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諸君其相与講明遵守、而責之於身焉、則夫思慮云為之際、其所以戒謹而恐懽者、必有厳於彼者矣。諸君、それ相与(あいとも)に講明遵守して、これを身に責めなば、則ちかの思慮云為(うんい)の際、その戒謹(かいきん)して恐懽する所以のものは、必ず彼より厳なるものあらん。諸君、皆一緒にこのことを理解し、遵守し、身につくよう努力すれば、思考、発言、行動する際、何が戒めるべきことか、恐れなければならないことか、かの学則よりは厳しいものとなろう。其有不燃、而或出於此言之所棄、則彼所謂規者、必将取之、固不得而略也。諸君其亦念之哉。その然らざるありて、或いはこの言の棄つる所に出なば、則ちかの所謂規(のり)なるものは、必ず将にこれを取らんとして、固より得て略せざるなり。諸君それまたこれを念(おも)わんかな。そのようにならず、或いはこの言葉を棄てて守らないような態度にでれば、かの学則なるものを作らなければならなくなるし、それはもとより簡単なものではなくなる。諸君、このことをよくよく考えて欲しい。 白鹿洞書院掲示:はくろくどうしょいんけいじ一、父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり一、博くこれを学び、審かにこれを問い、謹んでこれを思い、明らかにこれを感じ、篤くこれ を行う。一、言は忠信、行いは篤敬、忿(いかり)を懲らし慾を窒ぎ、善に遷り過ちを改む。一、その義を正してその利を謀らず。その道を明かにしてその功を計らず。一、己の欲せざる所は人に施すなかれ。行いて得ざることあれば、諸(これ)を己に反り求 む。
May 21, 2010
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苟知其理之当然、而責其身以必然、則大規矩禁防之具、豈待他人設之、而後有所持循哉。近世於学有規、其待学者、為已浅矣。而其為法、又未必古人之意也。故今不復以施於此堂、而特取凡聖賢所以教人為学之大端、条列如右、而掲之楯間。苟(も)し其の理の当然なるを知って、其の身責むるに必然を以ってせば、則ちかの規矩禁防の具、豈に他人のこれを設くるを待ちて、而かる後持循(じじゅん)する所あらんや。近世、学に矩(のり)ありて、その学ぶ者を待つは、已(すで)に浅しと為す。而してその法たる、また未だ必ずしも古人の意ならざるなり。故に今復(また)以ってこの堂に施さず。而して特(ただ)に凡そ聖賢の人に学を為すを教うる所以の大端を取り、条(じょう)列すること右の如くにして、これを楯間(びけん)に掲ぐ。もし、その理(この掲示に書かれている教え)が当然であることを知って、努力するならば、他人が作ってくれた規則や禁令などの類を守ることに汲々とすることなどないのである。(努力せずとも自然に身についてくるということ?)近年、学校に規則を作り、学生に対しているが浅はかなことである。さらには、その学則たるや必ずしも先人の考えにそったものではない。故に、この白鹿洞ではそのようなものは作らず、ただ聖賢が人に学問を勧めた所以の大凡を採り、それを右のように箇条書きにして教堂入り口にかかげた。
May 20, 2010
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熹窃観古昔聖賢所以教人為学之意、莫非使之講明義理以修其身、然後推以及人。非徒欲其務記覧、為詞章、以釣声名、取利禄而己也。今人之為学者、則既反是矣。然聖賢所以教人之法、具存於経、有志之士、固当熟読深思而問弁之。熹 窃(ひそか)に古昔(いにしえ)の聖賢の人に学を為すを教うる所以の意を観るに、これをして義理を講明し以ってその身を修め、然る後に推して以って人に及ばさしむるに非ざるはなし。徒(ただ)にその記覧に務め、詞章を為(つく)りて、以って声名を釣り、利禄を取らんと欲するのみに非ざるなり。今の人の学を為すは、則ち既にこれに反せり。然るに聖賢の人に教うる所以の法は、具(つぶさ)に経に存す。有志の士、固より当に熟読深思してこれを問弁すべし。私(朱熹)がひそかに昔の聖賢が、人々に学問をするよう教えたゆえんをみると、学ぶことで、人の道を明らかにすることでわが身を修め、それを人にも及ぼしていくことに尽きる。ただ、物を知るだけに務め、文章を作ることで名声を得、利益を手にしようというのではない。今の人の学問の仕方は是に反している。然るに、聖賢が人に教えたゆえんは、つぶさに(儒学の)経典(大学)に書いてある。学問を志す者は、これを熟読、深思して、これを自分のものにしなければならない。
