ゆりママのヒミツ

ゆりママのヒミツ

子宮口をくくる。(4月)



4月5日
T医師より今回の出血が完全にとまったら、外泊を考えてみましょうとの話があった。
あ~、いきなり退院はできないんだ。。。
でもそれでだいじょうぶだったら、退院なんだぁ~~。。。
できるなら、このままその日が迎えられたらいいなぁ。。
突然の外泊の話に、きつねにつままれたような気持ちだった。

4月8日
「御主人は、今日病院に来られますか?」
T医師が話があるように言われたので、急遽夫に連絡をとり、仕事帰りに病院に寄ってもらった。外泊の話かなぁ?と思った。
夫と共にT医師の話を聞く。
「実はGさんの子宮口がゆるんできています。多胎妊娠にはよくみられることで、このままだと早産につながるおそれがあります。そこで、子宮口をくくる手術をします。」
え~っ、外泊どころじゃないじゃない。。。
それに手術をしますって、もう決まっているんだ。。。
いやですってことは言えないのか。。。それだけ差し迫っているってこと?

T医師は、麻酔(局所麻酔)の話や、どのような手術かを、丁寧に説明を始めた。
私は、まだ手術の経験がない。麻酔をかけるのも、初体験。。。だんだん心臓がドキドキしてくるのがわかった。。。
夫は先生の説明で、納得した顔つきだった。
「がんばるしかないな!!」と明るい顔で言った。
「あんたにだけ、つらい目にあわすけど、がんばってな。。。」
手術は4月14日に決まった。

4月11日
今日は急に24時間の点滴をとることになった。
病院の浴室でシャワーも許可された。湯船にははいれない。湯の圧力が流産(もうすでに早産と言う時期になっていた)をまねくからだ。
あまりきれいな話ではないが、シャワーも3ヵ月ぶり。。。T先生はとにかく少しの刺激でもだめということで、シャワーも許可されていなかった。
実は看護婦さんたちは、T先生に清潔も大事ですといって、ずいぶんT先生に交渉してくださっていたらしい。実際、下半身が不衛生で、薬を飲んだ事もあった。
でもT先生は頑として、首をたてにふらなかったらしい。
「大変だったねぇ。。。」とHさんという看護婦さんが、そんな話をしながら、洗髪を手伝ってくれた。
久しぶりに、全身が清潔になって、点滴ボトルともお別れして、とてもいい気持ちになった。。。

4月14日
前日に全身シャワー、剃毛をすませ、夕食を半分だけゆるされて、この日を迎える。
午前中、診察のあと導尿する。管が入る瞬間、痛かったが、そのあとは聞いていたような痛みはなく違和感だけが残った。
点滴があまり上手でないT先生に、手の甲に点滴されて、痛い、痛い。。。
昼すぎに母が来てくれて、予定どおり2時すぎに部屋を出る。

ストレッチャーに乗るのは初めてだった。
「痛い注射、しないの?」とK看護婦さんに尋ねる。
「Gさんはしないよ。」と言われ、ホッとする。
母はそれを聞いて、苦笑していたらしい。
入院が長くて、いろいろな人の手術を見聞きして、なんでも知っているんだと思ったらしい。。。
手術前に麻酔がかかりやすくなる筋肉注射が痛いのよね、という話を私は何人もの人から聞いていたのだ。
そういうこともあってか、私は自分でも以外なくらい、落ち着いていた。

手術室に入って、血圧計と心電図の器具をつける。
天井にはテレビドラマで見たような大きなライト。
ラップの音楽がずっとかかっている。
手術台は腰のあたりが温かい。。。

いよいよ麻酔。横向きに寝て、腰のあたりの中央部に麻酔注射をする。緊張したが、チクッと針を刺す痛みだけで、それほど苦痛は感じられなかった。
10分ほどそのまま寝かされているうちに効き目があって、もう両足が丸太んぼう状態に。
気づかないうちに手術は始まっていたらしく、ちょっと気分が悪くなってきて、いやだなーと思ったら、手術室の看護婦さんが気づいたらしく、酸素をマスクで吸わせてくれた。とたんに気分がよくなって、とても気持ちがよいので、スースー吸いまくっているうちに、手術は終わったらしい。

でも血圧が低いらしく、その声が先生と看護婦さんとで飛び交う。
また麻酔がかなり身体の上までかかったらしく、腰の上までつねくりまわされてしまった。酸素マスクもはずされ、手術室をでて、ストレッチャーに乗りかえる。
下半身に全く感覚がなく、先生や看護婦さんたちに「よいしょ!」と抱えあげられて、ストレッチャーに積まれ(全く自分の身体が物体のようだった)、母の待つ病室に戻った。

あまり気分がよくなかった。病棟の看護婦さんたちがいったん部屋からでられたあと、急に私の胃がゴボゴボと鳴って、もどしてしまった。
そのあと、冷や汗がでて、自分で血の気が引いていくのがわかる。そして、再びもどす。辛抱できないほど苦しいわけではないけれど、なんかとてもイヤな気分。
母がナースコールを押して、看護婦さんに戻ってきてもらう。

何度も血圧を測るが、かなり低いらしい。私は目をあけることができず、寝ているのもつらく、かといって身体を起こす事もできず、血の気がひいて、冷たい感じの、ざらついた皮膚感、自分の身体でない、とてもへんな感じが治らない。。。

T先生が飛び込んでこられた。
何種類かの薬剤を点滴にいれるよう、指示が出る。
「先生、血圧があがりません!!」とK看護婦さんが叫ぶ。
私は、耳は聞こえているが、言葉が出ないし、身体がベッドに沈み込んでいくような感じに恐怖感がつのった。。。
「点滴を全開にしろ!!」とT医師が大声で指示する。。。

手術室から病室に戻ったのが4時ごろ。ようやく私に血の気がもどり、みるみるうちに気分がよくなって、落ち着いたのが5時すぎだったらしい。
この1時間あまりの間に、血圧は上が70以下になったとあとで聞かされた。なかなか上がらなかったので、ちょっとした騒動になったようだ。あのまま血圧が上がらなかったら、あぶなかったよと、親しくしていたある看護婦さんに後日言われた。
私も、あの言いようのない気分の悪さは生まれて初めてで、もしかすると死ぬときもそうなのかなぁと思った。

付き添ってくれた母には、相当心配をかけてしまった。
手術と言えないくらい簡単な手技です、と聞かされていたので、夫も付き添っていなかったし、母もそういう危機感まではなかったのに。。。

すったもんだしたあと、夫が病室に顔を出してくれた。
母が事の顛末を興奮ぎみに話す。
私も「ちょっと大変だったよ。。」と話した。
要するに、麻酔がかかりすぎたらしい。私はアルコールに弱く、お酒もほとんど飲めない。そういう体質に今回投与した麻酔の量が多かったようだ。そういう説明をあとから聞いた。
夜7時まで、母と夫がいてくれて、そのあと消灯となった。水分を口に濡らすしか出来ず、眠りたいのに眠れない。
腰が痛だるくて、下半身はしびれが続いていた。
タオルをたたんで腰に入れるが、楽にならない。
夜中をすぎて、横を向いてもいいと看護婦さんに言われ、少し眠った。

翌朝、両足は丸太んぼうから、生還していた。


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