知事就任挨拶(2000年)




2000年9月、康夫ちゃんが長野県知事になった。

就任の挨拶。
私は家で聞いていて、思わず涙があふれた。
こんな熱い思いを語る政治家がいただろうか?
こんな真摯な思いを口にする政治家が?

私は選挙中、ずっと康夫ちゃんを追いかけた。
子どもを連れて、主婦仲間で追いかけた。
小さい子にも接するときはいつもしゃがんで同じ目の高さで、
そしておじいちゃん、おばあちゃんには走り寄って、
目の前で見る田中康夫は血の通った暖かなひとだった。

この人なら信じられる。
まかせられる。

初めて積極的に選挙に関わったあの夏。
あれからもう5年がすぎた。
事実が正確に報道されず、
きちんとした判断材料も与えられないまま
あるメディアが調べた田中知事の支持率は4割を切った。

でも、彼は何も変わっていないよ。
2000年のこのときから。
目指しているのは県民の幸せ。
そのためにひとりひとりが自律的な議論をと。
使う言葉は変わったかもしれないけれど、
基本的な姿勢は何も変わっていない。
これだけまっすぐな政治家もいないと思う。



新知事就任あいさつ

「同じ目線で建設的な議論を」

 お忙しいお仕事中にお集まりいただいて大変ありがたく、また心苦しくも思っています。私は本日から長野県の知事を務めることになります田中康夫と申します。どうぞあの、お体を楽にされてと言っても座る椅子はございませんが、しばしの時間になりますがお聞きいただければ幸いです。

 先ほど初登庁いたしまして、玄関のところでお集まりいただいた県民の皆さんあるいは県の職員の皆さんにもお話申し上げたのは、私が小学生の時にこの長野県庁へ社会科見学にまいりました時の想い出です。県知事室も拝見させていただく機会に恵まれました。その時にご案内をいただいた方が、ここに張ってある大理石はイタリアの大理石であるというふうにおっしゃったと思います。大理石は私の記憶に間違いがなければ非常にある種灰みがかった非常に荘重な伝統とまた重みを感じさせる大理石の色合いでした。けれどもその後、わたしが大学1年生の時に、私の父親はご存じかもしれませんが、この長野県の信州大学の方で永らく心理学の教鞭をとっておりました。また、わたくしがこの長野県に小学校2年生の時から暮らすようになりましたのも、その父の仕事の関係でありますが、その父がイギリスの大学で1年間同じく教えておりましたときに、家族で旅行いたしました。イタリアのフィレンツェの町にもでかけまして、イタリアの栄華を極めたメディチ家の人々を祭る寺院にでかけました。そのとき私が少なからず驚いたのは、その床にちりばめられた大理石の模様は、緑がかった大理石もあれば、あるいは赤みがかった大理石、そしてもちろん灰みがかった大理石様々な色合いがあったということです。大事なのは、県庁の中の一種類の色だけでなく、県内各地の地方事務所や更には220万県民のさまざまな思いを、フィレンツェの大理石と同じように認め合わねばならないのです。



使命は、220万県民の命を守ること


 私は本日から、すべての投票所に足を運ばれた方のみならず、都合がつかず投票所には足を運ばれなかった方、またその20歳に満たない方々、そしてもちろん私以外の方に一票を投じた方も含めて、皆さんとご一緒に、220万人の県民のために、220万人の県民の命を守るということを私そして皆さんの一番のそして最大の使命として、これからの長野県政をはぐくみたいというふうに考えています。

 私は、たびたび選挙中にも申し上げましたが、県知事という職務は決して県の職員の方やあるいは県民から仕えられるという存在ではなくて、県知事も一人の県民として県民の方々に仕える存在であるということを常に心の中に秘めて、これからの皆さんと一緒に県政を行っていきたいと考えています。その意味で私が申し上げているのが、もう既にお聞きおよびかもしれませんが、県知事室を3階から1階に移すということです。もちろん限られたスペースではあります。そして私はその3階の場所でなくてはプロトコール上お目にかかるのが失礼に当たる立場の方が多々この国際的な長野県に訪れるということも十分にわきまえているつもりであります。そして1階にすべての総務の機能を移すということは、不可能に近いということもわきまえております。ですが私自身は、必要最小限のスペースで通常の日常の業務は、秘書の方と一緒に1階で行いたいという気持ちを強く持っています。それは、単なるパフォーマンスではないのです。実態のあるパフォーマンスです。



