風光る 脳腫瘍闘病記

脊髄腫瘍



例えば火災警報器が鳴ってもほとんどの人は誤作動?イタズラ?と思ってすぐに非難しない。まるでそんな感じで大した事は無いと思ってしまった。11月、あい変わらず足の具合が良くない。それどころかマヒしてる範囲が下に広がってる感じがした。

とりあえずコンビにで手軽に出来る血液検査を申し込んだ。しばらくして血液採取のキットが送られてきて説明通りに事を進めて血液を検査に出した。
結果はシロ。何の問題もない。もしかしたら悪い病気かもと思っていた私はホッとした。

年が明けて2月、左足の状態はさらに悪くなっていた。それに加えて腰までも痛くなって夜も寝れないほどの激痛に見舞われた。私は友達に相談して自分の症状を聞かせた。友達は「椎間板ヘルニアじゃない?左足のシビレもそのせいだよ」と言ってきた。

私は仕事を休んで病院へ行った。私の番が来て診察室に入ると初老の医者が「なんだ、ちゃんと歩けてるんじゃない、大丈夫。左足のシビレも栄養さえ取れば治ります。気にしなくていいですよ」と自信満々に言ってきた。

次の日仕事場の人に足の具合と病院での診察結果を言ってみた。その人は「かっけじゃない?」「かっけ?」そういえばよく学校でかっけの検査だと言っては足のひざをポンって叩かれた記憶がある。

私は急いでイスに座り左足のひざを叩いてみた。動かなかった・・。

もう一度病院へ行く事にした。今度は別の医者を指名して、血液検査、レントゲンの検査をした。結果はシロ。医者は「MRI検査をしてみましょう」と提案してきた。MRIで、レントゲンでは写らない所を写してみましょうって事になった。

MRI検査は初めてだったのであの機械音にはビックリした。「コンコン、ダッダッ、スコーン、ダダダダダダダダッ」とにかくいろんな音が頭周辺で鳴り響く。これが30~40分続く。しかし私の場合は40分では終わらなかった。腰だけの検査のハズだったのにいきなり技師さんが「愛さん、ちょっと胸の方も撮った方がいいかも」と言い出したのである。

嫌な予感がした。それでもまだ重大な事だとは思わなかった。結果がでるのに一週間もかかった。診察室に入ると同時に胸の鼓動は高まった。お医者さんが一言「ビックリすると思うんですけど・・。」と遠慮がちに言った。私はまずその言葉にビックリした。

「ここ、見えますか?白くなってる所、腫瘍が出来てます。」

「腫瘍!!」

心の中で叫んだ。ちょっと待てよ、腫瘍には良性か悪性があるはず・・。私は間髪いれず「悪性ですか?良性ですか?」と聞いた。「こればっかりは開けてみないと分かりません」と言って、「大きい病院で見てもらった方がいいので、紹介状を書きますけど、どこか希望はありますか?」と聞いてきた。

私はそのお医者さんの推薦する大学病院へ行く事にした。時間はもう夕方、ロビーには私しかいなくてただ精算に呼ばれるのを待っていた。自然と涙が溢れてきた。「私が腫瘍?」私が病気?信じられなかった。宝くじを買って当たるかもとは思っても自分に腫瘍ができるとは夢にも思ってなかった。自分の中じゃ「ありえない」事がおきてしまったのだ。


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