不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2009/09/29
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カテゴリ: 日本旅行記
◇中学校から800mぐらい道路沿いに移動した所に 菅公手堀井戸 にあります。
およそ1100年前ほど前、都で右大臣という位についていた菅原道真という人は、朝廷で大変重く用いられていました。
しかし、901年に菅原氏の策略の為に、都から遠く離れた九州の太宰府に大宰権師として送られました。
途中にこの地に上陸した所、人々は水不足で大変困っていました。
みかねた道真公が自ら井戸を掘り始めると、こんこんと綺麗な水が湧き出し人々を救ったのでした。
人々は御礼に干し飯を甑(こしき)≪蒸し器のこと≫で蒸して差し出しました。
その後、この御恩をわすれないようにと、みんなで丘に社を建てて、甑を御神体として祀りました。
これが岸ヶ岡の甑天満宮です。


道路から20mぐらいの所にありました。
道には看板もあり、すぐにわかりました。
整備されていたので、綺麗でした。
道真公の縁の地は、ずいぶん多いですね。
天満宮の御神体が甑だったとは、不思議な御神体だな~と思いました。
井戸を見ただけで、八幡宮には訪れていません。

少し川沿いを進んだ所に 新高山城跡 へ訪れました。
小早川隆景は、1552年に高山城から新高山城に移り、1596年に新高山城に廃し、三原城に隠居しましたが、翌、1597年6月、65歳にして世を去りました。
隆景とともに興り、隆景とともに廃れた、45年間に亘る隆景一代の名城と言うべきでしょう。
新高山城は、標高197mの山頂を中心に全山が要塞化された大規模な城でした。


今回は登るわけでは無いので、登り口などがわかればと思い訪れました。
登り口には看板もあり、近くには駐車場があり小型車なら10台ぐらいは停めれる感じでした。
その先を進むと「沼田本郷の天然水」がありました。
水は飲んでみたかったですが、有料でしたので飲みませんでした。
少し飲みたいだけなのに、100円は高いですね(笑)。
成分の看板も、いまいちわかりにくいです。
大きな看板には「新高山城想像図」の看板がありました。

広島東方面旅行 で訪れた所


東広島方面旅行は、まだ続きます
今回は写真は、なしです^^。





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Last updated  2009/09/29 08:29:48 PM
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