あいだみつお



このあいだみつおさんは、
幼稚園のときのシスター石黒が、
「聖書の会」の時教えてくださった。
心に染み入る言葉ばかりです。
今までに人生の中で
一番大変な時期に
厳しく、優しくいろんなことを
教えてくださいました。


”にんげんだもの”

つまづいたおかげで
つまづいたり ころんだり したおかげで
物事を深く考えるようになりました。


過ちや失敗をくりかえしたおかげで
少しづつだが


人のやることを 暖かい眼で
見られるようになりました


何回も追いつめられたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました


だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました

そして・・・・・・・
身近な人の死に逢うたびに
ひとのいのちのはかなさと
いま ここに
生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました


人の命のい尊さを
骨身にしみて 味わったおかげで
ひとのいのちを 本当に大切にする
本物の人間に裸で逢う事ができました

一人の本物の人間に
めぐり逢えたおかげで


それが縁となり
次々に たくさんのよい人たちに
めぐり逢うことができました

だからわたしの まわりにいる人たちは
みんな よい人ばかりです



”いまが大事”


宮沢賢治の詩にもある
「雨にも負けず 風にも負けず」
というのは、
こんな顔の人をいうのだろうか?

この顔は
悲しみに耐えた顔である
苦しみに耐えた顔である

人の世の様々な批判に
じっと堪えた顔である
そして
ひとことも弁解をしない顔である
何にも言い訳をしない顔である

そしてまた
どんなに苦しくても
どんなにつらくても
決して弱音を吐かない顔である
絶対に愚痴を言わない顔である

そのかわり
やらねばならなにことは
ただ黙ってやってゆく、という
固い意志の顔である
一番大事なものに
一番大事ないのちをかけてゆく
そういうキゼンとした顔である

この眼の深さを見るがいい
深い眼の底にある
更に深い憂いをみるがいい
弁解やいいわけばかりしている人間には、
この深い憂いはできない

息子よ
こんな顔で生きて欲しい
娘よ
こんな顔の若者と
めぐり逢って欲しい


"のに”



あんなに世話をしてやったのに
ろくなあいさつもない

あんなに親切にしてあげたのに
あんなに一生懸命つくしたのに
のに・・のに・・のに

<のに>がでたときはぐち
こっちに<のに>がつくと
向こうは
「恩着せやがって・・・・」
と思う

庭の水仙が咲き始めました  
水仙は人に見せようと思って
咲くわけじゃないんだなぁ
ただ咲くだけ
ただひたすら・・・・・・

人が見ようが見まいが
そんなことおかまいなし
ただ いのちいっぱいに
自分の花を咲かすだけ
自分の花を

花はただ咲くんです
それをとやかく言うのは人間
ただ・・ただ・・・ただ・・・・
それで全部
それでおしまい 
それっきり

人間のようになんて愚痴は
ひとつもいわない

だから 純粋で
美しいんです。




"いのちの根”


なみだをこらえて
かなしみにたえるとき


ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき

いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき

いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき

あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる




© Rakuten Group, Inc.

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: