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息子のお勉強部屋づくりのための部屋替えで、あっちのものをこっちに、こっちのものをあっちにする間に、大量の両親のお洋服を発掘しました。いったい、いつ着たんだよ~、今度、いつ着るんだよ~???あるわあるわあるわあるわ・・・。さすが、高度成長時代をブイブイと生きた世代、「このスーツ、おとうさん1度しか着ていないのよね~」とか。「これ、すごく高かったんだから!」とか、執着がらみの似たような色カタチの、ほとんど着ていない服がざくざくざっくざく。この「着ない服」を買うための時間って・・・?私はバブル崩壊世代で、あまり服買わなくて、よかったかも、なんて感じました。着られないほどたくさんの服を持ち、健康を害するほど食べ、住む場所がなくなるほどのモノを持ち・・・。もしかして、ほどほどに生きる、ほどほどに稼ぐってのは、すごく健全なのかもしれないですね。
2012.01.06
昨日の午後、つくし採りに行きました。あるにはあったけど、伸びすぎて、枯れ始め、シーズン終わりみたいです。今年は「はじまりのはじまり」と「終わりの終わり」も見るのだなあ・・・。さびしーなあ。と、ちょっと悲しい気持ちになっていたのですが、ありゃ!見つけたっ!わらびちゃんだあ!(*^。^*)ちいさな芽をくるんと出していました。わお!今年初収穫♪つくしの後は、わらび。自然は恵む。よもぎの新芽もいただいて、今日はてんぷらにしよう。
2011.04.06
このところ、寒いですね。が、つくしや、よもぎが、育っておりました。いつも、ほどほど最盛期、に気づいて採っていたのですが、今年は、はじまりの、はじまり。小さなちいさなつくしさんたち、採るのがかわいそうなほど。しかも、「ある場所」にしかでていません。はじまりの、はじまり。まだ、誰もつくし採りをしていません。散歩していたおじいさんに、「つくし?」と声をかけられました。よもぎも、採るのがむずかしいほどちいさい。だから、やわらかい。もう少しすれば、ざくざくなんですけど、ちょこまかちょこまか。食卓には、大地の豊かな恵みが並ぶ。つくしは、たまごとじに。よもぎは、てんぷらと、おだんごにして。私は、種をまいたわけでも、お水をあげたわけでも、元気を送ったわけでもないのに。どうぞ、と差し出す自然のふところの深さ。はああ~幸福。(*^。^*)
2011.03.10
絵本制作、じりじりと続行中・・・。果たして、終われるのか~???そんな昨日、図書館に行きました。予約していた本を受け取った後、本棚の森を、ふらふらとさまよっていると、一冊の本に出あいました。「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」内山節著、講談社現代新書え?なぜでなんでしょ?まえがきを読むと、1965年を境に、変わったのだと。え?1965年に?なんですか?なにがあったのですか?気になるううううう。(>_
2010.09.26
夏休み直前に、大雨洪水警報が出て休校になったために、息子は、今日から学校です。今朝は早くから、お弁当づくり。本日、てんぷらお弁当~♪家族がてんぷら好きなので、お弁当用だけではなく、ちょっと多めに揚げました。朝とはいえ、あづい~~~っ!(~_~;)息子を笑顔で送り出した後は、おおシゴトが終わった気分・・・。この充実感は、無事夏休みが終わった、というのもあるけれど、「食べ物をつくった」ということからも来るのでしょう。先日、本「雑食動物のジレンマ」を読んで感動しましたが、「キング・コーン」というドキュメンタリー映画も見つけました。これまた、驚愕の連続、でした。 人間は、進歩の過程で、「食べることに関するオシゴト」から、どんどん遠ざかってきました。狩はしない。採集しない。種もまかない。収穫もしない。そして、料理も簡略化。カンタン便利、苦労知らず、生き物の命を絶つという苦役からも逃れますが、それゆえに、とても大切なことを見失ってしまったのだと痛感する。だからといって、狩に出たり、農業したり、縄文生活スル、にも決意がいる。でも、ぼちぼち考えてたりする。手始めに、野菜づくり、はじめようかなあ・・・。あはは。
2010.08.27
雨上がりの朝、朝露がきらきらと輝いていました。ああ、なんてきれいなんでしょう?残念ながら、持って帰れません。手にすると、消えてしまいます。ガラス玉やダイアモンドに憧れるのは、この自然の美しさを、手に取りたい、身に着けたい、ずっと持っておきたいという願望なのでしょうね。
2010.05.11
昨日、気づきました。言葉多すぎる。世の中。もちろん、私もだ・・・。(-_-;)よーーーっし!なるべく、言葉なしで、1日を過ごしてみよう!とか、ひらめきつつ、ブログに、言葉重ねる。(-_-;)ま、ぼちぼちとね。で、今朝のわらび採りの模様を、言葉ではなく、写真でお伝えしようと。さて。写真の中で、わらびが4本生えています。どこにあるでしょう?答えはっ!?
