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只今2℃の上海昨夜からカミさんの娘の 大学の同級生が2人家に泊りにきてて 賑やか中国の女子大生も なかなか綺麗ですえ礼儀正しいし、そして おいらも30年ほど前濃密な時間を過ごした京都での 学生生活残念ながら終わりは、きてしまうわけで思い出の詰まった下宿の部屋も 引き払い岐阜の 実家に戻りそこから 岐阜市にある会社に通勤するという社会人生活が 始まったわけです親父たちはというと その頃は札幌から高松にまた 転勤となり高松も 何度か訪れました親父たちが住むことになった社宅の隣がなんと女子大の寮でどんな出会いが・・・と 妄想列車を何度発車したことか・・・ところが 見事なまでに 女子大生とは遭遇することもなく偶然の 出会いを装おうと家の周りを2、3周とか しても なしで落胆をしていたもんです高松に 滞在中は親父の車を借りとにかく よく 海に行ったかなあ・・・あと 思い出す出来事はライオン通りの 眼鏡屋で奮発してレイバンのティアドロップの グラサン買って当時、結構 髪も長めで ボリュームもあり今と違いオールバックでなく、髪を下ろしてたのでこの レイバンのグラサンかけるとなかなかに浜省さんに 似てたんですで、ある日一人で その グラサンかけて琴平さん詣でに 琴平電鉄に乗り出掛けたその時電車の迎えに 座った若い カップルがおいらを 何度も チラ見してヒソヒソ話を・・・ 「だから 声かけてみようよ」「ちがうって・・」「絶対 そうだって・・」「こんなとこで 電車に乗ってるわけないって・・」ははーーんと ピンときた おいらおいらを 浜省さんと勘違いしてんねんなあ・・とで、その カップルとうとう意を決してツカツカとおいらの前に来て・・・と 思ったら少し ずれおいらの 隣の人に「○○大の K先輩ですよね・・」 とあの時のこの なんとも いえない感じ わかってもらえますかねえナルシストな自分への自己嫌悪あれ以来ティアドロップの グラサンはやめましたグラサン抜きグラサ抜きグラ讃岐万歳 万歳で、ポチっと
2015.01.31
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只今 2℃の上海日本も 今日は雪の所が多いとか・・・思い出シリーズもあちこち 巡っていますが今日は・・・京都高校を出て最初の春 おそらく3月の終わりの頃でしょうか・・・「今日はぬくいなあ・・・」と京都弁で 喋る下宿の 管理人さんの小学生の娘さんとの会話が初めて 直に聞いた 京都弁だったと思う大きなバックを抱え 初めて下宿を訪れた時のことです子供も 京都弁なんやとあたりまえのことに 驚き・・・そうして京都での学生生活がスタートしたのでした古い古い 木造下宿トイレ 炊事場は共同で 風呂はなく銭湯寝ていて 腕が かゆく目を覚ますと腕に ねずみがなんて 幾度か左隣の部屋の 狐目の学生はいつも 同じような狐目の 女性を部屋に連れ込むも右隣の 土木作業員の男の部屋からは本の頁をめくる音や 屁の音まで漏れ聞こえてくるのに対し狐目のカップルの部屋からは話声はおろか、物音ひとつしてこない今思えば、やつらは異星人か 工作員だったに違いないとその下宿から いつも通っていた銭湯そこで 何度か一緒になったのがテレビとか映画で当時悪役で、まあまあ出られていた○○さん役者さんも 銭湯に来るんやと 最初は驚いたもんですいつも腕を組み 目を閉じ 湯船につかられていてすんごい 貫禄ハイ湯船の中の ものも・・・すんごい 貫禄オオサンショウウオのようにただよっていましたまだ この頃は1回生で軽音に 入り立て知り合いも 友達もさほど いなくいわゆる 学生生活の序章で、この後 どっぷり軽音にはまり下宿も 伝説の下宿といわれた ホワイトハウスに変わり、実に濃密な京都生活へと 突入それこそブログには 書ききれぬほどの思い出はあるとはいえ不思議とこの 暮らし始めたばかりの 序章の頃の京都 嵯峨の 下宿時代の わりと一人で 過ごした時間の多かった頃も 懐かしくいろいろ 思い出すことも多いのです夏は暑く 冬は寒かったけどまた 暮らしてみたいと 思う街 京都こう なんというんでしょうか胸の中の深いところをギュルギュル ちゅうかジュバジュバ ジュパアーーッと いうかまさぐられるえ? いや京都だけに擬音で 表してみましたが 祇園でねなるほどねのポチを
2015.01.30
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今朝は3℃の雨の上海昨夜も接待で午前様よー呑んださて思い出シリーズ今日は 札幌札幌はおいらが 高校生の頃親父の転勤が札幌に決まりおいらはついていかず 岐阜でおばさんの家に居候させてもらい高校に通いとは昨日の ブログにも書きましたがで、そうはいってもせっかく 北の大地北海道に 家があるんだからと夏休みとか 冬休みに上野から 夜行列車青函連絡船と乗り継ぎ、函館からまた 特急でと何度か 一人旅をしました高校を卒業し京都での大学生の時にレンタカーでバイトしててまあ 時効なんで 書きますが内緒で通勤に使ってた レンタカーで当時つきあってた彼女を乗せて峠道で ガードレールに 突っ込んで保険にも入っていようはずもなく実費で直さねばならなくなり当時の お金で 15万円その 修理代を稼ぐために夏休み 1か月当時 親父たちが住んでた札幌の家に行くことにし札幌でバイトをしようとそうすればとりあえず 食費とか 銭湯代はかからないから バイト代はまるごと 修理代にまわせれるなとあさはかな考えそして そんな札幌で探したバイトがお蕎麦屋さんでの バイトだったんですこの お蕎麦屋さんの女店主が桃井かおりさんが、あくびを途中で止めたような感じの人で多くは語らないと自分で言いながらあたし むかし すすきので夜の仕事しててさあ・・といろいろ教えてくれてで、何度かパンチパーマの 怖いお兄さんがたずねて来てそのたびに 桃井かおりが厨房に隠れて「ねーーいないといって」とで、 「いないんですが・・・」 という 役が おいらあの時は 怖かったですなあそんなこんなで、 なぜか札幌 似たような思い出が多くそのお蕎麦屋さんでのバイトでのおいらの メインの仕事は出前を届ける 仕事であるとき当時のマンションアパートでなく 高そうな高級マンションそこの ある一室その時 おいらは初めてだったけど桃井かおり曰くは常連さんらしく「いつも高いの頼んでくれる常連さんだから遅れないようにね」 とで、出前の 天ざる ふたつを入れたおかもちを 持ちピンポーンと ベルを鳴らすと「はーーい」 とか 色っぽい 声がして玄関を開けると いかにも ヤ○ザが 履くような白や黒のエナメルの靴が並んでて脇にはゴルフバックが2つとかあり「いくらだっけーーー」 とかでてきたのが風吹ジュンさんが くしゃみを途中で止めたような 女性でまた そのいでたちがうすい ブルーのネグリジェというかなんか ベビードールというかヒラヒラ スケスケ みたいなんでもう 脇んとことか 細い 細い水色のおパンティが うっすら透けてて「あんらーー御苦労さま・・・」とか色っぽい声で部屋の奥からは「おーー やっときたんかおそいやないかーーー」 とドスの聞いた声がそれからというもの出前先が その部屋だとわかると恐いけど 見たい見たいけど 怖い あの 微妙な感じ学生には刺激が強すぎましたそんなこんなでおいらの中では 勝手に札幌は 怖い街で エロい街という思いが刷り込まれていて札幌と聞くと思わず ポロっと・・・でるかーーー のポチを
2015.01.29
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只今3℃の上海雪も降るなんて 予報もあれどとりあえず降ってませんが昨日から 風も強く さぶおますさて 思い出シリーズ 名古屋で中学1年生まで過ごし次に引っ越したのは 岐阜県木曽川に面した郡部の田舎町中学2年生になる春に名古屋から転校し親父がそこに根付こうとこの街に 家を構えたのでおいらにとってはいわゆる 実家となったわけです親父は若い頃牛の獣医をしていて当時 この町は酪農家が 何軒かありその関係で町の長老たちと知り合い可愛がられ、多兄弟の末っ子の親父がこの町を根付く町と 選んだと 知ったのは随分 後になってからのことです名古屋から 転校してきた時はまさに 思春期真っ盛り教室で 先生に紹介を受け席に着き最初の 休み時間におじい と皆に呼ばれている 小柄な奴が やってきていきなりペッと 唾を おいらの顔に かけるという強烈な歓迎を受けたことからこの街での 生活が スタートしたのですがそんなこと書くとイジメ? それが 全然でいわゆる その行為はもっと 幼い、じゃれあいの感覚でおじいとも 同じ野球部で すぐ仲良くなったし転校してくる前の 名古屋では10クラス以上で 1クラスが43人とかいたのにここは 2クラスで 1クラス29人瞬く間に 同級生に 溶け込みなにより みんな 朴訥としていて呼び方も ひさべえ、 はやべえ、 まさべえ、 の べえかみのさ、 とくさ、 なーさ、 の さとか江戸時代か と突っ込みたくなる そんな のどかさがおいらには 水があったのです特に おいらたちの学年は他の学年に比べ男子も女子も隔てなく仲がよくそれは今も 変わらず上海にも上海同窓会だーーと50歳になる時に 13人もの同級生が来てくれたり岐阜でのLIVEの時にも何人か 駆け付けてくれます高校2年からは親父に 札幌転勤の辞令がおりおいらは隣町の おばさんの家の離れでおばさんと おばさんの孫3人と 実家から連れてきたネコと 一つ屋根の下で暮らし高校に通ったのですが思い出というと山ほどあるんですが、リアルに覚えてるのが中学 高校と ずっと坊主頭であるときどうしても どうしてもエロ本が 欲しくて本屋さんといえば 駅前通りの M書店だったんすが お客さんも多いし目だつからと旧街道にあるいつも おばあさんが店番している小さな書店にめぼしをつけあそこなら ばれねーーべと当時1軒だけあったスーパー で 500円の1番薄い紫色の サングラス買い野球帽だと 子供っぽいだろうとベージュの無地の帽子も買い親父の地味なジャンバーを着てエロ本も欲しかった すんごい表紙の、いかにものやつだと まずいかなと水着の女性の表紙の割と地味めなやつと外人さんの表紙のやつ2冊で 我慢をし自然に 自然に普通に 普通に と呪文をとなえながらレジに エロ本を出した時レジにいるおばあさんがずりおちた老眼鏡の フレームの上から 裸眼を寺内貫太郎一家の時の樹木 希林さんみたくギロッと光らせ「兄ちゃん 高校生やろ・・」あの 声色まではっきり 耳に残っているおいら 思わず「いや・・ 義父に頼まれ・・」そんな岐阜での 思い出ですなんて 言うわけあるかーーーっの ポチを
