不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2004/12/14
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テーマ: 京都。(6123)
カテゴリ: 日本旅行記
京都旅行174話目です。
西明寺 から歩いて 神護寺 へ訪れました。
川沿いには店がありましたが、九時前なので開いてはいません。
赤い橋を渡ると、 高雄神護寺参道 の看板があります。
そこからは階段の上り坂です。
あまり上りは苦にならないので、坂は気になりませんでした。
お年寄などはゆっくりと上がっていましたので、上り坂が混雑しました。
半分以上登った所で茶店がありました。
その近くからの眺めも良かったですね。
景色がいいのは一息つけますね。
もう少し登ると門がありました。
そこで拝観料300円を払います。

門から入ると、 神護寺 って広いな~と思いましたね。
紅葉はいまいちですが、綺麗に紅葉している木もありました。
金堂から多宝塔あたりは紅葉が綺麗で写真を撮る人が多かったですね。
金堂は中に入れました。


少し離れた所に、 かわらけ投げ があります。
かわらけ は二枚100円です。
厄除けらしいです。
売っている台は、月桂冠のまくが張っていました。
かわらけ投げ をする所からの眺めは、高さはありますが、あまり綺麗ではなかったですね。
この下に道があるらしく、下の道を歩く人は気をつけるようにと本に書いてありました。
気をつけようがないと思うのですが・・・。
落石注意とは意味が違うと思いますが・・・。
皆さんストレスがたまっているらしく、楽しそうに投げていました(笑)。

帰りには、参道で抹茶をいただきました。
十時過ぎると、参道は登ってくる人でごった返していました。
早く訪れてよかったですね。
参道口まで戻ってきました。
次は知らない道を進みます(笑)。



神護寺  うんちく ☆☆☆

平安京造宮(794~)の最高責任者(造宮大夫)であった和気清麿公が、今の愛宕神社の前身、愛宕山白雲寺などとともに建てた愛宕五坊の一つです。
当初「高雄山寺」と呼ばれていましたが、天長元年(824)、河内(大阪府)の神願寺(清麿公創立)の地が、よごれた所でふさわしくないという理由から「高雄山寺」に合併され、「神護国祚真護寺」と称したのが始まりです。
これより先、和気一族は、叡山の最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)をこの寺に招いて活躍の場としました。
その為、時の仏教界に新風を送ることとなり、平安仏教の発祥地となりました。
ことに弘法大師は唐(中国)より帰朝して、大同4年(809)に入山、以来14年間住持して、真言宗立教の基礎を築いた所でもあります。
のちの東寺や高野山金剛峰寺と並ぶ霊さつであり、弘法大師を初代としています。
現在の諸堂は大師堂(重文)を除き、応仁の乱で焼失したために江戸時代以後に再建されたものです。
国宝の梵鐘は“三絶の鐘”と呼ばれ、日本三名鐘の一つです。




◇梵鐘を見るのを忘れました・・・。
後で気がつくなんて、よくあることですね(笑)。
紅葉のてんぷらも、高かったので食べなかったのですが、やっぱり食べとけばよかったですね。
後悔しても後の祭りですね。
また、綺麗な紅葉の時期に訪れたいと思います。






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Last updated  2004/12/14 07:31:25 PM
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