卒業旅行 II


Aとの想い出で強烈だったのはマレーシアへ墓参りに行った時だろう
これは学校の企画で当時私が学級委員の議長をしていて
先生側からの企画の中で提案したものだ
マレーシアに墓参りとタイの遺跡の調査の手伝い
と言うものだった

タイの遺跡は日本で京都の某大学の研究団しか行っていないことを聞き
某大学も行く時に当高校から手伝いで行くと言うものだった
これ以上の詳しい説明は大学名を隠している意味がなくなるので言えないが
当然のことながら定数は決まっていた

「何かしたい」
と言うAのリクエストに答える為に
歴史・古代言語を私はAに教えた
その時のAの頑張りは教える私でも舌を巻くほど凄いものだった
ある時は朝まで電気スタンドだけで勉強をした
私が古代言語が上達したのはAのお陰だ
教えるつもりが教える為に私自身が憶えるのではなく
理解しなければならない

そんなかいがあってAもメンバーに合格した
私がもしテストを受けたらどうだっただろうか?
と思う
何故なら私は生徒代表で初めから行くことは決まっていた
もしテストをするとなったら私はAのように勉強をしただろうか?
だぶんしなかっただろう
私が今日あるのはAのお陰である

その墓参りでの一番の想い出はタイの夜だろう
タイは思いのほか暑かった
寝苦しい想いの私達は夜中の12時にホテルを抜け出した
今はどう変わっているか知らないが
あの当時はとても治安が悪かった
勿論夜の外出は禁止だったが
いろいろなことがあり私達は外出した

私達が泊まっていたのはバンコクホテルで
そこのホテルのロビーは怪しい人が多い
これは後でわかったのだが
私達がホテルを抜け出した時
現地の人に付けられていた

その当時のバンコクは24時間営業が多く
私達はお腹がすいたのである店に立ち寄った
そこの店は父親が香港のイギリス人と中国人の母親のハーフの
女の子がいる店だった
お客は私達以外になく
その子が香港から流れてきたこともあり
唯一英語が通じた

甘いチャーハンを食べながら
歳も近いこともあり(私達は17歳・彼女は21歳)
タイ語と日本語を教えるという会話を楽しんだ
そこにある一団がやってきた
そうホテルから付いて来ていた奴が仲間を呼んだらしい
その人達は日本製のバイクに人力車みたいなものを付けた
タイのタクシー?の連中だった

彼らの目的は当然
私達のお金だ
案の定私達に声をかけてきた
それも訳のわからないタイ語で・・・。


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