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『なんでこれくらいの事が出来ないの 何度もあなたを責めました。』『あなたの障害に気付いた頃 私は絶対優しくしようと心に決めたのに 追い詰めて叱ってしまった 生まれてきてくれてうれしかったのに、、、それなのに』『あなたが言うこと聞かないから腕をつかんだらV型の黒あざができました。』私に こんな風に メッセージが 届いたのでした。今日 地区の「おたっしゃ教室」で 認知症予防の学習会がありました。わたしは 協力員として参加。参加者は 65歳以上のお嬢様がた。今日は11人。いつもは 転倒予防の体操をして その後はいろいろと レクレーションなど。月2回2時間ほど開催しています。今日は 学習会でした。町内の 認知症のディサービスをされている事業所の職員の方が 認知症のこと予防のことなどを とてもわかりやすく スライドを使って話してくださった。そのスライドに 介護をされた方の 詩が 時々出てきました。『なんでこれくらいの事が出来ないの 何度も母を責めました。』 そうそう 責めてしまうのよ。なんで なんで!!!と 自問自答しながら。『お母さんの物忘れがすすんでいると気付いた頃 私は絶対優しくしようと心に決めたのに追い詰めて叱ってしまった どんなときも慈しみ育ててくれた それなのに』 そうだった。できることはなんだろう。どんなふうに寄り添うといいのかと。 それなのに・・・・追い詰めてしまう私がいる。『母さんが言うこと聞かないから腕をつかんだらV型の黒あざができました。』 ちょっとつかんで引き止めたつもりなのに つかんだところにあざができてた。 同じや・・・・。認知症のお話なのに そのメッセージは 子育てをしている私にまで ストレート直球でぶっ飛んできました。私のこころのなかを 見透かされたようでした。母の気持ちを 子どもの気持ちを 彼らのつらさを考えようと何とか寄り添いたいと思いながらも 実際には凹みながらの日々・・・そんな立場は一緒なのかも。さっそく 検索してみると こんな本でした。認知症の母を介護された娘さん(岡上多寿子さん)が書いた画詩集だということです。先の見えない不安 社会と断絶したような孤独感 叱責後の無気力と自責の念空しさと情けなさ…。 そんなふうに 感想を寄せておられた方もいました。「いっぱいごめん いっぱいありがと」そうなんだ。そんな気持ちですよね。さっそく 町の図書館にいくと扱っていないということで取り寄せてもらうこととしました。ゆっくりと手にとって 読んでみたいです。「ぼく」がたこ焼きに挑戦です。あたらしいたこ焼き器を買いました。待つ時間が 大事です。早くにひっくり返しては だめだめ。。。。タイマーをセットして5分待つように次女(受験生なんだけどなぁ)が教えます。5分後 先ずは90度だけ半返しをします。全部ひっくり返しては だめだめ。。。ふむふむ・・・上出来だ~。完成か・・・。でもこの器械 隅っこは火が通りにくそうだ。ウインナーが3つ入ってる これがいい!! いただき~。たくさんのお料理画像がたまりました。★ エビチリ ★ブラックタイガー30匹、レタスひと玉 キューリ2本。山盛り2杯のエビチリができました。気持ちよく ぺろりとたいらげてくれました。★ 厚揚げバーグ ★ 合びきミンチに厚揚げ青ねぎを小さく切って混ぜて 焼きます。ミンチの量が少なくて済みます。お豆腐の水切りも不要です。仕上げには たっぷりの大根おろしを乗せてポン酢しょうゆでいただきます。大変好評でした。★ 鶏手羽煮 ★甘辛く炊き上げました。これも子どもたちが大好きです。★ 雛ちらし ★おひな祭りの日に 職場からいただきました。ローストビーフ・アドガド巻きも とてもおいしかったです。 花粉のため 目がかゆいかゆい・・・。目玉を取り出して 洗いたいくらいです。耳の穴も 鼻も のども むずむず です。
2009.03.05
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前々から 書き留めておきたいことが あった・・・。新聞の 切り抜きを 大事に取っておいた。ある映画に関しての 論評だったけれど たとえに 引用されていた 文が なんとも衝撃的だった・・・・。『人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。・・・・・ しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。』 (芥川龍之介 「侏儒の言葉」 瑣事 より) 詳細には 以下のよう・・。 人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。 