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昨日13日はお盆のお墓参りでした。 今月2日に月例の墓参をしたばかりであるが、お盆と年末には重ねて墓参をするというのが、ヤカモチの習慣となっているのである。 シャンシャンとクマゼミの鳴く坂道を自転車のMTBで上って行きます。 と言っても途中にある寺の辺りまでで、アトは押して上がります。急な勾配の坂道なので、漕いで上がる元気はもうありません。 腰痛の所為でヤカモチにとって歩行はいささかの苦痛が伴う動作となるのであるが、自転車に乗っての移動は何の問題もなく、また自転車を押して歩くという動作も、只歩いているという動作よりも、やや前かがみになってという姿勢のゆえか苦痛がずっと軽減され楽に歩けるのである。 寺の門前の言葉も、先月5日の墓参の時に見たものがそのままで、更新されていなかったので、前回に続きスルーであります。 寺の前の道端にはアブラゼミの死骸が一つ転がっていました。 蝉と言えば、今月10日(土)に散髪に行った帰りに枚岡梅林に立ち寄った際、ミンミンゼミとツクツクボウシが同時に鳴いているのを耳にしました。前者は真夏の蝉の声、後者は過ぎ行く夏と言うか、夏の終わりの蝉の声というイメージである。 夏を押しとどめようと鳴くミンミンゼミと「秋よ来い」と鳴くツクツクボウシがせめぎあっている、そんな気がしたものであるが、どうやらミンミンゼミがせめぎあいに勝ったみたいで、昨日も今日も真夏のそれの猛暑である。 ということで、蝉の写真でも掲載して置きます。(クマゼミ) と言っても、その折のミンミンゼミとツクツクボウシの写真を撮った訳ではありませんので、先月22日に喫茶・ペリカンの家に立ち寄った際、店の前の喫煙ベンチのかたわらに植えられているシマトネリコの木にとまっていたクマゼミの写真であります。 墓地に到着、花を取り替え、線香を手向け、合掌礼拝。 墓参を済ませてから、墓地への坂道の一つ北側の坂道に移り、そこにある市杵島姫神社の木陰で一休み。水分補給とタバコ一服をしながら気がついたのは、今回の墓参に関連する写真を1枚も撮っていないということでした。 それで、撮ったのが次の写真2枚。(大阪一望) 右手の大型マンションの背後に写っているのが花園ラグビー場のスタジアム。その後方右端に見える茶色のビルが東大阪市庁舎。 写真で見ると距離感が違って見えるが、東大阪市庁舎は花園ラグビー場の西北西方向約2.5kmの位置にある。 カメラの角度を下げて、手前側を撮ったのがこの写真。(坂道) この坂道は一つ北側のそれであるが、墓地への坂道もこれと同じような坂道でありますので、これを自転車で漕いで上るのは、電動アシスト付きなら別であるが、普通の自転車ではとても上り切れないのであります。 それでも、上りは貯金のようなもの。帰途はこの貯金を取り崩して一気に走り下ることになる。要するにプラマイゼロということであります。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。
2024.08.14
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ムシヒキアブと4年ぶりの再会。 前回のムシヒキアブは眼が緑色であったので、ムシヒキアブ科のアオメアブであったが、今回のそれは眼の色が黒いのでムシヒキアブ科のシオヤアブでありました。<参考>ムシヒキアブ・トンボとアブの中間みたいなアブ 2020.7.19.(シオヤアブ)<参考>ムシヒキアブ・Wikipedia シオヤアブ・Wikipedia シオヤアブ (同上) ムシヒキアブにも色々な種類があるが、シオヤアブやアオメアブは、スズメバチやオニヤンマを襲うこともあると言うから、昆虫界最強のハンターと言えるのかもしれない。 スズメバチやオニヤンマが相手では、逆襲にあって自分が食べられてしまう危険があるから背後から奇襲して背中に取り付くのだろうか。口針を一突き、獲物の体液を吸い取ってしまうということなんだろうが、そういう大きな獲物を襲う瞬間を一度見てみたいものである。(同上) ゆっくりと慎重に近づき撮影したが、不用意に手を動かした所為か、あっという間に飛び去ってしまった。どちら方向に飛び去ったのかも分からぬ忍者の如き早わざにて、一瞬のうちに姿がかき消えたのでありました。(同上) 参考までにアオメアブの写真も掲載して置きます。<参考1>シオヤアブと同じムシヒキアブの仲間のアオメアブの写真(アオメアブ 2020年7月19日記事掲載写真の再掲)<参考2>アオメアブ アオメアブ・緑色の目を持つ草地のハンター 今日は、ムシヒキアブ科のシオヤアブ(+アオメアブ)の記事でありました。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2024.06.22
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本日見かけた花と虫であります。(ホタルブクロ)<参考>ホタルブクロ・Wikipedia キキョウ科ホタルブクロ属の多年草。 子どもがこの袋状の花に蛍を入れて遊んだことから蛍袋という名になったらしいが、別名ではツリガネソウ、アメフリバナとも。 ホタルが登場する万葉歌は1首だけある。防人の妻が詠んだ歌とされる。 過去記事でも取り上げているが、再掲すると・・。この月は 君来きまさむと 大船おほぶねの 思ひ頼みて いつしかと 我あが待ち居をれば 黄葉もみちばの 過ぎて去いにきと 玉梓たまづさの 使ひの言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大地おほつちを 炎ほのほと踏みて 立ちて居ゐて 行くへも知らず 朝霧の 思ひ迷まとひて 丈つゑ足らず 八尺やさかの嘆き 嘆けども 験しるしをなみと いづくにか 君がまさむと 天雲あまくもの 行ゆきのまにまに 射いゆ鹿猪ししの 行ゆきも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 音ねのみし泣かゆ (万葉集巻13-3344)<今月は君が帰って来られると、(大船の)頼みに思って、いつかいつかと私が待っていると、(黄葉の)はかなく死んでしまったと、(玉梓の)使いの者が来て言うので、(蛍なす)ほのかにそれを聞いて、大地を炎の上を踏むように跳び上がり踏んで、立ったり座ったり、何処へ行けばいいかもわからず、(朝霧の)思い迷って、(丈足らず)八尺にも及ぶ長いため息をつき嘆いても、何の甲斐もないので、何処に君が居られるのだろうと、(天雲の)行くあとについて(射ゆ鹿猪の)行って死のうと思うけれど、道が分からないので、ひとり居て君を恋慕っていると、声に出して泣けてくる。><参考>墓参・虫も色々 2019.6.10.(同上) で、ホタルの写真と行きたいところであるが、上掲参考記事の時と同じく、手持ちの写真は今回もありません。 その代役でも勤めようとやって来たのか、セボシジョウカイボンが目の前に舞い降りて来ました。(セボシジョウカイボン)<参考>ジョウカイボン科・Wikipedia ジョウカイボン・Wikipedia ジョウカイボンという虫は、ホタル上科ジョウカイボン科の昆虫。 ホタルのように光らないが、ホタルの縁戚と言ってもよい虫であるから、まあ、ホタルの代役にならないこともないという次第。 ジョウカイボンというのは、漢字では「浄海坊」と書く。 浄海というのは、平清盛の戒名。 清盛は熱病で死ぬが、それは、このジョウカイボンとそっくりなカミキリモドキという虫の毒(カンタリジン)によるという説があったようで、カミキリモドキと取り違えて浄海坊という名がこの虫に付けられたということらしい。<参考>カミキリモドキ・Wikipedia 以上、虫と花と万葉集のお話でした。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事は下記の通り。 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011 万葉関連の過去記事はコチラ。
2024.06.09
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一昨日(5月2日)は月例の墓参でした。(墓地) 恒例の門前の言葉は、この墓地への坂道を上って来る途中にある寺の門前に掲示されているのだが、未更新で前月のそれと同じものが掲示されたままであったので、撮影せずスルー。 往復の道すがら、目にとまった花などをいくつか撮影しましたが、それらは別途花散歩として記事にすることとしますので、当記事では虫散歩という形で記事にさせていただきます。 というのは、墓参の帰り道で、ナガサキアゲハという余り見かけない蝶を目にしたからであります。(ナガサキアゲハ♂) 遠目にはクロアゲハかと思われた蝶が飛んできて、休耕田の一角の小石などが敷き詰められた場所に着地しました。 かなり距離がありましたが、じっとしたままなので、慎重に背後から接近し、撮影。(同上) 一向に逃げようとしないので、更に接近して撮影。(同上) 更に、もう一枚撮影。(同上)<参考>ナガサキアゲハ・Wikipedia 撮影している時はクロアゲハを撮っているつもりでいましたが、撮った写真をよく見ると、アゲハチョウによく見られる、左右後翅の尾状突起がないことに気が付きました。で、調べるとナガサキアゲハという蝶のオスであることがわかりました。ヤカモチは初めて目にする蝶である。 南方系の蝶で、「1940年代には山口県西部や高知県南部、1960年代には淡路島へと徐々に北上し、21世紀初頭には福井県や神奈川県西部の太平洋側で越冬が確認されている」(Wikipedia)というから、今は近畿でも身近にみられる蝶なのかもしれない。しかし、ヤカモチが昆虫に関心を持ったのは小学生時代の一時期のことに過ぎないので、その頃の知識でストップ状態。 従って、これまで目にすることがあっても遠目のことなのでクロアゲハだと思っていたのかもしれない。 2009年には宮城県名取市でも成虫が確認されているらしいから、地球温暖化で成育圏を北へと広げているようで、温暖化の指標種として注目されているそうです。 この蝶だけでは、虫散歩とはならないので、他の虫も。(ヤブジラミとテントウムシ) ヤブジラミといっても虱の仲間ではなく、白い小さな花をつけた植物のことで、虫ではありませんので無視してください。 虫はテントウムシの方であります。 テントウムシはヤブジラミではなく手前側のカラスノエンドウの方にとまるつもりでいたのでしょう。 カラスノエンドウにはアブラムシがびっしりとつくことがあるので、これを餌とするテントウムシもよくやって来ます。 しかし、見たところ写真のカラスノエンドウにはアブラムシらしきものが見当たりません。で、ヤブジラミの方に迷い込んだのかも。こいうのはヤブから棒ではなく、ヤブヘビと言いますかな(笑)。 テントウムシの幼虫もいました。 (テントウムシの幼虫) そして・・。(キマダラカメムシ) こちらは、キマダラカメムシの成虫。 桜の木などでよく見かけるカメムシですが、これは草むらにいます。 まあ、虫も好みは色々でしょうから、それがどこであれ一定棲家ぞかしであります。 そして、最後は虫こぶ、虫癭であります。(虫こぶ エノキハトガリタマフシ) これは、エノキトガリタマバエによるエノキハトガリタマフシという虫こぶである。一昨年の5月の墓参の記事でもこれを取り上げて記事にしているので、再述はしません。コチラ(虫散歩・虫こぶと繭 2022.5.3.)をご覧ください。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。
2024.05.04
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今日の銀輪散歩で見かけたのはケラ。(ケラ)<参考>ケラ・Wikipedia(同上) ケラはオケラとも呼ぶが、これは俗称にて、正しくはケラである。 しかし、「オケラになる。」(一文無しになる。)という言葉があるように、また「ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんなみんな生きているんだ」(「手のひらを太陽に」)という歌詞があるように、オケラと呼ばれることの方が多いのかもしれない。<参考>おけらになるの語源・語源由来辞典(同上) 漢字では「螻蛄」と書くが、これを正しく読める人は少ないだろう。 一方、「虫けら」も漢字で書くと「虫螻」となり、ケラのことかと思われたりもするが、これは「かけら(欠片)」とかという言葉と同じで、取るに足らない小さいものを意味し、虫を卑しめて言う言葉であり、ケラとは関係がないのである。<参考>虫けらとは・コトバンク(同上) 通常は、モグラのように土の中に穴を掘って暮らしているので、このように地表を動き回るのは、天敵に狙われる危険もあることだから、特別な事情があってのことと考えられる。 今日は真珠湾攻撃の日でもあるが、このオケラ君も何らかの非常事態が発生、住処を捨て、避難している途中なのかもしれない。(同上) 俳句の季語に「地虫鳴く」というのがある。秋の季語である。 地虫というのは、昆虫の幼虫など地中にいる虫のことであるが、これら幼虫が鳴くということはない。 一方、ケラは土中の穴の中で、「じぃ~」と鳴く。 これをミミズの声と捉えて「蚯蚓鳴く」などという季語も存在する。 「地虫鳴く」も同じで、ケラの鳴く声のことなんだろう。 地虫鳴く皆もやもやを持ち歩く 高澤良一 地虫鳴く屋敷神あるあたりより 大河原一石 耐うること知りたる齢地虫鳴く 青木つね子 地虫鳴くつぐべき声をたしかめつ 中村汀女 いきどほり抑へてあれば地蟲鳴く 上田五千石(同上) ところで、オケラという植物もある。キク科の多年草である。<参考>オケラ・Wikipedia この植物は万葉集にも登場する。 尤も、万葉では「うけら(宇家良)」という。恋しけば 袖も振らむを 武蔵野むざしのの うけらが花の 色に出づなゆめ (万葉集巻14-3376)(恋しかったら袖をそっと振りますものを。武蔵野のオケラの花のように、表に出して言わないで、決して。)いかにして 恋ひばか妹に 武蔵野(むざしの)の うけらが花の 色に出(で)ずあらむ (同上・或本歌)(どのように恋したら、妹に対して武蔵野のオケラの花のようには、表に出さないでいられるのだろう。) 上の歌は女性の歌で、下の歌は男性による返歌とみられる。 以上です。 さて、今日の銀輪散歩の写真ではないが、「虫」カテゴリの記事であるので、他の虫の写真もこの際掲載して置きます。(ツマグロヒョウモン♀)(同上)(ゴマダラカミキリ)(同上)(キマダラカメムシ) 余談ですが、わがPCから虫の在庫写真はこれで一掃されます。 フォト蔵アルバムに写真を登録し、それら写真のブログ掲載が完了すると、これをわがPCからは削除する、というのがヤカモチ流となっているからです。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2023.12.08
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今日は月例の墓参。 九月になったのに猛暑続き。墓参の坂道は、汗、汗、である。 その坂道を少しばかり上った処にある寺の、今日の門前の言葉はこれでありました。(今日の門前の言葉) 生のみが 我等にあらず 死も亦 我等なり ――清沢満之<参考>清沢満之・Wikipedia我等は死せざるべからず。我等は死するも尚我等は滅せず。生のみが我等にあらず。死も亦我等なり。我等は生死を並有するものなり。我等は生死に左右せらるべきものにあらざるなり。我等は生死以外に霊存するものなり。然れども、生死は我等の自由に指定し得るものにあらざるなり。生死は全く不可思議なる他力の妙用によるものなり。然れば、我等生死に対して悲喜すべからず。生死尚然り。況んや其他の転変に於いてをや。我等は寧ろ宇宙万化の内に於いて、彼の無限他力の妙用を嘆賞せんのみ。(「清沢満之全集」第六巻、岩波書店) この寺の前で一つ南側の坂道に移り、これを上る。 上りかけの民家の庭先の棗の木。実が色づき始めていました。(ナツメの実)(同上) 墓地入口近くの池の畔のアラカシも実をつけています。(アラカシ)(同上) カシの実はまだ赤ちゃん状態ですが、この猛暑の中でも、秋の気配を見せてくれています。池の辺の あらかしの実の なるみれば わが待つ秋の 近づくらしも (偐家持) はい、墓地に到着。(墓地からの眺め) 六甲の山々、あべのハルカスも、今日はいつもよりくっきりと見える気がする。あべのハルカスの左手には淡路島の影も見えているが、こちらは不鮮明。(墓地のクスノキ) 墓地のシンボルツリーとも言えるクスノキの大樹。枝の一部は未だ青葉を付けているが、その他の大部分が枯れて朽ち果てようとしている。 墓参を済ませて、坂道を下ることとする。(イボバッタ) 石の上のイボバッタ。ツチバッタとも呼んだように思うが、すっかり石の模様に溶け込んだ保護色。イシバッタと呼ぶのが適切かも。うまく石の 色に化けたから イシバッタと 今日から君を 呼ぶことにする (疣家持)(同上) 少し下ったところの稲田にいたのが、このカメムシ。(クモヘリカメムシの幼虫) 撮影しようとカメラを近づけると、葉の反対側に回り込んでしまうので、厄介。(同上) 上へ、下へ、裏側へと、逃げ回るカメムシを追っかけ回してのパパラッチ撮影であります。 クモヘリカメムシの成虫は背中部分が黒っぽい色になるから、これはまだ幼虫段階にあるのだろう。(同上) イネの害虫であるが、駆除は「吾事に非ず」のヤカモチ。 手出しはせずに立ち去ります。(同上)(ウリハムシ) こちらも害虫のウリハムシ。 胡瓜の花の裏にいました。一枚撮影したものの鮮明でなかったので、もう少し接近して撮ろうとしたら、飛び去ってしまいました。 今日の墓参の道での撮影写真ではありませんが、虫の写真が少しばかりストックがありますので、便乗掲載といたします。(カマキリ)(ショウリョウバッタ)(同上)(ゴマダラカミキリ)(キマダラカメムシ)(キマダラカメムシの幼虫) 以上、墓参&虫散歩の記事でありました。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。
2023.09.02
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このところ虫をとり上げた記事は長らくアップしていないように思う。 で、調べてみると昨年11月22日のオオシロオビアオシャクという蛾の記事が最後のそれのようだ。 先日の万葉の小径で見かけたカメムシの写真があるので、久々に虫の記事とします。<参考>オオシロオビアオシャクと名前不詳の蛾 2022.11.22.(ハラビロヘリカメムシ1)<参考>ホシハラビロヘリカメムシ・Wikipedia ハラビロヘリカメムシ ホシハラビロヘリカメムシは背中に黒い斑点が二つあるのだが、写真のこれは、その斑点が鮮明ではない。ということで、ハラビロヘリカメムシかもと思ったが、ハラビロヘリカメムシの触角の第一節はほぼ頭のサイズと同じ長さであり、ホシハラビロヘリカメムシのそれは頭のサイズよりも長いとのこと。写真で見ると頭のサイズよりも長いようなので、ホシハラビロヘリカメムシかもしれないのだが、ハラビロヘリカメムシということにしておきます。※ホシハラビロヘリカメムシの写真掲載の過去記事はコチラ。(同上2) もう少し接近して撮影。 やはり、星印の黒い斑点が不鮮明。やはり、ハラビロヘリカメムシか。(同上3) はい、横顔も撮って置きましょう。(同上4) 反対側の横顔も。(同上5) 正面からの顔も撮影しようとしたが、これは嫌だったようで、体の向きを変えてしまい、撮らせてくれない。 カメムシの世界も顔認証が普及しているのか、その悪用を懸念して、撮らせまいとしているのかも、であります。 次は、アメンボ。 これは、万葉の小径ではなく、花園中央公園での撮影。(アメンボ1) もっと、大きく撮影しようとするが、ちょこまかと素早く動くので、体の細部が見て取れるほどに大きく撮影するのは、コンパクトデジカメでは無理なようです。(同上2)<参考>アメンボ・Wikipedia アメンボは漢字だと水黽と書き、何となく亀に似た字であるから、カメムシと並べてみるのも、一興。もっとも、黽は音読みでは、ベン、ビン、ボウ、訓読みでは、あおがえる、つと(める)で、アオガエルを意味し、亀ではないようであります(笑)。(同上3) あめんぼ あかいな アイウエオ うきもに こえびも およいでる かきのき くりのき カキクケコ きつつき こつこつ かれけやき・・の北原白秋の「五十音」という詩では、「あめんぼ」は「水馬」であるから、蛙どころか、馬ということで、カメムシと並べるのは、いよいよ無理がありますな。 あめんぼ かめむし アカサタナ・・<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2023.06.21
