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万事のキューちゃん・・・ 6年ぶりに公道復帰させた我が3MAだったけど、本日(3日)エンジンがほぼお亡くなりになりました・・・ 近場の峠に出動したのだが何度目かのパワーバンド突入後のアクセルオフ時に突然のエンジンストール。すぐに路肩に寄せて3MAを停車、キック数発で再びエンジンは掛かったが、アイドリングが不安定で耳をエンジンにかざすと明らかにクランク回りの回転音がゴロゴロとうるさい。クランクベアリングのご臨終、多分オイルシールもイカれているだろう・・・ ねっ、こういう時のためにメインエンジンの方をちゃんと組み上げておきなさいよっ、とあれほど口酸っぱく言っていたでしょっ!! ・・・と、もう一人のオレが言っていたのに・・・苦笑
2020年10月03日
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GWも終わっちゃったってぇ日に『3月の総括』って・・・もうこのブログもいよいよ終わってます、って感じですがなぁー・・・(;´Д`)ウェーンッッッ で、我が3MAエンジン、車両を新車で購入した20数年前の時からのシリンダー&ピストンままだったのですが、ついに終わりの日を迎える時が来ました。 -------------------------------------------------------------------------- 話題が前後してしまいますが、今年1月に『なんちゃってCRM80をまともに走れるようにしようっ♪計画』をダポさんと打ち立てて、AC型エンジンを一度しっかりとしたショップで診てもらうコトに決め、ダポさんの盟友Sさんが営む富山県の『クラブガレージ』にマシンごと預けたのは、まだまだ雪も吹き荒ぶ2月初旬のコト。 コレは4月の第1週目休日(4/7)に当地のタカスサーキットで開催される『UNDER99・春一番』に出場するためであるコトは言うまでもない。 そして、3月の中旬、『クラブガレージ』さんから出来上がったとの連絡を受け、ダポさんのクルマで受け取りに富山に向かった、の図。 サーキットを走るのに戦闘力&信頼性のある、いわゆる「NSR化」を色んな箇所に施していただいたワケなのだっ♪ それでは早速、新生CRM80のそのお手並み(=走りっぷり)拝見、とあいなりますわなっ♪ で、3月17日(日)、私達共通の某テストコース(?)・・・CRM80との比較車両として持ち出したのが我が3MAというワケだった。 まずはダポさんからニューCRMの試乗。(←というか、実際はその前からダポさんはすでに試乗済み。概ね好感触は得られていた。) ウォーミングアップもすでに終え先行するCRM、ダポさんが駆るだけあってコーナリングスピードがかなり速い。しかも上り区間にもかかわらず、我が3MAが付いていくコトすらかなりキツい・・・っていうか、我が3MA、ホントになんか苦しくねっっっ シフトダウンしてアクセルをひねってもパワーバンドの8千回転にも入ってくれないんですけどぉ~っ モォーーーーー・・・ (← 3MAの雄叫び!?) 第3コーナー(仮名)を越えた時にはすでに我が3MAのエンジンに何らかの異常があるコトを悟り、ワタシは一旦バイクを止めた。アイドリングを維持するコトさえ億劫そうな3MA。明らかに片肺状態になっている・・・ やがて、ワタシが付いて来ていないコトに気付いたダポさんは引き返して戻って来てくれた。 「全然付いて来ないから事故ったのか?と心配しましたよー。えっ、バイク、調子悪いんですか?ソレよりもCRMの方はかぁなりイケてますよーっ!yamasadaさんも一度乗って来てくださいよっ」 と、屈託のない満面の笑顔で彼はそう言う。 こうして、絶好調になったCRM80と引き替え(?)に我が3MAは次なる試練への幕開けとなった・・・ はい、つづく。
2013年03月31日
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我が3MA、このクソ暑い天候の中、よくがんばったっ!感動したっ!(←自画自賛!?) ・・・というコトで、今回のツーリング中の燃費計算実施中。 自宅出発地点 0.0キロ (自宅で満タン給油) ↓ 岐阜 高山市(初日1回目) 163.8キロ 給油 11.17L 燃費14.6KM/L ↓ 長野 上田市(初日2回目) 129.3キロ 給油 9.41L 燃費13.7KM/L ↓ 群馬 沢渡 (初日3回目) 88.1キロ 給油 6.00L 燃費14.6KM/L ↓ 新潟 上越市 (2日目) 172.7キロ 給油 13.18L 燃費13.1KM/L ↓ 富山 小矢部SA (3日目) 181.5キロ 給油 11.26L 燃費16.1KM/L ↓ 自宅到着 124.5キロ 給油 未給油 燃費未計測 自宅→→→392.5キロ→→→四万温泉 中村屋→→→165.2キロ→→→鵜の浜温泉 三景→→→302.2キロ→→→自宅 『総走行距離:859.9キロ』 ---------------------------------------------------------------------- 今回の燃費の検証: 白根山を登下山(ルート292)した2日目時の燃費はやはり芳しくなかった。コレは峠をぶっ飛ばしたからではなく、渋滞していたのでストップ&ゴーを繰り返したためだと思われる。また、3日目の北陸自動車道を使用した帰路にはまあまあの燃費を稼げたとも思う。いずれにしても我が3MAの燃費は、4ストキャブ車の1.2リットルクラスバイク並みしかない・・・orz ---------------------------------------------------------------------- 昨年、SPキャブ(ミクニTM34SS)に載せ換えて、おおむね回転全域でΦ32キャブを上回るパフォーマンスが出来るようになったのと、高速高回転域を約10分間持続させたり、高回転域からの急スロットルオフの繰り返しを行っても特に問題がなかったコトから、自分なりに大丈夫だと確信が持てたので一部公表しておきます。 ミクニTM34SS(CDI&YPVSユニット:3MA-01) MJ:#3△0(Φ1.×0ミリ){※1} MAJ1:#145 MAJ2:#160 MAJ3:#160 PJ:#17.5 PWJ:#10 JN:6ZL10 MN:Q-8 N段数:3 C.A:6.0 『常時ハイオク使用 F3 SUGOチャンバー仕様』 {※1}のMJ#は控えます。また、パワーバンドに入る瞬間(約8千500回転)頃がまだ若干濃いようなので、MJを絞ってPWJ#をポンッと上げる方向も探っていきたいと思います。 あくまでもストリートユーズとしての考えによる仕様です、サーキットではもちろん通用しないと思います・・・
2012年07月18日
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・・・に参加して来ました。 『LEGEND』というのは、ヒデさんが学生時代の仙台で作ったツーリング仲間のチーム名。 ヒデさんがコチラに移り住むようになってワタシも初めてお誘い受けたのが6年前のコト。 その時のツーリング旅行はとても楽しかったし、メンバーの方々が面白くて素晴らしい人達ばかりだったので、ソレ以後も毎年参加させてもらいたいくらいだったのだが、それ以後は地場産業の行事で行けなくなってしまった。 しかし今年こそは、日程的にナンとかなりそうだったので参加させてもらうコトにした。 7月14日(土)A.M.5:15 ヒデさんとの待ち合わせ場所のコンビニ駐車場。 自宅出発の時、空模様が気がかりだったワタシだが、合羽は着ずにそのまま出発と決めた。 だって、久しぶりの参加でいきなりの遅刻はやっぱりマズいですもんね、集合時間も「A.M.5:15」って 分刻み で決められてるワケですし・・・ で、ワタシはA.M.5:05にはちゃんと到着しておりましたよ、ヒデさん♪ で、待つことしばし。集合時間&集合場所を決めたヒデさんが登場~っ。 お時間は A.M.5:30 でございましたっw ヒデさん:「いや~、天気が怪しかったモンだから、出発間際で合羽着て、やっぱり蒸すもんで途中でまた脱いできましたよー。」 ちなみに今回、現車を見るのは初めての『ホンダ CB1100F アメリカ仕様』。 ビキニカウルに角型ヘッドライトという装備が珍しい。 とにかく雲行きが相変わらず怪しいままだったが、合羽は着ずに2台は出発した。 国道158号線を使い、まずは昼食予定目的地の長野県松本市(自宅から260キロ地点)を目指す。 ・・・が、もちろんトイレ休憩は必要です。岐阜県高山市街地手前の『道の駅ななもり清見』(自宅から140キロ地点)で小休憩するコトにした。 その駐車場に入ると見慣れたクルマ・・・越前SRさんのT360「オリジナルカラー:零戦色」が停まってましたっ♪ 『安曇野発動機運転会』参加のために向かっている彼でした。 彼と挨拶を交わした後はヒデさんとまったり・・・ さらに先に進んで、松本市内へ。中央道から馳せ参ずるZ@京都さんと合流する昼食場所「白糸の湯」までの道程でかなり迷い、たどり着いたのは予定より大幅遅れのP.M.12:20頃だった・・・Z@京都さん、サーセンッ! ・・・ところで、アレレ?ハンドルネーム通りのマシン・・・カワサキZ2RSは? そうですか、マジェスティですか、ああそうなんですか・・・ さらに進んでようやく群馬県入り。もう後少しで宿に到着って時についに雨に降られました。上画像は国道292号線から県道55号線に入った「日本ロマンチック街道」・・・って、ナンてスケールの大きい素敵なネーミングなんだっ! ・・・こうしてP.M.4:30頃にようやく1泊目のお宿、四万温泉『中村屋』に到着。 途中の雨で合羽着て、さらに気温湿度ともに高かったので、身体はグショグショ・・・ほぼ下道(←「白鳥」~「飛騨清見」間のみ「東海北陸道」を使用)の392キロ走行。 もっちろん疲れましたとも・・・ナニせ3MAなモンで・・・(苦笑) 青森県から参加のブツさん(GPZ900ニンジャ)と神奈川県から参加のY本さん(トライアンフ スクランブラー)はすでにもうご到着された様子。 ・・・客室からの風景・・・ 翌朝、さらに2泊目の宿、新潟県上越市に向けて出発・・・の風景。 神奈川県藤沢市からお越しのI藤さんは、数ある所有バイクの中、今回ヤマハSRX250(セル付き)でのご参加。 へ~っ、SRX単気筒シリーズの中で250ccエンジンだけはツインカムエンジンだったのですねっ!ワタシ、今まで知りませんでした・・・ そして、そのI藤さん、残念ながら翌日はお仕事のため1泊のみの参加で、この日でご帰省でした。 今年の幹事役、Y本さん。 今年、念願だったブツさんのニンジャ、ようやくナマで拝見させていただきました。 「もうイジくる箇所がない」というくらいにカスタムされ切ったニンジャ・・・ご馳走様でした。 2日目は、国道292号線で草津温泉経由で白根山に登り、また下山(?)して長野県入り、さらに北上して新潟県上越市鵜の浜温泉『旅館三景』までの総走行距離165キロ。 白根山のロケーションがヒデさんには大絶賛だった・・・ボクは正直ツラかったですぅ・・・クルマで渋滞してたし、硫黄臭いし、3MAの水温がみるみる上がるし、常に「上目遣い」を強要する乗車姿勢で額あたりが痙攣するし・・・(苦笑) 2日目の夜のうたげ風景。 2泊目のみのご参加は、宮城県仙台市からお越しのO野崎ジュニアさん、今回はクルマ(ジムニー)でした。 カスタムHDじゃなくて残念でしたが、2週間前の北海道ツーリングでタイヤを丸坊主にしてしまい、履き替える予算がなかったのでクルマにした、とのコトでした。 ・・・ついに来ちゃいましたね、最終日・・・楽しいコトはいつも「あっちゅう間」・・・ 宿前で皆さんのバイクと記念撮影をして、方々へ解散です。 ヒデさんとZ@京都さんとワタシは、北陸自動車道を使ってひたすら福井、または京都をそれぞれ目指します。 それにしても最終日の16日(月・祝)は、めちゃくちゃ暑い日でした。宿を出たA.M.10:00直後には外気温がすでに33度を越え、富山を通過する頃の高速道路上は36度を指していました・・・ソリャァ、ヘバリマスガナァ~ッ\(´Д`;)/ P.M.2:30には我がガレージに無事帰還。 3日間の汚れを洗ってやるコトにした。 ありがとうございました、LEGENDメンバーのみなさん ありがとうっ、無事に帰してくれた我が3MA・・・おん年23歳のある意味更年期世代のバイクなんですがな・・・
2012年07月17日
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先日の『祝・我が3MAリアフレーム矯正記念』の画像が、携帯の電池切れであえなく撮り損ねてしまいましたので、今一度撮ってみました。 クドくてスミマセン・・・ タコメーターの修理のためには、アンダーカウルならびにアッパーカウルを外さないとメーターユニットまでアクセスできない。 いや、アンダーカウルは付けたままアッパーカウルだけを取り外すコトも可能なのだが、結局はメンドくさい・・・補機類を外す際に取り外したナットなどをカウル内に落っことそうモノなら、涙が止まらない・・・(← 経験談) で、タコメーターの無事修理完了後、上画像がアッパーまで取り付けたトコロ。 ホイッ、完成形♪ なにげにリアスタンドに載せてみたトコロ・・・いや、アンダーカウル取り付けの際にスタンドは今回確かに使いましたが、撮影のためにいったん外したのにまた載せた次第デス。 そうそう、リアビューこそが本来の姿にせっかく戻せたワケだから、コチラを撮っておかないと・・・(苦笑) はい、めでたしめでたし。 以上、自己マン世界でした~。
2012年04月05日
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本来のあるべき姿に戻れた我が3MAを記念いたしまして写真撮影。 ハーイ、かっこよくなったねー。(←棒読み)パシャッ! ハーイ、いいよいいよー。(←再び棒読み)パシャッ! ・・・フッ・・・(←携帯カメラの画面が切れる音) もぉっ!早くも電池切れかよっ、チッ! 『はーい、終了~』
2012年04月01日
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一昨年から我が3MAにはちょっと気になっていたコトがあった。 というのは、我が3MAはリアホイールを17インチ化したのと同時にそれ相応のリア車高のかさ上げをさせてはいるつもりだったのだが・・・いつからだかは分からないのだが最近リアエンドのラインがやけに低いような気がしてならなかった。 そういや、他さんの3MAと並べてみた時・・・ 例えば、Iさんの3MAや・・・(↑) カッチン(Katze)さんの3MA(↑)と比較してみるとやはりテールエンドの位置がワタシのは低い。 そして、さらに気になっていたコトがコレ(↓↓↓) ↓↓↓・・・ズームアップ・・・↓↓↓ 本来、ライディングシートの後ろ部分は、その後方タンデムシートに繋がるカウルの立ち上がり部分とほぼ密着していたはず。(←ちゃんとした記憶がある、ホッ、ケンボージャナイヨ!) また、タンデムシートとリアサイドカウルの繋ぎ目にまで隙間が出来てしまっているコトも気がかりな点だ。 リアカウル取り付けをどう頑張ってズラしてみても隙間をキチンとは埋められなかった。 「やはりリアシートフレームが曲がってるのか???」 リアフレームをストリップにしてみて真後ろから眺め倒してみても左右が歪んでいるような気配も感じられないし、フレームが曲がった時に出来る不自然なヘコみやツブれも目視では見当たらない。はて??? で、過去の我が3MAの画像を眺めてみるコトにした。 2006年春、3TJ(FZR400RR)の前後ホイールで17インチ化したばかりの時。フムフム・・・ 2006年秋、忠男チャンバーからSUGOチャンバーに交換、結局忠男リアフェンダーは外しちゃった時。フムフム・・・次っ。 2007年9月、レース仕様カウルにして『FIGHTERS』参加の時。フムフム・・・次つぎっ! 2007年10月、普段使いのカウルに戻した時。フムフム・・・ハイ次っ! ついでに、我が3MA以外でも比較、カッチンさんの3MA・・・フムフム、次っ! 2009年11月、約1年半の歳月を経て復活の我が3MA・・・んっ!?んんんっっっ タンデムシート座面の前後方向の角度が違うっ あーっ!やはりあの時なのかぁ・・・ 2008年4月・・・ワタシはやらかしていたのです・・・当時の修理してる時はメインフレームやフロントフォークに曲がりが見当たらず、多少ダメージを受けてたスイングアーム等は交換してコレで完全OK!としていたが・・・リアフレームも何らかの曲がりがあるのはまず間違いないと考えるしかない。 で、ワタシは『曲がり歪みナシ!』を謳うリアシートフレームをオクで買ってみるコトにした。 商品到着後、早速採寸・・・あぁ、こうなっておりましたか・・・(↓↓↓) 届いたシートフレームの寸法、かなりサビが目立ちますなぁ。 そして、我が3MAの寸法・・・つまり・・・ 転倒時の我がケツの強打でリアフレーム立ち上がり部分が後ろに押されたってワケですな。 ソレに伴い、タンデムシート取り付けの前側ブラケットが約6ミリ後方にずれ、シートレールのリアエンドでは1センチ強も下側を向く、って具合です。 せっかくガンメタ色でキレイに塗ったリアフレームだったが、その時はすでに曲がっていたというコトか・・・orzガックリ~ッ そうと分かれば、リアフレームの曲がりを直してみますか・・・いや、 せっかく買ったんだからコチラを塗った方が手っ取り早いですよねぇ~。 っつうコトで、ただ今サンドブラストしてプラサフ塗装の乾燥中・・・