県民の方と車座になって語り合う


 それはどういうことかといえば、私は、そこで、月に2回は県民の皆様が自由に訪れて知事と会話をすることができる、県民の日と私が名づけております日を設けたいと思っております。のみならず長野県は全国4番目の広さを誇りますから、県内の各地に、たとえば土曜日であったり、日曜日といった多くの方がお集まりやすい日を選んで、県内の120市町村各地へ私が月に2回は出かけて、車座になって語り合う、県知事が一方的に語るのではなくて、小1時間県知事が話したならば後の2時間ないし3時間あるいは4時間は、県民の方と車座になって語り合うことが必要だと思っております。

 上田と松本で暮らしておりました小学校から高校にかけて、両親がしばしば、呟いてくれた内容が、私の原体験にあります長野県なのです。それは、長野県の方というのは本当にお年寄りでも、ちゃあんと自分の言葉をもっている。自分の言葉で自分の考えを語ることができる。こうした事実です。私の父は東京の下町と、そして疎開で茨城県に暮らしておりましたし、母は静岡県でそれぞれ大学に入るまで暮らしておりましたが、その両親は小学生であった私と妹に繰り返し語ってくれたのです。長野県の方というのは自分の考えを自分の言葉で語って、非常によい意味での建設的な議論ができる県民ということです。

 私もそうした皆さんと、そしてこの晴れた日にはとても空が青くて高い長野県の風光明媚な風土の中で、多感な時期を過ごし、現在の私が育まれたと思っております。



クリエイテイブなコンフリクトを

 クリエイティブ・コンフリクトという言葉があります。クリエイティブはご存知のように創造的な、という単語です。コンフリクトというのは、辞書をひきますと、矛盾であったり、あるいは争いというふうに記されております。私はこのクリエイティブ・コンフリクトという言葉を、創造的な葛藤あるいは創造的な議論と、建設的な葛藤、建設的な議論と、訳しております。

 往々にして日本では、小異を捨てて大道につくというような言葉を使う場合があります。とりわけ大きなひとつの目標に向かってまい進する場合には、小異を捨てて大道につかねばならぬのだという考え方があります。

 けれどもお考えいただきたいのですが、私たちは人それぞれ、たとえば皆さんのお子さんであっても、あるいは皆さんの御両親であっても、100パーセント同じ意見を持つ事は、恐らくあまり有り得ない。それぞれ異なる小異を持っている。全員が小異を捨てて大道につくということは、それはある意味では全員が同じ鋳型の中に入ったロボットになってしまうということかもしれないのです。私は常に小異を残して、あるいはそういう言葉があるかどうか定かではありませんが、中異というものが仮にあるならば、小異を残したまま、中異を抱えながらもひとつの大道につく。それは、私たちの大道は220万人の、まともに働き、まともに暮らし、そしてまともに納税をし、まともに考えている、その県民の方々の生活、とりわけ、その方々の命を守るということです。

 私は是非皆さんとも、あるいは県議会の皆さんとも、また県民の方々とも、そのクリエイティブなコンフリクトの関係を、よい意味での緊張関係を持った二人三脚を構築したいと思います。それぞれ県の行政に携わる方、皆さんお一人おひとりも、県民税を納める県民という点では同じなのです。

 そして、私もまた一人の県民であります。そうした県民一人ひとりが、まさにお互いが、双方向の建設的な意見を交わし合える、こうした長野県を育んでいきたい、それはかつて長野県民が本来、抱いていたものだと私は固く信じております。