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中也銀輪散歩で見かけた蛾の写真を紹介して置きます。 蛾は苦手という人はパスしてください。 ひとつは、権現山・熊野神社の境内で見かけた、オオシロオビアオシャクと思われる蛾です。下記<参考>のブログ記事の文中、熊野神社のところで、その蛾のことに言及していますが、追って、「虫」カテゴリの記事でとり上げようと、写真は敢えて掲載しないで置きました。<参考>中也銀輪散歩・お墓参りとザビエル記念聖堂 2022.11.16. 翅を広げた状態だと5cm程度ある大型の、薄緑色の蛾です。(オオシロオビアオシャク)<参考>シャクガ科・Wikipedia シャクガ科、アオシャク亜科の蛾。アオシャクの仲間も沢山の種類がいるので、オオシロオビアオシャクとは異なる種類の蛾である可能性も否定できないが、多分オオシロオビアオシャクだろうと思います。(同上) カメラを地面近くに下げて、蛾の目線と同じレベルで撮影。(同上) ちょっとピントが甘くなってしまって、蛾の表情は不鮮明ですが、彼と視線を合わせた状態です。 警戒をしているのか、まったく動かない。 しかし、敵ではないと認識したのか、警戒を解いた風で、広げていた翅をたたみ始めた。(同上) 翅をたたむと、随分とコンパクトになった。 それでも動かないので、枯れ葉を下に差し入れて、それにとまらせて、神社境内の隅の木々の間の草むらに置いてあげた。 神社の参道脇の地面なので、参拝する人影が殆どないとはいえ、人に踏まれないとも限らないという訳で、「保護した」という次第(笑)。 もう一つは長門峡駅で見かけた蛾。(名前不明の蛾) これは、長門峡駅前の案内看板にとまっていた蛾。 これも下記<参考>の記事の文中で言及しているが・・。<参考>中也銀輪散歩・長門峡(その2) 2022.11.12. 最初は、枯れ葉が引っかかっているのかと思ったのだが、よく見ると蛾でありました。それも交尾をしたままじっとしていて、生きているのか死んでいるのかもわからない状態。 上の方の蛾が多分メスだろう。腹部が下のオスのそれに比べてふっくらとしているから、卵がいっぱい詰まっているのだろう。 枯れ葉に似ているから、カレハガの仲間かもと考えた「が・蛾」、これもシャクガの一種かもしれない。「蛾の世界はそんなに単純ではないのだ」と彼らも言っているようでもあるので、ここは正体不明として置きましょう。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2022.11.22
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今日は虫の話。 昨日の墓参の道で、こんなものを見かけました。(エノキハトガリタマフシ) エノキの木の葉に実のようなものが沢山出来ています。 虫こぶであることはすぐに分かりましたが、何の虫こぶであるかは分かりません。ネットで色々検索して、エノキトガリタマバエによる虫こぶ、エノキハトガリタマフシであることが分かりました。<参考>森林生物・エノキトガリタマバエ(同上) この虫こぶの中に一匹ずつ幼虫が入っているとのこと。 虫こぶの中で幼虫は安全に成長する。 虫こぶは成熟すると地上に落下する。 その状態で、幼虫は次の年の春まで成長し蛹となり、3~4月頃に羽化するということです。成虫となったエノキトガリタマバエはエノキの若葉に産卵して生涯を終える。 エノキトガリタマバエの成虫はどんな姿なのかと調べてみましたが、よく分かりません。ウィキぺディアに掲載のタマバエの写真を参考までに掲載して置きます。蝿と言うよりは蚊に近い虫です。(タマバエの一種・Wikipediaより転載) タマバエの仲間は4600種以上もいるらしいですから、エノキトガリタマバエの姿がこれに似ているのかどうかも不明です。(エノキハトガリタマフシとマミジロハエトリグモ) エノキトガリタマバエの虫こぶと並んでいるハエトリグモ。 蝿の虫こぶの傍にハエトリグモですから、まあこれは自然なトリ合わせでありますかな(笑)。 「縁の木」としてエノキを縁結びの神木としている神社があったり、悪縁を絶つというエノキがあったりもするが、「エノキはヨノキ(嘉樹)とも呼ばれ、めでたい木を意味した(柳田国男「神樹篇」)」ように、エノキには霊力があると信じられて来た。 万葉集にも1首、エノキの歌がある。尤も、万葉集の「榎(え)」は、エノキだけでなくムクノキなども含む神木の総称であるとのことだから、エノキの歌と言い切ってしまうと、ムクノキがむくれると言うものではある。わが門かどの 榎えの実もり喫はむ 百千鳥ももちどり 千鳥は来くれど 君そ来きまさぬ (万葉集巻16-3872) 榎の実が赤く熟して、小鳥たちがこれをついばみにやって来る頃には、これらの虫こぶはすべて地に落ちていて、小鳥たちが実と間違って虫こぶをついばむということはないのであろう。 自然の営みの妙という奴である。 さて、蜘蛛と言えば、昨年12月の墓参で見かけたジョロウグモの写真があるので、便乗掲載です。(ジョロウグモ) ハエトリグモは蜘蛛にしては愛嬌があって可愛いが、こちらジョロウグモは威厳があって近寄り難い(笑)。 次は、蛾の繭です。 花園中央公園の便所の外壁で見つけたもの。(オビカレハの繭) 少し離れた処に、もう一つありました。(同上)※オビカレハ・Wikipedia こちらの方が少し小さい。 繭は終齢幼虫が糸を吐いて、自身が隠れるマイホームを形成したもの。この中で蛹となり羽化の時まで過ごすのである。 その幼虫が近くに何匹もいました。(オビカレハの幼虫) 下の幼虫は、ひょっとすると繭を作る準備をしているのかもしれない。(同上) オビカレハの成虫の姿は、タマバエ同様にウィキぺディアの写真をお借りすることとします。(オビカレハの成虫 Wikipediaより転載) オビカレハは色々な木に産卵するが、桜もその一つ。このトイレの周囲は桜の木だらけであるから、オビカレハにとっては格好の生活の場、繁殖の場ということであるのだろう。 「こんな姿ですが、私は毒を持っていませんのでご安心ください。」とオビカレハ君は申して居ります。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2022.05.03
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10月4日の夜8時半頃の話。 1週間も前の話で恐縮でありますが、今日はこの話にお付き合い願うこととします。 ノートパソコンに向かっていると、右上腕部に何かの虫が這っている感触があり、見ると、小さなハエトリグモである。 歩き回り、走り回る徘徊性の蜘蛛。 徘徊性という点ではヤカモチと相通じるものがある(笑)。 多分、体長は5mm程度。 手で追い払おうとすると、ジャンプしてテーブルの上へ。 30cm以上の大ジャンプである。 カメラを取り出し、撮影しようとすると、PCの裏側に回り込む。 カメラで追いかける。 ハエトリグモは前方側に4個、後方側に4個の眼を持っているので、どの方向から接近しても、こちらの動きはお見通しのようで、逃げてしまい、なかなか上手く撮らせてくれない。 なんとか撮れた写真がこれ。(ハエトリグモ) ハエトリグモは世界で6000種、日本でも105種と種類が多く、何という種類のハエトリグモであるのかは、この写真では特定しがたい。 体の色や体長などから、可能性が高い種として、次の三つのどれかではないか、というのがヤカモチの結論。 ミスジハエトリの雌(体長7~8mm) チャスジハエトリの雌(体長10~12mm) アダンソンハエトリの雌(6~9mm) 体長からは、アダンソンハエトリの可能性が高く、チャスジハエトリの可能性は低いことになるが、成熟した蜘蛛であるとは限らず、未だ「子ども」の蜘蛛であるということも考えられるから、体長だけで判断はできない。 上で述べたように、前後に各4個、計8個の眼を持つ蜘蛛。 その後ろ姿を撮っていたら、いつの間にか体を反転させて、コチラ向きになっている。(同上) 肉眼では分からなかったが、撮った写真をPCに取り込み、トリミングして拡大すると、ハエトリグモは、カメラに正対し、しっかりとこちらを見ているのでありました。 前方側の眼4個のうち、内側の2個は大きな眼で、外側の眼や後ろ側の眼の何倍もの大きさであるから、その分視力もよく、よく見えるのだろう。 背後の眼は天敵などを見つけ、身を守るためにいち早く逃げる、移動する、ジャンプする、そのために必要な眼に過ぎないから、映像を鮮明に見極める必要性は左程に高くはない。これに対して前方部の眼は獲物を捕らえるための眼であるから、対象物が鮮明に見えなくてはならない。対象物との距離も正確に見定めなくてはならない。そんなことで、正面の2個だけは特別に大きく発達したのだろう。 背後から接近して来たカメラ、そしてそのカメラを操っているヤカモチがたたかうべき敵なのか餌となりうる生き物なのかを見極めるため、素早く体を反転させたのであろう。 上掲の写真をご覧になればお分かりいただけるかと思いますが、完全に目が合っている感じです。 見ているつもりでいたら、逆に「見られていた」という次第。 まあ、ハエトリグモからすれば「何やら見られている気がしたので、見返してやった」というところでしょうか。 それにしては、何やら「親愛の情」が感じられる視線にて、敵意はないようです。ということは、天敵ではなく「餌」と思ったのだろうか。ご馳走を前にした人間の視線、目の表情もかくにしあるか。 しかし、空腹ではなかったようで、こちらに飛び掛かることもなく、再び体を翻すとハイジャンプ、何処かへ飛び去りました。 或いは、「何だ、さっき腕にとまってやった人間じゃないか。実に、つまらん。帰って寝よう。」とでも思ったのかも。 以上、クモをつかむような話でありました。やみくもに あれこれ書くも くもつかむ 話のごとや なりにけるかも (三匹の子蜘蛛)<参考>ハエトリグモ・Wikipedia アダンソンハエトリ・Wikipedia 虫関連の過去記事はコチラ。
2021.10.12
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一昨日(9月30日)の記事でルリタテハの幼虫の写真を掲載したが、その記事へのコメントで友人の小万知さんが、アケビコノハの写真を撮ったことをお知らせくださいましたので、その写真をメールで送っていただきました。 というのも、アケビコノハの成虫は過去に記事に取り上げているものの、その幼虫は目にしたことがなく、当ブログにも未登場なので、その写真を掲載するのもいいのでは、と思ったからでありました。 で、送られて来た写真がこれです。 元の画像はスマホで撮られたものであるのだろう、もっと縦に細長い写真でありましたが、ヤカモチにて上下を少しカットするトリミングを施したのが下掲の写真です。(アケビコノハの幼虫) 写真では分かりにくいが、大きなドングリ目に見えているのは、やや頭頂部寄りの胴体背面にある模様である。頭部を体の内側に折り曲げて胴体にくっつけるようにしているので、ドングリ目模様があたかも目のようで、折り曲げ丸まった胴体上部全体が大きな丸い頭のようにも見える。 この虫にとっては、このポーズが最も安全な休息スタイルなのかもしれないが、お陰で、我々は「これは何?」と思ってしまう。 天敵に対する警告信号である蛇の目模様は、蝶の翅にもよく見られるが、アケビコノハは幼虫の背中にそれを備えているようです。 アケビの実を突っつきに来る鳥も多いことでしょうから、アケビの葉を食草とするこの虫にとって、生存可能性を高めるためには、この蛇の目模様は必要不可欠なものであるのだろう。 小万知さんは、まるでアニメ漫画のような顔を形成させているこの姿を見て、「可愛い」と表現されているが、まあ同感ですかな(笑)。 しかし、その見立て通りに、このような頭部を持った虫が本当に居たとしたら、奇怪、奇妙、ちょっと気持ち悪い気がしないでもない。 背中の黄色の網目模様の斑点模様も「蛇」のそれを真似ているのだろうと思われる。人の指先ほどの小さな虫にも「五分の魂」ならぬ「二個のドングリまなこ」である。<参考>アケビコノハの過去記事 2017年12月12日 枯れ葉が舞い込んだ 2017年12月25日 アケビコノハのその後 虫ついでに、昨日の墓参の道の辺で撮ったジョロウグモの写真も掲載して置きましょう。 子どもの頃は、コガネグモやジョロウグモの区別が曖昧で、その肢などの模様から、オニヤンマの連想でオニグモと呼んでいたような気もするが、その記憶も曖昧。 大きな網状の巣を張る、コガネグモ、ナガコガネグモ、ジョロウグモは、遠目のチラッと見では似ていて区別がつかないから、結構混同していたのかもしれない。(ジョロウグモ) ジョロウグモだろうと思うが、ナガコガネグモかもしれないという気もするので、自信はない。 蜘蛛と言えば、小学生低学年の頃、多分10歳にもなっていなかったかと思うが、自宅近くの小川で遊んでいて大きな蜘蛛に指を噛みつかれたことがある。 水面を走る茶色の大きな蜘蛛であったので、今更に「水辺の蜘蛛」でネット検索して調べると、どうやらそれはイオウイロハシリグモという蜘蛛であったようである。 小鮒つりしかの川・・ではないが、小川の水たまりになっている場所に入ってフナやドジョウを捕まえようとしていたのかもしれない。 水面を走って来た蜘蛛が人差し指の先にいきなり嚙みついた。強い痛みと大きな蜘蛛が指に噛みついているという想定外の事態にパニック。手を振っても離れない。胴体をもう一方の手で掴み引き離そうとするが、胴体が引きちぎれただけで、噛みついている頭部はそのまま。頭をつまんで食い込んでいる牙というか歯というか、それを丁寧に引き抜いて、ようやく事態収拾でありました。 幸い何らの毒も持っていなかったようで、痛みは噛まれた傷、薄っすらと血が滲んでいたかと思うが、傷跡が見てとれたものの、腫れたり炎症を起こすということはなく、噛まれた痛みがしばらく残っただけでありました。 その小川も現在は暗渠となり、拡張された道路の下を流れているので、そこに川があることに気づかない人も居る。 蜘蛛は喜母と言って、着物に付くといいことがあるとか待ち人がやって来るとかという俗信があったようで、衣通姫も、庭に蜘蛛が巣を張るのを見て、恋しいあのお方が今夜はやって来るのだわ、と歌を詠んでいるように、大事にされた縁起のいい虫であったようだ。ヤカモチも、幼い頃祖母から、家の中の蜘蛛は殺してはいけない、と教えられた記憶がある。 ハエトリグモの小さいのが、畳のへりなどをぴょんぴょんと跳ねている姿などは、何となくユーモラスで可愛いと思うものの、巨大な蜘蛛が現れたりするとちょっと不気味な気になるのは、幼い頃に指を噛まれたということから来る、一種のPTSD(心的外傷後ストレス障害)かもしれない(笑)。
2021.10.02
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一昨日(28日)、生駒の叔母(父の妹)宅を訪問。 今日は、その叔母宅の庭で見つけた蝶の幼虫の話であります。(ルリタテハの幼虫A) 叔母が「庭の花に蝶の幼虫がいる」というので、庭に出てみたら、ホトトギスの葉裏にいたのがこの虫。 「蛾の幼虫かな。」と言うと、「蛾なの・・。」とがっかりしたような顔をするので、念のためとスマホで「ホトトギスの葉につく蝶の幼虫」でネット検索したら、ルリタテハがヒットし、蛾の幼虫ではなく蝶の幼虫であることが分かった。 ルリタテハの画像をスマホで示し、「このルリタテハという蝶の幼虫のようです。」と言うと、とても嬉しそうな顔になって「まあ、綺麗な蝶じゃない。」と上機嫌になった(笑)。蛹になったら、金魚用のガラスの水槽に茎ごと取り込んで、屋内に持ち込み羽化するのを観察してみよう、などと小学生みたいなことを言い出したので、「それはいい案・・」とこちらもつられて笑いながら賛意を表明する始末(笑)。(同上・幼虫B) 幼虫は2匹いました。 葉裏に隠れてじっとしている。 トゲトゲの針が刺されると痛そうな感じがするが、これは刺さないそうで、触っても問題なし、痛い目には合わないそうだ。 これは、イラガの幼虫に擬態しているのだという。 イラガの幼虫は毒を持っていて、刺されるとひどく痛いが、こちらは見かけだけのこけおどし。イラガの幼虫に擬態しているお陰で、ルリタテハの幼虫を捕食する天敵はいないとのこと。 しかし、カマキリはイラガの幼虫を捕食するようだから、ルリタテハの幼虫も捕食するのだろう。そういう災難に遭うことなく無事に育って欲しいものである。 イラガの幼虫は下記<参考>の過去記事にその写真を掲載していますので、ご存じでないお方はそれをご覧ください。 ルリタテハの画像は、過去記事にあるかと検索しましたが、無いようなので、Wikipediaから借用してその画像を掲載して置きます。<参考>虫も愛でつつ秋銀輪 2014.10.22. ルリタテハの画像・Wikipediaより ルリタテハの幼虫の食草は、ユリ、ホトトギス、サルトリイバラなどとのことですが、親の蝶は、その肢によってこれら食草を感知して産卵するのだそうな。 春に羽化する春型に比べて、秋に羽化する秋型は模様の色がやや薄めになるそうだ。 成虫のまま越冬するものもいるそうだから、この幼虫たちは蝶の姿で冬を越す可能性もあることになる。(同上・幼虫B) ルリタテハは、タテハチョウ科の蝶。 同じタテハチョウ科の仲間ではオオムラサキが有名だが、これは子どもの頃見たきりで、実物を目にすることはなくなっている。 タテハチョウ科の蝶は5000種以上の多数で、シジミチョウ科の6000種以上に次ぐ多さだそうな。因みに、蝶の種類は全世界で1万5千種~2万種だそうだから、タテハチョウとシジミチョウで70%以上の多数を占めることになる。 この辺のところは友人の蝶麻呂君が詳しいので、ヤカモチが事に非ずでありますれば、これ以上の言及は慎むべきか(笑)。 アカタテハとかキタテハなどは、今でも時に見かけるが、アカタテハの幼虫はカラムシの葉に、キタテハの幼虫はカナムグラの葉にいるので、これらの植物を見かけたら葉裏を覗いてみると発見できるかも。(同上・幼虫B、只今食事中) 葉裏に隠れていたものの、しばらくすると空腹になったのかホトトギスの葉を盛んに食べ始めました。 写真には、葉に付着しているゴミのようなものが写っているが、この虫の排泄物ではないかと思う。(同上・幼虫B 食べだすと、もうとまらない。)(同上・幼虫A) もう一方の幼虫Aも、もぞもぞと動き出し、食事を始めました。(同上・幼虫Aも食事中) 葉を齧られているホトトギスの方は、ホトホト困り切って居ります。 小万知さん風に言えば、トホホギスと言うことになる(笑)。 それでも枝先には沢山の蕾がついているから、頑張って花を咲かせることでしょう。SDGsなどと声高に叫ばなくとも、虫たちは食草に致命傷を与えるような食べ方はしないのだろう。生駒山 裾廻(すそみ)の里の 庭草(にはくさ)の その葉恋しき 時は来(き)にけり (瑠璃立羽)(本歌)玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来(き)にけり (大伴家持 万葉集巻17-3987)<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2021.09.30
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一昨日(9月18日)の銀輪散歩で萱島駅からの帰途、加納緑地のベンチで休憩していたら、何やら黒っぽい虫が顔近くに飛んできて、上腕か肩の辺りにとまろうとした。虻か何かかと体をひねって手で追い払うと、右膝付近のズボンの上にとまった。 ヨコヅナサシガメかと思ったが、何となく感じが異なる気がしたので、帰宅してから調べてみようと、用心しつつカメラを取り出して撮影したのが以下の2枚の写真。(アトジロサシガメ) カメラを近づけると、これを避けるように離れる。 膝の上にとまられているので、撮影角度が制限され、自由に撮影できない。もう少し鮮明な写真を撮りたかったが、言わば右膝が拘束されているのと同じで、不利な条件下の撮影。状況がそれを許しませんでした。何度かの駆け引きの末、虫は飛び去ってゆきました。(同上)<参考>ヨコヅナサシガメ・Wikipedia アトジロサシガメ ネットで検索した結果、アトジロサシガメというカメムシではないかという結論に達しました。 近年に中国から渡来した虫のようで、急激に数を増やしているらしい。 在来種のヨコヅナサシガメにとっては、強敵現れるといったところであろうか。 ヨコヅナサシガメは、2018年5月29日記事(ヨコヅナサシガメとコナガ)に写真を掲載しているが、肢の付け根に赤い色がある。同記事では、これを見てダニが3匹取り付いていると誤解したヤカモチであることが見て取れるお粗末な文章になっているが、写真の今回の虫にはそのような赤い部分は写真からは見て取れない。 で、そのようなサシガメは他にいるかと探した結果、アトジロサシガメにたどりついたという次第。 サシガメというカメムシは、その名の通り、不用意に触れると刺されることもあり、刺されると激痛とか。また病原虫を媒介する種類もいるらしいから要注意な虫である。<参考>サシガメ・Wikipedia 虫関連の過去記事はコチラ。
2021.09.20
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本日(3日)は月例の墓参。 本日の墓地からの眺めです。(2021年8月3日朝、墓地からの眺め) 写真中央に花園ラグビー場が見えます。 ズームで撮影すると・・。(花園ラグビー場) 昨日(2日)、この花園ラグビー場で新型コロナワクチンの第2回目の接種を受けました。 副反応は2回目の方が顕著に出る、とのことであったが、1回目同様に何の副反応もありません。1303歳という超高齢のヤカモチ。若い人ほど副反応が出やすいなどということも聞きますから、反応も超・鈍くなっているのかもしれません。(同上 もう少しアップで) さて、今日、墓地で見かけたのは、白いホコリのような小さな虫。 白い綿状のものをまとっていて、飛んでいるところを手の平に受け止めてみたが、小さすぎてその姿は肉眼ではよくは見えない。 調べてみると、どうやらエノキワタアブラムシというらしい。 尤も、白い綿状ものを身にまとっているのは、他にクヌギハアブラムシ、͡コナラハアブラムシ、サルトリイバラアブラムシ、タブノキハアブラムシ、ヒイラギハマキワタムシ、ブナハアブラムシ、リンゴワタムシなどというのもいるようですから、断定はできないのであるが、エノキワタアブラムシということにして置きます。(エノキワタアブラムシ) 葉にびっしりと取り付いている。 時々、ホコリが舞い上がるように空中を飛んだりしている。 カメムシ目アブラムシ科マダラアブラムシ亜科の虫で、有翅型と無翅型とがあるらしく、飛んでいる奴は有翅型ということになる。 学名はShivaphis celti。 詳しいことは、下記<参考>のサイトをご覧ください。<参考>エノキワタアブラムシ 虫嫌いなお方には、お目なおしにフーセンカズラの写真をどうぞ。 墓参の道端、民家の軒先に置かれていた鉢植えを撮影しました。(フーセンカズラ) フーセンカズラの種子は基底部がハート型というか「猿の顔」型というか、面白い形姿をしているので、記事にしたことがある。<参考>槙の実と風船葛の種 2010.10.4.
