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2月下旬、北陸地方の当地でも時折の春の近付きを感じる時、我がガレージに集まるモノ好き達もそれに合わせてうごめき出す。 で、またまた新参者(モノ)が入ってきた。 ハーレー ダイナ系のカスタムバイク。コレをさらに自分仕様に色付けしていくというコトらしい。 ・・・えぇ、アッ、ボク? ア、ハイハイ・・・ そして、3月に入るといよいよ地元の趣味人達も動き出す。ハイ、ダポさんとマツダ ポーター。程度良い旧車の天井を大胆かつ細心(?)の注意を払いながらにカット!はいっ、サンルーフの出来上がりでござーいっ♪とばかりにお披露目しに登場っ さらに翌日にはもう一人の地元の趣味人、カッ○ルさんもバモスホンダで参上。みんな、好きね~っ♪ そして、自分もする事がいっぱいできました・・・仕事以外で・・・ そんな中でもチョー久しぶりに『AK講習会』に参加させてもらったり・・・(AK持っていませんが。) その参加者の中のおひとり、『瓦屋』さんがウチにも(遠回りなのに)お寄りくださったり・・・ウチのガレージ前でもこんな(↑👆↑)格好でメンテされてます・・・ さあ、ハーレーの作業開始。ハーレーカスタムの定番(?・よくは知らんけど)ドロップタイプのタンクだと都会ではイイかも知れないけど、ド田舎の当地ではいかんせん小さすぎる。行先によっては5~60キロもガススタンドがないトコロもあるし、実質4Lにも満たないタンクじゃ心細すぎる。 で、上画像のRD風タンク(中華製)の9Lタンク(実質8L?)に交換。 当然、ダイナ用ではないのでポン付けとはいかないのはしょうがないとして、ソレでもさすがは中華製!漏れこそないが圧着溶接箇所の仕上げがザツいっ!雑過ぎるっバリ取りが不十分で触るとチクチクするし箇所によっては触れる指をスパッと切りよるエグさですぅ・・・ ・・・とブツクサ愚痴をこぼしながらもバリ取り&フィッティングを繰り返すオーナー・・・ ボクは高みの見物ですけどね。 塗装もまたオーナー本人の手作業。 ボクのしたコトといえば、オーナーが決めた位置にタンクを固定できるようにブラケット等をお作りするのが役目。 で、コレで完成・・・かな? そんくらいしかしてないのにまたもやボクのあだ名をタンクに書き入れてくれるオーナーさんのおおらかさよ・・・(苦笑) (Painted by Dapoo!) ・・・もちろんご本人を指す『印』も当然入っております♪ あれっ?なんかまとまりないけど今回の書き込みはこれまで・・・やっぱブランク空くとダメだね、取り留めなくなっちゃうわぁ!
2021年05月12日
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・・・仕事の心配&苦悩は尽きないが、その仕事がろくに無いのだからほかの事をせねばなるまい。 本来GWだったはずの時期は今までの数年来見て見ぬふりしていた自宅&庭周りの大掃除、そして断捨離。生まれておそらく初めての障子張り作業も丸一日かけてやってみた。初めてにしては上手くいったと自己満足もしてみたりした。 で、連休明けてからようやくの我がガレージ掃除。 下手に(?)わりと恵まれたガレージスペースなもんだから、空間がある限りナンでもカンでも地べたに置いたまま放置する癖ができてしまい、気付けばヒトが一人通れるくらいの通路しか確保できていない始末・・・苦笑 とりあえず「空間をもっと上手に使おうよ♪」をキャッチフレーズに整頓開始っす! ヒデさんに5年くらい前に折角いただいたツールキャビネットも活用できていなかったでしょ、ダポさんからもらったガラスケースも空っぽのまま半年は放置状態だったな・・・ よーし、いっさいがっさい有効活用させてもらおーっ! で、本命3MAエンジン腰下とエスハチの予備ミッションを陳列してみた・・・う~ん、まだかなりさびしいな。 でもようやくガレージっぽくなってきた♪ 空間もようやく出来てきた♪ ずいぶん断捨離したはずなのにまた入ってくるモノもある・・・ナゼ? まあでも、だいぶスッキリしたかなっ!? ・・・3MAにもそろそろ乗りたいなぁ・・・ あ、3MAの下に敷いてあるキャスターも7、8年前に友人からもらったモノ・・・なるほど、こうして使うのかぁ・・・と初めてバイクの下にセットしてみた自分です(苦笑)
2020年05月20日
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昨今の世界的混沌とした情勢の中、今年に入って早々と書き込みも止め(←それはちょくちょくですが・・・)、少しは良くなる兆しを夢見てじぃっとおとなしくしていました・・・ そうした中、私事なのですが、3月末をもちまして13年間務めてまいりました地元消防団を退団いたしました。このようなご時世なので、ホントにひっそりと、でした・・・。 思えば13年前の最初に入団の誘いをもらった時には、本当に困惑しありがた迷惑なコトだとも思ったものでしたが、今になって思うとあっという間のコトだったようにも感じます。当分団は本当に結束力が高く、気のイイ仲間たちの集団でした、そしていろんな意味、いろんな分野(?)で貴重な経験をさせてもらい深く感謝している次第です。 で、その分団員たちとは別のヒトからも労い(ねぎらい?)のプレゼントをいただきました。 そうっ!やっぱりの『金麦』!何度お願いしても本物のビールにはしてくれませんっ!!いや、本当にうれしいんですけどね・・・ それと思い出(?)のポンプ車を手元に、というコトでトミカもいただきました。 いただいたカタには失礼なのですがツッコミを入れさせてもらいますと、車両は『トヨタ・ダイナ』で正解なのですが架装のポンプユニットは『モリタ』製ではないんですねーっ、残念っ! 正解は『日本ドライケミカル』製でした、えっ!?そんなのトミカにないんですか、そうですかぁ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ で、『1~3月はホソボソとこんなコトしてましたヨ』の備忘録。 ハスラー90、「やっぱりIGコイルは新調しておこう」作業。 初代ハスラー90の純正IGコイルの設置位置は左側直近にチャンバーがかぁなり迫っているコトもありスペース的に非常にタイトで、コイル本体のサイズやテンションコードの出る向きに制約があった。純正同形状のデンソー製IGコイル等見つかるワケもないので、ひたすらコンパクトさだけを念頭にモンキー用の社外品で賄うことにした。取り付けボルト位置は当然異なるのでブラケットはアルミ板で自作した。 BMW K1200S、「社外マフラー付けといてくれ」作業。 純正のマフラーはかなりデカく、サイレンサーの長さ的にもナンだか野暮ったい。で、アッメリカーンな社外マフラーをオーナー氏がヤ○オクでゲット。『Two Brothers Racing』ってメーカーのスリップオンタイプのヤツ。結構スッキリしていていいんじゃない、ナニより純正の重さの1/3くらいなのが素敵っ! S800C、「タコメーター、ホントに合ってるの?」作業。 こんな計測器がウチに眠っているコトに最近になって気づき使ってみるコトにした。我がSの純正タコは1000rpm以下での表示がかなり渋め(低く表示)なのは音的にも分かっていたが、1~2000rpmの間でも計測器とは200回転の誤差があり、高回転になるにつれ誤差が小さくなるコトが分かった。 BMW K1200S、「残念っ、カウル一か所だけ欠けてるんですけど修復できる?」作業。 今回触ってた時の感覚的なモンなんだけど、BMWのフェアリング(カウル)の純正塗料{※}って何だか変じゃない?エコだか知らないけどさ、気持ち悪いくらい触れ心地がベトベトしてるの・・・エタノールで拭くだけで塗装がどんどん落ちるし。{※ 上画像のマットブルー&セミグロスブラックの部分を指しているワケではありません。その部分は純正カラーではなくダポさんオリジナル塗装でウレタン塗装です、お間違えないよう。} カウルの材料も当然ABS樹脂じゃないよね、接着剤でのくっ付きも悪いので今回も『クイックメルダー(訂正 2020.07.07:ワイヤーメンダー)』&『プラリペア』の複合技です。 S800C、「予備の純正スイッチ、トグル取手が欠損してるけど再現できる?」作業 by ワンオフ工房 またまたお世話になりました、ありがとうございましたっ!それと純正予備のディマースイッチったら本体部も粉々に砕けてたんだよねーっ!分解する際に金属プレート外したら樹脂部がポロポロ崩れてくるんでビックリしたよ・・・ S800C、「純正デフに想いを馳せるっ!」作業・・・っていうか、ただの妄想中。 以上。
2020年04月11日
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ワタシにとって慌ただしい3月だった・・・ 先週、娘がようやく新・大学生として関東方面に引っ越し。我がハイエースに生活用品を満載にして中央道を1日半で往復。 ・・・ま、その話はそれくらいにして、昨年12月にスタッドレスタイヤを新調した我がハイエースだったが、今シーズンは昨シーズンとは打って変わってのまさに本物の暖冬だった。テレビのニュースを見ていた限りだと下手すると関東地方よりも雪が降っていないかもしれない、そんな当地だった。 で、積雪地帯である当地がろくに降らなかった場合の弊害というのが・・・ これ。 ホイールカバーを外してみたら分かるが、外側から見えているトコロだけ鉄チンホイールもサビサビ。結果的に雪が降らなくても降雪&凍結の恐れに備えてそこら中に融雪剤が撒かれるわりに、水や雪で流し落とされもしないもんだから塩害の方が凄かったんじゃないかと思われ・・・もちろん、いうまでもなくスタッドレスは無駄に浪費・・・orz そして、3月。昨年のワンシーズンはスタッドレスタイヤの履きツブし(≒ノーマルタイヤは一昨年に履きつぶし)だったので、また新たに新ノーマルタイヤ購入。たった3ヶ月の間にタイヤ代14万円近くは結構泣けてくる・・・ ただし、友人のクルマ屋さんは現行ハイエースの(ほぼ未使用)純正鉄チンホイール&ホイールカバーを付けてくれた。なにげに嬉しかったりします♪これでルンルン気分で安心して娘を関東に送るコトができましたヨ ☆ミ ・・・などなど春を迎えるたびに訪れる『家族のクルマのタイヤ交換』風景の場にまたまた怪しげなアイツ(マシン名:カワサキ野郎)がポツリ・・・ついこの前ナンバープレートをくっ付けたばかりだというのに今度はナニよっ!? ナンでも、昨年にリヤタイヤを新調したがどうも装着の際にタイヤチューブをビードに若干噛み込ませてしまったようで今も一週間くらいで抜けてしまう・・・らしい。 ワタシャー知りませんよっ!ワタシが取り付けたワケでもございませんからねっ!! というコトでリヤタイヤを外してあげただけで、リヤタイヤはパンク修理でクルマ屋さんへ。 バイク預かり料、取ろうかな・・・ボソッ・・・ で、つい先日クルマ屋さんからパンク修理を終え、我が車庫にリヤタイヤ入荷・・・って、取り付けもまたオレかよ。 これまたつい先日、長年・・・うん塗装途中で4年半も放置してしまった我が3MAのカウルをダポさんガレージから引き揚げてきた。フルカウルすべてを預けたままだったのだから、仕事依頼として受け取ったワケでもないダポさんとしてはさぞ邪魔だったコトだろう・・・ゴメンナサイネ(苦笑) 我が3MAの側面を写真に撮ったりしてラインの高さを決めていたのだが、やっぱりいざ装着してみると思い通りとはならないねーっ。ただでさえ3MAの場合、上方から見て縦に抑揚がある(特にリヤカウル)形状だからラインの位置決めが難しい、装着状態でライン引きしないとやっぱダメですね。 ・・・というコトでやり直ししますw
2019年03月31日
