寝ている時などにも起こります。安静時に起こる発作が特長なのである。PCに向かってブログを書いている時などにも起こりますが、そんな時はPCを中断し、発作が収まるのをひたすら待つこととなります(笑)。 心臓の筋肉のごく狭い領域、局所的に血流の不足が生じると何らかのメッセージ物質が放出され、それが脳に到達すると、脳はそれを胸とか咽喉とか頭とか背中とか、直接関係のない部位の痛みの信号として受け取っているのかもしれません。何にしても、平常通りの作業を続けられるような状態ではなく、それが収まるまでの間は、痛みと不快感で呻いているしかないのであります。しかし、これで死に至るというようなものではないので、まあ、我慢をすればいいだけのものではあります。 ネットで調べると、この微小血管狭心症というのは更年期の女性によく見られるものだそうです。閉経後エストロゲンという女性ホルモンが急激に低下することから、血管拡張効果のあるこのホルモンの低下の所為で微小血管が細くなってしまうことに原因があるそうな。あと、喫煙によっても血管が縮小するので、これも原因の一つらしい。小生は男性であるから、思い当たるのは喫煙しかないが、煙草を喫ったから発作が起こるということは、これまでの経験則では当てはまりません。喫煙習慣が動脈硬化を促し、そのような蓄積の中で、別の何かの要因が加わって、微小血管狭心症の発作が起こっているということなんでしょうか。<参考>微小血管狭心症をご存じですか・日本心臓財団HP 小生が健康面で抱えている「謎」はこの微小血管狭心症と思われる発作と視界に突然現れるギザギザに輝く金色光であるが、どちらも放置のまま、随分の年月が経過している。 もう一つ、左目の中の金色の虫というのもあったが、この虫は、いつの頃よりか居なくなっている。この虫のように、気がつけば、発作もギザギザの光も生じなくなっていた、という事であって欲しいものであります。<参考>左目の中に虫 2016.7.21.微笑する 血管でありたし 家持は 元より微小の この身なりせば (微笑家持)をみならの 病と言ふに 微小血管 狭心症 などて家持 これにしなれる (不精家持)(注)上2首目は、577、577の旋頭歌体の歌です。(「坂の上の雲」ならぬ「目の前の雲」)
2018.03.11
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2月11日の記事で「八日目の蝉」ならぬ「八日目の咳」なんぞとふざけた所為か、翌日12日から咳。妻が前日から風邪でダウンしていたので、それを貰ってしまったよう。娘も同様に咳と熱。ということで、13日に家族揃って病院へ。すると、娘と妻はインフルエンザの検査で陽性反応。小生もインフルエンザに違いないのだが、発熱がなく検査は陰性。彼女たちはインフルエンザの薬、タミフルを処方して貰ったが、小生は様子を見ようと薬の処方はなし。帰宅して夕刻には熱も出て、頭痛、鼻水、咳。病院に電話するが、発熱してから12時間位経過しないと、検査しても分からないことが多いから、と翌朝の来院を指示される。 で、本日14日朝病院へ。今度は陽性反応。インフルエンザでした。小生もタミフルを処方いただく。インフルエンザに罹患していることが明白なのに、検査が陰性では薬が処方して貰えぬという不条理に遭遇。お蔭で病状がひどくなってからの投薬となりました。 自宅謹慎です。ブログは謹慎する必要はないのですが、頭痛や熱や咳やクシャミや鼻水で頗る不快。 ということで、しばらくブログお休みします。
2018.02.14