2021.08.03
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毎朝、クマゼミの合唱とともに目覚めるこの頃。わが庭に くまぜみ来鳴く 朝なれば 起きよみな人 はげめと言ふや (寝坊家持)(クマゼミ) これは、わが庭の木に鳴いていた奴ではなく、銀輪散歩で立ち寄った花園中央公園に居たクマゼミ。 近くにはニイニイゼミとキマダラカメムシも居ました。(ニイニイゼミとキマダラカメムシ) 実際にはこんな感じで一つの幹にとまっていました。(クマゼミとニイニイゼミとキマダラカメムシ) これは桜の木。桜の木にはキマダラカメムシがよく居る。 カメラを向けた時は、キマダラカメムシには気づかず、クマゼミとニイニイゼミ、というつもりで撮ったのですが、画像を見るとカメムシも写っていたという次第。 この日、アブラゼミは、声はすれども姿は見えずで、撮影できず、別の日に、加納緑地で撮った写真がこれ。(アブラゼミ1)(同上2)(同上3) アブラゼミ1の居た木には、ハナムグリも居ました。(ハナムグリ) 加納緑地には、こんな木もありました。 蝉の脱け殻がいっぱい。やたら蝉にもててしまった木。 この木にもカメムシが居て、カメラを向けていたら、犬を連れて通りかかった男性から「何か珍しいものでもいるのですか?」と声を掛けられましたが、「いや、別に。カメムシを撮っていただけです。」とヤカモチ。 十分に「変人」ですかな。(蝉の脱け殻がいっぱいの木) クマゼミ、アブラゼミ、ニイニイゼミがよく見かける蝉。 ミンミンゼミやヒグラシは余り見かけない。 ツクツクボウシはお盆が過ぎてからで、この時期の蝉ではない。夏の終わり頃にはツクツクボウシが盛んに鳴く。 閑しづかさや岩にしみ入いる蝉の声 (芭蕉 おくのほそ道) これは、芭蕉が山形県の立石寺で詠んだ有名な句。 斎藤茂吉はこの蝉をアブラゼミと断じたが、小宮豊隆はニイニイゼミと主張し論争となった。斎藤茂吉が自らの誤りを認め、ニイニイゼミ説に落ち着いたようだが、ニイニイゼミの合唱の声は「し~ん」という感じで、確かに「岩にしみ入る」音調・音色であり、妥当な結論だとヤカモチも思う。 クマゼミやアブラゼミなら、猛暑日や岩響かせて蝉の声、とでもいうこととなり、岩にしみ入ることはないだろう。朝床に 聞けばかしまし くまぜみの をちこち分かず しゃんしゃんしゃんと (蝉家持)(本歌)朝床どこに 聞けば遙はるけし 射水川 朝こぎしつつ 唱うたふ船人 (大伴家持 万葉集巻19-4150) 万葉の頃は、ヒグラシが隆盛を極めていたのか、蝉はヒグラシのみが詠まれている。ひぐらしは 時と鳴けども 恋ふるにし 手弱女たわやめ我は 時わかず泣く (万葉集巻10-1982)夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてぞ吾あが来る 妹が目を欲ほり (秦間満はたのはしまろ 同巻15-3589)石走いはばしる 瀧たきもとどろに 鳴く蝉せみの 声をし聞けば 京都みやこしおもほゆ (大石蓑麻呂おほいしのみのまろ 同巻15-3617) 三首目の蓑麻呂の歌は、単に「蝉」とあるのみであるから、何ゼミとも断定できないが、これもヒグラシなんだろう。暮れなづむ 峠の道や ひぐらしの 夏もかなしき かなかなかなと (蝉家持) この夏、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシの鳴く声は未だ耳にしていない。 子どもの頃には、初夏、ハルゼミの声も耳にすることがあったが、近ごろは全く聞かない。 一方、ニイニイゼミはわが耳の奥で「耳鳴り」として年中鳴っているので、実際のニイニイゼミの声を耳にしても、それがニイニイゼミの声であるのか耳鳴りであるのかがよく分からないというのが、ヤカモチさんなのであります(笑)。わが耳の 奥にもシ~ンと 蝉の声 まあ、耳鳴りのそれが、アブラゼミやクマゼミの声ではなく、ニイニイゼミの声でよかった、とは思っています。 今日は蝉の話でした。
2021.07.27
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銀輪散歩で見かけた虫の写真もそこそこの数になりましたので、今日は銀輪虫散歩であります。 先ずは、蛾から。 偐山頭火氏との銀輪散歩で見かけた珍しい蛾、ホタルガです。 奈良県河合町にある廣瀬神社の手水舎のコンクリートの地面に居るのを見つけました。珍しい蛾だと偐山頭火氏にも見せようとしましたが、同氏は蛾などは苦手なのか、明らかな拒絶反応(笑)。(ホタルガ) 手水鉢の近くの地面にじっとしているので、死んでいるのかと思ったが、近寄ってよく見ると触角を動かしているから、生きていることが見てとれました。参拝の人が手を清めるため手水鉢の前に立ったりした場合に踏まれてしまう危険がある。どこか安全な木の葉か草地に移動させようと手を伸ばすと、ひらひらと飛び立ち、参道反対側の木の葉にとまりました。 ヤカモチの心のうちを読み取って、自力で移動したのは感心な行動であります(笑)。移動後の姿が下の写真です。(同上) ホタルガはチョウ目マダラガ科ホタルガ亜科の蛾。 その名が示すようにホタルによく似た体色である。 ホタルガがホタルに擬態したのか、ホタルがホタルガに擬態したのかは知らぬが、両者のような擬態の関係をミューラー型擬態と言うらしい。<参考>ミューラー型擬態・Wikipedia ホタルは悪臭を持つものが多い。マダラガにも悪臭を持つものがいる。 従って、黒い体色で頭部のみが赤いというホタルのようなデザインは捕食者に対して「私は臭くて不味いですよ。」という警告メッセージとなる。このように臭いとか有毒であるとかいった食べるのに適していない似た者同士がお互いの姿に似せることによって、擬態の警告信号のメッセージ性が高まり、結果として両者の種としての生存率が高くなるという効果が期待できるという訳である。このような擬態様式の存在を初めて提唱したのがドイツの博物学者フリッツ・ミューラーであることから、ミューラー型擬態と呼ばれるとのこと。 このホタルガが人間にとって実際に臭いのかどうかは触っていないので何とも言えないが、ホタルもホタルガもヤカモチは食べる気がないからどうでもいいことであります(笑)。 それはともかく、ホタルガの幼虫は、サカキやヒサカキの葉を食べるらしいから、この蛾が神社に居たことは理に叶っているのである。 次は、花園中央公園のトイレの手洗い場にいた蛾、カギモンヤガです。 鍵の紋がある夜蛾ということでカギモンヤガであります。(カギモンヤガ) チョウ目ヤガ科モンヤガ亜科の蛾である。 チョウ目はガ目とも言い、鱗翅目とも言う。 蛾にしてみれば、「チョウ目」ではなく「ガ目」と言うべきだとクレームを付けたくなることでしょうから「鱗翅目」と言うのが公平かもしれませんが、そんなことに「目くじら」を立てるなというのがヤカモチの立場ですから、このページでは一応「チョウ目」ということにして置きます。 次は、我が家の庭のナンテンの木にとまっていた名前不詳の蛾です。(名前不詳の蛾) ナンテンの木の近くのサツキの植え込みから飛び立ってナンテンの木に移動しました。それで気が付いたのですが、枯れ葉や木にじっとしていたら完全な保護色、それと気づかず見過ごすことでしょう。 少し前までは、そのサツキの葉にいくつかの毛虫が居ましたが、そのうちのどれかが、ひょっとするとこいつの幼虫であったかもしれません。(毛虫A)(毛虫B) 毛虫Bは毛がないから青虫と呼ぶべきかもしれませんが、体色が青ではなく黒なので、黒虫。しかし、黒虫では他者には伝わらない。芋虫というのも何かしっくり来ない。適切な別の呼び名があれば教えていただきたいものであります(笑)。 蛾が苦手な偐山頭火氏を辟易させたところで、次は蝶です。(ゴマダラチョウ) これは八尾市の心合寺山古墳で見かけた蝶。 目の前をスイ~スイ~と飛ぶミスジチョウを撮影しようと追っかけていて、見失ってしまいました。そこへこの蝶が飛んできて目の前の木の幹にとまりました。 「撮ってェ~」と言ったようなので撮りました。 翅を広げるのをしばらく待ちましたが、一向に広げる気配がない。 「撮ってェ~」というのはヤカモチの聞き違いであったようです。 チョウ目タテハチョウ科のゴマダラチョウだと思います。 普通のゴマダラチョウはもっと黒っぽいが、これは白っぽい種類か。(セマダラコガネ) これは庭先で死んでいたセマダラコガネ。 体長が1cm程度の小型のコガネムシ。(同上) コウチュウ目(鞘翅目)コガネムシ科の虫である。 広葉樹など様々な植物の葉や花を食べる草食昆虫なので、農作物にとっては害虫ということになる。 そして、次は更にも小さいコガネムシ。 名前は不明であるが、体長5mmあるかないかの超小型のコガネムシである。銀輪で走っている時に右目の視界中央にぼんやりとした虫の姿が現出しました。ヤカモチは眼鏡を着用しているので、眼鏡のレンズの外側に虫がとまったのかと指で払うも手応えなし。 自転車をとめて眼鏡を外すと、レンズの内側に米粒よりも小さな緑色に光るコガネムシが居ました。 そこで、近くにあった東屋に入って、これを撮影することに。(眼鏡のレンズにとまった超小型コガネムシ) ヤカモチの眼鏡の大きさと比べていただくと、この虫の小ささがお分かりいただけるかと。(同上) どうして、レンズの内側面に入り込んだのか。 最もあり得るケースとしては、走行中のヤカモチのマスクに先ずとまり、マスクの上部から眼鏡の枠をつたってレンズ内側に侵入したのではないか、というのがヤカモチの見解です。 コガネムシ君も妙なところに迷い込み、「飛んでいたら、とんだことになってしまった」とパニックに陥っていたのかもしれないので、ヤカモチも「とんでもない奴だ」とは思わず、優しく接することといたしました。(同上) レンズ表面は滑りやすいだろうから、足取りも何やらおぼつかないようにも見える。 真上から撮るとこんな感じ。 左側中肢を失ってしまって、5本肢のようです。(同上) 最後は、手にとまらせて、近くの木の枝に逃がしてあげました。 一期一会。 二度と会うことはないでしょうが、風邪をひかずに達者で暮らせ、という次第であります。 ここまではすべて昆虫。 普通に「虫」と言うと昆虫を想起し、蜘蛛やムカデなど多足類の虫なども虫とすることに異論をはさむ人はないであろうが、トカゲやカエルとなると虫の範囲に収めるべきかどうかいささかの躊躇を伴う。 しかし、カエル(蛙)もトカゲ(蜥蜴)も虫篇なので、虫のうちでいいだろう。カタツムリ(蝸牛)も「牛」がつくものの虫偏だから虫である。 ということで、次はカタツムリ。(カタツムリ) これは、藤原宮跡の小さな緑地のコンクリート標石に居ました。 カタツムリとアマガエルとアジサイは梅雨の三大風物かも。 で、次はアマガエル。 駅のホームの片隅にちょこんと居ました。(アマガエル) コンクリートの上での暮らしが長くなったか、黄緑色の体色が薄茶と黒褐色のまだら模様に変色し始めている。 草地など緑色の多い環境に居ると全身が緑色の「ペンキ塗りたて」の「青蛙」となるが、駅のホームではそのペンキも剥がれて行くようです。(同上)ぬりたての ペンキはがれて 青蛙 駅のホームも 住めば都と (青家持)(参考)青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか (芥川龍之介) 青とかげ-ペンキ塗り立て、ご用心 (ジュール・ルナール) ということで、最後は、青とかげならぬ二ホントカゲです。(二ホントカゲ) これは、春日大社の参道脇の杉の巨木の根方に居たトカゲ。 ヤカモチが小学生の頃、校門脇の空き地の草むらにトカゲが大量発生。 手掴みでいくらでも捕獲できる。 10匹余を捕まえて家に持ち帰り、何個かの木箱に金網を取り付け、これに分散して入れ、飼育してみようとしたことがあった。 自身の机の抽斗にその木箱を隠していたところ、数日後に母がこれを発見、虫嫌いの母が悲鳴を上げるという事件となり、すぐに捨てさせられたということがありました。 あゝそのような日もありき・・であります。
2021.06.29
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このところ毎日が暑い。 昨夜、風呂上がり、パンツのままでいたら、右太腿にチクりと虫刺されの感覚。何やら黒い虫が太腿に取り付いている。手で払い落そうとして、よく見るとテントウムシ。 蚊や虻や蜂なら「刺す」のも分かるというものだが、テントウムシが刺すとはこれいかに、である。 テントウムシはアブラムシなどを捕食する肉食昆虫であるから、その口は噛む機能があるのかもしれない。或いは捕食する虫の体液を吸汁するのであるならば、蚊のような吸汁針を口に備えているのかもしれないが、そういう目でテントウムシを観察したこともないので、口の形状や機能については、いかなる知識も持たないヤカモチ、実のところは皆目分からないのでありました。刺されたのか噛まれたのかも不明であり、太腿に噛み痕も刺され痕も認められない。痒くなったり、痛くなったりの反応もないから、毒液のようなものは持っていないようである。(ナミテントウ) これがヤカモチを「刺した」テントウムシです。 ナミテントウという種類のテントウムシ。 ナナホシテントウと違って、ナミテントウは星の無い奴、色んな星模様の奴など多様な姿をしている。 ヤカモチの腿に食らいつくという無礼を働いた虫であるが、無暗な殺生は好まぬヤカモチ。手に取ってベランダから庭の闇へと放り投げて、無罪放免といたしました。天道(てんたう)も 人刺すものそ 風呂上り 腿にちくりと 刺せる児は我 (並天道(ナミテントウ))(本歌)紫は 灰指すものそ 海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢へる児や誰 (万葉集巻12-3101) テントウムシも人を「刺す」ことがあるということを知りましたので、この段ご報告申し上げました、という次第。
2021.06.08
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写真もブログ掲載のタイミングを失すると出番が難しくなったりする。 季節の花の写真などは、その季節を徒過すると、間の抜けたものとなるので、1年後のその季節到来まで、PCのフォトアルバムに眠らせて置くしかないことになる。そして、忘れ去られ、ブログに掲載されることもなく、削除されてしまうということにもなる。 虫の写真も同様である。この寒い冬の時期に虫の写真をブログに掲載するのは、夏炉冬扇、或いは、冬に春や夏の季語にて俳句を作るようなもので、間の抜けた愚かな行為と言うべきである。しかし、その愚かな行為を敢えてしてみることとします。ときじくに 咲ける桜も あるなれば それときじくの 虫もありとぞ (虫丸) という訳で、今日は、今年出会ったものの出そびれてしまった虫たちの写真による「虫干し」の記事といたします。 今年の虫は今年のうちに、とブログの記事ネタ不足を胡麻化していることが見え見えの、下手くそな口実でつくろっての記事であります。 まあ、虫の記事ですから、無視されるもよし、という次第。 しかし、「虫干し」は7月の季語であるから、12月の虫の記事を「虫干しの記事」というのも平仄が合っているという、いかにも苦しいこじつけでもあります。虫の音も 絶えて久しく なりぬれば それ白菊の 花を持ち来よ (菊丸)これやこの 蝶(てふ)も蜻蛉(とんぼ)も 冬なれば 知るも知らぬも あの世での咳 (虫丸)(本歌)これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関 (蝉丸 後撰集1090 小倉百人一首10) 先ずは、蝶とトンボ。(ウラギンシジミ) 翅を閉じていると白銀色の蝶であるが、翅を開くと茶色の中に白い斑紋のあるオモテの姿が見てとれる。時に黄色い斑紋の奴もいる。 蝶の翅の裏表などはどうでもいいのであるが、この蝶の名前から考えると、蝶の翅は開いた時に上になる側をオモテ、下になる側をウラとするようだ。しかし、本当のところ、どちらがオモテかウラかは蝶の意見をきかねば分からないというものである。 ヤカモチ的感覚に照らすと、開いた時に上になる側はウラというべきではないかと思っている。 そもそも「ウラ」とは内側、通常は他者に見せない内側のこと。心のことを「ウラ」というのもそれゆえであろう(うら悲しい、うらさびれてetc)と思う。 蝶が翅を閉じている時は、警戒態勢を解いていない状態、開いている時は安心してリラックスしている状態というのがヤカモチ説。 してみれば、無警戒に翅を開いて見せているのは、他者には通常見せない内側、心の内、プライバシーを油断して人目にさらしているということではないのか。そのように考えるなら、写真で見せている斑紋のある側はウラ、反対側はオモテと言うべきではないのか、という訳である。 まあ、蝶を標本に仕上げる友人蝶麻呂氏などの蝶愛好家からすれば、標本にした状態で「見せる側」をオモテとしない訳にはいかないから、翅を開いて上となる側をオモテと言っているのだろうが、これは蝶を採取する側の視点からの命名に過ぎないのである。 よって、この蝶の名も、本来は「ウラギンシジミ」ではなく「オモテギンシジミ」とすべきなのである(笑)。(同上)<参考>ウラギンシジミの写真掲載記事は次の通り。 墓参・門前ならぬ門払い 2019.10.1. 次はトンボ。(アキアカネ) トンボの語源については諸説あるらしい。 ウィキペディアによると次のような説があるとのこと。飛羽説トビハ→トンバウ→トンボ飛ぶ穂説トブホ→トンボ飛ぶ棒説トブボウ→トンボウ→トンボダンブリ説(湿地や沼を意味する言葉「ダンブリ」由来とする説)ダンブリ→ドンブまたはタンブ→トンボ東方説(秋津島が東方の地にあることに由来するという説)トウホウ→トンボ宙返り説(高い所から落下しての宙返りを意味する言葉「ツブリ」由来とする説)ツブリ→トブリ→トンブリ→トンボリ→トンボ ウィキペディアの記事を見る前に思い浮かんだのは「飛ぶ棒」であったから、ヤカモチは飛ぶ棒説に1票であります。 次は、カマキリ。(カマキリ) カマキリは、カメラを向けると必ずカメラ目線になるところが面白い。(同上) カマキリとカマタリ。似て非なるもの。 狙った獲物は外さない。藤原鎌足と鎌切とはこの点では共通するものがあるかもしれない(笑)。今年逢ひし出そびれの虫ときじくに ならべ師走の虫干しとせむ (藤原鎌切) ということで、藤原鎌切さんの歌を作ってみました(笑)。 次は、蛾の腰痛、いや違った。蛾の幼虫であります。(セスジスズメの幼虫)<参考>セスジスズメの写真掲載の過去記事は次の通り。 セスジスズメとミノムシ 2020.7.18. セスジスズメと再会 2020.6.23. 銀輪虫散歩・蛾と蝶と超小型の蝉 2020.6.15. これは、大津市の坂本城址公園で見かけた奴であるが、蛹の状態で冬を越すつもりであるのか、それとも既に羽化して蛾となって、子孫を残して天国へと旅立ったものか、その辺のところはセスジスズメの生態には疎いヤカモチの知るところではない。 最後は、クダマキモドキ。(クダマキモドキ)<参考>クダマキモドキの写真掲載の過去記事は次の通り。 裏磐梯銀輪散歩余録・猪苗代駅・SLとの遭遇 2012.10.6.(同上) こいつは、多分オス。 メスなら、卵管が細い棒状の尻尾のように翅よりも先に飛び出している筈だから。 銀輪散歩の途中、車道に出ていたので歩道に戻し、撮影。その後道端の草むらに放してあげたのだが、かなり弱っている感じであったから、その草むらが彼の死に場所となったかもしれない。車道で車に轢かれてペシャンコという死に方よりはいいだろう。 モドキは漢字では「擬」であるから「偐」とは親和性のある字。 従って、偐家持は家持擬と同義である。となれば同名のよしみで介助・手助けもいとわずにというのが人倫の道、いや虫倫の道か。 以上で、季節外れ、ときじくの「虫干し」完了であります。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2020.12.17
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ながらくブログ更新をサボってしまいました。 銀輪散歩で見かけた虫たちにお出まし願って、ブログ更新とします。 先ずはセセリチョウの可愛いツーショット。(イチモンジセセリとチャバネセセリか) 大きい方の翅には白斑が四つ整然と並んでいるのでイチモンジセセリで間違いないと思うが、後ろの小型の方は、翅の斑紋がはっきりしないので、チャバネセセリではないかと思う。 何やら親子のようで、寄り添っている姿が微笑ましい。(同上)人も無き 国もあらぬか 吾妹子(わぎもこ)と 携(たづさ)ひ行きて 副(たぐ)ひてをらむ (大伴家持 万葉集巻4-728) 大伴家持が、後に妻となる坂上大嬢に贈った歌である。 もし、これが恋人どうしなら、こんな万葉歌を添えてもいいのでしょうが、どう見ても上の写真の蝶は、母と子に見えてしまい、 子「ねえねえ、お母さん。」 母「なあに、〇〇ちゃん。」というような会話が聞こえて来る気がしますから、家持さんの上の歌は完全に場違いで、すべっていると言うしかない(笑)。 さて、次の蝶はラムズイヤーの葉にとまっているベニシジミ。(ラムズイヤーの葉にとまったベニシジミ) 羊の耳に蜆がとまっているとは、これ如何に、であります。 しばらく観察していると、ベニシジミが翅を広げ始めました。(同上) 蝶が翅を広げているのは、ヤカモチの解釈では、警戒を解いてリラックスしている状態を示すもの。 ラムズイヤーのふかふかの葉に、蝶もくつろいだ気分になったということかもしれない(笑)。 これはチャンスとカメラを近づける。(同上)花園の 羊の耳の べにしじみ 翅広げてや まどろむらむか (偐家持)(同上) 蝶と来れば、トンボも取り上げないと片手落ちというもの。 うまい具合に、ムギワラトンボがやって来ました。(ムギワラトンボ) ムギワラトンボはシオカラトンボのメスのこと。 まあ、蝶との平仄をとるために写真掲載しただけのことですから、特段のコメントもありません(笑)。(同上) 次は、クマバチ。(クマバチ) 花から花へと飛び回るので、なかなかうまく撮れない。 何とか撮れたのがこの一枚です。 ちょっとピンボケです。 そして、最後が正体不明の虫です。(不明・テントウムシの仲間か?) ガラクタ入れの片隅に極小の虫の死骸。 体長が1~2mm程度の甲虫類。 小さすぎて、写真に撮っても判然とはしない。 テントウムシの仲間だろうと思うが、何とは特定できません。(同上・腹側) 最初は、草花の種か何かと思ったが、腹側を見て虫だと気づきました。 何故、こんな小箱の片隅で死んでいたものやら。南無阿弥陀仏。<参考>虫関連過去記事はコチラ。
2020.09.19