現場に出かける知事になりたい

 私は同時に、今日お集まりの方は県庁の中で常に執務をおとりになっている方々が大半かと思いますが、みなさんと同じようにこの広い県内の各地で、この時間にも現場で働いていてらっしゃる方達も、同じ長野県の行政を支える一員なのです。私は、できるならば、あるいはもしかすると皆さんは、「そんな時間は君にはほとんどないにちがいない」とおっしゃるかもしれませんが、私は1月の内、延べにして1週間は県内の各地にある地方事務所、私は地方事務所という語感もなにか他にふさわしい言葉がないものだろうか、と拙い文章を書いてきた人間にも拘らず愚考しておりますが、その地方事務所の現場にも、もしできるならば私はたとえば1ヶ月に3日間ずつ2箇所に出かけて、もちろんこれは私を支えてくれる総務の方々には情報伝達の面で多大なるご迷惑をおかけするようになるかもしれませんが、私は地方事務所において執務を取り、そしてその地域の、長野県が現在行っていることに関して、各事務所の方からもご意見をお聞きして、そして地域の住民の方からも意見を聞き、また、実際に現場に出かける知事でありたいというふうに思っております。

 実は、現場に出かけるということは誰でも、仮に時間とその費用を負担することができれば行うことができます。けれども私たちにとって大事なことは、そこへ出掛けて何を見て、あるいは何を聞き、あるいは何を肌で感じるか、私たちが五感によって何を感じ、また今すぐ私たちが県の職員としてできることは何なのか。また、多少時間はかかるかもしれないけれど私たちが行わなければいけないことは何なのか。あるいは、実際に実行に移す上で、またそれを達成するには少なからず困難を伴うとしても、それを行うことは県民の利益にかなうと判断したならば、責任は県知事である私、あるいは今日ここにお集まりの皆さんの多くがそうであられるように役職としての権限がそれぞれ与えられている方々の責任のもとにおいて、それぞれいっしょにチームを組んでいる老若男女を問わぬ職員の方といっしょに、いささか困難であろうとも必ず県民のためになる諸策は何れかを、勇気を持って冷静に見極めていかねばならないということです。



何をすべきかの前にどうあるべきかを考える

 私はしばしば選挙中にも、県民益という言葉を使いました。国益という意味は本来、一人ひとりの納税をする国民益のはずです。けれども残念ながら現在の日本で行われていることは、少なくとも私からみると、国会議員後援会益であったり、あるいは国家公務員益であったり、「国」と「益」の間に「民」という1文字が入ればいいのに余分な文字がたくさん入っているようにも思われます。県益と言うものがあるのであればそれは同じく、私たち職員も県民税を納める1人の県民であるように、一人ひとりの真っ当に働き、真っ当に納税をする県民のための県民益でなくてはならないはずです。一部の方々のための権力の「権」であったり利権の「権」であったりの「権益」であってはならないわけです。

 私が皆さんと一緒に現場にでかけて、そして迅速なる判断を行おうとする理由もその点にあります。

 私はぜひ皆さんに、これは具体的に提出していただく方法は追ってご連絡を申し上げますが、皆さんが今長野県に関してどう考えているか、長野県というものをどう捉えているか、そしてこれから長野県に対して皆さんお一人お一人が何ができるのかということをお書きいただいて、Eメールもしくはファックスで頂戴しようと思います。ファックスも直接私だけが見れる受信番号を設定して、そこにお送りいただこうと思っています。今までの私たちの社会は、これは長野県に限ったことではありませんが、何をするべきかということばかりが問われていました。けれどもこれからの時代はおそらく、何をするべきかの前にどうあるべきか、ということを私たちは考えなくてはいけない。どうあるべきかという理念を持った上で、あるいは出来得れば、その理念を共有化した上で、何が今出来るのか、あるいは何をしなくてはいけないのかということを、220万人の県民が予め納めて下さった税金からお給料をいただいて生計を立てる私たちは、常に考えねばいけないと思っています。


公益性の判断は地域の人々

 公益性というものを考えてみましょう。今までは一部の利害関係のある方々が、その公益性の有無を決めていました。もちろんそうした密室的決定ではないケースもあったとは思いますが、本来、公益性とはその地域の税金を納めている方々が判断するべきことなのです。繰り返しますが、皆さんも私もまた、地域の一人の、税金を納めている、公益性を判断しうる立場の人間ではあります。

 さて、その公益性を判断するにはどうしたら良いのでしょう? 県民の方々に私たちの側から情報を提供しなくては、その事業に公益性があるかないか、判断することができません。また、その情報の提供の仕方というのは、数字を羅列することでは決してない。私たちの社会では数字だけでは判断できないことが多々あるのですから。