2015.01.28
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只今7℃の上海暗い曇りの朝週間予報は雨予報の割に雨は降らず ずっと曇ってます昨夜は日本からのお客さん3人の 昇進祝いを兼ねた接待その後 按摩店で午前様眠いっすさてさて ずっと連載思い出シリーズも日本に 突入してきましたが静岡の 次は名古屋です静岡から 名古屋に転校したのが小学3年生の時この時は とにかく恥ずかしかったことを覚えているなにしろ 肥満児用 という服着てたくらいだかんねえあの頃は堂々と 書いてあったんです洗濯ネームに Mとか Lでなく肥満児用と静岡はおでんと とんかつソース味の焼きそばでしたが名古屋駅の地下街にあった中華料理屋の チャーハンこれが 美味かったもう 常に まず思い出すのは食いもん店の名前も もう忘れてしまったけど・・ここのチャーハンがほんと 美味くてチャーハンもだけど ついてるスープが絶品であれから あちこちでチャーハン食べる機会あるけどまだ あの味に勝る チャーハンと スープには出会えていない気がする当時は月に 1回くらいバスでこの 市内の中心部に買い物に出て来るというのが おそらくお袋の当時の楽しみでもあったのだろう、その時は、ついてきて必ず ここでチャーハン食べてというのが パターンだったあと なぜか 思い出すのが学校の帰りに う○こ を 踏んでしまい当時 お袋は厳しい人で絶対 すんげい 叱られるとちり紙で 拭いたのはいいけども 匂いが消えず子供心に 匂いを制すには 匂いだとおやじの ヘアリキッド・・・ でも だめでお袋の ヘアースプレイ・・・ でも だめで醤油・・・ でも だめでソース 酢 と 匂いの する家にあるもの 靴にかけては 拭いてでも 逆に いろんな匂いが混ざり合いでも ベースにあるのはう○この 匂いだから余計 変な匂いになりパートから戻ったお袋が玄関あけるなり「なにーーこの匂いは・・」なんて 光景まで よーく覚えてる名古屋時代は 通った 小学校も 中学校も10クラス以上ある マンモス校で中学2年生までいて転校してしまったので同窓会も ないのか、 やっていたとしてもおいらの 連絡先も卒業名簿にはなくあれ以来 当時の同級生だった人とはほとんど会っていない・・ほとんど、というのは大学生の頃小学生時代仲のよかった 野球部のエースのS君が バイクの事故で 亡くなりその時に 名古屋に行き何人かとは 会っただけなのだがそれが 最後このまま 会わぬままで どんどん記憶が 遠のくと思うと少し 寂しい気もするまあ 転校生というのはそういうもんでもある機会があればあの頃の 同級生に今の おいらの唄聞いてほしいなあ・・・当時は ギターすら 持ってなかったかんねでも名古屋で 出会った 友たちとの ひとときはいつも・・・・ 和やかまたベタに落としたねの ポチを
2015.01.27
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只今8℃の上海どんより曇ってます昨日は 午後からずっと検品会社なので今日は 火曜日のような感覚 トホホホ今週も 忙しくなりそうでおますさて思い出シリーズファンの皆さまおまんたせいたしました思い出シリーズついに日本ですだってもう 行った外国ないんやもんさーー 日本全国駆け回るのか?まずは今日は 静岡ものごころついて初めて 引っ越したのが静岡市幼稚園の頃初めて体験した 引っ越し競輪場の近くの親父の会社の 社宅でしたここでは幼稚園から小学校3年生まで暮らしたかなあ子供心にも青空が広がる温暖な日が 多かったと記憶しています清水と静岡の違いはあるけどなんか ちびまるこちゃん見た時すごく 懐かしい感じを覚え調べると作者の方そう かの有名な さくらももこさんは おいらより4歳下でなんとなく 時代背景と 土地勘が近いからかなあ・・ と 思ったもんでした静岡の 思い出はまず とんかつソースの焼きそば と静岡おでんこれが 美味かった子供心にしっかり覚えているまあ おでんはいわずとしれた 静岡名物だけどあのとんかつソース味の焼きそばは お店ならではだったのかも?で静岡だから ちゅうわけじゃあなかったのかもですがどうなんしょ?静岡県人の方 おせーーてあとは ローラースケート競輪場の駐車場がアスファルトで舗装されてて 競輪のない日は恰好の滑り場で当時は 金属製の前2つ 後ろ2つと わっかが 自動車のように並んだ スケート靴でどうかなあ・・ 2、3足くらい 履きつぶすほど滑りまくっていたと思うそして社宅のお向かえに親父が新婚さんの 社員が入るよと聞いてに、に、人妻やんかいと心ときめかせた時が小学2年生新妻や 人妻には幼少の頃からドキドキしていたのですまた この奥さんが当時では まだ珍しい女子大を出た 奥さんで品のある素敵な 人で、あるとき お宅におよばれして見たこともないような 綺麗なパスタとかが出てきて白いタイトスカートとかはいてて眩しかったなあ・・・あと 思い出といえば同級生に出口入口君 という冗談のような珍名さんが いたことかなあ・・・不思議なのがほとんど、 いえ まったくといっていいほど きちんと人妻には 反応したのになぜか同級生の女子の思い出はないんですどんな子がいたかとかどんな名前の子が いたかとか顔も名前もまったく 覚えてないんですこのあと 転校した名古屋では山ほど 覚えているんだけど静岡ではさすがの おいらも何も しず 岡 ??そうなん?のポチを
2015.01.26
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只今13℃ 上海は曇りです来週の週間天気はぜーーーんぶ 雨トホホホ昨日はバンドHISの練習 あり仕事ありと慌ただしい 土曜日今日は日曜ですがこれから検品会社に行き 仕事ですさて思い出シリーズいつまで 続くのでしょうかってもう渡航経験のある 海外はこれで最後最後はインドネシアここには 2回訪れています1度目は 仕事で材料の買い付けで、バンドンに2度目は 社員旅行で バリに1度目は 随分前の ブログでも書いたけどそれは悲惨でして 当時の会社の後輩と2人で来て2人とも 最後の移動日に腹痛を発症し後輩は 帰国後検査してすぐ なんと、赤痢菌が見つかり家は保健所が消毒に来るわ本人は 隔離入院させられるわでおいらは というと同じように検査はしたのですが 結果はシロで 会社のみんなにモリシゲさん ほんと頑丈ね と言われたもんですこんなに 胃腸が弱いのに・・・でもねえ、あの時のは マジで激痛であんな酷い腹痛は人生初めて3分置きに 槍で胃を突かれたような痛みが襲い、トイレも何度もトランジットで夜中に降りたシンガポール空港も医務室も閉まっていて二人で椅子に 横たわりお腹を押さえ、ウー ウー と唸りながら、「大丈夫か 頑張ろうな・・」と声をかけ合い一体、何にあたったのか?火を通してないもので心あたりは・・・バーで食べた カットフルーツの包丁か、まな板に菌がついていたかマクドナルドで飲んだコーラの 氷の いずれかかと皆さまも お気をつけくださいねあと インドネシアで覚えているのは人の多さこんな 路地にも?こんな 細い道にも? ととにかく どこにいこうが人がいて 物乞いをされたり ただうずくまっていたり街灯もないから 余計 驚きもありあの どこに行こうが どこを歩こうが 人・人・人・人な 感じはここ世界一、人の多い中国でも あまり普段感じないけど、 あの 様子は初めてで とにかく驚いたものですで、 2度目の インドネシアバリでの社員旅行はうって変わりなかなかに 楽しくゆるやかに時間の流れる感じやなんともいえないエキゾチックな感覚はまた 訪れてみたいというそんな地ではあったのですがでもインドネシアというとあの 腹痛をとにかく 思い出すのです次 もし行くならお正月ですかねで、 あれ しまんねん あそこでじゃ カルタ でもほんまにすんの?のポチを
2015.01.25
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只今7℃の上海昨日も 携帯のナビを頼りに車で 3件ほど工場や検品会社を 廻るいやーー ナビ便利だわあ今日も 明日もお仕事ですえまあ 今日は まる1日では ありませんがさて御好評・・・ いただ・・・いてはいませんが思い出シリーズ懲りずに 第四弾今日はアメリカある意味 1番憧れの国だってマーチンや ギブソン、ギルドの国だもんねえはい ギターですなあんな 素晴らしい音のするギターを 作れちゃうんだから・・ といいながら行ったのは 1度きりしかも 仕事でしかも 1都市のみはいサンフランシスコっすこの時も 30代の頃イタリア、フランスと同様お得意先の アメリカの市場調査の 研修旅行でこの時は 会社からは おいら一人だけ参加したんじゃなかったかなあ・・同じく 参加されていた東京の とある会社の 社長さんが愛知県の一宮のご出身でおいらのことあなたの話し方が故郷の友人に似てると可愛がっていただきお一人じゃあ 淋しいでしょ私たちと 一緒に行動しなさいと同様に参加されたそこの社員の方に交り、いつも行動を共にしてたなあ・・おもしろい社長さんで英語が堪能でマクドナルドの 正しい発音はこうだとで、 歩きながらおいらたちに 言ってみろ・・と「マクドナルド マクドナルド・・」 「違う・・ こういう風だ マクドナルド」と道行く人が 振り返るほどマクドナルドを 連呼しながら 歩く日本人軍団カラオケに行って音楽好きの その社長さんとママス&パパスの夢のカリフォルニアとか一緒に歌ったり 楽しかったなあそういえばあんときは自由時間はなくギターショップにも行けなかった変なことで、覚えてるのはタクシー乗った時にタクシードライバーの黒人の人に日本の煙草を 1本どう? と すすめた時にタンキュー タンキュー とThank you はタンキュウと 発音すればいいんかーーとで、日本戻ったらタンキュウー と 言いたくて 言いたくて会社の同僚に マジック借りて返す時おいら「タンキュー」同僚「?」