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「八日目の蝉」というと、2005年11月21日から2006年7月24日まで読売新聞夕刊に連載された、角田光代の小説である。<参考>八日目の蝉・Wikipedia 蝉は、卵から孵化して地中で7~8年幼虫として過ごし、地上に出て羽化した成虫は1週間で死ぬ、と言われている。 実際には、26日生きたという実験例もあるそうだから、7日という短いものではないようだが、小説のタイトルの「八日目の蝉」というのは、蝉は7日で死ぬという「常識」を踏まえてのものであるのだろう。 この小説は読んでいないし、ドラマ化されたTV番組も見てはいないので、その内容はよく知らない。従って、内容とタイトルとはどんな関係になっているのかなども知らない。 しかし、何やら面白いタイトルであるので、記憶には残っていて、「八日目の咳」などと駄洒落に使ったりもしたものであるが、何日目のそれかは知らないけれど、クマゼミが今朝も庭先で早朝から喧しく鳴いていました。 午前中から正午前後まではクマゼミが鳴き、午後になると夕方までアブラゼミが鳴く。 ヤカモチが子どもの頃、最もよく目にしたのは小型のニイニイゼミ、2番目がアブラゼミ、3番目がクマゼミ。お盆を過ぎた辺りからはツクツクボウシが頻繁に鳴きだす。ミンミンゼミやヒグラシはごく稀にしかその鳴き声を耳にしないというものであった気がする。 ミンミンゼミ、ヒグラシやツクツクボウシは昔と変わらないように思うが、最近はクマゼミが最もよく見かける蝉となり、次がアブラゼミで、ニイニイゼミは殆ど見かけなくなった。今年もニイニイゼミは未だ見かけていない。 7月18日の日記では「午後遅くになっても、アブラゼミの声が一向に聞こえて来ないことに気が付き、アブラゼミがクマゼミの隆盛に押されて、どんどん減少しているのではないかと危惧している」と書いたものだが、その後、アブラゼミの鳴き声を耳にするようになり、姿を見かけるようになった。また、7月23日の記事ではクマゼミの写真をアップしたりもしましたが、この時点では、アブラゼミを見かけるということはなかったのでした。<参考>セスジスズメとミノムシ 2020.7.18. クマゼミ 2020.7.23. それでも、7月29日には、アブラゼミの姿を撮って居り、その健在ぶりに安心をした次第でありますので、その写真もアップして置くことにします。(アブラゼミ) 地元近くの山麓にある「旧春日神社本殿」境内の木立にとまっているのを撮りました。(同上) 八日目の蝉ならぬ「29日のアブラゼミ」という訳であるが、勿論、何日目のアブラゼミであるのかは知るよしもないのである。(同上) こちらは、八日目の虻、いや違った。8日の虻である。 つまり、8月8日の撮影の虻です。<参考>ムシヒキアブ・トンボとアブの中間みたいなアブ 2020.7.19.(アオメアブ) ムシヒキアブという虻の仲間であるアオメアブ。撮影場所は前回と同じく東大阪市の水走公園である。 前回のアオメアブは7月18日の撮影であるから、今回のアオメアブは21日目のアオメアブということになる。 勿論、同じアオメアブであるかどうかは分からぬ。しかし、同じ個体である可能性が高いように思うから、21日目の再会である。 複眼が緑色なのでアオメアブというのだが、光線の加減でこの写真では中心部分が赤目になっている。 その水走公園にシロテンハナムグリが群れている木がありました。(シロテンハナムグリ) カナブンやカブトムシ、クワガタムシ、オオスズメバチなどに混じってハナムグリも樹液の出ているところに集まっていた、というのがヤカモチの子どもの頃の記憶。ニレやクヌギの木が狙い目だった。 この虫は樹液だけでなく花蜜も吸うのであるか、花園中央公園ではムクゲの花の蕾にしがみついていた。(シロテンハナムグリ) シロテンハナムグリに似たのにシラホシハナムグリというのがいるが、その区別はヤカモチには難しいので、シロテンハナムグリということにして置きました。(同上) 身じろぎもせず、まだ固い蕾をしっかりとハグしている。ハナムグリ 何をや夢む ムグンファの 固き蕾を ひしと抱きて (モグリ歌人)(注)ムグンファ=無窮花、ムクゲのこと。(同上) 次は蜂の巣。(フタモンアシナガバチの巣) 巣を作った時は木の枝と葉に隠れた場所であったのでしょうが、ここは公園の植え込み。公園管理課の依頼を受けた業者が定期的に枝の剪定を行うことになっているので、このように露出してしまったようだ。 巣のある位置よりも上の枝が剪定されたのは不幸中の幸い。巣よりも下の位置で剪定されていたら、巣はなくなっていたことでしょう。 ハチからすれば営巣権侵害と言いたいところでしょうが、ハチは権利の主体にはなれないのがヒトの法体系。まあ、主体になれたところで無断使用、無断占拠。公物には時効取得が認められないのが原則だから、裁判所に訴えても負けますな。(同上) 鳩首ならぬ蜂首談判の結果は、このままこの巣を守って行こうということになったか、皆で巣を守護するように群れている。 時に、人を刺すということでハチを敵視する人もあるようだが、そういう人の手で巣が取り除かれるというようなことにならぬことをハチのために祈りたい。 今日は虫散歩でありました。
2020.08.10
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昨日(24日)の大阪の新型コロナ感染新規陽性者は149人と過去最多。 東京は260人と23日の366人よりは少なくなったものの高水準。 <追記>本日の新規陽性者は東京295人、大阪132人 Go to トラベルの前倒し実施がなされたのに合わせるかのように新規感染者急増という皮肉な現象。政府の施策もチグハグ、専門家会議も何だか頼りない。新規感染者は今後もこの勢いで増えて行くことになるのだろう。 さりとて、ダンゴムシのように丸まって身を潜めている訳にもまいらぬのが人間様であるから、ワクチンや有効な治療薬が実用化されるまでは、こういう状況は変わらずに続くということなんでしょう。 今年はコロナ禍の所為で遠出の銀輪散歩も自粛していることから、当ブログもその中心的記事となる「銀輪万葉」カテゴリの記事が激減している。それに替わって増えているのが「花」カテゴリの記事である。「虫」カテゴリなどの記事も増えている。ネコ歩きなどという訳の分からない記事も登場する始末(笑)。 今日も雨模様の空。明日も雨らしい。銀輪での外出は無理。 されば、花の記事でもと思ったが、花の写真が左程にはない。 では、「花より団子」で、お団子の記事を、というのはもっと無理。 ということで、花より団子虫の記事とします。 長い前振りとなりましたが、要するに、先日たまたま何を思ったかダンゴムシの写真を撮ってしまい、手元に8枚のダンゴムシの写真があり、これの処置に困ったから、ということに過ぎないのであります。 まあ、こんなことでもなければ、ダンゴムシが当ブログに登場するということもあるまいから、一度くらいはいいでしょう。(オカダンゴムシ)<参考>ダンゴムシ・Wikipedia 上記<参考>のウイキペディアの記載によると、ダンゴムシとは「ワラジムシ目の動物のうち、陸生で刺激を受けると体を丸める(団子のような体勢になる)習性を持つものを指す。一般に『ダンゴムシ』と呼ばれるものはオカダンゴムシである。」とのこと。(同上)(同上) オカダンゴムシはヨーロッパ原産だろうとされる帰化動物とのこと。 これに対して、海浜(特に砂浜)で見られる大型のハマダンゴムシや森林の土壌で見られる小型のコシビロダンゴムシは、日本土着の虫だとのこと。 ダンゴも色々なのだ。(同上)(同上) 落ち葉などを食べて、微生物が分解しやすい状態にするので、土壌を豊かにしてくれるという点ではミミズと同じく益虫と言うべきであるが、落ち葉に限らず農作物の葉や茎、新芽も食べたりするので害虫でもある。 虫の嫌いな人ならその姿を見るだけで不快、これを不快害虫と言うそうである。こんなことで害虫にされてはたまったものではないが、何しろ、有益・有害は「人間様」の決めることであるのだから、虫の方からの異議申し立ては認められてはいないのである。(同上)(同上) アリとにらめっこ。 何事も起こらず、すれ違い。 背中に斑点模様のあるダンゴムシはメスで、オスにはそれがないらしいから、これらはすべてオスということか。 ダンゴムシとは親しいお付き合いがなかったヤカモチ。斑点模様のダンゴムシを見たという記憶がない。(同上) 不快害虫であることを承知の上で、8枚も写真を並べました。 こういう虫も見慣れると、そう不快でもなくなるのでは・・ということで並べてみたのですが、益々不快になられたお方には謹んでお詫び申し上げます。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。<追記>気分直しに今日の空の写真でも。(今日の空です。)
2020.07.25
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大阪の梅雨明けは未だのようだが、連休明けにはそろそろでしょうか。 ヤカモチは、気象台の梅雨明け宣言を待たず、セミが鳴き出したら「梅雨明け」勝手宣言というのが例年のことでありますが、今年はちょっと勝手が違って、セミが鳴きだしても雨が続きという具合で、未だに勝手宣言を出せぬままに今日に至っています。しかし、気象台に後れをとるのも癪なので、今日、梅雨明け宣言してしまいます。 相変わらずコロナ感染新規陽性者数の増大が続いていますが、東京は遂に366人と300人台を突破、大阪は103人(だったかな?)とこれまた二日連続の100人超え。 先日の東大阪市のスポーツバーでのクラスター発生、18人の陽性者云々のスポーツバーとはどうやら瓢箪山駅近くのバーらしい。 ヤカモチの日常生活圏の範囲に存在しているバーでした。下戸のヤカモチですから、そんな店がそんなところにあるということも今回のことで初めて知ったにすぎず、出入りする可能性はどの道ゼロですが、これまでに何度となく店のある建物の前の道は自転車で通っていました。 まあ、そんなことで、Go to トラベル・キャンペーンも吾事に非ず、と近隣を銀輪散歩するなどは別として、連休は自宅で「自粛」と決めましたが、こんな次第では、梅雨が明けようが明けまいが余り関係ないか・・でありましょうか。 かくてブログの方もこれといったネタも無いことゆえ、このところ毎朝のように庭先でやかましく鳴いているクマゼミの写真でも並べて置くことにします。 庭の木のクマゼミの写真ではなく、銀輪散歩で立ち寄った公園の木にいたクマゼミたちであります。 先ずは、花園中央公園のケヤキのクマゼミです。(クマゼミA)(クマゼミB) 次は、水走公園のクマゼミです。 アオメアブの居た公園です。白猫のアオメの居た公園でもあります。(クマゼミC)(クマゼミD)(クマゼミE)(同上) 再び、花園中央公園に戻って、本日撮影のクマゼミです。 発生数が増えたのか、一つの木に何匹ものクマゼミがとまっています。(クマゼミの群れA) この木はモミジバフウの木でありますが、ざっと見ただけで20匹以上はいました。 このように群れている、密になっていると、個々のクマゼミは警戒感が薄くなるのか、人が近づいたからといってすぐに逃げるということがありません。手の届く距離に近づいても逃げない。どうかすると素手で摑まえることもできてしまう。 集団心理、群集心理というもので人も群れると、常軌を逸する行動に走ることがありますが、セミも集団をつくると警戒を群れの仲間に依存するという「心理」に陥るのでしょうか。かなり無防備になります。(同上B) 隣の木のコナラには地面から10cm程度の高さに1匹、40cm程度の高さに1匹と、ずいぶん低い位置にもクマゼミがとまっていました。1m位の高い位置からカメムシがそれを見下ろしているという愉快な構図も見られました。クマを見下すカメ、というキャッチコピーが思い浮かびましたが、写真に収めるには距離が離れすぎていました。(同上C) 今日は、クマだらけ・・でした。
2020.07.23
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昨日、今日といい天気です。 梅雨が明けた、と言ってもいい位な感じなのだが、前線の配置状態や太平洋高気圧の張り出し方など天気図的には、まだ梅雨明け宣言するのは早いというのが、今日の大阪ということでしょうか。(2020年7月18日午後3時半頃の水走公園の空) 上は、昨日の水走公園の空の写真である。 今日の空は、昨日よりも少し雲が多い印象を受けるが、青い空に白い雲という好天気にて、もう梅雨明けの空という風情である。 話が少し逸れるが、一昨日(17日)あたりから背中が重苦しく痛い感じがあって、肩でも凝っているのかと、昨日(18日)銀輪散歩で立ち寄ったこの水走公園で体を反らしたり、腕や肩をグルグル回したりの体操を、かなり入念にやってみたら、却って痛みが酷くなったようで、帰宅した夕刻からはズキズキと疼くような具合となり、咳をしたり、体をひねったりすると少し強い痛みが走るようになった。 で、ネットで「背中が痛くなる病気」で調べたら、狭心症、心筋梗塞、肺塞栓症、椎間板ヘルニア、十二指腸潰瘍、急性大動脈解離、膵炎、膵臓癌、腎炎、腎結石、尿管結石、胆嚢炎、脊髄腫瘍、骨粗鬆症による圧迫骨折、などが見つかった。 背中の痛む部位で病気は異なるが、背中の中ほどだと大動脈解離、心筋梗塞、肺塞栓症などが該当することとなる。 十数年前(2004年)に自転車の事故で背中の肋骨を5本折ったことがあった。その時の激痛は息もできない位のものであったが、そのような激しい痛みになる前の状態か幾分治癒軽快した段階の背中の痛みに感じが似ている。もし、骨折ならその部分に圧力を加えると強い痛みが走る筈だが、そういう風でもない。 こうしてPCに向かっていても、姿勢を伸ばしたり、変えたりすると背中に痛みが走る。これ以上、痛みが強くなると困るし、何か悪い病気であっても困るということで、救急医療病院でもある馴染みの病院へ電話を入れて、症状を説明の上、日曜日だが診察して貰えるかを照会すると、OKの返事。 一応、診察していただいた。問診と簡単な触診のみであったが、内臓関係の病気、動脈解離や心筋梗塞など重大な病気の可能性は低いと認められるので、筋肉の炎症の可能性が高いという診断。 明日、月曜日に整形外科を受診してみて下さい。痛みが激しくなったり、痛む場所に変化が見られるなどがあれば、すみやかに連絡して下さい、というのが医者の指示。湿布薬をもらった。が、これは貼っていない。この暑い時期に貼ると皮膚が荒れて激しい痒みに襲われるということを何度か経験しているので、使わないで様子を見ることとする。 結論は、明日以降に持ち越しであります。 さて、脱線話が長すぎました。本論に戻します。 昨日、水走公園で珍しい虫を見ました。(アオメアブ) トンボのような細長い胴体で、翅はアブやハチのような折りたたみ型という面白い姿。 調べると、ムシヒキアブ科に属するアブで、複眼が緑色なのがアオメアブといい、黒色なのがシオヤアブというらしい。 これは美しい緑色の眼球であるから、アオメアブである。(同上)<参考>アオメアブ シオヤアブ 頑強そうな逞しい脚、最強のハンターと呼ばれるそうだが、いかにもそんな風貌の虫である。(同上)(同上) この公園では、青い目の白猫にも出会いましたが、それはまた別の機会にご紹介申し上げましょう。猫は虫ではないので。 で、アオの付く蝶の写真を掲載して置きます。この蝶も水走公園の同じ広場で舞い遊んでいました。(アオスジアゲハ) 寝転がっていた木製ベンチから立ち上がって帰ろうとしていたら、こいつがのこのこやってきました。 アオクサカメムシです。アオカメムシの一種ですが、こいつも「アオ」が付くので、ここに参加する資格アリであります(笑)。(アオクサカメムシ) よく見ると、外翅の一部が欠損しています。 天敵に襲われたところを辛うじて逃げることができたということか。 カメムシの世界もなかなか過酷なようです。(同上) 右外翅は下部が欠けているだけですが、左外翅は付け根部分から全部無くなってしまっています。(同上) 外翅は、言わば翅の格納庫の扉みたいなもので、それが欠けても、生命にはすぐさまの影響はないようです。元気に動き回っています。 今日は銀輪虫散歩・青編といったところでした。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2020.07.19
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クマゼミが盛んに鳴いている。 クマゼミは午前中に鳴き、午後から夕刻にかけてはアブラゼミが鳴く、というのがセミ時計というものであるが、今年は長引く梅雨の所為で、セミの体内時計にも狂いが生じたか、午後、夕刻近くになっても鳴いているクマゼミが目立つ。目で見ている訳ではなく、耳で聞いている訳だから「目立つ」のではなく「耳立つ」と言うべきでしょうか。しかし、「耳立つ」というと「耳ざわりになる」という否定的なニュアンスになるので、ちょっと違うか。 まあ、クマゼミの、あの騒がしい鳴き声に限って言えば、「耳立つ」のではあるが(笑)。 その耳立つクマゼミの声を聞くにつけて、午後遅くになっても、アブラゼミの声が一向に聞こえて来ないことに気が付き、アブラゼミがクマゼミの隆盛に押されて、どんどん減少しているのではないかと危惧している次第。 温暖化によって、南方系のセミであるクマゼミは勢いを増し、どんどん北上しているようだが、現時点ではどの辺りが北限となっているのだろう。 それはさて置き、今日はセミの話ではなく、蛾の話である。 先日(15日)、接着剤を買い求めるため石切のコーナン(ホームセンター)まで出かけたついでに、喫茶・ペリカンの家に立ち寄りましたが、その折にまたしてもスズメガの仲間、セスジスズメと出会いました。 この蛾とは余程にご縁があるのか、それとも発生数が増えているのか、このところよく出くわす。 最初は、6月5日の墓参の帰り道で、この時は蛾になる前の幼虫の姿。 次が、6月20日の銀輪散歩の途中で、この時は成虫の蛾の姿。 そして、今回が7月15日で、成虫の姿での再会。40日の間に3回も出会っている計算であるから、かなりの高頻度である。 セスジスズメは特徴のある模様の蛾であるから、ひと目でそれとわかる。(セスジスズメ) 6月20日に出会ったセスジスズメは腹部の真ん中辺りの鱗粉が一部剥がれていて、背筋と名付けられた白い1本の「スジ」が途中で切れていたが、今回のセスジスズメは完全な姿。頭部から尾部まで白い一本の「スジ」が通っていました。(同上) 一枚目の写真では左翅の下部が枯葉の陰に隠れていたので、その枯葉を少し動かして翅全体が写るようにして撮ったのが上の写真。 そして、さらに接近して撮ったのが下の写真。(同上) ついつい見惚れてしまう美しい模様、見事なデザイン。 頭部付近の豊かな鱗粉は犬猫などの毛並みを思わせ、撫でてみたい衝動に駆られる姿である。(同上) 撮影の角度を変えて行き、横から複眼が写る角度で撮ろうとカメラを近づけた瞬間、やっと目が覚めたか、カメラの接近に気づいたか、飛び立ってしまった。 次の写真は蓑虫。 これは、喫茶・ペリカンの家と道路を挟んで向かい側にある病院の庭の入り口にあるカエデの木の枝先にぶら下がっていたもの。 この木にはいつも蓑虫がいることを承知しているので、上のセスジスズメと違って、偶然ではなく、それと意図し、探し当てての撮影である。(ミノムシ) ミノムシという名前であるが、正しくはミノガという蛾である。 ミノガ科の蛾は、例外もあるが、雌は成虫になっても羽化せず、翅も脚も持たず、生涯を蓑の中で過ごす。蓑の中で産卵した雌は、やがて蓑から出て地上に落下して死ぬ。 オオミノガ、チャミノガなど日本には20以上の種が存在するとのことであるが、最近は余り見かけなくなっている。<参考>ミノムシ・Wikipedia(同上) オオミノガはヤマトミノガとも言い、日本産の最も大きいミノムシであるが、1990年代後半から激減しているという。 外来のオオミノガヤドリバエというハエは、オオミノガの終齢幼虫を見つけると、彼が摂食中の葉に産卵するらしい。幼虫が葉とともにそのハエの卵を食べる。噛み砕かれることなく無傷で幼虫の体内に入った卵はそこで孵化して、幼虫を餌にして育つのであろう。 オオミノガは、このオオミノガヤドリバエの寄生の所為で激減し、各地で絶滅危惧種に指定されているとのことである。 寄生も共生も仕組みは同じ、紙一重。我々の体の中にも無数の菌が寄生している。悪さをするのが悪玉菌、有益なことをしてくれるのが善玉菌と名付けられているのだろうが、益虫・害虫と同じことで、それは一つの価値観、一つの切り口で評価しての区分に過ぎない。生物全体、生態系から眺めれば、善も悪もなく、益も害もない。それぞれが「種」として生き残るための営みの中で相互に影響し合い、作用し合っているに過ぎないことになる。 そういう中で「種」として生き残るための適応・進化を遂げたものだけが、新しい環境の中での生存が許されるというのが、生物というものの基本原則、掟である。してみれば、世界中で猛威をふるっている只今の新型コロナウイルスも、そういった現象の一つに過ぎないですな。
2020.07.18