May 11, 2010
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言忠信、行篤敬、懲忿窒慾、遷善改過。右、修身之要。正其義、不謀其利、明其道、不計其功。右、処事之要。己所不欲、勿施於人。行有不得、反求諸己。右、接物之要。言は忠信、行いは篤敬、忿りを懲らし慾を窒ぎ、善に遷(うつ)り過ちを改む。右は修身の要なり。その義を正してその利を謀らず。その道を明らかにしてその功を計らず。右は事を処する要なり。己の欲せざるところは人に施すなかれ。行いて得ざることあれば、諸(これ)を己に反り求む。右は物に接するの要なり。○言は忠信=「論語」衛霊公篇の言葉 ○忿りを懲らして慾を窒ぐ=「易経」損卦(そんか)の言葉○善に遷(うつ)り過ちを改む=「易経」益卦(えきか)の言葉○その義を正してその利を謀らず=「漢書」董仲舒伝(とうちゅうじょでん)の言葉○己の欲せざるところは人に施すなかれ=「論語」顔淵篇の言葉○行いて得ざることあれば...=「孟子」離婁篇の言葉発言に真心があり、行いに慎みがり、怒らず、むさぼらず、善に変り、過ちは改める。これが修身の要である。道義を中心に、利益は考えない。道を明らかに定めて成功不成功(結果)は考えない。これが事を処するの要である。自分が嫌がることは人にもしない。(人に接して)うまくいかないときは自分が反省する。これが人に接する要である。
May 5, 2010
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博学之、審問之、謹思之、明弁之、篤行之。右、為学之序、学問思弁四者、所以窮理也。若夫篤行之事、則自修身以至于処事接物、亦各有要、其別如左。博く之を学び、審(つまびら)かに之を問い、謹んで之を思い、明かに之を弁じ、篤く之を行う。右は学を為すの序にて、学、問、思、弁の四者は、理を窮むる所以なり。かの篤く行う事の若(ごと)きは、則ち身を修むる自(よ)り、以て事に処し物に接するに至るまで、また各(おのおの)要あり。その別左の如し。○博く之を学び以下については中庸20章にある文章広く先人の事績を学び、解らないことは先達に問い尋ね、理解し、自得するためには思索し、其の善悪を明らかに弁別しなければならない。善だと感得したことは篤い心で之を実行しなければいけない。以上が学問を為す際の順序である。学ぶ、問う、思索する、弁別(見分ける)する、この四つは道理を窮める拠り所である。篤い心で実行するということは、自分1個の修身から事を処し、人に接することまでを含み、そのおのおのがまた要となる。その別は次のようである。ここで言う、博く之を学びの「之は」は五教(五倫)をさしている。父子有親(孝行)、君臣友義(忠誠)、夫婦有別(男女の役割)、長幼有序(上下の秩序) 朋友有信(信義)
May 2, 2010
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先ずは「白鹿洞書院掲示」とは何?守屋洋著修己治人の学「大学を読む」からの抜粋で紹介する。「白鹿洞書院掲示」は宋代の学校。江西省星子県の北、廬山五老峰の麓にあって、今にその面影を伝えている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「白鹿洞」の名称は唐代の李渤という人物がこの地に隠棲して書に親しみ、つねに白い鹿を友として過ごしたことに由来するもの。北宋の時代に学校が建てられて地域の教育機関として機能していたが、南宋の時代に入ると、すっかり荒廃してしまった。1179年、南康軍知事として赴任した朱子は、書院を再興して教育の振興をはかった。そのさい生徒心得として示されたのが、この「掲示」である。