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数ある時代劇の中で最も好きな時代劇といえば「ぶらり信兵衛-道場破り-」である。 その「ぶらり信兵衛」が先月から東映時代劇YouTubeの公式チャンネルで配信されており、毎週木曜日に更新されているのだ。ありがとう東映さん。 「ぶらり信兵衛 道場破り」については、16年前に時代劇チャンネルで朝夕再放送されていたときに一度取り上げたが、令和になってまさか無料で毎話視聴できるなんて!まぁ、Amazon Primeの東映オンデマンドに加入すればいつでも視聴可能なのだが、有料なので諦めていた。 十六店(じゅうろくだな)という裏長屋に暮らす浪人・松村信兵衛を中心に、長屋の連中がわちゃわちゃする一話完結の物語なのだが、とにかく十六店の連中が皆さんお人よしで気の良い連中ばかり。信兵衛は皆から少々頼りなく思われているが「先生」と慕われており、第2話で親に置いていかれた鶴之助の面倒も見ている。夜鳴き蕎麦屋・重助の孫娘であるおぶんはそんなお人よしで優しい信兵衛に惚れており、鶴之助の世話もよくしてくれているが妄想癖があって、毎話挿入されるおぶんの妄想の中では皆が滑稽に演じている。 しかし実は信兵衛は神道無念流の達人であり、長屋の連中に困りごとが起ったりすると連中には内緒で「取手呉兵衛(とってくれべえ)」と名乗って道場破りで金を工面してくるのである。道場破りとは言っても、大概は師範代までには圧倒的な強さで勝っておきながら道場主にはわざと負け、裏で道場主からこっそり金をもらうのである。 こうして十六店の平和は守られ、住人の平穏で騒がしい毎日が過ぎていく――という、お気楽な癒し時代劇なのだ。 信兵衛を演じている高橋英樹さんが素晴らしい。正統派二枚目ながらコミカルな演技も実に上手い。特におぶんちゃんの妄想の中でノリノリで滑稽に演じている高橋さんが大好き。 そのおぶんちゃんを演じているのは、後にスター・にしきのあきらさんの奥様になられた武原英子さん。武原さんはスケジュールの都合だかで途中から交代してしまうのだが、おぶんちゃんはやっぱり武原さんがよかったなぁ。 十六店の連中が集う飲み屋・まる源を営んでいる源次と、従業員の竜二役には東 京二・京太のお二人。 漫才協会会長の塙さん(ナイツ)がよく漫才協会の話を面白可笑しく語っているが、塙さんの初監督映画「漫才協会 THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々」が今年公開された際に笑い話として協会所属芸人である「J・J京二・たかし」の話をしていた、その京二さんだったりする。今ではお年寄りエピソードを笑い話にされる京二さんだけど、50年前(「ぶらり信兵衛」は73~74年放送)は格好いい人だったのね。それを思うと高橋さんの変わらなさはスゴい! 十六店に暮らす駕籠かきの金太と銀太を演じているのは柳澤愼一さんと渡辺篤史さん。柳澤さんは懐かしの海外ドラマ「奥さまは魔女(Bewitched)」でダーリン(Darrin Stephens)役のディック・ヨーク(Dick York)の吹替をされていたと知ってビックリ!まさかダーリンの声の人だったとは! 貧乏子だくさんを地で行く大工の乙吉とおまさ夫婦役は小島三児さんと有崎由見子さん。小島さんは多くのTVドラマに出演されているが、個人的に一番印象深いのは「西遊記」の牛魔王役だったりする。「ぶらり信兵衛」が一番好きな時代劇なら、「西遊記」は一番好きなTVドラマだからだ。 そして、おまさ役の有崎さんは落語家・柳家金語楼さんの娘さんである。金語楼さんは二代目 三遊亭金馬さん率いる三遊亭金馬一座で初舞台を踏んだが、その一座の中には「堀江六人斬り」(1905年(明治38年)に大阪の堀江遊郭の貸座敷「山梅楼」で当主が内縁の妻の親族ら6人を刀剣で斬り付けて5人が死亡した事件)で両腕を切断されながらも唯一生き残った芸者・妻吉(後に得度し、大石順教となる)もいたという。…って有崎さんには全く関係ないけど。 信兵衛が実は剣の達人で、道場破りで生計を立てていることを知っている数少ない人物の内の一人が、芸者のこふね。実はこふねも信兵衛に惚れている。渋皮の剥けたいい女・こふね役には浜木綿子さん。二代目 市川猿翁さんと3年で離婚し、香川照之さんを女手一つで育て上げた方である。息子さんの不祥事もあったけど、昨年に元夫である二代目猿翁さんの弟・市川段四郎さんと奥さんが自死した件で、段四郎さんの長男・四代目 市川猿之助さんが自殺幇助の有罪判決(懲役3年・執行猶予5年)を受けた事件が思い出される。…ってこれも浜さん、ほとんど関係ないけど。 昨日は第5話が公開された。公開期間は1週間である。第1話と第2話はずっと公開されているので、心が癒されたい方にお勧めしたい。 50話全部公開してくれるのかなぁ。東映さん、是非とも全話公開を何卒お願いいたします。
2024.06.07
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4年ほど前に「マスキングテープ にほんの人物」と題した駄記事にて、日本の各都道府県を代表する偉人が可愛く描かれたカモ井加工紙製マスキングテープを取り上げた。 その後も「にほんの名所」や「家紋」のマスキングテープをいただいたのは非常に有難いものの使いどころがなく、未開封のまま現在に至っている。それは流石にくださった方に失礼かと思い、4年も放置しておいて今更ではあるが、ここで紹介させていただくことにする。 写真が下手すぎて見難いがこういうものだ。このテープはどういう時に使えばよいのだろう? 描かれている家紋は10個。家紋にはそれほど興味が無いので幾つかの戦国武将の家紋しか知らない。島津家の丸に十字、豊臣家の桐紋、徳川家の三ツ葉葵、明智家の桔梗、石田家の大一大万大吉、大谷家の対い蝶、真田家の六連銭…等々。どうでもいいけど私の実家も桐紋だった。 さて、このテープには何やら小さく英語で説明文が書かれている。「Kamon is a coat of arms that has been used to cxpress his own family lines since ancient times. It is one of Japan's unique culture that is still used today.」(家紋とは、古来より自分の家系を表すために用いられてきた紋章のことです。 現代でも受け継がれている日本独自の文化の一つです。)説明文の上には丸に「カモ井」の文字が家紋っぽく書かれている。本当にあるのか、シャレなのかすら分からないけど。 左端は少し切れているので次から順に見てみよう。 結び雁金 六連銭で知られる真田家はこちらも使用していた 橘 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」の山中鹿之助(幸盛) 丸に並び切竹 違い釘抜 丸に長門三ツ星 長門三ツ星といえば毛利家だけど、丸が付いたら…? 丸に山の字 右波の丸 抱き茗荷 堀尾吉晴が使っていたそうな 上り藤 安藤重信が使っていたというが… 五三の桐 豊臣秀吉でお馴染み 調べてみたら家紋は面白いうえに色々と勉強になった。昔の方のデザインセンスの素晴らしさよ!また暇な時に戦国武将家紋一覧とか書くかもしれない。 ※「丸に長門三つ星」紋の画像は家紋ドットネットさんより拝借いたしました。
2024.04.28
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同じ職場の方にマスキングテープなるものをいただいた。聞いたことはあるが、何に使うものなのか分からない。だけど、めっちゃ可愛いので有難くいただいた。 製造元のカモ井加工紙という会社はどうやら倉敷の会社らしく、カモ井食品と何やら関係があるとかないとか。カモ井食品といえば「チキンライスの素」がパッと思い浮かぶのだが、地元だけのものなのか、全国的に売られているのか分からないので、この話は割愛。 さて、このマスキングテープであるが、「にほんの人物 東日本」と「にほんの人物 西日本」の2本があり、とにかく絵柄が可愛い。絵は可愛いのだが人選がなかなか興味深い。…と思ったら、どうやら各都道府県を代表する人達のようだ。 ピンクの方が東日本で、登場するのは23名。 松浦武四郎(北海道)、津軽為信(青森)、新渡戸稲造(岩手)、伊達政宗(宮城)、白瀬矗(秋田)、上杉鷹山(山形)、松平定信(福島)、徳川光圀(茨城)、足利尊氏(栃木)、新田義貞(群馬)、熊谷直実(埼玉)、伊能忠敬(千葉)、勝海舟(東京)、北条氏康(神奈川)、上杉謙信(新潟)、佐々成政(富山)、前田利家(石川)、柴田勝家(福井)、武田信玄(山梨)、真田幸村(長野)、斉藤道三(岐阜)、今川義元(静岡)、織田信長(愛知)。 グリーンは西日本で、登場するのは24名。 松尾芭蕉(三重)、浅井長政(滋賀)、円山応挙(京都)、豊臣秀吉(大阪)、大石内蔵助(兵庫)、聖徳太子(奈良)、徳川吉宗(和歌山)、岡野貞一(鳥取)、森鴎外(島根)、宮本武蔵(岡山)、毛利元就(広島)、高杉晋作(山口)、三好長慶(徳島)、平賀源内(香川)、正岡子規(愛媛)、坂本龍馬(高知)、貝原益軒(福岡)、大隈重信(佐賀)、高島秋帆(長崎)、加藤清正(熊本)、福澤諭吉(大分)、若山牧水(宮崎)、西郷隆盛(鹿児島)、尚巴志(沖縄)。 東日本は戦国武将や幕末の武士が大半だが、意外と探検家が数名。片や西日本は歌人や絵師、作家や作曲家もいたりして。静岡代表が、300年続いた江戸幕府の祖・徳川家康ではなくて今川義元なのは、ビジュアル面を考慮したのだろうか?でもって候補者が山ほどいる京都の代表が円山応挙とは、ちと意外な感じ!?