2010.04.30
私の大好きな場所。きっと縄文時代と同じ風景。☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡このごろ、ずっとブータンを夢見ています。世界でいちばん幸福な国。そこに住む人々はどんな笑顔で暮らしているのでしょう?ブータンの本を読んだり、写真を見たり、想像していたら、ときどき、ふううっと、ブータンを身近に感じます。あ、ここにも、ブータンはあるな、って。どうです?この美しい草原。どこにでもある河原、かもしれません。でも、ここにも、世界でいちばん美しい風景は存在します。ご近所の人と、笑顔で挨拶を交わし、野で採ったわらびやら、よもぎやらを家族とおいしく味わうとき、ここにも、世界でいちばん幸福な時間が存在することを感じます。ブータンに行かずして、ブータンを味わう。得した気分だわああ♪そんな中、マイケル・ムーア監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見ました。銃による殺人が、1万人を越える米国。人々は見えない敵におびえ、護身用の銃を手放せない。思ったよりも、何倍もすさまじい映画でした。想像していたのです。ブータンの人々は、世界のことをどう思っているのだろうか?と。世界でいちばん幸福な国の人々は、不幸な国の人々をどう見ているのか?と。優越感とか、蔑みだとか、そういうものではないだろうな、と想像していました。本当のところは、ブータンの人々に聞いてみないとわからないけれど、痛みと、悲しみと、なんとかしてあげたいと感じるのではないかなと想像していました。よかったらココに来て、いっしょに青空の下、生きている幸せを味わおうよ。人生はそんなに悪いものじゃないよ。深呼吸して、笑おうよ。おいしいものを食べようよ。元気出して、ねっ。そんなことを思うのではないのかな?と・・・。
2010.04.29
わらびが旬でございます。(*^。^*)私のお散歩道で、わらびが生えているのは、どうやら一部の場所みたい。つくしみたいに、あちこち、ぐわっと生えているわけではないのです。誰かが植えたのか?まだ広がっていないのか?今年から、わらび狩りに私が加わったせいで、わらびさんたちには、「生命の危機」が増えたことでしょう。なにせ、狭い地域なのに、何人もの人が狙っているのですから・・・。昨日見つけたのは、まだほんの小さいものや、細いものばかり。こんなに赤ちゃんを襲ってはイカンだろう。絶滅させてもイカン。育つまで待とう、あえて見逃そう・・・まるで狩人みたいですね。ちょうど、息子に「草花を根っこから採ってくる」という美術の宿題が出たそうな。根っこから、というのが、なかなか絶妙。愛犬といっしょに、晴れた野原で植物採集です。根っこから、というのがね。ひっぱると、ぷちぷちぷちっと抵抗を感じる。大地にしがみついている生命を、「根こそぎ」奪う感触・・・。ああ、殺しているんだな、と。(-_-;)自分が生きるためには、別の生命を奪わないといけない、悲しみを感じたのです。日常、お料理するとき「生命を奪っている」という感じを受けることはあまりありません。あさりやしじみのお味噌汁を作るときくらいかな・・・?熱湯の中で大量虐殺!なんまいだぶつ、なんまいだぶつ・・・。実は、毎回、念仏を唱えていたりして。清潔にパックされたお肉に、「痛み」とか「気配」は感じません。もしも、お肉をいただくのに、庭でコケコケ鳴いていたにわとりとか、野生の鹿さんだとか、さばかないといけないとしたら・・・あああ、たまりませんねえ。現代人は、生命の痛みを、感じないようにしているのだなあと気づきました。縄文人さんたちは、きっと、毎日感じていたのでしょう。大地が生み育てたものを、いただくという「畏敬の念」というものを・・・。感じずにはいられない感覚なのだな。痛いな・・・。
2010.04.18
昨日は、日本経済新聞社主催の経済セミナーに行く・・・予定でした。日経新聞からお誘いメールが来て、申し込んでいたのです。ひさしぶりに、経済の専門家にお話を聞くのも、また楽しかろう、と。しかし、出かける前に、招待券を確認したら、なんとっ!日程は、おととい13日火曜日でした。あっ!1日間違えた!(>_
2010.04.15