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・・・おいおい、備忘録のはずなのに『5,6,7月の総括』って・・・なんのこっちゃ! エス、調子を取り戻しつつあります。何よりミッションの異音がしなくなったのがうれしいっす。 前回、ならず者(ラットカスタムのエストレヤ)の面倒を診たらお調子におノりになられたオーナー氏が今度は不動になったハスラー90(1970式)まで我がガレージに置いていった・・・ 数年間の不動車点検のセオリーに沿って見直していったが、最終的な問題点としては突然火花が飛ばなくなる症状で、高回転域での走行中に突然パーンッつってナンの前触れもなくいきなりエンジンが止まるっ!? そうなるとしばらく再始動できない。で、しばらく放っておくとエンジンがまた掛かるようになる。 そんな様子からイグニッションコイルの不良を疑ったが、結論はスパークプラグの交換だけで事が済んだ、めでたしめでたし。 引き続きましては、我が町が所有する2台のヤマハ製4スト発電機・・・何故かワタシに「直してくれ。」と区長がおっしゃる、えっ?コレッてワタシの仕事なのでしょうか??? 1台は見事キャブ内ジェットの詰まりが原因。もう1台は詰まってはいなかったが、ガソリンが完全に死んでました、新しいガソリンに入れ替えたら見事復活。 お次は、お久しぶりですダポさん、愛機のベスパ・ビンテージ100。 アイドリングが不安定でよく止まってしまうらしい。 これまた空冷2ストなバイクなので『抱き付き』ぎみなんかの症状も脳裏をよぎったが、覗いてみるとキャブの取り付け部がガタガタに緩んでいるコトが分かった。 二次エアを吸い込むのでアイドリングが安定しなかったのだろう。 もちろん念には念を入れ、キャブはいったん外してフロート室の中もお掃除。 キャブに直付け式の燃料フィルターも点検するとそこそこのゴミが溜まっていたので、そこも掃除できて良かったと思います。 イタ車なベスパは『ミリ規格』ではあるけれど、やっぱ日本車とはちょっとばかり多用レンジが違いますね。燃料タンクやFフェンダーの取り付けボルトが M7(P1.0・ボルト頭は11ミリ)なんすよね~っ しかも何本かかじり気味だったので、タップ&ダイスで修正・・・多分このサイズのタップ&ダイスを使ったのは今回がお初だったかもしれない。 そんなワケでベスパ、快調に走るようになりましたよ。 ただ、ベスパ特有の操作法に慣れるのには少し時間を要しましたが・・・(;´∀`) はいっ、では、とっとと持ってけーっ♪ で、ヒト様のバイクばっかイジってたら、ナンだか自分のバイクが無性に気になってきましたよ・・・ ・・・てか、2台とも埃まみれでした・・・ せめて、せめてお天道様の下くらいには一度出してやって、日光浴でも・・・ ・・・もちろん、そんなんで治ったりはしませんが。 カウルを塗り直す、ってコトで乗らなくなって早4年の3MA。 そのうちにタンクにいっぱい入っていたはずのガソリンはすべて残らずお漏らし、そしてわずかながらも燃焼室内に浸入し始めていたクーラント液が長い年月でキャブ内にも充満する、という負のスパイラル・・・ でっ、♪分解してお掃~除始~めました~ぁ~♪ キャブチャンバー内、黄緑色に染まってメチャクチャ汚かったのですが画像には撮りませんでした、汚すぎてスマホを手に持つ余裕がなかったワケです。 ・・・ラジエーターのフィンつぶれも地味(地道?)に直しましたよっ、と。 クーラント液のクランクケース内への侵入・・・って・・・ ・・・やっぱり元のエンジンに早く載せ替えないとダメですよねぇ・・・遠い目・・・
2018年07月31日
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いつの間にか時はすっかり流れた・・・ブログは2カ月放置、時間が経つのは本当に早い。 久しぶりに読み返してみると4月にエスの方はチョコチョコいじっていた(らしい)が、5月以降はさっぱりっと止まってしまった(みたい)。 月日はさらに流れ、気付けば7月はもうすぐそこ。 梅雨のせいで毎日スッキリしない天気だったが、今日の休日は久しぶりの晴れ間が顔を出した。 ガレージのシャッターを上げて、久々のエスの天日干しをしてみた。 前日のまとまった雨で、案の定、ガレージの床にも雨水が侵入した形跡があったが、毎年生えるエスの室内のカビも今年はナンとかまだセーフ。 そろそろ走りたい・・・
2016年06月26日
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・・・こうして、エスの遠心クラッチプーリーは我が家の失敗コーナーの一角に無事飾られるコトになった・・・ ・・・がしかし、ワタシが鉄工屋さんに行った本来の目的はというと、コチラ(↓↓↓)。 我が家に3台あったコンプレッサーの中の一番の古株、約20年前に購入したエアコンプレッサーの冷却ファンの軸部の制作依頼。 一番最初に買ったエアコンプレッサーだけに一番ぞんざいに扱ってしまっていたワケだが、それだけにある意味、結果的に一番タフに生きながらえているマシンともいえた。 現に一番あとに購入した「メンテナンスフリー」を謳っていた『アネ○ト○田』のエアコンプレッサーなんて高々4年でご臨終になりやがったし・・・ ま、話を戻して先ほども言ったように、ぞんざいに扱われ続けたせいで冷却ファンが長年のストレス蓄積でモゲてしまったワケだ・・・ポリプロピレン系の樹脂ってコトもあるし。 もうモーターシャフトに直接繋がっていたその樹脂の軸孔は摩耗してズタボロのデカ穴状態。そこで新たに新造してやる必要があった。 ここで思いついた苦肉の策として使おうと思った材料がコレ(↑↑↑)。 約10年前に使用中の際、見事カチ割ってしまい使いモノにならなくなったイスズ エルフ2トントラック用の車載工具であった。 スッカスカになった軸孔に、先ほどの車載工具の一部を切削加工し、冷却ファンの軸としてもう一度再利用するための加工を鉄工屋さんにしてもらったというワケ。 かぁなり上手く仕上げてもらいましたよ、冷却ファン軸。 そもそも何かの目的の折のエアコンプレッサーを運搬の際に、移動中の車内でぶっ倒したのが原因で冷却ファンカバーが歪み、冷却ファン本体にもそのカバーが接触してしまったがために傷んでしまったのであろう・・・ パッカリと割れてしまった冷却ファンの随所には『ワイヤーメンダー』なるプラスチック用補修道具も『オートサービス ウエキ』さんからお借りしてビシバシと使って直させてもらいました。 かぁなり使えますぜ、この道具っ♪ これにてまだまだ現役続行していただきたいと思っております。 ・・・只今、現役続行中のエアコンプレッサーは2台・・・デスッ (^-^)ヾビシッ!
2016年04月24日
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・・・年を追うごとにだんだんと「抜かった」日記になっていく当ブログです・・・(苦笑)スンマセン… 8月1日(土)、修理依頼されたオーナーさんがリード90を取りに来られた。 ちゃんと直ったと確信してはいたワタシだったが、内心は万が一のコトも考えてしまいビクついていたりもした。 だって、ご近所さんが「直してくれ。」と言うのならいざ知らず、このカタは当地から150キロも離れた所にお住まいのカタにもかかわらず、その道のりを下道で乗って帰るとおっしゃるっ! 万が一ドコかでエンコしたならば、当然救助に行くのはボクなんでそっ?(苦笑) まあ、結果的に無事何事もなく到着されたようなのでひと安心したのだが、 ・・・あんまりワタシを試すようなコトはしないでいただきたいっ! ガクブルッ 8月2日(日)、中学生の息子との『親子草刈り奉仕作業』という中学校の行事を済ませ、長らくご無沙汰している『UNDER 99』耐久レースの見学に行ってきた。 おっ、そういえばダポさんのCRM80を見るのすら久しぶりのワタシであった・・・(苦笑) 今回、ダポさんとタッグを組むY村選手。 ダポさんと同じくオン、オフ、モタード乗り等ナンでもこなすノリのいい好青年である。(←実はワタシと同年なのですが、あ・え・て、好青年と表現させていただきましたっ♪) で、Y村選手の走り。 そして、ダポさんの走り。 結果は見事3位入賞っパチパチパチィ~っ 上位チームとはやはりマシンのトップスピードに明らかな差があると思うのだが、すっごいがんばってると思います、かっこよかったです。 そんで、たまにエスのエンジン等の調子見。 やはり半年間以上もエンジン分解したまま放置していたコトや今回圧縮比を落としたコトもあるし、キャブも若干調子を崩している様でもあったので、いろいろと再調整してみた。 そして、ホント、たまーにの『家族サービス』という名目での家族旅行・・・ 今回は長野県上高地・・・ ・・・だそうだ。 はい、ボクはみんな(特にカミさん)の言われるとおりにハンドルをソチラに向けるだけデス・・・ これは松本城。 決してナニかのアリバイ作りのために画像アップしているワケではございませんヨ。 画像アップはボクのただの気まぐれです。 8月16日(日)、福井県大野市で開かれた『越前発動機運転会』の見学にも行って来た。 画像中央に写っている鮮やかなグリーン色のツナギを着ている人が越前SRさん。 内容はコチラに詳しく載っている。 コチラはフツーの発動機(?・普通の発動機ってナニ?)を使って、一般個人(?・一般個人ってナニ?)のカタが作ってしまった自動車、その名も『チキバン1号』というクルマなのだそうだ。 詳しくは知らないので越前SRさんのブログの方で・・・ いろいろと洒落てる・・・(↑↑↑ 笑) コレは会場に停まってたホンダCL72スクランブラー。 ナンかカッコいいので撮らせてもらいました、オーナーさんはどなたか分からなかったので勝手に、ですが。 そういえば職人Hさんが最近ホンダCB77をレストアしていると聞いたので、一度拝見しに行ってみたいと思う。 ・・・って、ホント、ただの個人的なだらだら日記になってきたな、ココ・・・ そしてまた我がエスの調整は続く・・・ あ、ワタシ、盆明け早々、S660のオーナーになりましたっ♪ って、すぐバレ話はやめますが、近所のホンダディーラーさんのご厚意で試乗させてもらいました。 ミッドシップマシンなので、エスシリーズの後継車というよりはビートの後継車なんだろうな、と勝手に決め込んでいましたが、それともやっぱり別モノでした。 ターボエンジンを載っけているので、ビートのようなか細いトルクじゃなくってバンバン加速していきます。 ステアリングに軽快感はあまり感じられず、路面の凹凸の拾い方もなんだかマイルドな感じで、つまるところ・・・。 つまり、ワタシは自動車評論家にもレポーターにも絶対になれないという結論でした。以上です、編集長ぉー・・・
2015年08月19日
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我がブログ記事、今回が500コ目。(←今気づいた) で、アレから10年ですかぁ・・・振り返れば早いモノです、逆に言えば今でも鮮明に覚えているともいえます。 2004.07.18 福井豪雨災害 その2 その3 その4 その5 その後 確か、水害に遭って1年経過した頃にこのブログを開設した、という記憶があって、その時に備忘録として上記のとおり書き込んだ次第だった。 どういうワケか、またいつからなのかはわからないが、この時の話題も含め我がブログ初期の頃に貼り付けたはずの画像はもうかなり抜け落ちてしまっている。それだけが残念でもある・・・ ↑2004.07.18 AM8:30頃 自宅二階からの撮影。 ↑自宅二階からの撮影、その2。橋を隔てたお向かいさんのお宅は我が家よりも1メートルほど低いため、1階部分はほぼ完全水没。 ↑自宅二階からの撮影、その3。我が家の真ん前に停めてあったMyアクティバンは買ってまだ1年も経っていなかったのにぃ・・・即廃車でした。 ↑自宅二階からの撮影、その4 ↑自宅玄関中・・・ あの時は、ホントいろんな人達に助けていただきました。 さまざまなご尽力をいただいて、ワタシ(達)はお陰様で元気にしております。 今後はもう少し趣味の方も復活(?)してこのブログの書き込みも増やしていけたらなぁ、と思っている所存です。
2014年07月18日
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本年のご挨拶もろくにせぬまま、あれよあれよという間の3月突入・・・それどころか、昨年中からまともにブログ更新すらできずに気付けばブログを書き込む習慣の完全消滅・・・ ・・・そんな生活も・・・うん、悪くないですw 昨年も実生活ではそこそこ楽しめてはいました。 エスがいまだ休眠中なのは実に残念ではあったのですが、何かに専念するというコトは何かが疎かになってしまう、というコト。 ここ最近はエスがその『疎か』の方に入っていた、というコトなのでしょう。 昨年はTZR的な新たな出会いがうまれ、 新旧2世代のTZRが峠で戯れる・・・ また時には、サーキットを駆け回り、 表彰台にも立たせてもらう・・・パートナーの多大なる力を借りてのコトですが・・・(苦笑) そんなこんなの昨年でした。 はい、今年もがんばって楽しむ。
2014年03月01日
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2013年10月23日
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朝夕がぐっと冷え込むようになってまいりましたね・・・そうっ、気づけばもう10月。 振り返ってみますと、9月には・・・ありゃりゃ!一度も書き込みしなかったというコトなのかな? まあイイです。そんな気分の9月だったというコトなんでしょう・・・タブン。 で、毎年8月終わりくらいにワタシの懐具合はグーッとお寒くなるのは恒例なのですが、今年はヒドい、ヒドすぎるっ! ・・・なんとかせねばなるまい・・・ というコトで・・・ 思い切って出品。 で、収入。 ソレを支出。 そして・・・入荷。 おしまい・・・振り出しに戻る・・・ ヒューッ・・・おー、サムッ!