 私は少なくとも大きく3つの予測を、3つのシュミレーションをたてて、例えばこの大きな投資を当初の予定通りに行う場合、金額はこのぐらいで、こういうメリットもあるけれど、こういうデメリットも生じる。続いて、別な投資の仕方をすれば、金額はこのくらいで、この場合にはこういうデメリットもあるけれども、こういうメリットもある。あるいは現状のままでいけば、それを維持するためのメンテナンスの費用はいくらぐらいで、その場合はメリットとデメリットはどのくらいである。大きな公益性が問われる事業に関しては、私は少なくともこうした3つのシュミレーションを県民に対して提示することが、県民の税金によって生計を立てている私を含む県の職員には課せられているのだと思います。

 公益性を最終的に判断するのは、それは民主主義ですから地域の人々です。そして、それは少数意見を尊重しながらも多数決ではあります。けれども、大きな公益性が問われる事業が開始されたあとも、私は少なくとも2年という期間ごとに、その事業が果たして継続に値するのかあるいは修正を必要とするのかということを、透明性の高い討議の中で判断していかなくてはいけないと思います。おそらくこうした評価は、民間とよばれる組織に於いては、普通に行われてきたことです。



相手と同じ目線で

 けれども、私たちもまた、民間と呼ばれる組織に暮らしている人たちと同じ体温を持った、ひとりの人間です。そして長野県民であります。であるならば、民間というところの常識が私たちにとっての非常識であってはならないということです。もちろん民間の常識が、いかなる場合においてもすべて正しいとは限りません。その場合には、私たちは勇気を持って、私たちの考えることこそが正しいのではないかということを、決して上から下への目線ではなく、―残念ながら私はさほど身長もありませんので今日は皆さんよりも2段ほど高いところからお話しをしていますけれども―同じ目線で、たとえ時間がかかっても、その地域の方々に、私たちの考えることはこういう理念に基づき、また、こういう根拠に基づき皆さんに理解していただきたいのだと、辛抱強く語る必要があると思っています。

 今目線の話をいたしましたが、アメリカの病院に行きますと、日本とは随分と異なる回診の仕方です。

 大半の日本の病院では朝、患者さんを回診する際、後ろの方に研修医なんぞをぞろぞろと連れた医師が「どうだね鈴木さん、今日の具合は?」と聞きます。すると、本当に痛いところがあれば、その患者さんは、「いやあ、先生、まだ右腹が痛いんです」と言えます。でも、ベットを見下ろして語られるのですから、ほんの少しだけの痛みであったなら、手術前にビール券なんぞを手渡していたにもかかわらず、「やあ、もう大分いいですよ。全然OKですよ」と言わざるを得ない雰囲気となりがちです。アメリカの病院では、これは日本でもいくつかの病院では取り入れられているとも聞きますが、ここが仮にベットの高さだとしたならば、(演台の高さまでかがみ込んで)こうやって一人ひとりに「ブラウンさん。今日の具合はどうですか。」と聞きます。とても痛いところがあれば、もちろん言えます。と同時に、少しだけ痛いところがあっても、かがみ込んで医師がしゃべってくれることによって、「まだ右腹が少しかすかに痛いんです。」と遠慮せずに言えるのです。

 おそらく皆さんも、ご自分の小さなお子さんであったりあるいは甥御さんや姪御さんに、おもちゃを買い与えた時には上からおもちゃを渡したりしない。必ずそのお子さんを抱き上げて「ほら、おもちゃだよ」と言ったり、お子さんの目線に降りて、畳の上に寝そべって同じ目線で語られるでしょう。どうか、皆さんが皆さんのご家族にすることを、是非、同じ県民である方々にも行っていただきたい。

 けれどもそれは、県民の方々の側にも、少し体の具合が悪いから私と同じ目線にまで降りて耳を傾けてくれたのだと素直に感謝していただく謙虚さと、体の具合が良い日には、自分からベッドの上に起き上ってその他者と話をしてみよう、あるいは今まで私を世話をしてくれたから少し背伸びをしてでも相手の目線に自分から近付いて語れるような意欲を持とうと、そういう気持ちをお互いが抱く必要があります。そうしたお互いの心遣いや意欲こそが、正に双方向の関係を構築するのです。そして長野県の220万人もの県民の中に、改めて申し上げるまでもなく、職員の皆さんも含まれます。私は、皆さんとご家族の生活を守るということも、県知事の重要な責務だと考えています。