おいら「いや ・・ だから タンキュー」同僚「なにそれ?」おいら「あのなあ アメリカの正しい発音のサンキューは こう言うんだぜ・・」 とそんな会話を横から聞いてた英語に精通してる先輩が「それ ただの訛りで、誰もがそうは発音しないよ」がっくし みたいなで、話は戻りすっかりアメリカで仲良くなった社長さん、その会社の社員の人と研修も終わり 空路成田に着いて車を成田に止めてた社長さんとは 別れ社員の人と成田エクスプレスに乗り込んだ際向かい合わせたのは 欧米人の男性すごい 真面目そうな私ミシシッピーの役場に勤務していますみたいな 感じの30からみの お兄さんというかおじさんというか・・・ところが列車が走りだすとおもむろに「アノー スイマセン・・・」 とへーー日本語できるんや と「どうしたんですか?」と返すと「キセルノシカタオシエテクダサイ」 と150円の 切符を差し出した時には 驚いたもんですなんか そういう変なことばかり断片的に 実にリアルに覚えていて肝心なことは 忘れてしまってるんです憧れのカリフォルニアもう一度 プライベートで是非 行ってギターショップなんか 廻ってギターぶら下げて帰ってきたいもんですなあ・・でも今は 為替が悪いからなあ・・・仕方がないので京都のSMクラブにでも行きムチもって M嬢を 責めるしかないかねきっと 言ってもらえますえ英語交じりの 京都弁でYou S え ?無理くりやわあのポチを
2015.01.24
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只今0℃の上海さぶおます金曜日ですなあ昨日あたりからなんだか 急にバタバタとしてまいりやした明日 土曜も 出勤 見積もり作成 荷物出し間隙を縫い バンド練習日曜は 検品会社に詰め夜も来客もあり来週は 南通 安徽 出張来客アテンドと怒涛の 旧正月前の 忙しさネコの手も 借りたいなんて 思ってたらカミさんの大学生の娘が 冬休みで帰省し連れてきましたがな ネコ夏休み来たときは子猫だったのにすっかり 逞しくなってさてさて本格的にシリーズ化??? 思い出シリーズ懲りずに 第三弾 いきますえーー韓国に 年に2度出張してた少し前、1990年代中盤~2003年頃までは年に1度は台湾に出張をしてました台北ですな空港に降り立った時のあの 湿気を帯びた生温かな感覚があー 南に来たんだなあと感じさせてくれたものです訪台当時お世話になっていた仕入先が そこそこに大きな 貿易会社でその会社の社長さんは当時 どうだろう50代後半?長身に金縁メガネで いつもスーツをびしっと着込み親日家で徳川家康の 分厚い翻訳本が綺麗に整理された ガラス張りの社長室の高級感のある 木造りの本棚に並んでたりしておいらたちが訪れると「日本の景気は? 経済状況は? どうですか」 と通訳する社員の方を介しソファーに座るなりまず聞かれるような、 絵にかいたような真面目でダンディな社長さんでしたで、その会社のおいらたちの担当は現地採用の日本人の社員と、台湾人のチーフの若手コンビで、2人とも、凄く優秀で笑顔を絶やさない ナイスガイドラマに出てくる若手商社マン みたいな 感じ台湾人のチーフの方はお父様が やはり大きな会社の社長さんで、アメリカにも留学をした経験を持ち、イングリッシュネームを カルビンといい少し 太目だったからおいらは いつも カルビ カルビと呼んでいて彼がおいらにも イングリッシュネームを名乗れというのでマイケルをもじりマイコー で どうだと言うとそれからは、おいらのことをマイコー マイコーと 呼んでいたあの時は 咄嗟に そうしたけどイ を ン にせずによかったと 後で 思ったもんですで、ある時社長も交え 晩御飯の会食の際おいら 疑問に思うとついつい 酔った勢いで言葉にしてしまう 悪い酒癖があり社長が トイレで席を外された時に若手コンビに 小声で「ねえねえ 社長さんて これだよね・・」 とズラをかぶるジェスチャーを すると台湾人チーフ カルビ、そして日本人の彼は2人で すぐさま目を合わせ1秒だけ吹き出し すぐ 真顔に戻りこのおっさん なんということを・・・のように 目を丸くし日本人の彼の方が これ以上大きくしたら地声だろう・・くらいの ヒソヒソ声で「モリシゲさん ゼスチャーは駄目ですって」 とチーフの方も 「マイコー」と おいらを呼び人差し指を立て唇の前で 2度ほど横に振り アメリカ仕込みよろしく ウインクしながら舌打ちを 2回し「シーーーッ」 と懐かしいですなあ・・そのチーフも今では 独立して社長さんを されていておいらが転職した時もすぐに 電話をくれて通訳を介し新しい職場だといろいろ大変だろうけど困ったことがあれば なんでも言ってくれとあの時は ほんと嬉しかったもんですもう 今は 直接のビジネスはないし台湾に 仕事で行くこともなくなってしまったけどもまた 機会を見つけ台湾には・・・行き台湾またそれで終わるん?のポチを
2015.01.23
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只今4℃の上海最近 空気がよろしくないなあ・・昨日のブログでフランス パリの 思い出なんて書きましたがすいません 古い古い話で・・とはいえブログネタも ちょい枯れ気味ですんで思い出シリーズ?第2弾 っていつから シリーズ化??まあまあ いいでねーすかんじゃあ、 第2弾いってみよー第2弾は 韓国 ソウル初めて行ったのは1990年代ですが2003年~2006年の頃は年に 2度ほどは韓国に 出張に行ってたのですソウル そして テグウ当時の おいらたちの業界だとそれまでの ソウル詣でから上海、南通詣でへと移行する頃で生産は とっくに日本から中国に移行していたんですが原材料の調達も日本調達から 徐々に移行したそれまでの 韓国 そして台湾からがすべてを 中国で一環でと 各社舵を切り始めている頃でソウル出張も徐々に減ってる頃でありその頃は すでにソウルは物価も高くホテル代は 日本よりも高かったし食べるは まだそうでもないけど呑むは どえらい高くお客さんを夜の町でアテンドする時などは向こうの業者と割り勘での接待じゃないとお互い 高すぎて 領収書も会社に回せない銀座までとは いいませんが歌舞伎町あたりで 接待するのとかわらねーーなんてことも、あったりしたもんです食べ物は美味かったですねえまあ 焼き肉は 日本のそれの方がおいらは 断然美味いと思うんですがテールスープとかチゲ鍋鱈鍋とかサムゲタンとかあの頃の出張のおかげですっかり 辛いもの好きになってしまい今でも 一味唐辛子や 七味を やたらかけてしまう癖が 直らずいつも 行く会社近くの和食の店だとテーブルには備え付けてないのにおいらが行くと何も言わずとも 七味が 出てくるほどにでもって ソウルあたりのオフィス街の食べ物やで見る 韓国の人これが全然 異国感がなくスーツ、ネクタイ姿で 言葉こそ違えど話してる時の 様子とか、表情とか、身ぶりや手ぶりなんら 日本の オフィス街の食事風景と変わりませんハイ の 代わりが イエー なのがあー 韓国にいるんだと思わせてくれる そんなとこでしょうか思い出といえば初めて訪れた時ありがとう はカムサハムニダ で電話の もしもし がヨボセヨ で勘違いしてしまいありがとうが ヨボセヨ だと 思い込みホテルで両替してもらった時も大きな声で 「ヨボセヨー」タクシー 下りる時も 「ヨボセヨー」で、仕入先で お茶だされた時も「ヨボセヨー」みんな きょとん としてるから発音が悪いんかなあ・・・と指摘されるまで「ヨボセヨー」言いまくってたなんて いい思い出ですここ上海も 実に多くの韓国の人が住まわれています日本人は3万人に対し 韓国人は2万人なんてネットには 書かれてますがまあ 実態は 月の半分いる長期出張者も入れれば日本人も 韓国人も実際はこの数の1.5倍 もしくは 倍いるともいわれていますまあ事実は?? ですが男性は なぜか眼鏡の人が多くおいらも たまに韓国人?と 間違われますそういえば韓国の人 眼鏡の人は多いけどおいらのように 髭生やしてる人めったに見かけませんなやはり髭は 常にソウル? んでしょうなあそれで終わりかいっ?の ポチを
2015.01.22
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只今6℃の上海青くなれない空ですこの季節になるとなぜだかたまにふと 思い出すからおそらくこの季節に 行ったんだと思うんだけど・・イタリア 、パリ、どうかなあ・・・ おそらく30歳代前半? 中盤?はっきりは 覚えてすらいないけど当時勤めていた 会社のお得意先の 研修旅行に当時の上司と 同僚の女性と参加させていただいた時一度きりですが成田からブリティッシュエアーあの時 始めてスチュワードという職業があることを知り金髪の スッチュワーデスさんから笑顔で話かけられるはずで金髪 金髪と 呪文のように唱えながら 機内に乗り込むも腕毛がぼうぼうの眉毛の濃い 耳の上の方だけ髪がある スチュワードさんに飲み物をたずねられひきつりながらこ・・ いや カフェーなんて 言って上司にこんなの 反則ですよねえ・・と噛みついてみたりで、おいらたちを乗せた ブリティッシュエアー行けども 行けども・・・昼で 夜にならず十何時間も乗って やっと着いたのにまだ 昼やんかい どへーー とどっと疲れたこととか断片的に覚えているんですイタリア、ミラノは皆 小柄で店でも 街を歩いても笑顔が多く 陽気な国だなあ・・というのと男性は なんとなく高田純次さんみたいな 人が多くなんか テキトーな感じがいいなあ・・とそれに 比べ パリは大柄な人が多く道行く人も 険しい顔をして皆 早足で闊歩し冗談も通じないような感じであーー 大都会はやっぱ なんかよそよそしいわと漠然とそんなイメージをもった記憶があります地下鉄の 通路でギターで歌う人やSAX吹く人とかいわゆる ストリートミュージシャンもやたら みんな 上手くてすんげーーー なあ・・・とか食べ物は ミラノで食べたパスタが 日本で食べる味と変わらず はるばるこんな遠くまで来たのに なんで 同じ味やねん とか日本では 食わず嫌いで 駄目だったのにパリでの レモンとケチャップで食べた生牡蠣が やたら美味かったこととかあと なぜか 凄く覚えてるのがパリの繁華街にあったやき鳥屋さんに 皆で行き目の前のカウンター越しにそこで 無心に 焼いてる黒髪の兄ちゃんがいて聞けば 日本人指を見ると 誤って串で突いて赤く腫れあがった跡が いくつかおいらも学生時代 バイトで串カツの 下ごしらえの時 よくやったからすぐわかった寡黙で、ひたすら焼いてて「いつから パリで 焼いてるの?」 と 聞いても「・・3年」 と 無愛想に答えるだけでこう・・ なんていうか・・・ 俺は あんたたちとは違うんだオーラが 全身から出てて海外で 働いてる奴ってこんな風に頑なになるんかなあ・・なんてその時はまさか自分が 海外で働くことになるとは夢にも思ってなかったけどねでもねそんな 彼の 焼いてたやき鳥もちろん 皮はパリ パリ でしたえパリだけにハイ、もちろん むやみに 塩胡椒はふらん スそれでしまいかい?の ポチを
