こんなものですが

こんなものですが

宮澤喜一という人



 彼の権力観は、鴨長明の方丈記にいうところの 「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」という無常観にある。 情熱的、激情的に政治に参画することを自らの信条から良しとせずに合理的、冷静に生きてきた人物である。だから、「権力というものは行使しないに越したことはない」という。この政治に対する冷めた眼というものを持ち続けることは、なかなかできることではない。

 彼は「保守とはイデオロギーではなく、生活態度のことである」ともいう。だから、強烈な理念を掲げたり、引っ張っていくということは、彼の政治として取る道ではない。

 彼が大蔵官僚で迎えた昭和二十年の終戦。宮澤を含めた三人が上司に呼ばれ、これから日本は君達がリーダーとして引っ張っていかなければならない云々の話を聞かされる。一人は、そのとおりと真剣に頷きながら話を聞く。一人は、当然分かり切ったことをと呆れつつ聞く。宮澤はというと、立ったまま、話を聞くことなく寝ていたという。若干脚色が入っているのかも知れない。職責に気負うことなく、そんな精神論を聞く必要はないという恬淡とした姿勢こそは、宮澤らしいのである。

 80歳を超え、老眼鏡をかけた姿を見たことがない。視力の衰えを知らないのだろうか。難解な英語を自在にあやつり、クリントン大統領がびっくりしたらしいが、ゴルフを一緒に回ると、「スリーパット」でなく「スリーパッツ」と正確に言うあたり、人からいわせると、嫌みにも聞こえる。

 そして、漢学、中国古典や書についての素養の深さ。かつて総裁選立候補を決意したとき、「中原に鹿を追う。誰をか名を得ん」と述べた。どんな意味なんでしょう?老荘思想への造詣を持つ政治家は、彼をおいて他にいないであろう。

彼の権力観、教養レベルというものは、政治家として権力闘争の中を生きるという性からすると、思索家、分析家に終わってしまう。非常時においては、自らだけが成り行きを考え知っていても国は滅びる。政治家は行動、その結果が全てであり、それによって後生の評価を受ける存在なのである。

 ある人は「彼は政治家ではない、有能な秘書官ではあるが」という。実際、池田勇人の秘書官を勤めているが、確かに有能であったらしい。
 秘書官は黒子であり、時にブレーンの役回りもあったろうが、自らの政策を持ち、実現のために行動しうる立場の人間ではない、それは分を越えたこととなる。
 宮澤がそのタイプであるならば、あくまで分をわきまえ、秘書官以上の行動はできないのだ。

(未完です)


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