ハイネの森

ハイネの森

PR

Calendar

2021.07.31
XML
​​ 心あてに 折らばや折らむ 初霜の
       おきまどはせる 白菊の花
                凡河内躬恒


百人一首29番。
9世紀末から10世紀初頭に生きた平安時代前期の歌人・ 凡河内躬恒(おおこうちのみつね) の歌。

凡河内躬恒 は三十六歌仙の一人に数えられる名高い宮廷歌人。
役人としては、甲斐、和泉、淡路などの地方務めをしたそうだ。


ということで、 和泉国の国府跡 を〈ゆかりの地〉とした。


JR阪和線〈和泉府中駅〉から東へ徒歩12分程のところにある御館山公園に、
『和泉国府跡』 の碑がある。



公園内にあった石碑によると、

この地に行政府が置かれたのは奈良時代初期の716年。
757年には正式に国司が配置され、国の名が「和泉国」となった。


とある。


御館山公園すぐ横には、白河上皇や後鳥羽上皇が熊野詣りで通った 小栗街道(熊野街道) がある。


小栗街道歩きで、このあたりは2009年に歩いた。 (その時の街道記)

当時の大幹線道路だった小栗街道に沿って国府があったということで、上皇や法皇がここを通られる時は、歴代の和泉守は「えらいこっちゃ~」と大騒ぎしながらお出迎えをしていたことだろう。

小栗街道の向こうに泉井上神社の鳥居が見える。


こちらのお宮さんが、「和泉国」の名前の由来になった “泉が湧き出た” という伝承がある場所。

小栗街道沿いの鳥居ではなく、和泉府中駅前に出る道路沿いにあるこちらの鳥居が正面のようだ。


一夜にして甘露な味の清水が湧いたのは仲哀天皇9年、神功皇后が行啓なされた時と伝えられている。

その伝承が本当かどうかは別にして、大昔に泉が湧いたことはあったのかもしれない。
地名って、その地の歴史を表すものだものね。

泉井上神社の本殿は国指定重要文化財に指定されている。


現在の本殿は、1605年(慶長10年)に、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したと伝えられるもの。

泉州をうろうろしていると、片桐且元って忙しかったんだろうなぁ~と思ってしまう。
土木・建築工事の差配に大忙しだった人物みたいね。



国府跡の碑がある公園には、 赤染衛門 の歌も記されていた。


人よりも わきて嬉しき いづみかな
       雪げの水の まさるなるべし





和泉国府跡 (御館山公園)
大阪府和泉市府中町4丁目6−16

​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.07.31 09:36:56
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: