風光る 脳腫瘍闘病記

どうやって死のう?



あんなに大好きだったリハビリも理由をつけては休みがちになっていった。看護婦さんは「でも、せっかくここまで頑張ってきたんだから行こうよ」と何度も言ってくる。私は泣きながら「行きたくない」と訴えた。それでも「じゃあ、見てるだけでいいから、ね、いこっ」それでも私は首を縦には振らなかった。

リハビリをして歩ける可能性があるのなら死ぬほど頑張っただろう。でもどんなにリハビリをしてももう2度と歩けないのだ。リハビリをする意味が分からなくなってしまった。

他の入院患者さんは手術して最初は私と同じ様に車イス。でも両松葉になり片松葉になり、最後は杖になって1ヶ月で退院していく。私だけがいつまでたっても車イスのままだった。周りの人が羨ましくて仕方がなかった。

同じ腫瘍仲間のYちゃんがいて彼女は左腕に悪性の腫瘍が出来てしまい、手術して全部摘出したものの、再発する恐れがある為、月に1回、1年間もの間、抗がん剤治療をしなくてはならなかった。副作用で彼女の頭髪は抜け落ちカツラを着用していた。

私はそんなYちゃんの事も羨ましく思った。(自分は歩けるからいいよね)
ある日、装具をつけて松葉杖で歩行練習をしている私を見てYちゃんは泣いてた。でも私は(何泣いてんの?勝手に感動すんな、装具つけて苦しい思いをしてんだよ、こっちは・・。泣くんだったら私の下半身マヒが治ってから泣けよ)私は心まで醜くなっていった。

そんな自分が嫌で、先生の薦めで精神科を受診する事にした。中学生の頃、自分は精神科を受診した方がいいんじゃないか?と本気で思ったが結局、受診する事もなかった。今回が初めての受診となった。

30代後半だろうか、若い男の先生だったのだが、馬柄のネクタイをしており、どことなくHに似ていた。とにかく理屈っぽいのである。
(はっ?この人、マジで精神科の先生なの?)話せば話すほど私はムカついていった。精神状態がさらに悪化してしまった。
(キザなんだよっ気持ち悪い)

精神安定剤を処方してもらったがコレも全然効かなかった。死にたくなる一方だった。

「死にたい」

私はいかにして死ぬか、起きてる間はその事ばかりを考えていく様になった。

「飛び降り」「薬」「窒息死」「溺死」「焼死」「排気ガス」
「首吊り」「衰弱死」「手首」「切腹」「首切り」「自爆」

(誰か私の事、刺殺してくれないかなぁ・・)ありとあらゆる死にかたを考えた。

この頃になると監視の目も厳しくなって「一人出歩き禁止令」が出されていた。どこに行くのも看護助手さんがついてくる。そんなある日、私はこっそり売店に行った。カッターを買う為に・・・。

「これ下さい」私はお茶とカッターを購入した。病室に戻ってしばらくしたら看護婦さんが来て「愛さん、売店行った?」

(げっ、何でバレてんの?)

「何買ったの?」「一人で行っちゃいけない事になってるよね?」

「お茶買ってきた・・」

「他には?他にも何か買ったよね?」

(うそっ!?バ、バレてるの?)

「さっき、売店から連絡あって愛さんらしき人がカッター購入したって・・」

(マジで?)私は涙ながらにカッターを看護婦さんに渡した。

飛び降り?次に私は看護婦の目を盗んで飛び降りが出来る場所を探した。

「絶対、死んでやる。死んだら楽になれる。絶対に死ぬ」自分で自分を言い聞かせた。


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