母のお友達が、お米30kg!を贈ってくださいました。それが、「玄米」なんです。ほのかに緑色なのでした。以前、兄に「もみ殻付」という稀有なバージョンをもらったことがありますが・・・。「コイン精米機」なるものをはじめて使ってみたのでした。ご存知ですか?コイン精米機って。未知なる「無人ステーション」が、あちこちにひっそりと立っているのに、私も兄から「もみ殻付のお米」をもらうまで、気づきませんでした。ちなみに、このタイプ、「もみ殻付」を精米することはできません。誰が使うのだろう?と思っていたのですが、やっと私が利用するときがやってきました。なにせ、初めてで、おっかなびっくりです。どきどきどき・・・。(>__
2010.04.14
お金のお勉強、ひそやかに続いています。以前、政治や経済というものは、「無理っ!」な科目でした。ふつーのおんなの子らしく?好きなのは文化系♪みたいな???(^^ゞしかし、ロバート・キヨサキ氏の「金持ち父さん貧乏父さん」を読んでから、経済をお勉強しないと、ソンだ!と直感し、それ以来、わりとがつがつとお勉強したのでした。政治はともかく、経済ならば、「それなりにわかっている」つもり、でした。が、今回の波は、第二の大波。原始時代からさかのぼって「貨幣の歴史」をたどっているんですから。これまでの学びが、全体のほんの一部分に見える・・・。(-_-;)さてさて。そんな昨日、図書館の棚で見つけた本が、「金貸しの日本史」、なにか、ぴーーーんと来ました。お金の歴史に、金貸しの存在が影のようにくっついている!本を開いてびっくりっ!な、なんですか?そんなことがあったんですかっ!?借金が、人生を狂わせる、というのは、うちの親もしばしば言っていたことですし、ドラマでもニュースでも、多額の借金を負うことで悲劇がはじまったとされますね。その金貸しのルーツに、どーーーんと存在しているのが、お坊さんえっ?(-_-;)もっともクリーンなはずの職業に?なぜに、そんな歴史が・・・。なんでも、奈良時代の聖武天皇が、多額の品々を寺院に喜捨したのだそうです。受け取った寺院は、それをお金に換え、「運用」することを考えた。「効率よく仏の富を増やすために高利貸しに転じてしまったのだ」。えええ、お坊さん、清い人々と信じていたのに・・・。(ToT)ショックでした。が、そもそも、豪族なども、元をたどると、「祈祷ができた」ことに身分差が生まれたらしいことを思い出すと、聖職と富の関係はもっと古そうだ・・・。うーむ、なんでこんなことに気づけなかったんだ・・・。世の中のこと、何も知らなかった、のだなあ・・・。この学びの旅は、いったいどこへ向かっているのでしょう?←遠い目・・・。
2010.04.10
「45日間奈良時代一周」、引き続き見てまあす。毎回、期待以上に「むむっ!これはスゴイっ」と感じるのは、「日本のはじめて物語」がたくさん語られているせいかもしれません。7日の放送「鑑真」。お味噌は、鑑真和上が唐から持ってきた、という逸話にびっくり。しかも、名前の由来は「未曾有」の味という意味だとか。未曾有といえば、「未曾有の大惨事」とかだけに使うのだとおもっていたけど・・・。そんなありえないものを、食していたのかっ!(>__
2010.04.09
「お金の歴史」をめぐるジャングルに踏み込んで、途方に暮れている私です。昨日、お口直しに、内田樹せんせいのご本を開きました。あー、ざっくり爽快っ!(#^.^#)さくさくと気持ちよく、ときにからから笑いながら読み進んでいると、「ひとはなぜ仕事をするか」というトピックになりました。おおお、なぜだとお考えですか、せんせい?そこに、わが人類の祖先といわれるクロマニヨン人さんたちが登場したのです。ううう、縄文人よりはるか前の人々だ・・・。(-_-;)「ネアンデルタール人とわが現世人類の祖クロマニヨン人を隔てる決定的な違いは、クロマニヨン人は『何かと何かを交換する』ことが大好きだったからという点にある」。交換・・・?(@_@;)「私たちは『できるだけ速く、大量に、かつ広範囲に』モノが交換され、流通することを求めてやまない。それは、クロマニヨン人の子孫である私たちの宿業である」はああ~。だから、人気のある商品や、お店、ビジネスなんかにココロが反応するのね。だから、ブログのアクセス数多いとなぜか意味もなく、うらやましくなるのね。でっ、内田せんせいのご意見、「仕事とは何か?」「それは、クロマニヨン人が好きで好きでたまらないこと、つまり『モノをくるくる動かすこと』である。仕事にかかわるすべては、この本質に即して解釈されねばならない」・・・つまり、とにかく、ぐるぐる回ること、コレに意味を感じてしまうのね。うー。なんだか、なんとなく、わかる気がする・・・。(-_-;)あああ、知らない間に、縄文時代をさらに超えて、越境してしまった・・・。(-_-;)ジャングルの向こうには、大先祖様たちの住む大平原が広がっておりました。