江戸時代、幕府は昌平坂に学問所(昌平黌)をつくり、各藩もそれにならってそれぞれの自前の藩校をつくって子弟の教育あたったが、基本教科は例外なく儒学で、殆どが朱子学であった。そして多くの藩校には生徒心得として、この「白鹿洞書院掲示」が掲げられていたという。つまり、かつて日本人の人づくりの指針とされたのがこの「掲示」であったと言っても過言ではない。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。右、五教之目、尭舜使契為司徒、敬敷五教、即是也。学者、学此而身已、而其所以之之序、亦有五焉、其別如左。父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり。右は五教之目にて、尭舜、契(せつ)をして司徒たらしめ、敬(つつし)んで五教を敷かしむるは、即ち是れなり。学ぶ者は此れを学ばんのみ。而して其の之を学ぶ所以の序もまた五有り。その別、左の如し。○五教=五倫とも言い儒教で謂う5つの徳目○契(せつ)=尭舜に仕えて教育を担当した人物○司徒=教育を担当した官職名。父子は親しみにより結ばれ、君臣は正義により結ばれている。夫婦にはそれぞれに役割分担があり、長幼にはおのずから順序があり、朋友は信頼に基づく。以上は、儒学で重視し教える五つの綱目である。尭舜が契を教育担当の司徒に任命し熱心に五教に当たらせたのが、即ちこれである。学問を志す者は、先ずこの五教を学ばなければならない。そうして、学ぶ順序もおのずからまた5つある。それは、以下のとおりである。
May 1, 2010
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孟獻子曰、畜馬乘、不察於?豚。伐冰之家、不畜牛羊。百乘之家、不畜聚斂之臣。與其有聚斂之臣、寧有盜臣。此謂國不以利爲利、以義爲利也。 孟献子(もうけんし)曰く、馬乗(ばじょう)を畜(か)うものは、鶏豚(けいとん)を察せず。伐氷(ばっぴょう)の家は、牛羊を畜(か)わず。百乗(ひゃくじょう)の家は、聚斂(しゅうれん)の臣を畜(か)わず。その聚斂(しゅうれん)の臣あらんよりは、むしろ盗臣(とうしん)あれと。これを国、利をもって利と為さずして、義をもって利と為すと謂う。 [字義]孟献子(もうけんし)=春秋時代の魯国の重臣馬乗(ばじょう)畜う=馬4頭を飼うほどの金持ちのおえらいさん。鶏豚(けいとん)を察せず=鶏や豚を飼おうなどとはしない。伐氷の家=夏の祭祀に氷室の氷を下賜される家、家老職相当の家。百乗の家=百里四方の領地を持ち戦時には百台の戦車を出す家。聚斂の臣=厳しく税金を取り立てる臣。魯国の賢人、孟献子は言っている。4頭立ての馬車に乗れるほどの家では、鶏や豚を飼って庶民と小利を争そうことなどしない。夏の祭祀に氷室の氷が下賜されるほどの家ともなれば、牛や羊を飼ったりはしない。戦時に百台の戦車を出せるほどの家では、重税を取り立てるための家臣を養ったりはしない。そのような家臣よりは、むしろ主家の財物を盗む家臣の方がましである。これは、道義を守ることに国家存続繁栄の利益があるということを言っているのである。長國家而務財用者、必自小人矣。彼為善之。小人之使爲國家、?害並至。雖有善者、亦無如之何矣。此謂國不以利爲利、以義爲利也。国家に長として財用を務むる者は、必ず小人に自(よ)りす。(彼これを善しとなす。) 小人をして国家を為(おさ)めしむれば、?害(さいがい)並び至る。 善者ありといえども、またこれを如何ともするなし。 これを国、利をもって利となさずして、義をもって利と為すと謂う。国家の長として財貨の蓄積に腐心する者は、必ずつまらない小人を重用する。長はこの小人を有能な人材と考えているが、小人に国政を任せれば天災や人災が頻発する。その後に善人を登用しても、既に晩しで如何ともし難いのである。これを、国家は、君主の私利を利と為さず、万民の公義をもって利と為す、と言うのである。 右傳之十章。釋治國平天下。凡傳十章。前四章統論綱領指趣。後六章細論條目工夫。其第五章乃明善之要、第六章乃誠身之本。在初學尤爲當務之急。讀者不可以其近而忽之也。 右(みぎ)は伝の十章、国を治め天下を平らかにすることを釈(しゃく)す。 凡そ伝十章。前の四章は綱領(こうりょう)の指趣(ししゅ)を統論(とうろん)す。