2015.01.21
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只今6℃の 上海ここのところはさほど バタバタはしていなく出張でなく会社にいるときで帰宅するときはそれほど遅くはならず同じような時間に 会社を出る日が多いまあ でも来週からは旧正月前の 出張者が目白押しで出張も絡みバタつきそうではあるんすが・・・で、会社からの帰宅時のこと地下鉄の最寄りの駅のホームでは進行方向と 反対のエスカレータを 上がって すぐの所が次の乗り換え駅の エスカレータに近いのでいつも そこいらで地下鉄を待つんですが先週の 月、火、水の 帰る時も そうでその おいらが待つと決めてるホームの壁際になんで こんな時間に? と高校生のカップルが いるんですまあ とはいえ カミさんの娘が高校生の頃もやれ補修とかなんだで遅くなる時あったなあ・・と上海の高校生は皆 ジャージ姿で通学しているんだけど紺色の上下のジャージ姿の男女がで、その高校生カップル男子は 前髪を下ろしたにきび面女子は 髪を後ろで束ねたロングの赤ら顔で、先週 月曜始めて 遭遇した時のことこの 二人体をピターーっと密着させお互いの肩に顔を乗せ時折 人目をはばからずチュッチュッチュッチュッと・・唇も 密着させておられるおいら 思わずがん見・・かなりの がん見で、、翌、火曜も そして水曜とまた また 遭遇あ、あいつらや・・・また性懲りもなく唇を密着させておられるおいら 大きなお世話とはいえまだ高校生、公衆の面前で いかがなものかとここは目で 指導するしかないかと北大路 欣也さんばりの 目力でがん見・・・かなりの がん見で、心の中で 呟く言葉を念で送る「おまえんた まだ早いそんなことしてたらがまんできひんように なってまうど・・・」さすがに 男子がおいらに気付きなんやねんこの おっさん? いつも めっちゃ、がん見じゃんみたくで少し動揺し体の密着具合が減り唇の 密着は・・・ やめたで、週が明け昨日 また 遭遇当然ながらまた北大路 欣也さんに なりきるおいらついに密着していた 体を離し健全な高校生の ように体は密着させず話をする 二人目は口ほどに物を言うこんなおいらでもこの国で青少年の健全な育成に一役買っているのですでもなあ・・・高校生もいたLIVEで下ネタ 連発して ヒンシュク買ったし偉そうに 言えないか・・・そういえば以前仲間の うっさんが娘さんを連れてこられたLIVEで下ネタのMCを、するおいら あの後 うっさんに 聞けばあの時のLIVE 参りましたよ娘が何度も 僕を睨むんですよとこんな人と友達なの お父さん・・・きっと そんな声なき言葉を・・・目で 言いたかったんだろうなあ・・ あの時も すまないことをしてしまいましたあの時も まさに目は口ほどに物を言ってたんだろうなあもう 下ネタは 封印しますこれからはちょっとHな 話 で いこうかと・・・あれ?また 誰かの目が物を・・・・
2015.01.20
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只今2℃の上海寒い朝です昨日は 日曜日ゆっくり起き ブログを書きながら朝飯というか 朝昼兼用のおかゆと 目玉焼きを・・・カミさんは昔の職場の同僚の家におよばれで昼食を食べお菓子作りをするとかで 出掛けたおいらは・・・最近 運動していないなあ・・と ましてやここんとこ 深酒気味だしこらーー 酒を汗で流すべかとスエットに着替え薄手のダウンを着込みまずいつもの地下鉄の駅に行くこの駅の階段なかなかに 段数があるので一気に階段駆け上がりを3回なにしとん? 的な視線は無視で、その後家の廻りを 約1時間早足でウオーキング久々に汗かいて家に戻り 着替え珈琲を入れるで、ギター片手に自主CDに入れる予定の曲の 上から重ねるギターアレンジをあれこれ思案しながらコード譜に 書きこみ以前録ったラフ音源に合わせてみたりと夕方までそんな作業をこういう好きな事してる 時間が至福のひとときですなそういえば・・・高校時代至福のひとときは私服での ひとときだったよなあ・・・・と 駄洒落てみましたが中学 大学は自分自身の 存在意味というと大袈裟だけど自分は ここにいるというそんなことが感じ取れることができていい時間だったのだけれど高校の時は・・・それが なくて思えばいつも うつむいていたような気がするし通学の列車の中もいつも 怖い顔して不機嫌だった気がしますでもおいらは そんな風だったけどけっこう 人それぞれで中学は 荒れ放題でなんも おもしろくなくでも高校の頃は まさに青春で・・・なんてそんな人も多いのではブログをお読みのあなたは どうでしたでしょうか?おいらは 駄目でしたね高校時代は男子クラスで 色気もなくそれなりに仲のいい 仲間はいたし・・馬鹿なこととかしておもしろいことも あったんだろうけどなんかこう えもいえぬ閉塞感・・に いつも包まれていた気がします制服を脱ぎギターを弾いたり好きな音楽聞いている時だけが満たされている時間で早く卒業したい早く自由になりたいそればかり考えていた気がするんですでもあの うつむいていた時間も 大事だったんだろうなとようやく 今 思ったりもするわけです人生に無駄な時間はないのかもしれません無駄だと その時は思えても遠回りだと思えてもその時の 感情や 感じた想いは後で 役に立つ時があると思うのですやはり バイオリズムというかあっていい時代 悪い時代と いうのはあるんでしょうな高校時代 制服を着ている時は閉塞感で 苦しかったけど制服の上にコートを着ると 大丈夫でした・・・よく 歌ったものです♪くるしくたって~かなしくたって。。。 コートの中では平気なのなんじゃそれのポチを
2015.01.19
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只今6℃の上海晴れてはいますが雲多し昨日は 午後から会社に 残務処理その後 以心伝心な メールのやりとりがあり音楽仲間の 長老NO2の同じ穴のミムラさんと落合い 呑むいやーー 呑み過ぎましたところで 金曜日のことです金曜日午後6時01分いつもの安徽省の工場のある町の最寄駅その日 始めてお会いし1日 仕事をご一緒したお客さんと上海に戻るべく新幹線に 乗りこむお客さんは 女性で何度か中国には出張で来られているばかりか学生時代は北京に1年 上海に半年留学もされた経験をお持ちで小柄な 美人でまだお若い同じ車両だったけど隣同士の席が取れずおいらは 3人掛けの真ん中お客さんはひとつななめ後方の 2人掛けの席の通路側荷物を上の棚に上げ寒さから 解放された車内で一息ついていると「どうも○○ですがお世話様です・・・」 とおいらのすぐ 後ろの席から日本語が・・・すでに おいらたちが乗り込む前から乗車されていた男性の声が珍しいなあ・・この駅の前から 乗り込んでいる日本人がいること自体 珍しいばかりかこんな近い席に偶然 乗り合わすなんて・・・と南京 や 常州 無錫 蘇州の駅などからは日本人が乗り込んでくることもあるけどもこの 安徽省の駅よりも前の駅から なんてあんまりないのです声を聞く限りはまだ若く仕事のやり取りと思われる 随分立て込んだ 長話を・・・日本では 車内での通話は 御法度でデッキでとしたものだがここ中国では 車両の中であちこちで 大声で電話をしてるなんて 日常の風景なのですほどなくすると睡魔が・・・でおいらは ウトウトと眠りに・・・暖房のない工場での 打ち合わせや、 やり取り始めて お会いするお客さん・・・・それなりに疲れていたんだろうか結構に 眠ってしまったようだ上海虹橋駅に 着き「お疲れ様でしたね・・」と 声をかけ二人でホームを歩いていると女性のお客さんが「日本人の方 隣に いましたね・・」と「そうそう でも珍しいんですよ あの駅の前から乗っている日本の方って・・」 と答えると「ずっと お電話されてたんですけど 凄いんですよ・・」と、「そうそう、でも僕 途中で寝てしまって・・ で、何が 凄いんです?」 「ずっと 仕事の電話のあと・・ また 電話があって」「 お子さんが生まれたんですって・・・」「本当は 昨日 日本に戻るはずが トラブルで 出張を1日延ばし 立ち会えなかったって」いやあ・・異国で 偶然 隣合わせた企業戦士のおめでたい 電話に遭遇されたお客さん しみじみ「なんか 凄いですよね・・・」 と人生は ドラマそして列車は それぞれの人生を乗せて走っているんだなあ・・・と風景の見える歌詞といえばこの方、おいらも大好きでリスぺクトしている伊勢正三さんの 「風」の 頃の唄で「夜汽車は南へ」その歌詞の一節~走りゆく列車の網棚に置かれた誰にも馴染みの 菓子箱がひとつ揺れてるその帰りを待つ人々たちそして帰ってゆく人~そんな唄を 思い出していました夜汽車は いいよね ロマンがある思わず歌ってました♪ 夜汽車よ今夜もありがとう~ん?それを言うなら夜霧やんと、すぐに頭を よぎりましたがなで、ポチなんかも
2015.01.18