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スーパーブルーブラッドムーンなどという大層な名がついた月食を見ようと思っていましたが・・。 昨夜の月です。(20時51分の月)(左:21時22分の月、右:21時25分の月) (左:21時30分の月、右:21時35分の月) (左:21時40分の月、右:21時42分の月) この後に赤く染まった月が見えるというのが我輩の期待であったのですが、何も見えなくなってしまいました。雲に隠れてしまったということのよう。とすれば、直前の月食と思っていた月の欠けて行く様は、雲に隠れて行く様であったかも知れないこととなり、ちょっと鼻白む思いになりましたが、一応月食と見て、その写真を並べて置くこととします。自宅2階のベランダへ何度も部屋から出たり入ったりしながら撮影した写真でありますので。血の色の月を隠すか雲だにも こころあらなむ隠さふべしや (偐家王)三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなむ隠さふべしや(額田王 万葉集巻1-18) 2014年10月8日の夜も皆既月食でした。 母の米寿のお祝い会をしたこの夜の帰り道に、生駒の山の上に昇った月が赤く輝いていたのを見た記憶があるので、過去記事を調べてみたが、そのような記事は書いていなかったようで見当たらない。その母も今は亡く、既に1年2ヶ月が経過しようとしている。
2018.02.01
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今日は偐家持の誕生日。満1300歳になりました。 一昨日の読書会で、小万知さんから「お誕生日おめでとう」と頂戴したのが、下掲の花です。 また、今朝、友人のオガクニマン氏から誕生日おめでとうの電話がありました。 ご両名に、この場をお借りしてお礼申し上げます。感謝です。(小万知さんから頂戴したお花) さて、ご本家、大伴家持さんは718年生まれなので今年が生誕1300年になるのであるが、誕生日がいつであるかが不明。従って、今日現在で彼が既に満1300歳になっているのかどうかは不明である。確率的には、1月29日以前に生まれている可能性は7.9%。未だ1299歳である可能性の方が高いことになる。 昔は、数え年で年齢を数え、生まれた時を以て1歳とし、翌年1月1日に一つ歳を取るという慣わし。つまり年を越すごとに国民すべてが一斉に一つ歳を取る訳である。誕生日の到来するごとに歳を取る今のように、個々人の誕生日というものは余り意味を持たない。従って、ハッピー・バースデイなどという言葉、考え方は存在する余地は無かったことになる。 因みに、旧暦による今年の元日は2月16日だそうな。立春は2月4日。その前日が節分・年越しとなる。 四季の始まりである立春の日と一年の始まりである元日が一致するのが暦としては望ましいところ、月の公転周期が30日余、地球の公転周期が365日余ということで、どうしてもズレが生じてしまい、立春と元日が同一日となるのはむしろ珍しいことになるというのが普通。 この両日が一致すると、「朔旦立春」と呼んで、大変縁起がいいそうである。次の朔旦立春は2038年になるそうだが、20年も先のことであるから、1300歳の超高齢者である偐家持、縁起がいいとはいかなるものであるのか、これを見届けることは先ず無理というものである。 なお、万葉集掉尾を飾る歌、4516番の大伴家持の歌「新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事」が詠われた天平宝字3年(759年)元日は、この朔旦立春であったということである。 話が横道にそれましたが、わが齢も本日をもって1300歳の大台に乗りましたので、この段ご報告申し上げ候。生き恥を千歳(ちとせ)あまりて三百歳(みももとせ) さらし今日までめでたくも生き (偐家持)よしあしは更にも問はず昨日今日 明日のこの身は神がまにまに (偐家持)
2018.01.29