2012年09月30日
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先日のめがね職人Hさん工房への訪問時に新たな『プレゼント』をいただいた。 実はワタシ・・・最近はほとんどメガネ(=コンセプト『Y』)を掛けていませんでした。 というのも、コンセプト『Y』の装着感は、本当にその装着感そのものすらも忘れてしまうくらいの素晴らしい掛け心地と視野の確保に優れたメガネ製品だというコトに嘘偽りは一切なかったのですが・・・ 唯一、ワタシの趣味の中で・・・ バイクに乗る=ヘルメットを被る という行為において、コンセプト『Y』というメガネにはメガネアームの上下左右のしなやかなしなりという特徴が存在するために、ヘルメットを被った後のスムーズな『メガネ装着の困難さ』というバイク乗りだけにしか分からない欠点もありました。 ヘルメット内のパッドの凹凸の方を従順にトレースしてしまい、上手くアームが耳に掛からない、という問題でした。 言い訳にしかならないのですが、高1の頃からコンタクトレンズに慣れ親しんでいたワタシは、バイクに乗る際に「メガネ装着が困難だ。」というコトはまさに致命的で、「だったらコンタクトレンズでイイじゃん。」という安直な心境になってしまいます。 ワタシはこの十数年間、バイクに乗る時はいつもコンタクトレンズで乗っていました。 しかしながら、年々進行する『ドライアイ』。今では目に多少の異物が入っても、ほとんど目が潤まないほどになってしまいました・・・(←決して無情でドライな性格になった、というワケではございません・・・。) 当然、バイクに乗った直後の『ドライアイ』はかなり強烈で、走り出しの数分後には「コンタクトレンズがズレたっ!」というレベルではなく、「もうすでに外れてるっ!」といった状況も度々。 「やっぱりメガネにしなきゃいけないなぁ・・・でもコンセプト『Y』じゃあなぁ・・・ 」 まさにそんなタイミングでの思いがけないめがね職人Hさんからの贈り物。 この コンセプト『Y』WOOD 、製品化されてもう1年くらいは経過しているのかな?確かそうだったと思います。 ネーミングどおり、まさにアームが木製品(『黒檀』ともう1種類、名称は失念)。 従来の金属製アームに較べ、当然アームのひとつひとつが削り出しの木製品なので、価格も高いのですが、かなり売れているらしいです。 コレがプロトタイプ・コンセプト『Y』以外にワタシが持っている正規製品コンセプト『Y』 Y03 ショコラ、自分の中では「正装用」にと勝手に決め込んでいるw 見てのとおりアーム(腕)が細いでしょ。 それでは、コイツでまたバイクライフを存分に謳歌したいと思いますっ
2012年07月06日
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・・・っていうよりも、10日(日)までの約4週間はホッント~に慌しい毎日だった・・・ ・・・ような気がします。(←すでにケンボー・・・) そんな合間の先週の木曜、越前SRさんの『AK250ロング単独ツーto栃木forAK(T360&T500)友の会』に備えてのメンテを行うべく、我がガレージを空けておくコトにした。 う~ん、我がエスをガレージから引っ張り出すのもFTP以来の2週間ぶりっ♪・・・っつうか、太陽の下にさらされた我がエス・・・チョー汚いんですけどぉー(苦笑) で、せっかくガレージを空けたにもかかわらず、越前SRさんったら到着するやいなや日陰の道端で作業を始める始末・・・(クショウ) 今回の遠出での不安事項として、スパークプラグの番手アップとともに以前碍子が溶けかかっていた原因のひとつと思われる点火タイミング時期の確認&調整。 越前SRさんのAKには現在まで『日立製』のデスビが備わっていたが、点火タイミングを計りその調整後、デスビ回転軸のガタの有無も確認するためにいったん取り外してみた。 また、「予備として、OH済みの『デンソー製』のデスビも持ってきた。」とおっしゃるのでソチラも一度装着して点火タイミング時期を調整しておくコトにした。 画像の左側が『デンソー』、右側が『日立』。ドチラも気になるようなガタはなく、ガバナー進角度数もほぼ純正値(←SM規定値)通り、で、エンジンに装着して最大進角時の上死点前点火位置の度数をドチラとも目標値にそろえた次第。 ワタシは日立製のデスビ本体を見るのが初めてだったので驚いたのだが、日立製のデスビ本体裏側のタイミングスプロケとの位置決め方式は、デンソーの大小2本ピンとは異なり、大ピン1本のみ、だというコト。自転車の片側ひとつのペダルだけが付いているような状態・・・デンソーのに較べるとややバランスが悪いような気もするし、スプロケにはせっかく大小2コ穴が開いてるんだからココで簡略化されてもなぁ~って感じもする。 【※ 日立製のデスビもポピュラーなのは「大小2本ピン」タイプだそうだ。だが、越前SRさんの日立デスビは確かに大ピン1本の片持ちタイプ、後加工で改造した様子は見受けられなかった。追記:2012.6.16 】 が、それよりも残念なのは、そのデスビ裏面の画像も撮ったはずなのにスマホカメラに記憶されてなかったコトっ!バッテリーがお亡くなりになり掛けているので、残量がそこそこ残っていても突然シャットダウン召されるんです・・・ 結局、越前SRさんは今回『日立製』デスビを装着して栃木に向かわれたそうです。 ------------------------------------------------------------------------ そして、約4週間ものあいだ毎晩練習に励んで臨んだ『操法大会』・・・ 結果は6位でしたが、今年入団した新人2名を選手起用し、練習ではまったく一度も出なかったタイムが出たので大満足です・・・コレで打ち上げではおいしいお酒がたらふく飲め・・・んっ!?あああっ ・・・そうそう、操法大会当日と同じ日にダポさんも出店の『マルシェワンダーランド』というクラフト出店まつりがありましたっ!恥ずかしながらワタシの社名もダポさんトコに掲げてもらえたモンだから行かないワケにはいきませんっ、エエ、ソーデストモ、ソーデストモッ!! 操法大会終了後、小雨がぱらつく天気の中、我がエスを強引に出してそのイベント会場に急ぐ。 初めてワタシが行ったこのイベント、ローカルでの開催イベントとしてはそうとうの入場者数でビックリしました。小雨がぱらつく生憎の天気にもかかわらず、会場内はヒトの熱気でムンムンでした。 ダポさんトコの展示風景。 イベント終了後、その会場まで無理やりに乗り付けた我がエス・・・ はい、10日(日)をもちまして無事『車検満了日』を迎えるコトができました・・・またいつかお会いできます日を心よりお待ち申し上げます。 『完』
2012年06月11日
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先週は連泊出張を「やっつけ」で強行しておりました、今週平日からはさまざまなコトの「千秋楽」を迎えそうだからです・・・(←意味不明) で、出張も終盤に差し掛かり、ココは鳥取県境港市。 日本海側で鳥取県と島根県を結ぶ『境水道大橋』が目前に見える。 そうっ、ココの袂にあるのが、全国的に有名な『水木しげるロード』。 山陰出張の時にはいつもこのすぐ横を通っていたのだが、実際にこの道&商店街を通るのは今回初めてっw いかにワタシがこういうコトにウトいっていうか、興味ないっていうコトがうかがい知れるってモンです・・・。 商店街を通ると、もう夕暮れ時だというのに観光客の数は相当なモンでした。 ・・・でも、あるヒトとの待ち合わせのための時間つぶし的な寄り道だったワタシは、クルマから降りるコトもなくスルー・・・ はい、ココもスルー・・・ そして、待ち合わせのヒトとの約束時間には彼のお宅に到着。さらに、その彼を助手席に乗せて向かった先のお宅で・・・ 今回、ご馳走 になりましたっ あえてこの場でお名前は出しませんが、ご存知のカタは当然ご存知。(←あ、当たり前か・・・) で、宴たけなわの時に出てきたDVD観賞は・・・当然『AHSM』モノ・・・んんんっ!!このAHSMはっっっ ・・・2008年モノ・・・アア、あの年のヤツね・・・(クショウ) 幸か不幸か、いや当然幸の方なんですが、ホンダツインカムクラブさんの公的(?)DVDに『あのシーン』が映っているコトはございませんでした。 しかし、たかだか3年前のコトではありますが・・・ 映っている自分をあらためて見ますと、確かに・・・ 痩せてましたっw そして、今回とてもお世話になりましたK部さんご夫妻をはじめ、再びお会いできましたN田さん、O高さん、本当にありがとうございました(←結局、言ってるしぃ~クショウ) 島根のエス乗りの方達も相当熱い&厚いですっ! 『島根よいトコ一度はおいで~っ』ですよねっ ・・・あ、でも『水木しげるロード』は鳥取県ですよね・・・って、いちおう念のために付け加えておきます・・・
2011年12月04日
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『美学』 ・・・こう表現しちゃうと、ちょっとナルシスティック入っちゃいますね・・・w 別の表現に言い換えれば、そう、『公道走行におけるダポさん本人が自分に課した掟』とでも言うべきかな。(←今度はまたエライカタい表現ダナァ~w) 初めてダポさんとツーリングした時から気付いていたコトなのだが、彼は公道上でバイクを走らせる時に、 「どんな時でもコーナーでは絶対にセンターラインを割らない。」 という鉄則(?)みたいなモンがある。 別に彼本人が『美学』とか『掟』とか『鉄則』とか言ってるワケではもちろんない。 で、「そんなの当たり前だろうっ!」 とは言わないで欲しい。「オーバースピードで、思わずセンターライン越えちゃったっ!あー、ちょっとビビッた・・・対向車来なくてヨカッタ~ッ♪」という次元のお話ではもちろんないからです。 ワタシも含め、公道上で少しでもバイクを速く走らせたいと思っているほとんどの方達は、例えば、見通しの効く脱出出口もしっかり見通せるようなヘアピン状の左コーナー、対向車がいないコトを確認した上でコーナーが目前に迫ってきた場合どうするか? ワタシが知る限り、速いバイク乗りの方達のほとんどは、自分の曲がりやすいよう、また速度を著しく殺してしまわないように一度コーナーの手前でセンターラインを越え、そこからクリッピングポイントに一気にアプローチして、脱出速度も少しでも上手く稼ごう、という狙いが働くハズだ。 さらに、例えば右、左、と慌しく小刻みなコーナーの連続の場合、同じく先が見通せ、対向車が来ていないコトが目視確認できる場合、センターラインを越え一直線に近づくラインを取るようなショートカットをしたりもするのではないか。 また、大きなRの左コーナー、路肩のホワイトラインのさらに左側にはたっぷりと余裕がある『エスケープゾーン』(?)みたいなモノが存在する場合、その路肩ラインを跨ぎショートカットをするコトもあるのではないか? 少なくとも先行する速いバイクがあり、そのバイクを追う立場の場合にはこういう走行をするのもアリだとワタシは思っていたし、そんなの当然のコトとさえ思っていた ・・・ダポさんの走りを目の当たりにするまでは・・・。 彼は、公道上で路肩ラインもセンターラインも絶対越えない。常に左側走行のラインとラインの間の中でしか走らない。 彼は言う、「だってセンターライン越えて走るなんて危ないじゃないですか。」 確かに今のコーナーのセンターライン上にはキャッツアイだってある場合もあるし、深い溝が彫ってある場合だってある。でも、そういうコトをわきまえた上で僕ら(=凡人)はあえてその「最速ライン」(と思えるトコ?)を選んで走ったりしている。 逆に言えば、そういうラインを通らないとダポさんのペースには到底食らい付いて行けない、とも言える・・・ しかし、彼はたとえどんなに相手と競った場面があったとしても上記のセオリーをキッチリ守りながら公道を走リ続ける。 それは、かなりのハイペースであったとしても彼にはまだまだ安全マージンが残されている、というコトでもある。 このFunky♪でRock!なマシンと彼の普段着姿のような出で立ちを見ても、決して侮ってはいけないし騙されてはいけない。 彼には、意識的にか無意識的にかは知らないが、約20年間のバイク人生の中で培われた確固たる『公道上での走りのセオリー』が徹頭徹尾貫かれている・・・まさに『筋金入り』だ、とワタシは思っている。
2011年07月11日
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・・・といえば、このお二方、『土花吉ご夫妻』が我がガレージにお越しになる季節、とワタシは認識しております! しかしながら、いまだ一度もドカで来られたコトはございませんが・・・♪ とってもおサッレーなヤマハのTWの色違いです。いつもとてもキレイにしておられます。 ホント、この日も大変お暑うございましたが、いつもお元気なこのご夫婦とお会いいたしますと、自分ももっと頑張らねば、と発奮させられる所存です。 ・・・で、その前日(9日(土))には、無事入荷しております。 ウチでいう『重機』ですね、いつも無理言って申し訳ございません、ありがとうございますぅ いのうえさん、き○う●さん、大事に使わせていただきます・・・と言いつつ、いまだ使用していないyamasadaなのですが・・・ 2011.7.18現在・・・イマシバラク、オマチクダサイ