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一昨夜(9日)は赤い訪問者の、昨夜(10日)は黒い訪問者の、訪問を受けました。 赤い訪問者は体長が4mm程度、黒い訪問者は10mm程度と、どちらも小さな虫である。(キウイヒメヨコバイの♂) 赤い訪問者はキウイヒメヨコバイという虫。 書斎の窓の網戸の網目を容易にすり抜けることのできる体のサイズ。 パソコンの横のメモ用紙の上にとまっているのに気づきました。 勿論、名前などは分からなかったのでネットで調べたのであるが、この手の虫は、ウンカ、ヨコバイ、キジラミなどであるから、調べる手がかりがあるというもの。ということで、撮影して写真をPCに取り込んでから、名前を調べて、キウイヒメヨコバイに到達したという次第。(同上) 爪楊枝(使用済みのものを偶々メモ用紙の上に放置していた)の先にとまらせてみると、上のような写真に。その体がいかに小さいのかお分かりいただけると思うが、それだけに撮影はなかなかうまく行かず大変でした。(同上) 何とか撮れたのが、これらの写真であるが、鮮やかな紅色の翅、パンダみたいな目の部分の黒い丸、なかなか可愛らしい虫だ。 胸部背面に3対の黒い紋があるようだが、紅色の翅に隠れてよくは見えない。しかし、上の写真では、うっすらとその黒い斑紋が透けて見える。 もし、これがセミくらいのサイズだったら、子どもたちの人気を集める虫になっていたかもしれない。 この虫は、キウイの葉を吸汁する害虫らしいが、日本人が発見した新種のヨコバイだそうな。 ネットでこんな説明文を見つけたので、それを転載して置きます。東京都病害虫防除所 発生予察情報特殊報 平成7年度第2号より抜粋(1)学名:Alebrasca actinidiae HAYASHI et OKADA (2)和名:キウイヒメヨコバイ(仮称) (3)形態:成虫は体長3~4mm、雌は黄白色、雄は前翅の基方3分の2が緋紅色で日時を経て濃色になる。後翅は翅脈のみが赤い。チャノミドリヒメヨコバイに似る。幼虫は、体長1~3mm、ふ化当初は白色で後に黄白色になる。胸部背面に3対の黒色紋があり、大きくなると目立つ。 (4)生態:神奈川県病害虫防除所の調査によれば、成虫は5月から11月に見られ、年4回程度の発生経過をたどる。卵は葉裏の葉脈内に産み付けられ、ふ化した幼虫は葉裏で直ちに吸汁・食害をはじめる。幼虫は、非常に活発に運動するが、他の葉への移動は少なく、そのため幼虫が多発すると被害が激しくなる。成虫も動きは活発で、主に葉裏に寄生し吸汁加害する。落葉とともに園から見られなくなる。越冬は卵で行われ、枝の芽基部に産み付けられる。翌年4月頃から幼虫は発芽して展葉まもない葉上に現れる。 (5)寄主植物:キウイフルーツに寄生し、それ以外の植物では寄生は確認されていない。 最近は、庭でキウイフルーツの木を植えて居られるお宅もよく見かけるようになったので、この虫も増えて来ているのかもしれないが、こんな赤いヨコバイを見るのは初めてである。 普通よく見るウンカやヨコバイは黄緑色である。 キウイヒメヨコバイもメスや成熟する前のオスは薄い黄褐色だそうだが、オスは成熟するに伴って、翅がこのように濃い紅色に変色するのだという。(同上) 撮影が終わった後、何処かへ飛んで行ってしまったので、行方不明となりました。何しろ小さいので、目を離すともう行方知れずなのである。 次の黒い訪問者は、翅を持った黒いアリである。 これは、体長が10mm程度のやや大きい目のアリであるから、網戸の網目をすり抜けて部屋に侵入することは出来ないはず。どこの隙間から侵入したものか。 激しく動き回るのと、翅で飛んで行ってしまうことも懸念されたので、捕獲してティシュに包み込んで、しばらくその中の狭い空間でおとなしくしていてもらうことにする。PCでの作業を30分ほどしてから、そっとティッシュを開くと、アリさんはおとなしくなっていました。 撮影開始。(翅蟻 クロオオアリ) 白い世界に包まれて混乱したのも束の間、今はもうすっかり落ち着いたようで、ティッシュの凸凹を探りつつ、ゆっくりと動き回る。 アリも色々な種類が居るが、これはクロオオアリだろうと思う。(同上) ティッシュがいいアングルを作ってくれるので、面白い写真が撮れる。(同上) 翅があるアリは女王アリと女王アリと交尾するためのオスのアリだと思うが、オスのアリは交尾すると間もなく死ぬそうだから、これは女王アリで、何処かで新しい巣を地中に作り、卵を産むつもりで、飛び回っていたのかもしれない。(同上) うろうろ動き回るものの、翅で飛び立つ気配がないから、そろそろ卵を産める場所を探す段階に来ているのかもしれない。 しかし、ティッシュは彼女の辞書にはないだろうから、「ここは一体なんなの。」と少し慌てているのかも。(同上) 余りアリをからかうのも、いい趣味とは言えないから、撮影終了。ベランダから外に向かって、ティッシュに「フーッ」と強く息を吹きかける。 アリさんは吹き飛ばされて、暗い庭の地面へと消えて行きました。 着地した我が庭先で新居の巣を構えられても困るというものであるが、考えてみれば、左程に困るということでもないから、彼女の意のままに任せましょう(笑)。(同上) 赤い虫がオスで、黒い虫がメス。 何だか逆のような色具合でしたが、赤と黒の彼らは今頃は何処でどうしているのやら。 わが庭にはキウイの木はないのであるが、赤いキウイヒメヨコバイはオスだから、卵を産むべき木がなくても関係ないか。 クロオオアリの女王は雨で濡れた庭の土を掘り返して、地中深くに卵を産んでもいるか。 されば、アリにとってもヒトにとっても、この後、余り雨が降り過ぎないのが一番、そのことを祈りましょう。
2020.07.11
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アシナガバチというのは知っていたが、ハエにもアシナガバエというのがいるようです。 その仲間で金緑色の小さな奴がアシナガキンバエ。 普通、キンバエというと普通サイズのハエで金緑色の体をしている奴で糞などによくたかっているという印象があるので、ちょっとノーサンキューなハエであるが、このアシナガキンバエというのは体長が5mm程度の小型のハエで、アブラムシやダニなどの虫を捕食する益虫らしい。 その名の通り、足の長いハエである。(アシナガバエの仲間、アシナガキンバエか。)<参考>アシナガバエ・Wikipedia(同上) アシナガバエと言っても多くの種類がいるそうです。 世界では約240属7000種に及び、日本では12属60種が記録されているという。 アシナガキンバエ、というのも何やら曖昧な名前のようで、これがアシナガキンバエであるというようなことには必ずしも明確になっていないのか、ネットで調べてもイマイチよく分からないというのが実情です。<参考>アシナガキンバエ・身近な昆虫図鑑(同上) 小さい虫なので、ズームで撮る必要があるところ、活発に動きまわることもあって、なかなかうまく行かない。しかし、遠くへ飛び去るということはなく、隣の葉に飛び移る程度なので、またカメラを構えて、その姿を追ってしまうのでありました。 そんなことを何度か繰り返して撮ったのがこれらの写真ですが、何やらハエにからかわれていたような気もしないではない(笑)。(同上) ハエだけでは、手抜き記事だろう、という声がかかりそうですから、アベリアの花に遊ぶキアゲハの写真でも・・まあ、こんなことを言っていては、自ら「手抜き」を自白しているようなものですな(笑)。(アベリアの花とキアゲハ) 以上、虫散歩記事でありました。<参考>過去の虫関連記事はコチラ。
2020.07.08
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前ページではカラスウリの花を紹介しましたが、この花の受粉を媒介するのがスズメガだという。カラスウリの花筒は長く、花蜜は深いところにあるので、スズメガのように長い口吻を持った大型の蛾でないと花蜜を吸うことができない。「カラス」瓜と「スズメ」蛾が「持ちつ持たれつ」の関係にあるというのが面白い。 ということで、今日はスズメガの登場であります。 先日(6月20日)の近隣散歩で、セスジスズメに再会した。 「再会」と言っても、その前に出会ったのは、幼虫で、今回は成虫ですから、同一の蛾である訳がないので、再会というのは適切な表現とは言えないでしょうか。<参考>銀輪虫散歩・蛾と蝶と超小型の蝉 2020.6.15. セスジスズメの幼虫に出会ったのは、6月5日の墓参の帰り道のことであるから、その15日後の20日に出会った成虫のセスジスズメが、あの幼虫が蛹を経て成虫となったものであるとは考え難い。尤も、蛹から成虫になるまでの日数がどれほどのものか知らないので何とも言えないのであるが。 まあ、日数が足りているとしても、幼虫の居た墓地近くの道路と今回セスジスズメの成虫が居た道路とは直線距離で3.5kmほども離れているから、そんなに遠く離れた場所で再会するという偶然は考え難いというものであろう。 しかし、何となく「再会」という気もしない訳でもなかった。 前ページ記事への小万知さんのコメントに対する返事コメントにも記載したのであるが、そいつは、横断歩道近くの道路上にじっとへばりついていました。そのままでは車に轢かれてしまう危険もあるかと、写真撮影を済ませると、道路の外へと追い払うこととしました。手をかざして追い払う仕草をすると、彼は元気よく飛び立ち、どこへやら飛び去って行きました。 そのセスジスズメが下掲写真の蛾です。(スズメガの仲間のセスジスズメ) セスジスズメの居た場所は下掲地図に示す通りです。 前ページのカラスウリの花が咲いていた場所は、下掲地図の「恩智川」とある文字のある付近ですから、それほど離れてはいない。(セスジスズメの居た場所) 銀輪散歩で、花園中央公園から恩智川沿いに加納緑地に走り、そこから西へ、緩衝緑地公園の北橋へと向かっている時に、出会ったのでありました。 緩衝緑地公園というのは、加納地区から島之内地区まで、中部緑地、吉原公園、吉原北公園などと呼ばれる公園が帯状につながっている緑地公園の総称である。恩智川沿いに離れてある加納緑地も含んで緩衝緑地公園と総称するようです。(東大阪市緩衝緑地公園見取り図)(緩衝緑地公園・吉原公園) 南橋を渡ってスポーツゾーンへと進むと、野球場では少年野球の子ども達が野球の練習をしていて賑やかである。これに続くテニスコートゾーンでもテニスに興ずる人たちが、ポーン、ポーンとテニスボールを打つ心地よい音を響かせている。何面もあるコートのすべてが埋まっている状況で、盛況でありました。 中央大通り(国道308号)に出て、吉田駅前から南へ。花園ラグビー場から起点の花園中央公園に戻り、自宅へ。 近隣散歩と言うには距離が足らず、虫散歩と言うには虫の数が足らずという、何とも中途半端な記事でありますが、カラスウリに導かれてのスズメガということでご容赦を。<参考>虫関連の過去記事はコチラ。 近隣散歩の過去記事は下記から。 近隣散歩(その1)(その2)
2020.06.23
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永らく(と言っても5日間に過ぎませんが)ブログの更新をさぼっていました。体調が悪かった訳でもなく、所用があって忙しく時間がとれなかった訳でもありません。何となく「その気にならなかった」ということでありました。 虫の写真が何枚かあるので、それで「虫散歩」記事とします。 先ずは、大阪市都島区にある蕪村公園で見かけた蛾。<参考>蕪村公園と奇妙な実のなる木 2019.7.14.(ネグロウスベニナミシャク) 木陰のベンチで休憩していると、目の前の木立からヒラヒラといささか不器用な飛び方で背後の木立へと飛行する虫。蝶かと思ったが、蛾でありました。シャクガの仲間であろうと調べると、ネグロウスベニナミシャクという蛾であることがわかりました。 ネグロウスベニナミシャクとオオネグロウスベニナミシャクとがあり、両者の区別は前翅裏面を確認しないと判明しないのであるが、大きさから見て、オオネグロウスベニナミシャクである可能性が高いかと。(同上)<参考>ネグロウスベニナミシャク オオネグロウスベニナミシャク 次は、スズメガの仲間、セスジスズメです。 と言っても、成虫(下掲写真)ではなく、幼虫です。(セスジスズメ) 墓参の帰り道で、のこのこと道路を横断する大型の下掲写真のような幼虫を見かけました。 帰宅後に調べるとセスジスズメの幼虫であることが判明しました。 左側が頭で、右から左へと彼は進んでいます。(セスジスズメの幼虫) 体の斑紋が独特なので、一度見たら忘れない印象の強い幼虫です。 ウイキペディアによると「幼虫の食欲は極端に旺盛で、作物の葉を食い荒らし、数日で畑が全滅することもあるので注意が必要である。農作業に於いては、見つけ次第、駆除するのが好ましい。」とあるが、そんなこととは知らぬヤカモチ、あたたかく彼が道を無事に横断するのを見守ってあげた次第。 ヤブガラシなど雑草の葉を食っている段には問題ないのだから、草地から草地への移動ということで、これを見送ったヤカモチの行為について、農家からこれを非難されるべきものには当たらないかと(笑)。(同上)<参考>セスジスズメ・Wikipedia 次も、墓参帰りの道で見かけた虫ですが、テングチョウという余り見かけない蝶です。(テングチョウ)<参考>テングチョウ・Wikipedia(同上) 飛び回るので、なかなか撮影できなかったが、根くらべ。ようやく翅を開いてくれました。(同上) 最後は、超小型のセミです。 と言っても、セミではなく、キジラミの仲間ではないかと思う。 キジラミ(木虱)と言っても、虱の仲間では勿論ない。 ウンカやヨコバイなどに近い虫である。 夜、何処から部屋に侵入して来たものか、パソコンのキーボードにとまったので、撮影してみました。(不明・キジラミの仲間か)<参考>キジラミ入門 神戸市とその周辺におけるキジラミ類の確認記録 体長3mm程度の極小の虫。肉眼ではよく分からないが、写真で拡大してみるとセミとよく似ている。 ヤツデキジラミというのに似ている気もするが、体の色が光線の関係か黒っぽく写っているので、別のキジラミかもしれない。 梅雨が明けると本物のセミが鳴きだす。 そんな夏が待ち遠しい今日この頃であります。<追記・参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2020.06.15
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今日は、銀輪散歩で見かけた虫たちです。 まずはオオスカシバ。(オオスカシバ)<参考>オオスカシバ・Wikipedia 翅には鱗粉がなく透明。蛾には見えないのであるが、スズメガの仲間である。高速で翅を動かしホバリングしながら花の蜜を吸う。撮影する側としては花に止まって欲しいのであるが、なかなか止まってはくれない。 花から花へと飛び回るのでなかなか近寄れず、離れた距離からズームで撮るしかないのであるが、その割にはそこそこの画像になりました。(同上) 以前、胴体の鱗粉も落としてしまって黒くなっているオオスカシバを撮ったことがある筈と調べると、5年前のことでした。<参考>銀輪虫散歩 2015.10.6. オオスカシバは、チョウ目・スズメガ科・オオスカシバ属であるが、次のお馴染みのモンシロチョウは、チョウ目・シロチョウ科・シロチョウ属である。 両者は、同じチョウ目でも、見た目は全く別ですな。(モンシロチョウ)<参考>モンシロチョウ・Wikipedia オオスカシバを撮っていたら、モンシロチョウもやって来たというようなことで、ついでの撮影であります。 こちらは止まってくれるので比較的撮影しやすい。 それでも寒い季節と違って活発に飛び回り、接近しすぎると他へ飛び移ってしまうので、これもズームです。(同上)(同上) 次は、カミキリムシの仲間、キクスイカミキリです。 コウチュウ目・カミキリムシ科・キクスイカミキリ属。(キクスイカミキリ)<参考>キクスイカミキリ・Wikipedia カミキリムシの仲間と言っても、体長1cm程度の小さな虫である。 その名の通り、キク科の植物の茎に産卵するので菊栽培農家にとっては憎き天敵である。 キクスイと言っても「菊水」ではなく「菊吸い」なのである。 この日も道端の草に止まっていたのだが、その葉からも分るようにキク科の植物、ヨモギである。(同上) 虫散歩の虫も、段々と嫌われ族の方に入って行きます。 次はカメムシ。 よく見かけるマルカメムシです。 いつだったか、大阪駅の環状線ホームへと上がるエスカレーターで目の前の若い女性の長い髪の毛だったか肩だったかにこいつがとまっていたことがあった。その旨、声を掛けてこいつを追い払ってあげましたが、声を掛けずにそんなことをしたら、変な誤解を受けたことでしょうな。(マルカメムシ)<参考>マルカメムシ・Wikipedia 小さな虫であるが侮ってはいけない。不用意に触れると、強烈な、あのカメムシ臭を浴びせられて、手からその臭いがとれないことになる。(同上) このマルカメムシがいたのはカラスノエンドウ。 カメとカラスは相性がいいのだろうか(笑)。 ウジャウジャといました。 カラスノエンドウに限らず、マメ科の植物を好んで食べるようで、産卵もその食草にし、幼虫はその草の汁を吸って成長するとのこと。 そんなことで体型もマメ型になっているということか(笑)。(同上) 次も嫌われ者の蚊です。 と言っても、銀輪散歩で出会ったと言うのではなく、パソコンのキーボードの上で息絶えていた蚊です。イエカにしては色が黒く、ヤブカかも。 調べると、ヤブカも色々。 ヤマトヤブカ、ネッタイシマカ、ヒトスジシマカ、ヤマダシマカなどと奥が深いのは流石に「藪」蚊だけのことはある、であります。 結局、こいつが何というヤブカであるかは「藪の中」という次第。(ヤブカ)ヤブカ・Wikipedia ネッタイシマカやヒトスジシマカであったら、デング熱などを媒介する蚊ということになる。 まあ、PCのキーボードの上でデングリ返っているようではデング熱を媒介する元気もなさそうだから、藪をつつくことはせず、「ヤブカ」ということにして置きます。(同上) そして、最後は、正体不明の極小の虫。 石の上に座っていたら、ズボンの膝付近に止まった虫である。 体長が5mm位で、肉眼ではよく分からなかったのであるが、写真をPCに取り込んで拡大してみると、ウンカやヨコバイに似た形の虫であることに気づいた。 それで、セミの仲間、ウンカ、ヨコバイ、キジラミ、アワフキムシなど心当たりをあたってみたが、これらの中にこれだという虫を発見することはできず、「正体不明」でアップです。 こういうのを、ギブアップと言います(笑)。(正体不明の虫) 虫の居る場所はヤカモチの綿パンの上。 線の一つ一つがズボンの生地の織り目ですから、2本で1mm位の幅になるでしょうか。(同上) 糸状の長い触覚が頭部にありますから、ウンカやヨコバイとは違う種類のようです。頭部が何やらグロテスクで、こんな頭の虫はこれまで見たことがありません。 斜め後ろから見ると、ニイニイゼミの超小型に見えなくもない虫。 ヤカモチのズボンが気に入ったのか、撮影を済ませて用無しとなった後もなかなか立ち去ろうとしない。 手で追い払うとようやく去って行きましたが、余りにも小さ過ぎる虫なので、立ち去った瞬間に、恰も忽然と消えた感じ。右か左か、上か下か、どちら方向に去ったのかさえも分らずでありました。(同上) 以上、本日は、行き倒れのヤブ蚊や正体不明の謎の虫も含めての、銀輪虫散歩でありました。<追記:参考>過去の虫関係記事はコチラ。
2020.05.29
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花ばかりでは、書いている方もちょっと飽きて来る。 花と来れば蝶も来るで、今日は「虫」であります。 どんな「虫」が登場するかを、目次を兼ねた歌で示せば次の通り。舞ひ舞ひて 来たれる蝶が 色黄色 燕飛び兼ね 雲も動かず (虫麻呂) これで、何の虫が登場するかを即座に理解できた人は相当に頭が柔らかいお方であります。 解説すると、 舞ひ舞ひ=マイマイ=カタツムリ 蝶が色黄色=黄色の蝶=キチョウ 蝶が色の「が」=蛾、この辺は苦し紛れですガ=ガ 燕=燕を名に持つ蝶=ツバメシジミ 雲=くも=蜘蛛=クモ では、先ずカタツムリであります。 デンデンムシとかマイマイとかとも言い、蝸牛などという偉そうな名も持って居りますが、ヤカモチ的には5文字のカタツムリがしっくりします。 カタツムリは我が国だけでも700種とか800種とかもいるということですから、何という名のカタツムリであるかなどはハナから諦めていて調べる気にもなりません。(カタツムリ) やや大型、普通のカタツムリです。 ナミマイマイという名のカタツムリがいますから、それかも。 先日、ライラックの学名が「Syringa vulgaris 」であると知って、普通の注射器かと思ったら普通のハシドイであったのでしたが、ラテン語の「vulgaris」というのは、「普通の」とか「通常の」という意味だそうな。であれば、ナミマイマイも「マイマイ・ウルガーリス」などと呼んであげたら、ちょっと格が上がってエスカルゴの上を行くことになるかも、と思ったりしましたが・・。(同上) エスカルゴを初めて食べたのは勤務していた会社でまだ若手の駆け出しに少し毛の生えた程度の社員であった頃である。メインバンクから移籍して来られた当時の専務にアフター5のお供を仰せつかることが時々あって、その時には決まってエスカルゴが出て来たものである。大いに閉口しながらも顔には出さずこれを食したのは言うまでもないが、自分から進んで食べたい料理ではないから、今日のマイマイ君も安心したまえ。(同上) エスカルゴのことを思い浮かべたのが彼にも伝わったのか、伸ばしていた首を少し引っ込めたようでもある。 ここは昨日の記事でオドリコソウの群れ咲いていた近くの大きな木の幹の根元に近い部分である。 幹の上の方から下って来たので、地上に降り立つつもりであったのかもしれないが、動きを止めてしまった。 それと言うのも、彼の進路に立ちふさがるようにしてカメラ・レンズを向けたからである。(同上) しばし睨めっこである。 こういう角度でカタツムリと対峙したことはないので、彼の表情などを何処で探ればいいのかもわからない。 しかし、彼が固まっているということは、その雰囲気からわかる。 遠い、遠い祖先を辿れば、ヤカモチもカタツムリと親戚なのだから。 ひょっとすると樹皮に生えている苔や菌類をはぎ取ってのお食事中であったのかもしれないと気づき、食事の邪魔をするのは野暮なこと、こころ置きなく召し上がられよ、とその場を立ち去ることとしました。 虫は虫でも、この手の虫は苦手というお方も多いでしょうから、無難なところで次は蝶です。(キチョウ) こいつは何処で見かけたのやら。 4月10日に大龍寺の桜を見に行ったときに道端で見かけたのであったような気がする。 何やらこちらを見ているようであり、上のカタツムリとは違って、ヤカモチとしっかりアイコンタクトがとれているような。ということは、カタツムリより蝶の方が親戚としては近いのか。(ツバメシジミ) これは花園中央公園にいた奴。 ハルジオンの花を撮影していたら飛来して、近くの木の葉に止まったのでした。 後翅の突起とオレンジ色の斑紋からツバメシジミと判定。 蝶は万葉歌に詠まれてはいないが、大伴家持と大伴池主との間に交換された歌の序に登場するし、何と言っても、令和の元号の典拠となった「梅花の歌32首の序」にも「庭に新蝶舞ひ」と出て来るのであれば、万葉の虫と言っていいだろう。 令和で注目された序文であるが、蝶の方は話題にものぼらなかったのは「チョー残念」と蝶も言って居ります。 再び、枚岡梅林に戻って、ガ。苦し紛れの蛾であります。(キアヤヒメノメイガ) これは、メイガの一種でキアヤヒメノメイガ。小型の蛾である。 草むらなどに踏み入るとこいつが飛び出して来る。 人のこのような行動は、メイガからすればメイワク。 さて、蛾眉などと美女の眉を表現しますが、女性を蝶に喩えるはよけど、蛾に喩えるはならじ、であります。思ってもこれを口にしないのが紳士であります。 そして最後は流れる雲のごとく、と美しくまとめたいのでありますが、そこは偐万葉の悲しさ、くもはくもでも動かないくもなのであります。(ジョロウグモ) 女郎蜘蛛。女郎花と言えばオミナエシ。万葉でも馴染みの花であるが、女郎蜘蛛は出て来ない。 因みに、古代は、女性は「いらつめ」、男性は「いらつこ」であるが、いらつめは「いらつこめ」が短縮したものではないかと思う。 で、「いらつめ」の表記であるが、これには「女郎」と「郎女」との二つがある。 何かで読んだと記憶する説明だが、身分の高い貴族の女性は「郎女」で、身分が低い女性は「女郎」という使い分けがなされていたが、時代が進むにつれて、その辺の区別は曖昧になって行くというとのこと。 そんなことで、わが偐万葉にご登場の女性陣の皆さま方については、どなた様も「郎女」と呼称させていただいて居ります。 話がどんどん脱線してゆく虫の話。今日はこの辺で。
2020.04.23