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今日は、亡くなった娘の祥月命日で、朝は墓参でした。 道の辺にはザクロの実が色づき、秋づくらしもの風情。(ザクロ)※特大サイズ画面の写真はコチラ そして、いつもの寺の門前の今月の言葉はこれでした。 (今日の言葉)※特大サイズ画面の写真はコチラ 自分とは立場の違う人の視点で物事を見てみようとしたり、自分とは違う意見を客観的に検討したりして、それらと照らし合わせて、自分の考えや思いが何らかの思い込みや偏見や無知によっている可能性はないのか、自分で自分と対話してみることが時には必要でしょうね。 とは言え、自分の心というのは自分そのものでもあるのだから、その心に縛られている自分を「自分の心」から解放することはそう容易なことではない。それでもそういう自己対話の癖をつけることが、これに幾分かは寄与することになるのではないかと思う。 など言いつつも、だんだんとそういうことが面倒になってくる、これが年老いるということであるか(笑)。 帰途の野道にはルコウソウが咲き乱れていました。 (マルバルコウソウ)※特大サイズ画面の写真はコチラ (同上)※特大サイズ画面の写真はコチラ ちょっと、ピントが甘くなっていますが、アップの写真も。 (同上)※特大サイズ画面の写真はコチラ (同上)※特大サイズ画面の写真はコチラ 墓参から帰宅して、PCのメールを開くと、カナダ在住の姪から、昨日メールが入っていたのでした。この程、第二子の男の子を出産し、そのお祝をしたことへのお礼のメールでした。男の子の名前はKENSEI。漢字では小生のケンと同じ字を使わせて貰ったとのことですが、小生と同じケンちゃんなのだ。そのケンちゃんの写真とお姉ちゃんのKAEDE(楓)とのツーショットの写真も添付されていて微笑ましくもありました。 (ケンちゃんとカエデちゃん)(注)上記掲載写真のキャプションに付した※印の特大サイズ画面はフォト蔵画面でご覧いただくこととなっています。クリックして画面が表示されない場合は、フォト蔵がメンテナンス中かその他の障害が発生している可能性があります。
2017.09.02
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12月3日夜、母逝去。 同4日、仮通夜 同5日、通夜 同6日、告別式、火葬、骨上げ、初七日法要と続き、ようやく一段落です。まだ、色々と残務がありますが、少しずつ片づけて参る所存。 通夜、告別式にご参列下さいました皆さまを始め、当ブログ上でも、楽プロの方でも、また、メールでもご弔意をお寄せ下さいました方々、まことに有難く、あらためて茲に厚くお礼申し上げます。 母の入院中から逝去、葬儀に到る中で偐家持が詠んだ歌を下記に記して置きます。 再掲の「もみぢ葉の」の歌は、通夜の喪主挨拶の中で、犬養節で朗誦させていただきました。壊れゆく 母の繰り言 聞き居つつ まだ明けやらぬ 病室の窓 肌色の 手首のテープ お前との 絆と言ひて 真顔なる母 笑ふほか なき無理言ひつ 母言へり わが苦しむを など笑ふやと われ生きて ふたたび逢ふは かなはじと Kaedeら見送り 母は泣きぬる わが顔を 見るは安心と ひとりごとの ごと言ふ母の いとしかりけるあと幾日(いくか) 母とやかくし あるを得む 弱りて眠る こと多くなり くぼみたる 眼窩の奥の 母の眼は こころを映す こともなくあり 逝く母の 心の奥の 涙かや 金星光る 三日月がもと もみぢ葉の はらりひとひら 地に落ちて わが母上は みまかりましぬ (再掲) 三日月は 迎へ船かも 母が逝く その夜の空に かかりてありぬ 母逝きて なきがら運ぶ 車待つ 暗きわが空 月も沈めり やうやうに 父がもとにと 旅立つや 母薄化粧 美しかりき 母が行く 泉路のほどの 安かれと 込めてぞ置きし 手向けの花は また、大学同期の友人久麻呂君と道麻呂君からはブログを見て、それと知ったとして、メールでご弔意を頂戴いたしましたが、その返しに詠んだ歌もありますので、併せ掲載して置きます。 久麻呂の贈り来れる歌3首もみぢ葉の 散りゆくなへに たらちねの 母上様の 黄泉路安かれ (偽家持擬)たらちねの 母上様は もみぢ葉の 生駒ヶ峯に 雲と棚引く (偽家持擬)もみぢ葉の 散りて往きける たらちねの 御母上を 地蔵よ護れ (偽家持擬) 偐家持の返せる歌1首三日月は めぐりてのちも 来るなれど 母とふ花は 咲き出来ずけむ 道麻呂に答へて偐家持が詠める歌1首逝く母の 迎へ船かも 三日月の かかりて空に にじんでありぬ
