不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2004/11/27
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テーマ: 京都。(6123)
カテゴリ: 日本旅行記
京都旅行の171話目です。


◇豊国神社正面を少し歩いた所に耳塚があります。
訪れた時は、団体の方がお参りに訪れていました。
なので、端から見ただけです。
お墓なので、どうこう言うことはありませんですね。




☆☆☆ 耳塚(鼻塚) うんちく ☆☆☆


16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手をのばそうとして、朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592-1598年)にかかる遺跡である。
秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級のかわりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬けにして日本へ持ち帰った。
それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、供養の儀がもたれたという。
これが伝えられる「耳塚」のはじまりである。
「耳塚」は、史跡「御土居」などとともに京都に現存する豊臣秀吉の遺構の一つであり、塚の上に建つ五輪の石塔は、その形状がすでに寛永20年(1643)の古絵図にみとめられ、塚の築成から程ないころの創建と想われる。
秀吉が惹き起こしたこの戦争は、朝鮮半島における人々の根強い抵抗と財政難によって敗退に終わったが、戦役が遺したこの「耳塚」は、戦乱下に被った朝鮮民衆の受難を歴史の遺訓として、いまに伝えている。
大仏七不思議の一つであるらしい。



◇いろいろと調べると考え方によって、言い方が変わるな~と思いました。
悪く言おうと思えば悪く言えるし、よく言おうと思えばよく言えるみたいです。
朝鮮通信使の話にもかかわってきているようです。
本当かどうか輪わかりませんがテレビではですが、朝鮮通信使の話で作られた理由を知りました。
400年以上前の事を今参りに来るなんて、反日教育の賜物ではないでしょうか?
数十年前には塚が荒れていたことを考えるとね。
でも、ここが本当の塚かどうかはわからないそうですね。
調べれば調べるほど本当の真実はどこにあるかわかりませんでした。
こう言う名前の人もいるんですね。





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Last updated  2006/02/05 03:27:52 PM
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