2011年07月10日
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GW期間も振り返ってみればあっという間・・・ ご周知のとおり(?)、ワタシのGW休み なんつうモンは、約20年間ほとんどあってないようなモンだと言い切っても過言ではないくらいなんスよねー(←'06年のヒデさん達とのバイクツーリングだけが唯一の例外ですが。) 今年も29日の村の行事(神事祭)から始まり、3,4日のウチの業界のまつり(出店)&業界青年部(←せっ、青年部? エエ、ワタシはオーバーエイジ枠・・・)のまつりお手伝いなどなど・・・、まあソレなりに楽しくは感じられるようになってはきたんですけどねぇ・・・フゥ~ で、連休合間の5月2日(月)、富山のs6cさんが、『IN&EXバルブの診断ならびに修正』の依頼ブツをわざわざ持っておいでくださいました、いつものコトながら本当にホントーにありがとうございますっ! 我がエンジンから外したバルブ8本とガラクタ置き場の中から出てきた予備のバルブ(1台分)8本の計16本を預けて診ていただいた結果、「微妙な感じではあるが何とか1台分のIN&EXバルブを仕上げた。」というご返答と共に頂いたブツが上の画像。(↑↑↑) 仕上げていただいたバルブは、重量差も1グラム未満内で揃えてもらえたみたいだ。(まだ自分では未確認。) ただし、厳密にいうならば正真正銘まともなバルブだと言えるのはINバルブの中のたった1本だけだった、ともs6cさんはおっしゃる・・・エ~ッ! orz ガッ、ガクゥ~ッ 残り7本のバルブにはバルブシートとの接地面に5/100ミリ前後程度の振れがあり、バルブステムとガイドとのクリアランスでどの程度吸収してくれるかがカギなんだ、とも。 で、画像下の袋の分はすべて×ペケ・・・おハナシにならないレベルだったみたいデス、やっぱガラクタ置き場にあっただけの理由はちゃんとあるんですネ・・・。 とはいえ、s6cさんありがとうございました、あとは「摺り合せ作業」をぐぁんばりまーすっ(`-´;)ヾピッ ---------------------------------------------------------------------- 話変わって、5日(子どもの日)にFKI市内で『福井クラシックカーミーティング』があった。 今年で第4回目という比較的にまだ歴史の浅い旧車イベントなのだが、そのイベントに島根県にお住まいのエスロククーペオーナー、エスロクしまねさん(N田さん)が 「見学に行ってもイイ?」 って、ワタシにお尋ねになる・・・ イイもワルいもないですしw、ボクはこのイベントのスタッフの一員さんでもないですし、島根から福井までは片道450キロくらいありますし、山陰地方から北陸地方までの直通高速道路なんて当然ないですし、当然エスロクに乗っての日帰りだとおっしゃいますしぃーっっっっ!!! ヨォーシッ、その熱過ぎる(!?)くらいの情熱にはワタシも当然応えねばなるまいっ! ・・・実は昨年11月に開催されたAHSM以降、ワタシはエスに乗っていなかった・・・というか、エンジンすらもう掛けていなかった。 AHSMからの帰宅後、エスの純正オルタネーター(交流発電器)からギュルギュルッと異音を発しているコトに気付いたからだ・・・すでに中のベアリングは終わっていたようだ。 思い返せば、AHSM前のエンジン載せ換えの際のオルタネーター(←コレは自前)設置でベルトの張り具合をしくじって少々強く張り過ぎていたのが原因みたい。 でも、その純正オルタネーターを再度直す気にはなれなかった、だって元々の発電量が少な過ぎるんだもの・・・(苦笑) 3~4日のまつりの後片付けも無事終わり、「エスロクしまねさんがせっかく来福されるのだから自分のエスも乗れる状態にしとかなきゃ!」と思い至ったのは、眠気も襲う午後10時をとうに回った頃だった・・・遅っ! すっかり疲れ切っている身体にムチを打ちつつ(?)、キャブを外して逝かれた純正オルタネーターを外す・・・ 純正オルタ摘出・・・{我がエスのオルタは、以前から「クーリングファン」は撤去済み。} そして、チャララチャッチャチャ~ッ ♪ (← ※ ドラえもんの道具登場場面の効果音で) 『現行車タイプオルタネーター & エス用エンジン&オルタマウントブラケット用カラー一式ぃ~っ』 ( Made by Dr.Yuasa ) マウントブラケットのごく一部を小加工するだけのほぼポン付けタイプで、しっかりプーリー同士の位置出し、並びにオルタ本体のスティ感も頑丈になる逸品。エスの高回転型エンジン1万1千回転までも許容範囲内とする計算され尽くしたプーリー径・・・以上、すべて「受け売り」的説明文ですがw・・・素晴らしい♪ ・・・今年1月に購入させていただいたのだが、ブラケット小加工の際には一度エンジンからブラケットを外して正確に行いたかったモンだからそれが面倒で今頃になっちゃった次第ですぅ・・・(苦笑) カラー類の寸法は実に正確・・・、ある意味シャフト固定の剛性感を出すのに「あまりに正確にキッチリ」過ぎるくらいの寸法出しがされているみたいで、おそらく純正のブラケットの方にこそ「厚板プレス&溶接」加工によるパーツゆえの製造公差や経年変化の誤差が大きいシロモノだったコトに間違いはあるまい・・・そのコトが災いして、我がエスのブラケットにいざ装着しようとした時、たったコンマ3ミリほどのコトではあるがキツかったので、ウチのつたないボール盤で現物合わせをしながら少しずつ削るのにかなりの時間を要してしまった。 で、見事かっこよく装着し終わったのは夜中3時を回った頃・・・(苦笑) で、翌日の5日(っつうか、当日ソノモノですよねw)、早くエンジンを掛けてみたかったのと、約半年ぶりの洗車をしておきたかったのと、そして何よりチョー久しぶりのエスロクしまねさんと再会できる興奮とで目が覚めたのは朝の5時半くらいだったw・・・ネムイハズダヨネ、オレ?ツカレテルハズダヨネ、オレ? そして、ついに、久しぶりのごたいめーん♪ 彼の動いているエスを見るのは実に10年ぶりのコトだっ!! そして、10年ぶりのツーショット。 で、本命&本題のハズの『福井クラミ』会場内での画像といえば、越前SRさんトコで有名なアペオーナー、若いアペオーナーさんのマシンたった1枚だけしか撮ってないなんて、いったいどーゆーコト?・・・しかも、アペオーナーさんも単に一般見学者なだけだし・・・(苦笑) 結局、エスロクしまねさんとご一緒できた時間は、ほんの5時間ていど。 短い時間とはいえ、直接お話できた時間や一緒にエスで走れたコトなどホントに充実したひとときを楽しめた。 でも、そのためだけに足を運ぶ距離としては、やはり福井・島根間は実際の距離以上にいまだ遠すぎる。往復15時間かかるなんてエス自身のご老体にもさぞ過酷なコトだろう・・・せめて、次回はウチで絶対一泊くらいしてくださいね! えっ!?さすがに二度とエスでは来られないですか?・・・そりゃそうですよねぇ・・・w
2011年05月06日
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・・・2月はブログ更新をすっかり怠ってしまいました・・・スミマセン。 で、その理由のひとつに、今年の当地は『大雪』(←っつうか、ほとんど『豪雪』・・・)だったために除雪&雪下ろし作業にテンテコ舞いだった、というコトが挙げられます・・・もちろんソレだけが理由でもありませんけど・・・まっ、単なるブログスッポカシですワ~ッ・・・(クショウ) では、お贈りいたします、題しまして 『当地大雪回顧録』 BGM:『夜明けのスキャット』 唄:由紀さおり るーるーるるる~ るーるーるるる~・・・ るーる るるる~ るるるーるぅー・・・ ↑・・・コッ、コワァ~目がクラむぅ・・・ ↑ ラーラーラララ~ ラーラーラララ~ ラーラ ラララ~ ↑・・・我がガレージ前・・・↑ ラララーラァー・・・ ↑ 町内一斉除雪デー ↑ ぱンぱンぱぱっぱーン ぱンぱンぱぱっぱーン ↑ しかし、翌日さらに積もる・・・ ↑ ぱンぱンぱぱっぱぁーン ↑ で、再び我がガレージ前・・・orz・・・ ↑ あああーンあーンあ~ンンン・・・ ↑ お隣さんの車庫、耐え切れずトーカイッ! ↑ あーいしあ~うぅー ↑ ・・・我がガレージへの道、寸断・・・ ↑ そーの ときぃにぃー ↑ テッキョ! ↑ こーのよぉはーとまるーーのぉ~・・・・・・・・ -------------------------------------------------------------------------- ・・・で、ほとぼりがさめた(?)頃、エスのエンジン修理のためにエンジンスタンド購入・・・ ・・・つづく?
2011年03月05日
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出張から帰ってきたばかりの本日(13日・土)もチョコッとばかり走って来た。 エンジン自体はいたって快調そのものなのだが、約1週間乗らなかったというだけであのSタイヤはすぐにゴネる傾向がある。 走り始めに「ゴトゴトッ・・・!」と微振動とロードノイズを伴うステアリングのピッチングが発生する。ほんの短期間で地面との接地面に『フラットスポット』が出来てしまうからなのだろう。 20分も走っていればほぼ解消して気にならなくはなるのだが。 ----------------------------------------------------------------------- ところで今回の出張先で、またもやちょっと寄り道してしまった。 S県のNさん宅に寄らせてもらったワケなのだが、それは、彼のエスロククーペがエンジン&ボディ共にリフレッシュ完了♪したとの連絡をいただいていたからだ。 で、復活した彼の愛機が鎮座するガレージ。 うお~っ!素晴らしい出来映えっ! まだ『塗りたてのホヤホヤ』って感じですねーっ。 エンジンルームの景観も以前とは比較にならないほどキレイになりましたね!(イヤ、失礼っ!?(^-^;)) 直す以前の彼のエスも知っているだけに、今回エンジン、ボディともに仕上がったこのエスにはご本人もさぞ嬉しいだろうコトは、ワタシにも想像に難くない。 今回さらにちょっとした驚きだったのが、彼の手持ち予備のCVキャブ(26Q)を見せてもらったコト。 以前に彼のエスに使用していた方のキャブだと言うのだが、本体の表面肌が新品のようないぶし銀の光沢を放っていた このキャブは、『ウエットブラスト』処理で仕上げられたのだ、と言う。 ワタシは、ウエットブラスト処理された表面肌ってモノを初めて目の当たりにしたのだが、ちょっとした感動を覚えた。 しかもコレを依頼したショップさんの加工代金も、ワタシが思っていたよりもズーッと安かったモンだから、二度ビックリ・・・じゃあ、ワタシも頼んじゃおうかなぁ・・・w Nさん、いろいろとご馳走様でしたっ ではまたAHSMでお会いいたしましょうねっ
2010年11月13日
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とりあえず、『文章はそのあと(出張後)で 第2段』・・・'10.8.3 ----------------------------------------------------------------------------- とっても遅ればせながら・・・ですが、T5さんを始めとするご参加の皆々様方、ホントお疲れさまでした、アーンド、ありがとうございましたっ 先発隊(?)が出動したのは、7月23日(金)のコト。 ワタシんトコの地理から見れば『金沢クラミ』(石川県)の会場とはまったくの逆方向、滋賀県TKSM市・・・そうっ、T5さんのお屋敷(会社)を目指す。 到着したのは午後8時過ぎ、すでに到着されていたヒト達はすでにある程度出来上がっていらっしゃいました・・・(笑) ソレにしてもT5さん、スッゴい『おもてなし』でございます。地産地消(?・ン!?ナンカチョットチガウナ・・・)じゃないですが、地のモノ満載のご馳走でございましたっ! 地元の鮎に、地元の鶏(カモでしたっけ?)、そしてT5さん自らが打った蕎麦までっ! 本当に美味しくいただきました、ありがとうございましたーっ さて、翌日(24日・土)早朝からは『AK280リフレッシュ計画』を早速実行。 エンジン自体は、昨日までにすでに降ろされていたので、懸案だった点をYさんがいくつか策定、我々はある意味『実戦部隊』(?)だった。 そうこうしている間にも、「例年の鈴鹿」等でお会いしたコトのある、知った面々の方々が次々と登場。 とっても賑やかに、作業は進んでいきました。 作業内容は・・・省きます。鈴鹿でT5さんのマシンを拝見すれば、ある程度分かると思います♪ いろいろと不具合もあったので、手直ししては近所を試走、また調整しては試走を何度か繰り返すT5さん・・・の図。 そして、いきなり『金沢クラミ』会場にハナシは飛びます・・・(苦笑) もうご存知、有名人『S瓦屋』のSさんw 「いや~ぁ、ホントに北陸はイイトコだな~っ。だって、出店しているみんなイイ人だもん。あんまりにも○○いし、オマケまで付けてくれるんだから~っ。来年もまた来よう~っと」 ・・・と、とてもご満悦の様子でした。 また来年も『前夜祭』を含めた企画、ゼヒしてくださいねっ 次回の幹事役は○○さ~んっ???