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昨日、11月1日は友人草麻呂、健麻呂両氏と山の辺の道を歩きましたが、このご紹介は後日の記事とし、今日2日は墓参でありましたので、その記事とします。 いつもの「門前の言葉」の寺は、まだ改修工事中にて、恒例の「門前の言葉」は今回も「お休み」であります。 道路を挟んで向かいの空き地の石榴の木。ザクロの実が更に大きくなり、少し割れ出しています。(今日の石榴の実)<参考>〇8月2日の状態〇9月3日の状態〇10月1日の状態 3ヶ月にわたるザクロの実の変化をご覧いただいたところで、墓への坂道を上ります。 結構な急勾配の坂。昨日のウオークは手許の歩数計では3万1千歩余となっていて、久々に3万歩を超えましたが、それもあってか今日は墓への坂道がいつになく「急坂」であることを実感。 墓に到着して大阪平野を見下ろすと・・。(墓地からの眺め) 急坂を上って来ただけに、眺めはいい。 わが家の墓の立地条件、唯一の長所。 急坂の上という「短所」と背中合わせの「長所」であります。 今日は空気が乾いているのか、日に照る「なには」は何やら眩しい感じであります。「押し照るや」は「難波」の枕詞であるが、まさに今日は「押し照る」難波平野の眺めであります。 墓地の片隅の草叢にセセリ蝶が居ました。 イチモンジセセリかと思いましたが、一文字の目立つ白斑がないので、これはチャバネセセリでしょう。(チャバネセセリ)(同上)<参考>チャバネセセリ・Wikipedia 今日の「虫」はこれだけでしたが、これでは「虫散歩」にならないので、銀輪散歩などで見掛けた「虫」も動員です。 蝶と来ればトンボもいないと平仄を欠くと言うもの。(アキアカネ)(同上)<参考>アキアカネ・Wikipedia 次は、オオスズメバチです。 昨日の山の辺の道では、このオオスズメバチの屍を何度か見かけましたが、これはアメリカデイゴの花に飛んで来たオオスズメバチ。(アメリカデイゴの花とオオスズメバチ)<参考>オオスズメバチ・Wikipedia 次は蛾です。(シロオビノメイガ)(同上)<参考>シロオビノメイガ(白帯野螟蛾) 以上です。
2019.11.02
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今日は月例の墓参。 いつもの門前の言葉を拝見しているお寺の改築工事がいよいよ本格的となったようで、お堂の改装工事だけかと思っていたら、山門も建て替えとなるようで、従前の山門は跡形もなく取り払われていました。 従って、門前の言葉どころではないという次第。これは門前払い以前の問題にて「門払い」である。(工事中の寺) 道向かいの石榴も更に大きくなって。(大きくなったザクロの実) 未だ弾けてはいないので、食べ頃はもう少し先であるか。(同上)墓参なり いや高々に 石榴の実 なれど無口の 朝の道かな (偐家持) 空とのコラボはこの花も似合い。(アメジストセージ) そして、カメとシジミです。 このところ、「花」カテゴリ記事が続いているので、この辺で「花にはつきもの」の「虫」カテゴリの記事にしてみむ、という訳であります。 前ページの「似て非なるもの」を引きずっている訳ではありませんが、カメはカメでもカメムシ。(ミナミアオカメムシの幼虫) これは、ミナミアオカメムシの幼虫である。成虫になると体全体が緑色になる。カメラを向けると葉の裏側に回って身を隠してしまうので、撮影にはそこそこの時間を要しました。 墓参の帰途、畑中の道を歩いていて見つけました。こいつは野菜の若い果実や茎から汁を吸って作物を台無しにしてしまう害虫であるが、通行人ヤカモチは中立。どちらにも組しない。傍観するだけである。ということは、少しばかりウェルカメの立場ということになるか(笑)。(同上) そしてシジミ。貝のシジミではなく蝶のシジミである。 ウラギンシジミである。(ウラギンシジミ) 友人の蝶麻呂君なら、捕まえて翅を無理にも開かせて標本にしてしまうのでしょうが、仏のヤカモチ。じっと翅を開いてくれるのを待つ。(同上) しかし、何事につけ辛抱の足りないヤカモチ。ギブアップ。いや、ギブアップする前に、飛び去ってしまい、少し開いた翅の隙間を覗かせていただいただけでありました。 先月の墓参道でもウラギンシジミを見掛けたのであるが、カメラを向ける間もなく飛び去ってしまったのであったから、今回は少しばかりお近づきになれました。 今日の墓参で見掛けた虫は上の二つだけでありましたが、これでは「虫散歩」にもならないので、先月の墓参や銀輪散歩で見掛けた虫が「友情出演」します。(ショウリョウバッタ) 上のバッタにバッタリ出会ったのは先月の墓参の折。 以下は、銀輪散歩でのもの。(ハエの仲間) ライラックの実を撮影したら、たまたまそこに極小のハエがとまっていたということで、その部分をトリミングしたのが上の写真。 従って、正確には「見かけた」というのではない。 写真に撮ったら写っていたということだから、こういうのは何と言えばいいのか。「見かけなかったのに撮ってしまった」虫ですかね。 余りにも小さくて、少し離れるともう見えない大きさ。蚊よりも小さいかも。勿論、何というハエかなどは知るよしもない。ゴマのハエならぬ「ゴマのような」ハエなのである。 次はミツバチ。上のハエが普通のハエよりもずっと小さいのに対して、こちらのミツバチは普通のミツバチよりも大型でありました。 二ホンミツバチだろうと思います。(二ホンミツバチ) セイヨウミツバチと二ホンミツバチとの違いなどはよくは知らぬが、体の色が黒いのが二ホンミツバチかと思ったので、二ホンミツバチとヤカモチが言っているに過ぎません。従って、マユツバ・二ホンミツバチである可能性も否定できない(笑)。(同上) 以上、カメならぬカメ、シジミならぬシジミ、バッタモンのバッタ、ゴマのハエ、マユツバのハチと怪しげな虫の競演でありました。
2019.10.01
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今日(8月12日)はお盆前の墓参。※8月12日の日記にするつもりで書いていたら、いつの間にやら日付が変わっていたようで、13日の日記になってしまいました。いったんアップしてしまうと日付の変更はできないので、(8月12日)と括弧書きを入れることとしました。(追記) 墓参の後、少し銀輪散歩をしようと愛車MTBで墓へ。 いつもの寺の門前の言葉は、前回と同じなので撮影はせず。向かいの空き地のザクロの実は更に赤みを増していましたが、今回のサブテーマは「虫散歩」と決めていたので撮影せず(笑)。 墓地手前の急坂は漕いで上るのは無理。最後は、手で押して行くこととなりました。(墓) 墓参を済ませて、郷土資料館の方へと向かうと、道端の草叢にカマキリがいました。(ハラビロカマキリ) まだ、翅が生えそろっていないから幼虫なんだろう。 目が合ってしまった。カメラを向けると、葉の裏側へと逃げた。(同上) 本人は、いや「本虫」か。草に化けているつもりなんだろうが、見破られていますよ(笑)とカメラで追いかける。目はしっかりとコチラを見つめているのが愉快。 擬態というのは、普通は天敵から身を守るためのものであるが、カマキリのそれは、そういう機能のほか、餌として捕食する虫などに気付かれぬようにして、狩猟の効率を上げるという機能も有している。 すぐ近くの草の葉裏にいたのはコガネムシ。 カマキリにご用心と申し上げて、撮影。(コガネムシ) そして、木の上にはアブラゼミ。 思えば、蝉の写真はこれが今年最初である。(アブラゼミ) 今回は、虫散歩と言っても、撮ったのは以上の虫まで。 前回の墓参やその他の銀輪散歩で撮った虫を応援団として送り込むこととします。 前回の墓参で撮ったカメムシです。(ハラビロヘリカメムシ) カメムシついでに、大川べりの藤田邸跡公園で撮ったキバラヘリカメムシも掲載しておきましょう。(キバラヘリカメムシ) このキバラヘリカメムシはマユミの木などによく居るが、これもマユミの木に居ました。なかなかダンディな姿の虫であり、久々のご対面だったので、こいつを見つけて撮った時は、しめしめでしたが、よく見ると、このマユミの木はキバラヘリカメムシだらけ。葉という葉にうようよと。こんなにうようよと居ては興醒めというもの。 触らぬカメに祟りなし、触りさえしなければ、臭い匂いをかがされることもない、と静かに立ち去りました(笑)。(同上)※キバラヘリカメムシの写真掲載の過去記事はコチラ。 そして、昆虫ではありませんが、淀川べりで見掛けたカニです。(カニ)(同上)(淀川べり) カマキリ、カメムシ、カニ、コガネムシ、ちょっと仲間外れのアブラゼミが紛れ込んでいますが、カ行変格虫散歩でありました。<参考>虫関係の過去記事はコチラ。
2019.08.13
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今日は、墓参。 墓参は、途中に通るお寺の門前の言葉をご紹介するのが恒例でありますが、今日のそれは先月のものと同じで、未だ新しいものに切り換っていませんでした。即ち「雨の日には、雨の日の生き方がある」というものでしたが、これは既に先月の墓参の記事でご紹介済みなので、写真は省略です。 まだ梅雨が明けていないので、今後も雨の日が続くだろうということで、お寺さんとしては、敢えてこの言葉のままにして居られるのかも知れませんね。 門前の言葉から始めるというお決まりパターンではないので、何となく調子が狂ってしまう感じですが、今年初めてニイニイゼミの鳴く声を耳にしたこと、墓参の帰途にアゲハチョウとベニシジミを目にしたこと、墓参の後の銀輪散歩で立ち寄った喫茶「ペリカンの家」の前庭でツマグロヒョウモンに出会ったことなどがありましたので、銀輪虫散歩とセットにした記事にすることとします。 先ず、墓参の帰り道で見掛けた蝶から。ニイニイゼミは声だけで、姿は見えず、写真がありません。(ベニシジミ) これはベニシジミ。翅をひろげてじっとしていてくれたので、これは撮影に苦労しませんでしたが、次のキアゲハはせわしなく飛び回るので、ちょっと手こずりました。(キアゲハとヤブガラシ) ヤブガラシの花にやって来たキアゲハです。 花とも思えないようなヤブガラシの花であるが、こんな花にも蜜があるのだろうか。結構、嬉しそうに花から花へと飛び回っている。(同上) すると、アシナガバチもやって来た。(キアゲハとアシナガバチとヤブガラシ) 蝶の後ろにピンボケで写っているのがその蜂です。 両方を一緒に撮ろうとするが、これがなかなか難しい。(同上) 撮れた、と思ったら、蝶の翅の向きが変わって、蜂の頭部が翅で隠れてしまった。蜂なのにクモがくれである。(同上) そして、ようやくツーショットで写真に収めることができました。 蜂の体がハチ分目しか写っていませんが、これ位で精一杯です。 アシナガバチも色々種類がありますが、こいつは多分セグロアシナガバチではないかと思う。 何日か前に自宅庭にやって来たセグロアシナガバチの写真がありますので、併せ掲載して置きます。(セグロアシナガバチ) また、別の日のものであるが、銀輪散歩の途中、道端の草むらで見掛けて撮ったアシナガバチの巣の写真も参考までに掲載して置きます。(アシナガバチの巣) これは、喫茶・ペリカンの家の前庭で見掛けたツチバチです。(キオビツチバチ) ツチバチというその名の通り、すぐに地面に潜ろうとする蜂である。 写真を撮ろうとしたら、砂利石の隙間に潜り込んでしまい、再び出て来たところを撮影したのだが、シャッターを早く押し過ぎた。腹部の黄色い斑紋が写っていないので、キオビツチバチであることを証明できないのが残念(笑)。 そして、そのペリカンの家の前庭で、今日撮ったのがこの写真。(ツマグロヒョウモンのメス) 翅を広げた姿をなかなか撮らせてくれない。 翅を広げた瞬間にシャッターを押しても、シャッターがおりる時には閉じてしまっているので、こんな写真になってしまう。(同上) そして、ようやく撮れたのがこれです。(同上) これはツマグロヒョウモンのメス。オスは上翅の左右がこのような黒白模様ではなく、中央の豹紋柄が全体に広がった姿をしている。 すべてよく見かける蝶であり蜂でありますので、珍しくもありませんが、本日はこれにて一件落着とさせていただきます(笑)。<参考>虫関係のその他記事はコチラ。
2019.07.02
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今日は月例の墓参。 墓参の記事の恒例は門前の言葉。 今月の言葉はこれ。(今月の門前の言葉) 雨の日には 雨の日の 生き方がある ―東井義雄― 間もなく梅雨入り。 そういう訳でもあるまいが、雨の日の生き方云々の言葉。 いつも晴天とは限らない。うまく行かない不遇の時もあるのが人生。 順風の時には調子に乗り過ぎず、逆風の時はそれに腐らず、その時々の状況に応じた適切な生き方があるという訳ですな。 自然な生き方は無意志で成り行きに任せるということではなく、自身がよしとする自然な生き方を、何ものにも束縛されない自身の自由なる強い意志を持って、自身の身の丈に合った形で、自身で選び取るということであるのですが、そういうことを前提として、雨の日には雨の日の自分なりの生き方をする、ということでしょうか。 まあ、言うのは誰でも言えるが、行うは難し、ということではあります。 いずれにせよ、雨の日に銀輪散歩して道に迷っているヤカモチですから、これを論ずる資格は元よりないと言うべきもの(笑)。 今日の墓参でも草花などをいくつか撮影しましたが、このところ花散歩記事が続いていますので、今日は「虫散歩」ということにします。 梅雨の時期は蠅が大量発生する時期でもあります。旧暦5月は梅雨の時期にて「五月蠅」はうるさいということで「五月蠅(さばえ)なす」という言葉が万葉の昔から使われていることは、先日のブログ記事でも書きました。 で、その蠅から始めます。(キンバエの仲間) ハエも色んな種類がいて、その個々の区別などは手に余ることなれば、キンバエの仲間ということでご勘弁願いましょう。 こいつは、動物の死骸や糞などに群がるのですが、このように木の葉や花などにとまっていたりもする。さすがのヤカモチも糞などに群がるハエを撮ったりは致しませぬ。 ハエそのものは万葉集では登場しませんが、「五月蝿なす」という枕詞として登場しますので、一応、万葉の虫ということになります。 同じなのがホタル。蛍を詠った万葉歌はありませんが、「蛍なす」という枕詞があって、「ほのか」に係る形で使われているので、これも万葉の虫ということになります。しかし、蛍の手持ちの写真はありません。<参考>この月は 君来(き)まさむと 大船(おほぶね)の 思ひ頼みて いつしかと 我(あ)が待ち居(を)れば 黄葉(もみちば)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(たまづさ)の 使ひの言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大地(おほつち)を 炎(ほのほ)と踏みて 立ちて居(ゐ)て 行くへも知らず 朝霧の 思ひ迷(まと)ひて 丈(つゑ)足らず 八尺(やさか)の嘆き 嘆けども 験(しるし)をなみと いづくにか 君がまさむと 天雲(あまくも)の 行(ゆ)きのまにまに 射(い)ゆ鹿猪(しし)の 行(ゆ)きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 音(ね)のみし泣かゆ (万葉集巻13-3344)<今月は君が帰って来られると、(大船の)頼みに思って、いつかいつかと私が待っていると、(黄葉の)はかなく死んでしまったと、(玉梓の)使いの者が来て言うので、(蛍なす)ほのかにそれを聞いて、大地を炎の上を踏むように跳び上がり踏んで、立ったり座ったり、何処へ行けばいいかもわからず、(朝霧の)思い迷って、(丈足らず)八尺にも及ぶ長いため息をつき嘆いても、何の甲斐もないので、何処に君が居られるのだろうと、(天雲の)行くあとについて(射ゆ鹿猪の)行って死のうと思うけれど、道が分からないので、ひとり居て君を恋慕っていると、声に出して泣けてくる。> 次は蝶。 モンシロチョウです。(モンシロチョウ) 令和という元号が万葉集巻5-815~46の梅花の歌32首の序文が出典であることは、周知のことですが、この序文に「庭に新蝶舞ひ、空に故雁帰る」という文があり、蝶の万葉歌はないものの、ここに蝶が登場するので、蝶も一応、万葉の虫と言っていいでしょう。 ただ、新蝶がモンシロチョウなのかモンキチョウなのかアゲハチョウなのかなどは分かりません。カラタチは万葉植物ですから、カラタチに卵を産み付けるアゲハチョウが万葉の頃にいたということは言えるでしょうから、アゲハチョウである可能性はあるかもしれません。 ところで、昆虫は人間には見えない紫外線を識別できるそうですから、それによって見ると、つまり紫外線に反応するカメラで撮影すると、モンシロチョウのメスは白く見えるが、オスは黒く見えるそうです。人間は波長の長すぎる赤外線や波長の短すぎる紫外線は見えず、一定範囲の波長の赤から紫までの可視光線しか識別できないので、メスもオスも同じように白く見えるけれども、紫外線を識別する目で見ると、メスだけが白く見えるということで、彼らは互いにオスかメスかを遠くからでも識別できるという訳です。勿論、それ以外に性フェロモンを出したりしているでしょうから、それによっても識別はできるということになるのでしょうが。 ということで、上のモンシロチョウがオスなのかメスなのかは不明であります。 次はアブです。 ハナアブの仲間、ヒメヒラタアブです。(ヒメヒラタアブ) 虻は日本書紀で雄略天皇の処(下記注)で登場しますが、万葉集には登場していないかと思います。調べていないので間違っているかも知れませんが、虻を万葉集で見掛けた記憶がありません(笑)。(注)日本書紀・雄略天皇四年秋八月の条 しかし、ハエよりはこのような小型のハナアブの方が万葉の虫らしい気がします。 そして、ヒメヒラタアブの恋人たちです。(同上) 次は、キリギリスの仲間の幼虫。 ヤブキリやクダマキモドキなどの幼虫とは違うので、なんというキリギリスなのかは分かりません。 先日、ブロ友のひろみの郎女さんがヤブキリの幼虫の写真をブログにアップされていましたが、ヤカモチもその仲間の何とは知れぬ虫の幼虫を目撃したという次第。(キリギリスの仲間の幼虫)(同上) 次はハムシ。 ハムシと言っても「羽虫」ではなく「葉虫」と書く「甲虫目」のハムシであります。 ブロ友のふぁみり~キャンパーさんが、トゲツキトゲナシトゲトゲという虫のことをコメントで教えて下さいましたが、その虫はこのハムシの仲間になります。 すると、今日の墓参で早速そのハムシに出会ったという次第。 最初はコガネムシかと思いましたが、触覚が細長く、コガネムシのそれとは形状が違うので、ハムシではないかと調べたら、どうやらハムシのようです。ただ、ハムシも色んな種類があるようで、これが何というハムシかまでは断定できませんでした。(ハムシの仲間)(同上)(同上) このような色違いもいました。(同上)(同上) 以上、ハエからハムシまでの虫散歩でありました。 虫嫌いなお人は勿論「無視散歩」いただいて結構であります。
2019.06.01
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ブログの更新を暫しサボってしまいました。 これという記事ネタもないのであるが、余り日数をあけるのもいかがなものか、ということで、虫の写真でも。(ハエトリグモ) ハエトリグモにも色々種類があるようですが、そこまでの詳しい分類はできないので、単にハエトリグモです。 家の中でも時々夜中に出て来て、チョコチョコと歩きまわるのを見掛けるが、結構動きが俊敏で、ピョンと跳ぶ跳躍力とその素早さはなかなかなものである。 こいつは墓参の折に石の上に居た奴で、家の中などで見掛けるハエトリグモと同種なのかどうかは、よくは分からない。見た感じでは、同じように見えます。 ちょっと近づいてみましょう。(同上) 活発に動くので、なかなかうまく撮れない。(同上) 目が何個あるのだろう。 正面に2個、左右側面にも少し小振りのものが2個ずつあるよう。 正面の2個の目は獲物との距離を的確に把握できる付き方である。 側面の目は補助的なもので、天敵から自身を守るための監視用に使うのでもあるのか、やや上向きに付いている。 見方にもよるが、ちょっと愛嬌のある顔をしている。小生にはそのように見えるのだが、皆さんはどうでしょう(笑)。 同じ石の上に凝っとしている白っぽい別の蜘蛛がいた。(ハシリグモ) こちらは肢を大きく広げて石にへばりつくような低い姿勢で、全く動く気配がない。突っついてみると漸く動き始めた。(同上) ハシリグモも色々な種類があるので、これが何というハシリグモであるかまでは分からない。 その名前と肢の長さなどから速く走れそうな蜘蛛だが、この日は走らず、のんびりとアルキグモの風であった。<参考>喜母にしあらむ 2013.8.28. 蜘蛛は毛嫌いされる人が多いかと思うが、もっと毛嫌いされる虫が毛虫。 その毛虫が月見草を食べていた。 蛾の幼虫だが、何という蛾の幼虫なのかは勿論存じ上げぬ。(月見草を食べる毛虫) 月見草とも呼ばれるマツヨイグサであるが、その花を食べる毛虫というのも、面白いと撮影してみました。 余り好かれない虫が続きましたので、好かれる方の虫もアップして置きます。チョウです。(キマダラヒカゲ) もう少しアップで。(同上) そして、モンキアゲハ。 こちらは、翅をパタパタさせて少しもじっとして居ないので、写りがイマイチです。(モンキアゲハ)(同上) 銀輪散歩などで見掛けた虫たちでした。 もう、虫たちの季節ですね。
2019.05.22
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今日は墓参。 墓参は、例によって、門前の言葉から始まります。(門前の言葉) 咲けば散るのが定め。桜のように注目され、惜しまれて散る花もあれば、ハコベやミミナグサのように気付かれぬままに咲いて、気付かれぬままに散る花もあり、色々であります。しかし、それぞれに限りある命を精一杯に生きて死ぬることに違いはない。 という展開からは「花散歩」の記事かと思われる向きも多いのでしょうが、どっこい、今日はタイトルが示すように「虫散歩」の記事なのであります。それも蝶などの可愛い虫ではないところが、ヤカモチ的なのであります。 墓地の通路などはカラスノエンドウがはびこり出しています。 それらを近付いてよく観察すると、びっしりとアブラムシがついているのです。(カラスノエンドウとアブラムシ)(同上) ここまで群がっていると、虫には見えないので、この時期、カラスノエンドウに触れる時には、どうぞご注意を。(アブラムシとテントウムシ) 肉食系のナナホシテントウやナミテントウは、このアブラムシを捕食するのだが、早速、このアブラムシ目当てにやって来て居ります。(アブラムシとテントウムシの幼虫) テントウムシの成虫だけでなく、幼虫も居ます。 これだけ沢山のアブラムシが居たら、彼は食うのに困るということはないでしょうな(笑)。 本日撮影の虫はこれだけです。毛虫も居たのですが、余りそういうものを並べるのもいかがかと、撮影を自粛した次第。 実は、昨年の秋に撮影した虫の写真がブログ未掲載のまま、眠っていましたので、「虫散歩」の記事にした理由はこれらの在庫処分という狙いもあってのことでありました。 先ずは、昨年11月の墓参の折に撮影したツマグロオオヨコバイから。(ツマグロオオヨコバイ) 次は、イナゴです。これは岡山へ銀輪散歩した折に撮ったもの。(イナゴ) そして、最後はゴミムシです。(セアカヒラタゴミムシ) ゴミムシにも色々な種類があるようですが、これはセアカヒラタゴミムシ。京都は伏見区の三栖閘門の近くで昨年10月に撮影したものです。(同上) まあ、彼ら虫たちも精一杯に生きているのであれば、毛嫌いせずに、つばらに見てやろうという次第であります。
2019.04.06
