HANNAのファンタジー気分

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ロード・ダンセイニ

ロード・ダンセイニの作品

淡々と語られる創作神話 『ペガーナの神々』
『影の谷物語』 ――ダンセイニ流ドン・キホーテ
『魔法使いの弟子』 ――黄金のスペイン


2006-05-10 22:29:22

 
淡々と語られる創作神話 『ペガーナの神々』 (2006.5)

 アイルランドの聖地タラにあるというダンセイニ城の主、ロード・ダンセイニの処女作。ギリシア神話とも北欧神話とも違う、独自の神々についての小話集です。
 トールキンも自分で神話体系を創りましたが、ダンセイニの神話には神々の偉業や複雑で壮大な歴史絵巻などはありません。彼はただ、神々のありようとこの世の終末を淡々と紹介し、一種SF的な醒めた視点から語ります。

  そしてスカアル[神々の鼓手]の腕がついに永遠に太鼓を打ちならさなくなるそのとき、沈黙が、洞窟にひびく雷鳴のようにペガーナを襲い、マアナ=ユウド=スウシャイ[神々の創造主]はそれを聞いてとうとう休眠からめざめる。
  するとスカアルは、かれの太鼓を背にのせ、世界の果てにひろがる〈無〉をめざしてとぼとぼと立ちさっていくだろう。こうして終末がめぐってきて、スカアルの役目はおわる。
               ―― 『ペガーナの神々』 荒俣宏訳

 どの小話も不思議に美しく、また静かなアイロニーや諦観に満ち、少しばかりユーモアもふくまれて、なんとも味わい深いこと。
 こまごまと構築した別世界で探索や戦いを熱く繰り広げる叙事詩型の長大なファンタジーと比べると、『ペガーナの神々』は俳句のように短くて、現代詩のように象徴的な感じ。

 そして、この創作神話にふくまれている、いろんな神話のエコーのようなものが、どこかで聞いたことがあるような忘れてしまったような、なつかしい既視感をかもしだしています。
 たとえば、この世が神の見る途方もなく長い夢である、というのは、インド神話。終末に〈運命の鳥〉が空高くトランペットのように鳴く、というあたりは、聖書の黙示録。やはり終末に神と猟犬が戦うところは、北欧神話のラグナログを思い起こさせます。
 ある小話には、炉端の小さな神々(灰の神、焚き木の神、煙の神など)の名があげられ、別の話では、山や川が人格(神格?)を持って出てきます。何となく日本のやおろよずの神々と似た、多神教の世界は、読んでいてなじみぶかい気がします。

 この本の後半は、神々と人間の逸話のような短編がいくつか続いていて、これもまた独特の静かな感動をよびます。
 忙しい日常に疲れた折になど、心をしずめてサトリをひらかせてくれるような、香り高い小品集です。

 私は持っていませんが、最近では 『時と神々の物語』 いう本に、荒俣訳『ペガーナの神々』に収録されていない同系列の作品もあわせて載っているようです。
 




2009-03-23 23:19:57

 
『影の谷物語』 ――ダンセイニ流ドン・キホーテ (2009.3)

  花々は、若者の行く手はるか、道の両側にまばゆいばかりに咲きみだれ、天国にかかる虹がこわれて、その破片がスペインに落ちてきたかのようだった。彼はその花々、この年一番に花を開いたアネモネを眺めながら、歩いていった。そして、それからずっと後年、彼の唇からスペインの古い旋律が流れる時、いつでも彼は、春の魅惑の真只中にあったこの春の日のスペインのことを想い出すのだった。
             ――ロード・ダンセイニ 『影の谷物語』 原葵訳

 私がスペインに行ってみたいと思ったのは、このくだりを読んだ時でした(いまだに行ったことないんですが)。それまではスペインというと、強い日差しに乾燥した赤茶色の大地、石造りの建築物、そんなイメージだったのが、一変してみずみずしく豊かな楽園のように思えたのです。

 作者は、古き良きスペインへの憧れをたっぷりとこの物語に注ぎこんでいます 。『ドン・キホーテ』 さながらに当時の大仰で冗長な儀礼や風俗習慣を揶揄しながらも、そのゆったりとした充実をほめたたえ、同様に、大時代的な主人公ロドリゲスを少々滑稽に描きながらも、温かい目で見守っているのが感じられます。

 若くてまっさらなロドリゲスは、名剣とマンドリンだけを持って旅に出ます。「剣は戦に、マンドリンは月夜のバルコニーに」というのが亡父の教えだったので、彼はいちずに戦を求め、勲をたてて城を持ち、美しい姫君と結婚することを夢見ています。
 途中で、従者モラーノが登場すると、主従二人組が名コンビぶりを発揮して面白く、小気味よい。憲察隊から逃れるのにお互い衣裳をとりかえて変装したり、ロドリゲスが決闘をして負けそうになるとモラーノがすかさずフライパンで相手を殴り倒したり。私は『ドン・キホーテ』をきちんと読んだことがないのですが、おそらくドン・キホーテ&サンチョ・パンサよりも、ロドリゲス&モラーノの方が絶妙のコンビネーションを発揮していると思います。