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只今6℃の上海晴れています昨日のブログ楽天の方安徽のホテルで何度更新してもわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれてい ますと赤字で出て更新できない何度も読み直してもこれの どこが あかんねんと指摘されるような心あたりは 一切ない仕方がないので楽天のブログはそのことをネタにし内容を替えて 投稿http://plaza.rakuten.co.jp/281980/diary/201501160000/でも ちゃんと見破れる人がいてコメントで 教えていただけようやく気付きましたがなおそらく検閲でひっかかた箇所はワンマン・コンサート の・をなしでくっつけて書いのが原因かとワンマンライブに するかワンマン コンサートと間をあければOKだったんすな続けて書いたのが 原因と推測されるしかし・・・表現の自由以下の問題ちゃうん これじゃあ ワンマン コンサートする 大物歌手のコンサート見て そのルポブログとか書く時 どないしまんねんふつう そこ、あけたり・ なんか 挟まず書きまっしゃろ え? 楽天はん責任者でてこーーーーいと、まあ、そう 怒らんと と自分をなだめましたがなで、気を取り直しブログに載せた 30年前のコンサートのポスターの写真この写真を 撮った場所JR山陰線花園駅の ホームのベンチで、おいらの横のギターケースアコギ弾きなら 誰もが憧れたマーチンのブルーケースもちろん・・・・借り物です後輩のゴローのマーチンD35このラストコンサートが終わり返したんだけどどうだろう・・ほぼ1年弱近く借りっぱなしで「モリシゲさん 僕とちごーてピックで ガンガン弾きはるからええ音で帰ってきそうやからしばらく預けますわ・・・」と、 人懐っこい気のいい男でそんな ゴローももうこの世には いないあの頃この マーチンの ブルーケースこれ持って街を歩いただけで気分はもう スーパースターそういえばモーリス持てばスーパースターも夢じゃないなんて コピーでCMあったなあもう一度 チャンスがあればビンテージの70年代のマーチンD35持ちたいなーーと500円玉貯金でも・・・ってこっちじゃ1元が 1番高い硬貨やからなあ・・・今 1元は20円弱マーチンが 仮に30万円としたら1元硬貨15000枚1日1元貯金したとして・・・・41年 かかるがなあかん やっぱあきらめようブルーケースは 無理のようだからブルーフィルムでも買おかないまどき売ってるんかいのポチを
2015.01.17
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ブログ書いたんだけど何度、書き直してもわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれてい ますと 赤い字で・・更新できないんだよねそんな言葉ないんだけどなあ・・・試しに 見てみていつもコピペで同時で更新してるアメブロの方でhttp://ameblo.jp/dy281980/entry-11977769305.html別に わいせつじゃないと思うんだけどどう??さてはこの 写真がわいせつなんかな30年前の今日こんなことしてました楽天ブログで落第点かなおいらで ポチの方も
2015.01.16
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只今7℃の上海まだ外は真っ暗これから安徽出張昨日 FBでみつけた 投稿で「世界で最も貧しい国の男たちが全力でオシャレする理由」というコラムなかなか興味深い コラムですhttp://sirabee.com/2015/01/11/14055/こういう新しい 発想をする 若者 が台頭してきて時代は 移ろい流れていくのだなあ・・とここ中国でも例えば 村上春樹氏の翻訳本などを好んで読み、それまでの 中国人のライフスタイル、考え方と 一線を画したまあ 古い言葉ですが新人類なる 若者が出現してきておりそういう子とかは 群れない つるまない・・個人で行動を 軸とし空を見上げ 妄想するようなる姿を自画撮りして ネットにあげたり・・日本も含め 外国の文学や 音楽を好み着る物にもポリシーを持ちIQは高く 高学歴そういう 若者たちが台頭してきていると、 中国のマーケティングに精通されておられる我がバンドHISの初代キーボドのレオンさんに 以前教えてもらったことがあるのですがそういえば・・・元旦の日に オーストラリアからのトランジットで上海に来られた実家のお隣さんを ご案内したことブログにも書いたけど(こちゃら)http://plaza.rakuten.co.jp/281980/diary/201501020000/あの時田子坊の 猫カフェでお茶した時お隣の三女ちゃんにおもむろに 黒ぶち眼鏡の インテリ風なとはいえ、あどけなさの残る女子大生風の中国人の子が 歩み寄り片言の 日本語で「シャシントッテモイイデスカ?」 とこの三女ちゃん ちょっとアニメ系の美少女キャラだから だろうか??単純に可愛かったのかで、その後 4人で 猫の写真なぞ撮りながらぺちゃくちゃ喋ってお茶 飲んでたら 隣のテーブルの若いアベックの 男の子の方がにこやかに 微笑みかけながら「コンニチワ」 と これまた片言の日本語でで、自分の携帯を おもむろにおいらたちに向け「ボクノイエノネコ・・」 と今まで日本語で声かけてくる中国の人って・・・例えばオジサンのタクシーの運転手さんとかだとおいらが日本人とわかると「コンニチワ・・」 まあ それはいいとしてあと 結構に多いのが「メシメシ・・」そう言って ガッハハと 笑うとか・・これは、中国で放送されている戦争もののテレビドラマ等で日本人の軍人役が 食事に行く前に「飯 飯・・」と 言っている言葉を真似て言ってるわけで自分も日本語は知っているのだという友好的な気持ちで言っている人もいるのだけどもどこか、こう、純粋に笑顔を返しきれない・・・そこはかとない なにかを醸し出しているなーーんて人も 中には・・・でも・・・あの 田子坊で 偶然 同じ場所で 片言の日本語で声をかけてきた2人の 若者には純粋に笑顔を 返している自分がいたのです何が言いたいのかというと時代は確実に流れているということ日本のことを 日本人のことをドラマの中で演じられている 軍人役を通してしか知らない人、 世代日本のことを 日本人のことを例えば ネットから 例えば 日本の書物の翻訳本からアニメも 音楽も 映像も ドラマも・・・そして 街の様子人の様子、、それらを 自分の目で 肌で知った人 世代時代は 人が作るわけで間違いなく 変わってゆくんでしょうなあそして そういう 若者そして その次彼らの子らの生きる時代は どないなんでしょうなあもっともっと 友好的になっていることを願ってやみません冒頭に挙げたコンゴのオシャレをした 若者を 目の当たりにした子供らがまた そこから影響を受けなにか新しい ムーブメントを起こすコンゴの 今後は はてどうでしょうこんな風に時には未来に想いを馳せることも 大事ですな過去 も 今 現在 この 瞬間も勿論、大事なんですが・・・・そういえば・・・♪ 現在過去未来あの人にあったなら~ ええ唄でしたね渡辺真知子さんの 「迷い道」渡辺さん お代官に よく言われるんですって「渡辺 まあ、 ちこーー 寄れ」いわれるかあーっのポチを
2015.01.15
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只今7℃昨夜から 久しぶりのまとまった 雨の上海今朝も 窓の外は久しぶりに 雨音です自主CD作成の為アコギを重ねる為の 練習をとPCで音を出し それに合わせてアコギを弾き それをアイフォンでまた録ってと・・・そういえば・・・中坊の頃も同じような事してたなあ・・ラジカセで前もって録ったアコギに合わせてアコギを弾きそれを もう1台のラジカセで録ってと超ローテク多重録音中学生の頃からなんの進歩もない おいらそんな話 前にバンドの練習の後 話してたら拓ちゃんが○○○の ○○さんも若い頃 そうしてたらしいですよとその○○さんという そこそこに有名な某プロアーティストの同級生だかと旧知の知り合いがいて 聞いたことありますと言われちょっぴり嬉しかった 単純な おいらオーディオ PA、録音、楽器機材あと パソコンなぞも含めどうでしょう おいらが今まで お会いした中だけとはいえプロアマ含め 特に 男性のミュージシャンの 90%はそこいらに精通していて お得意な人・・が ほとんどそんなことないすか?勿論 女性でもルーパー世界2位のナオリュウさんのような ツワモノもおられますがおいら??もちがろん残り10%の少数派です勉強すれば それなりには覚わるんでしょうがどうも 小さい頃から勉強と 便秘は あまりせずでして・・・そういえば便秘は・・駄洒落にも 語学にも いいことありません通じ ないなーーんっちってのポチを
2015.01.14
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只今7℃の上海曇っております昨日は月曜のくせにやけに メールも電話もないなあ??と 思ったら日本は祭日だったんすね成人の日いい響きですよねえ成人 成人映画・・・とか・・・すいませんのっけから日本勤め時代はこの 連休はありがたかったもんです正月休みが明けてすぐ頭と体が仕事始めからの業務についていけずもこの 連休で ちょっと一息しで、 この 連休が明けてからが事実上の1年の本格的に始動みたいなんなこと ないでしょうか?日本の皆様おいらはというと成人式の時は・・・なんら 普段と変わりなく普通に過ごしていました当時は 学生で京都で一人暮らし親も 実家ではなく、転勤で札幌住まいで、実家に帰ってもしょうがねーべな 状態でかといって友達もいない京都や 札幌で成人式に 出る 理由も願望もないというよりただ単に成人式に行くという認識自体が、ないない状態で、式典に出ることもなくスーツをあつらえることもなく後で同級生から いろいろ 楽しかった様子の話を聞いてなんだ同窓会みたいやったんかあなら、行けばよかったなあ・・・ くらいの感じでしょうかまあ とはいえご家族 ご親族でご成人を迎えられた お子様お孫様が おられた このブログをお読みの方にはこの場を借りておめでとうございましたってまさかこの おいらのブログ成人した ご本人さんが 読んでいただけてるなんてないっしょもしそんな若い 読者の方がおられたら 驚きですだっておいらの ブログ成人映画ならぬ・・・成人ブログですからだよねのポチを