2016.12.07
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昨夜23時34分母が亡くなりました。 この処、ブログの更新ができていなかったのは、その所為でもありましたが、暫くブログを休ませていただきます。もみぢ葉の はらりひとひら 地に落ちて わが母上は みまかりましぬ (偐家持)12月3日夜の三日月
2016.12.04
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空を見上げて・・ 空をソラと読むかカラと読むかクウと読むかは人夫々であるが、此処ではソラであります。 空は何と共に切り取るかによって、或は雲の在り様や光の具合によってその表情は様々となる。 先ずはクスノキの幹の間に見える空。 昨日の記事の雀たちは、このクスノキの根方の地面に群れていたのでありました。(クスノキと空)黒々と 木々切り取れる 夕空を かなしと雲の 千切れて行くか (偐家持) (同上) 次は、桜のもみぢ葉と空。もみぢ葉は 空を仰げど ついに得ず 散りて地に落つ 冬の残照 (偐家持)(桜の紅葉と空)(同上) 次は、ウリカエデと空。 このウリカエデ(と言っても小生がそう呼んでいるだけで、ネグンドカエデかも知れないのであるが)は、先月の26日の記事で取り上げた木である。今は随分と色づいて全体的に黄色になっている。<参考>ウリカエデ、ウリハダカエデはたまたネグンドカエデか 2016.10.26.(ウリカエデと空) 次も、カエデの一種と思われる木と空。 これは、去る16日の記事で紹介した蓑虫がぶら下がっていた木である。普通のカエデの葉の五裂、六裂が極限まで進み、それぞれが別の葉のようにも見える風変わりなカエデである。<参考>999999そして遂に100万アクセス 2016.11.16.(カエデの一種と空) 蓑虫がぶら下がっていたこの木であるが、少し離れて眺めると、枝垂れている所為もあってか、この木そのものが蓑のようにも見えなくもない。 よって、ミノカエデと呼ぶことにしよう(笑)。(カエデの一種だと思うが、何んというカエデだろう?)(同上) 本日もとりとめのない記事となりました。空はクウでもありカラでもありますから、中味のない空っぽの記事であっても差し支えないという次第なのであります。
2016.11.21
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今日はお盆前の墓参。 今月は6日に月例の墓参をしたばかりなので、墓掃除などは不要。 しかし、花はさすがに枯れてしまっている。新しいのに差し替えて、お盆を迎える装いに、という次第。 お盆直前とあって、今日は墓地のあちこちに人影があって、いつにない賑わいであります。 墓地には、ひと際背の高い墓標がある。それらは戦争で亡くなった兵士たちのもの。お盆は終戦の日でもある。ということで、これら兵士の墓を巡ってみました。 墓石の側面には戦死した地の名が刻まれているものもある。中国、フィリピン、二ューギニア等々。中には、昭和24年1月ソヴィエト・タイセットというのもある(下掲写真5列目左)。これは捕虜収容所で亡くなったということであるか。 下に掲載した写真は17枚であるが、撮影しなかったものもいくつかあるので、この墓地だけで戦死兵士の墓標は20以上はあるだろう。 その他に、日露戦争だろうか、明治時代のものが2本ありました。そのうちの一つは墓石の記載から従軍医師のものであることが見て取れました。 墓石は黙し語らずであるが、このようなお墓を将来再び建立するというようなことがあってはならない。そのようなことのないよう祈りたいものである。 墓参はいつもは徒歩であるが、今日はMTBでやって来ました。テニスクラブを過ぎた辺りまでは何とか漕ぎながら上って来ましたが、そこから先の更なる急坂でギブアップ。息切れです。