2012年03月29日
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ワタシの友人が経営しているクルマ鈑金塗装屋 『NULYZAL』(「ヌリザル」←ブログは長らく休載中・・・クショウ)では、プロテクションフィルムなるモノの施工も一昨年くらい前から取り扱っている。 いわゆる高級車、高級スポーツカーなどが、高速走行中に飛び石による主にフロントグリル周りの「塗装チップ」を防ぐための防護フィルムだ。 透明色のフィルムで弾力性&柔軟性を併せ持ち、瞬間的に凹んでも復元力(回復力)がある。 残念ながら商品名は失念してしまった(今度聞いてみよう・・・)が、国際的有名車(ベンツ・BMW・RR・キャデラック・セルシオ・・・etc)のカッティングパーツシートをほぼ完全網羅。 たとえ上記ラインナップの中に入っていない車種だったとしても、シート巻のフィルムからオリジナルのカットを作り出すことは比較的容易だとも聞いた。 ・・・が、お値段も相当イイッ ・・・デスネ・・・(苦笑) ワタシには縁のない商品だと思いました・・・たとえ愛おしいエスであるとしても・・・orz だが、今年の春ごろ、その『NULYZAL』さんが、「バイクのカウルもこの商品(プロテクションフィルム)のラインナップに加えてみたいから、yamasadaのTZRで一回試させてくれないか?」 とおっしゃる。 「どうぞどーぞ、よろこんでーっ」 で、彼らにしたら早速我が3MAのアッパーカウル『防護フィルム貼り』に取り掛かる手筈・・・だったのだろうが、ワタシが別の注文もついでにお願いしちゃったモンだから、彼らは出鼻をクジかれた思いだったコトだろう、多分・・・ゴメンチャイ! ワタシがお願いしたコトはというと、その施工をしてもらうカウルが『予備アッパーカウル』であり、純正色の「ブイマックスブルー」ままではあるものの、ミラースティの耳の部分にお決まり(?)の亀裂があるシロモノだったので、修理を加えた上で元色を全塗装してからフィルムを貼ってくれ、という依頼だったモンでぇー{※ 塗装のハナシは後述。}・・・ホントーにゴメンチャイッ!! 結局、塗装が済んで本題の『フィルム貼り』が開始されたのは、GWも明けた6月半ばだった、と思う。 3MAのアッパーカウルは、「なかなか手強い」相手らしい・・・思ってた以上にラウンドがキツい『3次曲線』を描いており・・・ この防護フィルムもかなりの伸びで曲面を追従できるコトを謳い文句にしていたらしいが・・・ ご覧の通り、片面の貼り(張り?)具合に追従させるコトでいっぱいいっぱい、もう片側の面は伸び代&戻り代がまったく取れなくなって「シワ」を消すコトができなくなってしまった(そうだ)。 ・・・無念じゃ・・・ で、『NULYZAL』さん、再チャレンジしてくれたのは9月に入ってから。 ようやく完成~っ あー、なるほど。中央のエンブレム付近で「シワ」をわざと作っておき、両側同時にフィルムの伸び代を満遍なく使い切る方法で貼って行ったんですねっ! 赤線部分が、防護フィルム貼り箇所。 中央のヘッドライト穴の上で、どうしても出来てしまう「シワ」の逃がし箇所を設け、YAMAHAエンブレムに沿ってその「シワ」の摘出処理を行ったモノと思われる。 イイ仕事してますね~っ!・・・アタマでは理解できても、ワタシにはとても出来そうもありませんが・・・ そして、別部品である『ナックルガード』(←銀色のパーツ)にもご丁寧に『プロテクションフィルム』が貼っていただいてありました。 コレにて、我が3MAも・・・『飛び石にも安心っ』 ・・・でも、もちろん『転倒キズ』をも防げる商品ではないんですよね・・・気を付けましょー・・・ {※ 3MA純正色塗装のお話} 我が’89年型3MAは、黒銀色。黒色部分のヤマハ識色番号は『AU』、色名を『ブイマックスブルー』と云うが、基本的に黒基調の色ではある。 一方、’90年型3MAにも『フェザーブラック』(識色番号:000K)という黒基調のラインナップがあるが、調色をする場合の’89年型の『ブイマックスブルー』ときたら、『フェザーブラック』とは比較にならないほど表現するのにこんな難しい色は無い・・・と、思われる。 普通に蛍光灯の下で見たら、黒の塗料の中に細かめの「青色フレーク」が入っているだけのように見えるのだが、太陽光の下では『赤紫』とも取れる色味にも見える。 ・・・で、素人のワタシは単純に「黒の中に赤を少量混ぜて、青フレークとの色合いとも反応して赤紫に見えるのではないか?」と推測していた。 残念ながら、クルマの塗装色台帳みたいにバイクの調色には『カラーチャート』や『調色表』がないので、本職の塗装屋さんとて「手探り調色」しか方法はない。 で、『NULYZAL』の社長&スタッフのシマちゃんは、調色力(?←っていうの??)に長けているヒト達のように思う。 今回、彼らによって調色してもらった『ブイマックスブルー』は、純正色ずばりそのモノで、太陽光の下で同じように赤紫色に輝いて見えた。 「・・・で、黒にやっぱり赤を混ぜたの?」 というワタシの問いに、 「ううん、黒に○○○色を○○○%だけ混ぜた。」 ワタシの予想に反し、あまりにも意外な色だったコトに驚いた。 彼らとしても、今回の調色には少々手こずったらしいが、何はともあれお見事だ、とワタシは感心しきりだった。 『ブイマックスブルー』、ヤマハ識色番号『AU』は、彼らの『データ』に今もしっかりと保管されているハズである。 ・・・あ、ニッチ過ぎてどーでもイイ事ですか?・・・デスヨネ。
2011年11月09日
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本日、5月1日(日) 天気:雨 先週の日曜日(4/24)、今年お初となるバイクツーリングに出かけるコトになった。 ミクシィ繋がりのいのうえさんからお誘いをいただいたからなのだが、今月は平日休日を問わずいろいろと物事があり過ぎたので、なかば「ゴリ押し」・・・家庭サービスも何のそのっ!ってな具合で強行したワケ・・・あとが怖かったですけどネ。 で、あの日のツーは不運にも午後から土砂降りの雨にタタられたので、我が3MAは泥だらけとあいなりました。 そういうワケの本日のお掃除でした・・・やっぱ雨にタタられたけど・・・ いちおうキレイ♪キレイしてみました。 -------------------------------------------------------------------- 4月24日(日) 天気:晴れのち雨 方面:R27若狭~京都府R162周山街道 ・・・またやっちゃいましたよぉ・・・寝坊。 いのうえさんからの電話で飛び起きたのだが、集合時間の午前7時をすでに15分も過ぎていた。 集合場所まで2,30分はかかるので、平謝りに謝り倒して、皆さんには先に行ってもらうコトにした。 しかし、ワタシって駄目ですねぇ、初顔合わせのカタが大半のハズのツーリングって時にこの大失態・・・深く反省デス・・・。 で、独りかっ飛ばして走るコト約40分・・・TRG市からR27に乗り、MHM町の『ドライブイン千鳥苑』で休憩している彼らに何とか無事に遭遇するコトができた。総勢14台・・・だったかな。 ・・・途中行程はすべてハショる。 ココ(↑)は、午前11時ちょっと過ぎには到着し早目の昼食を摂る場所となったR162『道の駅 ウッディー京北』。 このツーリングに実は、ダポさんも参加予定だったのだが、家を出て早々のマシントラブルで、再出発するコトが大幅に遅れていた。 トラブルが解決できて二度目の出発ができたのは午前9時半を回ってのコト(だそうだ)。 不幸にもハンドフリー携帯をダポさんはもちろん、他の誰も持ち合わせていなかったために、電話やメールでのやり取りが終始チグハグになってしまった。 そのため、ココ『ウッディー京北』で休憩している我々にダポさんは気付けずにスルー。 ・・・気が付くと彼は京都市内・金閣寺の前に出ていたそうだっ!(← 我々団体はR477で滋賀県朽木方面に向かう予定だった。) ・・・ってコトで、その後の話もスルー。 実際は、順路と燃費の覚え書きデス・・・(クショウ) 記 道程:R8→R27→県道35→R162→R477→R367→R27→R8→県道18→ウチに到着 総走行距離:378キロ 燃費:148キロ 9.5L 15.57キロ/L 230キロ 13.5L 17.03キロ/L 以上
2011年05月01日
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ココ最近、納期を急かされている商品&修理品の手配に追われまくっている・・・ で、土・日の休み返上、お仕事お仕事~っ ・・・とはいえ、土曜のこのポカポカ陽気・・・久しぶりにムズムズする気持ちを抑えるコトはできそうにない・・・デヘヘ、ちょっとだけ出かけて来ますかぁっ 3MAを走らせたのは昨年の12月が最後、つまり今回4ヶ月ぶりのライディング。 タイヤにはもうすっかり『長期冬眠の証し』、「青紫色に滲むゴム油の染み出し」が確認できる。 さあっ、一皮剥くべ、剥くべぇ~っ! 走り出してみてちょうど良い心地の風を一身に感じながら、IKD経由でMYM方面へ。 そして、国道158号線へ一度入った後、朝倉氏遺跡(『SoftBank』の冬季CMロケ地)前を通り、再度IKD方面へ~っ・・・で、ウチに戻るつもりが、まだ走り足りた気分にはなれなかったので、さらに旧IMDT・IKD間の2本の峠道をローリン、ローリング~ 峠途中の俯瞰休憩ポイントでホンダのSS、CBR1000RR(ファイヤーブレードだったかな?)のカタと遭遇。 気軽に話しかけてこられたのでそれに応えると、そのカタもナンとっ!、3MAを大事に持っているとおっしゃるではないですかっ! ハイ、ですからもちろんマイミクになってもらいましたっ 以上っ、はい、ではまたお仕事お仕事♪
2010年04月10日
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・・・はぁ~・・・たまぁ~にあるよね、ブログ書き込んでる最中に『Internet Explorerの予期せぬ不具合の発生によりウンタラカンタラ・・・』で、『・・・失われた可能性があります。』と締めくくられる問題発生による警告文。 いや、可能性もナニも、いつも100パーセントパァ~!ですわっ!コンチキショーッ!! 今回の書き込み、長文の末、ほぼブログアップ寸前で起きましたヨ、ヤッテランネーゼッ!オレの時間返せーっ、プンプンッ ・・・で、力尽きたので、ほぼ画像のみの掲載で終わらせていただきます・・・ ↑漢の宴↑ ↑福井弁的にいうと「刺身のごっつぉ」(ご馳走)↑ 『影の本部長』ことN村さん&HDスポーツスター。 ワタシとは大学時代からの友人、タメちゃん&HDファットボーイ。愛車はアルファSZザガート(通称:モンスター) T川さん&BMW1100RS。N村さんの高校からのご友人。 N路さん&CB1300SF。元はオフ車乗りだったのだが、N村さんにそそのかされて×、訂正、誘われて○、オンロードの世界に入る。今はCBを心から可愛がっているご様子。 今回、ワタシはお初。M田さん&バンディット250、彼もまたあわよくばHDを、と目論んでいる一人??? 往路は所用で同行できず、後追いして宿泊先をひたすら目指して来られた。到着時間は夜の7時過ぎ。 馴染みの無い場所ゆえにさぞ心細かったコトだろう・・・ ヒデさん並びにN村さん直属の部下、T島くん&ビラーゴ250。元は1100カタナ乗りだったのだが、彼の経済観念の確かさ(?)がそうさせるのであろう・・・フラフラとした言動の持ち主だが、実はライディングの安定感はピカイチ!? M村さん&HDローライダー。XJR1300から昨年乗り換え、ヤマハ党のワタシとしてはヒジョーに残念である・・・(苦笑) 大T口さん&CB750FOUR(K2)。他にも多数のバイクを所有されている。W1、オールドHD・・・たくさん聞いたので忘れちゃったっ♪数ヶ月前、フラッと福島・会津磐梯山までK2で一人ツーリングされたらしい・・・ふらっと行く距離と違いますよ・・・ 『いつも名幹事役』のヒデさん&カタナ。もう多く語る必要もあるまい・・・いや、昨夜はチャンと書き込んだんですけどネ・・・吹っ飛んじゃいましたヨ・・・(クショウ) 《画像提供:いつものヒデさん》 ありがとうございます。 ------------------------------------------------------------------ 今回のツーリングでの距離&燃費 地元フルタンクで出発 → 1回目の給油 138キロ 8.4L 16.43キロ/L →宿泊先給油後112キロ地点(総計250キロ)→2回目の給油 188キロ 12.5L 15.02キロ/L →地元のGSにて3回目の給油 175キロ 10.4L 16.82キロ/L 走行距離 計501キロ ・・・以上です。 ・・・orz・・・
2009年10月18日
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10月11日、12日の二日間かけて、毎年恒例『京福友の会』一泊ツーリングに行って来た。 ワタシにしてみれば、1年半ぶりのツーリング・・・どころか、1年半ぶりのバイク走行である。 やっぱり目的さえあれば何とか期日までに仕上げられるモンだ(=もちろんヒト(ダポさん)の手も借りてw)、と改めて実感した次第だ。 今回向かうトコロは、北京都は丹後の国・網野町小浜(こばま)海岸の温泉宿。 ルートは国道8号線→若狭街道・国道27号線→丹後半島一周(経ケ岬経由)・国道178号線の片道約250キロの旅。 超久々のツーリングとしてはまあまあの距離ですなぁ。(←ウソ。結構疲れました・・・) 我が3MAの方は、結論を先に言えば大きなトラブルもなく快走! ただ、初日の走行途中でテールランプの電球が1ケ切れただけで済んだ。 今回の参加人数は10名、もちろんバイク台数10台である。 『京福友の会』発足以来、最高の参加台数になったワケだ。 バイクの種類もいろいろ、CB750Four(k2)、カタナ1100、3MA、BMW1100RS、ビラーゴ250、バンディット250、CB1300SF、HDファットボーイ、HDスポーツスター、HDフォニャララ(ア、ローライダー)・・・(←だいたい古い年式順・ホント、さまざまデショ!?) 古いバイクから比較的新しいバイクまでに40年以上の開きがある。 で、ソレらに乗るオヤジ達も上は51歳(←同年4人・ほぼ偶然)から下は31歳(←同年2人)までとコレまた結構な開きだね。 あ、そうそう。行きの若狭街道(国道27号線)上のコンビニでワタシ達が休憩していたトコロ、赤いエスが2台、颯爽と走り抜けていきました・・・1台はエスハチ、もう1台はエスロクの様でした。AHSM(オールジャパン・ホンダ・スポーツ・ミーティング)にも参加経験のあるカタ達かな? ↑経ケ岬にて↑ ↑泊まった宿『シーレイク浜招月』さん前にて。↑ ↑ワテ。↑ ↑翌日(復路)の立ち寄り処、琴引浜(ことびきはま)にて。(カミングセンチュリー組)↑ ・・・はい、今回もいつものようにワタクシ、デジカメ持参しながらただの1枚も撮るコトはございませんでしたっ、テヘッ♪ で、上の画像提供はすべてヒデさんでございます。 また、ご参加の皆様からの温かな『画像』を随時受け付けております、どうぞよろしくお願い申し上げます・・・