2010.03.31
まだまだ続く、私的縄文ブーム。(^_^;)図書館の歴史コーナーも、今までは立ち寄ることがなかったのに・・・。昨日は「教科書から消えた日本史」という本を開きました。学校で習った「歴史」は間違いだらけ、というこの本。今や、仁徳天皇陵は、大仙(だいせん)古墳と呼ばれるそうですね。もしくは、伝仁徳陵。「・・・と伝わっているらしいよ」と、謙虚というか弱気と言うか、大幅トーンダウン。邪馬台国について記載されている「魏志倭人伝」も、魏書東夷伝倭人(ぎしょとういわじん)の条。正確に言うと、三国志魏書烏丸鮮卑(うがんせんび)東夷伝倭人条というのだそうです。うがあ。まいったなあ。(^_^;)この、たいへんにびっくりな本の中で、私がいちばんびっくりしたのが、お金の話。ニッポン最古の貨幣は「和同開珎~」って習ったはずですけど?1998年に、富本銭(ふほんせん)なるものの存在が確認されたのだそうです。和同開珎が、最古ナンバーワンの称号を失ったことに驚いたのではないんです。なぜ、日本でお金がつくられはじめたか、というエピソードに驚いたのです。飛鳥時代の支配者が、貨幣を量産しようとした理由が「遷都」のためだったそうです。「都の造営には多数の労働者や技術者に代価を払う必要がある。しかし、労働力に対して稲や布など等価なもので支払うのは財政的に困難であった。そこで、和同開珎という貨幣をつくり、これに高い法的価値を持たせ人々に支払おうとしたのだという」しかし、当時の人々は、貨幣の価値をなかなか信じようとしなかったらしいです。なんだか、ある意味、エライ。未来人の私たち、お金の価値を信じきっている。お上が、「お金に価値があるよ」と皆の衆に策を講じて信じさせて千年以上・・・。お札やコインに、紙や金属としての価値がないことはうすうす知っているけど、1万円とか、500円分のお買物ができるということを、疑ったことはありません。「グッバイ・レーニン」というドイツ映画で、お金がタダの紙になったシーンは見ましたが。お金って、なんだったの・・・?(ーー;)お金のために人生をすり減らすとか、魂を殺すとか、奴隷になるとか、なんなんじゃ!呪いかっ!と、びっくりがやがて怒りに変わったのでした。
2010.03.25
昨日も、つくし採りにでかけました。ちょっとずつ北上する「お宝前線」、「このあたりかな?」と予想してみたら、そのとおりでした。\(^O^)/間もなく、つくしも終わりだなあ・・・・・。ちょっとさびしくなりました。そういえば、私も家族も、ちょっと飽きたかもなあ・・・。特に、手が灰汁で黒くなる、面倒なはかま取りが・・・。そんな昨日、小さなわらびの芽を見つけました!都会人の皆様、わらびって、ご存知ですか?山菜の一種ですね。数年前、「わらびが生えとった!」と、父が自慢そうに散歩から戻ってきました。わらびって、山の中とか、特別なところにしか生えないんじゃないの~?それとも、うちって、そもそも山の中だったの~?※郊外、と思っていた。(^_^;)きっと、ずっと前から生えていたんです。けれども、知らないから気づかない。興味がないから、知ることもない。去年は、何度もてんぷらにしていただきました。すごく贅沢な気持ちでした。つくしの次の恵みは、わらびだなあ~。(*^。^*)昨日は、よもぎのてんぷらもやってみました。意外にも、息子に大好評!美味しい食材がこんなに簡単に手に入るなんて・・・。縄文人にココロを寄せると、自然の恵みをひしひしと感じるようになりました。思えば、「願えば叶う」という発想は、縄文人的ではないのかもなあ。「まず恵みがあって、その後、感謝の祈りを捧げる」という後払いシステム。お参りに行って、作法どおりお願い事して、お賽銭を先払いする、そういうのは、弥生以降なんでしょ?思えば、感謝は後払い。恵みに感謝。幸福に感謝。生かされていることに感謝。
2010.03.22