ハァーハァー喘ぎながら最後は自転車を降りて押しながら上ることになりました。そこまでしてMTBでやって来たのは墓参の後、郵便局に行く用事があったからであります。 墓参を済ませて、外環状道路まで、坂道を走り下る。 高校の同窓会の年会費を振り込み送金するというのが用事の内容。今年は来月25日に総会があるようだが、小生は欠席の予定。 郵便局の少し先に花園中央公園がある。送金を済ませてから公園に立ち寄りました。 桜広場の、或る桜の木の根元に生えたチリメンタケや如何にということでありましたが、跡形も無く駆除されていました。まあ、予想されたことであったので、失望はなく「やはり、そうか。」という感想(笑)。桜の木がしっかり維持管理・保全されていることを感じた次第。 <参考>墓参・ひまわりの咲く道 2016.8.6. ホットケーキみたいです。2016.8.7. 桜広場の前の噴水と小川では、今日も大勢の子ども達が水遊びをしていました。 (花園中央公園の噴水で遊ぶ子ども達)
2016.08.12
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数日前から目の中に小さな虫が棲みつきました。 大きさは、蚊程度の体長数ミリの小さな奴である。 どんな形かと言うと、こんな色と形です。 ものを見ていると焦点のすぐ上くらいの位置にこいつが居る。で、この虫に焦点を合わせると、左へ、左へと移動して行く。飛蚊症というのは承知しているが、それは何やら黒い点が視界を横切るというもので、このように何やら虫の形で、黄色い色を持っているというのではないように思うのだが、これも飛蚊症なんだろうか。 左眼を閉じて、右眼だけで見るとこの虫は現れない。左眼を開けるとこれが見える。多分、左眼の水晶体か網膜にこのような映像が写り込む何らかの変状が生じているのであろう。映像刺激を受け取ってその情報を処理する、脳細胞乃至は視神経の方の異常ではないと思われる。 そのうちに病院へ行って診て貰うことにしよう。 小生の耳の中にはニイニイゼミが以前から棲みついていて、床につき外界が静寂になると、この蝉が鳴き始める。これはもう慣れっこになっていて、特段の不便も感じないので、ニイニイゼミとは仲良くやっている。 従って、この左眼の虫とも仲良くすればいいのであるが、読書などしていると、読んでいる文字の直ぐ上にこいつが現れるので、時に気が散るというか、些か邪魔なのである(笑)。 目に関しては、もう一つ厄介な現象がある。これは、時々、突然に現れるのであるが、稲妻のような光るギザギザの塊が焦点を合わせた場所に登場するのである。 これが現れるとその部分の文字はこれに遮られて見えない。見ようとしたところにあらわれるのであるから、手に負えない。 時間が経過すると、この光る塊は段々と大きくなって行き、その内側はものが見えるようになる。やがて更に大きくなって、ものが見える内側の領域がどんどん広がり、光る(恰も点滅するネオンサインのように、或は風に揺らいでいるようにも見える)部分は視界の外縁部分のみとなる。更に時間が経過すると、ギザギザに光る部分は視界の外へと消えて行き、正常の視界に戻るのである。 光る部分の形状は言葉では表現しにくいので、図示するとこんな感じです。 上の図は、このギザギザが登場して、視界の中でかなり大きく広がった状態の形状です。最初は、このギザギザが小さく且つ上下が閉じた状態に近いので、読もうとする字にかぶさって字が読めないことになる。 上の程度に広がると、ギザギザに光る部分はものが見えない状態であるが、その内側部分は普通にものが見える。焦点は中心部にあるから、周囲の違和感を別にすれば、字など見ようとするものは普通に見える。 この現象が現れたのは、自転車事故で背中の肋骨を5本折った時に、頭を少し打っていて、その直後のことであった。しかし、病院での診察を待っている間にその現象は消滅したので、気にしなかったのであるが、その後、時々生じるようになって今日に至っている。今となっては、その事故が原因であるのかどうかは知る由もないこと。 