2010年07月25日
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4~5月のワタシときたら・・・ ♪や~れ「会合」、それ「会合」、「イベント」、「イベント」、「仕事の納期」、ついでに「操法大会」ときたモンだっ♪ {※ 「イベント」とは主に「村のまつり行事」&「小学校PTA行事」のコト。・・・そう、ワタシは今年、村の協議員&PTA役員を仰せつかっているワケ・・・イイノカ?オレデ!?ジモト、アヤウシッ! } ・・・消防団員、毎年恒例の「操法大会」が今年もまたやってまいりました、5月30日(日)。例年に較べ、今年は早い時期での開催です。 GW明けの1週間後には毎晩の練習特訓が待ち受けておりました・・・orz(とはいえ、今年は選手じゃなかったですけどね~っ♪)←《大会に向けての練習風景》 約2週間半、毎晩特訓を受ける我が13分団員の選手達・・・ウチの分団は、新入団員が入ってきたらいきなり選手にしてしまうという「慣わし」(?)なので、いつもイチからの教育となる。 上位入賞をしたいのはヤマヤマだが、実際の火事場での「即戦力」を作るという意味においてはイイ慣習だと思う。 ・・・って、いまだペーペーの一分団員にすぎないワタシが、ナンで「上から目線」な意見なの??(クショウ) ----------------------------------------------------------------------- ・・・そんな行事いっぱいいっぱいのワタシでしたが、合間をぬってこんなコトもしてましたヨ・・・的なコトを少々。(↓↓↓) 我が家の初代エアコンプレッサー、家庭用電源100Vで働く1.5馬力の働き者だった。 新品を購入して約10年ほどになるが、その間のワタシの扱い方がとっても悪く(=何度もぶっ倒した)、オマケに水害にも遭遇したお陰で実際の年数以上の『クタビれ具合』だ・・・ その内、我が家にもエアコンプレッサーが2台、3台と増えていった頃、この初代エアコンプレッサーは多分ふて腐れてしまったのだろうか、ジェラシィーに心煮えくり返ったのだろうか、最大気圧8.5キロを過ぎても一向に自動停止装置が働かなくなってしまっていた。 そういうワケで、しばらくお休みいただいていたのだが、ふと思い立ち直してみようと思ったのはつい先日のコト・・・壊れて1年以上経過してのコトである。 電源スイッチのトコロのカバーを外し、中の構造を今一度確認してみる。 ある箇所に本来なら付いていたはずのスプリングがない・・・そうっ、前回自動停止装置が壊れた時、スイッチ部分を分解してみた際にすっ飛ばして紛失させてしまったのだ・・・。 が、つい最近ガレージ内を掃除している時に「それらしきバネ」をついに見つけた! 喜んで早速取り付けてみようと思ったのだが、どうにも引っ掛けるための長さが足りない。 多分、ソコが折れて外れたがために装置は働かなくなったのだろうし、分解した際に飛んで行ってしまったのだろう。 ・・・と、自己保身のための言い訳をしておこう・・・ で、バネは新規に作らねばならない。 ・・・というコトで、今回もお願いしたのは『小さくて細いバネ作り』のオーソリテー、めがね職人Hさん。 何てったってめがねと言えば「小さなバネ」がアチコチに仕込まれている代表格的製品ですからね♪ 早速、発見したスプリングを元に複製してもらった。(材料はステンレスバネ線Φ1.0ミリ) この部分のバネの仕組み(というか、仕事)が結構面白い。 上画像の赤○囲いのレバー左右位置が気圧0の時なのだが、電源を入れ気圧が上昇していくにつれ、右赤○囲いのレバーが上昇していく。 バネは反力を維持したまま、左赤○囲いのレバー側にもその力を伝えているワケだが、さらにエアが充填され右のレバーが左のレバーの高さとほぼ水平位置になった頃合いに、突如バネの向きが翻り反転、今度は左側レバーを赤矢印の方向に押す力に切り替わるという仕組みだ。 {※ このバネは、運転停止となる気圧値の制御まで司っているワケではなく、ただ単なる「切り替わりスイッチ」の役割。最大気圧値の調節は、別のボルトの「締め込み具合」で調整する。} コレにて一件落着~っ! ・・・エッ!?で、またしても『バネ問題』発生・・・デシカ?ツヅキマスネ~ッ 今度は、エスの運転席側ドアオープンレバーの不具合発生・・・ 5月23日(日)、雨のFTPイベントにエスで参加した後日にその不具合は発生した。 エスを天日干しするためにガレージ外に出そうと運転席側のドアを開けた時にソレは起こった。 ドアを再び閉めようとしたトコロ、ドアが閉まらないっ!? パチャチャッ! と、間の抜けた音を立てて、締めた(はずの)ドアが跳ね返ってまた開いてしまうのだ・・・ヤレヤレ・・・フゥ~(ため息) で、ドアオープンレバー機構を外してみた。 上の画像の赤○部分のパーツです。 画像の『ドアオープン位置』のトコロでレバーは止まったままだった。 ホントはバネの力で『標準位置』まで戻らなければいけないのに・・・ 案の定、外したパーツのスプリング(ゼンマイ式)はツメの部分がポッキリと折れていた。 比較的太い線径のスプリング(約Φ1.5ミリ)だったし、ゼンマイ状のスプリングは2枚の側壁の中に収まり、しかもその側壁は溶接されている非分解タイプのヤツだ・・・ 予備パーツ(中古品)にそっくり交換するべきか?はたまた、溶接部を剥がしてバネを交換するべきか?・・・いや待てよ、そもそも非分解式のパーツなのに、バネだけ入手するコトは可能なのか!? ・・・っていう風に悩むだけ悩んだ挙句、そのままのパーツをバネが効くテキトーな部分で折り曲げて、テキトーな箇所に引っ掛けて終了~っ♪ ------------------------------------------------------------------------ そしてまたハナシ変わって、5月30日(日)の『操法大会』風景 ハイ、ダイジェスト。 今年は入賞こそできなかったが、新入団員も決定的なミスをするコトもなく、ほぼ完璧(?)な操法演技を披露できた・・・と思う。 近年、他分団も基本動作のレベルがドンドン上がってきているので、『スピード重視』派の当分団としては圧倒的タイムを叩き出さないと入賞はもうムリっぽいのかもしれないという現実・・・署員直々の訓練をまだ受けたコトのない当分団としては。 ・・・で、決定的かつ衝撃的事実といえばぁ・・・ 我がエスの車検満了日がとっくに過ぎていたという事実・・・ ヤッベーッ!!ア、アレッ?FTPノトキハ、スデニ・・・・・・ ・・・ウ~ン、素晴らしい夕焼けだコト・・・ 《地元、ダポさんチからウチに帰る道中の夕焼け 2010.5.31 》
2010年05月30日
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・・・では、本職(?)である仕事、『商品の修理』をおこなうスペースなのだが、最近めっきりこの依頼さえ少なくなってきたモンだから、昨年以来ココには足を踏み入れることさえなかった・・・ でも、ようやくいくつかの修理(←本業の)を頼まれたので、今年初めてこの部屋に入った。 ・・・ほったらかしの3MAのカウル一式(ひと替わり分・予備?)が一昨年からそのままの状態で置いてあったり・・・ ・・・ずいぶん前(おそらく4~5年前?)に依頼されたエス純正ウッドステアリングの初期型が分解されたままの状態で放置されていたり・・・ 木製部が表面側と裏面側との間で浮いている状態だったので、勇気を持って(?)割ってみたのはその当時のコト。 で、ご覧のとおり、芯となるスチール製のリムはサビで容積が大きくなり、木製部の表裏を剥がしてしまったのだと思う。(パテで隙間埋めされた形跡あり。) この中に仕込まれた『平板型リム』の修正&再セットがネックで頓挫してしまっている、というのが正直なトコロ・・・ 一枚一枚スポット溶接されていて7枚のリム片が重なるように構成されているのだが、コレを包み込むカタチの木製部も再使用するつもりでいるから、再び組み上げる際にはわりとシビアな寸法が要求されると思われるので気が重いのである・・・ で、もう一本、樹脂製ステアリングの樹脂部表面の修理を依頼されているのがコチラ。 シャコ万力で押さえている箇所が、エス純正・樹脂製ステアリング「お約束」のスポーク部付け根のヒビ割れ。 そして、リム全周に入った『黒ライン』が所々はがれてしまっている・・・プラリペアの『黒』で修正・・・ですかね? ・・・とその前に、よくよくこのステアリングを観察すると、スポーク部の一箇所に「クラック」が入っているコトを発見っ!・・・事故かナニかの衝撃入力で入ったのかっ!? {※ 画像ではわかりにくいが、スポーク表面を荒らした部分。} あぁー・・・、ステアリングシャフトからハンドルを抜くのに、背面からトンカチで叩いちゃったワケですね・・・ドナイショウ・・・ ・・・こんな感じで、ウチの作業場は、常に『ユック~リとした時間の流れ』の雰囲気が漂っているワケです・・・イイんでしょうか?こんな風で・・・
2010年01月26日
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動画の解説: 『餅撒き』の行事が始まる前、当町内の『おこない』では25才の厄年のメンバーが『村餅(むらもち)』(区長&神主さんが撒く餅)を担いで境内をねり歩く・・・というか、酔っ払って暴れる《通称:バれる》という儀式(?)がおこなわれる。 ひとしきりバれた後、区長&神主さんのいる玉垣上に村餅を上げて『餅撒き』が開始される運びとなる。 ひと昔前だと、25才は10人以上の大所帯だったから、餅を拾うために集まった民衆も、この時だけは恐る恐る遠巻きに見守るだけだったが、25才が少なくなった今では・・・何だかショボイっすね・・・
2010年01月12日
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動画の解説: 『餅撒き』のオープニング風景。拍子木による合図で、初老・還暦の人達が各自1枚持っている『絵餅・恵比須様(または大黒様)』を放り投げる。 ・・・ちなみに、前ブログでは折角消した名札の名前であるが、動画の方では消すコトができなかった・・・(苦笑)
2010年01月11日
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いよいよ年の瀬、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか? ・・・えっ?ワタクシですか?一応風邪をひくコトもなく、体だけは元気・・・っぽいです。 で、ブログの更新、しばらく滞っておりましたねぇ。 といいますのも、我がブログの『画像倉庫』(フォトアルバム書庫・50MB)がいよいよ満杯になってきていて、『過去の画像』をすべて削除して今後の画像掲載のために備えるか、または新たに『書庫』を増設するか(=月額有料・20GBに拡張)の選択に悩んでいたからです。 そして悩みに悩んだ結果、『書庫増設』の道を選びました。 コレで我がブログも・・・ 「金払ってまで更新する必要性が果たしてあるのだろうか?」 という疑念を常に我が心に抱えながら日々過ごしていくコトになるでしょう・・・ -------------------------------------------------------------------------- まあ、ソレはともかくとして、今年の師走も『忘年会』と銘打った飲み会に多数参加。 バイクツーリンググループ『京福友の会』の恒例行事になりつつある『牡蠣パーティー』なんかはホント毎年楽しいひと時だ、とっても寒いけど・・・ 牡蠣・カキ・牡蠣・カキ・かき・・・牡蠣尽くし。 20ケ以上は喰っちゃったなぁ~ゲプッ (´Д`) ↑'09.12.19 at ヒデさん邸↑ あ、決してドコぞの日雇い労働者が集う炊き出し風景ではございませんよ・・・と、一応念のために断わっておく。 ・・・オイオイ、こんな内容でイイのか?コレカラ有料ナンダッテ、ユーリョー・・・orz
2009年12月29日
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・・・我がエス復活の件は全面的にお任せしているのでイイとしても、自分で直してる3MAの方の進行具合が一向に進まない・・・orz そりゃそうですわ・・・コレだけ週末に(いや、平日もデスケドネ)会議がワンサとありゃ~ねぇ・・・。 ---------------------------------------------------------------------- ワタシの村、今年の5月30日から『神社社殿改築百周年祭』なんですと・・・氏子(うじこ)である我々はソレを祝って大祭を執り行うワケである。 ソレの実行委員会役員に選出されていたワタシは去年からその打ち合わせに何回も、いや、何十回も足を運んだ。 今回の百年祭をさかのぼるコト50年前、その時には『50周年祭』があったワケだが、当時の記念誌を見ると、今年3月に亡くなったワタシの祖父が若かりし姿で堂々と写っていた。 当時の青年団員兼実行委員会役員だったみたいだが、驚いたコトに当時の祖父の年齢39歳・・・奇しくもワタシと同年齢の時にこのまつりを迎えたコトになる。ただワタシと違うのは、我が祖父はこの年の時にはもうすでにアタマの生え際がかなり後退していたというコトだ・・・。 で、話がちと外れたが、5月30日、31日の二日間に渡り『村総出』で本番を迎えたワケだ・・・。 村の娘を巫女さんにして舞い踊ってみせたり・・・ 行列を組んで、神妙にお宮さんに上ってみたり・・・ 三重のお伊勢さんからお神楽(かぐら)さんを呼んでみたり・・・ 村の青年団、いや、壮年団(=ワタシ達)で神輿を担いでみたり・・・ 地元のアーティスト『楽衆玄達(がくしげんたつ)』(画像:和装の女性2人がそのメンバー)を呼んでみたり・・・{※ ローカルネタですが、手前にしゃがんだ女性は福井テレビ『イヤイヤちゃん』のテーマ曲を唄っているヒトだそうな、ヨクハシランケド。} 村人総出で宴会をおっぱじめてみたり・・・ ほんに和やかな雰囲気やわ~・・・ まつり無事終了。 ------------------------------------------------------------------- ・・・で、その一ヶ月間バラバラ状態でほったらかしたままの我が3MA・・・ オクに投げ売りされる手前の状態も同然だね。 なぜ直すのに「ほとんど全バラ」状態にしてしまったかといいますと・・・ 過去の水没の痕を見つけてしまったからです・・・orz 画像の水没ラインより下の部分は袋状のフレーム内部、ドロで「真っ茶っチャッ!」でございました・・・ ・・・バラバラに一度しちゃうと、いろいろと「アラ」も見えてきちゃうワケで・・・あ~あぁ、遠のく完成予定日・・・
2009年06月01日
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・・・『独房』・・・ ソレは、我が住まいから約20メートル離れた所にある古い土蔵の入り口すぐ横にある・・・。 ワタシは普段、家業の「販売営業活動」が主な仕事で、「外回り」しているコトこそ本来の生業なのだが、時折この場所にドップリと居座らなければならない時がある。 ええ、ソコはまさしく『独居房』。 丸物(まるもの・主にお椀)の『塗り直し』または『塗り替え』は、ここからの作業で始まる。 今回の修理依頼は450ケ・・・業務用高温高圧洗浄機で酷使され、いたる所が剥げてきているような使い古され方をした丸物の再研磨は、新品の下地研磨の悠に4倍は時間を要する。つまり、新品の研磨は1時間で約80ケ仕上げられるのに対し、その1/4か・・・う~んんんん、今回はゾ~ッとするぞ~ぉ。 ウチの秘密兵器『電動回転轆轤(ろくろ)』。真空引きで対象物を固定、そして回転させ、ひたすら「落とした塗料のカス&ドロ」と戯れる。 『塗装の仕上がりは下地の良し悪しで決まる。』 ・・・ワタシはこのコトバを肝に銘じ、この行程だけはイヤイヤながらも他人には絶対任せず自分の手でするコトにしている。 今回の拘束時間・・・総計、約24時間・・・アーッ、ホントニチカレタ、チカレタ・・・zzz
2009年03月09日
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今日は、あるモノを探すため、ソレこそウチ中を探し回っていた・・・ で、結局意中のモノは見当たらず仕舞いだったのだが、超久しぶりに見つけたモノがあった・・・ソレが・・・↓↓↓ ’97年、今から12年前のワタシが結婚する時に描いた『ウエルカムボード』だ。 ワタシはソレの存在すらすっかり忘れてしまっていたワケだが、ソイツは物置の中の、普段は使っていない布団と布団の間に埋もれているような状態で長年放置されていたようだ。 で、あらためて眺めてみると、懐かしい気持ちに入り混じって気恥ずかしさも感じてしまう・・・ それに今回見つけて気付いたのだが、この時に使った画材は今でも常時愛用の『サクラ・クーピーペンシル』ではなかったコトであるっ!(驚) 水性絵の具を背景のボカシに使い、人物やエスハチはアクリルカラー(みたいなヤツ)で描いているようだ、いわゆる「ハイブリッド・カラーリング」ですな(笑)・・・シ、知ランカッタ、忘レテタ・・・orz で、12年前のオレ。(↑)まぁーこんな感じだったかな、うんうん。 そして、12年前のカミさん。(↑↑↑)あ~っ!確かに12年前のカミさんはホントにこんな感じだったな~っ!そっくりそっくり、やるなー、12年前のオレ。 ソレに確かにかわいかったなあ・・・12年前のカミさん・・・ それにひきかえ、エスの描き方はイマイチだったな・・・変な風にデフォルメチックだし。んっ!?テールレンズがナンだか昔のアルファGTシリーズ(のドレか)っぽくも見えるぞ。 そうそう、この時はナンバープレートこの番号だったんだぁ。 そいでもって、テールマフラーはテールエンド部だけひと回り大きいカッターになっていて、しかもクロームメッキ処理してあったんだよねぇ、あのテールマフラー、今ドコにあるんだろう???・・・ アレレ、またまた「探し物」物件が増えてきたぞ・・・で、今日の探し物はいったい何だったっけ?