2020.05.06
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戦国時代の終りを告げる「関ヶ原の合戦」から四百余年。 裏切りが常の戦国の世に、盟友・石田三成との堅い友情に殉じた敦賀城主・大谷刑部少輔吉継。 豊臣秀吉の小姓から着々と実績を重ね、秀吉政権の下で重用される。天正17年(1589)には敦賀城主となり、12年間、才覚を発揮し、軍事・物流の最重要拠点であった敦賀城下の整備拡充を図った。 慶長5年(1600)天下分け目の関ヶ原で、吉継は勝ち目のない戦と知りつつ西軍三成側について善戦するが、味方の裏切りが続き、大谷軍は全滅。吉継は自害し、ここに生涯を終えた。 大谷吉継は不治の病に冒されながらも「忠義と友情」に殉じた戦国の「智将」であったと伝えられている。 (敦賀観光協会発行のパンフレットより) 歴史好きの女性達から圧倒的な人気を誇る大谷吉継。そんな彼の紹介文には不治の病、忠義、友情、智将-と、恋する乙女達の胸がキュンキュンするワードがてんこもりだ。 400年以上前の戦国武将など実際にはむさくるしいオッサンだったに違いないのだが、何となく抱いている彼のイメージといえば、病のために顔を白い布で覆いつつも目元涼やかな美青年で、智勇ともに優れ、部下を大切にし、三成との友情のために病身を投げ打って戦った義の人という、まさに非の打ち所がない武将という感じである。出自ですらはっきり分かっていない人なのにね。 そんな吉継といえば、関ヶ原関係の小説にはそのほとんどに登場する。西軍主力メンバーだったので当然ではあるが。 しかし吉継が主人公の小説となると数はめっきり減ってしまう。そりゃ生年や父親が誰かすらはっきりと分からない人だし、関ヶ原の戦い以外で特に目立った功績があるでなし…。Wikiさんの吉継のページを書かれた方の情熱はスゴいと思う(^^; とはいえ、よく分からないながらも不明な部分は想像等で補って書き上げられた吉継物語はいくつか存在する。例えば我家の本棚に並んでいる本だけでもこれくらい。 ・「名将 大谷刑部」 南原幹雄 (新潮文庫) ・「小説 大谷吉継」 菅 靖匡 (学研M文庫) ・「大谷吉継」 山元泰生 (学陽書房*人物文庫) ・「大谷吉継」 石川能弘 (幻冬舎文庫) ・「大谷吉継」 野村敏雄 (PHP文庫) ・「大谷吉継と石田三成」 工藤章興 (PHP文庫) ・「大谷刑部戦記」 竹中 亮 (学研*歴史群像新書) 全5巻 ・「戦国武将列伝2 秀吉」 縄田一男編 (徳間文庫) (“大谷刑部” 吉川英治 収録) 南原さんから工藤さんまでの6作品は、吉継が平馬だの紀之介だのと名乗っていた青年時代から晩年までを描いている。 その中で幼名を平馬(へいま)としているのが南原さん、山元さん、野村さんで、紀之介(きのすけ)としているのは石川さんと工藤さん。菅さんは同じ紀之介でも(のりのすけ)となっている。本人の名前ですらバラバラなのであるから、正室や側室、兄弟等の縁者に至ってはもうね…。まぁ仕方がないわな、元々よく分かってない人だし。 吉川英治さんの短編は、三成に挙兵を持ちかけられたあたりから最期までを記した物語であるが、この中に登場する吉継の乳母の娘は彼を平馬様と呼んでいる。 竹中さんの作品は歴史シミュレーション小説もしくは架空戦記というもので、もし吉継が病を克服し、三成に代わって西軍の采配を振るっていたら…というもの。吉継の智謀が炸裂し、おまけに誰からも愛される人望も加わり、吉継ファンにとっては実に嬉しくて面白い作品になっている。 これら以外では、佐藤太治さんの「死闘関ヶ原 大谷吉継伝」という作品がある。以前バイト先の古本屋にあったのだが、買おうかどうしようか迷っているうちにお客様に先を越されてしまった。Amazon.で中古本が1円で出品されているものの、吉継本はどれも似たり寄ったりの内容なので(そりゃ同じ人について書かれているのだから当たり前)結局買わずじまいでいる。 あと、小説ではなく漫画でみなもと太郎さんの「風雲戦国伝」(PHPコミックス)に“大谷吉継の謎”(1-8)という作品がある。史実に基づいて忠実に描かれており、しかも絵柄が可愛いので是非ともオススメ♪ 追記(2017.09.14) 神坂次郎さん著「戦国を駆ける」(中公文庫)の「われ友誼に殉ず――大谷刑部の場合」という短編も追加したい。吉川さん同様、三成に挙兵を持ちかけられたあたりから最期までを記した物語で、余談として吉継自刃の介錯をした湯浅五助を討った東軍の侍大将・藤堂仁右衛門が、家康に吉継の首について尋ねられた際の話が載っている。 追記(2018.11.14) 富樫倫太郎さん著「白頭の人 ――大谷刑部吉継の生涯」(中公文庫)という吉継小説が2018年8月に出版された。この本での呼び名は平馬。青年時代から最期まで、吉継が丹念に描かれていてよかった。吉継に関して一般的に知られているエピソードが余すことなく出てくるので、とても読みやすかった。
2014.01.25
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前回の「連想ゲーム 戦国武将編」、お分かりいただけましたでしょうか?ちょっと…いや、かなりヒントがマズかったかしらん!? かたじけないっす(^^ゞ 誰でも知っている人物をあえて外し、ややマイナーな通好み(?)の人物ばかり挙げたので、分かりにくかったかもしれない。 ちなみに、織田信長の3ヒントだと「うつけ者、敦盛、天下布武」 豊臣秀吉では「猿、草履取り、女好き」 徳川家康なんかは「うんこもらし、てんぷら、狸」 上杉謙信だと「毘沙門天、塩、生涯不犯」 …といったところか。秀吉と家康を好ましく思ってないのがバレバレやね(><) 前回の答え Q1.四季農戒書、禅林文庫、愛 → 直江兼続 兼続が著したといわれる農業指南書「四季農戒書」や、彼が創設した学問所「禅林文庫」はあまり広く知られていないが、“愛”とくれば今やこの人。勿論、“LOVE”のことではなくて愛染明王もしくは愛宕権現の頭文字の“愛”だけど。 Q2.クリスマス(降誕祭)、平蜘蛛の釜、東大寺大仏殿 → 松永弾正(松永久秀) クリスマスを理由に休戦した日本初の武将、松永弾正。しかしてその実体は、東大寺大仏殿を焼き払い、将軍(足利義輝)までも殺したダーティーヒーロー。平蜘蛛の釜は信長が所望した名品で、釜を渡せば命を助けると信長に言われた弾正はその申し出を拒否、なんと釜もろとも爆死 Q3.一文銭、油、蝮 → 斎藤道三 路上で一文銭の穴を通して壺に油を注ぐというパフォーマンスで評判になったのは斎藤道三。その後は裏切りと奪取を重ね、ついに一国一城の主にまで成り上がった。そんな彼を人は“蝮(まむし)”と呼んだ。 Q4.さらさら越え、北アルプス、金鳥 → 佐々成政 家康に会うべく、従者50人を引き連れて厳冬の北アルプスを越えたのは佐々成政(さっさなりまさ)。世に言う「さらさら越え」である。なぜそんな無謀なことをしたのかと興味を持たれた方は、こちらをどうぞ。ん?金鳥?そりゃ、金鳥といえば金鳥サッサですがな Q5.関ヶ原の戦い、大谷吉継、平塚らいてう → 平塚為広 関ヶ原の戦いでは大谷吉継軍に属して奮戦したものの、小早川秀秋の裏切りに加え、脇坂安治ら味方の寝返りに合って戦死した、美濃垂井城主・平塚為広。「元始、女性は太陽であった」という自伝で有名な平塚らいてうは彼の子孫らしい。 Q6.利休七哲、キリシタン、マニラ → 高山右近 ♪ウコンの力~ というCMソングを耳にするたび、ふと頭をよぎるのはキリシタン大名・高山右近。千利休の七高弟(利休七哲)の一人でもあった。キリシタン禁教令により国外追放となった右近はマニラに赴き、現地で熱烈な歓迎を受けるも、上陸してわずか40日後に他界してしまった。 Q7.雷切、姫城督、家臣思い → 立花道雪(戸次鑑連) “雷切”といえば「NARUTO」のカカシを思い浮かべるが、オリジナルはこちら。若い頃、落雷を受けて半身不随となった立花道雪だが、その際、雷にいた雷神を斬ったと言われ、その刀を“雷切”と呼ぶそうな。当時としては珍しく、家督を一人娘に譲ったことでも知られる。道雪には部下に対する様々なエピソードが残っており、かなり家臣思いだったようだ。 Q8.化け猫騒動、葉隠、♪SAGA さが~ → 鍋島直茂 化け猫騒動で有名なのは佐賀・鍋島家。元々、肥前は龍造寺家が統治していて鍋島直茂は代々仕えてきた重臣だったが、龍造寺家の当主が凡庸すぎたため、直茂が家督を譲られた。→※「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」でお馴染みの「葉隠」は、鍋島藩藩士・山本常朝の言葉を田代陣基が筆録したもの。 Q9.姫若子(姫和子)、一領具足、まんじゅう → 長宗我部元親 何や、いつの間にやらゲームでエラい人気者になってしまった長宗我部元親。幼い頃は色白で痩せており、女の子のようにか弱かったため“姫若子(姫和子)”と呼ばれていたとか。彼の主戦力は農民武士団である一領具足だった。ある日、秀吉から饅頭をもらった大名たち。多くはその場で食べたが、元親は少し食べただけで持って帰り家来にも分け与えた。他家の家臣達はその様子を羨ましそうに眺めてましたとさ。 Q10.白頭、真田幸村、友情 → 大谷吉継 親友・石田三成との友情物語で今なお大人気なのが義の人・大谷吉継。かく言う私も吉継贔屓だ(*^^*) 吉継の娘は真田幸村の正室・竹林院。白頭とは吉継の号で、病気のため白い頭巾を被っていたからだとか。若白髪説もあるが、果たして…!? ※ 「直茂が家督を譲られた」というのは誤りで、「領地の支配を認められた」が正しいようだ。うろ覚えで適当なことを書いてしまい、申し訳ありませんでした~m(_ _)m