2009年10月14日
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’89と’90のTZR250(3MA・SP含む)は、『ビッグマイナーチェンジ』といって差し支えないほどに変更箇所は多岐に及んでいるコトはご周知のとおり。 エンジン内部(クランクシャフト含む)、補器類、メインフレームの補強、正立&倒立Fフォーク、Fブレーキシステム、リアスイングアームetc・・・ で、ワタシが今回ご紹介するのは、もっともっとマイナーなトコロ。 ・・・っていうか、どうでもいいようなトコロ・・・(苦笑) 約3ヶ月ほど前、地元のYSPさんトコロの店頭に並んでいた’89TZR250(黒)を見せてもらっていて気付いたのがコチラ(↓↓↓)。 クーラント液サブタンクの取り付けボルトに共締めされた『ケーブルホルダー(スティ)』。 もちろんそのやや前方にも別の『ケーブルホルダー』がちゃんと存在しているにもかかわらずである。 「アレ!?店長さん、3MAにこんなの付いてましたっけ?」 店長:「えっ!?さあ、どうだったかな~?yamasadaくんのには付いてないの?」 で、早速このお店のPL(パーツリスト)で調べてみたトコロ・・・ あ、’90のPLには掲載されているけど、’89のPLには載っていない・・・ 我が’89型3MAの車体番号は1万2千番台後半、いわゆる’89型の後期型に属するワケだし、当時新車で購入した車体である。 ああ、そうかっ’89型が新発売された当時、スロットルケーブルの第1分岐点がステアリングを左右にきる度にケーブルまで前後に動いてよく折れたので、ソレを防止(抑制)するために追加されたパーツなんだなっ! ・・・ってコトで、即購入。そしてすぐに取り付けてみた。 んんっ!?・・・あんまり意味ないような気もする・・・ が、こんな感じで他にも部品変更や追加パーツがないか興味を持った次第だ。(←ヒマ人) で、他にもこんなの見つけました・・・(↓↓↓) 左アンダーカウルの下側を固定するブラケット・・・ ・・・に溶接されたガソリンドレンホースのホルダー。 コレは、我が3MAにも付いていたが、どうやら’89型の中期以降に変更されたパーツのようだ。 確かに’89型のPLに記載されているイラストにはブラケットにホースホルダーは付いていない・・・(※)。{※ 上画像は、’90の3MA5(グリーンカウルのヤツ)タイプPLの誤植頁部分から抜粋したモノ。だから、末番部「00」はワタシが訂正を加えた。} 他にもホルダー類には『クラッチワイヤーホルダー』や、ラジエーター上部左側の取り付け箇所に共締めする『スロットルワイヤーホルダー』も仕様変更を受けているみたいだ。(←ワタシはまだ現車で未確認。) そして、コレ(↑↑↑)。 ’90型の3MAのPLのみに記載されたクラッチレバーの根元に付いたスイッチ、’89型にはこのスイッチの存在すらない。 ’90型の3MAにはほとんど乗ったコトがないワタシには想像でしかないのだが、 『このスイッチは、サイドスタンドを立てたままでもクラッチを切っていればニュートラじゃなくてもエンストしない機能を持たせている。』(=’89型はサイドスタンド立てたままだとニュートラ以外では常時エンスト) ・・・という解釈で、O.K??? ええ、皆様に他愛もない質問でございますぅ・・・ 【訂正:本来PL(パーツリスト)と表示したかったトコロをSM(サービスマニュアル)と表示してました、訂正しておきます '09.10.2 】
2009年10月01日
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3MAのFフォークのOHがだいたい完了した。 (上画像の時点ではまだスプリングやディスタンスカラー、フォークオイルは入れてない状態、インナーチューブのスムーズな動きの確認作業。) 以前に某オクで『3MAの新品部品』群を入手するコトができ、その中にはFフォークのインナーパーツのほとんどが入っていたので、今回ソレらをもったいがらずに使っちゃおうと心に決めていた。 で、今回Fフォークを分解したトコロ、本来分解時に交換すべきスライドメタルは見た目にもたいした磨耗も見当たらず、意外にもフォークオイルさえキレイなままだったコトに驚いた。 思い返してみると、5年前の水害直前に一度FフォークのOHをしていたコトが思い出された。その直後の被災で我が3MAはエンジンこそOHせざるを得なかったのだが、その他の部分はほとんどそのままの状態だった。幸いにもFフォーク内はほとんどダメージを受けるコトもなく、またソレ以降あまり距離を増やせなかったコトも要因だったのかもしれない。 ともすると、新品パーツともほとんど見分けが付かないディスタンスカラーやスプリングなんかは果たして交換する必要性なんて本当にあるのか?、という疑問も湧いてくる。 そこで、今まで使用していたスプリングも、新品スプリングと比較し、3MAのサービスマニュアル(以下、SM)に基づいて検証してみるコトにした。 SMには、スプリングの標準自由長が293.7ミリと記されており、また使用限度自由長が288ミリと載っていた。 で、実測してみると・・・新旧いずれも296ミリもあるではないかっ!? 以前に何かのクルマの書物で読んだ興味深いハナシがある・・・「サスがヘタったなぁ。」とか「ダンパーがヤレてきちゃったよぉー。」などとヒトが感じる原因というのは、すべてにおいてひとえに、減衰側・ショックアブソーバーの劣化によるモノであり、スプリングの劣化によるモノではないというハナシ。 スプリングというのは、常時の荷重や使用時の負荷によって自由長は徐々に短くなっていくが、バネ自体の固さ特性(バネの弾力強度)は不変であり、決して弱まっていくモノではないというコト、したがって『ヘタリ』を感じる主要因は、ショック側のシールの劣化、オイルの劣化またはガスの抜け、ブッシュの経年劣化、可動シャフトの磨耗が主な原因だというコトだった。 つまり、スプリングの方はといえば、経年により「ただ幾分車高が低くなるだけ」なのだという・・・ 3MAの場合、使用限度長が288ミリなのは、インナーチューブ内で「遊び」が出来始める寸法なのかな?・・・とは思ったけれども、その寸法にはまだ至ってない(どころか、新品と同寸法ままの)現在使用中のスプリングを交換するのはあまりに忍びないと感じたワタシだった・・・(苦笑・ヤッパ、シンピンツカエナイジブンナノネ・・・) --------------------------------------------------------------------- で、ココからが本題。 3MAのSMの本当にイマイマしくも思えるおハナシ・・・この本ときたら『誤植(表記の間違い)のオンパレード』なんですワ~っ! 掲載イラストの『パーツの形状違い』や『ワイヤー配線などの取り回し間違い』なんかはまだかわいいってモンだ。 大変困りモンなのは『締め付けトルク数値や寸法表記の間違い』、そして『イラストと共に記載された部品番号の間違い』である。 特に後者は金銭に絡む問題だし、ソレでいてヤ○ハさん側にすると基本的に「発注ミスは返品不可!」が原則スタンスだからとぉ~ってもタチが悪い。 で、そんな一例(↓↓↓)・・・ 以前に、3MAのフロント周りの分解のためにヤマハ純正特殊工具(以下、SST)をいくつか発注したコトがあった。 ヤマハの各種バイクのSMには、SSTのイラストと併記して使用方法例のイラストと部品番号も表記されていて、それはそれでとてもありがたいコトなのだが・・・ しかしながら、上画像の赤線&赤囲いの表記、『ハンドルアダプタ 90890-01432』は、見事なまでの『部品番号間違い』(=誤植)である・・・orz ワタシの手元には、イラストの部品とはまったくの別モノが届いた。 90890-01432 って、イラストのような3MA用のフォークホルダーアダプターじゃないんですか? ・・・ふぅ~ん、28ミリタイプヘキサゴンレンチ型のソケットなんですか・・・改良を受けて形状変更でもされたのかな? 当時のワタシは、「へぇー、コレが代替品となって使えるんだぁ~。」とばかりに、Fフォークを分解するまで純朴にも素直に信じていたモノだった・・・結果、見事に裏切られたワケだが。 ただの誤植です、ヤ○ハさんの ご・しょ・くっ ! 今も使わずに大切に引き出しにキチンと仕舞われておりますよ、90890-01432・・・orz 他にも、1JK&1JL(SRX600&400)のSMのSST項目にもいくつかの部品番号間違いがあった。 3MA同様のフォークホルダーアダプタ系統を発注したのだが、届いたソレらは一目で明らかに用途が違うと分かる形状の『プーラー系の特殊ボルト』であり、しかも案外高い部品だったモンだから事情説明(=SMの部番表記の間違い指摘)をして渋々ながらYSPさんに無理言って返品させてもらったコトもあった。 そういうワケで、ヤ○ハのSM記載の部品番号で発注を掛ける場合は、ホントに要注意である・・・。 で、結局何かと頻繁に使えるヤマハ純正SSTといえばコレ(↑・90890-01326 フォークシリンダコンプリートハンドル)くらいかなぁ・・・哀愁・・・ あ、そうそう、上画像のヤマハ純正SST 90890-01294 ハンドルアダプタ、ヤマハ正立タイプFフォークのシリンダーホルダー(=ハンドルアダプタ)なのだが、使えるフォーク径はΦ39以下までのタイプ、対照となる車種は結構ある。 でも、残念ながらΦ41の3MA正立フォークには使えない・・・じゃあ、いったい3MAのFフォーク用シリンダーホルダーの正確(!)な部品番号は何番なのか??? はい、ついに見つけましたヨ、最近。 ・・・部番 90890-01460 部品名称 ダンパーロッドホルダー ・・・ いや、確固たる確証があるワケではございません。先日、他のSMを眺めながら、『XJR400R』のFフォークが正立タイプのΦ41(←3MA正立同様)であるコトを思い出し、このバイクのSMからそのSST部品番号をただ拾っただけです。 ・・・ヤ○ハのSM、SST部品番号表記・・・信じるコトが出来るヒトで、コレが必要なカタはゼヒっ♪ ちなみに、お値段 11,970円('09.9現在)でございます・・・ヒトヲ『アフォ』ニスルナーッ、プンプンッ!! ウンッ、オレハゼッタイカワネーッ!!
2009年09月09日
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平静を装ってのブログ再開を目論んでいたのですが、一ヶ月以上というインターバルを空けてしまった今となっては何の前置きもなくハナシを進めるのもナンだか格好つかないですよね・・・(汗) ええとぉ~、コチラをご覧の皆さま、本当にご無沙汰しておりました。 今年度(4月~)に入ってのワタシはといいますと・・・ 役・役・役・・・(←村や組合や保護者会等々) ・・・のオンパレード・・・(苦笑) 数えただけでも7つは役をいただいておりますぅ~。 エエ、ただ単にワタシが『断り下手』なのでしょう(苦笑・決して役好きなワケではない・・・) 特に今年度は某組合青年部(せ、青年部???ワ、ワタシガ?)の会長にもなってしまった手前、そうそう趣味にウツツを抜かしてもいられない年度だとは思っておりました。 とは言いましても、たまのスケジュールが空いてる休日くらいはチョイとクルマorバイクでストレス発散したいという思いもこれまた正直なトコロ。 4月6日(日)という今年度早々の早朝、「おそらくこれ以降の週末はことごとく行事などでツブれるだろう・・・よ~し今のウチに!」との思いから3MAを引っぱり出したワケでございます。 ・・・で、やっちゃいましたぁ・・・(↓↓↓) 早朝の国道158号線(通称:九頭竜サーキット?)、ON市街を抜け旧IZMに抜ける中速コーナーの連続する峠道での出来事でした。 今回は3MAのダメージもさることながら、ワタシ自身もダメージを負ってしまいました。 結構なスピードで下る短い直線後のタイトな左ターン・・・虚しくもワタシは減速を上手くしきれずオーバースピードでのフロントからのスリップダウン。 結果、左肩を路面に強打。左鎖骨&左肩胛骨は真っ二つに折れ、肋骨の一本にヒビが入る有り様でした。 不幸中の幸いか、この時初めてお手合わせした「ドカタツ」さんや「激速兄弟」さん達の迅速な救助によって、ワタシは救急車、そして3MAはJAFによってこの現場から担ぎ出されたのでした・・・ 改めてこのお三人方様には深くお礼申し上げます で、今現在のワタシ、といいますかこの事故の翌々日からのワタシ、ケガのコトなど到底言ってはおれず仕事&会合&行事に出かけなければならなかったのは言うまでもありません・・・そう、背中にタスキ掛け状の『養成バンド』を背負って・・・。 PS これ以後当分の間、ワタシは家族からの「バイクのお許し」はもらえないコトでしょう(涙) ・・・ですが、いずれ3MAは直して(←意外と軽傷?)、ガレージの中のプラモデル化としたいと思っています。そしてまた・・・(以下、略)
2008年05月12日
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・・・当然、M田さん(以後、彼のHNは『タツさん』とする。)の動画も載せないワケには参らないでしょう・・・ww ええ、載っけておきますっ♪ 昨年のひさぽんさん主催『FIGHTERS 2007』2耐の時にはDapoo!さんとタッグを組んで、あの我が3MAを走らせた本当に勇敢なヒト(?)である。 彼は、ワタシの諸事情のせいで、あの日の本番(本戦)までホントに一度も3MAに乗ったコトすらなかった・・・普段の彼ら(=タツさん&Dapoo!さん)は低回転型ビッグトルクマシンしか乗っていなかったにもかかわらず、あの2ストレーレプ250の中でもことさら随一ピーキーといわれる3MAをほんの数周ラップを重ねただけでほぼ乗り方を掌握したといっても過言ではなかった。 そんなモン、『レース慣れ』しているからだよ・・・というひと言だけで済まされたら、ワタシはかなりのショックを隠せない・・・。 「ソレくらい彼らのライディング適応能力が長けているのかあ~っ!」と感心&感動すると同時に、自分の無能さを感じずにはいられなくなるのだ。 ただ、ソレだけにあの時の我が3MAはエンジン特性だけでなく『足回り』の方にも欠点があったコトをワタシは本当に申し訳なくも思っている・・・ もし、我がマシンがより完調であったならば、彼らはもっともっと素晴らしいパフォーマンスをしてくれたんだろうなぁ~っと、ワタシの期待は膨らむ一方なのだ・・・ ・・・で、えっ!?ワタシですか?ワタシはどうなんだ?ってコトですか? ええ、その時『自滅』したワタシはサイテーですヨ・・・orz ところで、そのタツさんはというと、昨年の暮れ頃に1台の2ストRRマシンを手に入れた・・・ その名も・・・ 『ホンダNSR250R』(MC21) ・・・ッテ、オモイッキリ天敵ジャンッ!! p(TдT)q
2008年03月01日
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↑2007.9.8 『FIGHTERS 2耐』の時の我が3MAを駆るDapoo!さんの勇姿。 《撮影:マサキさん》。ちなみに今回の以下の本文の内容とはなんの脈絡もない・・・ただ単に載っけてみたかっただけ・・・(苦笑)↑ 『うるう年』でもあったこの日、ご近所のDapoo!さんから「ちょっと飲みに行こうヨ♪」との連絡をもらった。 今年になってからのワタシは、仕事や村の会合(寄り合い)が立て込んでいて、夜になってもクルマ&バイクいじりすらできない状態が長らく続いていたモンだから、かぁーなりのストレスを感じていた・・・。で、彼からのお誘いはまさに『天からの恵み』(?)のようにさえ感じたっ!(喜) そういうDapoo!さんの方も、今やレッキとした副業(?)でもある相当数の依頼された(ヘルメットなどの)『ペイント』作業の毎日・・・。毎夜毎晩のように徹夜を強いられている状況が続いていた様子で、彼も少々一息つきたかったみたいだった。 うんっ!お陰様でいいリフレッシュとなりましたよっ♪ 今年は一日多いわけだから、こんな一日があってもイイっすよね!?