何年かして、この現象を眼科医に相談したが、それは眼の異常ではなく、脳の方だろうということで、それっきりになっている。 このギザギザが現れて消えるまでの時間は長くても5~6分のことで、この間だけ我慢すればいいということで、特段の深刻な日常生活上の不都合はありません。 読書の最中や、ブログ記事を書いている時などにこれが生じると、暫し休憩という不便はありますが(笑)。万葉の会や読書会などで、資料の原稿を読みながら説明をしている時にこれが生じると、原稿を読むのは諦めて適当に誤魔化したり、説明を端折ったりという臨機の対応を必要としますが、月に1~2度(多くても3~4度)生じるに過ぎない現象にて、そのような不都合になることは滅多にないことであります。 本日は、虫と稲妻の話でありました(笑)。
2016.07.21
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今日は入院しています。と言っても病気入院ではありません。検査入院という奴です。 何の検査かと言うと「心臓カテーテル検査」。手首の血管(動脈)から細い管(カテーテル)を差し込み、心臓の近くまでこれを送り込み造影剤を心臓に注入、心臓の筋肉に張り巡らされている冠動脈の映像を撮り、血管が細くなっているなど、動脈硬化がないかを調べる検査である。 最近、坂道を上ったり、階段を上ったりをすると息切れが生じ、息苦しくなることが多くなり、時に胸に痛みも生じたりしたので、COPD(慢性閉塞性肺疾患)即ち肺気腫・慢性気管支炎ではないかと、念のためにと病院の総合受付で相談したら、心臓内科か呼吸器内科だが、先ずは心臓内科に行きなさいということであったので、心臓内科を受診しました。心電図をとるなど診察の結果、狭心症(労作性狭心症)かも知れないが、これは検査してみないことには分からない、とのことで、心臓カテーテル検査となった次第。(病室)(同上・入口ドア側から)(病室窓からの眺め) この病室から眺める景色は見たことがある、と思われた方は、古くからの読者にて記憶力のよいお方。そうです。一昨年、2014年の2月に白内障の手術で入院した病院と同じ病院なのです。一昨年の入院は6階の病室でしたが、今回は3階の病室。その分、左右の視界の広がりには欠けるが、正面の生駒山の山容は同じである。 <参考>生駒山見つつもをらむ病棟に 2014.2.8. さて、このカテーテル検査。血管に造影剤を注入されると、痒いような、その部分が熱くなるような妙な感じになる。やがて、造影剤が心臓の冠動脈に達すると心臓が重たくなるというか、何やら重苦しい違和感がちょっとの間生じる。初めての感覚なので、何やら不安な気分にもなる。 検査前、手術台に寝かされ、身体が固定された状態になったところで、医者から「緊張してますか?」と問いかけられたが、「いいえ、緊張はしていません。」と答えたものの、きっと無意識のうちに緊張をしていたのでしょう。或は、検査中の違和感などの所為もあってか、検査を終了して、病室に帰って来て測った血圧は150を超えていました。検査に行く前の血圧は120であったのに。 で、検査の結果ですが、心臓の血管は何処にも異常はなく、健康な状態とのこと。狭心症ではありませんでした。勿論、心臓に毛などは生えていませんでしたよ。 心臓でないとすれば、肺の方かも。COPDで呼吸器の機能が低下して来ているのかも、です。これにつき、あらためて呼吸器科を受診するかどうかは、小生次第。まあ、少し様子を見て、その方の検査もそのうちにして貰いますかね。 それはそれとして、心臓の方は問題ないので、明日、朝食後の退院となりました。先ずはめでたし、めでたしでしょうか(笑)。(26日の日の出) 小万知さんのコメントで生駒山の日の出は如何にと撮影しましたが、笑っているのかどうか、眩しくて何ともわかりかねます。この季節は、生駒山よりもかなり南側から日が昇るのですね。(26日追記)
2016.01.25
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