2009.09.17
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軽暖軽寒春色晴 閑吟独向小門行 梅花凋落桜猶早 窓外唯聴夕棹声 桜花爛漫…というにはまだ早いが、所々で桜の開花が始まりかけている今日この頃。 裏道でひっそり営む当へっぽこブログもおかげさまで今回が400記事目。斯様な僻地まで足をお運びいただき、心から感謝致しますm(_ _)m 冒頭の漢詩は、長州が生んだ幕末の天才革命児・高杉晋作が、29歳の若さで世を去る少し前に詠んだもの。晋作とは通称で、名を春風という。彼の有名な辞世の句が「おもしろき こともなき世を おもしろく」。当ブログもこの晋作精神をモットーに、肩の力を抜いたお気楽トホホ日記を今後も綴っていく所存でありまする。 100記事目では「史上最強の二枚目」と題し、元カーズ(THE CARS)の超絶二枚目ベーシスト兼ヴォーカルのベンジャミン・オール(Benjamin Orr)を、200記事目では「史上最強の美女」として、かつて一世を風靡したスーパーモデルのリンダ・エヴァンジェリスタ(Linda Evangelista)を、そして300記事目では独断で選んだ「最高の二枚目キャラクター」ということで、「NARUTO」に登場するはたけカカシ先生(えッ!?)について語った。 今回の400記事目では「日本一の武士(もののふ)」を、これまた独断で選んでみたい。 いい国つくろう鎌倉幕府の時代から先頃奇跡の連覇を成し遂げた侍ジャパンまで、およそ千年の間にはとても数え切れないほど幾多の武士が後世に名を残す活躍をした。また、名は残らずとも立派な生涯を貫いた武士も大勢いたことだろう。 個人的には動乱期―戦国時代と幕末期の武士に特に心惹かれるので、両時代から一名ずつ選ぶこととする。 戦国期は、織田信長、武田信玄、上杉謙信等、多くの傑出した武将を輩出したが、特に思い入れがあるのは石田三成&大谷吉継の友情コンビだ。しかし、武士として、というならば、やはり真田幸村(信繁)を挙げたい。 たとえ私の心に思い描く幸村像の大半が虚構によるものだとしても、関ヶ原の戦いにおける第二次上田合戦での小気味よい勝利、また大阪冬・夏の陣での獅子奮迅の活躍ぶりは、まさに日本一の武士と呼ぶに相応しい。 幕末期の人気者といえば、坂本龍馬や新選組、中でも土方歳三などが挙げられるだろう。 たまたま幕末に興味を持つようになったきっかけが、会津藩及び新選組の悲劇を描いたドラマ「白虎隊」であったり、旧幕府側の人物に焦点をあてた司馬遼太郎さんの名著「燃えよ剣」や「峠」に感銘を受けたためということもあり、どうしても未だに新政府側の薩長の人物があまり好きになれないでいる。 しかし長州人では唯一、高杉晋作だけは敬愛してやまない。旧幕府軍を地獄に陥れた戊辰戦争の前に没したため―という理由も少なからずあるけど(^^ゞ 身分制度にとらわれない奇兵隊の創設、彦島の租借要求の拒絶、後に大政奉還へと繋がる藩政奪還。大きな功績をいくつも残しながらも倒幕という春に咲き誇る桜花を愛でることもなく、まるで寒梅のように静かにこの世を去ってしまった。“動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し” 彼もまた日本一の武士と言えよう。
2009.03.28
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歴史小説を読んで過去の人物に想いを馳せるのは、悲しくも切ない。どのような運命を辿り、そして如何なる最期を迎えたかが分かっているだけに、小説の中で懸命に考え、悩み、戦う彼等が切なくもあり、また愛しい。実際にどのような人物だったかなどは当然知る由もないが、小説等で描かれた人物像に心惹かれ、ぜひとも地獄で逢ってみたい歴史上の方達10人をつらつらと挙げてみる。 地獄で逢えたら BEST 10 (BEST 10 といいつつ、順不同。生まれの早い順に並べてみた) ・立花道雪【戸次 鑑連】 (1513~1585) 豊後・大友家の家臣 智勇に優れ、また非常に部下思いだったらしく、数々のエピソードを残している。落雷で半身不随になったが、その際に雷を刀(千鳥)で斬ったという。後にその刀を“雷切”と名付けた…ん?雷切?千鳥?某忍者漫画でそういう技があったっけ ・上杉謙信 (1530~1578) 越後の龍 説明不要、生涯不犯を貫いた最強の武将。そのストイックさが魅力! ・織田信長 (1534~1582) 第六天魔王 これまた説明不要の大人物。日本史上、最もスゴい人。 ・大谷吉継 (1559~1600) 敦賀城城主 友情に殉じ、関ヶ原の戦いで自刃した義の人。 ・石田三成 (1560~1600) 豊臣・五奉行の一人 彼もまた、関ヶ原の戦いで秀吉への義を貫いた。 ・森蘭丸【森成利】 (1565~1582) 言わずと知れた信長の小姓 BL魂を刺激する戦国武将。ものすごい美少年をイメージしているのだが、実際は筋骨逞しい若者だったみたいで…(T T) ・真田幸村【真田信繁】 (1567~1615) 日本一の兵 戦国最後の武将。30代、40代の働き盛りを蟄居先の九度山で虚しく過ごした後、大阪冬の陣、夏の陣で果敢に戦う。大谷吉継の娘婿。 ・河合継之助 (1827~1868) 越後長岡藩家老 北越の龍 涙なくしては語れない北越戦争の主人公。 ・高杉晋作 (1839~1867) 長州の天才革命児 幕末に活躍した薩長の人達は好きではないが、唯一、彼だけは別。早すぎる死が悔やまれる。 ・原田左之助 (1840~1868) 新選組十番隊組長 なんたって美男、かつ怜悧、それでいて恐いもの知らず。新選組の戦闘には常に左之助の名が。もっと人気があってもよさそうなのに…(^^ゞ ・周瑜 (175~210) 三国・呉の英雄 欠点なしの「美周郎」。眉目秀麗、文武両道。ただ、地獄で逢っても言葉が通じるかどうか 嗚呼、早く天寿を全うして彼等に逢いたいけど…みんなどんな顔なのか知らないからなあ。たとえ逢えたとしても気付かないだろう。うーん、何だか勿体無い(^^ゞ
2009.02.26
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朱ぼかしの若い壺振りの手は、一同の全神経を、びりっと緊(し)めつける見事な動作をしめした。 血走った、飢えた野獣のそれにも似た眼光が、壺皿へ集中して、まばたきもしない。 だが、たった一人だけ、冷やかな眼眸を、壺皿へ送っている者があった。勝負に加らず、先程から、壁に凭りかかっている黒羽二重着流しの浪人者であった。異人の血でも混っているのではないかと疑われる程彫のふかい、どことなく虚無的な翳を刷いた風貌の持主であった。まだ三十にはなるまい。 ―柴田錬三郎著「眠狂四郎無頼控(一)」より 以上が眠狂四郎(偽名)初登場の場面だが、クールで二枚目のハーフ侍とくれば、もう初っ端から女性読者のハート鷲掴み 異人の血でも混っているのではないかと疑われる程―とあるが、狂四郎はオランダ人医師のころび伴天連が大目付・松平主水正の娘・千津を犯して生ませた混血児である。その、混血特有の風貌で女を惹きつけ、しかも平然と犯し、“円月殺法”を振るい容赦なく人を斬る…って、惚れてまうやろー!!(by Wエンジン) 今から10年ほど前、ちょうどONE PIECEのゾロに夢中だった時、何か剣客小説を読んでみたくて手に取ったのが、シバレンさんの眠狂四郎シリーズ第1作目「眠狂四郎無頼控」だった。