2008年02月29日
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いやね・・・本来なら先日の『京福』ツーレポートのあとがきに書き込んでおくハズだったんですが、ナニせ文字数が足らなかったモンで・・・ただの3MA燃費計算の『覚え書き』なんで読まなくて結構です・・・っていうか、つまらない内容です、ハイ。 ↑2日目、道の駅熊野古道での休憩風景↑ 平成19年11月10日(土)~11日(日) 宿泊先:和歌山県川湯温泉『亀屋旅館』10日(初日)出発時 コスモSS 満タン トリップM0キロ ↓京都府城陽市 出光城陽SS 9.83リットル ハイオク@160 1573円 トリップM160キロ 燃費16.27キロ/L ↓奈良県五條市 JASS五條 5.56リットル ハイオク@156 867円 トリップM80キロ 燃費14.38キロ/L ↓ (谷瀬の吊り橋:SS五條より43キロ地点) ↓ (川湯温泉:SS五條よりジャスト100キロ地点:初日走行距離340キロ) ↑宿前にて↑ ↓11日(2日目)和歌山県みなべ町 エッソみなべSS 11.40リットル ハイオク@158 1801円 トリップM172キロ 燃費15.08キロ/L ↓名神大津SA コスモ名神大津SS 11.92リットル ハイオク@161 1919円 トリップM203キロ 燃費17.03キロ/L ↓MY GARAGE 到着~! トリップM146キロ:2日目走行距離421キロ {※ 3MAのガソリンタンク容量 総計約16L(含、リザーブ約3L)} ガソリン代がどんどん上がっている今のご時世、燃費もうちょっとナンとかならんかねぇ・・・ ・・・なんて考えてるよりもAHSMのコトをはよ考えなくては・・・
2007年11月16日
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・・・つづき。 「・・・えっ!?・・・もう交代の時間なんスかぁ・・・?」 1回目のM田さんとの交代後、すぐさまレーシングスーツを脱いでインナースーツ姿でグッスリ眠り込んでいたDapoo!さんは、まだ寝足りない様子でフラフラと起き上がった・・・。 ・・・寝不足のDapoo!さんではあったが、一度走り出してしまえばやはりたいしたヒトである。 周回を重ねるたびにみるみるタイムは上がっていく・・・いや、ある意味この2巡目のDapoo!さんが一番キレがあったかもしれない。 ラップタイムは41秒台からまたもや40秒台に突入ーっ!! ・・・で、3度目の転倒・・・(やはり第2コーナー・・・ムムムゥッ・・・) がしかし、この時のDapoo!さんはある種、もうすっかり『開き直ったヒト』&寝不足のための『ナチュラルハイ状態』(←もう死語っ!?)に入っていたのかもしれない。 転倒後も臆するコトなく40秒台連発・・・で、この時に彼が出したベストラップが・・・ 40秒07!(自前計測) クゥ~~ッ、惜しいっっ!!もうちょっとで39秒台に乗れたんだなーっ!!・・・3MAで・・・。 〈撮影:マサキさん〉↑手負い(?)のマシンの弱点を埋めるべく、「試行錯誤」しながら操るDapoo!さん↑ 〈撮影:マサキさん〉 そんな中、堂々トップを独走する主催者兼出場選手のひさぽんさん。(↑↑↑) 威風堂々、ラップ遅れにした出走選手に片手を上げて挨拶する余裕っぷり・・・あ~っ、ワタシも一度やってみてぇー!(笑)・・・しかし、ひさぽんさんのライディングフォームってホントに「アグレッシブ」だなぁ~っ。 刻々と時間が過ぎていく中、ワタシとM田夫人の二人はというと・・・VTRを回したり、ラップタイム計ったり、ピットボード掲げたり、デジカメ撮ってみたりとコチラもそこそこ忙しい・・・M田夫人は、彼女自身が「バイク乗り」だし本来だんなさんと仲良くレースにも出場しているヒトなので、ココら辺の手際は非常にイイっ!(感心)しかも、やはりだんなさん(M田さん)の「走り」がとても気になるようで、彼のタイムに一喜一憂し、ホームストレートを彼が通過する際にはデジカメ撮りーノ、ラップタイム計りーノとホント慌ただしそうだった。(←その様子を見ていてワタシはナゴみーノ。) で、ワタシはというと・・・一応VTRを録っていたのだが、ナニせ右手が不自由になったモンだから画面ハズしーノ&ブレまくりーノ・・・orz M田さんの2巡目(約20分走行)も無事終了~っ!彼のタイムの削り方はまさしく「徐々」ではあるのだが確実に「右肩上がり」、この時の彼は44秒前半~42秒台後半くらいで周回していた。 そして、3巡目が近づいてきた時のDapoo!さんは、というと・・・ ・・・またグッスリ「オネンネ」しております・・・(笑) 「・・・ウ~ンンン~ッ!?・・・エッ?もう一回あるんですかぁ~?・・・、そっか~・・・」 再びたどたどしくレーシングスーツを着始めるDapoo!さんだった・・・(苦笑) : : : でっ、ラストの交代、M田さん(の3巡目)!! 〈撮影:マサキさん〉 ↑ゴメンッ、M田さん・・・前回画像の使い回し~っ(汗っ)!せめて画像おっきくしておきます・・・↑ ある意味、この日のM田さんって「玄人好み」っていうか「職人的」っていうか、『バリ伝』のヒデヨシみたいなイイ仕事をしてましたねぇ~(←ホントはワタシがしたかった・・・w) 彼は3巡目にしてまだまだタイムをケズる削るっ! レース終了間際の5分前くらいになって、ついに40秒台突入・・・ で、彼(M田さん)の叩き出したベストラップが・・・ 40秒44(自前計測) もちろん彼の奥さんも大喜びっ!・・・彼もまた本当にたいしたヒトですっ・・・!!!(感動) こうしてワタシ達の初レースも無事(ブジッ??)終了&完走~っ、いろいろありましたが、かぁなりの感動&今後のワタシの課題を与えてくれましたヨ・・・ 皆さんいろいろと本当にありがとうございましたーっ!! ・・って言うにはオレの『書き込み』って、あまりにも遅すぎないっ!?・・コレゾyamasadaクオリテー・・・ ↑レース終了後、Dapoo!さんが眺めてる3MAのリヤアームに取り付けられた赤い物体がタイム計測器『レスコン』。「Dapoo!さぁん、決して壊れてないんだからマジマジ見ちゃあダメだし、さわってもダメですってばあーっ!ハイッ、早いトコ返却返却っ!(汗っ)」↑ そして、レース終了後のオチ・・・ Dapoo!さん: 「あー、そういえばM田くんさぁ、レース前に次期愛車候補に3MA(SP)か、3XV(TZR250R=V型エンジン搭載)あたりが欲しいって言ってたじゃない? ・・・で、やっぱ3MAにするぅーっ!?(ニヤリ)」 M田さん: 「・・・ウ~~~ンンンッッッ・・・しばらく考えさせてください・・・(苦笑)」 ・・・・ッテ、チョットヒドクネ!?(苦笑)------------------------------------------------------------------------- オマケ・・・日付はさかのぼるが9月7日、Dapoo!さんが塗り上げてくれた『3MA・レーシング仕様バージョンカラー』・・・キレイなウチに撮っておいて良かった♪
2007年09月08日
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・・・つづき。 結局、ワタシは「ドコか近くの病院で早く治療を受けた方がいい。」というコトになった。 この局面で大変お世話になったのがマサキさん。サーキット運営事務局に掛け合って病院探しをしてくれたり、『マデスト』メンバーさんに頼んで病院までのクルマを出してもらったりと本当にワタシのために奔走してくれた。オマケにワタシはこんな場面で『健康保険証』までウチに忘れてくるダメダメっぷりで、彼は病院に「保険証を忘れた場合」の手続きまで直談判してくれた尊いヒトなのである、その節は本当にありがとうございました。 さて、ハナシを戻すコトにする。 我が3MAのダメージはカウルとリヤフットブレーキレバーが折れ曲がったコトくらい。幸いレバー類のスペアは持参していたのでソレを交換して本番の『2耐』はDapoo!さんとM田さんの「二人体制」で出場してもらうコトにした。 ただホントに申し訳なかったのが、M田さんには結局「練習走行ナシ」(=時間切れ)でいきなりの本番を迎えてもらわなければならなかったコト。彼はこの時までまだ一度も『後方排気(=3MA)』に乗った経験がなかったのである・・・ 病院に向かおうとしていた直前、『2耐出走車・練習走行』枠のラップタイムが掲示板に貼り出された・・・ナニナニ・・・ おっ!Dapoo!さんの叩き出したタイム 40秒5・・ よっ、4番タイムだぁっ! ソコに今大会の主催者兼出場者のひさぽんさんが居合わせた。ひさぽんさん:「おおっ!Dapoo!、オマエこのコース初めてナンやろっ!!オマエは昔からスゴいやっちゃと思うとったが、ホンマにさすがとしか言いようがないのぉー。」Dapoo!さん:「ええっ!?(苦笑)全然たいしたコトないっスよ(←謙遜)。ソレにひさぽんトコのチームなんて38秒台じゃないっスかぁ。」ひさぽんさん:「アホォ、ワシがココ初めて走った時は41秒台やったんやぞっ!ソレにオマエのバイク『後方排気』やろっ!速い『コーホーハイキ』、気色ワルゥ~ッ!!{※1}」 一同:(爆笑)! {※1 レースシーンでの『後方排気』(=3MA)の評価というのは当時も今もこんなモンなのである・・・まあ、この場合3MAに対する「ホメ言葉」だったと受け止めるべきなんだろうネ・・・あっ、いや、やっぱDapoo!さんへのホメ言葉でしかないな、コリャ!(苦笑)} ↑『2耐・練習走行』枠の時のDapoo!さんのライディング(第1コーナー進入時) 〈撮影:マサキさん〉↑----------------------------------------------------------------------- 鈴鹿市内の病院で診察してもらった結果、「できればすぐにでも切れた腱を繋いだ方がイイが、後々のコト(術後経過の診察&リハビリ)も考えるとやはり地元(福井)で手術した方がイイね。」とお医者さんに言われた。で、「すぐに福井に帰って手術してもらいなさい。」とおっしゃる。「・・・あのぉ~、できれば仲間のレースを見届けたいんですけどぉ・・・」と恐る恐るワタシは言ってみた。「う~ん・・・、よしわかった、じゃあ紹介状書くから月曜日には必ず地元の病院に行くんだよ。」と言って『応急処置(消毒&仮縫い)』のみで済ませてもらうコトにした。 鈴鹿市内の病院って「サーキット場のお膝元」だからなのか(?)、その辺のハナシは通りやすいんですね・・・。 再び『鈴鹿ツイン』に戻った時は、まさに『2時間耐久』の決勝が始まるトコだった。 Dapoo!さん&M田さんにすべてを託す思いである。 スタートは『ル・マン方式』、第2ライダーのM田さんが3MAを支え、スタートの合図とともに第1ライダーのDapoo!さんがマシンに向かって駆け寄るっ!一斉にスタートっ!! ホールショット(第1コーナーツッコミ時の1番手)を奪ったのは『ひさぽんさんチーム』(←確か・・・)、我がDapoo!さんは7番手だった、低速トルクが薄くダッシュの苦手な3MAとしては上出来、上出来っ♪・・・そして再びホームストレートに帰ってきた時にはDapoo!さん6番手に浮上、おぉーイイぞ、イイぞぉ~っ!!さすが我らがDapoo!さーんっ!!(喜っ) ・・・がっしかし・・・数周目のアナウンス。「ああーっとぉ!1台転倒っ!!ゼッケン・・・4番っ!!」 うおっ!!・・・Dapoo!さんだ・・・第2コーナーで3MAを起こしている彼を目にした。 にわかには信じられなかった、なんてったってオンロードコースでの彼の安定感はピカイチだと思っていたし、実際にモタードレースを除く彼のオンロードレースの経歴で「転倒」の2文字はほとんど無いといって良い・・・。 幸いにもDapoo!さんはすぐにレース復帰、カラダは無事なようだ・・・でも、その数周後にはまたしてもっ!! 第2コーナーで転倒・・・まさか3MAに何か問題でも??ワタシの脳裏に不安がよぎる・・・。 再び彼はマシンを起こしリスタート、その後数周ラップを重ねたがピット前を通過する時に「もう無理。」のジェスチャーをコチラに合図した。(1ライダー、20分程度で交代予定を立てていたのだが、この時は15分くらいでの交代だったかな。) この日の気温は34度、ただでさえクソ暑いのにツナギ姿、そして二度の転倒による急激な体力消耗、しかもこの日のDapoo!さんチョー寝不足・・・ピットに戻ってきた時のDapoo!さんはまさしく『疲労困憊の極致』だったに違いないっ(涙) 「yamasadaさん、ごめんなさい・・・大事なバイクなのに・・・本当にごめんなさい・・・。」 Dapoo!さん、何をおっしゃいますやら・・・ソレに最初にバイク転かしたのワタシなんですよっ・・・(苦笑) 「・・・ただひとつ言わせてもらうと・・・この3MA、右のバンク角がやっぱり足りないんですよぉ・・・」 !!!・・・Dapoo!さんが言いたかったのは下記の通り。 我が3MA、第1・第2の右・右複合コーナーで、第2を通過する際に『あの出っ張り部分』(=オイルポンプの逃げ)が路面と激しく接触する(らしい)。{※ 我が3MAは『分離給油』のままなのでオイルポンプも当然生かしてある状態。} タイヤのグリップ感にはまだ余裕があり「もうひと寝かし」が可能なハズなのだが、実際には『出っ張り』が路面と接触した瞬間、フロントタイヤの接地感がいきなり消失・・・っ!結果、フロントから滑ってしまうという問題であった・・・Dapoo!さんがこのコースでタイムを削るのに有効だと感じたのがこの『第2コーナーの脱出速度を少しでも上げるコト』。第3・第4の緩やかなS字コーナーはドンドンスピードが乗せられる区間であり、第2コーナーは少しでも早くマシンの向きを変え脱出速度を上げたかっただけに、右バンク角が浅い我が3MAにDapoo!さんは「もどかしさ」を感じたようだった・・・ンムムムゥ・・・、早急に解決できる問題ではないなぁ・・・無念。 そして、いよいよ登場、M田さん。コレが彼の『後方排気』初乗りである! ↑M田さんのライディング 〈撮影:マサキさん〉↑ Dapoo!さんが転倒しているだけに、彼の「走り出し」はかなり慎重にさえ見えた。 序盤の彼のタイムは45秒前半くらい(ワタシに速い遅いの判断はできないが、彼が『XR100』で出したタイムは43秒前半)、その後周回を重ねるに連れて徐々にペースは上がり、次の交代を控える20分経過ごろには42秒台に突入するくらいになっていた。 だが、我が3MAに対してのM田さんの感想もDapoo!さんとほぼ同様のモノだった・・・ ● やはり第2コーナーでの車体のバンク角が不足している・・・できればフロントの沈み込みだけでももう少し少なくできないか? ● 中間加速域のトルクが他車よりも劣っているので、『競り合い』になる場面などに弱い。 M田さんが言うには「残念ながら2コーナー立ち上がりとヘアピンでは『CBR250RR』(←「4スト250」枠の混走ながらも別クラス)に付いていくのさえキツい・・・」と言う・・・ウ~ン、3MA乗りのワタシとしては結構悲しい現実だネ・・・。 ・・・悲しいけれど、「書き込み文字数」がキビしくなってきたので『その3』につづく・・・
2007年09月08日
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・・・やはり書いておかねばなるまい、ココ最近エスもそっちのけで3MAに掛かりっきりだった理由を・・・。(って、タイトルにもう出てるけどね・・・(苦笑)) で、行って来ました『鈴鹿ツインサーキット』、走り屋ひさぽんさん主催『FIGHTERS 2時間耐久レース』に我が3MAで出走するためである。 とはいえナニせワタシ、バイクでサーキット上のレースに出るコトすら初めて・・・不安は尽きない。ソコで相棒はDapoo!さんとM田さんとの『3人体制』(2人かまたは3人か選択可)で出場するコトに決定っ、この二人はレース経験も豊富なので何とも心強い限りだ。 そしてイベント当日、早朝5時にDapoo!さんのクルマでウチに迎えに来てもらい、途中でマサキさんも拾っての出発予定{※メンバーのM田さんは奥さんといっしょに同行}だったのだが、ワタシがモノの見事に寝坊っ!!(汗っ)出発が約30分近く遅れてしまった・・・ミナサンゴメンナサイ、珍しく充分に睡眠とったのになぁ・・・(不吉・・・) M田夫妻は充分余裕を持っての到着だったらしいが、ワタシ達が到着できたのは『ライダーズミーティング』(サーキット走行上の注意事項&ルール等の説明会=重要)が始まる直前だった・・・フゥ~ッ、ナントカセーフ。 ↑我が3MA『レース仕様バージョンpainted by Dapoo!』とM田さん。その後ろには彼の愛機、『ホンダXR100』&『ヤマハTZM』もチラッと見える。↑ M田さんは今回のイベントの『フリー走行・ミニバイク』枠にもエントリー、その枠を『ホンダXR100』で出走。なんでもその日の翌日には地元福井の『あわらサーキット』でのレースにも出場するそうで、その時に乗るマシン『ヤマハTZM』も整備のためにコチラに持ち込んでいた・・・いやはやM田さん、ホントに精力的ですなぁーっ!(感心っ!)〈撮影:マサキさん〉 で、正午前にある『2耐出走車・練習走行』枠{※予選ではないが、タイム計測アリ}に備え、着替えを済ませたDapoo!さんとお着替え中のワタシ。余裕をカマせるDapoo!さんだが実はチョー寝不足、アクビばっかしてたし目もドコかうつろ気・・・(苦笑) そして今回、チョー久しぶりにレーシングスーツにそでを通すワタシ。学生時代だった15年くらい前まで着ていたヤツだが、このイベントに出場するコトを決めた約1ヶ月前に押入れから引っぱり出してきて再び着てみようと努力してみた結果、まったくもって着れないコトが判明っ!(オレ、デカクナリスギタ? 汗っ)ソレに気付いて即ダイエットを試みたワタシは、イベント間近のつい最近になってほぼ?学生時代の時の体重に戻すコトに成功。イベント前日に再度試着してみて比較的簡単に着れたコトで胸をなで下ろしていた・・・が、当日着てみて心底焦った、すんなりと着れるコトは着れるのだがヒジョーに体を動かしにくいのであるっ!!股をあまり広げられないし、腰もすんなり横にズラせない・・・とにかく背中の縦横がとても窮屈だっ 今回の教訓:「体重が同じになったからといって、体型も同じに戻るワケではないっ!」 