平日の毎朝、NHK-BSで、「45日間奈良時代一周」という番組があるのを見つけました。縄文人を師と仰ぐ私にとっては、奈良時代は、コワイ文明化はななだしい。(^_^;)しかし、一度見ると、おもしろくて、やめられなくなりました。3月19日のテーマは「セレブ」で、奈良時代のスーパーセレブ長屋王をとりあげていました。長屋殿は、飼い犬にも、お米のご飯を与えていたとか・・・。番組で、つくり方も紹介していたのが、「蘇」。牛乳を煮詰めてつくる、古代チーズというか、バターなのか。さわやかなレポーターは「チーズケーキみたい」とコメントしていましたが。「蘇」がニッポンの貴族たちのデザートであることは知っていたのですが、番組を見終わったとき、「これならできるかもね」と思いました。牛乳を煮詰めちゃえばいいんでしょ?やってみよ、やってみよ♪(^O^)/お鍋に約1リットルの牛乳を入れました。なんで「約」1リットルか、とえば、明日のコーヒーのために残しておいた。煮詰めること、1時間、2時間・・・。ずーーーーっとかきまぜていないといけません。火の番をしながら、かきまぜかきまぜ。 なにせ、量が少ないので、3時間もしないうちに煮詰まってきました。おそるおそる、口にする。んんん?(ーー;)んんん?(ーー;)んまーーーっ。\(>__
2010.03.21
縄文人に憧れる私にとって、つくし採りは、特別なイベント。(^^ゞ春の日に、野辺に出て、大地の恵み、いただきます!すると、いろんなことに気づきます。最初の日は、「わあ、もうつくしが生えてる!」と驚きました。「まだ寒いから」と思っていたんですね。採っている人もいましたが、とっても少なかったのです。次のときは、「穴場」を見つけました。そこは、道路と道路に挟まれた変わった三角地で、誰もそんなところに行かなかったのでしょう。お宝、ざっくざく、でした。うきうきっ♪(*^。^*)次のとき、その「穴場」には、お宝はそんなにありませんでした。私が乱獲したから?と思いましたが、私が採っているのを、誰かが見て「あそこには、あるらしい」と思ったのかもよ?しかし、同じ日、別の穴場を見つけました。よく人々が、つくし採りをする土手の、半対面です。そっちは、道路側なので、「なんとなく採りにくい」感じ。ここにも、お宝ざっくざく!でした。さてさて。4回目。「穴場」には、伸び過ぎたものばかり。意外にも、いつもは人がたくさん採るので、ほとんどないうちの近くでざっくざくでした。あれれ?これは、もしや、「ちょっとずつ、つくし前線が北上している」ということか?たくさんの人が採るとか、見つけられないとか、そういう人為的なことではなくて、南から、順番に「お宝地域」が移動していたのか?ううむ・・・。つくしは、小さいころから採っていましたが、縄文人になりきって日々、採集する、ということはなかったのです。地球は生きている!大地との対話に、どきどきします。今度は何に気づくのでしょうか?
2010.03.20
昨日は、縄文時代の本を読み耽っておりました。BBC制作「地球伝説 ヒューマン・ジャーニー」5回シリーズも見終えました。あああ、素晴らしいタイムトラベルだったあああ!「縄文人の世界」という、本の中に、「縄文人の音世界」という章がありました。縄文土器だって、「あんなの」だから、音世界って、「どんなの」???歴史って、すべては「仮説」だったり、「想像」だったりして、研究者の先生方はみなさん謙虚に「・・・と、考えられています」と締めくくられます。実際に見たわけじゃないし、新たな発見で、定説はがらがらどっしゃんと崩れるし。ましてや、縄文人の音世界なんて、録音機材があったわけでなし。楽譜が残っているわけでなし、伝承されているわけでなし。楽器らしきもの、は本当に楽器だったのか。そんな謙虚にして、弱気な姿勢を打ち破る人、土取利行氏。なんと、縄文の音楽を奏でておられます。すごい勇気っ!で、You Tubeで探してみたら、ありました!あったんです。縄文の音う、美しい・・・。(ToT)もしも、縄文人がココに来て、「あのね、違うよ」と言ったとしても、それは、問題ではないと感じました。心広き縄文人さんは、「違うけど、いいね」って言ってくれそう・・・。それにしても。この世にこんなミュージシャンがいるなんて。素晴らしいではないですか!古代への旅は、まだまだ続く・・・。
2010.03.19
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