2009年03月02日
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・・・自分自身の・・・ ・・・イマシバラクオマチクダサイマセ・・・ ・・・でも、そのまま放電してしまっても、ご容赦くださいませ・・・
2009年01月13日
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12月19日(金)の作業を持ちまして、某青年部『灯籠看板・化粧直し』の全工程を無事完了するコトができた・・・総日程6日間、年の瀬の慌ただしい時期だったにもかかわらず、コレもひとえに某青年部会員の積極的な参加のお陰でウンヌンカンヌン・・・あ、今回のネタも『バイク&エス』ネタではございません・・・ で、最後の『拭き上げ』に使ったのがコレ(↓)。 『MR(エムアール)漆 透き素黒目(すきすぐろめ)』と申す。 茶色味をおびた半透明のうるし、コレをハケ塗りしてウエスみたいな布で拭き上げるコトで、艶やかさを加えるワケだ・・・ベツニシナクテモ、イイヨウニオモウガ・・・(毒) で、作業に参加してくれた当青年部の面々をダイジェストでお送りする(↑↑↑)。 お疲れ様でしたーっ♪ 全作業が終わり、喫茶店で皆んなで分かち合った苦労をねぎらいながら『反省点』などを出し合っていた時のコト、一本の電話が入った・・・「先週の土曜日(13日のコト)、塗装していたのは誰や?」 ・・・先週の土曜日といえば、そうっ!まさしく我々青年部が『MRうるし 朱色』をスプレーガンで吹き付けていた時のコトだ。 悪い予感は見事に的中してしまった・・・前々回のブログに書き込んだが、うるしという塗料は、ウレタン塗料とは異なり、『空気中の水分と結合してゆっくりと凝固作用(=乾燥)を起こす』。 つまり、ガンで吹いたうるしは大気を舞っている間くらいでは全然固まらないのである・・・だから、うるしをスプレーガンで吹き付けている最中には、間違っても真っ白なBMWに絶対横を通らせてはいけないのであるっ!・・・コレこそ最大の反省・・・orz ま、ナニはともあれ終了は終了っ! 数日後には親組合『加飾部』さん達によって看板の文字入れ&模様入れも行われ、足場&ビニールシートも撤去された。 ↑左画像:タイプ1・白い部分はアクリル板、夜ライトアップする・・・ハズ。灯っているトコを見たことはない・・・右画像:タイプ2・廉価バージョン(?)↑ コレにて『完成』っ。うるしは塗り上げてから数ヶ月間は沈んだ色合いになるのが特徴。画像で見る限りでも、数ヶ月前に塗られた『色サンプル』の灯篭看板と比較して、「本当に同じ色で塗ったのかっ!?(汗っ)」と思えるくらいにドス黒く目に映る・・・ でも、コレでイイのだ・・・そう思わせてください・・・
2008年12月27日
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・・・最近、咳と鼻水が一向に止まんない・・・不摂生の賜物だな、こりゃあ・・・。---------------------------------------------------------------------------- 前回のタイトル「コンセプト『Y』」について書き込みしていて、ふと以前にヒラメいたコトを書き込んでみる。 職人Hさんの作り出したメガネフレームコンセプト『Y』、そのコトについて越前SRさんが以前のブログで「この眼鏡枠はエス乗りのためのメガネである。」{※ 職人Hさん、そしてワタシがたまたまエス乗りだったコトだけから由来する(苦笑)} ・・・なぁんて言われたコトがあった。 ワタシはさすがに「コレは言い過ぎ&かなり強引じゃあないかなぁ~(^-^;)」と思ったりもしたモノだが、そうは思いつつもちょっとフザけた妄想をしたのもコレまた本当のトコロだ・・・。 ワタシの妄想その1・・・ コンセプト『AS』 言うまでもなく『AS』とはホンダエスのゴ、ロク、ハチ共通の型式アルファベット頭。 ドコら辺りがエスなのかは皆さんもちろん分かりますよね?この感じ、『遠近両用レンズ』としても適している形状(ヘッドランプ&スモールライト形状をトレースするような感じで。)と思うのはあまりにもワタシがド素人過ぎるからなのでしょうか?(苦笑) そして、さらに図に乗ってきたワタシの妄想その2・・・ コンセプト『AK』 う~んんんん・・・コレはさすがにベタこいちゃいましたかねぇ?「職人Hさんの作品に対する冒涜(ぼうとく)だっ!」て、思われかねませんよね。 エエ、以上、ワタシの妄想でした・・・。 でも、もし採用される場合、当然パテント料は発生しますヨ。 ・・・えっ?ソレ以前のハナシ!?・・・アァ、却下デスカ!?エエ、ソウデスヨネェ・・・orz {※ コメントは差し控えさせていただきます }
2008年02月03日
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楽しかった『AHSM』も「アッ!」という間に終わり、後は無事自宅にたどり着けるコトを祈るのみ・・・。 だが、ワタシはそのまま帰宅するコトを「ヨシ」とはせず、彦根方面へ寄り道するワケだ・・・(エッ!25日は愛娘の誕生日・・・ ダヨネ? ・・・ユウガタマデニマニアエバ、イイノ、イイノッ!(汗))。 その日は『國武舞杯どろんこレース』の開催日。 今回、Dapoo!さん率いる『連合軍』(?)が大挙してこの大会に参加しているのであるっ! ・・・で、ワタシはただ単に応援に・・・んっ!?ナンで我がエスの荷台に『長靴』と『雨ガッパ』が載せてあるんだろう???『フ・シ・ギ』ダニャ~ッ(苦笑){※ 6日間もの『空白期間』を経て、書き込み再開・・・(苦笑)・・・'07.12.11} この「お祭り&お遊び的耐久レース」は、『午前の部』&『午後の部』の『2ヒート制』。 AHSM帰りのワタシがこの地にたどり着けたのは、昼も2時を過ぎた『2ヒート目』の中盤頃のコトだった・・・で、レース会場を見渡す限り、Dapoo!さんがこの日のために仕上げた『マシン』が見当たらない・・・アレェ~ッ??? で、ピット内(=宴会場=ズラリと並ぶ路肩上のテント群)をウロウロと探し回ると・・・アッ、いたぁ~っ! Dapoo!さん達のグループは「宴(えん)もタケナワ」状態、総勢20名を越えるかぁなりの団体になっていましたよっ!(笑) Dapoo!さん:「あっ!yamasadaさん、いらっしゃーいっ♪」 彼の瞳はすでにかぁなりウツロぎみ・・・相当酔っぱらってるようだ・・・。 ワタシ:「コース内を見渡してもDapoo!さん達のマシン(2台)が走ってるの見つけられなかったんですけどぉ・・・」 Dapoo!さん:「エェッ!?・・・そうですかぁ?アレレ、オカしいなぁ・・・って、2台ともココにあるじゃんっ!」 彼らのマシンは2台ともテント脇に鎮座していた。・・・っていうコトは、エエ、誰も走らせていないってコトですねっ・・・(苦笑) 彼(もちろんDapoo!さん)にしてみれば、マシンのペイントを仕上げてしまった時点で達成感の約8割に到達・・・で、残りの2割が『走り』・・・では無く、『宴会』の方に全身全霊をかけて費やされるのであるっ(笑) そして、彼らの仕上げたマシンていうのがコチラッ!! ・・・って、アレレ!?画像が無いやっ!!(汗) ま、ソレらを手掛けたDapoo!さん&Blazeさん(←ペインター達)、またはKentooさん(←プロイラストレーター)トコで探してみてください・・・(^-^;)ゞアッ、ムセキニン・・・-------------------------------------------------------------------------- ・・・で、ハナシを変えるコトにする・・・って言ってもコチラの会場で拝見した『ヘルメット』のハナシだが・・・ Blazeさん謹製(?)、 『量産型ザク・ヘルメット』。 もう1~2年も前に製作された作品らしいが、緑(エンッテヨムナ、ミドリデスヨッ)色に塗られたのは今回かららしい・・・やっぱり『角のないザク』は緑じゃなくっちゃねぇ~っ!ええ、ええ (((^-^))) しっかし、バイク用ヘルメット(おそらくアライ製・・・)にFRP成形を施して仕上げたらしいが、ホントに見事な仕上がりだよねぇ・・・ソレでいて『目玉』なんかには遊び心があったりするからホントにニクいっスねぇ!(笑) ・・・で、ワタシ・・・今回の書き込みでナニが言いたかったんだろう・・・??? ・・・健忘症、再発・・・
2007年12月06日
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ご無沙汰いたしております・・・。 ブログ書き込みが面倒になっているワケでは決してありませんが、ナンだか最近いろいろと忙しくって・・・(←言い訳) で、最近『楽天フォト』に動画貼り付けてみました・・・。 コチラ、 『楽天ムービーBOX』。 そして、コレら動画の解説を下記・・・ 『何でもかんでも収録(3MA編)』の「我が3MA空吹かし その2」 我が3MAの現状(セッティング)、空吹かしの時の「回転上昇感」を動画に納めたモノ。 ’89型3MAのキャブセッティングがノーマルままだった時には、悲しいかな7千回転くらいまでの上昇感が「動画」よりも緩慢かつモッサリとしていた。吸排気系の容量アップでMJ(メインジェット)番数が上がるとなおさらソレが顕著となった記憶もある。 この原因は、メーカーが当時の馬力規制に合わせるために吸排気系の容量ダウン&MJ番数ダウンを行ったにもかかわらず、JN(ジェットニードル)&NJ(ニードルジェット・メインノズル)はほぼ想定馬力そのままの時の組み合わせで、単にAJ(エアジェット←コンペンセータ内)の番数を下げるコト(=濃くする)で対処したからだと私は想像している。{※現に’90型はSTD、SP共にJN&NJの中速域くらいまでのプロファイルは薄めのタイプに変更を受けている。} で、結果的に’89型3MAのノーマル状態は「低中速域のトルク感&フィーリング」はかなり最悪の部類だった・・・常に濃いのである。 で、私の3MAのタコ上昇感、まあまあイケてると思うんですがいかがでしょうか? 同時代のNSR(MC18)やVガンマ(VJ21)の中速トルクに少しは近づいたかなぁ~と思ってるんですが・・・(苦笑) {※あくまでも「空ぶかし」なので負荷の掛かる実走行とはもちろん異なるが、比較対照くらいにはなる・・・カナ?} 『何でもかんでも収録(S800C編)』の「2006.11.12 AHSM走行会in鈴鹿」 言わずと知れたAHSMサーキット走行会の時の「動画」。 実は2度目のコースイン時、カメラの録画操作を誤り『メモリー動画(15秒)』になっていた時のモノ。押したハズの『録画中ランプ』が消えているコトに走行中気付き、オカシイなぁ??と思いつつもルームミラー越しに録画ボタンを探り何度も押し続けていたワタシであった・・・・・・途中で気付けよぉ、オレ・・・ ・・・トコロで、他の「楽天ブロガー」の方たちの中には『動画(フラッシュプレイヤー)』を直接ブログに貼り付けている方もいるのですが、どうやってやるんでしょう??? どなたか教えてください
2007年02月16日
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『排出ガス』のつづき・・・。 「ホンダS2000なんかと較べても排出ガスの濃度が2~3000倍も汚い」、我がホンダS800C・昭和42年式・・・。 ・・・というのは『アイドリング時の排出ガス中に含有するHC(炭化水素&窒素酸化物)濃度』のコトを示している。 ご存知のコトと思うが、そもそもクルマには『自動車排出ガス規制』が敷かれており、車検時には当然この項目もクリアしないと次期車検証は発行してもらえない。 で、『自動車排出ガス規制』の項目には以下のような変遷があった。 昭和45年 アイドリング時のCO(一酸化炭素)濃度は5.5%以下にするコト。 昭和47年 アイドリング時のCO濃度は4.5%以下にするコト。 昭和48年 なおかつ、HC濃度は以下の濃度以下にするコト。 ・4サイクルエンジン 1,200ppm以下 ・2サイクルエンジン 7,800ppm以下 ・特殊エンジン 3,300ppm以下 うわぁ~、クルマのお話とはいえ「2サイクルエンジン」のHC濃度って、比較するとヒドいっすねぇ・・・ところで、お次の「特殊エンジン」ってナンぞや? 1970年代までの国産車などに(↓)のようなステッカーが貼られているのをご覧になったコトはないだろうか? コレが上記「特殊エンジン」に該当するクルマのコトである。しかし、1970年代までの国産車がすべてコレに該当するのかと言うとそうではないし、この『アイドルHC特殊』ステッカーを貼りさえすれば「排出ガス規制」がユルくしてもらえるのかと言えば当然そんなハズもない。 コレが認められているのは昭和49年に当時の陸運自から認定を受けた車種のみで、その数はたかだか41車種しかない。 おそらくソレらの車種は、エンジン構造&補器類の構造上、HC濃度を1,200ppm以下に抑えるコトが困難だったモノと推測される、対象車種を見てみるとやはりスポーツ車が多い。 少し紹介しておこう・・・。 認定番号 1 ホンダS500 「おぉっ!早速ホンダからだぁ!(笑)」 認定番号 2 ホンダS600 認定番号 3 ホンダS600クーペ 認定番号 4 ホンダS800 認定番号 5 ホンダS800クーペ 「我がエスハチクーペ・・ヨシヨシ。」 認定番号 6 ダイハツコンパーノ・スパイダー 認定番号 7 トヨタ2000GT 認定番号 8 トヨタ1600GT : 認定番号10 マツダコスモ・スポーツ(L10A) 認定番号11 マツダコスモ・スポーツ(L10B) 「A、Bも細かく区分・・」 : 認定番号13 マツダサバンナ 「多分、RX-3のコトかな?」 : 認定番号21 フエアレデイ2000 認定番号22 スカイライン2000GT-R(PGC10)「フツーのGTは入ってないネ・・・。」 認定番号23 スカイライン2000GT-R(KPGC10) 認定番号24 スカイライン2000GT-R(KPGC110) : 認定番号28 イスズベレット1600GTR : 認定番号40 三菱コルトギヤランFTO 認定番号41 三菱コルト1100Fスーパースポーツ 以上、かいつまんでみた・・・、『型式名』で41種類なのだから、いかに少ないかがお分かりになるだろう。 で、「ホンダエスシリーズ」はそろい踏み・・・って、イバれないけどね^-^; ・・・あっ、ツインカムエンジンのホンダT500は入っていませんねぇ・・・大丈夫なんだろうか? ちなみに、現行車「ホンダS2000」をはじめ、今どきのクルマはアイドリング時のHC検出がほとんど出ないらしい。検出器の「HC濃度」の針はほとんど振れないのだそうだ・・・。 ・・・というワケで、HC濃度3,300ppmを辛うじて切る程度の「我がエス」のHC排出量は、その末裔「S2000」の2~3000倍の「汚さ」と言われてもしかたがないのである・・・orz
