こんなものですが

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秩父宮はヒトラーのソ連批判を懸念


 秩父宮は昭和天皇の弟宮で、当時、参謀本部の将校だったんです。彼は、日本がソ連の脅威に備えるためにはドイツと手を結ばないといけないという考えだったのです。それは、陸軍の情報にもとづいてのことです。
 当時の吉田はイギリス、日本両政府の間で苦悩していました。どちらからも自身の信頼を得られていない状況に置かれていたわけです。
 この機を捉えて吉田は秩父宮に、いかに日独が手を結ぶことがイギリスを刺激しているか、簡単にドイツを信用していいのかと自身の思いを意見するのです。必死な思いだったでしょうなあ。何とか自分の思いを聞き置いて欲しいという。
 秩父宮はその後、ドイツに行きます。親独派の外交官や陸軍からの薦めがあってです。そこで、ヒトラーと会見する訳ですが、彼のスターリン批判を聞いて、ヒトラーに対する不信感、嫌悪感を持ったといいます。それは、吉田の意見を先に耳に入れていたからと言えるのでしょう。吉田の意見に納得できる、強い思いをくみ取ったからなのでしょう。実際、日本に帰ってきての秩父宮の言動は、陸軍の対英強硬路線に反対の立場をとることになるのです。



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