そんなワタシの心配をヨソに「2耐出走車・練習走行」タイムが始まった。走行時間は20分、『3人体制』の私達は一人あたり約6分、周回にして9周程度と割り当てて走ってみるコトにした。 走る順番はDapoo!さん、ワタシ、M田さんの順・・・の予定だった。〈撮影:マサキさん〉 初めてのコースにもかかわらず、次第に快調に飛ばすDapoo!さん。何だか峠で見ている彼とも「ひと味」違って見えるなぁ~。我が3MAも調子は良さそうだ、ピット前ストレートでも他車と明らかに見劣りするようなスピード差は感じなかった。〈撮影:マサキさん〉 で、Dapoo!さんの練習走行時間終了!いよいよワタシの出番である、交代時にDapoo!さんから2、3言アドバイスをもらう。 「あくまでも『立ち上がり重視』(=加速重視)で、くれぐれも『ツッコミ』で無茶しないように。」 「2コーナー目(1コーナー、2コーナーは右・右の複合コーナー)の『入り方』に気を付けてくださいネ、カウルの『あの出っ張り』、やっぱり擦っちゃいましたぁ~(苦笑)」 わっ、ホントだ!右カウルの『出っ張り』(=オイルポンプの逃げ)部分が見事に削れている。 ワタシは彼のアドバイスを頭の中にインプットして(?・・・あやしいモンだが・苦笑)、ソロ~リとコースイン。1周目、コースの各コーナーを確認しつつも我がツナギのコトもナァンか気になる・・・やっぱりキツいわぁっ、走っているウチに慣れてくるモンなんだろうか?・・・なぁんて思っている間に最終コーナー、立ち上がりラインを通ってアクセルをワイドオープンで前走車3台(だったと思う)を追走。ピットから見ている分には結構長く思えるストレートも実際に走ってみるとあっという間だねっ、みるみる第1コーナーが迫ってくる。 で、前走車群は左アウト側に車体を寄せる、ワタシはこの時勢い勇んでいたのか?、はたまたただ単にビビっていただけなのか?、前のバイクよりも早めにイン側に車体を寄せた・・・ ・・・ンッ!アレェ!? ガッシャァァァンンン~~~ッッッ〈撮影:マサキさん〉 ・・・やっちゃいましたよぉ・・・いきなりの転倒・・・しかもいわゆるとっても恥ずかしい『握り(ニギり)ゴケ』、初歩的ミスな『ニギりゴケ』、初心者的過ち『ニギりゴケ』、『ニギりゴケ』、『ニギりゴケ』、『ニギりゴケ』・・・・・・なぁんて悔やんでるヒマなんかないよぉっ!リスタート、リスタートッ!キックキックキィーック!!!ハァハァハァ(←息切れ)全然エンジンが掛からない・・・ そうこうしているウチにオフィシャルのヒトが駆け寄ってきた。「再スタートできますかぁー?・・・オヤッ!?指を怪我されているみたいですねぇっ、一度戻られた方がイイですよっ!」 そう言われてはじめて右手のグローブを見てみると、小指部分がもうすっかり擦り切れワタシの小指もパックリ開き血が滲んでいるコトに気付いた。で、グローブを外してみると小指の第1関節部が曲がったままだ・・・動かそうにも動く気配が全くない、不思議なコトに痛みこそあまり感じなかったが、コレが普通でないコトは明らかだった・・・。 ワタシはそのままオフィシャルの指示に従い、手当てを受けるコトにした。 こうしてワタシの『初レース』はあっけなく終わった・・・っていうかレースになってないし・・・(苦笑) 「その2」につづく・・・。
2007年09月08日
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『我が3MAの回転上昇感』 ・・・「NEW」としばらく出ると思いますが、ただ単に「カテゴリ」を『TZR250(3MA)回顧録』に分類分けしただけです・・・ご了承ください {2007.2.21 PM10:16 現在}
2007年02月19日
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ずいぶんと日にちが経ってしまいましたが、先日行って来ました『京福友の会一泊ツー』の時の画像をメンバーさんからいろいろといただいてもいますので載せておきます。(そんな時の私は自分で写真撮ったりはほとんどしない・・・エエ、撮影無精ですから・・・^^;)------------------------------------------------------------------------- ええっと・・・ツーリング内容はハショります・・・、ほとんど画像だけです、エエ。 ↑出発集合場所でのワンショット↑ ↑宿泊先での入浴シーン:お見苦しい画像だと思いましたので小さくしときます・・・。↑ ハイ、ここからは参加メンバーの紹介↓↓↓ ↑M村さん&XJR1300↑ ↑N村さん&ZRX1100↑ ↑N路さん&CB1300↑ ↑TKSMくん&1100カタナ↑ ↑Z改めFZさん&FZ750改(1000)↑ ↑タメちゃん&HD ファットボーイ↑ ↑ヒデさん&1100カタナ↑ ↑ワタシ↑ ↑帰り際、休憩中のワンショット:ココで気付いたのはチャンバーがやはりタイヤと干渉するコトがあるというコト・・・対策せねば・・・。↑ ↑京都在住の『Z改めFZ』さんとも別れ、北陸自動車道に乗り『賤ヶ岳(しずがだけ)S.A』で休憩中の私達。↑ ↑で、その時N村さんは持病の『椎間板ヘルニヤ』に苦しみ悶え中・・・?↑
2006年10月22日
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折角、外してみたついでに双方のチャンバーを比較してみたいと思う・・・。 ちなみにこの『RC SUGOチャンバー』は『F3仕様』らしい(satoruさん曰く)。『SP忠男ジャッカル』にせよ『RC SUGO』にせよ種類が複数存在しているらしい。ですから、皆さんが装着されているモノがコレと同じとは限らないというコト・・・です、一応、念のため。 ↑フランジ部の内径:SP忠男はΦ40.0 RC SUGOはΦ38.0↑ ↑膨張室の形状:SP忠男は「全体的になだらか」 RC SUGOは「抑揚があり、ボンッと広がりギュウッと窄まる感じ」↑ ↑チャンバー本体をエンジン側で揃えると、サイレンサー側ではこんなに長さが違う、ちなみに「サイレンサー」に入り込むフランジ部の内径は共にΦ23.0。ただし、サイレンサーの筒内径自体はRC SUGOの方がデカい。マフラーエンド部は、SP忠男がΦ26.0 RC SUGOがΦ25.0↑ ↑SP忠男はスプリング1本掛け、RC SUGOはスプリング2本掛け。↑ まあ、こんな感じです・・・以上です ホントは一度塗り直して装着したいトコなんだけど、今回はヤメとく・・・そのウチまた外さないといけないような予感大だから・・・(苦笑)
2006年10月13日
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GWロングツーの話もずいぶん日にちが空いてしまったので、記憶がかなり曖昧になってきてます・・・^^; では、最終・・。----------------------------------------------------------------- GWツーリングto山形方面は、とても有意義で楽しいイベントだった、参加メンバーの皆さんはと~っても個性的で、それでいてイイ人達ばかりだったし・・・。 できるコトなら来年も『LEGEND』ツーにまた参加させていただきたいモノだが、さてさて・・・(- -;)ムズカシイカ・・・? 旅行内容そのものは今回端折るコトにする・・・、私の心の中にとどめておきたいからだ・・・(←記憶がア・イ・マ・イだからだってーの!) 『LEGEND』メンバーの方達とも二泊目の宿先でいよいよお別れ・・、再び往きの3人(ヒデさん&京都@Zさん)となってからはどうも私一人だけが元気なだけだったみたいだ・・・。 磐越道に乗ってから、我が3MAは初めて先頭をキらせてもらうコトになった。 往きの高速道で私の『3MA』は焼き付きに対しては『多分大丈夫・・』という自信も持てたコトから、「帰りは負けないぞ~っ!」な~んて思いながら、磐越~北陸ジャンクションからフルスロットル!!・・・・・アレレ・・・お二人さん全然付いてきません・・・疲れてやる気無いんですね・・・^^; それでもしばらく私一人で自慰行為はおこないましたとも・・・(苦笑) 6速11000回転以上を10数分・・・。 で、今回分かったコトは、これだけ高速回転を維持していると、さすがに『水温計の針が半分以上(多分80度チョイ越え)を指す』ようになるというコト・・・今まで峠でめいっぱい飛ばしてもなかなかそこまでは水温が上がったコトがなかっただけに今回ちょっと驚いた・・・それ以上に上がるコトはなかったが。---------------------------------------------------------------- それでは、5日(3日目)の我が3MAの燃費(給油:すべてハイオク)黒崎P.A 133.0キロ 10.65L 12.48キロ/L名立谷浜S.A 127.1キロ 10.71L 11.85キロ/L小矢部S.A 145.8キロ 11.14L 13.08キロ/L 3日目の走行距離 約415キロ 3日間総走行距離 1,111キロ(おっ!ゾロ目だ・・){※ ちなみにオートルーブオイル(2ストオイル)は満タン状態で出発、帰宅後の消費量は2/3程度(←目視でだが・・。)の約1リットルだった。}---------------------------------------------------------------------- そして、ツーリング終了のその後・・・ ↑ツーリングから無事帰宅後、ヒデさん邸で不調を抱えた『Z2』と再会した京都@Zさん・・・この時の彼、何を思うや・・?:後日判明した原因は1・4番イグナイターからの『リーク(電圧漏れ)』でした・・。↑ ↑後日、『LEGEND』A氏から画像で送っていただいた『本来乗ってくるはずだった愛機、900ニンジャ(エンジンフルチューンド)』:オイル吹き出した気筒の原因はカムカバーセット部のプラグ孔『O-リング(?)』の劣化だった・・・ニンジャの持病なんだそうだ・・・オオゴトでなくて何よりでした(^-^)b ↑ ↑ナカ日(2日目)のヒデさんとワタシのワンショット:この時点ではまだまだ元気な二人でしたっ!(笑)↑
2006年05月22日
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ここで今年の『LEGENDツーリング』に参加されたメンバーを紹介しておく・・・。 A氏(愛称『ブツ』さん) 参加車『ホンダフィット』{※本来ならば『カワサキGPZ900Rニンジャ』}青森県在住 O氏(愛称『舎弟』さん) 参加車『ハーレーダビッドソン』宮城県在住 Y氏(トラ@川崎さん) 参加車『トライアンフ スクランブラー900』神奈川県在住 I氏(愛称『とし』さん) 参加車『スズキGS1000S』神奈川県在住 S氏(ヒデさん) 参加車『スズキGSX-1100Sカタナ』福井県在住 yamasada 参加車『ヤマハTZR250 後方排気』福井県在住 K氏(京都@Zさん) 参加車『カワサキZZ-R1100』{※本来ならば『カワサキZ2(RS)』}京都府在住 (以上、在住地順です。) 以上、1台のクルマと6台のバイクの参加だった。(この『LEGEND』恒例ツーリング、多い年で10数台が全国各地から1泊目の宿めざして集うらしい・・。) 今回の参加車のナンバープレートを確認したら・・・『青森』『宮城』『川崎』『横浜』『相模』『福井』『京都』 ・・・と、見事にみなさんバラバラ!!(驚き) なんだか、ハタ目から見るとネットで集った『オフミ』みたいだ。(笑) 2日目の移動距離は130キロ程度。1台A氏のクルマも加わったコトで、バイクに積む重い荷物もクルマの中に入れさせてもらい、みんな身軽なライディングが可能になった。 また、皆さんが代わるガわるそれぞれのバイクを試乗、私はY氏の『トラさん』に乗ってみた。『バーチカルツイン・DOHC』のこのバイク、乗ってみたとはいえチョイ乗り程度だから大層なコトは語れないが、私が以前乗っていた『ヤマハSRX-6』にハンドリングの雰囲気やエンジンの躍動感が似ている。ただし、トルク感は数割増し(←排気量が900ccだからあたりまえか・・)。 ただ実のところ、排気量を知らなければ『乗った感じでナンccのバイクなのかは分かりにくい独特の感触』を持ったバイクだった。 で、私の代わりに『トラ@川崎』さんは『後方排気』に試乗。(←代わりなので「無理矢理仕方なく乗らされる」と表現した方が正解かっ!?(苦笑))『トラ@川崎』さんは昔、スズキRG500γにも乗っておられたそうだが、3MAのポジションがキツい事もあって、さすがに乗りにくそうだった・・・、やっぱり万人受けするバイクじゃないんですね・・・。↑トップページに載せた画像の『オーナー付きバージョン』↑ --------------------------------------------------------------------- 3日(2日目)の我が3MAの燃費(給油:すべてハイオク)飯豊・椿S.S 88.6キロ 7.55L 11.73キロ/L(←ちと悪化してきたね。) 2日目の走行距離 134キロ
2006年05月13日
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つづき・・・。 有磯海S.Aで私達3人が休憩(昼食中)していた時のコト、ヒデさんの携帯に一報が入る。 『LEGEND』メンバーの一人、青森県在住のA氏からだった。(←この時点で私はまだA氏と面識はない・・。)「青森県出たトコで、バイクがトラブった。プラグキャップあたりからオイルを吹いた。行けないかも・・・。」 ・・・みたいな連絡・・・。で、京都Zさんは言った。「あれ~!?Aさんもトラブったの~っ!?」 私の思い過ごしかもしれないが、京都Zさん、ちょっぴり喜んでるみたいに見えた・・・(苦笑) 今回このツーに参加されるメンバーさんの中で私が元々交流あったのは、ヒデさんと京都Zさんのみ。だから私は、他のメンバーさんとその方が所有のバイクとご対面できるコトを心から楽しみにしていた。 その中でも青森のA氏の『900ニンジャ』は、ヒデさん曰く「ソコいら中をイジくりまくってあって、特にエンジンはもうイジるところが無いほどのフルチューンドエンジン。」とのコト・・・。 当ブログに既出のマサキさんも『900ニンジャ』に乗っているコトもあって、『フルチューンド900ニンジャ』がどんなモノなのかは、私も興味津々だっただけにとても残念だった。 ヒデさんは「バイクがダメなら、クルマででも来いよ。」みたいなコトをメールしていたと思う・・・。 東北の距離的感覚がない私は気楽なモノで、「青森からだったら引き返してクルマに乗り換えても、山形まで近いモンですよね!?」な~んて言ったら、ヒデさん「いいや、500キロはあるよ。」とキッパリ。「ガ~ン・・・ッ!!東北ってデッカイんだ~・・・」、お恥ずかしい限りである・・・。 ・・・いい加減、ハナシを端折れるトコはハショらないと一向に『GWツーリング話』が終われませんね・・・。と言うわけで以下、往きの中盤省略~っ!! で、一泊目の宿は、山形県小国町 国民宿舎『飯豊 梅花皮荘』。 ・・・んっ!? 地元でない私には何て読むのかひとつも分からなかった・・・(汗) 正解は『いいで かいらぎそう』と読むそうだ・・。 当日のこの地域は、道路以外にはまだ雪が残っており、それでいて桜(ソメイヨシノかな?)が五分咲き程度ほころんでいるといった絶好のロケーションだった・・・感動。{※でも、後日知ったのだが、GW中に『陰惨な事件』が起こった地区でもある・・・。} 以下、参加された『LEGEND』メンバーさんのバイク紹介!! ↑画像左:Y氏(トラ@川崎さん)の『トライアンフ スクランブラー900』 画像右:S氏(ヒデさん)の『スズキGSX-1100S刀』(1135ccにボアアップ、ヨシムラハイカムST1仕様)↑ ↑画像左:京都Zさんの『カワサキZZR-1100』←ヒデさん所有 画像右:O氏(愛称『舎弟』さん)の『ハーレーダビッドソン』・・えっ!?ハーレーの何かって?ハーレーはハーレーですよ・・(汗)↑ ↑I氏(愛称『とし』さん)の『スズキGS1000S』とても綺麗なGSでオーナーの愛情深さが感じとれる1台↑ ↑『飯豊 梅花皮荘』正面玄関前の風景↑ ↑いわずと知れた我が3MA(宿の駐車場のロケーション)もちろん画像は大きめ(笑)↑ ・・・で、『900ニンジャ』のA氏(愛称『ブツ』さん)は、一泊目の宿に愛車ホンダ『フィット』のセダンで登場・・・!・・・あっ!画像がないっ!「ブツさん、せめて『ニンジャ』の画像をください・・・。」
2006年05月12日