 やがて二人は遍歴の途中で、処刑されそうになっている男を憲察隊から救います。どのように助け出すかに気を取られていると、この事件こそが“起承転結”の“転”なのだということを見落としてしまいます。助けられた男は、不思議な人物で、「今まで一度も頭を下げたことがない人間のようなぎこちなさで」礼を言ったり、不意に姿をくらましたりするのです。
 のちに、彼が実は「影の谷」の森の王であったことが分かります。

 ここでやっと本のタイトルにある「影の谷 Shadow Valley」が出てきます。広大で魔法の雰囲気に満ちた森の、神出鬼没の王と、弓を携え緑に装う臣民たちは、まるでシャーウッドの森のロビン・フッド一党のように、自由ですばらしい暮らしをしています。
 ロドリゲスは美しい姫に出会ったあと彼らに招かれますがやがて森を去り、相変わらずいちずに戦を求めてピレネーを越えてゆきます。

 彼が戦で得たもの失ったもの。絶望のあとでどんでん返し的に訪れるハッピーエンド。後半はファンタジーやメルヘンの王道を踏襲しつつ、トントンと話が進みます。前半、作者の語り口に慣れにくかったり、SF調の長い挿話があったりして、なかなか親しみが持てなかったのがウソのようです。いつの間にか、まじめで感性豊かで、けれど過ぎたことにはこたわらないサッパリしたおおらかな性格のロドリゲスが、だんだんステキに見えてくるから不思議。

 老ドン・キホーテが夢見た騎士道的人生とは、きっとこんなだったのだろうと思えるような、完成された騎士道物語です。
 



2010-04-21 00:13:33

 
ダンセイニ 『魔法使いの弟子』 ――黄金のスペイン (2010.4)

以前とりあげた 『影の谷物語』 の姉妹編 『魔法使いの弟子』 。邦題は訳者の荒俣宏がデュカス作曲の「魔法使いの弟子」(ディズニーが「ファンタジア」で映像化したのでも有名!)から借りてきたのだそうです。

 『影の谷』と同様、作者の賛美する「黄金時代のスペイン」が舞台です。歴史的に言うと、スペインが世界に植民地を広げた16~17世紀をそう呼ぶらしいですが、ダンセイニの物語ではどうももっと前、騎士道精神や魔法があふれる中世のスペインのことのようです。
 で、私的にはこの物語のBGMはデュカスよりも、甘くけだるいアルベニスの「タンゴ」なんかがいいと思うのですが、それはともかく、今度もまっさらな青年ラモン・アロンソが主人公です。

 彼は妹の結婚持参金を得るため、父の命令で魔法使いのもとへ錬金術を学びに行きます。この魔法使いは『影の谷』に出てきた大魔術師よりは劣るものの、魔法使いならではの俗世を超越した人物で、不老不死の薬を定期的に飲んだり、人間からとりあげた「影」をあやしい宇宙探査?に遣わしたりしています。

 物語はラモン・アロンソが不用意に手放してしまった自分の「影」を取り戻し、それから魔法使いの下働きとなっている老女の影をも取り返すというのがおもなストーリー。
 「影」が本体である人間から離れてしまうという話は古今東西いろいろあるそうで、私は河合隼雄の 『影の現象学』 でその深い意味をいろいろ知りましたが、長くなるので今日は省略します。
 ただ、ラモン・アロンソ自身の影の奪還よりも、下働きの老女に影が戻ったとき、彼女の長い影無しの年月が消え失せて、うら若い乙女に戻るという奇蹟が感動的でした。
 (ところで、この話でも、デュカスの「魔法使いの弟子」でも、あるいは 『ハウルの動く城』 や井辻朱美 『トヴィウスの森の物語』 などでも、魔法使いや魔王の住みかには掃除人がつきもののようです。なぜなんでしょう? 魔女には箒がつきものだし)

 さてそんな影奪回のストーリーの一方で、ラモン・アロンソの妹は、隣の強欲男に嫁がされるところを、偶然訪れた「影の谷の公爵」に兄の作った「惚れ薬」を飲ませ、しまいには二人はめでたく結ばれることになります。このサイド・ストーリーに出てくる公爵が、『影の谷物語』の主人公ロドリゲスの息子なのでした。

 結局、持参金など無くても妹がすばらしい結婚をしたので、ラモン・アロンソのやったことは魔法使いのもとから「影」を解放した、ということになります。「影」を奪われた魔法使いは激怒して追いかけてきたでしょうか? あるいは恐ろしい報復をしかけたでしょうか?
 いいえ、このあたりがダンセイニらしい筋書きだなと思うのですが、魔法使いの精神はそのような俗な言動を超越しているのです。彼は弟子も掃除女も影も失って、

  「そろそろ歳月も終わりに近づいた」

と言うと、すべての魔性のものたち――妖精や小鬼や牧神など――を従えて、葦笛を吹きながら異世界へと去っていきます。
 それが、スペインの黄金時代の終わりであった、とダンセイニは話をしめくくっています。

 ラモン・アロンソと妹の、二組の幸福な人間のカップルが誕生し、魔法はこの世を離れていく・・・それは 『指輪物語』 のラストにも似て、人間以外の物を言う種族が去り、この世が人間の手に託された瞬間。まさに、時代の変わり目というわけです。
 そして、ハーメルンの笛吹男よろしく去ってゆく魔法使いと、あとに続く魔性の者たちの行列は、一種のフェアリー・ライド(精霊たちの騎行)なのでした。
 



     このページの素材は、 アンの小箱 さまです。


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