2015.01.13
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只今5℃の上海昨夜 まあ 厳密に言うとここ何日か、がかりではありますが早くも。。。。2015年の記念すべき 1曲目となる新曲が 出来ました相変わらず 詞曲同時進行で まずは ラフで作り2番以降の歌詞はじめ全ての歌詞は その後通勤の地下鉄の中とかで推敲で録音して 聞いてみると駄目なんすねえ言い回しに違和感があったりメロディーに言葉が綺麗にのってなかったり間奏とかもどうもなあ・・ とか気になるとことかが結構あってまた 手直しで今回のは 安産??ぽかったんだけど結局、ほぼ1週間すったもんだ だったかなあまあでも それも含めた こんな作業が好きなんで唄作りはやめれません数えたことはないけども2013年、2014年の 2年は 今までで1番多く唄を作ったかもなあ・・・んーー でも 若い頃のほうが多いかなあ??よくLIVEのMCでも言うんだけど大学生になりたてで 軽音に入り立ての頃作った唄で ♪ 流れ星に誘われて~ というサビの 唄なんだけど結構 自分では 気にいっていてデビューLIVEで歌ったら先輩に「モリシゲ・・・その サビ 流れ星・・ んとこ」「♪黄金虫は金持ちだ~ と まんま同じメロディーやで」と今 思えば中部圏で育ったおいらが始めて受けた 関西人からの突っ込みだったなあ あの時が・・・そんな 学生時代の懐かしい ポスター 持ってきてたの忘れてて 昨日 部屋の片づけしてたら出てきました実は 中学の時も 少しだけ作ってて もう ノートも失くして歌詞も覚えてないけど出来たーーと 思って友達に聞かせると「その サビ酒と涙と男と女 の メロディーやん」とそんなんばっかで・・・・言われて気付く 情けなさでもねえ・・・こんなおいらも30代後半から 40代中盤の6、7年は まったく唄を作らなかったというか 作れなくなったギターは 日曜とか 弾いてたりしたし今は もう手元にはないんだけどギルドのギターとかも 買ったりとか・・・音楽は いつも傍らに・・だったけどでも・・・なんだろう 何を歌えばいいのか わからなくなったというか歌いたいことが 全然湧いてこないいろいろ 作りかけてはみるんだけどみんな 嘘っぽいというか 言葉も メロディーも 自分自身の 心に全然 響かないちょうど 仕事も 家庭もあれこれあった時期でもあり心の叫びは 色々あったはずなんだけど なんでだろう? 今 思うとほんと不思議な感覚だったなあ・・・その頃は そんな風だから人前で歌いたいとも思わなくなり完全に 音楽活動は休止状態ほんと暗闇の時代だったなあ・・・さて今年は 何曲作れるかねえ今年は 何曲と 呼ばず 何号って読んでみましょかねってことは昨日出来たのは何曲 いえ南極1号 やねそれって ダッチ○イフ やんのポチを
2015.01.12
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只今4℃の上海晴れています昨日 土曜日は仕事は休みまず 朝起き遅い朝飯食べながらブログを書きその後筋トレ ストレッチで、バンド練習にと スタジオに昼錬ですな久々 6人全員で音をだすやっぱHIS いいわ・・と痔が悲惨いえ自画自賛で、その後久々の 開心果にとある LIVEの打ち合わせに向かう店主 タカさんと別件で打ち合わせがあるという拓ちゃんも一緒に4時過ぎの 開心果水蜜糖のお茶とあんみつを・・・オーダし練習でがっつり歌い終わった後の喉を癒してくれるアイスクリームとかあんことかのあんみつがまいうーーーでしたかの 大門未知子嬢はオペの後は甘いもの・・・ですがおいらもガンガン 歌った後はビールもいいけどあんみつでも いいんですで、 あんみつ食べながらタカさんや拓ちゃんと打ち合わせしたりよもやま話したりで、 打ち合わせを終えこの後用事があるという拓ちゃんと別れお店を後にし一人日本人街、古北に地下鉄を乗り継ぎ向かい切れかけていた焼酎を買い求めDVD屋をひやかし新作の大門未知子を買い家路にで、 焼酎を飲みながら新曲の歌詞の手直しし、風呂場に籠りアイフォンに録音しで、風呂に入りまた飲み直し大門未知子を ちょこっと見るこんな 土曜日もいいもんですな1日で いろーーーんなことするって筋トレし仲間と練習し人と会いで、一人で買い物し家に戻り唄を書き大門未知子見てなんか、盛りだくさんなことするのってすごい 得した気分がするんです練習し 飲みに行って 終わるのもそれはそれで 楽しいけど1日の中でいろんな事をするってなんか得した気分になりません?こんな 休日の 使い方も たまにゃあいいよね充実感で ええ感じこれで あと 柔道でも習えれば充実感に柔術感まで足されて もう・・・仕上げにJUJUさんの唄でも聞こうもんならそらもうすごい ジュジュジュ・・な感じで満ち溢れれるねわけわからんしーーのポチを
2015.01.11
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只今6℃の上海昨夜はそらあまあ ほんとに久しぶりにバンドHISの 練習で仕事を終えたメンバーが夜スタジオに 集まるドラムの 白竜さんの本帰国が決まりその 送別LIVEに 向けての準備を開始したわけなんですがとはいえ肝心の 白竜さんは昨夜は会社の送別会と重なり拓ちゃんも 用事ありでドラム、SAX抜きで新任のキーボド浅草の ご出身なのでキッドさんと 命名しようそのキッドさんの 音合わせの意味で4人だけだけどまあ 久しぶりなので構成や コードの確認も含め音を 出しましたキーボードもずーっと 見つからなくて上海在住の邦人なら 必ず読んでる 上海ジャピオンに募集の広告うってもなしのつぶてようやく メールがきたかと思うと中国人の女性で赤ちゃんと一緒でもいいならと・・・で丁重にお断りをしで、ようやく 御大ほっしゃんさんのご紹介で キーボードが見つかった矢先のドラム白竜さんの 帰任辞令駐在員バンドの宿命とはいえ・・タイミングが・・・めげずに今度は ドラムの後任を探さねば・・・まあでもある意味 今まで 我がHISもこの 5年の間にドラムが2人 ベースも2人 キーボード1人が 帰国されましたがちゃんと 後任が 見つかりなんとか 解散せずにバンドを続けていられるしかも ここ異国でこれって ある意味凄いことかもしれないなあ・・・と思ったりもするんです練習後は近所の 花紋さんで 4人で晩飯これまた 久しぶりしかし ほんとここの料理は外れがない 隠れた名店10時過ぎだったけどかろうじて 1テーブル空いてるだけで美味しい店は みんなよく知ってるわサラダは 変更したけどお薦めは 全部 食う これ基本中部圏風ナポリタンは美味牡蠣フライは どえりゃあでかいところで、音楽の話に戻りますが・・よく中国の人が驚くのがなんで日本の人ってこんなにギター弾けたり楽器出来る人が 一杯いるの?中国ではギターとかって 誰か先生に習うとか教室に通わないとできないものという 認識になっていて例えば酒場で次々にギターとか回して 唄歌う日本人を見るとなんでそんなにみんな弾けちゃうの?みんな 習ったの?と、驚くわけですなんだろうねでも・・そういえばおいらも 中学の時2クラスで58人だったけどギター弾けるやつ全部で4人だったかんなあその 確立からいくとここ 異国上海でこうして まあ時間はかかれどドラムやベースや キーボドの後任が ちゃんと見つかるのって凄いことかもしれないなあ・・・今までみてても結構 波があるんだけど意外に いないようで 多いのがドラム出来る人かなあと 管楽器できる人も多いですねブラバン出身の方とかも 含めで、大概 いつも不足気味なのがベーシストキーボドは 女性も含めるとそこそこおられるとはいえこのパートはピアノは弾けるけど コードは分からない譜面はよめるけど 耳コピ無理とか条件が合うかがポイントなんですねえギターも弾ける人は 山盛りいますがエレキ アコギも含めリードギターから バッキングとオールマイティに出来る人は実は 意外に 不足してたりするかなあ、 あといろんな楽器できちゃうマルチプレイヤーも 意外に多かったですなあ現役組みでは はやPさん帰任組みも ZENさん ワタさん T田さんみなさん かなりスキルの高いツワモノばかり・・・しかしHISはなぜか メンバーチェンジを経ても 男になる しかもオジサンマルちゃんだけは 30代ですが・・・モノには 魂が宿るごとくやはり人妻を 癒す サウンド の 頭文字をとりH I S に したから女性を寄せ付けない何かが宿っているのかもしれませんな女人禁制まるで・・・土俵のようですなさて 今日も練習、練習のまわし でも しますかなまわしをするが 用意をするって方言 知ってました??知ってるのポチを
2015.01.10