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・・・つづき。{※以下に記載される数字は目安として『3MAのメーター読み:100キロ/h=6速5500回転くらい』(最終減速比ノーマルままの14/43)でご考慮ください。}---------------------------------------------------------------------- 気を取り直してヒデさん宅を再出発したのは午前10時半頃だったと思う。 本当は『北陸自動車道』のあるP.Aを午前8時に出るはずだったのだから、当然それだけの時間を挽回しなければならないはず・・・私以外のお二人さんは『リッターバイク・高速ツアラー』となったワケだから、いくら2ストとはいえ所詮250ccのバイクの私は一抹の不安を拭いきるコトはできなかった・・・。 で、再び北陸道『福井I.C』から乗る。 GW中の北陸道、普段の日のユウに5倍はある通行量だね~っ!・・とはいえ、渋滞状態とまではいかないトコが『北陸道』の素晴らしいトコロッ!(笑) 『追い越し』右車線を走行していれば、前走車に詰まりながらも『100キロ+α(3MAのメーター読み:6速7千回転くらい)』で巡航可能だった。もちろん、前後にポリさんがいないかどうか常に気を配りながら・・。 本来、グループツーリングをする場合、小排気量バイクは中堅位置を走るのが順当だと思う。しかし我が3MAの場合、昔っから『シンガリ』を務めるコトが半ば義務づけられている、仕方あるまい・・・ただでさえ2ストバイクはオイルをぶちまけて走るシロモノ、ましてや3MAにおいてはご丁寧にもあんな高い位置からブチまけるのだから・・・。 ええ、この時も必然的に私は最後尾に付きましたとも・・・。 そして、金沢も過ぎて富山県に入ったところ辺り(クルマの量は若干少なくなってきていた)で、私達の後方よりグングン迫る『白い影(?・って言うのか)』・・・。 思いの外早く迫ってくるこのクルマをミラーで確認した私は、いったん左走行車線に戻った。 グ~オ・オ・オ・オ・ン・ン・ン~ッ 「おっ!GT2!」{←※『ポルシェ911カレラ(996型・・だったかな?)GT2』} 抜かれざまに拝まされたテールガーニッシュに『GT2』の文字が刻まれていた。 速度差を感じたのか、京都Zさん(ZZR)、ヒデさん(カタナ)も一度は道を譲った。 がっ、抜かれた直後、彼らは一気にフル加速体制でカレラの背後に再び入った! 「あ~・・・遂に始まるよ・・・。」私も瞬時に腹をくくらなければならなかった・・。 で、私もフルスロットル!12000回転目安で4→5→6速と矢継ぎ早にシフトチェンジ。 前の2台(ヒデさん&京都Zさん)に大きく離されないのは幸いだったが、そもそもこの2台と私の3MAとでは余力が全然違うっ!ましてやそのまた前方を走るカレラ(しかもGT2・・・)も前方が空くやいなやフルスロットルをカマしてるみたいだ・・・。 我が3MAはこの間、6速10000回転以上を20分程度はキープ、6速11000回転以上も数分間は強いられるハメになった。 それでも、前の2台はカレラの背後にピタリと追従していくし、私はカレラがスロットルを緩めない限りジリジリと離されるような感じだった。 私の脳裏にある言葉が行き交う・・「・・付き、焼き付き、焼き付き・・っ!」 この間、ひとときもクラッチレバーから指をはずすコトができなかった・・・、私の3MAはバイクとしてはもう充分『おじいちゃん』なワケだし、フルノーマルとは違って吸排気系を弄ってあるので『セッテイング』は出ていると自負しつつも、と~っても不安だった・・・{そもそも私は『絶対的自信』なんて持ち合わせていない・・(苦笑)} オマケに、元々ロングツーリングのコトなんか全く考慮されていない3MAは、リアシートも小さく荷積みはミニマム、そのためタンクバッグの容量はデカくなって顔をスクリーンに伏せるコトもできない!!コレはさすがにキツかったな~・・。 それにこんな速度域で3MA走らせたの10年ぶりくらいだぞ~っ。 漫画『キリン』の愛読者でもあるヒデさんは、 「コレは現代版『キリン』の再現じゃ~っ!!」と叫んでいたかどうかは知らないが、この時の自分に酔いしれていたコトは確かである・・・、それくらいこの時のヒデさんのカタナの加速力は素晴らしかった・・・。{※ヒデさんの赤カタナは、実は彼が所有するカタナの2台目、完調なストック品(コレクション扱い)だった。2004年の福井豪雨の時、私の車庫の中で水没させてしまった1台でもある。前向きにもコレを機に彼はこのバイクをO/H兼チューニングというカタチで復活させた渾身の1台だ。} 数十分にわたるこの痛快な『走りっぷり』も、ヒデさんの急激ともいえる『減速(失速?)』であっけなく幕を閉じるコトになった、京都Zさんもそれに従う・・・。 幸い、『有磯海S.A』が見えてきた頃のコト。(←そもそも我が3MAはココで給油しなければならない予定だった。) 降りて一番、ヒデさんが言うには『ガス欠』とのコト、「あれ~っ!?いくら飛ばしてたとはいっても、こんなに早くガソリンが無くなるモンかな~?・・・アッ!・・・」「オレのカタナ、スピードメーターがマイル表示だった・・・。」 富山県に入って『有磯海S.A』に到着するまでの所要時間は30分を大きく切っていた・・・。 (別に地図見て計算しなくてイイですよ・・・。)----------------------------------------------------------- それでは、3日(初日)の我が3MAの燃費(給油:すべてハイオク)有磯海S.A 175.0キロ 12.19L 14.35キロ/L米山S.A 127.0キロ 9.68L 13.12キロ/L新発田S.S 122.8キロ 8.07L 15.21キロ/L わが家出発から一泊目宿までの走行距離(一度ヒデさん宅まで引き返した距離含む)562キロ
2006年05月09日
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いや~、久しぶりの書き込みになりますね・・・。 で、無事ロングツーリングから帰ってきました・・・ホッ・・。 今回、私が参加させてもらったツーリングは、当ブログに既出のSさん(ヒデさん)より数年前から再三お誘いをかけていただいていた『チームLEGEND・恒例GWツーリング』。 でも私は、毎年GW中には仕事があったので、今まで一度も参加させてもらうコトはできず仕舞いだったのだが・・・今年ついに実現っっ!! ヒデさんたちのバイク仲間『チームLEGEND』は、彼が仙台在住だった20年前に結成されたと聞いている。その仲間達も仕事の関係等でそれぞれ地方に分散していったらしいのだが、結成以来20年もの間、GW恒例ツーリングは途切れさせたコトがないと言う。バラバラになってからも皆さんが年に一度顔を合わせるイベントでもある・・・、素晴らしい仲間意識&チーム力だと思う。 そんな歴史あるツーリングに私は初参加させてもらうコトになったわけだ。 向かう先は山形県、北陸道に乗ってひたすら走る約520キロ(600キロは言いすぎでした・・苦笑)の旅・・・、北陸道で山形に向かうのは私とヒデさんと京都Zさんの3人。--------------------------------------------------------------------- ツーリング出発日の前日夜(2日)、『京都Z』さん{HNのとおり、往年の名車カワサキ・Z2(750cc・RS)にお乗り}は福井入り、ヒデさん宅一泊からの当日出発予定で、私とは高速道上のP.Aに午前8時の待ち合わせだった。 で、私は久々のツー参加に気持ちが舞い上がっていたのか(?)午前5時には目が覚めてしまい、しかもその勢いにまかせそのまま高速に乗ってしまって午前6時40分頃には待ち合わせ場所のP.Aに到着してしまっていた(苦笑)・・・。 待ち時間の間、ボーッと高速道の流れを眺める・・普段は渋滞など皆無に等しい『北陸自動車道』だが、さすがは『黄金週間』、トラックはほとんど見られずファミリーカーが幅を利かせる。 バイク乗りの数もかなりのモンだ。(二人乗りも多かったな~) ・・・なぁんて思っているウチに8時を回った・・・アレレ、お二人さんまだ来ないな~っ? そう思ってる時に携帯が鳴った、ヒデさんからだった。「あのさ~・・京都Zさんのバイク調子悪くて、高速乗ったところで止まっちゃったんだ~。いったん帰って、僕のZZRに乗り換えてもらおうと思うからyamasadaさんはもうちょっとそこでくつろいでいてくださいね~っ!」と言って電話は切れた・・・って言われても、ワタシ、もう充分にくつろぎ過ぎてるんですけど~っ!! そう言いそびれてしまったが、ワタシも次のI.Cで一度降りてヒデさん宅に向かって引き返すコトにした。 ヒデさんの家に向かう道中(P.Aから次のI.C降りてヒデさん宅まで約40キロ)、私は気が気ではなかった・・・バイクは走行中、携帯が鳴っても気付かないから不便だね~!(←走行中、電話取ったらダメなのは当然わかってますよ、気付くか気付かないかがこの場合肝心。) 私は国道8号線に降りてからちょっとオオヤケには言えないスピードでヒデさん宅に向かってスッ飛ばして行った・・・入れ違いになるコトと、そしてポリさんに捕まるコトを恐れながら・・・。 無事、ヒデさん宅に到着し彼らと入れ違いになるコトは防げた・・・。 京都ZさんのZ2は、出発直後から調子が怪しかったらしい・・・走行中いきなりフケが悪くなり、高速に乗った途端にエンストしたと言う。で、どうも1・4番が失火ぎみの様で2・3番にくらべて温度が低い。 大事を取り、京都Zさんはヒデさんの『カワサキZZR-1100』を借りるコトになった。 また出発できるコトは喜ばしいのだが、私は内心不安にもなっていた・・・。 そう、コレでヒデさん『スズキGSX1100カタナ』(1135ccボアアップ・ヨシムラハイカムST1仕様)&京都Zさん『カワサキZZR-1100』の本格的「ビッグバイク・高速ツアラー」のお供を我が3MAはしなければならなくなったワケだから・・・アベレージスピードが大幅に上がるコトを肝に銘じなければならなくなった・・・。↑無事、再び高速道へ・・・:左側が『京都Z』さん、右側が『ヒデ』さん↑ あれれ、ダラダラと思い浮かぶままに書いていたら、「出発前の出来事(ハプニング)」だけでこんなに行を割いちゃった・・・つづきはまた後日。
2006年05月08日
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今日も例の『小物』ディッピング作業に従事していた。第3締切日が刻一刻と迫ってきているからだ・・・、だから今日もラリってる私です・・・。--------------------------------------------------------------------- 以前に書いたコトなのだが、3MAのブレーキキャリパーO/Hの件・・・。 私の3MAは、水没経験があったコトも手伝ってか(?)、昨年リアブレーキ(住友製)が『引きずり』を起こしていた。リアホイール交換の際についでにキャリパー(2ピース構造)を2つに割って清掃、シール類はもちろん新品で組み付け、他にオイル通路用ゴムリング(O-リング)も適当に見つけてセット、接合ボルト(8ミリ)の強度区分は『9』だったので、私見ではあるが2.8キロとメボシをつけて締め付けた。(とりあえず、今現在も不具合はない。) でも、あるヒトから「2ピース構造のブレーキキャリパーは割っちゃあダメだよ。」とアドバイスをいただいたコトがあった、また、とあるバイク乗りのカタのブログにも「キャリパーの分解はご法度なので、・・・。」みたいなハナシもあった。 私はチト焦り、3MAのSM(サービスマニュアル)を読み返してみる。なるほど・・確かに『キャリパーを2つに割る分解』の解説は載っていない。 でも、『分解してはならない』とも書かれてはいないし・・・? そもそも、2ピースキャリパーってメーカー生産組み立て時、2ピース合わせ面に何か特殊接合(例えば、部材がツブれて圧着するとか、わざと歪んでいるとか)の工夫でもあるのか?また、非分解ならば、特殊ボルト(イジリ防止トルクスや締め殺しボルトなど)が使用されているモノでは?と思ったりもした。 そんな中、前出のカタナ乗りのSさん(ヒデさん)から・・「へ~、ヤマハのブレーキって分解しちゃダメなの?カタナのリアブレーキも対向ピストンの2ピース構造{注:カタナのフロント側は片押しスライド式}だけど、SMに分解図解は載ってるよ~。それにキャリパーO/Hキットにはちゃんとオイル通路用のO-リングも入っているしね。」 私はこれを聞いて少し安心した。 そして、今回私をもっと安心させるコトが・・・。 それは以前、当ブログに登場した『ヤマハSRX-4』(SRX-6(1JK)改『4』ステッカーディチューン仕様・笑!) 、コレを所有している友人がメンテ依頼と同時にSMも置いていったのだ。 コレによると・・・ おぉ~!キャリパー2つ割りの分解図が載っているっ!! SRXのブレーキキャリパーは3MAと同じモノではないが、同じく住友製の2ピース構造の対向ピストンタイプ。 注意書きとして『(オイル通路用)ゴムリングは組付時、新品を使用すること。』と記載されていた。キャリパー締め付けトルクは『3.0~4.0キロ』 (大雑把やな~^^;) で、我が3MAリアキャリパー締め付けトルクも『3.5キロ』に早速締め増し!(汗) ただし、『ゴムリングは新品を使用すること。』と謳っておきながら、SRXのPL(パーツリスト)にはその品番が載っていないのはヤマハのご愛嬌なのか!?(爆) そういうワケで、今回私はフロント側のブレーキキャリパーも分解清掃しちゃうコトにしました。 あくまでも自己責任が付きまとうワケですが。
2006年03月10日
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「バイク乗りが何を今さら。」・・・と言われるかもしれないが、私は今回初めて漫画『キリン』(少年画報社出版)を読みふけっている・・・。(友人から単行本をまとめ借りして。) 今までにバイク漫画では『バリバリ伝説』と『あいつとララバイ』(ともに講談社出版)はオンタイムで購読していたが、なぜか『キリン』とは縁がなかった・・・。 今さらながら、結構ハマってしまっている自分に気付いた・・^^;--------------------------------------------------------------------- さて、私の保育園時代からの同級生に『BOOチン(ブーチン)』という旧友がいる。 高校は違ったが、高3の頃には私と同じくバイクに興味を持ち始めた友人の一人である。お互い大学に進学が決まると、彼は私より一足早く中型バイクを購入した、中古の『CBR400R』(通称『エアロ』)を。 ちなみに彼のバイク遍歴は・・・。’87(?)CBR400R→’88NSR250R(実は友人からの借物)→’89NSR250R 学生時代、彼は金沢、私は京都に住んでいたのだが、休みの日にはバイクで地元(福井)の峠やお互いの下宿先近場をよく走りに行ったものである。 そして彼、私よりも一足先に『膝擦り(ひざすり)』を達成した先輩(?)でもあった。(笑・今じゃあどうでも良いことだが、当時RR(レーサーレプリカ)乗りは『膝擦り』するコトが第一関門(命題)の様ですらあったっ!) 思い返すに、’88NSR(何度も言う様だが『友人からの借物』・・。)に乗っていた頃の彼が最も『キレ』ていた(乗れていた)頃だと思う。 比較的小柄でもある彼の乗り方は、ひと言で言うなら『コンパクト&スムーズ』。NSRを操る時の彼は、倒し込みの際に多少逆操舵のアクションは大きめだったものの、その後の旋回はまさに『カミソリ』のような切れ味で、腰のずらしは少なめにもかかわらず、容易に『膝擦り』は敢行されていく・・・、上りの峠では我が3MAは付いて行くのがやっとだった・・・。 そんな彼と、長野に泊まりがけのツーリングに行った帰り道でのワンシーン・・。{※この時の私は3MAの2台目(黒銀)、彼は’89NSR。} 信号待ちをしていた私達の横に並び掛けた1台のRR、RGV-250Γ。 レーシングツナギを着ていていかにも近くの峠をひとっ走りして来た後、といった感じだった。 Γ乗りの彼がアクセルを『パパーンッ』と煽る、シグナルグランプリの合図である・・・。・・・「やるかっ・・!」 私はクラッチを切り8000回転にエンジンをキープさせ、信号が変わるのを待つ・・・。 そして・・『青』ッッ!3台一斉にスタートっ! 私は半クラッチミート、8000回転をキープしたままの会心のスタートだった、我が3MAはフロント荷重が完全に無くなり軽くリフトアップ状態のようだったがアクセルは絶対に戻さないっ!かたや、Γ乗りはやや吹かし過ぎたのか完全にウイリー状態、アクセルを戻した分、私から少々遅れをとった様だ・・・。しかし、『BOOチン』はそのΓの後に続く・・。 パ~ンッ・・・パーーーーーンッ・・パーーーー・・・ 私はレッドチョイ越えの12000回転でのシフトチェンジ、ミラー越しにΓ、そして『BOOチン』のNSRが追従するのを確認! 勝負は次の信号の赤まで・・、3速全開の5百メートル前後ではなかっただろうか・・・?と記憶している。「ヨッシャァ~!!オレの勝ちっ!」(←私の心の雄たけび) 僅差ではあったが、我が3MA、Γ、NSRの順で次の交差点信号に着いた。 その信号でΓ乗りと別れた後、しばらく私は勝利に酔いしれていた・・・。「やっぱりこの(3MA)黒銀、後期型だからか以前の白赤よりも速いわ~」などと思いながら。 で、その後自販機前でバイクを止め、休憩を取った時の『BOOチン』との会話・・・。「なあ、yamasada、さっきの勝負さぁ・・。アレって本気?」「・・んっ!?ああ、本気だったさ・・・。」(私の思い:負けたくせに何言ってんの・・?)「ふ~ん、じゃあオレのほうが速いかも・・・。」「!!!なに~っ、『BOOチン』一番遅かったくせに、負け惜しみ言・・」「いや、さっきのΓの子の様子見してたんだが、彼あきらかにスタート失敗だったんだよね、でも彼とyamasadaとも後半だいぶ詰まってたぜ。」「よ~しっ、そこまで言うなら『BOOチン』、もう一回勝負だっ!!」 結果は・・・以前の当ブログの話といっしょである・・・もう書きたくない。・・・っていうか、それ以降、NSRとのシグナルグランプリは絶対しない事を心に誓った。{追記('06.1.24):今の思いはちょっと違う・・・できれば完調な同年代NSRと今一度くらべてみたいっ!!(笑)} そしてこの『BOOチン』、借物の’88NSR以降、自分の’89NSRにいたるまで、一度もコケさせる(転倒する)コト無くして『バイク乗り』を降りた。理由は「バイク乗るのちょっと怖くなってきたのと、クルマ欲しいから・・。」といった事だったと思うが、RR乗りとして無転倒で終わることは珍しいコト(?)だと私は思う・・・。↑左が友人『BOOチン』と彼の’89NSR。↑
2006年01月22日
