よりみちのつもりが、はまっちゃいました・・・

生まれてきたということ


原爆投下直後の10秒間についての内容だった。

広島地方だけなのか、全国への放映なのかはわからないが・・・。
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広島に住むのが決まったとき、いろいろと考えた。
「どうして、今、この時に、自分が広島に住むことになるんだろう。」って。
もちろん建設的な意味でね。
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広島、いちばん最初に来るイメ-ジは、
原子爆弾がはじめて投下された土地であること、であった。
そして沖縄や、長崎とともに、平和を世界に発信する土地であること、であった。

いま、なぜ僕がこの番組を偶然観てるのかな、って考えた。
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母を思い出した。
和歌山で健在である。すこし血圧は高いが。

僕は決して待ち望まれて生まれてきたわけではなかった。
少なくとも母が妊娠を自覚する時までは。
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父も生きている。
別の家族を持って。

僕が母の胎内に宿ったとき、父にはすでに今の家庭があった。

父は当時、事業で、あるひとから騙され、
その相手の命を奪おうとまで思うほど精神的に追い込まれていた。
その時、以前から知り合いであった母が、偶然それに気が付き、
その心を癒したそうだ。

そんな始まりから、父と母は距離を縮めた。
そして、母の中に僕が宿った。

母は悩んだ。祖母に相談した。
「せっかく授かった命なんやから、産みなさい。
出来るだけの力は貸してあげるから。」
母は、僕を産むことを決意した。
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それから母は、自分の力で僕を育てた。
もちろん祖母をはじめ、周囲の協力もあっての事であろうが。
父は、1ヶ月か2ヶ月に一度程度の割合で、家を訪れた。
仕事の関係で、出張が多いからと聞かされていた。
父が、一般的な家庭の父親と違うことを知ったのは
僕が小学生の頃だったろうか。
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決して裕福ではないが、何の不自由も感じなかった。
母は、僕に特別な気を使わなかった。
というか、感じさせなかった。
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母は、僕を褒めて育てた。

どろんこに汚れて帰ってきても、
「元気に遊んで来たんやなあ。はよ風呂はいり。」

テストの点数が悪くても、
「そうか。お前は、やったら出来るからなあ。また今度頑張ったらええわ。」

しかし、理屈の通っていない口答えなどをすると、
平手打ちがとんでくることもあった。
恐い、でも愛情のいっぱいある母だった。
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僕は生を享けた。これは事実だ。
住む場所。通った学校。就いた仕事。
そして出会った人たち。
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生まれてきたことについて、
少し考えてみた。




捨てネコ、拾っちゃった・・




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