後の六章は条目(じょうもく)の工夫(くふう)を細論(さいろん)す。 その第五章は乃(すなわ)ち善を明らかにするの要(よう)。第六章は乃(すなわ)ち身を誠(まこと)にするの本(もと)。初学(しょがく)に在りてはもっとも当(まさ)に務むべきの急(きゅう)と為す。読者その近きをもってこれを忽(ゆるが)せにす可からざるなり。 以上、伝の十章は、「国を治め天下を平らかにする」について解説したものである。およそ伝十章の前半四章では、三綱領(明明徳、新民、止至善)の主旨を統べて述べている。後半の六章では八条目(格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下)工夫について細かく論じている。その中でも第五章は、すなわち致知格物の解釈であり、善を明らかにする要点を述べている。次の第六章は、すなわち誠意の解釈で、わが身を誠にする根本を説いている。この2章は、初学者にあっては、まさに学ぶに最も急を要する重要なところである。この大学の読者は、内容が身近なことだからといって、おろそか(粗略)にしてはいけない。
Apr 29, 2010
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生財有大道。生之者衆、食之者寡、為之者疾、用之者舒。則財恒足矣。 財を生ずるに大道あり。これを生ずる者衆(おお)くして、これを食(くら)う者寡(すく)なく、これを為す者疾(と)くして、これを用うる者舒(ゆる)やかなれば、則ち財恒(つね)に足る。天下を治め財政を豊かにするには大道がある。働き手が多く、ただ消費するだけの者が少ない、生産活動は迅速に、消費活動を緩やかにすれば、生産物は常に足りる。 仁者以財發身、不仁者以身發財。未有上好仁、而下不好義者也。未有好義、其事不終者也。未有府庫財非其財者也。 仁者は財をもって身を発し、不仁者は身をもって財を発す。 未だ上(かみ)仁を好みて、下(しも)義を好まざる者非ざるなり。 未だ義を好みて、その事(こと)終らざる者非ざるなり。未だ府庫(ふこ)の財その財に非ざる者非ざるなり。仁徳のある君主(為政者)は、財があれば人のためにこれをつかい人々の支持を得る。仁徳のない君主は、身を滅ぼすことになっても財を蓄えようとする。未だ為政者が好んで仁政を行っているのに、臣民が道義を大切にしないということはない。未だ臣民が道義を好んで行っているのに、国の生産活動が成就しないということはない。このようにして国庫に蓄えられた財が人手に渡るなどということは未だないのである。
Apr 26, 2010
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見賢而不能舉、舉而不能先、命也。 賢を見て挙ぐること能わず、挙げて先んずること能わざるは、命(おこた)るなり。すぐれた人物がいるのに、これを登用することができず、登用したとしても普通の人物より重用することができない、というのは上にたつ者として怠慢である。 見不善而不能退、退而不能遠、過也。 不善を見て退くこと能わず、退けて遠ざくること能わざるは、過ちなり。善からぬ人間がいても退けることができない、退けても遠ざけることができない、というのは、上に立つ者として過ちである。好人之所惡、惡人之所好、是謂拂人之性。?必逮夫身。 人の悪(にく)む所を好み、人の好む所を悪む、これを人の性に払(もと)ると謂う。?(わざわ)い必ずその身に逮(およ)ぶ。万人が悪とすることを好み、万人が良とすることを憎む、これを人の本性にもとるという。そのような人間には、必ず災いがその身におよぶ。是故君子有大道。必忠信以得之、驕泰以失之。 この故に君子大道あり。必ず忠信もってこれを得(え)、驕泰(きょうたい)もってこれを失う。このように、人の上に立つ君子(為政者)には依るべき大道(基準)がある。己を尽くし、偽らなければ支持を得、驕り高ぶり独善であれば支持を失う。
Apr 21, 2010