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一昨日(15日)に蝶の標本展を見た所為でもあるまいが、嵯峨野・嵐山方面へ銀輪散歩にやって来て、立ち寄った二尊院の境内でアサギマダラの群れに出くわしました。 この蝶のことは渡りをする蝶であるということなどは友人の蝶麻呂氏から教わって承知していたし、その写真なども見ていたので、直ぐにアサギマダラだと分かりましたが、実物を見るのは多分初めてだろうと思う。 美しい蝶である。(アサギマダラ)(同上)(同上)(同上) 境内に植えられているフジバカマの花に群がっているのでした。(同上)(同上) なかなか翅をいっぱいに広げた瞬間の姿を撮ることができなかったのですが、じっくりカメラを構えて待っていて漸くにせしめたのが下の1枚であります。(同上)<参考>アサギマダラ・Wikipedia
2018.10.17
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本日は、1枚の写真をネタに、ブログ記事を書いてみることとします。 先日の墓参の折に撮った、写真がもう1枚ありました。 少しピントが甘い写真であるが、カマキリの写真がそれである。 わが家の墓は道沿いにあるので、墓石の立ち並ぶ共同墓地の奥へと入って行く必要がないのであるが、時々は何と言って用もないのに、墓石と墓石の間の狭い通路を通って奥へと立ち入ることがある。 前頁のチカラシバの写真を撮ったのは、その通路でのことでありました。その近くのお墓の敷石の上にカマキリが居た。体長12cmメートル程度のやや大きいカマキリ。小生と目が合った。カメラを構えて近付くと、彼も身構えて、自身を大きく見せようとでもしたのか、前肢を踏ん張るようにして上体を反らすような仕草をした。 蟷螂の斧ではないが、鎌を振り上げてこちらを威嚇でもするかと思って期待したが、じっと固まったまま。ということは、こちらを天敵・捕食者と見て、動かないという選択をしたのか、或は、こちらを餌と見て、捕食の機会をうかがっていたのか、それは彼に聞いてみないと分からぬことであるが、暫しにらみ合いが続く。(カマキリ) 違ったアングルから撮影しようと小生が立ち上がった瞬間、彼は身を翻して背後の草叢へと逃げ込みました。 小生が立ち上がったので、その大きさの圧倒的な差を認識して、これは叶わぬと「敵前逃亡」を図ったものか、小生の動作を「休戦」のシグナルと理解して、退却を選択したものか、これも彼に確認してみないことには、どちらとも言えない。お蔭で違うアングルの写真は撮り損ねたという次第。 カマキリも色々種類があるようだが、これはチョウセンカマキリかと思う。勿論、「挑戦蟷螂」ではなく「朝鮮蟷螂」である。普通に我々がカマキリと言っているのは、このカマキリである。 日本に居るカマキリは、他には、オオカマキリ、コカマキリ、ヒナカマキリ、ハラビロカマキリ、ウスバカマキリである。これらはカマキリ目のカマキリ科に分類される。もう一つのグループは、ハナカマキリ科に分類されるもので、ヒメカマキリ、サツマヒメカマキリ。 生物分類学上、カマキリ目に最も近い虫はゴキブリ目の虫だという。 従って、ゴキブリ亭主にカマキリ女房は「似た者夫婦」ということになる。 カマキリの学名はMantodea。 漢字では、鎌切、蟷螂。 カマキリという名については、鎌で切るからという説と鎌を持つキリギリスの意だとする説があるそうな。 地方によっては、拝み虫、斧虫、疣虫などとも呼ばれるとのこと。 拝み虫は、前肢の鎌をもたげた姿が拝んでいる姿に見えることからだが、英語でこの虫はPraying mantisというから同じ発想である。斧虫は鎌を斧と見立てたものというのは容易に察しがつくが、疣虫の方は、疣を取る薬としてカマキリを粉末にしたものを使用したからだとか。 積雪地では、カマキリは雪に埋もれない高さに卵を産み付けるので、来たるべき冬の積雪の高さを予知する能力がある、ということが言われるが、これは、雪に埋もれている卵も見られることから、伝説に過ぎないようである。英名のmantisはギリシャ語のmantis(予言者)を語源としているが、雪の積もる高さを予言する能力はないという訳である。 カマキリというと交尾の際にメスがオスを捕食してしまうという話が有名であるが、それは、カマキリは動くものは何でも餌とみなすようにプログラムされているからのよう。然らば、オスがメスを捕食しても不思議はないのに、逆のケースは観察されないらしい。カマキリの交尾は相互に出すフェロモンによって相手を認識してこれを行っているようだが、オスはフェロモンによってメスを認識すると、「動くものは餌」というプログラムが制御されるのに対して、メスはそうでないので、オスと餌との区別が出来ないらしい。 男は色恋に寝食を忘れるが女性はそうでもない、むしろ食欲を優先するということか、などと人間に当てはめて考えるのは意味のないことでありますが、「花より団子」という言葉がどちらかと言うと女性をからかう場合に使用されることを考え合わせると生物の雌雄一般に何か共通するものがあるのかも・・と考えるのも勿論、無意味であります(笑)。 カマキリを詠んだ短歌があるかと調べると、この2首が見つかりました。<蟷螂の短歌>わが取れる 紗の燈籠に 草いろの 袖をひろげて 来る蟷螂 (与謝野晶子)月の前に 鎌ふり立つる 蟷螂は 青萱の葉の 光る葉にゐる (北原白秋) で、万葉集にカマキリが登場するかと言えば、勿論、登場しない。 万葉では、秋に鳴く虫は、鈴虫、松虫、コオロギ、キリギリス、みんなひっくるめて「こほろぎ」であるから、昆虫図鑑の虫の分類のような訳には行かない。カマキリなんぞは鳴きもしないから、お呼びではなかったのだろう。 ということで、偐万葉がそれを補うべく偐家持が1首。台風が 日本海行く 秋の日の 墓参にあひし 蟷螂ぞこれ (藤原鎌切)(本歌)秋風の 寒く吹くなへ わが宿の 浅茅がもとに こほろぎ鳴くも(万葉集巻10-2158) 万葉時代に、鎌切が居なかった訳ではない。万葉集の歌に登場しないだけである。藤原鎌足というのが居たが、これは勿論、カマキリではない。 カマキリの話だけに「キリ」もないこととなりますので、「キリ」のいいところで切り上げるのが得策。 カマキリについては十分に書き足りました。 これを「カマタリ」と言いますな。 では、オアトがよろしいようで・・。<参考>カマキリの神話 https://www.jataff.jp/konchu/mushi/mushi06.htmカマキリ・Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/カマキリ
2018.10.07
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イチモンジセセリを見掛けました。(ニラの花とイチモンジセセリ) 大きな黒い眼。なかなか可愛い顔をしている。 蝶といっても、普通の蝶とは違って得意な形をしている。 かと言って、蛾のようでもない。 ところで、蝶と蛾との区分はどうなっているのかというと、これが必ずしも明確ではないようである。一般的な区別は下記の通りであるが、例外があるのでその区別は、必ずしも明確ではないのである。 1.蝶は昼行性で、蛾は夜行性。 昼行性の蛾も居る。夜行性の蝶も居るのかどうか知らぬが、銀座や北新地に出没する「夜の蝶」は、生物分類学上は「蝶」ではないとされている。勿論、「蛾」だと言っている訳ではないので、念のため申し添えて置く。 2.触覚 蝶の触角はつるんとした棍棒状であり、蛾のそれはギザギザ、ふさふさの櫛髭状である。 3.蛹 蝶の蛹は裸の状態なのに対して、蛾の蛹は繭に包まれている。(同上) イチモンジセセリ。「せせり」は漢字では手ヘンに弄と書くが、ブログでは使えない文字。 「せせる」というのは「小刻みな動作をせわしなく繰り返す」こと、「繰り返しつつく」、「つつきほじくる」の意であるが、余り使う言葉ではない。「楊枝で歯をせせる」などと使うが、ヤカモチも食後には決まって楊枝で歯を「せせる」ものの、この言葉を使うことはまずない。 この蝶が「一文字せせり」などと呼ばれる由縁は、そのちょこまかとせわしなく動く様子にあるのだろう。「一文字」の方は、その翅に白い長方形の斑紋が4つ並んでいるのを捉えて、一という文字が4個並んでいると見ての命名だろう。 近縁種にはチャバネセセリ、オオチャバネセセリなどがいるが、これらとの区別は、その斑紋によって行う。 チャバネセセリの斑紋は、小さく横長ではなく点状に4つ並んでいる。オオチャバネセセリの斑紋は横長型のものと短型のもとが交互に5つ並んでいる。上から、短・長・長・短・長と並ぶ。 幼虫はイネやススキやカヤツリグサの葉を食用とするので、この蝶はイネの害虫とされる。 蝶はひらひらと舞うように飛ぶが、イチモンジセセリなどセセリチョウの仲間は、蝶らしくなく蝿か何かのようにスーッと直線的な飛び方をする。何でも時速30km程度の速さで飛べるそうな。 この蝶は、アサギマダラなどと同じように「渡り」をする蝶としても知られている。 渡り、というのは或る生息場所から別の生息場所へと移動することを言うが、イチモンジセセリの渡りは羽化した当日1日にのみ見られるらしい。羽化は明け方に行われ、羽化した日の午前中の約3時間に見られるという。時速30kmの速度で飛翔するのであるから、最大は100km程度も移動するのがいるということになる。 移動した先で定着し、花蜜を吸ったりして産卵し子孫を残して死ぬ。そこで卵から幼虫となった第二世代が成長し、羽化してまた渡りを続ける。 秋に羽化したイチモンジセセリは南西方向に渡りをし、春に羽化したのは北東方向に渡りをするとか。 温帯に於ける季節変化に対応して、幼虫の生育環境に適した地域へ移動するように遺伝子に組み込まれたプログラムによって行動しているのである。 日がだんだんに長くなってゆく季節に幼虫時代を過ごすと北東方向へと移動するようなプログラムが設定され、日がだんだんに短くなってゆく季節に幼虫時代を過ごすと南西方向へ移動するようプログラムされるのだろう。 このようにプログラムされることが、温帯という気候変動のある地域に於いての、種としての生存に有利に働いているのだろうと思われる。(こちらは蛾ですが、名前は知らない。) こちらの蛾も大きな眼で可愛い。 このように、昼間に行動する蛾も居るから、蛾は夜行性と言い切ることはできない。この蝶と蛾の眼、複眼であるが、昼行性の蝶の複眼は像がはっきり結ぶようにできているのに対して、夜行性の蛾の複眼は光をより多く集めるような構造になっていて、像を結ぶ機能は劣るというか、二の次になっているらしい。さて、この蛾の複眼は蝶のそれか、蛾のそれか、どちらに近いのでしょう。 イチモンジセセリの複眼は、蝶と蛾の中間的な構造になっているらしい。してみれば、昼行性の蛾もイチモンジセセリの複眼のような中間的な構造を持っているのかも知れない。といっても、複眼を持ったことのないヤカモチには、どんな風に見えているものやら、想像ができないのであります。
2018.09.09
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今日は墓参。 天候はイマイチで、雨がぱらついたりしたので様子を見ていましたが、雨も止んだので、昼食後の散歩も兼ねて出かけることとしました。(言葉、2018.9.1.) 例によって、墓参は寺の門前の言葉から始まります。 聴けば聴くほど おまかせ以外 仕方のない私が わかってくる -鈴木章子-(墓地からの眺め) 神戸辺りだろうか、厚い雲がかかって雨が降っている気配。 北の方に目を転ずると、大東市か寝屋川市か門真市か、そちらの方面にも雲がかかって雨を降らせているよう。(墓地からの眺め2) ボーボーボッポーという山鳩の鳴き声が聞こえる。 前記事のペリカンの家に巣をかけた山鳩である筈もないが、またしても山鳩でありました。(墓地からの眺め3 裏山) 墓参の記事は花散歩か虫散歩とセットになるのがお決まりのスタイルなのであるが、今回はこれと言った花の写真もなく、虫もカタツムリの写真1枚があるきりである。ということで、ストックの未掲載写真などを活用して、無理にも虫散歩であります。(カタツムリ) 墓参の道でカタツムリに出会うのは初めてのこと。晴れた日に墓参をするのが普通なので、カタツムリ君に出会うことはないのだろうが、今日は珍しく雨上がりであったことで、出会ってしまったのだろう。 この木は先月の3日の墓参の折に、ミヤマカミキリをとまらせてあげた木である。道の真ん中でひっくり返っていたのがミヤマカミキリ。そのままでは、車などが通れば轢かれてしまうと保護し、川べりの木の幹にとまらせてあげました。それが、下掲のミヤマカミキリです。(ミヤマカミキリ) 勿論、今はその虫の姿は見当たらない。昔話などでは、救けて貰った虫や動物が人間の姿になって訪ねて来て、恩返しをするというのが相場になっているのだが、カミキリムシにはそういう伝統はないらしく、ウンともスンとも言って来ない(笑)。たすけるなら亀か鶴にすべきですな。 同じく先月11日の墓参の折に撮ったムラサキシジミとクロヒカゲの写真も掲載です。(ムラサキシジミ)(クロヒカゲ) どちらも地味な蝶です。まあ、ムラサキシジミは翅を開くと紫色の美しい色を見せてはくれますが。警戒しているのか翅を開かない。翅を閉じた状態なら翅を強く開いてすぐに飛行に移れるが、翅を開いた姿勢だといったん閉じてからでないと飛行動作に移れない。コンマ何秒かの差でしょうが、捕食者から逃れ得るか否かはそのコンマ何秒かの差にかかわっているのだろうと思う。 蝶の写真を掲載したついでに、7月19日の高石・和泉・泉佐野・田尻銀輪散歩(ブログ記事としては7月27日~29日記事)の折に見掛けたゴマダラチョウのそれも掲載して置きます。 このゴマダラチョウも通路(霊苑駐車場への通路)の真ん中にとまっていたので、道脇の草木にとまらせてあげたのである。このように、道の真ん中でダウンしている虫をよく見かけるというのも、異常気象、猛暑の所為かも知れない。 虫だけに、熱中症とは言わず「熱虫症」と言うのかも知れない。(路面のゴマダラチョウ)(避難完了のゴマダラチョウ) そう言えば、このゴマダラチョウも、その後とんと音沙汰無しでありますな(笑)。仕方ないから、爺さんは山へ柴刈りに、であります。
2018.09.01
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今日は、月例の墓参。 今年初めて蝉の鳴く声を耳にしました。 近畿は、未だ梅雨明け宣言はされていないかと思うが、ヤカモチ気象台は「蝉が鳴けば梅雨明け」という基準を採用しているので、本日を以って「梅雨明け」とします。 梅雨明け宣言は外れてもいいのである。「戻り梅雨」などという便利な言葉があるからである。宣言して、翌日や翌々日などに雨が降り、それが何日も続くことがあっても、それは「戻り梅雨」であって、先の「梅雨」とは別物であると言えば辻褄が合うのである。 それはさて置き、今日の門前の言葉はこれ。(今日の言葉) たりないことを 嘆くのではなく 与えられていることの 幸せに感謝する 吾唯足るを知る、と同義ですな。 今日は好い天気。暑いのは夏であるから仕方がない。 汗を拭いつつ行けば、 蝉も鳴き始めた。 小川の上では大きな女郎蜘蛛が巣を張っている。 夾竹桃の花は芳香を放っている。 道の辺の草の上ではベニシジミが、 朝のまどろみからまだ覚めやらずに居る。 墓地の高みから眺める大阪平野の景色も澄んでいる。(墓地からの眺め)(墓地)(ベニシジミ ようやくお目覚めですかな。) 帰り道は途中で脇道に入り、大きな池の畔の細道を行く。 豪雨対策でもあるか、水がかなり抜かれていて、池のへりでは底の地面が露呈している。(ため池) 池に投棄されたゴミが露呈している。 モーターバイクが2台投棄されている。 かなり、古くに投棄されたのであろう。 何やら化石のようである。(投棄されているモーターバイク) 墓参の場合は、花散歩と称して、往路・復路で見掛けた花などを紹介することが多いのですが、今回は、夾竹桃の花を撮っただけなので、花散歩ではなく、虫散歩とします。 と言っても、今日撮影した虫の写真はと言えば、上に掲載したベニシジミのほかには少しピンボケのヤマトシジミの写真があるばかりなので、以前に撮影して、ブログ未掲載の虫の写真を利用することとします。 先ずは、蝶にてアカタテハです。(アカタテハ) これは、木津5人組ウオークの折に撮ったものですから、去年の11月に撮影のもの。(カマキリ) これも去年の10月撮影の古い写真。何処で撮ったものか記憶が曖昧です。このカマキリはメス。しっかりカメラ目線なのが愛嬌です。まあ、見返り美人ということにして置きましょう。(蛾 シャクガの仲間かと思われるが正しい名前は不明) これは、先月の墓参の折に撮影したものですから、墓参と無関係ではないということになります。我が家の墓石に貼り付いていましたので、強制退去、近くの草原にお引越ししていただきました。(蜘蛛の巣) これは、先月、銀輪散歩の途中に立ち寄った馴染みの喫茶店「ペリカンの家」の前庭にある喫煙用ベンチの傍らに置かれていたハクビクジャクの鉢植えに巣を張っていた蜘蛛を見つけて撮影したもの。 米粒の半分位の大きさの極小の蜘蛛である。 今日見た巨大な女郎蜘蛛と並べてみようと思ったのですが、川面の上に巣を張っている蜘蛛にはなかなかピントが合わず、撮影を諦めました。(チョウバエ 蝶蠅) これも極小の虫。夜中に部屋に舞い込んで来た迷惑虫である。(ナミテントウの幼虫) ナミテントウはナナホシテントウと同じく肉食のテントウムシにて益虫である。成虫になると可愛らしくなり、手の平に乗せたりして遊ぶ人もあるかと思うが、この幼虫を手の平に乗せるのはかなり勇気のいる行為である。 最後は、無難な虫にして、イトトンボです。(イトトンボ)(同上)(同上) イトトンボも色々な種類があって、その区別などは吾事に非ずであります。<参考>虫関連の過去記事はコチラ
2018.07.03
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本日の銀輪散歩で、見かけた虫はこれ。 花園中央公園のコナラの木にいました。(ヨコヅナサシガメ) 体長1~2cmの小さな虫。 名前は分からなかったが、カメムシの仲間だろうと思われたので、カメムシでネット検索したら、ヨコヅナサシガメというカメムシであることが分かりました。<参考>ヨコヅナサシガメ・Wikipedia 横綱刺亀。横綱という立派な名前を貰っているが、不用意に触れると刺されるらしい。刺されると激しい痛みに襲われるそうだから、要注意です。 肉食のカメムシで、他の昆虫の幼虫などを捕食、その体液を吸うというのがこの虫の食生活とのこと。そういうことで、人間を刺すこともあるものの虫を捕食してくれるので、益虫とされているそうな。 写真でも、何やら虫を捕まえたようで、お食事中でありました。 上の写真では、赤いダニが3匹たかっていたので、落ちていた小枝で払って上げましたが、ダニは腹部の方に回っただけで、落ちなかったようです。(同上) 撮影角度を変えてみると、腹部の方に赤い点が見えますから、ダニはしっかりくっついているようです。 まあ、食事中のヨコヅナサシガメにしてみれば、ヤカモチのダニ払いの行為は、ヨコヤリのサシデガマしいものであったということでしょうな。(同上) 本日の銀輪散歩とは無関係であるが、虫ついでに、ずっと以前に、夜、網戸の隙間からでも侵入して来たものか小さな蛾がわがPCのヘリにとまり、それを撮影した写真がありますので、掲載して置きます。(コナガ<小菜蛾>) この蛾についても、名前不明でしたが、ネット検索でコナガという蛾であることが判明しました。 この蛾もとても小さな蛾です。下の写真の煙草と比べていただくと、そのサイズが見当つくかと存じます。<参考>コナガ・Wikipedia(同上) 幼虫がキャベツなどの野菜につき、これを食い荒らすので、害虫ということになります。 近くの野菜畑で成虫になり飛来したのでしょうが、殺生は好まぬヤカモチ、外の闇に追放の刑に処するにとどめました(笑)。 この蛾を撮影したのは昨年の9月ですから、彼女の子孫はどこかのキャベツその他の葉物野菜を食い荒らしたかもしれません。 まあ、そうとしても、交野のビッグジョンさんの畑までは移動していないと思いますので、同氏に迷惑をかけてはいないだろうと思います(笑)。 本日は、益虫と害虫のツーショットでありましたが、虫嫌いのお方には、ノーサンキューな記事で、申し訳なく存じます。ただ、当ブログには「虫」という記事カテゴリが設定されて居りますので、虫も無視ならず、このように虫が時々登場いたします。悪しからずご容赦賜りますように。
2018.05.29
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久々のブログ更新です。 22日に友人の野麻呂氏と法善寺横丁近くの店で忘年会。2軒目の店を出たところで、何やら胃がシクシク痛み、身体が気だるい感じで不快に。もう1軒行こうと言う野麻呂氏の誘いを「体調がよくないので」と断って帰途に。家に着く頃には悪寒も生じて、そのまま寝込む始末。風邪を引いてしまったのでありました。 そんなこともあって久々のブログ更新となった次第。 17日に記事をアップしたきりですから1週間も空白が生じたことになる。 漸く体調も復しましたのでブログに向かうこととしました。 しかし、これと言ってネタもないので、先日舞い込んで来た蛾、アケビコノハのその後の消息をお伝えすることとします。<参考>枯れ葉が舞い込んだ 2017.12.11. 先の記事では、部屋に舞い込んだ蛾、アケビコノハ(以下、単に「アケ麻呂」という。)を庭に打ち捨て、翌朝、そのまま庭に居たアケ麻呂を庭の草叢に放したところまで、でした。 実は翌々日(13日)に、その草叢を探ってみたのですが、見当たらず、何処かへ行ってしまったのだろうと考えたのでした。しかし、そんなに動き回れるほどの元気は無かった筈だから未だ其処に居るのではないかと思い直して、念入りに探してみると、やはり其処に居ました。もう死んでいるのではという予想に反して、「枯れ葉」ならぬ「彼は」まだ生きていました。肢を鈍く動かしている。となると、何やら愛おしい気持ちになり、枯れ葉を集めて来て、それで草叢の彼の居る空間を囲い、冷たい風が吹き込まぬようにしてあげました。 で、10日以上も経過した今日、さすがにもう死んでいるだろうと覗いてみると、何と未だ変わらずに生きている。動きは相変わらず鈍いものであるから、これはひょっとすると冬眠で、この蛾は成虫のまま越冬するのかもしれないなどとも思われたのでありました。 もし、そうなら冬眠中のところ申し訳ないことになるのであるが、再び、部屋に連れ帰り本日の姿を撮らせていただきました。それが以下の写真です。(アケビコノハ)(同上) ティッシュを掴む肢の力もしっかりしているし、身体をしっかり支えて立っている。時に翅を広げる瞬間もあったりで、この分ではまだまだ生きるのではないかと思われます。(同上)(同上) 翅を広げたところを撮りたいが、それは一瞬のことにて、カメラが追い付かない。さりとて無理に広げてというパワハラはしたくないので、つかまっているティッシュを回転させて仰向けにさせて撮ったのが次の写真。 外翅の表面は枯れ葉の擬態であるが、その裏面や内翅は黄色に黒い丸模様のある鮮やかな色彩の、いかにも蛾らしい翅である。 まあ、このような撮影自体がアケ麻呂君に言わせればパワハラでしょうが、泣き寝入りしていただくこととしました(笑)。(同上) 撮影後は、元の草叢へ納めて上げました。雨が直接にかからないよう、当該草叢の空間を覆う小さな屋根を設け、左右をビニールで囲い風よけも設営。もし越冬するのであれば、少しは役に立つのかと思った次第。 しかし、水を舐めて水分を取ることも生命維持には不可欠であろうから、草をつたわって彼の近くまで水分が届くことも必要だろう。それは多分背後の石垣を伝わって流れて来る雨水が草の葉や茎を経由して彼の近くに届く筈。 雨をしのぐ屋根は、ある方がいいのか、無い方がいいのかは、判断に苦しむところであるが、一応、ある方がいいというのがヤカモチの判断。 I have a butterfly in my stomach.と言えば、緊張や不安で胃がしくしく痛む、落ち着かない、あがる、びくびくする、というような意味になるが、 I have a moth in my garden.は、ちょっと楽しい気分、とかになるのでしょうか(笑)。いや、むしろ「変わり者である」という意味になると考えるのが順当ですかね。