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只今1℃の上海昨夜 安徽より帰還相変わらず暖房なしの 事務所はさむおましたさて・・ここのところの寝る前の 読書は伊集院静氏の 著書だどうも 以前から おもて表紙に写る伊集院氏の姿を見るにつけん??この人グラサンかけたら浜省さんに そっくりかも・・と気付いてだから どうなん? って 別にないけど(笑)絶対 似てるって おいらもまあ、拙いながらもこうしてブログを書いたり唄も書くくらいだから活字が 好きなわけで寝る前に 頁数こそ 少ないけれどちょこっと本を読むのは日課なのです寝酒ならぬ寝本??寝本で待つ??あれ?? あれは 涅槃かあと・・・沢木耕太郎氏村上春樹氏の本などが、ベッドの横の引き出し台の上アコーステックギターマガジンの上に無造作に いつもおきっぱになっているそういえば・・・本といえば弟の読書量は 半端なく自分の比でなかったなあ・・弟は おいらが高校生の時以来一つ屋根の下で 暮らすことがないまま大人になり 結婚をし家庭を持った高校生の時親父に名古屋から札幌への転勤の辞令が出ておいらは 隣町で料理旅館をしているお袋のお姉さん つまりおばさんの家に居候をしながら 高校に通いまだ中学生だった弟は 親父とお袋についていき札幌の中学に転校した大学生になったおいらが休みを利用し札幌の家に 行った時 知らない間に自分より はるかに背が高くなっていた弟にどえらい驚いたことを 覚えているしおいらなど やったこともないスキーが びっくりするくらい上手くなっていたことにも 驚いたものだその後 弟が大学に通う頃 下宿を訪ねた時や社会に出て 今度は 横浜の弘明寺で暮らすことになった 家を訪ねた時は今度は その本の多さに驚いたものだ本棚には 溢れんばかりの本が 縦置きで置ききれなく すべての棚に横置きで上に重ねられ、無造作に並んでいた、どうやら 弟には背の高さも読書量も毛髪の量も何も 敵わないままのダメダメ兄貴なのであるで、本の話に戻すと・・・例えば 音楽とかだと「私 ○○が 好き よく聴くのーー」 と、言われてあーーそうだろうな好きそうだーー とか 割と安易に聴いている姿とかが 想像できるけど本って どんな人が読んでるのか わかりづらいというか想像しにくくないっすか??それは音楽だと LIVEとかコンサートとかに行けば どういう人が聴きにきているか それこそまるわかりで表情やらも 見て取れるそれに 比べ本とかってそらーー 新刊出た時のサイン会とかいけばわかるんだろうけど普通そんなには 行かないじゃんそうするとこの作家の本ってどういう人たちが 読んでんだろう??例えば100万部 売れましたとか 聞いても誰が どんな人らが 買ってるんだろう?? って思ったりしたことない??すいません 変なことばかり思う性分なんですまあ でも 読書は人生に 必要ですな読書はしすぎても 体に・・・毒っしょ とは なりませんでもねポテチや お菓子食べながら読んでばっかいると本だけに・・・ すぐにBook Bookに 太っちゃうよ・・ 久しぶりに2段オチねの ポチを
2015.01.09
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只今1℃の上海外は 真っ暗今日はこれから 安徽出張やはりこの お日様が昇る前に起きるというんは 辛いですねえ寒いし 布団から なかなか抜けだせずおいらなぞ たまのことだからまだしも新聞配達の方 牛乳配達の方お豆腐屋さん パン屋さん駅員さんなど早起きの ご職業の方は大変やと思いますまあ でもそれを生業と しているのだからびしっと 起きられお仕事に 向かわれるんでしょうがところで、この生業とするもの、こと、というのは過程もですがなにより・・・・結果。としたもので結果として・・・数字が上がるお客さんが増える評価が上がる業績が上がる利益が出るそしてなにより ミスをしないこれらが 評価対象であるには違いなくいくら 過程がよくとも結果が 出ないことには 評価は、してもらえないてーーのがまあ生業とする仕事では 一般的ではあるかとで、生業としてないもの こと・・・はというと結果がよければに・・・、勿論こしたことはないんすけども過程を楽しむだけでも いいんですな例えばゴルフであれば道具にこだわったり、フォームを研究したり練習方法を工夫したり・・・で、 結果ハーフ60叩いちゃおうがいいんです音楽だってそう楽器にこだわったり、あれこれ練って練習しで、コンテストで 落ちようがLIVEに お客さん・・・3人なんてのが日常 とかでもいいんです目標に向かう上での練習や 工夫や そんな過程 が また 楽しからずやで有意義な時間だったりするんです過程は 特に・・・・ 男子は 大事ですいつまでも・・かてーー と言われないと ねえすいません硬い話でで、懲りずにこちらもポチっと
2015.01.08
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昨夜はみぞれもまった上海今朝は3℃で曇ってますおそらく5年ぶり??になる自主CD制作に向けての最初の1歩をと・・・ 新年2日の日にスタジオ坊発楽でラフ音源を録音したのですが今さら・・なんですが まず、1歩 踏み出す そうすることで景色が変わるって あるなあ・・と実感したんですもとはと言えば昨年 帰国LIVEの際とかに「CDはないんですか?」 と聞いてもらえたことや自分なりに ちゃんと形に残したいと思える唄が 溜まってきたかなあ・・・とかそんな 想いが交錯し来年は CD作るべかなあ・・と、おぼろげには 思ってはいたのですがとはいえ、仕事も 前にも増し バタバタで、突発的な出張も多くオフはオフで弾き語りと併行でバンドの活動もしていきたいし・・・ ととはいえ徐々に CD制作の構想だけは 頭の中に拡がりをみせこんな風に・・とか、 こんな人に・・ とかいろんな アイデアや構想が・・・しかし その拡がりと反比例するようにそれって 実際にするのって・・・・この 今の 自分のおかれた状況だとた、た、大変やがな・・・とそうなるとですねえ次に 思考が進むのはまだ時期早尚だろ・・・ とか金もかかるじゃん・・・ とか作らない自分への言い訳への連鎖でやっぱ やめとこかあ・・・ とその 言い訳 弱気を打ち崩すにはまず 1歩 歩を進めちゃうで、 実際進めて録音した音源聞いたらあーーもっとこうしたいという願望やらこれが ちゃんとした テイクで聞けた後の 充実感に浸れている自分のイメージとかがリアルに頭を支配しだしやっぱ やろう・・・ 作ろう・・・頑張ろう・・・と歩を進める 以前のどちらかというと言い訳が 多くを支配してた頭の中というか 心持ちというかの後ろ向きモードが一歩踏み出したことで 確実に 前向きモードにと変化してくるんですなあ今さらながらちょっとした 発見でしたどうもねえ 歳を重ねるとがむしゃらさも 欠如してくるから余計なのかもしれんねえ只今 音源を何度か聞き直し構想をまとめ直したり直前に出来てどうしても入れたい唄の推敲をしたりとんなわけで 今年は「歩を進める 1年」に したいな「歩を進める 1年」でも・・・ 歩の 前に‘ あ‘ がついちゃう 1年かもなあかもねえのポチを
2015.01.07
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只今 9℃の上海どんより曇り暗い朝です今年もこっちで新年を迎えたので年賀状は書くことも出来ず 読むことも出来ず・・・ここ4年そんな風なので 年賀状も年々 減る一方で寂しいもんですが・・・とはいえネットのおかげやら、音楽活動を続けることやら、 で、年賀状こそ やり取りはしないものの新たに出会えた人や 再会を果たせた人は年々 増加傾向かもしれないなあ年賀状って・・その半分以上はもう 何年もお会いしてない、連絡もとっていない人のものが占めてるって そんなこと ないすか?とはいえひょんなことや巡り合わせでまた 何年もお会いしていない人と繋がったりなんて実際 おいらも 昨年もあったわけだし・・・・思いもよらない再会がひょんなことからあるなんてことも、ないわけではないこないだ女性歌手で 最もリスペクトしている中島みゆき嬢のDVDを見た時「中島みゆきと同じ時代に生き その唄を聞けたこと・・・」と、 そんなコピーのテロップが。。。そうなんすよねえ同じ時代に生きてるって 普段 あんまり意識しないけど確かに・・・そう思うと 凄いことだよなあと遅く 生まれれば音楽は色褪せないからCDでも DVDででも 聞けるけど生では 聞けない場合もあるしそれよりも早く生まれてその アーティストが デビューする前に死んじゃったら知ることも 聞くこともできないもんなあ・・・なんか当たり前なんだけど例えば おれの爺さんや 婆さんはおいらが 今 好んで聞いてる音楽は 知らぬまま亡くなったんだよなあ・・と偶然 同じ 時代に生まれ70億人からの人が住むこの星で 出会えたんだから例えここ何年か 会っていないとしてもその 出会いは大事にしないとなあ・・・とだって 同じ時代を お互いに知り合いとして 生きてんだかんねえ今年はどんな出会いや 再会が 待っているんだろうでもねえ・・・出会いは 例えば 道の角とかで突然とかはあきませんえ白けてしまうことが多いです出会いがシラっ て 言うでしょ言う言うのポチを
2015.01.06
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只今12℃今朝は暖かい上海昨日は 仕事始めまあ とはいえまだ日本が お休みなのでメールも 電話も まったくなくゆるやかに始動・・ってな 感じでしたな今日は そうはいかないねこっちの会社に勤めてからは例えば デスク廻りの 掃除なんかも12月の年末ではなく旧正月休み前に するとしたものでこちらはこれからが年末なのです今年は旧正月の 元旦は2月19日と 遅くおいらが2008年に 上海に 来てからでは今年が 1番遅い 元旦で逆に1番早かったのが2012年で この年の元旦は1月23日でしたしかし下手すると 1か月弱も変化するんだからおもしろいよねえ 旧暦というのはでも アジア圏では この旧暦が主流で韓国 台湾 ベトナム モンゴルなども旧暦で正月を祝うのだけども・・・この 元旦が 年によって変わり例えば 20日間とかも ずれればそれに伴い元旦を挟んだ前後の旧正休みとか民族大移動とも 言われる長期休暇もおのずとずれるわけで季節に関わる 業界・・・アパレル、 靴、布団、等の工場やらは影響も大きいんです 旧暦の元旦が早い年は春ものの 商品の生産期間が 短くなり旧暦の元旦が遅い年は春物は遅くまで生産できるけど 逆に初夏ものの生産期間は 短くなると、こんな具合で休暇の変動が 仕事にも影響を及ぼすのですな変動といえば為替も そうですね最近は 円安だから今年の旧正月の時の 日本へ行く中国人は おそらく過去最高になるんじゃあないかなあ・・・1万円両替して 前は800元あったのに500元切ったと嘆く 日本人出張者に対し前800元した 1万円が500元で 手に入る 中国人旅行者そりゃー日本に買い物行くでしょそうじゃなくても 日本製品が好きな人は ほんとは多いわけだし思えば おいらも円高の激しい時にアメリカに マーチンかギブソンのギター買いに行こうかと真剣に思ったもんです為替の変動で右往左往 することがないよう景気の波を上手に かわせ れれば いいんだけどねだよねのポチを