2007年02月03日
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・・・回想。 昨年、バイク乗りの友人Oさんに誘われ、彼のバイクレース仲間(先輩?)のSさんと初めてお会いして昼食を一緒にした時のコト。 私とSさんが対面するのはその時が初めてだったので、OさんはSさんに私のコトを紹介してくれていた時の一コマ。Oさん:「・・・・で、yamasadaさんのあのエスハチって、今のホンダS2000なんかと較べても排出ガスの濃度が2~3000倍もキッタないそうなんですよ~。」私:「(苦笑)」 Oさんがそう言ったのは、私のエスハチでその食堂に乗り着けるまでに彼にそんな話題をしていたからだった。(私もあるクルマ雑誌からの『受け売り』だったが・・・)Sさん:「へぇ~、・・・じゃあyamasadaくんは、環境にやさしくない乗り物に2台も乗っているワケなんだ~っ!!(笑)」私:「!!・・・ッンガッンッグゥッ! 」(←旧「サザエさん」風) 2台・・・ソレはエスハチ&TZR250(3MA)のコトを指していた。 ホントに虚を突かれたようなコメントで、もうちょっとで私は口に入れていたモノを全部吐き出してしまうトコロだったっ(汗) ↑・・・そんなヤツら・・・↑
2007年02月01日
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昨年末の写真整理で出てきたスナップから思い出したことをちょっと書き込んでみる・・・。 私が『限定解除』(←もう死語!?)を取って初めて購入した大型自動二輪は『ヤマハ・SRX-6(1JK)』(←えっ?大型!?は、はい、大型です、一応・・・608cc)。社会人になってしばらくの’95年に中古で購入。 でも、私が『限解』を取得したのは学生時代。2台目の3MAを購入したために、懐具合がレース『開始&活動』資金としては心許なくなってきた私は、それならとばかりに「より一層の公道バイク生活の満喫!!」に方針転換、3MAと大型バイクの2台体制を目論むようになっていた。(レース参加にとても興味はあったモノの公道バイク無くしてまでのレース気概まではなかった・・) で、その当時に私が心惹かれた大型バイクは、イタリアンビッグシングルスポーツ『ジレラ・サトルーノ500』で、『限解』取得できた時には即購入と心に決めていた・・・ローンで・・・。{※ジレラ・サトルーノ500:当然、イタリア製バイクだがエクステリアデザインが実は日本人だったりする。} 驚いたことに、私が『限解』を受けに行っていた時の受験者の中に、すでにこの『サトルーノ500』を購入済みのヒトがいた。 確か私が『限解』取得できたその日だったと記憶しているが、そのヒトが突然そのバイクで公安試験場まで乗り着けてきたコトがあった。 見せてもらうと、サイドに『350』のエンブレムが・・・、アレッ!? 実は彼、『限解』合格するまで待ちきれず、わざわざ純正の『350(cc)』エンブレムステッカーを購入し貼り替えて乗っていたのだっ! さらに、『限解』取得後にはふたたび戻せるようにと純正『500』のエンブレムも新たに購入するという用意周到さだった・・。もう、時効ですよね・・・!?(苦笑) 結局のトコロ、私の『サトルーノ』熱はやがて冷め、大型バイクを所有すること自体にも執着がなくなってしまったのだが・・。 そんな私が、ふたたびビッグシングルに目を向けたのが、社会人3年目のコト。『サトルーノ500』よりもより現実的な(?)『SRX-6(1JK・2型)』をチョイス。’95~’97の約3年間、3MAと共に所有していた。 ↑↑TRG市 レンガ倉庫前にて:SRX-6(1JK)の純正カラーのラインナップに写真のような『キャンディーレッドパール』はなかった。純正シルバーだった1JKを購入した私は早々に上記色に塗り替えた。この色を選んだ理由は、たまたま手許にある「アライヘルメット」がこの色だったから・・・。「おいおい、普通、ヘルメットをバイクの色に合わせるんじゃねーのかっ!?」というツッコミは今回ナシという方向で・・・。(笑)↑↑ 『SRX-6(1JK)』は、ヤマハならではの「ニュートラルハンドリングマシン」ではあるが、3MAと較べるとやはり趣(おもむき)も操縦性も異なる。 いわゆる旋回手前の倒し込み時に『起き』の強さを感じるバイクで、逆操舵を当てて「倒し込みのきっかけ」作りを3MAよりも必要とする特性だったと記憶している。 乗り慣れてくると実に楽しいバイクではあった。所有していた3年間は使用頻度TZR250:SRX-6比で2:8くらいだった。(もちろんエスに乗る頻度はそれ以上であったが・・・。) でも、バイク同然の趣味グルマ・エスをすでに所有していたコトもあり、車検付きSRX-6の所有は当然だんだんと辛くなってきてしまった。 幸い、このSRX-6、今でも私の友人が譲り受けて乗っていてくれている、 『SRX-4』のエンブレムを付けて・・・。
2006年01月04日
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このブログに度々登場するHN『めがね職人』ことH氏、彼と知り合えたのはこれまた楽天ブログ・クルマ部門の中でもマンモスアクセス数を誇る『越前SR』さんに紹介してもらったからだ。 以前にも書いたが、彼の本業は『メガネ試作者兼メガネデザイナー』なので彼の仕事場には実にさまざまな工作機械が揃っている。 まずは、デザイナーだから当然メガネ設計用のCADでしょ、試作もされているから、ロウ付け機でしょ、精密彫刻機でしょ、レンズカット機でしょ、それにエンドレスジグソーでしょ、旋盤でしょ(?)、フライス盤でしょ(??)、サンドブラストキャビネットでしょ(???)、簡易プレス機でしょ~!!・・・って、ホントにメガネ製作にこんなに必要なの? 答えは簡単、『彼は多才だから・・・』。 彼はSを弄って走らせたりする趣味以外にも『燃費競技車両』製作&大会参加(エコランやマイレッジマラソンなど)、ギター製作などなどホントにいろいろ作ってしまう。{※これまでの燃費競技車両の製作台数は4台にもなり、現在の1台はキャブ搭載車の中ではトップグループの一台となっている。} もちろん本業の方も充実されている、彼の手掛けた数ある『ヒット』メガネの中でも現在主力の『コンセプトY』は素晴らしい。 私も愛用させてもらっている(というか、Yとは私のコト・・あれっ?コレってひょっとしてプチ自慢!?)が、かけ心地が良いというより、かけているコトも忘れてしまうくらいメガネの存在が気にならないのだ。 著名人でもコレを買われた方が何人もいるらしい。古館伊知郎、高島礼子、八嶋智人、日産デザイン本部長中村史郎氏などなど・・。{←※スポンサーとしてではなく、ご自分達で気に入られて購入されたところが本意!} だが、そんな状況にも彼は決して満足はしていない、デザイナーたるヒトは飽くなき探求心&好奇心でいつも満ち充ちている・・彼とお会いしている時いつもそう思う。私も見習いたい・・・。 そんな順風満帆で、一見完璧そうなH氏だが、お茶目な『弱点』も無いわけではない・・。 例えば、彼は『名岐オート』時代からの『工房名岐』さんの馴染み客なのだが、カーナビの付いていないSでは迷わずに一発で『工房名岐』さんまでたどり着いたコトがまだ一度もない(らしい・・・本人談)。 そう、彼は無類の『方向音痴』なのだ・・・。(Hさん、最後に落としちゃいました・・・ゴメンなさい )
2005年12月19日
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ずいぶんと前の話になるが、レシプロエンジンの構造に興味を持ち始めた頃(すべてSのためであるが・・)、ちんぷんかんぷんながらも工学書(・・・といってもくだけた文面だったと記憶するが。)の中で『ピストンスピードの限界回転数ウンタラカンタラ・・』という項目を読んだコトがある。 内容は、レシプロエンジン構造においてのピストンのストローク往復運動には工学的・物理的要因から、おのずとピストンスピードの上限は決まっているというモノだったと思う。 そして、そのスピードは21M/秒程度が限界だと記されていた。(諸説あったと思う・・他の書籍では22M/秒と書かれていたヤツもあったし。) この項で述べられていたのは、純粋にピストン自体の回転数耐久度を推し量ったモノであり、クランク軸やバルブ等の諸条件は無視、シリンダー内の条件だけ最適な環境を満たしている(温度や潤滑性など)コトを条件とした物理的論理だったと記憶している。21000MM/秒=ストローク(MM)×2×回転数(回転/分)÷60 -------------------- ↑(1回転=1往復だから) この数式で、我がエスハチやTZR250(3MA)の許容回転数を計ってみる。 以下の値はもちろん、数値上の『お遊び』と思ってください。 S800(AS800)ストローク70.0MM 許容回転数 9000回転 TZR250(3MA)ストローク50.7MM 許容回転数12426回転 ほ~、なかなか当を得た数値になりましたな・・・。 では、調子に乗ってお次は・・・ S600(AS285)ストローク65.0MM 許容回転数 9692回転 S500(AS280)ストローク58.0MM 許容回転数10862回転 で、越前SRさんお乗りのT360(AK250)は・・・ T360(AK250)ストローク47.0MM 許容回転数13404回転!! いけますよ~、可能なんですね!越前SRさんっ、13000回転越えっ!!・・・って、冗談です^^; あくまでもピストンだけのハナシです。バルブスプリング等が保ちませんよね・・・。 今回やらかしたSのオーバーレブで、以上のようなコトを思いだした次第です・・・。---------------------------------------------------------------------↓工房名岐さんより我がSのエンジンの進行状況を画像で送っていただきました。(名岐さんに掲載許可とってあります・・。)↓
2005年11月16日
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豪雨のことはコレくらいにしておきます。 ただ、このブログのもうひとつのテーマでもある、TZR250の事と友人のバイクのことについて・・・。 1100Sカタナ、ゼファー400、2ストKSR80、この3台のバイクが、私のSやTZR250と共に道連れにしてしまった友人達のバイクである。その友人達には災害時の出来事とはいえ私は謝ったし、その友人達は「そんなもんしょうがないべ~。」と許してくれた。なおかつ、復旧の手伝いにも何日も足を運んでくれた。 バイクはこのまま放置していては直るモノも直らなくなってしまうというコトで、被災約1週間経過後、私のバイクも含め、友人がユニックを借りて各馴染みのバイク屋に持っていってくれた。 {被災当時、バイクショップにはバイクメーカーから『水没バイクの修理要項』なるテキストが配布されたらしい。 残念というか腹立たしいというか、そのテキストには4ストエンジンのみの確認&修理箇所記載はあるが、なっ、なんと2ストエンジンについては「修理不可」の4文字だけで済まされているではないか!!! っていうことは、私のTZRやその他2ストスクーターなんかは必然的廃車!?バイク業界では2ストは確かになくなっていく方向にある。だからといって、修理不可はないんでないかい!?} 私のTZRは、馴染みのバイク屋さん(実はホンダ系)に持って行ってもらった。そこに入庫されてきた水没バイクの修理依頼もかなりの数だった。 もちろん2ストだからといって修理不可能なんてコトは全然ない。(現に私のTZRは無事復活させてくれたのだから・・・^^ 私っていうヤツは、元々自分に都合のいい希望を抱きやすい性分らしい・・。 TZR250後方排気(3MA)は、EXチャンバーがリアカウルから飛び出ているくらい取付位置がどのバイクよりも高い。一方、キャブ側はエンジン前方下部に搭載されているモノの、そこまでの吸入ダクトはガソリンタンク直下にあり、エアクリ位置はタンクの中に隠れている高さである。 水没水位は約80センチ、だいたい着座位置くらい。「・・・ということはひょっとして、オレのバイクのエンジン、水の侵入は無いかもしれない・・(ワクワク)」 バイク屋の店長にその意見を言ってみると、、、「あ~、yamasadaくん、そういう心配(希望的観測)は全然いらんよ、間違いなく100パーセントエンジン中は泥だらけだからっっ!!(笑)」 そして、私の期待も虚しく、エンジンばらすと下の画像の通りだった・・・。