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ブログ間隔がすっかり空いちゃいました・・・、忙しかった・・のかな~!? 昨日(29日)は第一回『福井オールドホンダツインカムクラブ』(仮称)忘年会をささやかに(?・小規模だから^^;)行いました。 メンバーは越前SRさん、職人Hさん、もう一人のHさん、そして私の4人だった。{※第一回・・とは謳っているが、このメンバーで飲むのは別にコレが初めてではない・・・(笑)} 同じ系列車の趣味の集まりとはいえ、地元の連中だけなので『AS』&『AK』の話題のみならず、仕事の話、共通の知り合いの話、ローカルネタ等々多岐に渡った。 だから、あっという間に時間は立ち、11時過ぎにお開きとなる、皆さんご苦労様でした。 それと、一昨日、ホンダツインカムクラブ(関西)さんのリンクに当ブログが貼られているコトに初めて気付いた!! 谷村会長さん、こんなブログを貼っていただき大変恐縮です、ありがとうございます・・・で、今回はTZR250(3MA)の回顧録・・・(苦笑)--------------------------------------------------------------------- 最近、部屋の整頓をしていた時、昔の写真がバラバラと出てきたので懐かしさのあまりしばらく見入ってしまった。 以前にも書いたが、私の最初の’89型3MAは白赤の初期型(製番3千番台)だった。 コイツはピーキーとは名ばかりの、スロットル全開でも肩すかし食らったような加速力しか持ち合わせていなかったRR(レーサーレプリカ)。 で、下の画像は当時の1台目3MAのモノクロ写真・・・ところで、なんでモノクロなの・・・?、記憶にございません・・・。 お調子コイていた当時の私は、’90年秋にコイツを奥琵琶湖峠の藻屑へと追いやってしまった・・・。 原因はコーナーでのスリップダウン。 私はカスリ傷程度で済んだが、我が3MAは・・・ワイヤー式のガードレールに絡まって大怪我、いや、もうほとんどお亡くなり状態近くまで追い込んでしまった。 フロント側は大破、フォークも明らかに曲がってしまい、リア側も後方排気のチャンバーは天に向かってヒン曲がってしまった・・・TZR上方排気になってしまったワケ。 当然直すより新しいのを買った方が安いくらいのダメージだった。 実は、私、当時学生だったにもかかわらず、ほとんど休学状態でトヨタの季節従業員として約4ヶ月間働き、小遣いを稼いでいた。まだ未体験のバイクレース(なぜかモトクロス・・^^;)に憧れて軍資金を蓄える腹づもりだったのだが・・・。 方向転換、またもや公道用バイク(?・この場合なんて云えばいいの?)購入用の資金となってしまった。 この時、TZR250はV型エンジン搭載の新型(3XV)になるコトはすでに分かっていた・・・、だけど何故だかやっぱり3MAが・・・という想いが捨てきれず、バイク屋さんと相談。 すると、’90型3MAではなく’89型3MAならまだ在庫があると言う・・・。 ’90型の倒立Fフォークに憧れはあったが、『’89の在庫新車・黒銀 40万円ポッキリ(発表当時は約62万円だったはず・・。)』に心惹かれ即決!!{※この時、’89FZR250(4スト)・白/水色の在庫新車もあった・・こちらは45万円!!(こちらは新車時約55万円だったはず。) なっ、何~!TZRの方が安いんか~いっ!?発表当時は話題性抜群だった後方排気も地に堕ちたモンだと痛感したのもこの時であった・・・。} こうして新たに購入した黒銀3MA(製番1万2千番台)は・・・何となく程度だが、加速フィーリングは以前の白赤より向上しているように感じた、中速域までのカブリのボコつき感も減少した印象だったし・・・。(←もっとも、あくまで体感的なモノだけだし、そもそも白赤はヘタリもあったワケだから・・・。(走行距離2万9000キロ)) こうして多少気を良くしていた私に、またもや一人の友人(’89NSR乗り)が牙をむく・・? つづく・・・。
2005年12月30日
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3MAのコンペンセータ内、ソレノイドバルブ制御メインエアジェット(以下、MAJ)の番数のお話です・・。 まず最初に、歴代3MA(・・といっても生産年数はたったの2年だけだが・・)のMAJ番数をご覧比較いただきたい。 MAJ1 MAJ2(S1) MAJ3(S2)’89初期型 (MJ150) #50 #50 #150’89中期以降(MJ180) #130 #50 #160’90STD (MJ210) #120 #100 #195’90SPモデル(MJ270) #120 #120 #175{上記:S1、S2とはソレノイドバルブ1、ソレノイドバルブ2のコト}{※以前にラウさんより’89初期型サービスマニュアルの存在を教えて頂きました。私は当時、その初期型に乗っておりましたが、MAJ番数まではさすがに確認しておりません、メカ音痴でしたし・・。} MAJ1は常時開放、つまりいつでもエアを取り込む孔で、MAJ2(S1)&MAJ3(S2)はスロットル開度&エンジン回転数を感知して、任意設定された算式{SM:1-5の『ソレノイドの作動特性』のマッピング参照}によって開閉される孔である。これによってスロットルの急な開閉にもレスポンス良く適切な混合気を供給する事を目的としている。(←目的としている・・・というところがミソ^-^) ちなみに、これらソレノイドバルブはキーオフ状態の時はどちらも閉じていて、キーオンで初めてS1、S2共に開く。それからエンジン回転数が低い時には概ねS1、S2とも開いた状態(1MAJ1+S1+S2の総計)。スロットル開度によるが、中速域でまずS2が閉じ(2MAJ1+S1の総計)、そしてスロットル開度1/2~全開域ではS2が開いていたのが、約11000rpm越えた付近でS1に切り替わるという具合。(3MAJ1+S2の総計→4MAJ1+S1の総計) それでは、上記の各領域にMAJトータル番数を当てはめてみる。 1 2 3 4 3-4 低速時 中速域 高~11000 11000以上 切替落差’89初期型 #250 #100 #200 #100 #100’89中期以降 #340 #180 #290 #180 #110’90スタンダード #415 #220 #315 #220 # 95’90SPモデル #415 #240 #295 #240 # 55 ’89モデルは初期&中期以降型共に’90モデルと比較してMAJ総量が少ない。ソレノイド作動マップが全モデル通して同様である事が大前提なのだが(そうでないと今回の解説は意味ないし・・)、1が低速域にあたるわけだが、’90std、SP共に#415と共通である。’89モデルノーマルの低速域はカブりやすく6~7千回転までの領域が鈍いので、少なくとも’90モデル程度まで番数を上げて(薄くして)みても良いのでは・・と私は仮定する。また、高速域途中で3→4に切り替わるのは、『馬力規制』対処のためにMJも大幅に下げた’90stdモデルまでが落差も大きい、また切り替える必要性というのは『回し過ぎ』防止&安全マージンの確保といったトコロだろうか。 私のセッティング考察はこうだ・・私の3MA(’89後期型)は、エア吸入量アップのためのエアクリ内2本L型ダクト撤去&MJは300台半ばに設定しているため、’90SP並のMAJ番数設定でもイケると判断。また、低~中速域以上までを司るニードルジェット&ジェットニードルのセットは’89と’90とでは異なっている。これも以前にラウさんHPの画像&メールにてアップ画像をいただき判断したのだが、’89ニードルは二次曲線的に絞り込まれているのに対し、’90のはSTD&SP共に直線的であった。そして、スロットル開度1/4以上くらいからは’89ニードルの方が相対的に細く、ニードルジェット(メインノズル)径は’89の方が大きい(’89:Q-8 ’90:Q-4)。つまり中速域は’89の方がメインノズルからの吐出量が確実に多いと思った。 それで私は以下の様に設定した。 MAJ1#130 MAJ2(S1)#120 MAJ3(S2)#160 変更したのはMAJ2(S1)のみ(#50→#120に変更)である。 以下、1~4の数値も表しておく。 1 2 3 4 3-4 低速時 中速域 高~11000 11000以上 切替落差 #410 #250 #290 #250 #40 このセッティング変更時の体感的なモノは、かなり低速域のトルクが向上した事。MJの変更も絡め、全回転域でトルク向上できた。 試しにMAJ2(S1)に(’89の場合の)設定上限と思われる#160(#120→#160)も入れてみた。残念ながら、#50→#120変更時みたいな劇的変化はナシ。おそらくだが、コンペンセータからキャブに送られるMAJ総量は#415+α程度が上限と思われる。それ以上のエア量はあの送り込む(2本の)管が容量不足なのか、あまり総番数が大きすぎると負圧流速が落ち込んで結果的にエア供給力不足になるのではないだろうか。’89モデル3MA乗りでMJ決定後、未だMAJは触ったコトがないという方は是非お試しいただきたい。もちろん私の決めたMAJ番数がベストとは申しませんし、万が一トラブルがあったとしても、当方が責任負えるモノではございませんのであしからず・・・
2005年10月08日
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・・・つづきです。 ’89型3MAは、途中変更テンコ盛りの機種だった。(まあ、新型として出た1年目は仕方ないことではあるが・・・。)ましてや自主馬力規制徹底の年だったのだからなおさらのコトなのか・・。 私の1台目3MA(白赤)はまさしくその初期型だった。今はもうないので再比較&再考察することはできないが、現在も所有の2台目(黒銀・おそらく後期型)とは記憶するだけでもいろいろと相違点がある。 では箇条書きに・・・●CDIユニット(正確に言うとCDI&エアジェット制御&YPVS制御)型番が違う(1台目:3MA-00 2台目:3MA-01 双方の違いはYPVS制御のマッピングが多少違うことが確認されている、他は不明。)●キャブのアイドルスクリューの取り回し方が違う(1台目はダイヤルがカウルダクト口のすぐ近くにまでせり出していた。2台目はそれに比べ、短く奥まっている。初期型のほうが調節しやすかったが、おそらくワイヤーが硬化劣化すると調節不能になりやすい構造なので変更したものと思われる。)●アクセル(スロットル)ワイヤーの取り回し&長さ変更(初期型はワイヤーの分岐点「筒状の樹脂部」がすぐ折れた。1台目なんて購入1ヶ月程度で破損、当然クレーム扱いで無償交換となったが、そのまた数ヵ月後再び破損した。2回目交換のときはさすがに対策品(後期型も当然コレ)となっていたが。) なお、プロトタイプ3MAと実際に市販された3MAとの相違点はさらに多岐に渡っていることは言うまでもない。サービスマニュアル記載の写真の多くがプロトタイプのモノである。●プロトタイプはタコメーターが0指針からあった(市販型は3000rpmから・・3MAの低速トルクの無さを考えれば当然か?)●フロントフォークとアンダーブラケットとの片側取り付けボルト数がプロト型は1本、市販型は2本●シリンダー外側の冷却水ホースの取り回しが異なる。(市販型はシリンダーヘッドに接続 プロト型は1番シリンダー側面部に接続)○プロト型は1番・2番マニホールド間のサクションパイプ(同調パイプ)が内側で連結されている(’90型と同じ)かたや、市販型’89型は外側で、長いゴムホースで連結、実は取り回し途中でメクラ栓がされている(つまり同調パイプの役割を果たしていない) ○印が今回のタイトルの改善方法のひとつでもある(←自論に過ぎないが・・)。ヤマハの2ストパラレルツインエンジンは、代々このサクションパイプの採用がお決まりだった。確か、現在バイク評論家の和歌山利宏氏がヤマハの開発技術者だった時に考案された方法だったと聞く。 そのシステムの理論はこうだ・・片方のシリンダー内が圧縮行程に入っている時、そのクランク内に発生する負圧によってキャブから混合気は取り込まれる行程に入るのだが、同時期もう片方のシリンダー内では爆発後の膨張行程に推移していてクランク内は予圧(1次圧縮)開始状態。つまりその気筒はバルブが閉じられた状態でキャブは一旦仕事をお休みしているみたいなもの。サクションパイプで繋がれたマニホールドは、本来ならばその一時お休みしている方のキャブからも、いっそのこと混合気を取り込ませようよっ!というシロモノである。 RZシリーズ、1KT、R1-Z、歴代のヤマハ2ストパラツインはすべてこれを踏襲している・・’89 3MAを除いては・・。 プロトタイプ3MAにはマニホールドの内側を結ぶ『同調パイプ』の存在が確かにあった。現に’89用左右のマニホールドにはそれぞれ(1)、(2)と記された『浮き文字(刻印?)』がある。おそらく(1番気筒用)、(2番気筒用)を表していると思われるが、実際に装着されるのはその逆となっていた、本来の取り付け方を中止したからだろう。 では、なぜ’89型はそれを一旦放棄してしまったのか?、’90型では再び復活するというのに・・・。 私が思うに、やはり『自主馬力規制』対策のためだったのではないかと思っている。馬力を抑えるためにはトルクも抑えなくてはならないコトから、トルクを稼ぐこの方法は今回取りやめようというコトになったのだろう。一方’90型3MAでは、再びこれは採用されることになる。馬力規制対策として別の方法論を見つけ出したからであろう・・。 いずれにしても、’89型3MAの場合、吸気系での抑制が強すぎる。構造上低速域がただでさえ弱いのに、それに拍車をかける様な方法論だった・・。 さて、次回は3MAのコンペンセータ(メインエアジェット制御ソレノイドバルブシステム)について・・・。 うまく伝わるかな~!?
2005年10月06日
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3MA(’89) SP忠男チャンバー&吸入ダクト2本外し仕様 MJ#360 しんちゃさんのHP、satoruさん公表のセッティング数値である。 衝撃的な数字だった・・・。そして懐疑的にすら思ったくらいである。いくら何でもノーマル#180だぞ・・・倍の#360ってなんだよ、オイオイ・・! とはいえ、試さない手はない。私は#380以下#300まで買い足すコトにする。(当時、確か何番かは抜けていたが・・)ただし、先日述べたが、この時の私の3MAは純正ノーマルチャンバーのまま。吸気ダクトは外したとはいえ、そのまま#360を取り付けただけではさすがに高回転まですんなり回らなかった。しかしそこから順に番数を落としていくと、310番くらいですこぶる気持ちいい感触を味わえた、少なくとも#280の時よりも格段にトルクを感じ取れた。(’02の秋、気温20度くらい) ヒョ~これだよ、オレが欲しかった加速感は!(←この時の私浮かれてます、確実に) そうなってくると、いよいよ社外チャンバーも欲しくなってくるわけだが、まずは、以前よりの懸案だったノーマルチャンバー入り口の一段細くなるあのカラーを外してみるコトにした。といってもポンッと外れるモノではない。溶接で取り付けられているためにリューターで削り落とさなくてはいけない。 用心深い私(?)は失敗に備えて、オークションでもう1セットのノーマルを入手してそれを削ってみた。(←素直に社外買えよ!、その後間もなくオクで買いますが・・・サイレンサー排気口がつぶれ、ブラケットフランジが曲がった忠男チャンバー中古を^^; ) そのノーマル『改』チャンバー装着時、番手は#330が良好だったかなぁ。#340も試したかったのだが持ち合わせがなく、#350は試したが若干11000回転付近で鈍かったのでこの番手に落ち着いた。 いずれにしてもノーマルチャンバーでさえ、このパフォーマンス、しんちゃさん&satoruさんの公表データは認めざるを得なかった・・、このHPをもし見ていなかったら今頃私は200番台をさまよい続け、ああでもないこうでもないと、もがき苦しんでいたコトだろう・・。 本当にこのお二方にはお礼申し上げます さて、主に高回転域を司るMJ番数は仮にも決定したわけだが、’89後方排気にはもう一つ弱いところがある。低中速域である。3MA後方排気は’89だけでなく、’90型も存在しているが、’90ノーマルと比較しても’89は明らかに低中速トルクが弱い(らしい・・乗った記憶はほとんどございませんが)。 この時のMJ変更によって、私の3MAはさらに低中速域の細さが際だつようになった。7000回転までが全般的に濃すぎるようで、カブリ気味の回転上昇感、明らかに引っかかるような鈍さである。確かにこれこそが以前私が述べたピ-キーさであると言えなくもないが、トルクはあるに越したコトはない。試行錯誤してジェットニードル段数にも手を入れてみたが、1段薄くセットしてみても思うほど絞れてトルク感が向上したとまではいかない・・。{※ノーマルのニードルでは1段しか薄くできない。ノーマル段数2/5(上から)だから。} 乗ってみたことがほとんど無い’90型ではあるが、’89と比べて仕様変更された箇所はいろいろと調べてみれば分かる。そのデータを照らし合わせながら、私は再度セッティングをしてみるコトにした・・・(ちとオーバーかな?)。・・・つづく。
2005年10月04日
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私がインターネットのできる環境を持つコトになったのは結構遅いほうだ。 確か’98年だったと思う、しかもOSは相変わらずのWin95のノート型だったため、何もかも少ないし遅かった・・・。エスについては様々な情報が欲しかったモノだが、それまでの情報源はもっぱら旧車雑誌くらいだったと思う。それを思うとやはりネットが見られるようになっただけでも有難くもあり、またとても嬉しかったモノだ。 私は3MAが大好きだった割に、当時のSPレース等にはあまり興味がなかった。(WGPは大好きだったが・・・。)だから、3MAチューニング方法として当時のRC菅生がセッティングマニュアルらしきモノを出していたコトは知っていたが、結局中身は知らずじまいに終わっていた。(・・・クドいようだが、当時の私のメカ音痴加減さにもよる。) 3MAの情報をネットで知るようになったのはさらに遅く、’02年くらいだったかと思う。昨日書いたが、3MAを再び動かす様になってもしばらくネット情報の存在に気付きもしなかった。それまではセッテイングも自己流のみで、時々バイク屋さん(←チューニング系のお店ではない)に意見を聞く程度のモノであった。「2ストのバイクって、馬力規制で本来のポテンシャルより馬力を落としてる場合、メーカーはどんな手法を採ってるの?」と私。「最近のバイクだともっぱらコンピューターに依るところが大きいな。でも2スト・4ストを問わず、90年以前のバイクだと、多少の電子制御はあるとしてもやはり吸気系と排気系とに抵抗をカマせて容量ダウンで抑えてるんじゃないかな!?」とバイク屋さん。 ・・・なるほど、それじゃあ一度私の3MAも開けてみましょう。まずは吸気系。ガソリンタンクを外すとタンク下前方に黒いエアクリボックスが隠れている。さらにそれを開けるとL型をしたゴム製の管が2本左右対称に並んでいる。コレを外すとずいぶんとエア吸入量が増えそうだな~。 ただし、闇雲にエア量増やすだけでは、ガスとの混合比率が崩れて薄くなって危険だから・・・何といっても#180しかないし。とりあえずメインジェット(MJ)だけでも複数番手揃えておきますか・・・。 そして排気系。私は3MA購入時からの数年間、社外チャンバーにずーっと憧れつつも結局購入はできずに今日に至っていて、この時(’01年頃)もまだノーマルチャンバーのまま。私はその時初めてノーマルチャンバーを外してみたのだった。社外チャンバーは写真等でしか見たコトが無かったが、形状はともかく容量的にみてノーマルがそんなに見劣りしてるようには思えない。ただ、中を覗いてみるとチャンバー入り口が外径に比べ内径がやけに小さいコトに気づく。バイク屋さんが言っていた「排気系の容量ダウン」とはこの事なのか!? 私は取りあえずMJをデイトナか何だったかの1KT(初代TZR250)用6種セット(#240、250、260、270、280、290)で購入した。’89の3MAノーマルが#180、管も抜いてエア吸入量も増えたことだし、1KTより上であるコトは間違いないから(←結構思いこみの当てずっぽう)・・・#260くらいから始めてみるか。 おっ!悪くないね!じゃあ#270・・うん、よい感じ!?さらに#280・・・わ、悪くないよね・・・?っていうか、よくわからなくなってきたぞ~??? そんなコトやっている時に、私はネット上で初めて3MA関連・複数のHPの存在を発見することになる。 その中にしんちゃさんのHPはあった・・・。3MA乗りで知らない人はおそらくいないだろう。 最初、私はこちらの情報に眼を疑ったモノだ・・・詳細はつづく・・。