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秦誓曰、若有一个臣、斷斷兮無他技、其心休休焉、其如有容焉。人之有技、若己有之、人之彦聖、其心好之。不啻若自其口出、寔能容之。以能保我子孫黎民。尚亦有利哉。人之有技*疾以悪之、人之彦聖、而違之俾不通。寔不能容。以不能保我子孫黎民。亦曰殆哉。 唯仁人放流之*諸四夷、不與同中國。 此謂唯仁人為能愛人能悪人。 秦誓(しんせい)に曰く、若し一个(いっか)の臣あり、断断兮として他技なく、その心 休休焉(きゅうきゅうえん)として、それ容るることあるがごとし。秦誓=書経、周書の最後の篇で、戦いに失敗した秦の君主が群臣の前での反省の言葉。断断兮=誠実なこと。兮は単なる助字。 休休焉=寛容で包容力があること。焉は助字人の技(ぎ)ある、己これあるがごとく、人の彦聖(げんせい)なる、その心これを好(よ)みす。彦聖=傑出して聡明なこと。 啻(ただ)にその口より出づるがごとくなるのみならず、寔(まこと)に能くこれを容る。もって能くわが子孫黎民(れいみん)を保つ。尚(こいねが)わくは亦利あらん哉(かな)。 人の技(ぎ)ある*疾(ぼうしつ)してもってこれを悪(にく)み、人の彦聖(げんせい)なる、これに違(たが)いて通(つう)ぜざら俾(し)む。 *疾(ぼうしつ)=ねたみ憎むこと。寔(まこと)に容(い)るる能わず。もってわが子孫黎民を保つ能わず。亦曰く殆(あやう)いかな。 唯仁人(じんじん)これを放流し、諸(これ)を四夷に迸(しりぞ)け、与に中国を同じくせず。わが子孫=王家の子孫。黎民=人民 これを唯仁人のみよく人を愛しよく人を悪むことを為すと謂う。 書経 周書の秦誓篇には次のようにある。(王様の反省の語)仮に一人の臣下がいたとする。この臣下は真面目一筋の他に何の特技もないが、その心は寛容で度量が大きく人をよく受け入れる。特技のある人がいれば自分にそれがあるかのように喜び、聡明な人がいれば心から好きになる。ただ、口で褒めるだけでなく、本当にその人を受け入れ、要職に登用する。このような人物がいれば、我が子孫、国民もやすんじることができる。願わくばそのような人材が欲しいものである。そうあれば国家もまた利益を受けるであろう。反対に、人に優れた技があればこれを妬んで憎悪し、聡明な人物がいれば画策して登用の道を塞ぐ。まことにもって度量が狭く人を容れない。このような人物がいれば、我が子孫、国民もやすんじることはできない。国家もまたあやうい。ただ、仁者だけがかかる人物を国外へ追放し、善良な民とともには住めなくすることができる。「仁者のみが本当に人を愛することができ、本当に人を憎むことができる」とは、このことを言っているのである。[愚利公的感懐]トップリーダーのあるべき姿のひとつに有能な補佐役を選ぶ能力がある。スーパーサブも重要だが、組織の潤滑油となれる人材(仁者)がより重要ですよ、ということ。治国平天下への道筋の一つとしての例示。
Apr 20, 2010
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康誥曰、惟命不于常。道善則得之、不善則失之矣。 楚書曰、楚國無以爲寶、惟善以爲寶。舅犯曰、亡人無以爲寶、仁親以爲寶。 康誥(こうこう)に曰く、惟れ命(めい)常に于(おい)てせずと。善なれば則ち之を得、不善なれば則ちこれを失うを道(い)う。 楚書(そしょ)に曰く、楚国はもって宝と為す無し。惟(ただ)善もって宝と為すと。 舅犯(きゅうはん)曰く、亡人(ぼうじん)もって宝と為す無し。親(しん)を仁するもって宝と為すと。書経の康誥篇には「(帝位に就けるという)天命は不変のものではない」とある。(徳を積んで)善であれば(民心を得て)天命を受け、不善であれば天命を失うと言っている。楚書には「楚国では珠玉などを宝とは言わない、ただ善人をもって宝としている」とある。(晋の文公の舅)子犯も亡命先で(娘婿か妹婿?の)文公に、「亡命している身には宝とするものは何もない。仁徳のある近親者こそが宝だ」と教えている。(ここの故事は、亡命中に父の死にあった文公に、喪に服していると見せて攻撃し故地を回復する策を勧めた亡命先の秦王に対する答え方を舅犯が年若い文公に教えた?父の死を好機とするのは仁に反すというわけ)
Mar 31, 2010
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