冷たいハイテクの中にもハイクオリティな温もりを

 私が敬してやまない―まだ直接に彼の謦咳に接したことはありませんが―1人の経営者に、英国のブリティッシュ・エアウェイズという航空会社の経営者であるサー・コリン・マーシャルがいます。この方は、18歳で学校を出た後、船会社で海外航路の大きな客船のパーサーになりました。日々、お客様に接する仕事です。その時に彼が感じたことは、長い何十日もの航海の間には、同じサービスをしていても、相手のお客様はそれが、いつも変わらない、ある種事務的なあるいは形式的なサービスのように思い始めてしまう。サービスをする側の自分自身も、同じ船で何十日も乗っていると、初航海に出た時の張り合いをいつしか忘れて、ただ時間に追われて仕事をこなしていくだけの存在になっていってしまう。そうした現実です。その中で若き日の彼は悟るのです。求められているのは、奇をてらった一過性のイベントの繰り返しでは必ずしもなくて、まさに一人ひとりのそのお客様に小さな、けれども着実に喜びを与えられる心のこもった誠意なのだと。

 彼はその後アメリカに渡って、ハーツとエービスという2つの大きなレンタカー会社で最高経営責任者を務め、そしてイギリス経済が混沌としていた時に、女性の首相でありましたマーガレット・サッチャーに請われて英国航空の、―当時は日本語では英国航空と表現していました。現在はブリティッシュ・エアウェイズと日本語でも表現しています。―最高経営責任者となります。当時ブリティッシュ・エアウェイズは、いわゆる業界用語のツゥー・レター・コードではBAと記すのですが、これをもじってイギリス人の人たちは、「bloody awful」と呼んでいました。「血が出るくらい恐ろしいサービスの会社」。つまり乗っているお客がお客として扱われていないエアラインという意味合いでした。それは、ある意味、英国航空というのはいつもストライキをしていて定時運行もままならない、けれども組合員の人たちの組合員としての権利を主張する意識は極めて高い航空会社でした。英国へ戻った彼は、その時にどういうことを行ったのでしょう? 飛行機を操縦する人、飛行機の中でサービスをする人、地上のカウンターでチェックイン業務を行う人、機内の掃除をする人、あるいは、飛行機の整備をする人、営業の人、こうしたさまざまなセクションの人たちを混合して、研修センターにおいて50人前後のチームで、2日ないし3日の合宿を行うのです。そして、その9割がたの最後の時間に彼は忙しい合間をぬって訪れ、黙って皆の意見に小一時間、耳を傾け、その後で小一時間、新しい経営理念を語るのでした。今日私は皆さんに一方的に喋る形となって心苦しいのですが、コリン・マーシャルは職員の人たちの意見を黙って聞いた。多くの人たちは、「お前がやってきて、一体、何ができるんだ」、日産自動車のカルロス・ゴーン氏が当初、日本のマスメディアから非難されたように「お前はコストカッターではないのか」と。その時に、コリン・マーシャルはこうした内容を語っています。「飛行機というのは、コンピューターを通じて全世界の人達が瞬時に予約を入れることができる。希望する座席の場所すら指定することができる。そして、高度1万メートルという上空を、大きな鉄の固まりの中に何百人もの人々を乗せて、他の乗物よりも早く目的地に到着させる。それはハイテクニークな、近代という私達の世紀がもたらした成果である。けれども、その飛行機は全自動操縦となろうとも、何十年か後も、今と同じく一人の人間、若しくは二人の人間が操縦席に座るのであり、また客室でコーヒーを提供する者も、決してロボットではなく、私たちと同じ体温を持った人間であるはずだ」と彼らに説きます。「ハイテクな物体の中で、けれどもその労働集約なサービスを行うことは、ローテクを意味するのであろうか」と彼は問います。「いえ、それはローテクなのではなく、むしろハイテクな物体の中において提供されるハイクオリティなのだ」と彼は続けたのです。IT社会において、ともすれば人間の体温であったり、人間の表情であったり、人間の言葉だったりを忘れてしまいがちです。あるいはそれを確かなものとして受け取ることが出来にくくなる。その空間において、人が人に接する、また、人が人に接せられる喜びを。つまりは、ひとりの人間として私は遇されている、ひとりの人間として私は求められているのだと、双方が感じるサービスを私達は心掛けようと。ハイテクな乗り物の中のハイクオリティな時空間なのだということを、繰り返し社員の人達に説いたのです。その後、ブリティッシュ・エアウェイズは世界の航空会社の中で最も高い利益水準をほこり、けれども最も高い接客の航空会社としての評価を勝ち取っています。