以来すっかり、ニヒル(死語?)でクールでハーフな根暗イケメン侍(やや変態気味)・狂四郎の虜になってしまった(*^^*) 無頼控全6巻をはじめ、独歩行(上・下)、殺法帖(上・下)、孤剣五十三次、虚無日誌、異端状、京洛勝負帖…と、新潮文庫から出ている狂四郎シリーズを次々買い揃え、貪り読んだ。(唯一、無情控だけ持っていないことに、10年も経った今気付いた。早速注文しなくっちゃ) ニヒルでクールでハーフな根暗イケメン侍だけあって、実写版で演じた役者さんも二枚目揃い。初めて動く狂四郎を見たのは、片岡孝夫さんだったか田村正和さんだったかが演じたドラマだった。片岡さんは結構よかったが、田村さんはちょっと… シバレンさんは評価していたらしいけど。 その後、たまたまCSで市川雷蔵さんの狂四郎を見て、鳥肌が立つほどにゾクゾクした。凛とした中に漂う虚無感や孤独感、そして色気…彼こそまさに狂四郎そのものではないか!言うまでもなく、その瞬間から即、雷蔵さんにも夢中になってしまった(^^ゞ 雷蔵さんが主演した狂四郎シリーズは全部で12作。1作目の「眠狂四郎 殺法帖」はまだ雷蔵さん自身の持つ明るさが若干残っていたが、回を重ねるごとに狂四郎になりきっていった。殺法帖に始まり、勝負、円月斬り、女妖剣、炎情剣、魔性剣、多情剣、無頼剣、無頼控・魔性の肌、女地獄、人肌蜘蛛、そして37歳の若さで癌で亡くなる半年前に公開された悪女狩りである。 悪女狩りを撮影の頃には体調がすぐれず、椅子に座ってぐったりしていることが多かったそうで、実際にそれまでの作品に比べると狂四郎の出番が少ない。厳寒の京都で、病身での撮影はさぞや堪えただろうに… 小説で読むとあれほど格好良さげな円月殺法も、実写版だとどうしても妙でおかしなことになってしまうのが残念なところ。雷蔵さんの狂四郎があまりにハマりすぎていて誰も超えられないことと、この円月殺法がどう演じても間抜けっぽくなってしまうことが、ここ20年以上実写化されていない所以だろうか?ニヒルが絶滅した現代では難しいかもしれないが、ぜひとも狂四郎の復活を望む。
2009.02.08
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真田安真房守(真田昌幸)殿左衛門佐(真田信繁←真田幸村)殿 大坂より 人々御中 白頭 猶以此方之儀、大坂いかにも丈夫ニ人質を取かたまり申候、伏見の城へハ嶋津(島津義弘)・輝元(毛利輝元)・備前中納言(宇喜多秀家)殿、小西(小西行長)御鉄砲・弓矢今日取寄候、無程のりくづし可申候、此方之儀ハ留主御気遣有間敷候、伊豆殿女中改候間、去年くたり候時、左衛門佐方へくやミ候様子まてを証跡ニ申無別儀候、豆州へも不苦候者、御心得候て可給候、左衛(福島正則)方へハ東海道うつの宮へ出合候様ニ、さわ山より両使くたし申候、天下泰平無此上候へ共、御両所(昌幸、信繁)の御事、心かゝり不及是非候、以上、大坂御留守より飛脚被差下由候間、申入候、一、内府(徳川家康)去々年以来御仕置、 大閤様(太閤…豊臣秀吉)御定被背相、 秀頼様(豊臣秀頼)御成立難成由候て、年寄衆輝元・備前中納言殿・嶋津此外関西之諸侍一 統上を以御仕置改申候事、一、去十七日ニ西丸内府留守居理にて出し、輝元被移候事、一、出陣之諸侍妻子御年寄衆より被相ト候、御両所之御内儀、我等預分ニ仕候事、一、内府置目御つかへ、十三ヶ条書顕候、諸人存知ニ付中々無不審躰候事、一、何方ニ御在陣候哉、右趣御分別候て、 秀頼様御身捨有間敷事肝用候、併御居住の所ニよ り、かぶりのふられざる仕合可在之候、此返事ニ御会内状を可給候、御年寄衆よりの触状条 目可被進候、万々御左右待申候、恐惶謹言、 七月三十日 白頭(黒印) 慶長5年(1600)、大谷吉継が真田親子に送った書状(真田文書)である。大坂より、と上書きにあるのは、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦い等で西軍首脳として上方に留まっていたため。 まぁ書状の内容はさておき、吉継は何点かの書状で“白頭”と署名している。しろあたま…?“白頭”は号だといわれる(吉継の法名は「渓広院殿前刑部卿心月白頭大禅定門」)。病気のため、白頭巾を被っていたからだとか。 では、この書状の署名は何とする? 御注進状秀吉へ懸御目候処、委曲被及御返事候、瀧川罷出ニ付て、三七殿為手合、其近辺被放火之由、御気遣奉察候、煙相見候之条、秀吉ごうと迄雖被懸付候、河ふかく候て渡候事不成、先大柿迄被打入候、向後節々御用承給候者、可為本望候、随分不可存疎意候、恐惶謹言、 大谷紀介 白頭(花押) 卯月十六日 吉村又吉郎殿 参御報 天正11年(1583)卯月といえば、前年に亡くなった織田信長の家臣であった秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いが行われた時である。吉継が永禄2年(1559)生まれだとすると、当時24歳。号を名乗るにはちょいと早い気がするし、この頃から既に病気が発症していたというのも怪しい。 吉継若白髪説というのもある。若い頃から白髪頭だったのでは?というのである。ふむむ…それはちょっと格好いいかも(><) イメージとして頭をよぎったのは、どこぞの皇室の次男坊などではなく、北方謙三さんの「楊家将」等に登場する“白き狼”こと耶律休哥だ。やっぱ出来る男は白い!(なんのこっちゃ!?)年齢不相応に黒々した頭よりも潔い白頭の方が、個人的にはダンディで素敵だと思う(*^^*) 40歳目前にして、私も日を追うごとに白頭化しつつある。吉継と同じになれて―って別に吉継が白髪頭だったかどうだかは分からないが―それでもまあ嬉しいような、悲しいような…
2009.01.23
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ジャケ買い―アーティストやその曲をまったく知らない状態で、ジャケットのデザインのみに惹かれてCDやレコードを買うこと。 洋楽のワゴンセールなどでジャケ買いした経験のある方は多いと思うが、結構当たり(思っていた以上にいい曲が入ってた♪)はずれが大きいものだ。 以前からTV時代劇音楽集のジャケットが気になって仕方がないのだが、ジャケ買いして失敗するのも悔しいし…と、半年以上も買おうかどうしようか思案していたりする(^^ゞ 私を日夜悩ます、魅惑的なジャケットがこちら。 左から ・「ちょんまげ天国 ~TV時代劇音楽集~」 ・「ちょんまげ天国 in DEEP 大江戸サラウンド仕様」 ・「TV時代劇グレイティスト・ヒッツ」 ・「ちょんまーじゅ」 ・「お江戸横町コンピでござる」 ジャケットだけでなく、タイトルにまで購買意欲をそそられてしまう。 さて、一番人気の時代劇主題歌って何かご存知ですか?―「水戸黄門」の“あゝ人生に涙あり”?嗚呼、確かにその曲がTV時代劇主題歌の中では最も有名かもしれない。でも残念、ハズレです。ん?「新五捕物帳」の“江戸の黒豹”?おおッ、杉サマの…惜しいけど違います!じゃあ「遠山の金さん」の“すきま風”とか?いやいや、杉サマの歌から離れて下さい。「ぶらり信兵衛・道場破り」の“信兵衛長屋”とか?うーむ、個人的には正解を差し上げたいところだが、残念ッ!! 正解は「大江戸捜査網」。あの颯爽としたテーマ曲である。「銭形平次」や「影の軍団」、「大岡越前」の曲なんかも結構いい曲だけどね。 ジャケットで選ぶなら、バックの青竹が涼やかな「ちょんまーじゅ」、タイトルで選ぶなら「ちょんまげ天国 in DEEP 大江戸サラウンド仕様」かな。悩むなぁ。(Amazon.等で各アルバムの収録曲を調べればいいだけのことでは…!?) 本日のひまつぶし ・「遠山の金さん」主題歌→こちら 気前が良くて二枚目で~♪ ・「銭形平次」主題歌→こちら お~と~こだったら~♪ ・「大江戸捜査網」OPテーマ曲→こちら めっちゃ格好いいッ!! ・同じく「大江戸捜査網」のED、杉サマの“江戸の夜明け”→こちら
2009.01.01