2017.12.25
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書斎に枯れ葉が舞い込んで来た。 と言っても、枯れ葉みたいな蛾、アケビコノハである。 虫の姿も殆ど見かけなくなった、この寒い夜に、何処から入り込んだのか、バタバタと部屋の電灯の周りを、比較的大型の蛾と思しき虫が飛び回ったのでありました。フェイスタオルを手にして、その飛び回る闖入者をはたき落としてみた。 (アケビコノハ)<参考>アケビコノハ・Wikipedia 木の葉そっくりの蛾。 少しピントが甘かったようなのが残念であるが、この見事な擬態を楽しんでいただきましょう。 撮影後は、ティッシュでそっと覆い、極力、翅を傷めないように注意を払いながら、包み込むようにして、これを捕獲。ベランダから外の闇へ、ティッシュを開いて、打ち捨ててやりました。もうそんなに長くはない命なんだろうが、我が家の庭の片隅でか、隣家の庭へと移動してかは知らねども、生きられるだけ生きよ、という次第。 本日は、ブログ記事を書く心算もなかったのであるが、妙な木の葉が舞い込んで来たので、急遽、記事アップすることとしました。<追記> 今朝(12/12)庭に降り立つと、昨夜の蛾が居ました。2階のベランダから投げ捨てた位置の直下の地面にじっとしています。 もう一度撮影させていただく。 真横からも。 正面からも。人相、いや「蛾相」や如何に。 掌に乗せてみると、肢を微かに動かしている。 寒いから身体を動かせないのであろう。 「凍て蝶」ならぬ「凍て蛾」である。 石の上に寝かせて撮影してみる。 顔の部分をアップで。 石の上では寒かろうと、柔らかな草の茂みの中へ入れて上げましたが、ほぼ冬眠状態にて、肢を微かに動かすだけ。既にして枯れ葉になっているこの蛾であるが、命尽きる時が近づいているようです。
2017.12.11
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本日は月例の墓参。 墓参の道にて見かけた虫は、蜂と天道虫。 よって8と10という次第。 (モンスズメバチ) スズメバチも色々と種類があるようだが、これはモンスズメバチという種類だと思われる。ツゲの木にやって来たこのスズメバチ。 見るとツゲには小さな白い花が咲いている。どうやらこの花が目当てらしい。 (同上) 花に首を近づけました。花蜜を吸っているよう。 先日、喫茶・ペリカンの家に立ち寄った際に、ももの郎女さんが店の前に沢山のスズメバチが来ていると仰っていましたが、その時の会話でスズメバチは他の虫をつかまえて肉団子にして食べる肉食だから花の蜜にたかることはないのではないか、などと小生の感想を述べたが、樹液にたかるスズメバチはよく見るから、やはり花蜜も舐めに来るようですな。 下の写真のように、この蜂、頭をすっぽり突っ込まんばかりにして、もうすっかり花に夢中であります。 (同上) 次は10です。テントウムシだから「10トウ虫」という駄洒落は余りにも低レベルの洒落でありますな。 星が七つあるから、これはナナホシテントウ。アブラムシなどを食べる肉食系のテントウムシである。ご覧のように葉はまったく傷ついていません。ナナホシだから10ではなく7として、タイトルは「8と7」とした方がよかったかも知れませんね。 (ナナホシテントウ) 少しカメラを近づける。 (同上) もっと、近づける。案外逃げない。気温が低くなると動きが鈍くなるから、逃げたくても逃げられないのかも知れない。理由は何であれ「テン逃虫」ではなかったよう。 (同上) 虫に関わり過ぎました。墓参と言えば、恒例の門前の言葉。 一度きりの 尊い道を 今 歩いている 一度きりのわが人生。その残高も少なくなって来ているが、この墓参の道もアト何回歩けるものであるかと思ったり、過ぎ行く時間はそれぞれがもう二度とは返らない時間、一度きりの時間であるのであれば、今日のこの道も亦一度きりの道とも言える、などと思ったり。 (今日の言葉) 振り返ると、ザクロの実。 パックリ割れて、「何を真面目くさって月並みなことを考えているのか」と何やら笑われているような気にも(笑)。そんなに笑わなくてもいいだろうと言い返しつつ、その大口を撮ってやりました。 (割れ柘榴) 先月の墓参で蕾のままであったので、何の花だろうと疑問を呈した花は、よく知っている花、アキノノゲシであったようです。通常は咲いた花の方に注意が行き、蕾のそれは見落としてしまうのだが、今回はむしろ蕾の方を注視。結果、前月のそれが90パーセントの確率でアキノノゲシであるという結論に達した次第。100%でないのは、これは近くの別の場所で咲いていたアキノノゲシで、前月に見た草の生えていた場所はすっかり草が刈られていて、その草が行方不明になってしまっていたからであります。(参考) 墓参・ナツメの実とムクロジの実ほか 2017.10.2. (アキノノゲシ) このような記事は、どのカテゴリにするか迷うが、一応「虫」にして置きます(笑)。
2017.11.04
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鶴は千年、亀は万年。「亀ハ萬年乃齢(ヨワイ)を経、鶴も千代をや重ぬらん」(謡曲「鶴亀」より)。 鶴亀は長寿を呼ぶめでたき生き物として愛される存在であるが、亀は亀でもカメムシとなるとことは違って来る。カメムシと言えば嫌な匂いを発する虫。葉などを食べることから害虫として駆除の対象となる嫌われ者ということになる。 我が家の北側の空き地に最近ニョキニョキと育ち始めた見慣れぬ草本に小さなカメムシを発見した。この空き地は最近そこに建っていた家が取り壊されてできたもの。 その家の主人は小生の妹と同い年で、小生が高校生であった頃、彼は未だ小学生であったのだが、その家のおばさん、つまり彼の母親に頼まれて暫くの間、彼の家庭教師まがいのことをしたことがある。その頃、西隣の家の中学生の高校受験のための家庭教師をしていたこともあって、うちの子の勉強も見て欲しいと頼まれたのかも知れないが、昔の事なのでその辺の記憶は曖昧である。どういう事情かは存じ上げないが、この程その家屋敷を売却して他所へ引越しをされました。で、この物件は不動産業者の手に渡り、家が取り壊され、土地の造成が始まったという次第。子どもの頃から見慣れた家屋敷が消えるというのは何やら寂しいものがあるが、是非に及ばずである。 話が脇道に逸れました。カメムシに話を戻します。カメムシがいた見慣れぬ草というのはこれ。 (見慣れぬ草本) <追記>小万知さんからアオイ科のイチビだと教えていただきました。 <参考>イチビ・Wikipedia よく見る草のようにも思うが初めて見る草のようにも。造成のために運び込まれた土砂に種が混じっていて芽を出したものか、何本も大きく育っている。アカメガシワを草にしたような姿であるが、小さな黄色い花を付け、既に実らしきものもなっている。その実にとまっていたカメムシがこれ。体長は1cmにも満たない小さなカメムシである。(ブチヒゲヘリカメムシ) カメムシの種類なんぞよくは知らない。 ネットで調べたら、ブチヒゲヘリカメムシとしてアップされている写真のそれがよく似ていたのでブチヒゲヘリカメムシとしましたが、正解かどうかは保証の限りではない(笑)。 (同上)(同上) で、これに先立つ日に同じ草にいたカメムシを撮影し、その折にも同様の方法でその名を調べたのですが、その時にはスカシヒメヘリカメムシと判断して写真の整理を行いました。それが以下の写真です。その折のネット検索では、スカシヒメヘリカメムシとして画像紹介されているものによく似ていると思われたのでありました。しかし、比べてみると上も下も同じ種類のカメムシに見える。もう一つよく似たのにケブカヒメヘリカメムシというのもいる。ネットのそれらがどの程度信用の置けるものなのかも不明。と言うことで、当記事写真の虫名のキャプションは、かなりいい加減なものと言うか、「これかも知れない」という程度のものであるとお心得願いたく存じます。(スカシヒメヘリカメムシ) (同上) カメムシも実に種類が多く、その姿の色や形も多様、奥が深い。そのデザインとしての面白さもある。ということで、今後も種類の異なるカメムシを見掛けたら、マンホール蓋の記事ではないが、写真に撮って掲載して行くこととしたいなどと考えています。過去の当ブログ記事でもカメムシの写真を何度か掲載したことがありますので、今回はそれらの写真も併せ再掲載して置きます。我がブログはカメムシもウェルカメなのである。(ブチヒゲカメムシ)(キマダラカメムシ)(キマダラカメムシの中齢幼虫)(キバラヘリカメムシ) はい、本日はカメムシ特集でありました。<追記・参考>虫関連記事目次はコチラ
2017.08.10
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柳の実、と思ってカメラを向けましたが、撮影しながら、柳絮(りゅうじょ)という言葉が思い浮かびました。柳絮と言えば春の季語。春になると綿毛の付いた柳の種・柳絮が舞うことから、春の季語となっている。してみれば、この夏の盛りに柳がこのような実を付ける筈もない。ひょっとして虫こぶかと帰宅してから調べてみると、果たしてその通りでありました。 シダレヤナギハオオコブフシという虫こぶだそうな。(柳の実ではなくシダレヤナギハオオコブフシ) もう少し近寄ってみるとこんな感じです。何れの虫こぶも葉の付け根に近い部分に出来ているが、実がこのようななり方をする筈もないことは見れば分かるというもの。(同上) この虫こぶはコブハバチの一種という蜂の幼虫が中に1匹入っているそうですが、割って虫の平穏を脅かすのもいかがなものかと、その撮影はしませんでした。どうしても見たいというお方は下記<参考>のサイトに写真が掲載されていますのでご覧下さい。<参考>東京23区内の虫2-シダレヤナギハオオコブフシ 幼虫の写真はコチラ 成虫の写真は見当たりませんでした。 虫散歩と言うからには他の虫も何か掲載しなければ散歩にならない。(蜘蛛の巣) で、蜘蛛の巣を写真に撮りましたが、クモは何処にかクモ隠れ。 空き巣になっていました。こういう写真の撮り方は「空き巣狙い」ということになって、余りよろしくないのであります。上の虫こぶと言い、この蜘蛛の空き巣と言い、虫散歩にもかかわらず、虫そのものの姿が見えませぬ。と言うことで、虫の姿の写った写真はと探すとトンボのそれがありました。(トンボと蓮) 蓮は極楽に咲く花。仏の座は蓮華というのが決まり。 先日はホトケノザの花にとまっているモンキチョウを写真に撮り、仏の座を狙う蝶、と駄洒落にしてみましたが、こちらのトンボも仏の座を狙っていると言えるかも知れません。このようなトンボは普通「極楽とんぼ」と呼ばれますが、そんな阿呆なことを言っているヤカモチの方が余程に極楽とんぼであるという説もあるそうな。(同上) このトンボ、余程にこの蓮の蕾がお気に召したのか、カメラを近づけて警戒心から逃げ去ってもすぐにまた戻って来るのでありました。遂には完全にカメラ目線でポーズというシオカラトンボ君(オオシオカラトンボ君かも知れません。)であるのでした。何か言っているようなので聞いてみると、ドウトンボリにトンボおりませんか?という駄洒落でした。ドウトンボリはとおりません、と答えて置きました。蓮花 いまだ咲かぬか 塩辛に 似たるトンボの とまりたる見む (蜻蛉家持)(本歌)ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉に たまれる水の 玉に似たる見む (右兵衛 万葉集巻16-3837) (注)万葉では蓮は「はちす」(蜂巣)と言うので、上の蓮花は「はちすはな」、蓮葉は「はちすは」と読んで下さい。
2017.07.16
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今日は或るブロ友さんの手術の日である。 手術が首尾よく成功し、お元気になられることを祈ります。 さて、昨日の日記で、墓参の帰り道は「花散歩」と言うよりも「虫散歩」であったと申し上げましたが、今日はその虫散歩の記事といたします。 先ずはトンボです。(シオカラトンボ)<追記> addzさんからこのトンボはシオカラトンボではなくオオシオカラトンボであるとご教示いただきました。調べてみるとその通りです。そもそも、シオカラトンボと別種のオオシオカラトンボというトンボがいるということを知らなかったので、単純にシオカラトンボとしていましたが、複眼の色が青緑色ではなく黒褐色であることなどオオシオカラトンボであることが明白なので謹んで訂正させていただきます。(2017年7月27日追記訂正) トンボは漢字で書くと「蜻蛉 」。この字はカゲロウとも読むが、トンボとカゲロウは漢字を共有しているのである。もっとも、カゲロウは「蜉蝣」という漢字表記もあるから、今は「蜻蛉」と書けばトンボを指していると言うべきか。平安時代の頃は空中を浮遊する虫を、トンボも含めて「かげろう(蜻蛉)」と呼んでいたよう。だから、蜻蛉日記は、かげろう日記であってとんぼ日記ではないということになる。 トンボの古名は「あきつ」である。 日本書紀雄略天皇4年秋8月の条の、雄略天皇吉野行幸の記事に、8月20日「河上の小野に幸(いでま)す。虞人(やまのつかさ)に命(みことのり)して獣(しし)駈(か)らしめたまふ。躬(みづか)ら射むとしたまひて待(お)ひたまふ。虻、疾く飛び来て、天皇(すめらみこと)の臂(みただむき)をくふ。是(ここ)に、蜻蛉(あきづ)、忽然(たちまち)に飛び来て、虻を齧(く)ひて将(も)て去(い)ぬ。」ということがあり、天皇はトンボのような昆虫までもが私に奉仕していると喜び、その記念として蜻蛉嶋倭(あきづしまやまと)という名を付けて残そうと宣言、「因りて、蜻蛉を讃(ほ)めて、此の地(ところ)を名(なづ)けて蜻蛉野(あきづのをの)とす。」とある。 (同上)(同上) さて、このシオカラトンボであるが、これは全てオスである。メスは下のようなトンボ。ムギワラトンボである。オスも最初はムギワラトンボと同じ黄色模様なのであるが、成熟したオスになるとこのように塩っ辛くなるという次第。 昨日は運よくシオカラとムギワラの両方を撮影することができました。(ムギワラトンボ) 雄略天皇に褒められたトンボであるが、それは肉食昆虫にて、他の虫を捕食するということのゆえである。雄略さんは「虫までもがワシに敬意を払い奉仕して居る」と自讃したようですが、手のこむらにかぶりついた虻も虫なのだから、虫全般にまで広げて言うのは、言い過ぎ、我田引水、ご都合主義、ええとこ取り、と言うものである。 虫には草食系のものもいる。むしろ、草食系の虫の方がはるかに多い。それらは農作物を食い荒らすとして「害虫」の汚名を着せられているのが普通である。テントウムシもそうで、肉食系のテントウムシはアブラムシなどを退治してくれるので「益虫」であるが、草食系のテントウムシは名前まで「テントウムシダマシ」と呼ばれて「害虫」なのである。 まあ、こんな風に葉を食べ散らかすのですから、害虫と呼ばれても仕方ないですかね。(テントウムシダマシ) (同上) 喰い散らかすと言えば、このような幼虫も然りである。 何の幼虫かは知らねど白い虫。白い恋人ならぬ白い幼虫である。 これを可愛いなどと言うと「黒い変人」にされそうですから、止めて置きます。(白い恋人ならぬ白い幼虫) そして、小さな蜂と蛾。ハチはハコベに、蛾は葛の葉にとまっていましたが、どちらも見落としてしまう小ささでした。(小さな蜂)(蛾の仲間) 蛾も種類が多過ぎて、その名前などは殆ど知らないのであるが、ツトガ 、ホソガ、ホソハマキモドキガなんかの仲間かも知れない。 そしてカメムシも見ました。ネットで調べると、ブチヒゲカメムシのようです。(ブチヒゲカメムシ) (同上)(同上) 以下は、昨日の撮影ではなく、もっと以前に撮影したものがマイピクチャに残存していましたので、「虫散歩」に協賛出演であります。 見えぬものでもあるんだよ、ではないですが、ホソムギの穂の写真を拡大してみると、こんな虫の姿がありました。 アブラムシだかダニだかよくわかりませんが、野草は気を付けないとダニなどの微小の虫を家に持ち込むことにもなりますので、採取したらよく気を付けて見たり、水でよく洗うこととしましょう。(ホソムギの穂にいたダニのような虫) そして、見えないと言えば、アワフキムシです。アワフキムシの幼虫はこのような泡を出して、この中に身を潜めているのである。 (アワフキムシの巣) トンボの後、妙な虫ばかり続きましたので、お口直しに蝶です。何処にでもいるモンキチョウです。仏の座を狙う蝶というのが、ちょっと面白いかと撮りました。(モンキチョウ) 下右のミノムシは随分以前の撮影です。蓑虫と言えば冬の季語、確かに随分の厚着ですから、この虫暑い、じゃなかった、蒸し暑い夏の日記に出すものではない、でしょうね。しかし、ミノムシはミノガという蛾の幼虫ですが、メスは成虫になってもこの蓑の中で生涯暮らすようですから、蓑の中は案外冷房がきいていて快適なのかも知れませんよ。 (モンキチョウと蓑虫) 本日は虫散歩でありました。 ナニ? オチが無い? ちゃんと付けましたよ。 実の無い話なので、最後にミノムシで蓑・ミノある話になったでしょ、という次第。
2017.07.03
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テントウムシの幼虫を発見。 蛹もありました。 見つけた場所は、花園中央公園の片隅にある桃の木。 虫は見るのも嫌いというお方はスルーして下さい。(ナミテントウの幼虫) 幼虫の姿からはテントウムシのあの愛嬌のある可愛らしい姿は想像できない。何やら獰猛な生き物という感じである。動き回っているのは未だ若い幼虫。じっと動かなくなっているのは、間もなく蛹に変態するのであろう。 (同上)(同上) 蛹になると、テントウムシの姿に近くなる。(ナミテントウの蛹)(同上) 成虫は盛んに動き回るので撮りにくい。カメラを近づけると葉の裏や枝の反対側に隠れてしまう。成虫を撮影するのは、気温が低い早朝がいいでしょう。気温が低いと虫は動き回ることができないから、じっとしている。(ナミテントウ・成虫) ナミテントウは最も普通に見られるテントウムシ。ナナホシテントウが赤地に七つの黒斑を持っているのに対して、ナミテントウは星のない無地のものから20個も星のあるものまで色々。地が黒で星が赤という反転タイプのものも居る。 ナナホシテントウが七つ星の模様の伝統的様式を頑なに守っている保守派なら、ナミテントウは自由主義者、好き勝手な模様の衣装をまとう革新派ということになる。 保守派も革新派も、そしてその成虫も幼虫も肉食派にて、アブラムシなどの小さな虫を捕食する。樹液や葉を齧る採食派は害虫ということになるが、この害虫を捕食する肉食派の虫は益虫ということになる。従って、テントウムシは益虫である。 子供の頃は、害虫は悪者で駆除されるのが当然、益虫は正義の味方で大切に守られるべきものと考えていたりもしましたが、益虫もその食料たる害虫が居なければ生きて行けない。正義は悪があることによってのみ存在し得るではないが益虫は害虫が居ることによって成立するのである。そもそも益虫・害虫も、この場合で言えば樹木や花や果物、野菜などを栽培する人間様の都合による分類に過ぎない。それぞれの虫がこの地上の生態系を維持する上でそれぞれの役割を担っているということであれば、ヒト様の都合でこれを攪乱してはいけないのである。 さて、このテントウムシたちが居た桃の木であるが、実が生っていました。(モモ) 桃の実は邪を祓う霊力があると信じられていたのでしょう。イザナギが黄泉の国へイザナミを訪ねて行き、逃げ帰る際に、追いかけて来る鬼女に対して投げつけたのは桃の実であった。鬼退治をするのは桃太郎であって、栗太郎や柿太郎でないのも同じ理由である。 桃の実はその表面に無数の細かい毛がある。これは虫の侵入を防ぐという機能もあるのでしょう。万葉では「毛桃」と呼ばれてもいる。わがやどの毛桃の下に月夜さし 下心よしうたてこの頃(万葉集巻10-1889)(わが家の毛桃の下に月光がさして、何やら心の中が楽しい。益々この頃は) (同上) 一つだけ赤く色づいている実がありました。 自然に熟したものか、中に虫が侵入してまだその時でないのに赤くなってしまっているのかは、見ただけでは分からない。芳香を発しているのだろうか、蝿だか虻だか小さな虫がとまっている。(同上) 桃の木の近くに欅の木があった。 何気なく見上げると沢山の実。はてさてケヤキの実はこんなであったのだろうかと近付いてよく見ると、それは虫こぶでありました。(ケヤキの葉に虫こぶ) これは、ケヤキフシアブラムシの虫こぶである。一つ割ってみたが成虫も幼虫もいないもぬけの殻。白い綿毛のようなものがあるばかり。もう孵化して外の世界へ飛び立ったよう。 それにしてもすごい量の虫こぶ。何万匹のアブラムシが生まれたのでしょうか。丹念に探せばまだ虫がご在宅の虫こぶもあるのでしょうが、ゴマ粒よりも小さいアブラムシですから、撮影するのは困難。ブログの役には立つまいと「むしこぶ」割は3個で止めました。 (同上) アブラムシはテントウムシの食べ物。アブラムシが大量に発生するケヤキの木の傍らの桃の木にテントウムシの幼虫が沢山居るのも首肯できるというもの。 しかし、それなら何故このケヤキそのものにテントウムシの幼虫が居ないのだろう。ケヤキそのものに卵を産み付ければ、孵化した幼虫は食べ物に不自由しないだろうに、と思うのだが、テントウムシの孵化の時期とアブラムシが孵化して虫こぶから出て来る時期とが違っていて、うまくないのかも知れない。 それに、このケヤキフシアブラムシは虫こぶを出るとスグに他へ飛んで行ってしまい、ケヤキの木にとどまるということはしないのだろうから、餌場としてはむしろ不適切なのかも知れない。(同上) 葉の裏に産み付けられたアブラムシの卵が出す何らかの物質の作用で葉がこのように変形して虫こぶとなるようだが、ケヤキはケヤキフシアブラムシの言わば保育園みたいなものですな。 以上、銀輪虫散歩でありました。
2017.05.22
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