 余談ですが、コリン・マーシャルはロンドンからニューヨークに突如出張が決まると、夜中に自分でコンピューターを叩いて、エコノミークラスに予約を入れたりしました。搭乗すると、チーフパーサーが恐縮して、「ファーストクラスに空席がありますよ」と勧めます。けれども彼は、「ううん、いいんだよ。デブっちょな僕の体でも快適かどうか、確かめてみようと思ってね」と笑いながら答え、周囲もなごんだという逸話があります。



活力、そして勇気と自信を取り戻そう

 私は、日本の背骨にある長野県が、そして私が小学校から高校時代に繰り返し私の両親とともに実感したように、向上心にあふれ、また自由闊達な議論を好み、そして建設的な、まさにクリエイティブなコンフリクト、建設的な議論好きな長野県民の活力を、それが仮に近年、ひとりひとりの中に眠っていたのであるならば、そうした活力を是非、皆さんと一緒にもう一度取り戻したいと思っています。しなやかな思考とは、賛成・反対の二項対立を超えた、第三の道を探る弁証法(アウフヘーベン)です。言い換えれば、矜持という自信と、諦観という謙虚さを併せ持つことです。

 長野県民が、皆さんも私も含めて、そうしたしなやかな勇気と自信を取り戻した時には、おそらく皆さんもまた私も驚くほどに、ほとばしるほどの様々な長野県内の皆様からの活力やあるいは提言や具体的行動が出てくると思います。日本の背骨にある、そして犀川や千曲川、天竜川あるいは姫川、木曽川といった多くの日本の水源を発する、この日本の中心に位置する長野県が活力を持つことは、多くの全国の方々が再び長野県へと訪れよう、あるいは長野県に移り住もう、あるいは長野県で仕事を営もうということを考えてくださる結果をもたらすと思っています。


全国に誇れる長野県に


 私は、学問に王道がないように、おそらく行政というものにも王道はないと思っています。それは、もちろんハイテクなシステムは十分に活用しながらも、私は皆さんと一緒にハイクオリティーな人間の温かさ、人間のきめ細やかさを、一人ひとりの職員が一人の県民として県民に対して発信していくという作業を、今日この日から行いたいと思っています。

 私のことは、是非、田中さんか、あるいは知事か、あるいは高校時代は康夫君と呼ばれたりやっちゃんと呼ばれていましたのでそういう呼び方でも結構です。私も皆さんには、「さん」付けで今日この瞬間からお話しようと思います。全ての皆さんと私が、また全ての県民と私たちが対等の目線の関係で自由闊達に議論を交わして、再び全国に長野県民であることを誇りを持って語れる長野県を、更に育んで行きたいと思います。

 今日はお忙しい中をお集まりいただいてうれしく思います。この内容は、今日この時間帯に他の場所で、長野市以外で、業務をなさっている方々にも「職員だより」という活字の形でお伝えすることになっています。

 そしてもし許されれば、私は往々にして遅刻をしちゃったりもしますし予定を変更しちゃったりもしますが、今日夜の時間、例えばこの場所にお集まりいただけなかった県庁内あるいは地方事務所にお勤めの方も、時間が許せば午後6時くらいからここで皆さんとまた語り合うことができればと思っています。

 今、私は予め周囲のスタッフにご相談しないで夕刻からの計画を申し上げているので、あるいは物理的に不可能な可能性もあるかもしれません。でも、私たちは前例がなかったり物理的に不可能ということを乗り越えていかねばならないのです。無論、私たちが行う業務は、物理的に勝利が不可能だったにも拘らず、若い多くの命を無にする可能性が大だったにも拘らず出航した戦艦大和の悲劇とは凡そ異なるのです。

 是非皆さんと一緒に、本当に全国に誇れる長野県にしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。



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