2005年10月02日
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あ~、ブログる間隔が空いてしまった~。木、金と私の業界の行事ゴトと仕事の関係で書き込む時間がありませんでした・・・まっ、いいか・・・。--------------------------------------------------------------------- 私が3MAを弄るというか、セッティングについて考え始めたのはそんなに昔のコトではない。 ’89年に最初の3MAを購入、その約2年後には懲りもせず再び’89式黒銀3MAを買ったわけだが、その頃の私は3MAの性能に不満は持ちながらもそれなりに走りに楽しんでいた。 さらに大学卒業後すぐに家業を継いで、約1年後の私はホンダSを購入。そのSの相次ぐトラブルに踊らされながらも、さらにそのまた1年後、学生時代に限定解除をせっかく取っていたんだから・・というコトを理由に昔から好きだった初代SRX-6(2型・中古)を購入していた。 そして、’96年頃のわが3MAは半ば『車庫の肥やし』状態になっていた。 それから2000年を迎え、私のSはこのコロようやくにして、ほぼオリジナル状態、そして大きなトラブルで悩まされることからは解放される様になった。 そしてその頃からまた再び我が3MAのコトが気になり始めた。 約4年間放置されていたコイツはさすがにそのままでは動き出しそうもなく、満タンだったはずのタンクの中には腐ったガソリンが1/3程度になっていた。キャブのOH、ガソリンラインの見直しは最低限必至である。 だが、それまでの間Sのことをかまい続けていた私はチーッとばかりではあるがメカの知識も身に付いてきていたし、工具類もかなり揃うようになっていた。 Sに比べれば2ストの我がバイクを目覚めさせるコトはそう難しいコトではなくなっていた。 しかし、3MAが再び走れるようになったことであの頃の想いが再びよみがえる・・・。「本当の3MAはこんなモンじゃあ無いっ!」 私は素人なりに3MAのセッティングについて考え始めるようになった・・・つづく。
2005年10月01日
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1989年、各バイクメーカーはこの年から自主馬力規制遵守の徹底に踏み切った。{250cc45PS以下・400cc59PS以下・750cc77PS以下等:それ以前から自主馬力規制は謳われていたが、徹底されていたとはいい難い。} 新生TZR後方排気(3MA)発売の年と重なったのは不運としか云いようがない、と私は思っている。3MAはレーサーレプリカ車としての当然の宿命『速いマシン』、少なくとも2スト250cc最速を目指して開発はされていたはずだった。{※市販レーサーTZ後方排気の実績もあった。}前年には’88NSRというベンチマーク(仮想ライバル)の存在もあった訳だし、ヤマハにしてみればもはや1KT(2XT)ではサーキット上(SP&F-3クラス)でNSR&Vガンマ群に太刀打ちできないことから、満を持しての投入だった(はず・・・V型も同時開発とは聞いているが)。 ところが、前述の規制遵守の方向が、後方排気レイアウトがもたらす最大メリットの「高回転域の伸び」を完全にスポイルしてしまった。 3MAのエンジンレイアウトは、並列2気筒ではあるが前方吸気&後方排気の特殊構造で、排気側はパワーを稼ぐチャンバー形状を比較的容易に作りだせるメリットがある。反面、吸気側はエンジン前方&クランク軸下方に位置し、スペースを空け難い場所に配置されている。そのためキャブ&マニホールド長はうまく稼げず(ましてやファンネルらしきモノは無いに等しい)、低速域では吸入負圧が生じにくく流速が速まりにくいし、クランク軸より低い位置から吸入された混合ガスは気化(霧化?)が理想的に促進されないまま掃気されるため、低速側でのトルクはライバル他車に比べ元々アドバンテージはなかったと思われる。 当時のヤマハ3MA開発陣は、困惑したことだろう。発売予定日目前にしての「焼き付き」事件で発売延期になったことは有名な(?)話だが、これは馬力規制に対応し本来ねらっていた目標馬力{推定55馬力以上}から大幅に落とす方向でセッティングをし直さなければならなかった結果だったのだろうと私は推測している。 ’88式2XT(ビッグマイナーチェンジ後の初代TZR250)は28パイキャブ搭載でメインジェット(以下:MJ)#230だった。{市販状態で推定50PS} 対して’89式3MAはミクニ32パイキャブ搭載にもかかわらずMJ#180!!(最初期にいたってはMJ#150(小さっ!):私の1台目の白赤3MAもこれにあたる。)それに合わせて吸入ダクト口は大幅に狭められているし、コンペンセータ内の3連装メインエアジェットも同等に絞られていた。同時期のスズキRGV250ガンマも同じくミクニTMキャブユーザーだったのだがMJは#260(?・うろ覚え)はあったことからも、3MAがいかに吸気側のセッティングで馬力を絞り込ませていたかが分かるだろう・・。(NSRはケイヒン製だからMJでの同様の比較はできない・・) ’89NSRは’88のそれと比較して、おとなしくなったというのが大方の見方であるが、’88式は当時55馬力は出ていたというのだから仕方のないことである。しかし、’89は馬力抑制は受けているもののそれに余りある低速トルク増大でよく走るバイクを実現している。 対して、馬力規制を課せられた3MAは回転数全域でトルク&馬力のスケールダウンを余儀なくされたといっていい。 悲しいかな’89後方排気3MAは前述(吸気側構造による特性)の理由でそれが実現できなかった、というより不可能だった。高速域のパンチ力という武器を発売前から失った3MAは、エンジンの特殊レイアウトゆえの話題性とは裏腹にRRとしての魅力は発揮できなかった・・・。 今なお3MAを愛してやまないオーナーのほとんどの方が口を揃えていう言葉がある。「・・でも、3MAはホントに音(エキゾーストサウンド)が良いんだよね~!」 半分悔し紛れとも取れるそのコトバ・・・(確かに2ストパラツイン中で最高だとは思う。) でも、(ヤマハがねらっていた)本来の3MAは音だけでは断じてない!のである・・。・・・つづく
2005年09月25日
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TZR250(3MA)オーナー諸兄のお叱り&ご批判等を覚悟の上で言わせてもらいますが、ドノーマル(メーカー出荷まま)状態の’89TZR250後方排気はハッキリいって、遅いです・・・。 もちろんワインディング走行のコトをいっている訳ではありません、その場合は乗り手の技量のほうがむしろ大きいですし・・・。今回いっているのは、加速性能のコトです。 3MA購入当時、私の周りのバイク連中はレーサーレプリカ(RR)乗りの方が圧倒的に多く、その仲間たちとの話題に上がるのが決まって「誰々が速い。」とか「~(バイク名)が速い。」という類でした。RR車である以上、当然の宿命だったともいえます。 私はもちろん峠もよく走りに行きましたが、友人の中でのバイク性能優劣決定戦はもっぱらシグナルグランプリ(加速競争)と決まっていました。 で、我が3MAのライバルとなるのが、2スト250&4スト400RR群でした。当時、私の友人の中には’89NSR250や’88CBR400RR、’87GSX-R400乗りがいて何回も加速競争したものです。 ’89年秋、実家近くの田舎道で上記3台&我が3MA&友人RZ250(年式不明)の計5台でこの勝負は始まりました。 私もだいぶ3MAに乗り慣れた頃(←当時そう思い込んでいる^^;)で、ピーキーだといわれている3MAでもスタートダッシュのテクは身に付いたと思っていたモノでした。 ゼロ発進、約500メートル程度の直線勝負で、2台ずつの総当たり戦。 3MAのベストスタートは8000回転維持での半クラッチミートで、その回転以下だとスタートは失敗を意味します。もしクラッチミート失敗で6000回転くらいにドロップさせてしまうと回転はなかなか立ち上がってくれず、ライバルは遥か前方になってしまうのです。 この時の結果は、’88CBR、’89NSR、’87GSX、我が3MA、RZ250の順でした。特にCBRとNSRには何度トライしても、完膚なきまでに打ちのめされました・・。私のスタート成功で一度は前に出られたとしても、高回転域(3MAで12000回転シフトアップ)でこの2台は3MAを大きく凌駕しているようでした。途中抜かれる時の速度差は5キロ以上に思えました。・・・くやしい・・・。’89NSRに勝てないのですから、当時フルパワーといわれていた’88NSRにはもちろん勝てないですし、CBR以上の速さといわれていたVFRにも加速では勝てそうもありません。(実際、後日それらのバイクとも勝負しましたが・・・。) 当時の私は、3MAの性能をライバルRR勢と比較し、劣等感すら抱いていた様でありました・・・。 後日、3MA誕生時の背景も考察しながら、最良3MAセッテイングとは?を考えていきたいと思います・・・、皆さんにはどうでも良いことでしょうが、独り言とお思いください・・・^^; ↓私の2台目の’89式3MA、1台目は白赤でした。↓
2005年09月24日
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慣らし走行完了後初の全開加速には正直なところ失望させられた・・・。それ以前にNSRやガンマのV型勢の弾けるような加速力を知ってしまったからであろうか?いや、違う・・・それどころか先代の1KTより遅い気すらする。な、何で・・・?私の後方排気ってエンジンがハズレなのか!? 3MAが発売されてから矢継ぎ早に後方排気の特集が組まれたバイク誌も次々と出てきたが、どれを読んでも「ピーキーなエンジン特性」と評されている。 ピーキー・・・。私の後方排気から得られる感覚だと何となくこの言葉とは違うような気がした。「ピーキーなバイク」というニュアンスに私が想像するのは、例えば初代RZ(YPVSなし)のような、「下はスカスカだけど回転上昇に伴って上では二次曲線的に弾けて吹け上がるぜーっ」って感覚。 で、私の3MAはというと「下はなんだかボーッとしてて、回転上昇に伴って音は弾け出しても加速は何とか比例直線・・・。(本当に音質は良いんだが。)」って感じ・・・。 前方吸気そして後方排気、自然の流れにそった理想的高効率なエンジンレイアウトなん違うんかいっ!?--------------------------------------------------------------------- 当時の3MAオーナーさんや試乗された方々で、私と同じような感想を抱かれた方はおられるだろうか?実は’89モデル、特に初期出荷の3MAは本当にそんなモンだったと思う。 ピーキーって言葉を使うとスパルタンで乗り手を選ぶ硬派な感じがして聞こえは悪くないけれど、最大出力発生回転域ですらNSR・ガンマに勝れないのではピーキーもクソもないなぁと思ったモノだ(当時のそれ以降にそれらのマシンと勝負や比較をしてみて・・)。 自分のバイクに対してずいぶんと悪態こいてしまったが、それが当時からの「後方排気たるや、~なエンジンレイアウト!!」といいながらも実際のパフォーマンスとのギャップに疑問を持ち、私の頭の中でズーッとくすぶり続け、いつかもっといいバイクに仕上げたいっ!!という意気込みが今日までコイツを持ち続けてきた理由だった気がする・・。
2005年09月09日
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TZR250後方排気の発売は’89年の2月予定だった。 私はその当時(大学1年)、発売時期と同時に購入すると標準を定め、バイトに勤しんでいた。’89年の年明けには、行きつけになっていたバイク屋さんにすでに予約を入れていたくらいである。 ところが実際の発売は4月に延期された。なんでも走行テスト中にエンジン焼き付きが発生し、セッティングや仕様の変更やらで2月には間に合わなくなったらしい。「おいおい、後方排気大丈夫かよ!?」と購入意欲満々だった私には一抹の不安を感じさせた。 当時、バイク関連雑誌では『TZR後方排気』が結構誌面を賑わわせていた記憶がある。『SPクラス首位奪還をめざし、ヤマハ後方排気出陣!』(・・みたいな・・)とか、『打倒、NSR!!ヤマハTZR後方排気誕生!!』(・・みたいな・・)とか、 RR(レーサーレプリカ)全盛の時代だったし、エンジンレイアウトもある意味特殊だったコトもあり、RRユーザーには興味を湧かせるのに充分なマシンだった。 待ちに待った4月、遂に私の手許にニューTZRはやってきた。(正確にはバイク屋さんに貰いに行った・・) ホワイトパール地にファインレッドのヤマハ定番ストロボカラー、シルバーの『蹴り上がり』ラインが、まんまレーサーTZ!! ん~、ブレーキMシリンダータンクが当時はやりの別体式じゃないのが、ちぃと残念だったが、かっこいい・・まあ合格合格! 焦る気持ちをグッとこらえ、取りあえずはナラシ走行。 あまりメカ知識はなかった私であるが、自分勝手に『1500キロ慣らしスケジュール』は組んでいた。最初の500キロ:5千回転リミット、~1000キロまで:7千回転リミット&1000キロ時ギアオイル交換、最終1500キロまで:基本7千回転&時々9千回転まわす、みたいな感じ。{しかし、ナラシの5千回転リミットは本当に走らなかった・・。というより、5千回転キープでの半クラッチスタートじゃないとまともな出足とならない!友人の’88NSRに乗せてもらったコトが度々あっただけに、なおさらそう感じた。確かNSRは5千回転でクラッチ繋ぐとそれこそフロントアップ&ウイリーにも持っていけた記憶がある。ピーキーな特性と聞いてはいたが、慣らし後ははたして・・・?} 学生の身分だったからか(^^;?)、5日間で慣らし完了。 そして、、、場所は京都の周山街道。「・・・1500キロ到達、よ~しっっ!!」 一旦、スピードをゆるめ、惰性走行まで回転を落とす・・。 そして・・全開っっ!!パオオオオオ・・・・ウオオオオオッッッ!!!(9000回転超!)グオオオオオ!!「・・あ、アレッ!?・・・こんなモン・・?」・・・初全開走行の感想はこんな感じだった・・・。
2005年09月07日
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・・・まずは、プロフィールに書き込んだバイクやクルマの紹介をしなきゃなりませんね・・・ということで今日は、TZR250後方排気(3MA)編です。私のバイクは型式3MAというヤマハ’89年式TZR250、通称「後方排気」という2ストレーサーレプリカ。足かけ16年所有、「足かけ」と書いたのは、今現在所有の3MAは実は2台目だから・・。乗り換えた理由はまた後日に書くとして・・・高校時代からバイクに乗ることを夢見ていた私は、卒業したら即バイクを買う!と心に決めていた。(当時の我が校は3ナイ学校・しかし高1の時、たまたま親父がヒトから貰ってきたヤマハベルーガ90に跨り近くの峠を走ることで味を覚えてしまった)そう、お目当てはもちろん当時大ブームだったレーサーレプリカ(中型)!とはいうものの、卒業後すぐ買えるようなお金は無い。とりあえずはNSR50で我慢して(中型に乗るための準備練習機と勝手に決め込んでいたフシがある・・とはいうもののかなり高かったが)、1年ぐらいバイトで軍資金を貯めて、その間にも購入するであろう友人達のバイクを試乗させてもらいながら、自分のバイクを決定しようと目論んだ。(←他人のバイクを借りようなんて・・・今の私は恐れ多くてとても出来ない^^;)その間に出るわ出るわ、バイクに乗り始めた友人達。GSX400R、CBR400R、RG250γ・・そして、ブランニュー!RGV250γ(’88)はたまた極めつけはやはり’88NSR!!いや~、速かったですわ~っ!試乗させてもらった時のその感覚が、多少は誇大評価的になっているかも知れんが今でも残っている。そして、私は「2ST最高!!」信者となる。高校の時から、何となくのヤマハ党だった私だが、当時のNSRの台頭で1KT(初代TZR)にはさすがに魅力を見出すことができなくなっていた。(オーナーさん、ごめんなさい)そして、確か’88年夏頃(だったかな?)のバイク雑誌にこんな記事が載る。 『ニューTZR遂に始動!レイアウトは後方排気!!』これだーっっ!!私は血が沸き上がるほどの感動を覚えた・・。・・つづく
2005年08月27日
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