多重債務者の交差点

多重債務者の交差点

(15)H.saの場合


社会人として初めてのお給料10万円はなにかと夢を描くことにたのしい年頃でした。
しかし、せっかく入社した◯も家族の事情で同年12月で退社、
1年も勤務しないまま翌55年1月、薩摩郡入来町の◯製造で勤務するようになりました。
そのときの給料も10万円でした。

やがて現在の夫◯と社内で知り合い、
3つ違いの恋はいつしか深みにはまり恋は盲目を地でいくようになりました。
57年、私は◯に内緒ではじめて消費者金融(R)のカウンターにすわりました。
それはUを失うことの怖さに50万円を借入したのです。
その甲斐もあって58年4月、◯と結婚、
翌59年11月に長男を出産、これが夢みた家族というものかとうれしく涙する日もありました。
だが、この機を境に◯の倦怠感がパチンコ狂いに走らせたのです。
パチンコは一種のバクチですから勝ひ日もあれば負ける日もあります。
たいがい負けてかえってきます。
パチンコ屋さんも商売ですからそうそう勝たすわけはありません。
なぜそれに気づかないのか◯は私の言葉に耳もかさず、
昼夜、家をルスに、子供の面倒も二の次になったのです。
子供は子供で親である◯の存在感を薄めたのは自然のなりゆきでした。
こうしたなかで平成2年から5年迄フィリピンに◯の仕事で一緒しました。
この間、消費者金融の支払いは通帳とカードを実妹に渡し離日本したのです。
平成5年1月に帰国したのですが家計のほうは今一つ。
◯の愚痴は聞きたくないと同年3月加治木町の洋裁屋◯にパート勤務しました。
このころ自分でもわからない情緒不安定が不貞という結果を招いたのです。
しかも6ヶ月続いた秘事はバレるべくして◯に知れたのです。
ここはそもそも別れ道だったんでしょう。
これから先うまくいくはずもない夫婦関係を互いに仮面をかぶって生きるほど2人に演技力はなく、些細なことで油に水を注ぐように修羅を迎えたのです。
もちろん私が悪いのは百も承知ですが、こうなったのも◯に責任がないとはいわせません。
◯のイライラはエスカレート、パチンコは賭博ゲームに代りたちまち家計は底をつきました。
やがて毎日の食事にもこと欠くようになりました。
ゲームで負けた金はゲームでとりもどすという理屈を押し通すU。
一度はなれた夫婦の絆はなかなか元ににはもどりません。
そして負けた怒りは子供の目の前での暴力にかわりました。
母子してふるえる日々が消えることはありませんでした。
なんど離婚しようと考えたことか。
それができなかったのは母として妻としての償いと考えたからです。

こうした流れで消費者金融(R)完済から平成5年10月、
(Ns50万円)
(Pr50万円)
(La50万円)
(Ta50万円)
(De50万円)
(Le30万円)
と平成15年夏まで借り続け、加治木町の◯屋(月収11万円)に入社しても焼石に水。
さらに同年9月。実妹保証人で(Ni250万円)借入。
(Ni)の250万円は(Pr50万円)をのこし他社借金の一括返済にあてるためでした。
もちろんここまでの金銭使途は生活費がほとんどですが、この年の9月◯が腹膜炎で◯病院に1ヶ月入院してしまい、ふたたび金策に走らなければならなくなったのです。
退院後、不景気は◯にも響き月15日休みという勤務になったのです。
これをおもしろく思わない◯はまた賭博ゲームに走り出したのです。
いくら夫婦で40万円稼いでもどうにもならず「お金がたらない」といえば
「おまえがなんとかしろ」と怒鳴られるばかりで。
結局、私の借金地獄は新たな幕を開けたのです。
平成15年になりブラックリストに載ったであろう私の名前をしり、
日に何十通もの(030)や(0120)金融の葉書がくるようになりました。
彼らは上手に喋り半強制的に貸しつけたのです。
その催促はとてつもない脅迫と恐怖は言葉ではいい表せません。
いくつか借りたヤミ金融を精算すべき金策はすでに底をつき、
同年12月27日、◯の実父不幸により遺産100万円いただくもあっという間に消え、
もはや生活の圧迫度はぎりぎり、すべて夢は霧散したのです。
私のここまでの自転車操業は◯はしりません。
「お前がなんとかしろ」の一言でなんとかしてるのであって、
ああいえばこう殴られるの状況で「今いくら借金がある」とは怖くていえなかったのです。

やがて平成15年3月消費者金融(Re30万円)4月に(Ae50万円)を最後に自ら墓穴をほったこの借金地獄にたちなおるきっかけは完全に失ったのです。
まして今頃◯に相談でもしようものなら、また包丁で刺される危険もあります。
どうせなら死んだほうがいいのでしょうが、
2人の子供を引き取り一から人生で直しするには離婚と自己破産しかなく、
今回の申立となったのです。
これだけの借金の過程で、
一度たりともUが保証にたたなかったことが我々夫婦の絆を裏づけています。
もうここまでです。
どこか静かな場所に部屋を借り、
信頼されてる職場を裏切らず真面目に勤めていきたいと考えております。
なにとぞ一から出直しのチャンスを私に与えてください。
おねがいします。
 追記。
5/17、金融問題で暴力をふるわれ、この自己破産申立後、離婚届を出すつもりです。
住所変更は確定(住民移動後)次第、追加資料として提出します。
                     平成15年5月19日

(その後H.saは離婚せず元サヤにもどった様子。
それもなにかとたいへんだろうがヒトそれぞれの人生「がんばって」としかいえない)

  (15) H.saの場合 終わり


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