雲の光り、竹の戦(そよ)ぎ、群雀(むらすずめ)の声、行人の顔、 ――あらゆる日常の瑣事の中(うち)に無上の甘露味を感じなければならぬ。 人生を幸福にする為には ? ――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。 庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁(うれい)を破ったであろう。 が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。 いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。 我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。 追加 ※ 【些事・瑣事】 さ‐じ : 取るに足らないつまらないこと。ささいなこと。 小事。「―にこだわる」 毎日いろんな出来事が 大小やってくる。 そんな 些細な出来事に 喜んだり 悲しんだり・・・。 少しでも 毎日を 豊かなものにしたい・・・。 「ぼく」の 変化を つぶさに 感じ、うれしくなったり つらくなったり。 いや いや 長い目で みなくっちゃ・・・と 思ったり。 この言葉に 触れて つらい思い 苦しい思い ・・・そんな 思いが積もってこそ そんな思いを 大事に丁寧に 愛してこそ 人生が 豊かになり 幸せなものに つながっていくんだろうな と 感じた。 なんと 昭和2年に 35歳で 亡くなってしまわれた 龍ちゃん から 「ぼく」たち 「ぼく」たち家族に エールを 送ってもらったような気がした。 そんなこともあって ちょうど 4月始まりの スケジュール帳を 購入しました。。。 ブログの お仲間 あきさんが 使用されている 手帳で 春用 と言うのがあったので 2月中旬 県内の ロフトで 見つけ購入しました。ほんとは 既に 1月からの スケジュール帳を 100均で 買い 使っていましたがいまひとつ 使い勝手が すぐれず、、、でした。 この 「ほぼ日手帳」は こんな感じです。 ★ 毎日がおもしろく 楽しくなる ★ かけがえのない 「1日1日を大切にする」 ★ なんでも メモできる・・・一日1ページ。 3月から 助走で 一日半ページの 余白があります。 わたしは 貪欲に 2月から 使用しています。 スケジュールと言うより 「自分日記」です。 一日を 振りかえって「今日のわたしのありがとう」の出来事や思いを1つ書くように しています・・・・が 感謝なし の日も あるのでした・・・。 このブログももちろん 日記ですが この手帳は「瑣事」を書き込める「自分日記」かな。。。 ちょっと高価な 「スケジュール&日記帳」でしたが 一日になおすと 10円ポッキリです。。 (こんな考え方が 主婦根性だなーーー?? 本体 2000円 専用カバー1500円 ナイロンカバー150円 計3650円 来年度からは 本体のみの購入で です。 ) 一日10円で 毎日の出来事を 愛していけるんです!! 前の日記に 初登場した じろーくん が ゲージの小屋の中で固くなっていました。 最初で最後の 一枚の写真でした。。。。 たろーくん の 横に 掘って 眠りました・・・・。天国へね。 玄関の マラコイデス が 一段とたくさんの花を 咲かせてくれています。。。
2007.03.09
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新聞に 書いていた。「ホリエモ・・・ (LD)は、、、、」と。最近 あちこち 検索して 部分的に 頭でっかちになっているわたしは素直に へーーー あの方は そうだったのか LD だったのか、と。注)LDとは Learning Disabilities あるいは Learning Disorders の略語で、 日本では一般に学習障害と訳されています。 学習障害とは、基本的には、全般的な知的発達に遅れはないが、 聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力の習得と使用に 著しい困難を示す、様々な障害をさすものである。 気付いたのは 記事を読みすすめるうちに !!??ちがうわ。 LD って live door のことなんだわ(笑 と 納得。 これって わ・た・し だけ ?? PS. 常々 こどもたちからも 天然??呼ばわりされています。温座便器にすわり ほっとする ぬくもりに 秋を感じる わたしでした。
2006.09.15