2005年09月17日
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こうして、福井豪雨の日の夜を迎えた。 ローカルテレビは福井の各地域の生中継特番ばかり。地域によっては、私の地区の被害はまだ生やさしいくらいだと思えるくらい、もっと酷い所の映像も多数あった。でも、私だって明日からは復旧作業に追われる日々が続くのだと思うと、やはり憂鬱であることに変わりはない・・・。 県や市は当然ながら被災緊急対策本部を設け、明日からの復旧作業を全面的に支援していくとのアナウンスもあったばかり。「エスやTZRのコトは当分忘れよう・・。それとバイクの事、友人に謝らないとな・・・。」寝つけぎわ、漠然とそんなことを思ったりもした・・。 翌日からは想像以上の慌ただしさだった。みんなが明け方から一斉に各自の復旧作業を開始し、地域の対策本部設置やら自衛隊や報道関係者や為政者の来訪やらもあってごった返し状態。しかも、真夏の炎天下、埃っぽいし、臭いしで異様な雰囲気。 その日(被災翌日)のお昼頃、前出のH氏が私の所にやって来た。復旧作業を手伝ってくれると言う・・・、う、う、うっ、感謝!!(涙)「yamasadaさん大変だったねぇ、それにここまで来るのも大変だったよ~、そこら中酷くて、クルマでここまでなかなかたどり着けないんだよ~。」「あっ・・それと・・・」H氏は続けた・・。「今日の何時になるかわからないらしいけど、名岐さんが君のエスを取りに来るって言ってたよ。」「えぇ~、昨日電話はいただきましたけど、ボッ、僕、頼んではいないですよっ!」「うん、でも直してくれるって!1日でも早い方がおおごとにならずに済むだろうからって言ってたよ。それに僕もそうお願いしたんだ、彼のことだから絶対直すって言うだろう、ってね!」「そ、そうなんですか・・・(感動!)」 そして、午後3時頃『工房名岐』さんは積載車に乗って夫婦で来られた。「いや~、大変だったね。何もしてあげられないけど、エスのことは出来るだけのことをするから・・・。」と、名岐社長のありがたいお言葉・・。 でもちょっとした問題があった、私のエスのある車庫は自宅から(すり替えできない)細い道を約200メートル入っていかなければならないのだが、その通り沿いにも当然民家がある。この日からは被災した住民の親戚や縁者の人々が手伝いにやって来ているわけで、その道はクルマでいっぱいだったのだ。そこで私(たち)は一軒一軒、頼みに回ってそのクルマを一時移動してもらうことにした。 水没したエスは当然エンジンを掛けるべきではないし、かといって積載車が入って行けるほどの道幅はない。結果、私達は押してエスを自宅前に置かれた積載車まで運ぶコトになった。 考えてみて欲しい・・・、被災翌日の、まだ水没したどのクルマにも手が回らない状況であるこの混乱した町で、いち早く救出されたクルマがおそらく私のエスであるということを・・・。近所の人たちをはじめ、手伝いに来ていた人たちには、『異様な状況、異常な行動』に映ったに違いないっ!!(^^;苦笑) ともあれ、『工房名岐』さんの迅速な判断、対応のお陰で、今もなお私はエスを持ち続けることができている。余談だが、その1週間後『工房名岐』夫妻は、ボランティアとしても私の家の復旧活動のお手伝いにまで来ていただいた。 この場をお借りして、あらためて深くお礼を申し上げます
2005年09月15日
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つづき。 被災当日の午後2時を回った頃のことだろうか、福井市に事務所を構えているH氏(彼も同じくS800C所有・6年来のお付き合い、このブログでは初登場)から携帯に電話がはいった。「お~い、yamasadaくん、いまSの(置いてある福井市内の)車庫にいるんだけど酷いぞ~、どうなってるんや~これは!?もう少しでクルマの床に水が入ってきそうなくらい、町中水浸しや~っ!」「あっ!そちらも凄いんですか!?でもこっちこそジ・エンドですわ、だって床上浸水ですもん、ウチが・・。」「え~っ!、ホントに~?じゃ、じゃあクルマは・・・?」「・・ははは・・・それも床上浸水で、見事なモンです・・・。」 この福井豪雨は、県内では未曾有の広範囲で起きた災害だった。福井市は私の住まいの下流に位置する。この時、私の町はすでに水が引いていたが、福井市内を通る足羽川の堤防は正午ごろ遂に決壊し、氾濫した濁流は市内足羽川南側の広範囲を埋め尽くした。そして1日中水は引けなかったらしい。その被害状況は午後3時ごろ全国で放送された。 また携帯が鳴る。工房名岐さんの奥さんからだった。{※『工房名岐』さん:言わずと知れた愛知県のS専門チューニング&レストアショップ、こちらもまたこのブログでは初登場だが、私やH氏も含めSにおいて全信頼を置くお店。私もSを購入したあの地元のショップとは見切りをつけ、いつからかこちらのお店にお願いするようになった。不幸にも2000年9月の名古屋洪水ではこの『名岐』さんも被災され、現在は一宮市に店舗移転。しかしながら、これを契機に水没S修理のスペシャリストとしても全国に名を轟かせている(?)}「あっ、yamasadaさん、今テレビ見たんだけど、Hさんトコ大丈夫?」「さっきHさんとは電話してたんですけど、彼のトコは何とか大丈夫そうです、でも僕んトコのほうが大丈夫じゃないんです・・。(苦笑)」「え~っ!あなたのトコがっ!?テレビではてっきり福井市内の被災だと思ってたのよ~、・・・そうお気の毒に・・」と、電話のやり取りはこんな感じだったのだが・・・翌日・・。・・・つづく。
2005年09月15日
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・・つづき。 あれほど荒れ狂っていた大雨も午前10時頃には治まりはじめ、氾濫していた濁流も11時過ぎには水位が引き始めた・・。とはいえ、自宅前の道路をまるで川のように流れる濁流は、どこから漂流してきたのか100キロ近くある業務用コンプレッサー機をいまだゴゴ・・、ゴゴゴッと押し流すだけのチカラは携えていた・・圧巻・・・。 あちこちで「フォ、フォァ、フォアー・・・・」というモノ悲しくなるような音が聞こえてくる・・・。水没したクルマが通電してしまっているのだろう、クラクションの断続的なレクイエムにも似た音色である・・。 正午過ぎた頃、ようやく水位は元の川の幅に収まり、私達は外に出てみるコトにした。道路や町並みはすっかり茶色じゃけてしまった。路面はすべて泥ドロである。家の前に止めてあった妻や妹、弟のクルマは流れてこそ行かなかったが、濁流の勢いで全て押しやられてギチギチにくっ付いている。室内をのぞくともう2度と乗れないだろうことは察しが付いた。私は200メートルほど離れた車庫に向かった、恐る恐る・・・。 車庫のシャッターを開ける前に、一息深呼吸する・・。 シャッターを開け、私の眼下に飛び込んできたその情景は・・・、あまりに無残だった。水こそ引けていたものの、車庫床にはおよそ5~10センチの泥が堆積し、車庫の壁にはピーク時の水位が80センチ以上あったことを指し示す水平一直線のシミができていた。水没したバイクたちは一見うす汚れてはいるが、泥水が引いてしまったこの時に至っては何事も無かった様に見えはする。(※実際はエンジン等惨いことになっているのだが・・後日判明) しかし、エスはムゴい、惨すぎる・・・。室内も当然泥まみれ・・ダッシュボード直下まで水位はあったのだろう(車高が低いコトが災いしている。)、メーター類すべてに泥が進入して文字盤が見えない・・・。 『私のエスとの生活はこれで終わった』とこの時、正直思った・・・。
2005年09月14日
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つづき・・。 私達は2階の弟の部屋の窓から表通りのその状況をただ見ているだけしかなかった。時折、上空では自衛隊のヘリが行き来しているのが見える・・・。「下はもう完全に一面が池だわ。」と階段を上ってきた母が言う。 階段上から1階を覗く。「わ~・・、確かに水の都ヴェネチア状態だわ・・。」(そんな悠長な例えの状況であるはずもないが・・、泥水だし・・。) こんな目に遭っている時のヒトの心理状態というのは不思議なモノである、ある意味他人事のようであり、悲壮感漂っている感じでもない。 私のカミさんなんか、私の横で「もうヤケクソやね・・。」と言いながらビデオを回し始めたくらいだ。「あっ!今、オレん家のタンスの引き出しが玄関から流れてったな~。」 私の自宅に避難していたお向かいの友人が言った。そう、彼の自宅玄関は閉められなかったばっかりに家財道具が、開いた玄関口から流出し始めたのだ!!「うわっ!また引き出しが~!あ~今度は子供のおもちゃやな~・・、ちくしょ~、さっきの引き出しン中にはワールドカップの時のTシャツが入ってたんだよな~。」 やがて、「あ・・・私の車が・・。」と同伴の友人の妻。指さした方角を見ると・・・先ほどまでもうウインドーから上までしかすでに見えなくなっていたトヨタBbがプッカリと浮きだし流され始めた。漏電しているのだろうか、物悲しそうにハザードランプを点滅させ傾きながら流れてゆく様はあまりにも切ない・・・。流れていく方角に本来クルマの通れる道はない、しかし浮かんでは沈みつつ遠ざかっていくBbはやがて私達の視界から消えていった・・。 そして私はふと気づく。「・・・あっ、エスとTZR・・それにっ・・!」 現在、私のクルマ&バイクは自宅から200メートルほど離れた車庫に置いてある。しかも、この水害当時、複数の友人から預かっているバイクもあったのだ。カタナ1100S、ゼファー400、KSR80(2スト・保存車)。 私は、それに気づいて初めて顔から血の気が引いたのを今も覚えている。
2005年09月14日
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今までS800CやTZR250の思い出をだいたい順追って書いてきましたが、今日はひとまず最近の(そりゃもう忘れられない)思い出として『福井豪雨('04.7.18)』のコトを振り返っておきたいと思います。話題として古くならないウチに・・・。 去年の7月18日(日)は、「yamasada、ちょっと起きてきて!何か気持ち悪い雨の降り方なのよ・・。」という母親の声で起こされた。 午前6時半頃のコトだ。2階で寝ていた私は、ブラインドを上げ窓の外を見てみた。「うわ~、ホントにスゴイ雨だ・・。」 あまりの土砂降りで、お隣さんのウチがかすんで見えるし、下を見下ろすと地面のアスファルトも雨の叩きつける水しぶきで一面真っ白に見える!!「明け方5時ぐらいからこの調子なのよ・・気味悪いわ~。」と母。 私の家の前には道路を挟み、その向こうには川が流れている。(川幅5メートルくらい、普段の川底は道路下3.5メートルの位置)しかし、この時はあと30センチで越水するような勢いだった。 その川に架かる橋の向こうに住んでいる友人夫婦もよほど心配なのか、何やら家の中の物を運んでいる姿が見えた。彼らの家は、私の家の基礎の高さよりも数十センチ低い所にある。 私はまだ気持ちに余裕があったのだろう・・。その向かいの友人の家に「タタミ上げ」の手伝いに行った。(私の家の方は大丈夫だとタカをくくっていたのかも知れない・・。) そうこうしているうちに、友人の家にはいよいよ越水した泥水が流れ込んできた。その勢いは凄まじく、締め切った玄関の扉の隙間から吹き込むように入り込んでくる。 ほんの10分程度で床上まで浸かり始めた。「もうダメだ・・・。」と友人。「よし、オレん家に来いよ!」と私は誘った。 意を決して「せいの~で!」で玄関の扉を開けると、水の勢いに足元をすくわれそうになりながらも私、そして友人夫婦はもうすでに川のような泥水の道を渡り、私の家に駆け込んだ。「くそ~、水圧でオレん家の玄関を閉められんかったぞ~。」と悔しそうな友人、相変わらず狂ったように降りしきる雨でかすんで見える彼の家の玄関は扉が開いたままだった。 午前8時30分。いまだ衰える気配のない大雨。私の家の玄関口にもいよいよ泥水が入ってきた。「こらもう下はあかん~!!、2階に上がろう!!」 というわけで、2階から撮った画像が上の写真である・・・つづく。
2005年09月12日
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