2015.01.05
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只今 2℃の上海正月休みは終了今日から 通常出勤です中国は1日のみ 祭日で2日が平日とはいえ 1,2,3日と3連休にして2日の振り替えで今日から 出勤という会社が多く日曜だけど 出勤とまあ こんなわけです1日は 上海のにわかガイド、夜は妹家族や親戚と食事2日は 録音と 夜は仲間との 正月くらい日本酒呑もうか会 とでみっちり昨日も朝は 最近どうも異音が大きく調子が悪い車を見せに、知り合いの 修理屋さんにその後はカミさんの買い物に付き合わされなんか 慌ただしく 3日間、終わってしまったけどまあ 充実していたといえばそうなわけで 良しと しないとね連休で 外食が続いたり 間食が増えるとどうしても体重も増加気味でベルトが いつもの穴だときつめになったり・・・そんなこと ないすか?日本時代の 正月休みなどその最たるもんで大晦日からしてすき焼きだ 年越しそばだでで、雑煮だ おせちだ 蟹だ 酒だとかでそらーー 肥えまっせ肥えたかな ・・・と感じたら 即 実行が 大事ですな風邪はひき始め 肥満も肥え始めの 対処が肝心です腹6分目でいくか有酸素運動をし カロリーを消費させるかと 早めのダイエットが ポイントそういえばダイエットといえば・・・年末にした バンドHISの打ち合わせ兼忘年会たまたま 出張とタイミングが合い参加していただけた 2年前に帰国された 元 ベースマンの空海さん2年ぶりにお会いすると小顔になられからだも そこはかとなく すっきりとお聞きすれば 8kgのダイエットに成功したとかしかも その ダイエット法がユニークなんと 「ビールダイエット」なんでも晩飯の時に2,3リットルの ビールを呑みつまみは 枝豆くらいであとは一切なにも食べずで、ビールで腹を膨らませそのまま 寝てしまうという前代未聞の ダイエットそれ 絶対 体に悪いでしょプリン体も多いし尿酸値やばいですって と言えども空海さん 微動だにせず「大丈夫」 と キッパリ世間で言われているほどビールは悪いものではないと力説を尿酸値より まずは体重を落とし メタボをなくすこと とこの順番を みんな勘違いしてるのだとなんとなく 説得力が・・・まあ でも 確かにそれで8kg痩せて、健康診断でもひっかからないのだからなあ・・・やはりビールは その名の通りあビールほど 呑んでもいいのかもしれませんなですなのポチを
2015.01.04
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只今6℃の上海外は 寒そうっすそういえば2014年つまり1年前の昨日も寒くてねえ・・・なんで 覚えてるかというとそうこいつの撮影をしたのでしたhttps://www.youtube.com/watch?v=dT2Nbv7HOtY&list=UUAhDMhadRzRXZMQT5ULYA9Qあれから もう1年かあ・・・で、 今年の昨日はというとこれまた音楽に浸る1日お昼からスタジオ坊発楽さんに2015年の目標その一自主CDを作ることで、そのCDに 御参加をいただこうと画策している友人たちに聞いてもらう候補曲のラフ音源を カナダ人のPAエンジニア MAXにざくっと録音してもらうとりあえず目標に向けての 1歩を踏み出したわけですなまあ 相変わらず仕事は バタバタになりそうなので合間を見ながら シコシコと作成するしかないのですがはてさて いつ完成出来ることやら朋友ワタさんたちが同じく上海で作られた WAYAという ユニットのアルバムのようなこう・・・上海の街や 馴染みの店、場所とかの息遣いや仲間たちと過ごした楽しかった時間の断片なぞが傍らにいるようなそんなアルバムにできればいいなと思うわけですで、録音を済ませ副社長と よもやま話などをしていれば日もとっぷりと暮れ二人で向かったのは 古北にある「旬香亭」 さん和洋折衷の美味しい料理を食べさせてくれる洒落たお店なんです昨年の正月副社長と マルちゃんと3人で正月くらい日本酒飲まないと と3人で2升ほど呑み またそれが楽しくて今年もするべ・・・と「正月くらい日本酒呑もうか会」を今年は気がつけば 11人の参加者が正月を上海で過ごす仲間らが集まりました運よく ひれ酒があってこれが 香ばしくて 実に美味いひれ酒で、ええ塩梅になり河岸を変え二次会は BARクレセントに移動しみんなで新春グダグダLIVEならぬ歌い初め皆 かわるがわるギター弾いたり ピアノ弾いたりでよく呑み よく食べ よく歌い よく喋りでもねえ・・・昨夜は 心なしか 皆話しが 大きくなってたかなあ・・・やっぱ ひれ酒、呑んだだけに話に おひれはひれが ついたとさちゃんちゃんで、こちゃらもポチっと
2015.01.03
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-1℃の 上海昨日もでしたが今日もいいお天気昨日のブログに書いたよう昨日は にわか上海ガイドさんオーストラリアからトランジットで上海経由で上海で半日時間のできた岐阜の実家の隣の 奥さんと長女ちゃん 三女ちゃん奥さんはおいらが帰国するたびにお会いするが長女ちゃん 三女ちゃんはそれぞれ一人暮らしでどうだろう 再会は10年ぶり以上かなあふたりともすっかりいい娘さん特に三女ちゃんは息子と同い年で幼稚園の時から小中高と同級生でまあ 親戚の娘ちゃんみたいなもんわずかな時間でしたが実に楽しい時間でした姉妹や母娘って いいですよねえなんか 友達のようで一緒にいる こっちも まさに親戚のおっちゃんモードでで、 どんなところにお連れしたかというとまずは お迎えにオーストラリアからは上海浦東空港に早朝5時着とはいえ さすがにそれでは どこもやっていないので8時に空港に迎えに行くことに・・・空港に向かう 道では初日の出を堪能できましたで、空港で ピックしそこからプチ上海ガイドっすまずは 上海観光の王道 豫園に朝だと人も少ないだろうといわゆる古き中国中国らしさを体感していただく 日本も雪も降り寒かったようですが昨日の上海も 寒おましたえで、 古き上海の後は真逆な近代上海の 象徴通称 せんぬきビル492m上海が一望高所恐怖症のおいらには足もすくむ この後昼食をショウロンポウをメインにあれこれ と食しで、 田子坊に これが 大正解やはり若い女性には田子坊ですな「かわいいーーー」「なにこれ・・・」そんな 言葉を思わず連呼すること間違いなし例えば これ全ての料理がいろんな便器をかたどった器で運ばれてくる店 点滴のような ゼリー で、猫カフェとはいえ猫が6匹しかいないので 写真など撮ったら隣の カップルなどにどうぞ・・とまさか譲ってもらえないと諦めてた 隣のカップルは 満面の笑顔でねちゃんとその後そのまた 隣のテーブルにそうですこうして 日本の礼節譲りあいを中国の若者に伝授することも 大切です田子坊 楽しめますよーーーでもこんなのもあるんだからあなどれませんちょっとHは万国共通 ですななんやねん このスリッパ スリッパだけにご立派ですですなの ポチを今日は紛れもない上海情報
2015.01.02
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皆さま あけましておめでとうございます本年もよろしくお願いいたします上海は只今0℃まだ 真っ暗なんか・・・ 去年も書いた気がするけど・・・昨日と 今日だけだよね1日 変わっただけで仰々しく 挨拶するのお世話になりました良いお年を・・・ って例えば フェイスブックなんかで書いて寝て一晩寝てたかだか 6,7時間後に今年もよろしくお願いしますって改まってなんか おもしろくない??俺だけ そんなこと思うん??で、元旦ですな今日 早起きせなかんから昨夜は 早く寝たここ何年か 上海で年越しで紅白も ゆく年くる年も見ずで普段となんもかわらんし(笑)とはいえみんなから おめでとうメッセやメールがくるのでプチ新年気分ですかなさて これから浦東空港です残念ながら帰国でなく ガイド??です岐阜の・・って 市でなく 郡ですが実家の 隣の家の奥さんとその長女、三女の3人で正月休みを利用しオーストラリアでダイビングをしトランジット 上海経由で早朝上海に着き 夕方の便で名古屋に戻るのがお値打ちでねえ そうしたの・・と11月帰国した際 お伺いしじゃあ上海で 時間潰すの大変ですやん よければ 案内しますよと隣の家の 御夫婦はおいらが中学生の頃新婚さんで隣に 住み始め4人のお子さんがおられ1番下の三女さんはおいらの息子と中学高校は同級生長女さんには 息子の高校受験の時家庭教師をしていただき無事 志望校に入れたりと旦那さんにも 奥さんにもですがこうして娘さんや もう亡くなられたけどおばあさんにもとお隣ご家族にはそれはそれは お世話になりっぱなしでこんな時くらいはお役に立たないと罰があたるというもんです地下鉄や バスも邪魔くさいしとはいえ 自ら運転だと市の中心地は車停めるところがあるのかも いまいち??で観光タクシーでもチャーターしようか どうするべとカミさんに 相談したら親戚の オジサンでそういうの 明るい人がいるというのでその オジサンに 頼んだ次第でそのオジサンの運転で上海市内を サクッとご案内をしようと こういうわけですまあオジサンって 言ってもおいらより 年下ですがお兄ちゃんというほど若くないそうそう昔は オジサンと聞くと自分より 年下なんて ありえなかったけど今は あのオジサンとか って 聞いても歳を聞くと自分より年下だかんねえ年上は オジサンじゃなくお爺さん??んなあ こたあないか・・まあでもそんだけ ジジイになったんだろうねてなわけで今日は ガイドですえガイドさんは 連れてく先々で連発しないとねここ ガ イード 本年も 駄洒落とちょっとHな線でブレズにと信念を 胸に秘め新年 始動 です皆さま金が新年ゲイ春今年もよろ乳首 おネエがいい します行ってきまーすの ポチ始めを
2015.01.01
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