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朝の連ドラ「きらり」で 今朝 笛子が言った。「何もかも運命だよ、誰のせいでもないよ」 って。うちの おとーさんは 「川遊びに 「ぼく」を連れて行って そのとき アクシデントがありぼくが 頭を打ったんや。 てんかんは わしのせいや!! 」と 検査でいろいろわかってきて、自分を責めて 泣いていたことがあった。わたしも 妊娠中の 不摂生が わるかった?? と 悩んだ。里の親からは 「あんたらの 不仲が 影響したーる。しつけが悪い。」と。どこかに はっきりとした 原因 が 欲しかった。その原因が わかれば その対応をすることで 「治る」 と 信じたかった。今朝の 笛子さんの 言葉を聞きながら またまた 泣けてきた。運命、、、。誰のせいでもない、、、。そうなんだろうか、 いまだに ゆれている わたしがいた。
2006.08.21
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なんしているんですか? ってあきれた感じで医者にいわれました。「ふつうなら こんな状態になるまで ほっておきませんよ。もう少し早くに 気付くと 思いますがねーーー」 ※ 決して「ぼく」のことで言われているわけではなかったが まるで「ぼく」のことを 言われているような気がしてしまった、、、。 これって被害妄想???症状:走れない。 階段の上り下りが ゆっくりしかできない。 顔がしかっめつらになる。原因:これこれがこうなった。そして 日増しに 腫れ上がる 右足の中指1週間たっても 良くならない。なんと レントゲン写真をとると 中指の骨に 斜めにひびがいっている!!さすがレントゲン写真を携帯で撮影するのは 遠慮した、、言い出せなかった「テーピングで 様子をみて まあ 6週間もすれば つくでしょう」そりゃ 医者へ行こうかと思ったけど何とか普段の生活は送れているし、そんなに不自由してないしまあ 時間がたてば そのうち なおるやろう。ガクッと 足をくじいたぐらいで たいした事はないわ、、、。と。でも1週間たっても 腫れが引かない走ると痛い、階段は両壁を手で押しながらしか上り下りできない。んーんー?? やっぱ おかしいなぁと言うことで 受診。 ひび!!よく言えば 辛抱強い悪く言えば 事の重大さがわからない、鈍感。「ぼく」が4,5歳の頃。ちょっと へんなところがあるなぁ、、、。でも そうたいしたことないか、まあこんなもんか、なんとか 保育園にも行ってるし、時期が来れば しっかりとできるようになるか、、、。 と見ていた。いやいや やっぱ ちがう。お遊戯会の出し物も やっているけど こなしているけど 顔が引きつっている!!楽しそうじゃない! 他の子みたいな 誇らしげな表情もない!結局小学校に入って 集団を こわがる「ぼく」がいた。なんか 今回の 「ひび」事件と似ている。「テーピング6週間!!」には びっくりしたが、、、遅かったけど 気付いて受診したから良かった。「ぼく」も まわりが「ぼく」のしんどさに気付くのが 遅れてしまったけどこれからの適切な環境・支援で 居心地よく 過ごせるようになるだろう。でも 今回医師から「普通じゃない」って言われたのが 妙におかしかった。「ぼく」のことで 私は 過去に 「普通」でいいから、、、 なんで普通の子と同じようにできひんの? 高望みはしない「普通」でいい、、、。 と自分の気持ちの中の「ふつう」とさんざん 戦ってきた、、、。それだけに 私のことを 「普通じゃない」といわれて ふーーん とおかしくなった。もう「ふつう」に対する 私のこだわりは 薄れてしまっていることに気付いた。
2006.08.05
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2年前の事 我が家の「ぼく」が小学1年のとき、公文へ姉について通いだした。今から思うと、机に座って学習するのは「ぼく」にとっては苦痛であったに違いない。結局私のひざに座り課題をやっていた。消しゴムをうまく使えず紙が破れる、字が消しきれない、、、「いいんですよ、それも練習です」と。私がついていないと、他の子の邪魔をする外にでる、、、、。公文の先生と定期の面接があった。「続けていただきたいですが、、、。お母さんが一緒についてくださるのなら」と。当時働いていた私には厳しい言葉だった。正直怒ってばかりの私は余裕もなかった。やめざるを得なかった。先生もいろいろと「ぼく」のことで公文関係に相談をしておられたようだった。パニック障害でしょうか?とも言われた。面接で「私たち大人がどのようにこの子と関われるか、試されているんですね。」と言われた。学校にもなじめず、特定の友達も作れず、身の回りの事もなかなか習慣化できずなんでや??と その矛先を外にばかり向けていた私は またまた泣いてしまいました。
2006.07.05
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