火力剣士様が行く(;^ω^)

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孫子「形 篇」 14,

「先ず勝つ可(べ)からざるを為(な)して」


刑篇は、自軍は不敗の態勢を維持しながら、敵軍が敗北を招く態勢になるのを待ち受け、無理なく勝利すべきことを説く、となっています。


『古代の巧みに戦う者は、まず敵が攻撃して来ても勝つことの出来ない態勢を作り上げた上で、敵が態勢を崩して自軍が攻撃すれば勝てる態勢になるのを待った。


敵が決して自軍に勝てない態勢を作り上げるのは己に属することであるが、自軍が敵軍に勝てる態勢になるかどうかは敵側に属することである。』




敵に負けない態勢をとることはできるが、自軍が攻撃すれば勝てる態勢をとらせることはできない。その後の展開をあれこれ想像し、敵がああすればこちらは勝てるのだが、といった予測は出来ても、それを絶対に実現することは出来ない、とのことでした。


さて、では、敵が自軍に絶対勝てない態勢とはどういう態勢でしょう。


孫子は、それは守備なる形式であり、


自軍が敵に勝てる態勢とは攻撃なる形式である、といっております。


ならば、攻撃態勢のほうがいいじゃないか、とも思うのですが、 守備に回れば戦力に余裕が出て、攻撃に回れば戦力が不足する 、と孫子は述べています。



『古代の巧みに守備するものは、大地の奥深くに潜み、好機を見ては天高く機動した』



自軍を敵軍の攻撃から保全しながらチャンスを待ち、敵軍の態勢が崩れるといったチャンスが訪れたなら、その崩れを素早く衝いて勝利を逃さなかった、ということだそうです。



さて、守備を優先させる理由ですが、これには3つあります。


1, 守備が自軍の努力により可能なのに対し、攻撃の成否は敵の動きに左右される不確実性を含む


2, 攻撃をかけて勝利するよりも、攻撃によって負けないことのほうが先決である


3, 守備のほうが戦力に余裕が生ずる形式である




「戦争論」のクラウゼヴィッツも、防御という戦争形式はそれ自体としては攻撃と言う戦争形式よりも強力である、と言っております。


ただ、クラウゼヴィッツの場合は劣勢なために守備形式をとるのであって、こちらが優勢な場合はその限りではない、と言うようにも述べており、兵力が優勢だから攻撃、劣勢だから守備、というように考えていたようです。


守備と言うと一見消極的な作戦に思われますが、孫子の場合は敵の戦力が消耗していくのに対し、自軍には余裕があり、その余裕から敵の態勢を乱すような手を打って好機を待ち、その好機が来たと見るや攻勢に転ずる、という積極的な面もあります。


まあ、これもやはり、敵が自軍より対等かどうにか対処できる戦力差である場合のこととなるでしょうね。そうでない場合は戦うべきではないのでしょう。



ちなみに剣士は特にこの戦い方が良いんじゃないかな、と個人的に思ってたりします。


最初はその硬さとしぶとさで耐えて、耐えて、相手の消耗品を消費させることと、倒せそうな人のチェックに専念します。


中盤辺りから数の多い、花とかの物資を使っていき、雌伏の間にチェックしておいた軟い人やイケそうな人を中心に攻撃を仕掛け、で、後半は心臓などの強力だが消耗の激しい物資を消費し、一気にケリをつける!


・・・まあ、そんなにウマくいかないわけなんですけどねww


自分ひとりで戦っているわけではないので、まあ、個々にある程度の調整は出来るでしょうが、自分のギルドが勢いにのってるときはそれに乗じた戦い方をしたほうが良い時もあります。臨機応変ですね。


ただ、ゲソは上記の戦い方を基本にしたいと常に思っています。


ときどき忘れて暴走しますけど(((;^ω^))))





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