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高校生ぐらいの頃は、25歳で死ぬことを夢見ていた。そう、新選組の沖田総司さんが25歳(数え)でこの世を去ったからだ。…だが死ななかった。次は35歳で死ぬつもりだった。三国時代は呉の英雄、周瑜さんと同じく。…だが、相変わらず元気そのものだった。じゃあ市川雷蔵さんと同じ38歳で…って、これも無理だった。この夏39歳を迎えてしまった。 次に目指すのは石田三成さんと同じ40歳…ダメなら大谷吉継さんの41歳か。“生きたくても生きられない人もいるのに何たる不謹慎!”と気を悪くされた方、どうもすみませんm(_ _)m でも早いか遅いかの違いだけで、いずれは皆死ぬのだから。 死ぬ前にはぜひ、昔の方のように辞世の句を詠みたいと思う。個人的にお気に入りの辞世の句BEST 3はというと ・おもしろき こともなき世を おもしろく (高杉晋作) ・旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる (松尾芭蕉) ・此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら (十返舎一九) 芭蕉さんのはちょっと格好つけすぎかな(^^ゞ 「ハイ、さようなら」っていう十返舎一九さんのが呑気でいいなあ。高杉さんのも共感出来て素晴らしい。 では、他の方のもちょっと見てみよう ・糸瓜咲いて 痰のつまりし 仏かな (正岡子規) ・盥から 盥へうつる ちんぷんかん (小林一茶) ・善もせず 悪も作らず 死ぬる身は 地蔵笑はず 閻魔叱らず (式亭三馬) ・東路の 筆を残して 旅の空 西のお国の 名どころを見ん (安藤広重) 流石、皆さんお上手ですなあ。一茶さんの「盥から盥へ」というのは、産湯を浸かってから湯灌されるまで…つまりは生まれてから死ぬまで、人生はちんぷんかんぷんということ。分かるような気がするなあ。 ・四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒 (上杉謙信) ・露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪華(浪速)のことも 夢のまた夢 (豊臣秀吉) ・限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風 (蒲生氏郷) ・何ををしみ 何をうらみに 元よりも この有様の 定まれる身に (陶晴賢) ・曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く (伊達政宗) ・筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり (石田三成) ・名のために 棄つる命は 惜しからじ 終にとまらぬ 浮世と思へば (平塚為広) ・契りあらば 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも (大谷吉継) 「露と落ち 露と消えにし…」なんて詠った太閤さんだが、死ぬ間際にはくどくどと息子・秀頼のことを頼んでたっけ。平塚為広さんの句は、関ヶ原で共に戦ったよっちゃんこと大谷吉継さんに敵将の首とともに送ったもので、よっちゃんの句は平塚さんに対する返句。六道の巷で待っていてくれ、あの世でまた会おうぞ!という句に、よっちゃんの人柄が感じられる。 ・風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残りを いかにとやせん (浅野長矩) ・あらたのし 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし (大石良雄) ・天が下 古き例は しら浪の 身にぞ鼠と 現れにけり (鼠小僧次郎吉) ・身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 (吉田松陰) ・君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後は 澄み渡る空 (岡田以蔵) 人斬り以蔵こと土佐の岡田以蔵さんの句は、この句を詠むに至る経緯を含めて、あまりに悲しすぎる…(T T) ただの暗殺の道具として、信頼していた武市半平太に使い捨てにされた以蔵さんの絶望感たるや如何ばかりであったろう。 「君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後は 澄み渡る空」嗚呼…
2008.10.13
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元々、戦国時代や幕末に関する本を特に好んで読んでいたが、ここ最近は関ヶ原関連の本ばかり読み漁っている。西軍贔屓なので、読む度に悔しい思いに駆られるものの、石田三成と大谷吉継の当時としては珍しい友情関係に胸を打たれる。 負け戦と知りつつ、友のために病を押して出陣した吉継の鬼気迫る悲壮な最期には涙を禁じ得ない。 石田治部少輔三成(みっちゃん)と大谷刑部少輔吉継(よっちゃん)は共に近江出身で、豊臣秀吉に仕えた。みっちゃんが豊臣氏五奉行の一人で近江佐和山19万石の領主であるのに対し、よっちゃんは越前敦賀5万石とやや少なめではあるが、秀吉に「吉継に100万の兵を与えて、自由に指揮させてみたい」と言わせしめたほど。しかし悲しい哉、よっちゃんは業病(ハンセン病)を患っており、歴史の表舞台に登場するのは関ヶ原の合戦の時くらいだ。 みっちゃんとよっちゃんの友情を語る上で外せない、有名な茶会のエピソードがある ある時秀吉主催の茶会が開かれ、よっちゃんも招待された。招かれた豊臣諸将は茶碗に入った茶を、一口ずつ飲んで次の者へ回す、回し飲みを始めた。しかし、よっちゃんが口をつけた茶碗は誰もが嫌い、後の者たちは病気の感染を恐れて飲むふりをするだけ。そこで、みっちゃんだけは普段と変わりなくその茶を飲んだ。(また一説には、よっちゃんが飲む際に顔から膿(鼻汁という説も)を茶碗に落としてしまい、狼狽するよっちゃんや押し黙ったままの同席した諸将達の前で茶碗を受け取ったみっちゃんが、何事もなかったかのように茶を飲み干したとされる) うーん、なんていいヤツなんだ、みっちゃん よっちゃんが関ヶ原でみっちゃんと生死を共にしようと決意したのも分かる気がする。 そんなよっちゃんもまた、「吉継、汎く衆を愛し、智勇を兼ね、能く邪正を弁ず、世人、称して賢人と言ひしとぞ」と人々から評されるほどの名将なのであった。まさに類は友を呼ぶ。“へいくわいもの(横柄なヤツ)”と言われ、回りから嫌われていたみっちゃんの本当の良さを、よっちゃんはちゃーんと分かっていたのである。 以前助っ人として厨房で働いたバイト料が、先月に続き今月もまた僅かながら振り込まれていた。おおッ、ラッキー♪ というわけで、この臨時収入で来週あたり、よっちゃんとみっちゃんの足跡を尋ね、岐阜県関ヶ原町の古戦場跡やら福井県敦賀市の敦賀城跡やらをぶらり訪ねてみる予定 来年のNHK大河ドラマは、長高く姿容美しく言語清朗な智将・直江兼続を取り上げるそうなので、観光客が増える前に見ておかなきゃ 最後に、司馬遼太郎著「関ヶ原」より、よっちゃんについて語った一文を御紹介したい。「名将という言葉を、この戦場の敵味方の諸将のなかでもとめるとすれば、大谷吉継こそそうであろう」 病のよっちゃんは輿で移動しながら戦った みっちゃんとよっちゃんに所縁の地を旅して来ました ・戦国史跡巡り~関ヶ原編 ・戦国史跡巡り~石田三成編 ・戦国史跡巡り~大谷吉継編
2008.10.09
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汚染された事故米を食用と偽って転売していた問題で、「美少年酒造」の原料米にも事故米が混入していた可能性があるらしく、先日“美少女”やら“美少年”やらが回収された―とのニュースが報道されていた。うーん、美少年かぁ~(*^^*) 美少年と聞いて頭に浮かぶのは、やはり森蘭丸である。彼は歴史好きな私の心のアイドルでもある 織田信長に小姓として寵愛を受けていた蘭丸は、正真正銘、才色兼備の美少年だったそうな。 ・隠レナキ美少年ニテ信長鍾愛ノ御小姓也 (「武家閑談」) ・容貌倫ヲ絶シ才芸亦比無シ、時ノ人多ク美讃スト云 (「遠山来由記」) ・言語行跡頗相応して器量ある (「寛政重修諸家譜」) ・器量人ニ勝発明他ニ為越 (「兼山記」) ・容顔美麗にて出頭第一、言語行跡相応して才発よき (「森家先代実録」) …等々。とまあ、史書にこれだけ記載されているのだから、さぞや涎が出そうな美少年だったに違いない。羨ましいぜ、信長! Wikiさんの森成利(蘭丸)の項には、「蘭丸の逸話には、他の人物や古典との類似が見られ、江戸時代以降の創作および大名森家による宣伝が指摘されている」との記述がある。蘭丸の逸話とは、以下のようなものだ。 ・ある時、信長が皆に「刻鞘の数を言い当てた者にはこの刀を与えようぞ!」と言ったが誰も答えられなかった。蘭丸は以前に刀を預かった際、ちゃんと刻鞘の数を数えて知っていたのだが、答えなかった。信長は蘭丸の気配り目配り心配りに感心し、その刀を蘭丸に与えたとか。 ・明智光秀が食事中に何か深く考え込んでいてうっかり箸を落とし、驚いたのを目撃した蘭丸は、こりゃ何事か企んでいるに違いない!と、本能寺の変を予見したとか。 ・蘭丸が箱に入れたみかんを運んでいると、信長が「そんな重い物を運んでいると倒れるぞ!」と言い、蘭丸はその言葉の通り倒れてしまった。信長は「やっぱり」と笑ったが、これは信長が倒れると言ったのに倒れなかったら信長の目利き違いになるので、わざと倒れたのだとか。 ・信長から「あっちの障子を閉めてこい」と言われて行ったところ、障子は閉まっていたが、蘭丸はわざとその障子を一度開け、ピシャッ!と音を立てて閉めたとか …云々。 容姿のよさに加え、相当賢かったらしい。創作?いらぬ指摘ぢゃ! 蘭丸に惹かれるきっかけとなったのは、小学生の頃に読んだ青池保子さんの「イブの息子たち」だった。咲き誇る桜をバックに登場した美少年・蘭丸に一目惚れ 以来30年、ずっと蘭丸は私の心のアイドルとして君臨している。今回は「戦国無双」の蘭丸の画像を貼っているが(左上)、蘭丸のイメージは、やはり青池さんがこの漫画で描いたものに尽きる。 ちなみに“美少年”なるお酒を初めて知ったのも、この漫画の特別番外編だった。三河屋の少年に扮した蘭丸が、同性愛者の牧師・バージルに「ツケがたまっているんです。“美少年”1ダース分」と言う台詞だった。ホンマにそんなお酒が実在していると知ったのは、かなり後になってのことだったが。 “美少年”のみならず、一体どれだけの食品に事故米が使用されているんだろう?全く無茶なことをしよってからに~ ※参考文献 『森蘭丸の母とその流れ 妙願寺史に沿って』 森嵩正著
2008.09.10
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明日は日本映画史上最高の時代劇スターといわれた市川雷蔵さんの命日だ。雷蔵さんは昭和44年7月17日、37歳の若さで肝臓癌により夭折した。 端正な顔立ちから漂う品格、凛とした声色、華がありながらどこか滲み出る虚無感…これほどまでに人を魅了してやまない役者は、後にも先にも雷蔵さんただ一人だろう。 私が初めて雷蔵さんを見たのは、彼の代表作の一つである「眠狂四郎」シリーズだった。元々原作の柴田錬三郎さんの著書が好きで、試しにあまり期待せずに雷蔵さんの狂四郎を見てみたのだが、あまりの美しさに目が離せなくなってしまった。 15年間に158本の映画に出演し、そのほとんどで主役を演じた。お馴染みの時代劇から底抜けに明るいコメディ、そしてクールな現代劇まで、様々な役をどれも見事に演じきった不世出の名役者・市川雷蔵。 当初、お気に入り5作品を選ぼうと思っていたが、たった5本に絞ることなど到底不可能。「眠狂四郎」シリーズは勿論、「弁天小僧」で見せた妖艶な女姿も魅力的だし、「大殺陣雄呂血」でのラストの息を呑む大殺陣も見事だし、「好色一代男」や「ぼんち」の飄々とした演技も楽しいし、「ある殺し屋」のクールな殺し屋もめっちゃ格好よかったし…。 雷蔵さんが亡くなった年に公開された「眠狂四郎悪女狩り」と、遺作になった「博徒一代・血祭り不動」は見るたびに胸が詰まる。前年に癌手術を受けた病後の身でありながら厳寒の京都で撮影されたこの2作品、撮影の合間は椅子の上でぐったりしていたと言われるほど体力が落ち、見た目にもかなり痩せているにもかかわらず、気力と持前の役者根性で立派に演じあげているのが見ていて本当に辛い…(T T) 雷蔵さんの葬儀の最中、天空は真っ暗になり、激しい雷雨が襲来。終わる頃には拭ったような快晴になったという。 役者としてまさにこれからという時の無念の死に対する、雷蔵さんの涙雨だったのだろうか 三島由紀夫はかつて、雷蔵さんをこう評した。「目の美しい、清らかな顔に淋しさの漂ふ、さういふ貴公子を演じたら、容姿に於て、君の右に出る者はあるまい」
2008.07.16
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明る~い ナショナ~ル みんな~の ナショナ~ル♪ 物心付いた時から月曜8時は必ず家族揃って「水戸黄門」を見ていた。いや、「水戸黄門」だけでなく様々な時代劇を楽しく見ていたものだった。が、近年は核家族化が進んだせいか時代劇の数はかなり減ってしまった。 「日本と他のアジアの国々とが違うのは、武士道があったかなかったかだ」と言ったのは、かつてのフランス文化相アンドレ・マルロー。荒みきったこのご時世、今一度時代劇でも見て武士道を思い起こしてみては如何? というわけで、今回はお気に入り時代劇10作品を挙げてみる。 ・「大江戸捜査網」 1970- 主演:杉良太郎→里見浩太朗→松方弘樹 “隠密同心心得の条 我が身我が命我が物と思わず武門の儀、あくまで陰にて 己の器量伏し、ご下命いかにても果すべし。なお死して屍拾う者なし”のナレーションでおなじみ。 杉サマの十文字小弥太、里見さんの伝法寺隼人もよかったが、個人的には左文字右京の松方版を一番楽しみにしていた。いや、松方さんはどうでもよかったが、医者の卵・九条新太郎役の南条弘ニさんが好きだった。シリーズ通して出演した井坂十蔵役の瑳川哲朗さんも渋くてよかったけど。 OP曲も格好よかったし、文句なしの名作! ・「大岡越前」 1970- 主演:加藤剛 「大岡政談」で知られる江戸の名奉行・大岡忠相の活躍を描いた作品で、15シリーズも放送された人気時代劇。榊原伊織役の竹脇無我さん、8代将軍・徳川吉宗役の山口崇さんをはじめ、松山英太郎さん、高橋元太郎さん、加藤治子さん、大坂志郎さん、片岡千恵蔵さん等共演者も素晴らしく、TV時代劇を代表する名作だと思う。 ・「遠山の金さん」 “この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ!”でおなじみの遠山左衛門尉景元の活躍を描いた「遠山の金さん」。様々な時代劇俳優が演じているが、やっぱり杉サマ版が一押し!ちなみに金さん、名前は金四郎で、左衛門尉は官名、景元は諱(忌み名)。 ・「伝七捕物帳」 1973- 主演:中村梅之助 “よよよい よよよい よよよい よい”と親指と人差し指で一本締めをするラストが好きだった梅之助さんの伝七捕物帳。先の「遠山の金さん」を梅之助さんが演じた「遠山の金さん捕物帳」も好きだった。 ・「ぶらり信兵衛 道場破り」 1973- 主演:高橋英樹 紹介記事→こちら 娯楽時代劇の最高峰 ・「必殺仕置人」 1973- 主演:山崎努 必殺シリーズ2作目。藤田まことさん演じる中村主水が主役になる前で、今作の主役は山崎さん演じる破戒僧・念仏の鉄。ボキボキッと骨を折ったり外したりするシーンをレントゲンで表現する斬新さ!今は亡き沖雅也さんの棺桶の錠のキャラといい、後の必殺シリーズに比べて断然クールで格好よかった。 ・「斬り抜ける」 1974- 主演:近藤正臣 紹介記事→こちら ハードボイルド時代劇の傑作 ・「桃太郎侍」 1976- 主演:高橋英樹 “ひとつ、人の世の生き血を啜り ふたつ、不埒な悪行三昧 みっつ、醜い浮き世の鬼を、退治てくれよう、桃太郎~”般若の面を被って敵地に乗り込む桃さんの名台詞でおなじみ。お化け長屋に暮らす桃さんこと桃太郎を演じるのは高橋英樹さん。最も好きな時代劇スターといえば、やっぱりヒデキ! ・「新五捕物帳」 1977- 主演:杉良太郎 「乾いた街の 片隅で~ おまえは何を 探すのか~♪」杉サマが歌う主題歌“江戸の黒豹”に当時子供ながらにシビれたものだった。悪をこてんぱんにやっつける杉サマ演じる駒形の新五のハードさも心に焼き付いて離れない。これ、今再放送したら結構受けそうな気がするんだけどなあ…。 ・「姫将軍大あばれ」 1995- 主演:本倉さつき 紹介記事→こちら 日光江戸村が製作した伝説の超級脱力時代劇 何じゃ、こりゃ!? 他に「銭形平次」やら「江戸の用心棒」やらもよかったなあ。それにしても、武士道にはあまり関係ない作品ばかりのような気が… 本日のひまつぶし ・「大江戸捜査網」OP→こちら 今聴いてもめっちゃ格好いい~(*^^*) ・「新五捕物帳」OP“江戸の黒豹”→こちら 杉サマはやっぱり素敵 ・上記10作には入れなかったけど…。「水戸黄門」OP “あゝ人生に涙あり”→こちら
2008.06.10
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ブログを始めて早5年目。路地裏でひっそりと地味にブログを綴り続けているが、交流を深めるうちに時折ネットを越えた付き合いにまで発展することがある。趣味を通じて知り合っただけに、ブロ友さんからいただくプレゼントは、どれもしっかりツボを押さえていて本当に嬉しい限り。どうも有難うございます~m(_ _)m 今日はこれまた素晴らしいCDをいただいた。多謝 (^3^)/それがこの「新選組&幕末ヒーローSONGS」、タイトルだけで心躍るCDだ。 “近藤勇、沖田総司、坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛…。激動の時代を生きた幕末維新ヒーローたちを題材とする楽曲を厳選収録!! 新選組ファン必聴の画期的コンピレーション!!”との帯文句に、期待は高まるばかり。 さて中身はというと、73年に放映されたTV時代劇「新選組」より“この旗の下進むはわれら”から、69年に公開された三船敏郎主演映画「新選組」のメインテーマまで全18曲。“あゝ桜田門”や“西郷隆盛男でごわす”、“総司絶唱”なんていう何やら濃厚なタイトルも…(^^ゞ 74年公開の映画「沖田総司」のメインテーマが収録されているのが何より嬉しい。沖田総司役を草刈正雄さんが男っぽく溌剌と演じたこの作品、今から20年ほど前に友達が誕生日プレゼントにこのビデオをくれたので(何ちゅうやねん)、未だに忘れられない大好きな映画だ。 昔は“二枚目”といえば草刈さんでしたね~(*^^*) また、69年~70年にかけて放映された「天を斬る」の主題歌も収録されている。歌っているのは、栗塚旭さん、左右田一平さん、島田順司さん。この3人といえば、65年~66年に放映された「新選組血風録」(もしくは「燃えよ剣」)を思い出す時代劇ファンが多いだろう。栗塚さんが土方歳三を、左右田さんが斉藤一を、そして島田さんが沖田総司を演じ、今なお評価が高い作品だ。私は今年になって初めて、それも「新選組血風録」しか見たこと無いが、栗塚さんが“不世出の土方歳三役俳優”として語り継がれている理由がよく分かった。(やたらクールで格好いい) 他にも海援隊の“竜馬かく語りき”、86年暮れに放映された日本テレビの年末時代劇スペシャル「白虎隊」主題歌“愛しき日々”(堀内孝雄さん)や、その翌々年放映の同「五稜郭」主題歌“夢の吹く頃”(さだまさしさん)等も収録されている。 今回のこのCDは新選組&幕末維新期に活躍したヒーロー達を題材とした音楽作品を集めたものだが、TV時代劇の主題歌CDは数多く発売されており(↓参照)、また近いうちにこちらについても書きたいと思う。
2008.05.10
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昨夜の「その時歴史が動いた」では、幕末の長岡藩家老・河井継之助が紹介された。彼の無念さに想いを馳せ、一晩中涙を禁じえなかった(誇張有り)。 また、時代劇専門チャンネルでの再放送を毎朝楽しみにしていた、高橋英樹さん主演「ぶらり信兵衛 道場破り」も昨日でついに終わった…(T T) 嗚呼、一体今日から何を楽しみに生きていけばよいのだろう…などと思いきや!先週から、これまた凄い時代劇が同チャンネルで放送されているのである。 それが近藤正臣さん主演のアウトロー時代劇「斬り抜ける」だ。 美作藩士・楢井俊平は藩命により、親友・森千之助を斬るが、瀕死の千之助から藩主・松平丹波守が千之助の妻・菊を妾に差し出すことを命じ、断られたことが上意討ちの理由であることを聞き、愕然とする。 俊平は藩主の非道を幕府に訴えるべく、菊とその幼な子・太一郎を連れて逃亡の旅に出た。丹波守は俊平と菊の不義密通をでっちあげ、千之助の父・嘉兵衛と弟・伝八郎に追い討ちを命じる。 俊平一行は、仕官を夢見る道家鋭三郎、俊平の腕を利用して路銀を稼ごうと画策するよろずやの弥吉とともに、激しい追及の手を逃れながら旅を続ける…という話。 コンドーさん演じる俊平がとにかくカッコいいのだが、共演者もズラリ豪華キャストで見応え有り♪菊役は、北極だか南極だかに旅するなんて思いもよらなかった頃の和泉雅子さん松平丹波守役は、時代劇ファンにはお馴染み♪の菅貫太郎さん森嘉兵衛役は、渋~い佐藤慶さん森伝八郎役は、卑劣な役がやけに似合ってる岸田森さん道家鋭三郎役は、今ではバラエティがよく似合うが、当時は格好よかった志垣太郎さんそして、よろずやの弥吉役には、火野“昭和のプレイボーイ”正平さん。 火野さんもこれまたいい役者さんなんだよね。緊張感漂う物語の中で、実に飄々としてていい味出してるんだなあ~(^^) コンドーさんといえば、いつ頃放送したか忘れたが「書道教室」という、松本清張さん原作のドラマを思い出す。 加藤治子さんが書道教室の先生で、コンドーさんが不倫相手の始末を(勘違いから)加藤さんに頼み、加藤さんは止む無く埋めてしまうのだが、ラスト、その地面が掘り起こされて…とかいうドラマ。あれは実に傑作だった。 「斬り抜ける」刀で一度に斬れるのは二人まで…といった親切レクチャー付
2008.03.06
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非常に有難いことに、開設以来69記事全てにコメントを頂いてまいりました。まことにもって感謝致しておりますm(_ _)m しかしながら、それも終わりを告げる時がやってまいりました 「ぶらり信兵衛-道場破り-」は昭和48~49年に放送された呑気時代劇だ。昨年末から時代劇チャンネルで朝夕再放送されているのだが、近頃はこれを見ないと一日が始まらないくらい、入れ込んでる。 ♪信兵衛さんの長屋は十六軒 つ~ると二人でブ~ラブラ向こう三軒両隣(さてッ) こふねちゃんだよ左褄重助じいさん夜鳴き蕎麦 おぶんは十八孫娘十手片手に以三は子守 駕籠は金太と銀太でね (間奏)ふんふんふんふん…平七おあきにくびったけ 乙吉おまさは子だくさん酒は源次と竜二でね(チョイと) おきみちゃんアラいらっしゃい~♪ ボニー・ジャックスが歌う、登場人物勢揃い主題歌「信兵衛長屋」からして実に呑気ソング 時代劇好きの作家兼パンクロッカー・町田康さんは、かつてこの曲をカヴァーしたことがあるとか。 長屋に住む松村信兵衛(高橋英樹。以下ヒデキ)は、腰には竹光を差しているような浪人で、近所の居酒屋「丸源」で呑んだくれ、“ぶらり信兵衛”などと呼ばれているが、気のいい性格もあって長屋(十六店)の連中には好かれている。そんな信兵衛は、実は神道無念流の使い手であり、何か事件があれば、長屋連中の預かり知らぬところで、道場破りをして金をこさえて、一件落着してしまうのだ。信兵衛の長屋暮らしは、今日もつつがなく過ぎて行く。(時代劇チャンネルのあらすじより) …という話だが殺しなどの物騒な事件は一切無く、十六店の住人で芸者のこふね(浜木綿子)が殿様に見初められただの、道場破りをしようと入った先が借金苦だったため信兵衛が一肌脱いだだのといった、お気楽且つ人情味溢れる事件ばかり。 毎回おぶん(武原英子だったが、でもなぜか途中から何の説明も無く突然別の人に交代した)の妄想シーンがあり、そのシーンはヒデキを始めみんなノリノリで滑稽に演じているのも見所。 また、京塚昌子、ハナ肇、松山英太郎、小松方正さん等、ゲストも懐かしい面々ばかり。先日は栗塚旭さんが御殿様役でゲスト出演していて、格好よかった。うーむ、流石伝説の土方歳三役者である。(fighterkさんへ…以前記事を読んだ後、栗塚さんの「新選組血風録」と「用心棒シリーズ 俺は用心棒」見ました。栗塚さん、めっちゃクールで素敵です~) 信兵衛は“取手呉兵衛(とってくれべえ)”と名乗って道場破りをするが、これを商売としているため、師範代までには勝ってみせるが、道場主にはわざと負けたフリをしてお金をもらっている。そして儲けた金は大概困っている人に渡してしまう、バカの付くお人よしだ。おまけに、或る日突然浪人が置いていった子供・鶴之助を息子同然に世話している。 優しいなあ、ヒデキ…(いや、ヒデキじゃなくて信兵衛なんだけど)。 ちなみにこの時代劇の原作は、山本周五郎さんの「人情裏長屋」。パイロット版(1、2話)の脚本は倉本聰さんが手掛けたそうな。
2008.02.02
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小学生の頃、遠足だったか社会科見学だったかは忘れたが、兵庫県の播州赤穂へ行った。赤穂といえば、言わずと知れた赤穂四十七士の郷である。 元禄15年12月14日、彼等が江戸城本丸大廊で刃傷沙汰を起こして即日切腹した主君・浅野内匠頭の仇を討った話は、あまりに有名。この義士たちの美談は、300年もの間脈々と語り継がれ、今なお日本で年末といえば「忠臣蔵」と「M-1(紅白もしくはレコード大賞に置換えても可)」である。 その日の夜、「これ“あさのたくみのかみ”って読むんよ」と仕入れたばかりの知識を得意気に家族にひけらかし、おざなりに褒められたことを覚えている。 この事件からおよそ160年後の幕末に京で活躍した新選組も、彼等の仇討にはいたく感銘を受けたのか、赤穂浪士が吉良邸討ち入りの際に着ていたとされるダンダラ羽織を隊服としたくらいだ(本当はこんな目立つ揃いの羽織を討入の際に着るはずもないのだけど。でもって新選組の方でも1年くらい着たら、もう誰も着なくなったらしいけど)。 新選組隊士に徒ならぬ憧れと強い想いを抱き、武士道魂を胸に秘めて現代を生きる田舎芋侍(私です)であるが、なぜか彼等四十七士の仇討を義挙としては心から賞賛し兼ねるのである。 85年に日本テレビで放送された時代劇スペシャル第一弾「忠臣蔵」で、浅野内匠頭を演じた風間杜夫さんはめちゃめちゃハマリ役で、文句の付けようがない程に素晴らしかった。内匠頭の辞世の句(とされる)「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」をこのドラマで覚えたくらい、風間内匠頭に感情移入してドラマに見入ったものだった。 しかーし!肝心の四十七士にはこれっぽっちも心が動かされなかった。里見浩太朗さん演じる大石内蔵助の呑気な放蕩ぶりには、怒りさえ覚えた。大石はん、何やってんねん!? はよ討たな! 「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」でお馴染みの「葉隠」で、佐賀鍋島藩士・山本常朝は忠臣蔵について、四十七士の行動を是としながらも、義挙としては認めていない。おそらく鍋島家の武士であったなら、即日にでも吉良邸に討ち入ったはずで、赤穂浪士たちは少し時間を掛け過ぎである。主君切腹から討入まで1年半もいたずらに日を過ごしたというのは、流石に上方武士は宣伝が上手いと思わざるをえないと言っている。 まあ大石はんにも色々と事情があったのかもしれないが、私も山本常朝の意見には賛成だ 赤穂市にある大石神社では毎年12月14日に義士祭が行われる。この神社は四十七士並びに浅野長直・長友・長矩(内匠頭)の3代の城主と、その後の藩主・森家の先祖である森蘭丸等7代の武将を合祀してある。私の心のアイドル・蘭丸ちゃんと風間内匠頭(風間さんはまだ御存命やがな)を同時に参拝出来る、大変有難い神社なのである。左遷でもされてこちらにお越しの機会があれば、ぜひ一度参られてみては如何でしょうか。あ、東京には浅野内匠頭と四十七士のお墓がある泉岳寺があるから、そんな所にわざわざ参拝する必要がないって?そりゃごもっともです
2007.12.11
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今回は86年末に日本テレビで放映された、年末時代劇スペシャル第2弾「白虎隊」について。戊辰戦争における会津藩の悲劇を描いた名作時代劇であり、堀内孝雄さんが歌った主題歌「愛しき日々」がこれまた涙を誘う名曲であった。 忘れもしない高校2年生の冬、私はこのドラマを見て初めて新選組を知った。近藤正臣さん演じる土方歳三も格好よかったが、故・中川勝彦さん(今や中川翔子ちゃんの父として知られる)が演じた沖田総司に惹かれた 「白虎隊」というタイトルながら、肝心の白虎隊は後半にちょろっと出たぐらいで、よく覚えていない。会津藩の15~17歳の青年で結成されたこの白虎隊、市中に火が上がっているのを見て城が落ちたと勘違いし、集団自決を遂げたことで知られるが、それだけのエピソードで二夜連続時代劇ドラマを持たせるのは無理というもの。必然的に物語のメインは京都守護職を拝命した会津藩主・松平容保と家老達になってしまった。容保を演じた風間杜夫さんが実に素晴らしく、未だに彼の演技を思い出すと泣きそうになってしまう…(T T) 容保は早速京都に赴くも、そこはアブない浪人達の無法地帯となっており、会津藩お抱えとした新選組を尊王攘夷派不逞浪士の取締に当てた。だが時代のうねりには抗えず、幕府軍は鳥羽伏見の戦いで薩長に敗れてしまう。調子づいた薩長からなる新政府軍は今迄散々辛酸をなめさせられた仕返しに容保の首を要求、周りの東北諸藩に会津を征討するよう命じる。「会津はオラ達の仲間だで、そげなこと出来ねえっぺ!」と猛反発した旧幕府軍に属する東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結び、新政府軍に対抗。戦の舞台を東北に移し、会津戦争や北越戦争を引き起こすことに。(その後、函館戦争で旧幕府勢力は降伏した。) 京で結成された新選組は鳥羽伏見、会津、函館へと渡り戦い続けたが、主役のはずの白虎隊は会津戦争でようやく参戦するも、あっさり自刃。なぜタイトルを「白虎隊」にしたのだろう? こ、これはッ…! これは、“1/6スケール 新選組隊士愛用の名刀 観賞用コレクションモデル”より、土方さんの愛刀「葵御紋越前康継」。同封の“武(もののふ)カード”にはこの刀の説明が。 「土方は仙台へと至り、合流した榎本武揚らとともに奥羽越列藩同盟に参加。この刀に巻かれた下緒は、伊達候と面会の折に、候自ら佩刀の下緒を取り土方へ与えたものである。奥羽越列藩同盟は間もなく崩壊するも、土方は最後まで戦い続ける道を選ぶ。」 くーッ!武士たるもの、こうでなくっちゃ! (某様、実にナイスなプレゼント、心から感謝しております~m(_ _)m)
2007.11.12
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「姫将軍大あばれ」なる時代劇を知ったのは、宝島社から発行される大ベストセラー「VOW(VOICE OF WONDERLAND)」シリーズの10冊目になる「バウじゅー」だった。バウ10巻到達記念コラムということで、ウルフルズの“やると変になることベスト10”や、高橋幸宏さんの“ボクを悩ませる持病ベスト10”、松崎しげるさんの“思わず買ってしまう通販グッズベスト10”等と並んで掲載されていた、ちょっと前に布袋寅泰さんに殴られてエラい目にあった作家・町田康さんの“脱力TV時代劇ベスト10”なるコラムでのこと。 2位以下順不動で「ぶらり信兵衛 道場破り」や「流れ星佐吉」を挙げる中、町田さんが断トツ1位に挙げていたのが、この「姫将軍大あばれ」だった。“芝居もカメラも何か妙、何かがおかしい。日光江戸村における15分のパッケージショー、のような…(以下略)” 時代劇は昔から結構好きな方だったが、「姫将軍…」は一度も見たことが無く…というより、そのタイトルを目にしたことすらなかったので、どうにも気になって仕方が無かった。 「バウじゅー」発刊から既に十数年たったある日、たまたま地元ケーブルTVの番組表を見ていて、時代劇チャンネルで夜中にひっそり再放送していることを知った。おおッ!こ、これはかの大脱力時代劇では!? 「キャンディ・キャンディ」で遂にウイリアム大おじさまに会えることとなったキャンディの如く、期待に胸を膨らませつつ震える指でリモコンを操りチャンネルを合わせた。 ………(絶句) 何だ、コレ!? まったく時代を感じさせないピカピカのセットに、誰一人としてTVで見たことのない俳優陣、おまけに「水戸黄門」を貶める彷彿させる、主人公の葵の御紋入り尼姿。こ、これは一体…!? ひょっとしたらどこかの学校の手の込んだ学園祭芝居? 主人公・天秀尼を演じる本倉さつきさん(あなたは誰やねん?)は妙に芝居がかっていて見ている方が何やら恥ずかしくなってくるし、お供の柳生十兵衛役の役者さん(池上幸司さんって御存知?)は悪くはないけど(決して良くもない)地味すぎる。それでも何度も回を重ねて見ていると、同じ人が色んな役で登場するという、低予算&人手不足を前面に押し出す珍しい時代劇ドラマだった。 一応、物語の筋は、「豊臣秀頼の忘れ形見である秀姫は、大坂夏の陣の後、徳川家康の娘である千姫の養女になり、仏門に帰依し天秀尼となった。さらに、武芸の修行を積み、家康より葵のご紋があしらわれた袈裟を賜り、世直しのため諸国を旅し悪を討つ」というもの。日光江戸村が製作、主演の本倉さんはこの村の看板女優さんだったらしい。ドラマのウリは“勧善懲悪痛快コスプレ時代劇” 町田さんの書かれたとおり、本当に何もが妙な時代劇だった。
2007.10.27
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